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パイオニアレッドウィングス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
パイオニアレッドウィングス
原語げんご表記ひょうき パイオニアレッドウィングス
ホームタウン 山形やまがたけん天童てんどう埼玉さいたまけん川越かわごえ
クラブカラー あか
創設そうせつねん 1979ねん
廃部はいぶねん 2014ねん
所属しょぞくリーグ V・プレミアリーグ
チーム所在地しょざいち 山形やまがたけん天童てんどう
体育館たいいくかん所在地しょざいち 山形やまがたけん天童てんどう
代表だいひょうしゃ 島津しまつ光男みつお
監督かんとく 戸澤とざわつとむ
ホームページ 公式こうしきサイト

パイオニアレッドウィングスは、かつて山形やまがたけん天童てんどう本拠地ほんきょちとしていた東北とうほくパイオニア女子じょしバレーボールチームである。2014ねん9月30にちをもって廃部はいぶとなった。

概要がいよう[編集へんしゅう]

チーム所在地しょざいち天童てんどうにある東北とうほくパイオニア天童てんどう本社ほんしゃであり、社内しゃない練習れんしゅうよう体育館たいいくかんがある。天童てんどうをホームタウンとし、パイオニア事業じぎょうしょがある埼玉さいたまけん川越かわごえをサブホームタウンとして活動かつどうしていた。

チームカラーは企業きぎょうカラーとおなじ「あか」。チームめいは、「レッド」はチームカラーと山形やまがた特産とくさんのさくらんぼのいろ、「ウィングス」はチームの飛翔ひしょうしたのと山形やまがた新幹線しんかんせんの「つばさ」からている。

ホームゲームは、おも山形やまがたけん総合そうごう運動公園うんどうこうえん総合そうごう体育館たいいくかん開催かいさいされていたが、山形やまがた県内けんないほか体育館たいいくかん開催かいさいされることもあり、サブホームタウンの埼玉さいたま県内けんない体育館たいいくかん開催かいさいされることあった。

ファンクラブが運営うんえいされていた。

歴史れきし[編集へんしゅう]

バレーボール誕生たんじょうからVリーグ昇格しょうかくまで[編集へんしゅう]

1979ねん福利ふくり厚生こうせい一環いっかんとして東北とうほくパイオニアバレーボール設立せつりつされる[1]

1985ねんより、地域ちいきリーグ参加さんかする。1992ねん地元じもと山形やまがたけん開催かいさいされた『べにばな国体こくたい』で3入賞にゅうしょうたし、それをに、チームをさら向上こうじょうさせようと本格ほんかくてきにチーム強化きょうか[1]。1993ねん東部とうぶ地域ちいきリーグで優勝ゆうしょうしてファイナルリーグに進出しんしゅつ以降いこう、ファイナルリーグにかおすようになる。そして、1996ねんファイナルリーグで優勝ゆうしょうし、地域ちいきリーグ優勝ゆうしょう実業じつぎょうだんリーグ(のV1リーグ、げんチャレンジリーグ)に昇格しょうかく

実業じつぎょうだんリーグにて、1997ねんは7、1998ねんは5成績せいせきのこす。実業じつぎょうだんリーグから呼称こしょう変更へんこうされただい1かいV1リーグ(1998/99シーズン)ではじゅん優勝ゆうしょうたす。しかし、せん東芝とうしばシーガルズげん岡山おかやまシーガルズ)、JTマーヴェラス連敗れんぱいし、Vリーグ(げん・プレミアリーグ)昇格しょうかくはならず。1999ねんに、本格ほんかくてきにVリーグ昇格しょうかく目指めざすため、椿つばきほんしんめぐみ斎藤さいとう真由美まゆみ内田うちだやく小泉こいずみ栄子えいこ補強ほきょう。そして、1999-2000ねんだい2かいV1リーグで全勝ぜんしょう優勝ゆうしょうたす。そして、せん日立ひたち佐和さわリヴァーレに2連勝れんしょうし、Vリーグ昇格しょうかくたした。

