ドイツ・レクイエム

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ドイツ・レクイエムドイツ: Ein deutsches Requiem作品さくひん45は、ドイツ作曲さっきょくヨハネス・ブラームス作曲さっきょくしたオーケストラ合唱がっしょう、およびソプラノバリトン独唱どくしょうによる宗教しゅうきょうきょく1868ねん完成かんせいし、翌年よくねん1869ねん初演しょえんされた。ぜん7きょく構成こうせいされ、歌詞かしドイツ

概要がいよう[編集へんしゅう]

通常つうじょうレクイエムカトリック教会きょうかいにおいて死者ししゃ安息あんそくかみねが典礼てんれい音楽おんがくのことであり、ラテン語らてんご祈祷きとうぶんしたがって作曲さっきょくされる。しかし、ハンブルクまれ、ウィーンぼっしたブラームスはルター信徒しんとであるため、ルター聖書せいしょドイツはん文言もんごんから、ブラームス自身じしんえらんだ旧約きゅうやく聖書せいしょ新約しんやく聖書せいしょのドイツ章句しょうく歌詞かしとして使用しようしている。 これは、メンデルスゾーン1840ねん作曲さっきょくした交響こうきょうきょくだい2ばん讃歌さんかですでにおこなわれた手法しゅほうである。

また、演奏えんそうかいよう作品さくひんとして作曲さっきょくされ、典礼てんれい音楽おんがくとして使つかうことはかんがえられていないのがおおきな特徴とくちょうとしてげられる。ブラームス自身じしんも、「キリストの復活ふっかつかかわる部分ぶぶん注意深ちゅういぶかのぞいた」とかたっている。

ポリフォニーたくみにかされた作品さくひんであり、初期しょき作品さくひんピアノ協奏曲きょうそうきょくだい1ばんだい3楽章がくしょうにもられるようなバロック音楽おんがくとくだいバッハハインリヒ・シュッツ(シュッツも、「ドイツ・レクイエム」を作曲さっきょくしている)の影響えいきょう顕著けんちょれる。まただい1きょく旋律せんりつ全曲ぜんきょくにわたりもちいられており、楽曲がっきょく構成こうせいにも統一とういつ意図いとされている。

なお、このきょく理解りかいしゃで1868ねん一部いちぶ演奏えんそう担当たんとうした指揮しきしゃカール・マルティン・ラインターラーは、ブラームスの選択せんたく納得なっとくがいかず、ヘンデルの『メサイア』のソプラノによるアリア「わたしる、わたしあがなものきておられる」[1]挿入そうにゅうした。

作曲さっきょく経緯けいい初演しょえん[編集へんしゅう]

1866ねんごろのブラームス

このきょく1857ねんころからかれはじめた。このきょく構想こうそうされたきっかけは、1856ねんみずからをしてくれた恩人おんじんロベルト・シューマン死去しきょしたことにあったとわれている。1857-59ねんにははやくも現在げんざいだい2楽章がくしょう[2]完成かんせいさせるが、そこからはすすまなかった。しかし、1865ねん、ブラームスのはは死去しきょし、これがかれきょく製作せいさくいそがせることとなった。

まず、初演しょえん2ねんまえ1867ねん12月1にち作曲さっきょくされていただい1きょくからだい4きょくまでのうち、最初さいしょの3つの楽章がくしょう試演しえんが、ヨハン・ヘルベック指揮しきによりウィーンらくとも協会きょうかいおこなわれたが、演奏えんそうがうまくいかず聴衆ちょうしゅう罵声ばせいびて失敗しっぱいした。エドゥアルト・ハンスリックもこのとき皮肉ひにくめた批評ひひょういている。しかしブラームスはあきらめることなく作曲さっきょくつづけて、だい6きょくだい7きょくげ、初演しょえん1ねんまえ1868ねん4がつ10日とおかブレーメンだい5きょくのぞ全曲ぜんきょくみずからの指揮しき演奏えんそうし、成功せいこうおさめた。これにより、ブラームスは35さいにしてドイツ屈指くっし作曲さっきょくとしての地位ちい確立かくりつした。その直後ちょくごの4がつ28にち、ラインターラーの指揮しき再演さいえんされ(上述じょうじゅつ)、5ヶ月かげつ9月17にちチューリッヒで8がつまでに完成かんせいしただい5きょくフリードリヒ・ヘーガー指揮しき演奏えんそうされた。

