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ハリー・マーティンソン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Harry Martinson
ハリー・マーティンソン
誕生たんじょう (1904-05-06) 1904ねん5月6にち
 スウェーデン ブレーキンゲ地方ちほう
死没しぼつ 1978ねん2がつ11にち(1978-02-11)(73さいぼつ
 スウェーデン ストックホルム
国籍こくせき  スウェーデン
おも受賞じゅしょうれき ノーベル文学ぶんがくしょう(1974) 
ウィキポータル 文学ぶんがく
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ノーベルしょう受賞じゅしょうしゃノーベル賞
受賞じゅしょうねん1974ねん
受賞じゅしょう部門ぶもんノーベル文学ぶんがくしょう
受賞じゅしょう理由りゆうのひとしずくをとらえて宇宙うちゅううつ作品さくひんぐんたいして」

ハリー・マーティンソン(Harry Martinson、1904ねん5月6にち-1978ねん2がつ11にち)は、スウェーデン小説しょうせつ詩人しじん。1949ねんスウェーデン・アカデミーのメンバーにえらばれ、1974ねんエイヴィンド・ユーンソンとともにノーベル文学ぶんがくしょう受賞じゅしょうした。ユーンソンとマティンソンは2人ふたりともノーベル委員いいんかい所属しょぞくしていたため、かれらの受賞じゅしょう論議ろんぎんだ。このとしにはかれ2人ふたりほかグレアム・グリーンソール・ベローウラジーミル・ナボコフらが有力ゆうりょく候補こうほだった。

生涯しょうがい

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マーティンソンはスウェーデン南東なんとうブレーキンゲ地方ちほうにあるJämshögでまれた。おさなとき両親りょうしんうしない、里子さとごとしてそだった。16さいとき脱走だっそうしてふねみ、翌年よくねんブラジルインドなどをまわりながら世界中せかいじゅうたびしてごした。

すうねんかれはい病気びょうきのためスウェーデンに帰国きこくすることを余儀よぎなくされた。そしてこの翌年よくねん定職ていしょくくこともなくスウェーデン国内こくない浮浪ふろうしゃとしてごした。21さいときにはマルメまち浮浪ふろうざい逮捕たいほされた。

かれは1929ねん詩人しじんとしてデビューした。アルトゥール・ルンドクビストらとともに詩集ししゅうFem unga(わか5にん)を刊行かんこうし、スウェーデンにモダニズム紹介しょうかいした。かれには自然しぜんへのあいするど視点してんヒューマニズムへのふかおもいがあった。かれわかころつら時代じだいえがき1935ねん出版しゅっぱんしたはん自伝じでんてき小説しょうせつNässlorna blomma小説しょうせつとしても評価ひょうかた。この小説しょうせつは30ヶ国かこく以上いじょう翻訳ほんやくされた。

かれもっと有名ゆうめいは、宇宙うちゅう遭難そうなん漂流ひょうりゅうする宇宙船うちゅうせんえがいた『アニアーラ英語えいごばん』という作品さくひんで、これは1956ねん出版しゅっぱんされ、1959ねんにはカール・ビルイェル・ブロムダールによりオペラもされ、2018ねん映画えいがされた。

かれは1929ねんから1940ねんまでスウェーデンじん作家さっかモア・マーティンソン結婚けっこんしていた。そして1970年代ねんだいノーベルしょうをめぐるかれへの批判ひはんれず、1978ねんカロリンスカ病院びょういんではさみによる自殺じさつをした。

2004ねんには、かれ生誕せいたん100周年しゅうねんがスウェーデンで盛大せいだいいわわれた。

2019ねん7がつ代表だいひょうさくである長編ちょうへん叙事詩じょじし『アニアーラ』がペラ・コーゲルマンヒューゴ・リリャ監督かんとく作品さくひんとして映画えいが上映じょうえいされた。

邦訳ほうやく

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  • マーティンソン 詩集ししゅう(田中たなか三千夫みちおやく) ノーベルしょう文学ぶんがく全集ぜんしゅう 主婦しゅふ友社ともしゃ、1976
  • 『アニアーラ』児玉こだま千晶ちあきやく 思潮しちょうしゃ、2014ねん

映画えいが

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監督かんとく ペッラ・カーゲルマンフーゴ・リリヤ
スウェーデン、デンマーク
出演しゅつえん エメリー・ヨンソンビアンカ・クルゼイロアルヴィン・カナニアン