Vリーグ(V・プレミアリーグ)[編集へんしゅう]

Vリーグ昇格しょうかくともない、チームめい東北とうほくパイオニアから、公募こうぼによりパイオニアレッドウィングス変更へんこう。パイオニア本社ほんしゃからの支援しえんけてチーム強化きょうかす。

アリー・セリンジャー監督かんとく時代じだい[編集へんしゅう]

2000ねんは、さらなる強化きょうか目指めざして、椿つばきほん斎藤さいとうダイエー時代じだい監督かんとくつとめていたアリー・セリンジャー監督かんとく招聘しょうへい。2001ねん多治見たじみ麻子あさこ佐々木ささきみきダニエル・スコット加入かにゅう。チームの大型おおがたはかった[1]だい8かいVリーグ(2001/02シーズン)では3はいる。2002ねんには吉原よしはら知子ともこ加入かにゅうし、さら戦力せんりょく強化きょうかすすめた。

2003ねんだい52かいくろわしはた全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん大会たいかい優勝ゆうしょうたし、はつタイトルを獲得かくとくする。そして、2003-04ねんだい10かいVリーグでは、レギュラーラウンドを首位しゅい通過つうか、セミファイナルラウンドも3せん全勝ぜんしょうで2せん方式ほうしき決勝けっしょう進出しんしゅつ、レギュラーラウンドで2せん2はい苦戦くせんいられたひがしレアローズせんいどむこととなった。初戦しょせんではフルセットの接戦せっせんけ、だい2試合しあいだい1セットを24-26でとしてがなくなる。しかし、そこからだい2セット以降いこうの3セットを連取れんしゅ勝利しょうり。チーム創部そうぶ25ねんにして悲願ひがんはつ優勝ゆうしょうたす。

だい11かいVリーグ(2004/05シーズン)では、シーズンちゅう栗原くりはらめぐみNECレッドロケッツより移籍いせき加入かにゅうし、注目ちゅうもくあつめた(結果けっかてきに、移籍いせき規定きていにより出場しゅつじょうはできなかった)。前回ぜんかいリーグ同様どうよう、レギュラーラウンド首位しゅいでセミファイナルラウンド進出しんしゅつたし、セミファイナルラウンドも通過つうかして2しょう先取せんしゅ方式ほうしき決勝けっしょう進出しんしゅつたす。しかし、決勝けっしょうでは1しょう2はいでNECにやぶれ、連覇れんぱのがす。

2005ねんだい54かいくろわしはた大会たいかいでは、移籍いせき加入かにゅうした栗原くりはらがデビュー。注目ちゅうもくびるなかで2度目どめ優勝ゆうしょうたす。だい12かいVリーグでもレギュラーラウンドで首位しゅい通過つうかたし、これで3大会たいかい連続れんぞくでレギュラーラウンド首位しゅい通過つうかとなる。ページシステムのファイナルラウンドで、初戦しょせんでレギュラーラウンド2久光製薬ひさみつせいやくスプリングスやぶれるも、3決定けっていせん武富士たけふじバンブーち、2しょう先取せんしゅ方式ほうしき決勝けっしょう進出しんしゅつ決勝けっしょう久光製薬ひさみつせいやくに2しょう1はい、2度目どめ優勝ゆうしょうたす。とうシーズン終了しゅうりょう、4年間ねんかんチームをささえてきた吉原よしはら現役げんえき引退いんたいした。

吉田よしだ敏明としあき監督かんとく時代じだい[編集へんしゅう]

