トレイシー・チャップマン

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トレイシー・チャップマン
Tracy Chapman
トレイシー・チャップマン(2009ねん
基本きほん情報じょうほう
生誕せいたん (1964-03-30) 1964ねん3月30にち(60さい
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく オハイオしゅうクリーブランド
ジャンル フォークブルースロックポップスソウル
職業しょくぎょう シンガーソングライター
担当たんとう楽器がっき ボーカル、ギター、ハーモニカ
活動かつどう期間きかん 1986ねん -
レーベル エレクトラ・レコード
公式こうしきサイト TracyChapman.com

トレイシー・チャップマンTracy Chapman1964ねん3月30にち - )は、アフリカけいアメリカじん女性じょせいシンガーソングライター

概要がいよう[編集へんしゅう]

アコースティック・ギター一本いっぽんでのがたりが特色とくしょくで、「Give Me One Reason」や「ファスト・カー」などのヒットきょくられる。

歌詞かしは、あい孤独こどく人種じんしゅ階級かいきゅう貧困ひんこん家庭かていない暴力ぼうりょくなどの社会しゃかい問題もんだいを、つよいメッセージせいげる[1]

ちからこれまで[編集へんしゅう]

労働ろうどうしゃ階級かいきゅうおおオハイオしゅうクリーブランドまれた。歌手かしゅ母親ははおやち、おさなころからギターを練習れんしゅう幼少ようしょうから自作じさくきょくうたう。奨学しょうがくきんマサチューセッツしゅうメッドフォードのタフツ大学だいがくかよい、生物せいぶつがく獣医じゅういがく文化ぶんか人類じんるいがく、そしてアフリカについてまなぶようになり[1]次第しだいにフォーク・ロックにかれ、コーヒー・ハウス(喫茶店きっさてん)やナイト・クラブなどで、作詞さくし作曲さっきょくしたうたうたっていた。

まもなく、1987ねんエレクトラ・レコード契約けいやく[2]、デビュー・アルバム『トレイシー・チャップマン』(1988ねん)を発表はっぴょう。それまでのちで経験けいけんしてきた社会しゃかい矛盾むじゅんや、大学だいがくまなんだアフリカの知識ちしきなどをベースに、社会しゃかい問題もんだいをストレートかつシンプル表現ひょうげんしたこのアルバムはだいヒットとなり、批評ひひょうなどからもたか評価ひょうかけた[1][3]翌年よくねん、このアルバムはだい31かいグラミーしょうで、「最優秀さいゆうしゅう新人しんじんしょう」「最優秀さいゆうしゅう女性じょせいポップス・ボーカルしょう」「最優秀さいゆうしゅうコンテンポラリー・フォークしょう」の3部門ぶもん獲得かくとく[4]し、世界せかいで1,000まんまいもの売上うりあげを記録きろくした。

はんアパルトヘイト運動うんどうにも関与かんよし、アムネスティ・インターナショナル人権じんけんツアーやボブ・ディラン30周年しゅうねん記念きねんコンサートでもうたい、またネルソン・マンデラ釈放しゃくほう記念きねんするロンドンのコンサートでは、マンデラのスピーチの直後ちょくごうた栄誉えいよけている。

りゃく年譜ねんぷ[編集へんしゅう]

  • 1964ねん3がつ30にち アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのオハイオしゅうクリーブランドでまれる。
  • 1982ねん コネチカットしゅうダンベリーのウースター・スクール(en:Wooster School)を卒業そつぎょうし、マサチューセッツしゅうメッドフォードのタフツ大学だいがく入学にゅうがく。おもに人類じんるいがくとアフリカについてまなぶ。
  • 1986ねん 大学だいがくのアフリカン・ドラム・アンサンブルに参加さんか。のち、ボストン・フォーク・サーキットで自作じさくうたをギターがたり。タフツ大学だいがくのラジオきょくWMFO(外部がいぶへのリンク)でデモ・テープを録音ろくおん学友がくゆうのブライアン・コッペルマンがその父親ちちおやのチャールズ(SKB出版しゅっぱん社長しゃちょう)に推薦すいせん。それがプロデューサーのデイヴィッド・カーシェンバウム(David Kershenbaum)への紹介しょうかいにつながり、また、レコード会社かいしゃ「エレクトラ・レコード」につたわることになる。「For My Lover」をボストンのフォーク音楽おんがく雑誌ざっし『ファスト・フォーク・ミュージカル・マガジン』のために録音ろくおん雑誌ざっし付録ふろくとして販売はんばい
  • 1987ねん カーシェンバウムのプロデュースでエレクトラ・レコードからデビュー・アルバムを録音ろくおん
  • 1988ねん4がつ5にち デビュー・アルバムをリリース。
  • 1988ねん5がつ ニューヨークのビター・エンド・クラブで2かい公演こうえん
  • 1988ねん6がつ11にち イギリスでひらかれたネルソン・マンデラ70さい記念きねんコンサート(Nelson Mandelay's 70th Birthday Tribute Concert)への出演しゅつえんがテレビで放映ほうえいされる。これにより2日間にちかんで12,000まいれたとわれる。
  • 1988ねん9がつ アムネスティ・コンサートに出演しゅつえん共演きょうえんは、ブルース・スプリングスティーンピーター・ガブリエルスティングユッスー・ンドゥール
  • 1990ねん4がつ16にち ネルソン・マンデラの釈放しゃくほう記念きねんコンサート(The Nelson Mandela: An International Tribute For A Free South Africa Concert)。共演きょうえんは、ピーター・ガブリエル、ニール・ヤングシンプル・マインズ、その
  • 1992ねん6がつ28にち アフリカ民族みんぞく会議かいぎ(African National Congress)創立そうりつ80周年しゅうねん記念きねんコンサート。
  • 1998ねん12月10にち アムネスティ・インターナショナル主催しゅさいパリでのコンサート。
  • 2001ねん5がつ19にち ボブ・ディラン生誕せいたん記念きねんコンサートに出演しゅつえん
  • 2014ねんサンダンス映画えいがさい米国べいこくドキュメンタリー審査しんさいん任命にんめいされる。
  • 2018ねん10がつ、チャップマンはラッパーのニッキー・ミナージュ著作ちょさくけん侵害しんがいうった[5]、チャップマンのきょく「ベイビー・キャン・アイ・ホールド・ユー」を許可きょかなくミナージュがサンプリングしたと主張しゅちょう。2020ねん9がつ裁判官さいばんかんはミナージュがチャップマンのうたをサンプリングしたこと著作ちょさくけん侵害しんがいではなくフェアユースであるとべた。

