(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ピエール・ヴィダル=ナケ - Wikipedia コンテンツにスキップ

ピエール・ヴィダル=ナケ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピエール・ヴィダル=ナケ
Pierre Vidal-Naquet
人物じんぶつ情報じょうほう
生誕せいたん (1930-07-23) 1930ねん7がつ23にち
フランスの旗 フランス パリ7
死没しぼつ (2006-07-29) 2006ねん7がつ29にち(76さいぼつ
フランスの旗 フランス ニース
国籍こくせき フランスの旗 フランス
学問がくもん
活動かつどう地域ちいき 古代こだいギリシアふみ
研究けんきゅう分野ぶんや 歴史れきしがく
研究けんきゅう機関きかん 社会しゃかい科学かがく高等こうとう研究けんきゅういん
学位がくい 博士はかせ
主要しゅよう作品さくひん記憶きおく暗殺あんさつしゃたち』
おも受賞じゅしょうれき フェニックス勲章くんしょう (ギリシャ)
レジオンドヌール勲章くんしょう
テンプレートを表示ひょうじ

ピエール・ヴィダル=ナケ (Pierre Vidal-Naquet; 1930ねん7がつ23にち - 2006ねん7がつ29にち) はフランスの歴史れきし学者がくしゃ古代こだいギリシアふみ専門せんもん)。カーン大学だいがくリール大学だいがくリヨン大学だいがく高等こうとう研究けんきゅう実習じっしゅういん社会しゃかい科学かがく高等こうとう研究けんきゅういん教授きょうじゅ

邦訳ほうやくしょ『ヨーロッパ歴史れきし百科ひゃっか系譜けいふからたヨーロッパ文明ぶんめい歴史れきし』(はら書房しょぼう) の監修かんしゅうしゃおよび『三省堂さんせいどう 世界せかい歴史れきし地図ちず』の編集へんしゅうしゃとしてられる。アルジェリア戦争せんそう (1954-1962) ではこれを合法ごうほうてき独立どくりつ闘争とうそうであるとし、フランスぐんによる拷問ごうもん告発こくはつ1957ねん当時とうじ25さいのアルジェリア共産党きょうさんとういん独立どくりつ運動うんどう数学すうがくしゃモーリス・オーダンがフランスぐん拷問ごうもんされ、失踪しっそうした事件じけんについて真相しんそう究明きゅうめいもとめる委員いいんかい結成けっせいした。また、歴史れきし修正しゅうせい主義しゅぎホロコースト否認ひにん)・はんユダヤ主義しゅぎ反駁はんばくし、『記憶きおく暗殺あんさつしゃたち』(人文書院じんぶんしょいん) をあらわした。レジオンドヌール勲章くんしょう、ギリシアのフェニックス勲章くんしょうけた。

経歴けいれき功績こうせき[編集へんしゅう]

ユダヤ人家じんかけい拷問ごうもん強制きょうせい収容しゅうようしょ[編集へんしゅう]

パリ13ピエール・ヴィダル=ナケ広場ひろば 1930-2006 歴史れきし学者がくしゃ 拷問ごうもん反対はんたい活動かつどう

ピエール・ヴィダル=ナケは1930ねん7がつ23にちパリ7弁護士べんごしリュシアン・ヴィダル=ナケとマルグリット・ヴァラブレーグのあいだまれた。ヴィダル=ナケは、南東なんとうアヴィニョン中心ちゅうしんとして、従来じゅうらい教皇きょうこうりょうであったコンタ・ヴネサンフランス語ふらんすごばんんでいた「教皇きょうこうユダヤじん[1]家系かけいで、おな家系かけい音楽家おんがくかダリウス・ミヨー (1892-1974)、離婚りこん合法ごうほう政教せいきょう分離ぶんりほう成立せいりつ貢献こうけんした政治せいじ社会しゃかい運動うんどういえアルフレッド・ナケフランス語ふらんすごばん(1834-1916)[2] がいる[3]