2006ねんにアリー・セリンジャー監督かんとく退任たいにんし、自身じしんしたでコーチをつとめていた経験けいけんもある吉田よしだ敏明としあき後任こうにんたく[2]。2006/07V・プレミアリーグ(Vリーグから呼称こしょう変更へんこう)では、リーグ開幕かいまく直前ちょくぜんユデルキス・バウティスタ故障こしょうするハプニングに見舞みまわれる。代替だいたい要員よういんとしてくわわることとなったエリザベス・バックマン合流ごうりゅうおくれ、序盤じょばんからつまずく。レギュラーラウンド4はいり、なにとかセミファイナルラウンドに進出しんしゅつするも、1しょう2はい決勝けっしょう進出しんしゅつはならず、3でシーズンをえる。2007/08プレミアリーグは、レギュラーラウンド最終さいしゅうせん白星しろぼしのなかった日立ひたち佐和さわてばセミファイナルラウンド進出しんしゅつとなる立場たちばだったが、フルセットのすえ敗戦はいせん。それによって5大会たいかいぶりにセミファイナルラウンド進出しんしゅつのがす。

2008/09プレミアリーグでは、シーズンちゅう企業きぎょう業績ぎょうせき不振ふしん影響えいきょう存続そんぞく検討けんとうする見解けんかいされた。しかし、チーム存続そんぞく署名しょめい活動かつどうおこなわれ、ホームゲームのがりも良好りょうこうだったため、地域ちいき密着みっちゃくしていると判断はんだんされて、存続そんぞく見解けんかいしめされた[3]。リーグでの成績せいせきは、調子ちょうしがなかなかがらずにけが先行せんこうする。チーム存続そんぞく見解けんかいしめされたとき調子ちょうしげたものの、セミファイナルラウンド進出しんしゅつにはとどかず6えた。2009ねん6がつ吉田よしだ監督かんとくが3ねん契約けいやく満了まんりょうとなり、契約けいやく更新こうしんされず退任たいにんとなる[4]。そして、主将しゅしょう庄司しょうじ夕起ゆうき内田うちだやくをはじめとする6選手せんしゅ退団たいだん[5]。チームの大幅おおはばなモデルチェンジが余儀よぎなくされる。なお、退団たいだんした6選手せんしゅのうち、庄司しょうじら4選手せんしゅは、吉田よしだ監督かんとく入団にゅうだんした上尾あげおメディックス入団にゅうだんした。

佐藤さとう浩明ひろあき監督かんとく時代じだい[編集へんしゅう]

2009ねん7がつしん監督かんとくとして佐藤さとう浩明ひろあきコーチが昇格しょうかくもと日本にっぽん代表だいひょうのベテラン成田なりたいく久美くみ板橋いたばしめぐみ補強ほきょうするも、外国がいこくじん不在ふざいのまま、しょう人数にんずう体制たいせいで2009/10プレミアリーグにのぞむ。そううすさなどの影響えいきょう低迷ていめいつづけ、終盤しゅうばんでは11連敗れんぱい。レギュラーラウンド28試合しあいでわずか3しょうしかげられず最下位さいかいとなり、V・チャレンジマッチにのぞむこととなる。2試合しあい方式ほうしき初戦しょせんでV・チャレンジリーグ覇者はしゃ日立ひたち佐和さわにフルセットでやぶれるが、だい2試合しあいでセットカウント3-1で勝利しょうり。セットりつで、逆転ぎゃくてん残留ざんりゅうたす。

宮下みやした直樹なおき監督かんとく時代じだい[編集へんしゅう]

2010ねん6がつ1にち宮下みやした直樹なおきしん監督かんとく就任しゅうにんし、佐藤さとう浩明ひろあきふたたびコーチに就任しゅうにん[6]栗原くりはら主将しゅしょう就任しゅうにんし、ベテランの佐々木ささき成田なりたふく主将しゅしょう就任しゅうにんした[7]サマーリーグ千葉ちば国体こくたい若手わかて主体しゅたいのぞみ、それぞれじゅん優勝ゆうしょう、3はいって若手わかて育成いくせい成果せいかす。そのながれで2010/11プレミアリーグにのぞみ、序盤じょばんせんいきおいにれず7低迷ていめいするも、中盤ちゅうばんせんでフルセットのジュースまでもつれた試合しあいで3しょうするなど6とのちぢめる。しかし、終盤しゅうばんになるとぎゃくにフルセットで3連敗れんぱいきっし7決定けっていする。せん出場しゅつじょう確定かくていとなったが、東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい影響えいきょうでVリーグが途中とちゅう終了しゅうりょうし、せん中止ちゅうしとなったため、そのまま残留ざんりゅうとなった。2011ねん3がつ東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい影響えいきょうにより、当面とうめん活動かつどう一時いちじ休止きゅうしした[8]活動かつどう再開さいかいは、山形やまがた県内けんない避難ひなんしゃ対象たいしょうにした大震災だいしんさい支援しえん活動かつどうおこない、仙台せんだい気仙沼けせんぬまへの激励げきれい支援しえん活動かつどうおこなった[9]