セクシュアリティ[編集へんしゅう]

チャップマンは自身じしんセクシュアリティについて公言こうげんしていないが、1990年代ねんだいなかばに作家さっかアリス・ウォーカー交際こうさいしていた。当時とうじ両者りょうしゃとも交際こうさいについて沈黙ちんもくつらぬいていたが、破局はきょくの2006ねんにウォーカーが「トレイシーはわたしにとって非常ひじょうあいおしいひと交際こうさいできて素晴すばらしかった。でも他人たにんからとやかくわれることではない」とかたった。[6]現在げんざい女優じょゆうグィネヴィア・ターナー交際こうさいしている。

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

スタジオ・アルバム[編集へんしゅう]

  • 『トレイシー・チャップマン』 - Tracy Chapman (1988ねん)
  • 『クロスロード』 - Crossroads (1989ねん)
  • 『マターズ・オブ・ザ・ハート』 - Matters of the Heart (1992ねん)
  • 『ニュー・ビギニング』 - New Beginning (1995ねん)
  • 『テリング・ストーリーズ』 - Telling Stories (2000ねん)
  • 『レット・イット・レイン』 - Let It Rain (2002ねん)
  • 『ホエア・ユー・リヴ』 - Where You Live (2005ねん)
  • Our Bright Future (2008ねん)

コンピレーション・アルバム[編集へんしゅう]

  • 『コレクション』 - Collection (2001ねん)
  • 『グレイテスト・ヒッツ』 - Greatest Hits (2015ねん)

シングル[編集へんしゅう]

  • 「ファスト・カー」 - "Fast Car" (1988ねん)
  • 「トーキン・バウト・ア・レヴォリューション」 - "Talkin' 'bout a Revolution" (1988ねん)
  • 「ベイビー・キャン・アイ・ホールド・ユー」 - "Baby Can I Hold You" (1988ねん)
  • 「クロスロード」 - "Crossroads" (1989ねん)
  • 「オール・ザット・ユー・ハヴ・イズ・ユア・ソウル」 - "All That You Have Is Your Soul" (1989ねん)
  • "Subcity" (1990ねん)
  • 「バン・バン・バン」 - "Bang Bang Bang" (1992ねん)
  • 「ドリーミング・オン・ア・ワールド」 - "Dreaming on a World" (1992ねん)
  • "Give Me One Reason" (1995ねん)
  • "New Beginning" (1996ねん)
  • "The Promise" (1996ねん)
  • "Smoke and Ashes" (1996ねん)
  • "Telling Stories" (2000ねん)
  • "It's OK" (2000ねん)
  • "Wedding Song" (2000ねん)
  • "Baby Can I Hold You" (2001ねん)
  • "You're the One" (2002ねん)
  • "Another Sun" (2003ねん)
  • "Change" (2005ねん)
  • "America" (2006ねん)
  • "Sing for You" (2008ねん)
  • "Thinking of You" (2009ねん)

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c STEVE POND (1988ねん9がつ22にち). “Tracy Chapman on Hit Single 'Fast Car' and Talking About Revolution - Rolling Stone” (英語えいご). Rolling Stone. Penske Media Corporation. 2022ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  2. ^ Lyndsey Havens (2016ねん12月12にち). “Bob Krasnow, Veteran Record Executive, Has Died | Billboard – Billboard” (英語えいご). Billboard. 2022ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  3. ^ PETER MURPHY (2019ねん7がつ2にち). “On this day in 1988: Tracy Chapman starts a three-week run at No.1 with her eponymous debut album | Hotpress” (英語えいご). Hotpress. 2022ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  4. ^ Tracy Chapman | Artist | GRAMMY.com” (英語えいご). GRAMMY.com. 2022ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  5. ^ Charles Holmes (2018ねん10がつ25にち). “トレイシー・チャップマン、著作ちょさくけん侵害しんがいでニッキー・ミナージュをうったえる | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)”. Rolling Stone Japan. CCCミュージックラボ. 2022ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  6. ^ No retreat; The Guardian” (英語えいご). theguardian.com. 2023ねん4がつ13にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]