1939ねん、ピエールが9さいのときにだい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつし、翌年よくねんからユダヤじん社会しゃかいてき階級かいきゅう低下ていかさせ、市民しみんけん剥奪はくだつすることを目的もくてきとした一連いちれん法律ほうりつヴィシー政権せいけんによるユダヤじんならびに外来がいらいしゃたいするほう)が施行しこうされ、ユダヤじん弁護士べんごし排除はいじょかんする1941ねん7がつ16にちづけ法律ほうりつにより、ちちリュシアンは弁護士べんごし仕事しごとつづけることができなくなった。一家いっかはユダヤきょう宗教しゅうきょう実践じっせんとは縁遠えんどおライック宗教しゅうきょう)で熱心ねっしん共和きょうわ、ドレフュス擁護ようごであった。ピエール・ヴィダル=ナケは後年こうねん、「1941ねんまつ1942ねんはじめのころちちからいたドレフュス事件じけんのことは、わたし人生じんせいふかきざまれることになった。わたし政治せいじ道徳どうとくおよび歴史れきしまなんだのもドレフュス事件じけんとおしてであった」とかたっている[3]ちちリュシアンはレジスタンス参加さんかしたが、パリ陥落かんらく一家いっかマルセイユうつった[4]1944ねん5月、両親りょうしんナチス・ドイツにより逮捕たいほされ、拷問ごうもんけた挙句あげくアウシュヴィッツ強制きょうせい収容しゅうようしょおくられ、殺害さつがいされた。のちかれは「歴史れきしとしてひたすら象牙ぞうげとうてこもって研鑽けんさんむのとはちがい」[5]とくアルジェリア民族みんぞく解放かいほう戦線せんせん (FLN) の活動かつどうらにたいするフランスぐん拷問ごうもん告発こくはつすることになるが、「歴史れきし市民しみん生活せいかつ参加さんかしなければならない。ご存知ぞんじのように、わたしちち強制きょうせい収容しゅうようしょおくられるまえにマルセイユでゲシュタポから拷問ごうもんけた。フランスじん将校しょうこう警察官けいさつかんインドシナマダガスカルで、そしてのちにアルジェリアでおなじように拷問ごうもんかえしているのかとおもうとがよだつ。わたし行動こうどうはひとえにこの絶対ぜったいてき嫌悪けんおかんからしょうじている。これはある意味いみ愛国心あいこくしんである」とかたっている[3]

1947ねんバカロレア取得しゅとくしたのち、パリのアンリ4せい高等こうとう学校がっこうおよびのちにマルセイユのティエール高等こうとう学校がっこう高等こうとう師範しはん学校がっこう文科ぶんか受験じゅけん準備じゅんびクラスでまなんだ。このあいだシュルレアリズム作家さっかアンドレ・ブルトンルネ・シャールアントナン・アルトー)を中心ちゅうしん文学ぶんがくふか関心かんしんせる一方いっぽうアナール学派がくは歴史れきし学者がくしゃマルク・ブロック1944ねん、ナチス・ドイツにより銃殺じゅうさつ)のとくに『奇妙きみょう敗北はいぼく[6]ふか感銘かんめいけ、歴史れきし学者がくしゃこころざ契機けいきとなった。1955ねん歴史れきしがくアグレガシオンいちきゅう教員きょういん資格しかく)(および古典こてん文学ぶんがく中等ちゅうとう教育きょういく教員きょういん適性てきせい証書しょうしょ)を取得しゅとくした。また、1974ねん文学ぶんがく博士はかせごう取得しゅとくした。

きょうれき研究けんきゅうれき[編集へんしゅう]

1955ねんから1956ねんまでオルレアンのポティエ高等こうとう学校がっこう教鞭きょうべんかたわら、フランス人民戦線じんみんせんせん内閣ないかく首班しゅはんレオン・ブルム (1872-1950) の著書ちょしょ編集へんしゅうたずさわった。1956ねんから1961ねんまでカーン大学だいがく文学部ぶんがくぶ助手じょしゅとして古代こだいギリシア講座こうざ担当たんとう高等こうとう研究けんきゅう実習じっしゅういんジャン=ピエール・ヴェルナン師事しじした。1961ねんから1962ねんまでリール大学だいがく文学部ぶんがくぶ助手じょしゅつとめた。1962ねんから1964ねんまで国立こくりつ科学かがく研究けんきゅうセンター研究けんきゅういんつづき、高等こうとう研究けんきゅう実習じっしゅういんでジャン=ピエール・ヴェルナンのセミナーに出席しゅっせきするほか、古代こだい文明ぶんめいにおける戦争せんそう社会しゃかいがくパピルスがく、ギリシア碑文ひぶん研究けんきゅうなどの講座こうざ受講じゅこうし、クレタとうサモスとう考古学こうこがく研究けんきゅうおこなった。ピエール・レヴェックとの共著きょうちょで『アテナイじんクレイステネス』を『アナール発表はっぴょう。また、まだフランス語ふらんすご翻訳ほんやくされていなかった『オデュッセウスの世界せかい[7]著者ちょしゃモーゼス・フィンリー研究けんきゅうを『アナール』紹介しょうかいした。1964ねんから1966ねんまでリヨン大学だいがく文学部ぶんがくぶ助教授じょきょうじゅつとめたのち、1966ねん高等こうとう研究けんきゅう実習じっしゅういんだい6部門ぶもん経済けいざいがく社会しゃかいがく)(部門ぶもんちょうフェルナン・ブローデル)のふく指導しどう教授きょうじゅとして着任ちゃくにん1969ねんから1975ねんまでどうだい6部門ぶもん指導しどう教授きょうじゅ。1975ねんどうだい6部門ぶもん独立どくりつして社会しゃかい科学かがく高等こうとう研究けんきゅういんになってからも1997ねん退官たいかんするまで指導しどう教授きょうじゅつとめ、さらに1985ねんからは(ジャン=ピエール・ヴェルナンが創設そうせつした)ルイ・ジェルネ古代こだい社会しゃかい比較ひかく研究けんきゅうセンター所長しょちょう兼任けんにんした[8][9]

