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パシフィック・PR02

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
パシフィック・PR02
カテゴリー F1
コンストラクター パシフィック・グランプリ
デザイナー フランク・コパック英語えいごばん
先代せんだい PR01
主要しゅようしょもと
サスペンション(まえ プッシュロッド
サスペンション( プッシュロッド
エンジン フォード ED, 2999cc, 75 V8, 自然しぜん吸気きゅうき, ミッドエンジン
トランスミッション パシフィック 6そく セミオートマ
燃料ねんりょう エルフ
タイヤ グッドイヤー
主要しゅよう成績せいせき
チーム ウルサス パシフィック・グランプリ
ドライバー 16. フランスの旗 ベルトラン・ガショー
16. イタリアの旗 ジョバンニ・ラバッジ
16. スイスの旗 ジャン=デニス・デレトラズ
17. イタリアの旗 アンドレア・モンテルミーニ
TD. イギリスの旗 オリバー・ギャビン
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦しょせん 1995ねんブラジルグランプリ
出走しゅっそう優勝ゆうしょうポールFラップ
17000
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パシフィック・PR02(Pacific PR02)は、パシフィック1995ねんF1世界せかい選手権せんしゅけん投入とうにゅうしたフォーミュラ1カー決勝けっしょう最高さいこう成績せいせきは8

概要がいよう

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背景はいけい開発かいはつ

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前年ぜんねん低迷ていめいした状況じょうきょう打開だかいすべく、破綻はたんしたチーム・ロータス名称めいしょうけん買収ばいしゅうし「パシフィック・チーム・ロータス」として参戦さんせんした。日本にっぽん東急とうきゅうグループひきいる五島ごしまファミリーが資本しほん参加さんかし、東京とうきょうに「パシフィック・アクセス」事務所じむしょ設立せつりつしアジアけんスポンサーの獲得かくとくうごき、伊藤園いとうえんなどが交渉こうしょうおうじスポンサーにいた。また、ガショーも自己じこ資金しきん投入とうにゅう共同きょうどうオーナーに就任しゅうにんするなど体制たいせい強化きょうかはかったが、まだ資金しきんなん解消かいしょうとはならなかった。

ドライバーラインナップはアンドレア・モンテルミーニペドロ・ラミー決定けっていし、ガショーは共同きょうどうオーナーとしてマネージメントに専念せんねんする意向いこうしめしており開幕かいまくまえには「いまはチームのマネージメントに全力ぜんりょくそそぐことがボクのモチベーション」とかたっていた。しかし、開幕かいまく直前ちょくぜんになってラミーがより体制たいせい模索もさくティレルのテストに参加さんか、パシフィックとティレルのじゅう契約けいやく未遂みすいとなりパシフィックがわ契約けいやく破棄はき。ラミーにわるスポンサーみドライバーがすぐにはつからなかったため、序盤じょばんせん終盤しゅうばんせんではガショーがみずからステアリングをにぎることとなった。

マシンはフランク・コパック英語えいごばん設計せっけいによるげウイングを廃止はいししたオリジナルシャシーに、フォードED 3.0リッターVがた8気筒きとう搭載とうさいしたPR02を登場とうじょうさせた。同年どうねん施行しこうされたクラッシュテスト強化きょうかをクリアするために、フロントノーズ前方ぜんぽうにウイングを延長えんちょうするようなプレートをさせていた。エントリーめいにロータスの使用しようしたこともあり、フロントノーズからエンジンカウル後方こうほうにかけてロータスを象徴しょうちょうするグリーンのストライプがマシンにえがかれた。

1995ねんシーズン

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17ばんしゃのドライバーはモンテルミーニがシーズンをつうじてつとめたが、16ばんしゃはチームの株主かぶぬしでもあったガショーと、ペイドライバーのジョバンニ・ラバッジジャン=デニス・デレトラズ交代こうたいしてドライブした。テストドライバーはイギリスF3選手権せんしゅけんでランキング2(この'95ねんにシリーズチャンピオンを獲得かくとく)と活躍かつやくしたイギリス期待きたい若手わかてオリバー・ギャビン起用きようする。チームはメインスポンサーをっていなかった。

F1参戦さんせん台数だいすう減少げんしょうにより予選よせんちがなくなり、PR02はぜん17せんで2だいそろって決勝けっしょうすすんだ。開幕かいまくせんからモンテルミーニが完走かんそうするなど前年ぜんねんからの進化しんかせたが、信頼しんらいせいひくさが欠点けってんであった。2だいで34かい出走しゅっそうしたが、完走かんそうしたのは7かいのみだった。阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさい影響えいきょうでパシフィックGPと日本にっぽんGPの連戦れんせんとなった「あき日本にっぽんシリーズ」では、全日本ぜんにほんF3000活躍かつやくせた山本やまもと勝巳かつみ起用きよう発表はっぴょうしテストドライブまでしていたが、FIAが山本やまもとへのスーパーライセンス発行はっこう承認しょうにんしなかったため断念だんねんせざるをなかった。チームはポイントを獲得かくとくできずにシーズンをえ、コンストラクターズランキングではしんチームのフォルティ・コルセ最終さいしゅうせんで7記録きろくしたためかれ、12転落てんらくした。

翌年よくねんもF1参戦さんせんする意思いしせ、使用しようするエンジン確保かくほにもうごいてはいたが、12月にチーム代表だいひょうキース・ウィギンス英語えいごばん参戦さんせん資金しきん不足ふそく予選よせんでの107%ルール導入どうにゅう理由りゆうにF1撤退てったい表明ひょうめい国際こくさいF3000選手権せんしゅけんへと参戦さんせんカテゴリーをうつした。

F1におけるぜん成績せいせき

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(key) (太字ふとじポールポジション斜体しゃたいファステストラップ

とし シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント 順位じゅんい
1995ねん パシフィック・レーシング フォード ED V8 G BRA
ブラジルの旗
ARG
アルゼンチンの旗
SMR
サンマリノの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
EUR
ドイツの旗
PAC
日本の旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
0 NC
ベルトラン・ガショー Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 12 Ret Ret 8
ジョバンニ・ラバッジ Ret Ret Ret Ret
ジャン=デニス・デレトラズ Ret 15
アンドレア・モンテルミーニ 9 Ret Ret DNS DSQ Ret NC Ret 8 12 Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret

参照さんしょう

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外部がいぶリンク

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