この5ヶ月かげつ1869ねん2がつ18にちカール・ライネッケ指揮しきライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽かんげんがくだんにより7きょく全曲ぜんきょく初演しょえんされた。この作品さくひんのユニークな特色とくしょくひとつに、この初演しょえん以前いぜんに、上述じょうじゅつのような部分ぶぶんてき作曲さっきょくした楽章がくしょうぶんだけ演奏えんそうされてきた遍歴へんれきつことがげられる。

編成へんせい[編集へんしゅう]

なお、だい1きょくではヴァイオリンは使つかわれず、ヴィオラが弦楽げんがく中心ちゅうしんとなっている。

演奏えんそう時間じかん[編集へんしゅう]

やく70ふん

構成こうせい[編集へんしゅう]

  1. かなしんでいる人々ひとびとさいわいである(Johannes Brahms - Op.45 Ein Deutsches Requiem - (01) Selig sind, die da Leid tragen.ogg Selig sind, die da Leid tragen[ヘルプ/ファイル])(マタイでん5:4、詩篇しへん126:5-6) 長調ちょうちょう、4ぶんの4拍子ひょうし
  2. ひとみなそうのごとく(Johannes Brahms - Op.45 Ein Deutsches Requiem - (02) Denn alles Fleisch, es ist wie Gras.ogg Denn alles Fleisch, es ist wie Gras[ヘルプ/ファイル])(1ペテロ1:24、ヤコブしょ5:7、イザヤしょ35:10) へん短調たんちょう、4ぶんの3拍子ひょうし
  3. おもよ、わりと、かずの("Johannes Brahms - Op.45 Ein Deutsches Requiem - (03) Herr, lehre doch mich.ogg Herr, lehre doch mich[ヘルプ/ファイル]")(詩篇しへん39:4-7、知恵ちえしょ3:1) 短調たんちょう、2ぶんの2拍子ひょうし
  4. まんぐんおもよ、あなたのまいは(Johannes Brahms - Op.45 Ein Deutsches Requiem - (04) Wie lieblich sind deine Wohnungen.ogg Wie lieblich sind deine Wohnungen[ヘルプ/ファイル])(詩篇しへん84:1-2、4) へん長調ちょうちょう、4ぶんの3拍子ひょうし
  5. このように、あなたかたにもいまは(Johannes Brahms - Op.45 Ein Deutsches Requiem - (05) Ihr habt nun Traurigkeit.ogg Ihr habt nun Traurigkeit[ヘルプ/ファイル])(ヨハネでん16:22、シラしょ51:27、イザヤしょ66:13) ト長調とちょうちょう、4ぶんの4拍子ひょうし
  6. この地上ちじょう永遠えいえんはない(Johannes Brahms - Op.45 Ein Deutsches Requiem - (06) Denn wir haben hie keine bleibende Statt.ogg Denn wir haben hie keine bleibende Statt[ヘルプ/ファイル])(ヘブルしょ13:14、コリントまえ15:51-55、黙示録もくしろく4:11)、所謂いわゆるブラームスの「いかりの」である。 短調たんちょう、4ぶんの4拍子ひょうし
  7. いまからのちおもにあって死人しにんさいわいである(Johannes Brahms - Op.45 Ein Deutsches Requiem - (07) Selig sind die Toten.ogg Selig sind die Toten[ヘルプ/ファイル])(黙示録もくしろく14:13) ヘ長調ちょうちょう、4ぶんの4拍子ひょうし

歌詞かし[編集へんしゅう]