古代こだいギリシアのほか、ユダヤ地中海ちちゅうかいについても研究けんきゅうし、著書ちょしょ発表はっぴょうしている。

政治せいじ社会しゃかい活動かつどう[編集へんしゅう]

ヴィダル=ナケは歴史れきし学者がくしゃとしてだけでなく、政治せいじ社会しゃかい活動かつどうにおいても重要じゅうよう役割やくわりたした。

アルジェリア戦争せんそう、オーダン事件じけん[編集へんしゅう]

アルジェリア戦争せんそう (1954-1962) した1957ねん、ヴィダル=ナケは、当時とうじ25さいのアルジェリア共産きょうさん党員とういん独立どくりつ運動うんどう数学すうがくしゃモーリス・オーダンがフランスぐん拷問ごうもんされ、失踪しっそうした事件じけんについて真相しんそう究明きゅうめいもとめる委員いいんかい「オーダン委員いいんかい」を結成けっせいした。よく1958ねんには著書ちょしょ『オーダン事件じけん』を発表はっぴょう1989ねん増補ぞうほ新版しんぱん)。あわせて、証拠しょうことして収集しゅうしゅうした記事きじ資料しりょう掲載けいさいした『証言しょうげん資料しりょう』を発行はっこうし、1960ねんにはジャーナリストのロベール・バラ、ポール・ティボーらの協力きょうりょくて『証言しょうげん資料しりょう続編ぞくへんの『ヴェリテ=リベルテ(真実しんじつ自由じゆう)』を発行はっこうした[10][11]同年どうねん、「アルジェリア戦争せんそうにおける服従ふくじゅう権利けんりかんする宣言せんげん」とだいする「121にんのマニフェストフランス語ふらんすごばん」― アルジェリア戦争せんそう合法ごうほうてき独立どくりつ闘争とうそうであるとみとめ、フランスぐんおこなっている拷問ごうもん非難ひなんし、フランスじん良心りょうしんてき兵役へいえき拒否きょひしゃ政府せいふ尊重そんちょうすることを政府せいふ市民しみんによびかける公開こうかいじょう[12] ― に署名しょめいし、9月6にちに『ヴェリテ=リベルテ』掲載けいさいした。さらに、1962ねんには著書ちょしょ『レゾン・デタ(国家こっか理由りゆう)』[13]発表はっぴょうし、アルジェリア戦争せんそう民族みんぞく解放かいほう戦線せんせん (FLN) の活動かつどうらにたいしておこなわれたフランスぐん拷問ごうもん告発こくはつした。

2018ねん9月13にちエマニュエル・マクロン大統領だいとうりょうは、モーリス・オーダンは拷問ごうもんちゅう死亡しぼう、あるいは処刑しょけいされたと発表はっぴょう背景はいけいには治安ちあん部隊ぶたいによるはん体制たいせい容疑ようぎしゃ」の逮捕たいほ拘禁こうきんみとめたほう制度せいどがあったとし、歴代れきだい大統領だいとうりょうはじめて、植民しょくみんの「きたな戦争せんそう」で組織そしきてき国家こっか責任せきにんんだ発言はつげんをした。さらに、独立どくりつ戦争せんそうちゅう失踪しっそうした大勢おおぜいのフランスとアルジェリアの民間みんかんじん兵士へいしかんするフランス当局とうきょく資料しりょう公開こうかいする意向いこうしめした[14][15]。アルジェリア独立どくりつ戦争せんそう植民しょくみん主義しゅぎせんもん歴史れきし学者がくしゃシルヴィ・テノは、『ル・モンド』掲載けいさいされた「やっとくに責任せきにんみとめた」とだいする記事きじで、「責任せきにんせい希釈きしゃくしても消却しょうきゃくできるものではない。犯罪はんざいじん懲罰ちょうばつるためではなく、真実しんじつ正面しょうめんからることができることによって過去かこ清算せいさんできるのである」というヴィダル=ナケの言葉ことば引用いんようしている[16][17]

