ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学こうこがくてき境界きょうかいせんぐん

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世界遺産 ヘーゼビューと
ダーネヴィアケの
考古学こうこがくてき境界きょうかいせんぐん
ドイツ
ダーネヴィアケの一部
ダーネヴィアケの一部いちぶ
英名えいめい Archaeological Border complex of Hedeby and the Danevirke
ふつめい Ensemble archéologique frontalier de Hedeby et du Danevirke
面積めんせき 227.55 ha
緩衝かんしょう地帯ちたい 2,670 ha)
登録とうろく区分くぶん 文化ぶんか遺産いさん
文化ぶんか区分くぶん 遺跡いせき
登録とうろく基準きじゅん (3), (4)
登録とうろくねん 2018ねん
だい42かい世界せかい遺産いさん委員いいんかい
公式こうしきサイト 世界せかい遺産いさんセンター英語えいご
地図ちず
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群の位置(ドイツ内)
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群の位置(シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州内)
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
使用しよう方法ほうほう表示ひょうじ

ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学こうこがくてき境界きょうかいせんぐん(ヘーゼビューとダーネヴィアケのこうこがくてききょうかいせんぐん)は、ドイツの世界せかい遺産いさんひとつである。ヴァイキング時代ときよにおけるユラン半島はんとうとそれ以外いがいヨーロッパけていた境界きょうかいいき遺跡いせきぐんであり、当時とうじ様子ようすつたえる交易こうえきヘーゼビューおよび周辺しゅうへんるいぐん遺跡いせき対象たいしょうとなっている。

登録とうろく経緯けいい[編集へんしゅう]

この資産しさん構成こうせい資産しさんであるヘーゼビューるいぐんは、2011ねんに「ヴァイキング記念きねんぶつ遺跡いせきぐん / ダーネヴィアケとヘーゼビュー」(VIKING MONUMENTS AND SITES / Danevirke and Hedeby) の名前なまえで2011ねん1がつ27にち世界せかい遺産いさん暫定ざんていリスト掲載けいさいされた[1]。これは国境こっきょうえる世界せかい遺産いさん候補こうほ一部いちぶであり、2014ねんドイツデンマークアイスランドラトビアノルウェーにより「きたヨーロッパのヴァイキング時代じだい遺跡いせきぐん」として共同きょうどう推薦すいせんされたが、2015ねんだい39かい世界せかい遺産いさん委員いいんかいでは「登録とうろく延期えんき」と決議けつぎされた[2]

この資産しさんがドイツ単独たんどく候補こうほとして暫定ざんていリストに掲載けいさいされたのは、上記じょうき登録とうろく延期えんき決議けつぎから半年はんとしほどの2016ねん1がつ28にちのことで、2017ねん1がつ12にちユネスコ世界せかい遺産いさんセンターへと正式せいしき推薦すいせんされた[3]。そのときの推薦すいせんめいは「ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学こうこがくてき境界きょうかい景観けいかん」(Archaeological Border Landscape of Hedeby and the Danevirke) で、文化ぶんかてき景観けいかんとしての推薦すいせんだった[3]推薦すいせんこく比較ひかく研究けんきゅう対象たいしょうにしたのは、ビルカホーヴゴーデンスウェーデンの世界せかい遺産いさん)、ランス・オ・メドーカナダの世界せかい遺産いさん)、シンクヴェトリル国立こくりつ公園こうえんアイスランドの世界せかい遺産いさん)、イェリング墳墓ふんぼぐん、ルーン文字もじ石碑せきひぐん教会きょうかいデンマークの世界せかい遺産いさん)、グリーンランドのグヤダー:こおりかんむり縁辺えんぺんにおける古代こだいスカンジナビアじんとイヌイットの農業のうぎょう景観けいかんグリーンランドにあるデンマークの世界せかい遺産いさん[注釈ちゅうしゃく 1])といったヴァイキング関連かんれん遺跡いせきぐんのほか、防衛ぼうえい施設しせつ文化ぶんかてき景観けいかん世界せかい遺産いさんなどであった[4]世界せかい遺産いさん委員いいんかい諮問しもん機関きかんである国際こくさい記念きねんぶつ遺跡いせき会議かいぎ (ICOMOS) は、比較ひかく研究けんきゅう妥当だとうなものとし、その顕著けんちょ普遍ふへんてき価値かちみとめたものの、文化ぶんかてき景観けいかんとはせず、登録とうろくさい名称めいしょう変更へんこうすべきことを勧告かんこくした[5]