同年どうねん6がつ、チーム態勢たいせい見直みなおしをおこない、佐々木ささき栗原くりはら主将しゅしょうをはじめとする戦力せんりょくがい選手せんしゅ退団たいだん希望きぼう選手せんしゅ7めいがチームをることになった[10][11][12]。2011ねん6がつしん体制たいせい発表はっぴょうされ、一挙いっきょ若返わかがえってメンバーも一新いっしんした[12]2011/12プレミアリーグでは、序盤じょばんこそ苦戦くせんしたが、中盤ちゅうばん以降いこうはフルセットで3連勝れんしょうするなど健闘けんとうし、せん回避かいひの6でシーズンをめくくった。なお、どうシーズンで森谷もりたにふみけい新人しんじんしょうかがやいた。しかし、2012/13V・プレミアリーグでは、開幕かいまくから5試合しあい連続れんぞくのフルセットけをきっする。結局けっきょく開幕かいまく10連敗れんぱいくるしいシーズンとなり、5しょう23はい最下位さいかいでV・チャレンジマッチ出場しゅつじょうとなる。V・チャレンジマッチで上尾あげおメディックス連勝れんしょう残留ざんりゅうたした。5月のくろわしわったのち健康けんこうじょう理由りゆうにより宮下みやした監督かんとく退任たいにん発表はっぴょうされた。後任こうにん戸澤とざわつとむコーチが昇任しょうにん[13]。また、宮下みやした監督かんとく就任しゅうにん以来いらい3年間ねんかんチームをささえてきたシャイーヌ・スタエレンス現役げんえき引退いんたいした[14]

戸澤とざわつとむ監督かんとく時代じだい[編集へんしゅう]

2013ねん6がつ宮下みやした監督かんとくのちいで戸澤とざわコーチが監督かんとく昇格しょうかく。7月のV・サマーリーグでは1リーグ敗退はいたいとなるも、10月のだい68かい国民こくみん体育たいいく大会たいかいで、決勝けっしょう佐賀さがけん代表だいひょう久光製薬ひさみつせいやくやぶり12ねんぶり2かい優勝ゆうしょうたした[15]。10月には、スタエレンスにわるしん外国がいこくじん選手せんしゅとして、アレクサンドラ・ツルンチェヴィッチ入団にゅうだんした[16]。しかし、2013/14V・プレミアリーグでは3しょうしか出来でき最下位さいかいとなり、2014ねん4がつ、Vチャレンジマッチ(にゅうがえせん)に出場しゅつじょうデンソー連敗れんぱいし、チャレンジリーグ降格こうかく濃厚のうこうとなった[17]

廃部はいぶ[編集へんしゅう]

同年どうねん5がつ19にちより、地元じもと新聞しんぶんなどで東北とうほくパイオニアがレッドウィングスの廃部はいぶ検討けんとうしていることが報道ほうどうされた[18][19][20]。22にち理事りじかいをもってチャレンジリーグ降格こうかく正式せいしき決定けってい[21]。そして、23にち、チャレンジリーグに参戦さんせんせずに9がつ末日まつじつをもって廃部はいぶすると発表はっぴょうした[22][23]

成績せいせき[編集へんしゅう]

おも成績せいせき[編集へんしゅう]