監獄かんごく情報じょうほうグループ[編集へんしゅう]

1971ねんミシェル・フーコージャン=マリー・ドムナックともに「監獄かんごく情報じょうほうグループフランス語ふらんすごばん(GIP)」[18]結成けっせいした。これは監獄かんごくにおける日常にちじょうについて調査ちょうさし、受刑じゅけいしゃこえとく知識ちしきじん医師いし判事はんじ社会しゃかい福祉ふくしらにつたえることで、文字通もじどおかべはらうことを目的もくてきとしていた。

歴史れきし修正しゅうせい主義しゅぎ(ホロコースト否認ひにん反駁はんばく[編集へんしゅう]

1981ねん歴史れきし修正しゅうせい主義しゅぎホロコースト否認ひにん)・はんユダヤ主義しゅぎ反駁はんばくする『記憶きおく暗殺あんさつしゃたち』をあらわした。『エスプリ』や『ル・モンド』に掲載けいさいされた記事きじ社会しゃかい科学かがく高等こうとう研究けんきゅういんでの講演こうえんろくなどをまとめたものであり、1987ねん増補ぞうほ新版しんぱん出版しゅっぱんされ、この邦訳ほうやく1995ねん出版しゅっぱんされた。原著げんちょ2005ねんにさらに増補ぞうほ新版しんぱん出版しゅっぱんされた。アイヒマン裁判さいばんにおけるアドルフ・アイヒマン抗弁こうべん、アウシュヴィッツ強制きょうせい収容しゅうようしょのガスしつ存在そんざい否定ひていしたロベール・フォーリソンフランス語ふらんすごばんと、かれ著書ちょしょ序文じょぶんき、フォーリソンのろんには賛成さんせいできないが、このような意見いけん公表こうひょうする権利けんり支持しじすると、ヴォルテールてき表現ひょうげん自由じゆう支持しじしたノーム・チョムスキー主張しゅちょうなど、否認ひにんろんしゃ言説げんせつ分析ぶんせきし、論駁ろんばくしている。

ユダヤじんのもうひとつのこえ[編集へんしゅう]

2003ねん中東ちゅうとう問題もんだいにおいてアリエル・シャロン強攻きょうこうさくおよびこれを黙認もくにんするイスラエルひと反対はんたいし、パレスチナひととの団結だんけつ表明ひょうめいする宣言せんげんしょ「ユダヤじんのもうひとつのこえ」に署名しょめいした[19]

歴史れきし自由じゆう[編集へんしゅう]

2005ねん12月13にち、ヴィダル=ナケのイニシアティブにより19にん歴史れきし学者がくしゃ[20]が「歴史れきし自由じゆう」をうったえ、請願せいがんしょを『リベラシオン掲載けいさい。600にん以上いじょう署名しょめいあつめた。このうったえは、近年きんねん、ますます頻繁ひんぱん政治せいじ過去かこ出来事できごと評価ひょうか介入かいにゅうするようになり、歴史れきし思想家しそうか裁判さいばんまれることがおおくなった事態じたい憂慮ゆうりょし、歴史れきし宗教しゅうきょう道徳どうとく記憶きおくなどではなく科学かがくであり、したがって、歴史れきしがくにとって重要じゅうようなのは厳密げんみつ方法ほうほうによる事実じじつ確定かくていであり、けっして過去かこさばくことではない、自由じゆうくににおいて歴史れきしてき事実じじつ確定かくていする権利けんりゆうするのは議会ぎかい司法しほう当局とうきょくではないという趣旨しゅしである。さらに、1) ゲソーほう人種じんしゅ差別さべつはんユダヤ主義しゅぎその排外はいがい主義しゅぎてき行為こうい抑圧よくあつするための1990ねん7がつ13にちづけ法律ほうりつ、2) アルメニアほう1905ねんアルメニアにおけるジェノサイド確認かくにんする2001ねん1がつ29にちづけ法律ほうりつ)、3) トビラほう奴隷どれい売買ばいばい奴隷どれい制度せいど人道じんどうはんするつみみとめる2001ねん5月21にちづけ法律ほうりつ)の規定きてい一部いちぶはこうした原則げんそくはんするものであるとした。この「歴史れきし自由じゆう」のうったえはおおきな反響はんきょうんだ。とくにゲソーほうふくまれる言論げんろん自由じゆう制限せいげんする内容ないようは、極右きょくう政党せいとう国民こくみん戦線せんせんヘイトスピーチてき歴史れきし修正しゅうせい主義しゅぎてき言説げんせつへのやむをない対抗たいこう手段しゅだんであったからである[21][22]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