ドイツ歌詞かし原文げんぶんは、ドイツばんWikisource:Ein deutsches Requiemより、 一部いちぶ改変かいへんしつつ転載てんさい

だい1きょくさいわいなるかな、かなしみをいだくものは」[編集へんしゅう]

[Ziemlich langsam und mit Ausdruck. F-Dur, C]
Selig sind, die da Leid tragen,
denn sie sollen getröstet werden.
Matthäus 5, 4

Die mit Tränen säen,
werden mit Freuden ernten.
Sie gehen hin und weinen
und tragen edlen Samen,
und kommen mit Freuden
und bringen ihre Garben.
Psalm 126, 5.6.

[かなりゆっくりと、表情ひょうじょうをつけて。ヘ長調ちょうちょう、C]
さいわいなるかな[3]かなしみをいだくものは、
かれらはなぐさめられんゆえに。
マタイによる福音ふくいんしょ 5:4

なみだとともにくものは、
よろこびとともにれん。
かれらき、きて、
とうときたねたずさえる。
されどよろこびとともにきたりて、
たばはこぶ。
詩編しへん 126:5-6

だい2きょくにくはみな、くさのごとく」[編集へんしゅう]

[Langsam, marschmäßig. b-Moll, 3/4]
Denn alles Fleisch, es ist wie Gras
und alle Herrlichkeit des Menschen
wie des Grases Blumen.
Das Gras ist verdorret
und die Blume abgefallen.
1. Petrus 1, 24

[Etwas bewegter. Ges-Dur, 3/4]
So seid nun geduldig, liebe Brüder,
bis auf die Zukunft des Herrn.
Siehe, ein Ackermann wartet
auf die köstliche Frucht der Erde
und ist geduldig darüber,
bis er empfahe den Morgenregen und Abendregen.
So seid geduldig.
Jakobus 5, 7

[Tempo I. b-Moll, 3/4]
Denn alles Fleisch, es ist wie Gras
und alle Herrlichkeit des Menschen
wie des Grases Blumen.
Das Gras ist verdorret
und die Blume abgefallen.

[Un poco sostenuto. B-Dur, C]
Aber des Herren Wort bleibet in Ewigkeit.
1. Petrus 1, 24.25

[Allegro non troppo, B-Dur, C]
Die Erlöseten des Herrn werden wiederkommen,
und gen Zion kommen mit Jauchzen;
Freude, ewige Freude,
wird über ihrem Haupte sein;
Freude und Wonne werden sie ergreifen,
und Schmerz und Seufzen wird weg müssen.
Jesaja 35, 10

[ゆっくりと、行進曲こうしんきょくてきに。へん短調たんちょう、3/4]
にく[4]はみな、くさのごとく
ひと光栄こうえいはみな
くさはなのごとし。
くさ
はなつ。
ペトロの手紙てがみいち 1:24

[いくらか感動かんどうてきに。へんト長調とちょうちょう、3/4]
かくいましのべ、いとしき兄弟きょうだいよ、
おもたらんとするときまで。
よ、農夫のうふつなり、
のとうときを。
またしのぶなり、
あさあめゆうあめるまで。
かくしのべ。
ヤコブの手紙てがみ 5:7

[はじめとおなじテンポで。へん短調たんちょう、3/4]
にくはみな、くさのごとく
ひと光栄こうえいはみな
くさはなのごとし。
くさ
はなつ。

[おとをある程度ていど十分じゅうぶんたもって。へん長調ちょうちょう、C]
されどおも言葉ことばたもつなり、とこしえに。
ペトロの手紙てがみいち 1:24-25

[はなはだしくなく軽快けいかいに。へん長調ちょうちょう、C]
おもすくわれしものふたたびきたりて、
歓呼かんことともにシオンにきたる。
よろこび、とこしえのよろこびが、
そのあたまうえにあらん。
よろこびとよろこびとをかれらはつかみ、
くるしみとなげきとはるべし。
イザヤしょ 35:10

だい3きょくおもよ、らしめたまえ」[編集へんしゅう]

[Andante moderato. d-Moll, C]
Herr, lehre doch mich,
daß ein Ende mit mir haben muß.
und mein Leben ein Ziel hat,
und ich davon muß.
Siehe, meine Tage sind
einer Hand breit vor Dir,
und mein Leben ist wie nichts vor Dir.