プレミアリーグ日本にっぽんリーグ/Vリーグ)
優勝ゆうしょう 2かい(2003年度ねんど、2005年度ねんど
じゅん優勝ゆうしょう 1かい(2004年度ねんど
くろわしはた全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん
優勝ゆうしょう 2かい(2003ねん、2005ねん
天皇てんのうはい皇后こうごうはい全日本ぜんにほんバレーボール選手権せんしゅけん大会たいかい
じゅん優勝ゆうしょう 1かい(2008年度ねんど
国民こくみん体育たいいく大会たいかい成年せいねん女子じょし(6にんせい
優勝ゆうしょう 2かい2001ねん2013ねん
じゅん優勝ゆうしょう2003ねん

年度ねんどべつ成績せいせき[編集へんしゅう]

大会たいかいめい 順位じゅんい 参加さんかチームすう 試合しあいすう かち はい 勝率しょうりつ
実業じつぎょうだんリーグ だい28かい (1996/97) 7 8チーム 14 3 11 0.214
だい29かい (1997/98) 5 8チーム 14 5 9 0.357
V1リーグ だい1かい (1998/99) じゅん優勝ゆうしょう 8チーム 14 9 5 0.643
だい2かい (1999/2000) 優勝ゆうしょう 8チーム 14 14 0 1.000
Vリーグ だい7かい (2000/01) 7 10チーム 18 8 10 0.444
だい8かい (2001/02) 3 9チーム 16 11 5 0.688
だい9かい (2002/03) 5 8チーム 21 11 10 0.524
だい10かい (2003/04) 優勝ゆうしょう 10チーム 18 14 4 0.778
だい11かい (2004/05) じゅん優勝ゆうしょう 10チーム 27 22 5 0.815
だい12かい (2005/06) 優勝ゆうしょう 10チーム 27 21 6 0.778
V・プレミアリーグ 2006/07シーズン 3 10チーム 27 18 9 0.667
2007/08シーズン 5 10チーム 27 14 13 0.519
2008/09シーズン 6 10チーム 27 13 14 0.481
2009/10シーズン 8 8チーム 28 3 25 0.107
2010/11シーズン 7 8チーム 26 9 17 0.346
2011/12シーズン 6 8チーム 21 7 14 0.333
2012/13シーズン 8 8チーム 28 5 23 0.179
2013/14シーズン 8 8チーム 28 3 25 0.107

選手せんしゅ・スタッフ[編集へんしゅう]

選手せんしゅ[編集へんしゅう]

2014ねん5がつ23にちばん廃部はいぶ発表はっぴょう[1][24][25]

背番号せばんごう 名前なまえ シャツネーム 国籍こくせき P 備考びこう 進路しんろ移籍いせきさき
1 アレクサンドラ・ツルンチェヴィッチ ALEKSANDRA セルビアの旗 セルビア WS
2 香野こうの晶子あきこ KOUNO 日本の旗 日本にっぽん MB 岡山おかやまシーガルズ
3 横田よこた千里せんり YOKOTA 日本の旗 日本にっぽん S JTマーヴェラス
5 服部はっとりあきらけい AKIKA 日本の旗 日本にっぽん WS 引退いんたい
6 はやし蓉子ようこ HAYASHI 日本の旗 日本にっぽん L コーチけん選手せんしゅ[26] 引退いんたい
8 今野こんの加奈子かなこ KONNO 日本の旗 日本にっぽん WS 岡山おかやまシーガルズ
9 三橋みつはしさとしめぐみ MITSUHASHI 日本の旗 日本にっぽん WS PFUブルーキャッツ
10 あさゆうこ ASAZU 日本の旗 日本にっぽん WS コートキャプテン
ふくキャプテン
岡山おかやまシーガルズ
11 新井あらい祐喜ゆうき ARAI 日本の旗 日本にっぽん L PFUブルーキャッツ
12 服部はっとり梨花りか HATTORI 日本の旗 日本にっぽん MB 引退いんたい
13 田村たむら翔子しょうこ TAMURA 日本の旗 日本にっぽん WS 引退いんたい
14 愛宕あたご諒子りょうこ ATAGO 日本の旗 日本にっぽん WS 日立ひたちリヴァーレ
15 森谷もりたにふみけい MORIYA 日本の旗 日本にっぽん MB 久光製薬ひさみつせいやくスプリングス
16 持丸もちまる結美子ゆみこ MOCHIMARU 日本の旗 日本にっぽん WS 引退いんたい
17 渡邉わたなべ和香わかさと WATANABE 日本の旗 日本にっぽん S 仙台せんだいベルフィーユ
18 佐藤さとうまどか TSUBURA 日本の旗 日本にっぽん L
19 芦野あしの真未まみ MAMI 日本の旗 日本にっぽん WS 仙台せんだいベルフィーユ
20 吉田よしだ真未まみ YOSHIDA 日本の旗 日本にっぽん L 主将しゅしょう 引退いんたい
21 倉見くらみ夏乃なつの KURAMI 日本の旗 日本にっぽん MB KUROBEアクアフェアリーズ
22 荒木あらき夕貴ゆき ARAKI 日本の旗 日本にっぽん WS 上尾あげおメディックス
24 冨永とみながこよみ TOMINAGA 日本の旗 日本にっぽん S ふくキャプテン 上尾あげおメディックス