古代こだい[編集へんしゅう]

  • Clisthène l'Athénien (アテナイじんクレイステネス), ピエール・レヴェックとの共著きょうちょ, Les Belles Lettres, 1964
  • Le Bordereau d'ensemencement dans l'Égypte ptolémaïque (プトレマイオスちょうエジプトにおける播種はしゅ明細めいさい), Bruxelles, Association égyptologique Reine Élisabeth, 1967
  • Économies et Sociétés en Grèce ancienne. Périodes archaïque et classique (古代こだいギリシアの経済けいざい社会しゃかい ― アルカイック古典こてん), ミシェル・オースタンとの共著きょうちょ, Armand Colin, 1972
  • Mythe et Tragédie en Grèce ancienne (古代こだいギリシア神話しんわ悲劇ひげき), ジャン=ピエール・ヴェルナンとの共著きょうちょ, François Maspero, 1972, La Découverte, 2005
  • La Grèce ancienne. I: Du mythe à la raison (古代こだいギリシア ― 神話しんわから理性りせいへ), ジャン=ピエール・ヴェルナンとの共著きょうちょ, Seuil, coll. Points Essais, 1990
  • La Grèce ancienne. II: L'Espace et le Temps (古代こだいギリシア ― 空間くうかん時間じかん), ジャン=ピエール・ヴェルナンとの共著きょうちょ, Seuil, coll. Points Essais, 1991
  • La Grèce ancienne. III: Rites de passage et Transgressions (古代こだいギリシア ― 通過つうか儀礼ぎれい違反いはん), ジャン=ピエール・ヴェルナンとの共著きょうちょ, Seuil, coll. Points Essais, 1992
  • Œdipe et ses mythes (オイディプスとその神話しんわ), ジャン=ピエール・ヴェルナンとの共著きょうちょ, Complexe, 2001
  • Travail et esclavage en Grèce ancienne (古代こだいギリシアの労働ろうどう奴隷どれいせい), ジャン=ピエール・ヴェルナンとの共著きょうちょ, Complexe, 2002
  • Le Chasseur noir. Formes de pensées et formes de société dans le monde grec (くろ狩猟しゅりょうしゃ ― ギリシア世界せかいにおける思考しこう様式ようしき社会しゃかい形態けいたい), Maspero, 1981, La Découverte, 2005
    • ほんちょ内容ないよう関連かんれんする『アナール』掲載けいさい論文ろんぶんくろ狩猟しゅりょうしゃとアテナイ青年せいねん軍事ぐんじ教練きょうれん起源きげん (1968ねん)」(アパトゥリアさい / クリュプテイア / 対極たいきょくせい変装へんそう / 狩猟しゅりょう / メラントスの神話しんわ)
    渡名喜となきいさおあきらやく, 叢書そうしょ『アナール 1929-2010』歴史れきし対象たいしょう方法ほうほうエマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ & アンドレ・ビュルギエール監修かんしゅう浜名はまな優美ゆみ監訳かんやく藤原ふじわら書店しょてんだいIIIまき:1958-1968 (2013ねん12月刊げっかん) 所収しょしゅう
  • La Démocratie grecque vue d'ailleurs (べつ観点かんてんからたギリシアの民主みんしゅ主義しゅぎ), Flammarion, 1990
  • Les Grecs, les historiens et la démocratie (ギリシアじん歴史れきし学者がくしゃ民主みんしゅ主義しゅぎ), La Découverte, 2000
  • Le Miroir brisé : tragédie athénienne et politique (れたかがみ ― アテナイの悲劇ひげき政治せいじ), Les Belles Lettres, 2002 (新版しんぱん)
  • Le Monde d'Homère (ホメーロスの世界せかい), Librairie académique Perrin, 2000
  • Fragments sur l'art antique (古代こだい芸術げいじゅつかんするだんそう), Agnès Viénot, 2002
  • L'Atlantide. Petite histoire d'un mythe platonicien (アトランティス ― プラトン神話しんわ小史しょうし), Les Belles Lettres, 2005
  • Flavius Arrien entre deux mondes (2つの世界せかいあいだのフラウィオス・アッリアノス), Histoire d'Alexandre. L'Anabase d'Alexandre le Grand et L'Inde , Minuit, coll. Arguments, 1984
    (『アレクサンドロス大王だいおうでんアレクサンドロス東征とうせいおよびインド』、仏語ふつごやくばんあとがき)
  • Du bon usage de la trahison (裏切うらぎりの適切てきせつ使用しようほう), フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記せんき』の翻訳ほんやく序文じょぶん), Minuit, coll. Arguments, 1988
  • Histoire de l'humanité : De la Préhistoire à la fin du XXe siècle, Hachette (Collection : Atlas Hachette), 1992
    • 三省堂さんせいどう 世界せかい歴史れきし地図ちず』ピエール・ヴィダル=ナケへん, 樺山かばやま紘一こういち監訳かんやく, 三省堂さんせいどう, 1995
  • Généalogie de l'Europe : De la préhistoire au xxe siècle, Hachette (Collection : Librairie européenne des idées), 1994
    • 『アシェットばん 図説ずせつ ヨーロッパ歴史れきし百科ひゃっか系譜けいふからたヨーロッパ文明ぶんめい歴史れきしはら書房しょぼう, 2007[23]
    ピエール・ラメゾンへん、ピエール・ヴィダル=ナケ監修かんしゅう樺山かばやま紘一こういち監訳かんやく