2018ねんだい42かい世界せかい遺産いさん委員いいんかいでは、タイムスケジュールの関係かんけい十分じゅうぶん審議しんぎ時間じかんかれなかったが、特段とくだん異論いろんず、勧告かんこくとおりに登録とうろくされた[6]

登録とうろくめい[編集へんしゅう]

名称めいしょう変更へんこうすべきの勧告かんこくまえ、登録とうろくさいし、名称めいしょう変更へんこうされた[7]。その正式せいしき登録とうろくめい英語えいご: Archaeological Border complex of Hedeby and the Danevirkeおよびフランス語ふらんすご: Ensemble archéologique frontalier de Hedeby et du Danevirkeである。その日本語にほんごやくは、以下いかのようにれがある。

  • ヘーゼビューとダーネヴィルケの国境こっきょう考古学こうこがくてき遺跡いせきぐん - 世界せかい遺産いさん検定けんてい事務じむきょく[8]
  • ヘーゼビューとダーネヴィアケのボーダー考古こうこ遺跡いせきぐん - プレック研究所けんきゅうじょ[6]
  • ハイタブとダーネヴェルクの考古学こうこがくてき境界きょうかいせんぐん - ドイツ観光かんこうきょく[9]

なお、登録とうろく直後ちょくごのプレスリリースの時点じてん名称めいしょう変更へんこう反映はんえいされていたが[10]正式せいしき登録とうろく文献ぶんけんでも、英語えいごめい推薦すいせん時点じてんのままでArchaeological Border Landscape of Hedeby and the Danevirke下線かせん引用いんようしゃ)と明記めいきしたうえで、以下いかのような訳語やくごしめした文献ぶんけんも2てんある。

  • ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古こうこボーダー景観けいかん - 月刊げっかん文化財ぶんかざい[11]
  • ヘーゼビューとダーネヴィルケの境界きょうかいじょう考古学こうこがくてき景観けいかん - 古田ふるたようひさ[12]

また、英語えいごめい明記めいきされていないが、

  • ヘーゼビューとダーネヴィルケの考古学こうこがくてき景観けいかん

やく文献ぶんけん複数ふくすうあった[13][14]

登録とうろく基準きじゅん[編集へんしゅう]

この世界せかい遺産いさん世界せかい遺産いさん登録とうろく基準きじゅんのうち、以下いか条件じょうけんたし、登録とうろくされた(以下いか基準きじゅん世界せかい遺産いさんセンター公表こうひょう登録とうろく基準きじゅんからの翻訳ほんやく引用いんようである)。