スタッフ[編集へんしゅう]

2013ねん11がつばん[24][27]

役職やくしょく 名前なまえ 国籍こくせき
部長ぶちょう 島津しまつ光男みつお 日本の旗 日本にっぽん
事務じむ局長きょくちょう 武田たけだあつし 日本の旗 日本にっぽん
監督かんとく 戸澤とざわつとむ 日本の旗 日本にっぽん
コーチ 舟越ふなこし悠二ゆうじ 日本の旗 日本にっぽん
コーチ 中村なかむら祐介ゆうすけ 日本の旗 日本にっぽん
コーチけん選手せんしゅ はやし蓉子ようこ 日本の旗 日本にっぽん
トレーナー 渡辺わたなべ裕之ひろゆき 日本の旗 日本にっぽん
栄養えいようトレーナー 山口やまぐち喜代美きよみ 日本の旗 日本にっぽん
調理ちょうり 松原まつばら梨香りか 日本の旗 日本にっぽん
マネージャーけん広報こうほう 西尾にしお博樹ひろき 日本の旗 日本にっぽん
医師いし 結城ゆうき正明まさあき 日本の旗 日本にっぽん
アナリスト 安田やすだ弘美ひろみ 日本の旗 日本にっぽん
広報こうほうけん事務じむきょく 安藤あんどう絵美えみ 日本の旗 日本にっぽん
通訳つうやく 阿南あなみゆり 日本の旗 日本にっぽん

在籍ざいせきしていたおも選手せんしゅ[編集へんしゅう]