現代げんだい[編集へんしゅう]

アルジェリア戦争せんそう[編集へんしゅう]

  • L'Affaire Audin, 1957-1978 (オーダン事件じけん ― 1957-1978), Minuit, 1989 (増補ぞうほ新版しんぱん)
  • La Torture dans la République : essai d'histoire et de politique contemporaine 1954-1962 (共和きょうわこくにおける拷問ごうもん現代げんだい現代げんだい政治せいじ評論ひょうろん), Minuit, 1972
  • Face à la raison d’État. Un historien dans la guerre d’Algérie (レゾン・デタに直面ちょくめんして ― アルジェリア戦争せんそうにおけるいち歴史れきし学者がくしゃ), La Découverte, collection « Cahiers libres », 1989
  • Les Crimes de l'armée française, Algérie 1954-1962 (フランスぐん犯罪はんざい ― アルジェリア 1954-1962), La Découverte, 2001, 2001年版ねんばん序文じょぶん
  • « L'affaire Audin par les tracts (チラシにるオーダン事件じけん) », Revue de la Bibliothèque nationale de France (フランス国立こくりつ図書館としょかん論叢ろんそう), だい10ごう, 2002; p. 35-41.
  • La Raison d'État (レゾン・デタ). オーダン委員いいんかい公表こうひょうした資料しりょう, Minuit, 1962, (新版しんぱん) La Découverte, 2002, 2002 年版ねんばん序文じょぶん
  • « Une fidélité têtue. La résistance française à la guerre d'Algérie (頑固がんこいちてっ ― アルジェリア戦争せんそうたいするフランスの抵抗ていこう », Vingtième siècle. Revue d'histoire (20世紀せいき歴史れきし論叢ろんそう), だい10ごう, 1986.
  • La guerre révolutionnaire et la tragédie des harkis (革命かくめい戦争せんそうとアルキの悲劇ひげき), 1962ねん11月11にち・12にち『ル・モンド』掲載けいさい

ユダヤ歴史れきし修正しゅうせい主義しゅぎ(ホロコースト否認ひにん[編集へんしゅう]

  • Les Assassins de la mémoire, La Découverte, 1987
    • 記憶きおく暗殺あんさつしゃたち』石田いしだ靖夫やすおやく, 人文書院じんぶんしょいん, 1995
  • Les Juifs, la mémoire et le présent (ユダヤじん記憶きおく現在げんざい) ぜん3かん, La Découverte, 1991-1995
  • « Présentation du journal tenu par Lucien Vidal-Naquet (ちちリュシアン・ヴィダル=ナケの日記にっき紹介しょうかい», 1942ねん9がつ15にちから1944ねん2がつ29にちまでの日記にっき, Annales (アナール), 1993

レジスタンス[編集へんしゅう]

  • Le Trait empoisonné. Réflexions sur l'affaire Jean Moulin (裏切うらぎられた行為こういジャン・ムーラン事件じけんかんする考察こうさつ), La Découverte, 1993, 2002

五月ごがつ革命かくめい (1968)[編集へんしゅう]

  • Journal de la commune étudiante. Textes et documents. Novembre 1967 - juin 1968 (学生がくせいコミューン日誌にっし記事きじ資料しりょう 1967ねん11月 - 1968ねん6がつ), アラン・シュナップとの共著きょうちょ, Seuil, 1969, (増補ぞうほ新版しんぱん) 1988

回想かいそうろく[編集へんしゅう]