[(Andante moderato. d-Moll) 3/2]
Ach wie gar nichts sind alle Menschen,
die doch so sicher leben.
Sie gehen daher wie ein Schemen
und machen ihnen viel vergebliche Unruhe;
sie sammeln und wissen nicht,
wer es kriegen wird.
Nun Herr, wes soll ich mich trösten?

[(Andante moderato.) D-Dur (3/2)]
Ich hoffe auf Dich.
Psalm 39, 5-8

[(Andante moderato.) D-Dur, C]
Der Gerechten Seelen sind in Gottes Hand
und keine Qual rühret sie an.
Weisheit Salomos 3, 1

[ほどよくゆっくりとあるくように。ニ短調たんちょう、C]
おもよ、らしめたまえ、
われにわりかならずあること、
わがいのちすえあること、
わがこのよりかならることを[5]
よ、わが日々ひび
はばほどのものなり、御前ごぜんにては。
わがいのちのごとし、御前ごぜんにては。

[3/2]
げに、まことにのごとし、すべてのひとは、
かれらたしかにきれども。
かれらかげがごとくうつろい、
むなしくおもなやむ。
かれらたくわえるが、らず、
だれがそれをにせんかを。
さればおもよ、なにによりてか、われおのれなぐさむべし?

[ニ長調ちょうちょう]
われはのぞむ、なんじを。
詩編しへん 39:5-8

[ニ長調ちょうちょう、C] (だいフーガ)
せいしきじんたましいかみのうちにあり、
いかなるもそれらにれることなし。
知恵ちえしょ 3:1

だい4きょく「いかにあいすべきかな、なんじのいますところは、まんぐんおもよ」[編集へんしゅう]

[Mäßig bewegt. Es-Dur, 3/4]
Wie lieblich sind Deine Wohnungen,
Herr Zebaoth!
Meine Seele verlanget und sehnet sich
nach den Vorhöfen des Herrn;
Mein Leib und Seele freuen sich
in dem lebendigen Gott.
Wohl denen, die in Deinem Hause wohnen,
die loben Dich immerdar.
Psalm 84, 2.3.5

[適度てきど感動かんどうてきに。へん長調ちょうちょう、3/4]
いかにあいすべきかな、なんじのいますところは、
まんぐんおもよ!
わがたましいもとしたう、
おも前庭ぜんていを。
わがしんよろこぶ、
いのちかみ御前ごぜんで。
さいわいなるかな[3]、なんじのいえむものは、
なんじをつねにたたえまつるものは。
詩編しへん 84:2-3, 5

だい5きょくなんじらもいまうれいあり」[編集へんしゅう]

[Langsam. G-Dur, C]
Ihr habt nun Traurigkeit;
aber ich will euch wiedersehen,
und euer Herz soll sich freuen,
und eure Freude soll niemand von euch nehmen.
Johannes 16, 22

Ich will euch trösten,
wie einen seine Mutter tröstet.
Jesaja 66, 13

Sehet mich an: Ich habe eine kleine Zeit
Mühe und Arbeit gehabt
und habe großen Trost gefunden.
Jesus Sirach 51, 35

[ゆっくりと。ト長調とちょうちょう、C]
なんじらもいまうれいあり、
されどわれなんじらをふたたん。
そのときなんじらのしんよろこぶべし、
そのよろこびをなんじらよりうばものなし。
ヨハネによる福音ふくいんしょ 16:22

われなんじらをなぐさめん、
ひとをそのははなぐさむるごとく。
イザヤしょ 66:13

われをよ。われにつか
労苦ろうくはたらきのみありしが、
われおおいなるなぐさめをいだせり。
シラしょ 51:27[6]

だい6きょく「われらここには、とこしえのなくして」[編集へんしゅう]

[Andante. c-Moll, C]
Denn wir haben hie keine bleibende Statt,
sondern die zukünftige suchen wir.
Hebräer 13, 14

Siehe, ich sage Euch ein Geheimnis:
Wir werden nicht alle entschlafen,
wir werden aber alle verwandelt werden;
und dasselbige plötzlich in einem Augenblick,
zu der Zeit der letzten Posaune.