スポンサー[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c チーム沿革えんかく”. Vリーグ機構きこう. 2013ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  2. ^ パイオニア、新旧しんきゅう監督かんとく記者きしゃ会見かいけん実施じっし”. 天童てんどう観光かんこうガイド (2006ねん5がつ11にち). 2013ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  3. ^ レッドウィングス活動かつどう継続けいぞく 東北とうほくパイオニアが決定けってい(2009ねん2がつ27にちづけアーカイブ)”. 山形やまがた新聞しんぶん (2009ねん2がつ25にち). 2009ねん2がつ27にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  4. ^ 女子じょしバレー・パイオニア吉田よしだ監督かんとく退任たいにん”. 日刊にっかんスポーツ (2009ねん6がつ17にち). 2013ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  5. ^ 退任たいにん監督かんとく退団たいだん選手せんしゅのおらせ(2009ねん12月28にちづけアーカイブ)”. パイオニアレッドウィングス (2009ねん6がつ16にち). 2009ねん12月28にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  6. ^ しん監督かんとく就任しゅうにんのおらせ” (2010ねん5がつ14にち). 2013ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  7. ^ パイオニアしん主将しゅしょう栗原くりはらめぐみ しん体制たいせい発表はっぴょう抱負ほうふかたる(2010ねん7がつ11にちづけアーカイブ)”. 山形やまがた新聞しんぶん (2010ねん7がつ9にち). 2010ねん7がつ11にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  8. ^ パイオニア、当面とうめん活動かつどう休止きゅうし 選手せんしゅ実家じっかなどに一時いちじ避難ひなん”. 山形やまがた新聞しんぶん (2011ねん3がつ18にち). 2013ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  9. ^ 『2011/12Vプレミアリーグ/Vチャレンジリーグ公式こうしきプログラム(女子じょしへん)』、Vリーグ機構きこう、47ぺーじ 
  10. ^ 退団たいだん選手せんしゅのおらせ”. パイオニアレッドウィングス (2011ねん6がつ6にち). 2013ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  11. ^ 退団たいだん選手せんしゅのおらせ”. パイオニアレッドウィングス (2011ねん6がつ17にち). 2013ねん10がつ21にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  12. ^ a b 新入しんにゅうだん選手せんしゅおよびしん体制たいせいのおらせ”. パイオニアレッドウィングス (2011ねん6がつ24にち). 2013ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  13. ^ 監督かんとく交代こうたいについて”. パイオニアレッドウィングス (2013ねん5がつ21にち). 2013ねん5がつ21にち閲覧えつらん
  14. ^ しん体制たいせいのおらせ”. パイオニアレッドウィングス (2013ねん7がつ1にち). 2013ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  15. ^ 9月29にち~10がつ2にちだい68かい国民こくみん体育たいいく大会たいかい”. パイオニアレッドウィングス. 2013ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  16. ^ 外国がいこくじん選手せんしゅ入団にゅうだんのおらせ”. パイオニアレッドウィングス (2013ねん10がつ9にち). 2013ねん10がつ20日はつか閲覧えつらん
  17. ^ 2013/14V・チャレンジマッチ(にゅうがえせん) 試合しあい結果けっかのおらせ”. Vリーグ機構きこう. 2014ねん4がつ6にち閲覧えつらん
  18. ^ レッドウィングスの廃部はいぶ検討けんとう 東北とうほくパイオニア”. 山形やまがた新聞しんぶん (2014ねん5がつ19にち). 2014ねん5がつ19にち閲覧えつらん
  19. ^ レッドウィングス、廃部はいぶ方針ほうしんかためる 東北とうほくパイオニア”. 山形やまがた新聞しんぶん (2014ねん5がつ20日はつか). 2014ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  20. ^ パイオニアバレー 廃部はいぶ最終さいしゅう調整ちょうせい”. NHK (2014ねん5がつ21にち). 2014ねん5がつ23にち閲覧えつらん
  21. ^ Vリーグ機構きこう. “デンソーエアリービーズ、上尾あげおメディックス V・プレミアリーグ昇格しょうかく決定けっていについて”. 2014ねん5がつ22にち閲覧えつらん
  22. ^ 女子じょしバレーボール「パイオニアレッドウィングス」の廃部はいぶについて” (PDF). パイオニアレッドウィングス (2014ねん5がつ23にち). 2014ねん5がつ23にち閲覧えつらん
  23. ^ パイオニアレッドウィングスの活動かつどう休止きゅうしについて”. Vリーグ機構きこう (2014ねん5がつ23にち). 2014ねん5がつ23にち閲覧えつらん
  24. ^ a b メンバー紹介しょうかい”. パイオニアレッドウィングス. 2013ねん11月29にち閲覧えつらん
  25. ^ チーム所属しょぞく選手せんしゅ”. Vリーグ機構きこう. 2013ねん11月29にち閲覧えつらん
  26. ^ チーム所属しょぞく選手せんしゅ”. Vリーグ機構きこう. 2013ねん10がつ20日はつか閲覧えつらん
  27. ^ チーム所属しょぞく選手せんしゅ”. Vリーグ機構きこう. 2013ねん11月29にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]