  • Mémoires - La brisure et l'attente (回想かいそうろく断絶だんぜつ期待きたい), 1930-1955, だい1かん, Seuil, 1998
  • Mémoires - Le trouble et la lumière (回想かいそうろく不安ふあん理性りせい), 1955-1998, だい2かん, Seuil, 1998

その[編集へんしゅう]

インタビュー La vérité de l’indicatif (ちょく説法せっぽう真実しんじつ)

Pierre Vidal-Naquet : 伝記でんき著書ちょしょからの抜粋ばっすい、インタビュー、新聞しんぶん記事きじ追悼ついとうなどを掲載けいさい

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ユダヤじん教徒きょうと)とフランス語ふらんすごけん ― フランスとカナダを中心ちゅうしん」(菅野かんの賢治けんじ)『ユダヤじん言語げんご隣接りんせつ文化ぶんかとの歴史れきしてき習合しゅうごうだいかい CISMOR ユダヤがく会議かいぎ 2007ねん12月8にち
  2. ^ アルフレッド・ナケ (Alfred Naquet)”. 2018ねん10がつ2にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c www.asile.org/meyssan. “Pierre Vidal-Naquet”. www.bibliomonde.com. 2018ねん10がつ2にち閲覧えつらん
  4. ^ 日外にちがいアソシエーツ株式会社かぶしきがいしゃ, ed (1998). 現代げんだい物故ぶっこしゃ事典じてん 2006-2008』. 日外にちがいアソシエーツ 
  5. ^ クロード・ランズマン, ed (1998). レ・タン・モデルヌ50周年しゅうねん記念きねんごう. 緑風りょくふう出版しゅっぱん 
  6. ^ 奇妙きみょう敗北はいぼく ― フランス抵抗ていこう日記にっき井上いのうえ幸治こうじわけ東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい, 1955ねん)および『奇妙きみょう敗北はいぼく ― 1940ねん証言しょうげん岩波書店いわなみしょてん, 2007ねん出版しゅっぱんしゃによる概要がいよう:ドイツぐん電撃でんげきせんまえに、ダンケルクへと敗走はいそうするえいふつ連合れんごうぐん。フランスぐん参謀さんぼう将校しょうこうとして従軍じゅうぐんしていたブロックはそのただなかで苦闘くとうしながら、こうはじめていた──なぜ、フランスはやぶれたのか。ひとりの市民しみんとして「くら時代じだい」を真摯しんしき、ついにはナチスの銃弾じゅうだんに斃れた歴史れきしによる記録きろく
  7. ^ モーゼス・フィンリー 田立ただちゆきやく (1994). オデュッセウスの世界せかい. 岩波書店いわなみしょてん 
  8. ^ ピエール・ヴィダル=ナケ『記憶きおく暗殺あんさつしゃたち』(石田いしだ靖夫やすおやく, 人文書院じんぶんしょいん, 1995)「訳者やくしゃあとがき」
  9. ^ Pierre Vidal-Naquet (1998). Mémoires. Seuil 
  10. ^ Vidal-Naquet, Pierre (1986). “Une fidélité têtue [La résistance à la guerre d'Algérie”] (フランス語ふらんすご). Vingtième Siècle, revue d'histoire 10 (1): 3–18. doi:10.3406/xxs.1986.1539. ISSN 0294-1759. https://www.persee.fr/doc/xxs_0294-1759_1986_num_10_1_1539. 
  11. ^ Les résistances à la guerre d’Algérie, Nils Andersson”. Savoir/Agir, 2012/3 (n° 21), Editions du Croquant. 2018ねん10がつ2にち閲覧えつらん
  12. ^ 額田ぬかた康子やすこFemale Circumcision(FC)/Female Genital Mutilation(FGM)論争ろんそう再考さいこう大阪府立大学おおさかふりつだいがく 博士はかせ (人間にんげん科学かがく)、 かぶとだい1322ごう、2011ねんNAID 5000005467062022ねん2がつ21にち閲覧えつらん 
  13. ^ レゾン・デタ国家こっか理性りせい国家こっか理由りゆう):国家こっか生存せいぞん維持いじし、強化きょうかするためにとるべき準則じゅんそくをいう。実際じっさいには国家こっか目的もくてきのためには一切いっさい道徳どうとくないし規範きはん無視むしして行動こうどうすることがゆるされるとする国家こっかてきエゴイズムを肯定こうていする根拠こんきょとして援用えんようされてきた。これは必然ひつぜんてき権力けんりょく政治せいじ帰着きちゃくする。このかんがえを最初さいしょ表明ひょうめいしたのはマキアベリであったが、そのジョバンニ・ボテロや H. グロチウスによって理論りろんてき発展はってんさせられ、1648ねんウェストファリア条約じょうやく締結ていけつ (ウェストファリアの講和こうわ) のときに支配しはいてき理念りねんとなった。そしてこのかんがえは今日きょうにおいてもなお、国際こくさい政治せいじにおいて根強ねづよつづけている。(『ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん』)