[Vivace. c-Moll, 3/4]
Denn es wird die Posaune schallen
und die Toten werden auferstehen unverweslich;
und wir werden verwandelt werden.
Dann wird erfüllet werden das Wort,
das geschrieben steht.
Der Tod ist verschlungen in den Sieg.
Tod, wo ist dein Stachel?
Hölle, wo ist dein Sieg?
1 Korinther 15, 51.52.54.55.

[Allegro. C-Dur, C]
Herr, Du bist würdig
zu nehmen Preis und Ehre und Kraft,
denn Du hast alle Dinge erschaffen,
und durch Deinen Willen haben sie das Wesen
und sind geschaffen.
Offenbarung Johannis 4, 11

[ゆっくりあるくように。ハ短調たんちょう、C]
われらここには、とこしえのなくして、
ただたらんとするものをもとむ。
ヘブライじんへの手紙てがみ 13:14

よ、われなんじらに神秘しんぴぐ、
われらはことごとくねむるにあらず、
われらみなせられん、
たちまち、またたに、
わりのラッパのときに。

[きと。ハ短調たんちょう、3/4]
すなわちラッパ
死人しにんちずしてよみがえり、
われらはせられん。
かくて言葉ことば成就じょうじゅせん、
かくしるされたるものは。
勝利しょうりまれたり。
よ、なんじのとげは、いずこにかある?
地獄じごくよ、なんじの勝利しょうりは、いずこにかある?」
コリントの信徒しんとへの手紙てがみいち 15:51-52,54-55

[軽快けいかいに。ハ長調ちょうちょう、C]
おもよ、なんじはふさわし、
称賛しょうさん栄光えいこうちからけたもうことに。
なんじは万物ばんぶつつくりたまい、
しんによりてそれらは存在そんざいたもち、
かつつくられたるゆえに。
ヨハネの黙示録もくしろく 4:11

だい7きょくさいわいなるかな、死人しにんのうち、おもにありてぬるものは」[編集へんしゅう]

[Feierlich. F-Dur, C]
Selig sind die Toten,
die in dem Herrn sterben,
von nun an.
Ja, der Geist spricht,
daß sie ruhen von ihrer Arbeit;
denn ihre Werke folgen ihnen nach.
Offenbarung Johannis 14, 13

[おごそかに。ヘ長調ちょうちょう、C]
さいわいなるかな[3]死人しにんのうち、
おもにありてぬるもの、
いまよりのちに。
しかり」とれいいたもう、
「かれらはその労苦ろうくから[かれて]やすまん。
かれらのおこない、のちよりしたがうなれば」
ヨハネの黙示録もくしろく 14:13

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ("I know that my Redeemer liveth...")
  2. ^ これは、もともと最初さいしょ交響曲こうきょうきょくやピアノ協奏曲きょうそうきょく破棄はきされた2だいピアノのためのニ短調たんちょうのソナタなどの一部いちぶにする予定よていであったらしい。
  3. ^ a b c seligは「(世俗せぞくてきな)しあわせ」という意味いみではなく、「かみ祝福しゅくふくされた状態じょうたいにある」という意味いみだい4きょくwohlも、ここでは同様どうよう意味いみである。
  4. ^ にく」ともやくされる。肉体にくたいきた人間にんげんのこと。
  5. ^ 逐語ちくごやくは「わたしは|そこから|〜(し)なければならない」。しん共同きょうどうやくでは「いかにわたしがはかないものか」。
  6. ^ しん共同きょうどうやくふし番号ばんごう

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]