  14. ^ INC., SANKEI DIGITAL (2018ねん9がつ16にち). ふつ大統領だいとうりょうきゅう植民しょくみん独立どくりつ拷問ごうもん国家こっか責任せきにんみとめる 「きたな戦争せんそう」の事実じじつ解明かいめいは「歴史れきしに」懸念けねんも” (日本語にほんご). 産経さんけいニュース. https://www.sankei.com/article/20180916-N64VEEQUWFNOHPX5X43NVCY26A/ 2018ねん10がつ2にち閲覧えつらん 
  15. ^ マクロン大統領だいとうりょう、アルジェリア独立どくりつ戦争せんそうちゅう拷問ごうもんふつ政府せいふ関与かんよみとめる」『』。2018ねん10がつ2にち閲覧えつらん
  16. ^ “Mort de Maurice Audin : « La reconnaissance des responsabilités de l’Etat, enfin ! », affirme Sylvie Thénault” (フランス語ふらんすご). Le Monde.fr. https://www.lemonde.fr/idees/article/2018/09/13/disparition-de-maurice-audin-la-reconnaissance-des-responsabilites-de-l-etat-enfin_5354398_3232.html 2018ねん10がつ3にち閲覧えつらん 
  17. ^ 61ねんまえアルジェリア戦争せんそうちゅう拷問ごうもんを「くに責任せきにん」とみとめる”. ovninavi.com. 2018ねん10がつ3にち閲覧えつらん
  18. ^ 「GIP (監獄かんごく情報じょうほうグループ) の宣言せんげんしょ」(大西おおにしまさ一郎いちろうやく) :『ミシェル・フーコー思考しこう集成しゅうせい IV ― 1971-1973 規範きはん社会しゃかい』(蓮實はすみ重彦しげひこ, 渡辺わたなべまもるあきら監修かんしゅう, 小林こばやし康夫やすお, 石田いしだえいけい, 松浦まつうら寿ことぶきあきらへん, 筑摩書房ちくましょぼう, 1999) 所収しょしゅう
  19. ^ “Une autre voix juive Manifeste(*)” (フランス語ふらんすご). L'Humanité. (2003ねん4がつ7にち). https://www.humanite.fr/node/282804 2018ねん10がつ2にち閲覧えつらん 
  20. ^ エリザベット・バダンテールポール・ヴェーヌジャン=ピエール・ヴェルナンピエール・ノラマルク・フェローミシェル・ヴィノックジャック・ジュリヤールフランス語ふらんすごばんルネ・レモンフランス語ふらんすごばんアラン・ドゥコーモナ・オズーフジャン=ピエール・アゼマフランス語ふらんすごばんジャン=ジャック・ベッケールフランス語ふらんすごばんフランソワーズ・シャンデルナゴールフランス語ふらんすごばんアラン・ドゥコージャン・ルクランフランス語ふらんすごばんピエール・ミルザフランス語ふらんすごばんアントワーヌ・プロストフランス語ふらんすごばんジャン=クロード・ペローフランス語ふらんすごばんモーリス・ヴァイスフランス語ふらんすごばん
  21. ^ “Liberté pour l'histoire” (フランス語ふらんすご). Libération.fr. https://www.liberation.fr/societe/2005/12/13/liberte-pour-l-histoire_541669 2018ねん10がつ2にち閲覧えつらん 
  22. ^ 丸岡まるおか高弘たかひろちょ戦争せんそう記憶きおく記憶きおく戦争せんそう ― フランスにおける植民しょくみん主義しゅぎ評価ひょうかをめぐる論争ろんそう”. 『南山大学なんざんだいがくヨーロッパ研究けんきゅうセンターほうだい13ごう. 2018ねん10がつ2にち閲覧えつらん
  23. ^ アシェットばん 図説ずせつ ヨーロッパ歴史れきし百科ひゃっか系譜けいふからたヨーロッパ文明ぶんめい歴史れきし”. 紀伊國屋きのくにや書店しょてんウェブストア. 2018ねん10がつ2にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

  • Pierre Vidal-Naquet : ピエール・ヴィダル=ナケともかいが2006ねんにヴィダル=ナケ追悼ついとうとして開設かいせつしたウェブサイト。伝記でんき著書ちょしょからの抜粋ばっすい、インタビュー、新聞しんぶん記事きじ追悼ついとうなどを掲載けいさい