  • (3) 現存げんそんするまたは消滅しょうめつした文化ぶんかてき伝統でんとうまたは文明ぶんめいの、唯一ゆいいつのまたはすくなくともまれ証拠しょうこ
    • 世界せかい遺産いさん委員いいんかいはこの基準きじゅん適用てきよう理由りゆうについて、ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古こうこ遺跡いせきぐんは、「8世紀せいきから11世紀せいきヨーロッパの様々さまざま文化ぶんかてき伝統でんとう人々ひとびとあいだでの交流こうりゅう交易こうえきかんする顕著けんちょ証拠しょうこそなえている。豊富ほうふ格段かくだん保存ほぞん状態じょうたい出土しゅつどひんるいのおかげで、それらの遺跡いせきはヴァイキング時代じだいのヨーロッパの経済けいざいてき社会しゃかいてき歴史れきしてき発展はってん幅広はばひろ変化へんか解釈かいしゃくするためのかぎあたえる科学かがくてき場所ばしょとなっている」[15]ひとしとした。
  • (4) 人類じんるい歴史れきしじょう重要じゅうよう時代じだい例証れいしょうする建築けんちく様式ようしき建築けんちくぶつぐん技術ぎじゅつ集積しゅうせきまたは景観けいかんすぐれたれい
    • 世界せかい遺産いさん委員いいんかいは、こちらの基準きじゅんについては、「考古学こうこがくてき証拠しょうこは、8世紀せいきから11世紀せいきうみりくえた主要しゅよう交易こうえき核心かくしんたる境界きょうかいいき位置いちし、だい規模きぼ防衛ぼうえいシステムとむすびついた都市とし交易こうえきセンターのれいとして、ヘーゼビューとダーネヴィアケの重要じゅうようせい強調きょうちょうする」[15]ひとしとした。

前述ぜんじゅつのとおり、委員いいんかい審議しんぎでは審議しんぎ時間じかんかれておらず、これらの基準きじゅん適用てきよう理由りゆうは、ICOMOSの勧告かんこくしょ記載きさいされたものとおなじである[16]

構成こうせい資産しさん[編集へんしゅう]

構成こうせい資産しさんシュレースヴィヒ=ホルシュタインしゅうシュレースヴィヒ=フレンスブルクぐんレンツブルク=エッケルンフェルデぐん英語えいごばんにまたがっている[3]

ヘーゼビュー[編集へんしゅう]

ヘーゼビューの復元ふくげんされた家屋かおく

ヘーゼビューはスカンディナヴィア商業しょうぎょう拠点きょてんとしてはビルカなどとならんで最古さいこきゅうのものであり、規模きぼ重要じゅうようせいてんでも一番いちばんだったともわれる[17]。ヴァイキング時代じだいつうじて、ビルカ、リーベ、ヘーゼビューをえる機能きのうの「都市とし」はあらわれなかった[18]

9世紀せいき初頭しょとうのデンマークおうゴズフレズオボトリートじんヴェンドじん)の都市としレリク英語えいごばん破壊はかいしたさいに、その商人しょうにんたちを移住いじゅうさせたまちがヘーゼビューのはじまりとされている[19]当時とうじ商人しょうにんは、バルト海ばるとかいから北海ほっかいけるさいカテガット海峡かいきょうスカゲラク海峡かいきょう海路かいろのみを辿たどると、暴風ぼうふう海賊かいぞく遭遇そうぐうする危険きけんせいがあったため、ユラン半島はんとう横断おうだんする陸路りくろ経由けいゆした[20][21]。ヘーゼビューは外洋がいよう直接ちょくせつせっしていないことから悪天候あくてんこう避難ひなんてきしており[22]、ユラン半島はんとう陸路りくろはし位置いちする商業しょうぎょうじょう要衝ようしょうだった[23]

900ねんごろにスウェーデンじんがヘーゼビューを占領せんりょうしたのち、その防衛ぼうえい機能きのうたかめるために都市とし周辺しゅうへん半円はんえんじょう防壁ぼうへききずき、近傍きんぼうるいダーネヴィアケとも接続せつぞくされた[24]

ヘーゼビューは最盛さいせいには1,500にんほどがらしていたと推測すいそくされているが[22]、10世紀せいき後半こうはん以降いこう近傍きんぼうシュレースヴィヒってわられるかたち衰退すいたいし、11世紀せいき滅亡めつぼうした[25][26]

ヘーゼビューがシュレースヴィヒにってわられ、すたれてしまったことは、ヘーゼビューの集落しゅうらく遺構いこう保存ほぞんされることにつながった[27][22]。その保存ほぞん状態じょうたいさは、8世紀せいきから11世紀せいき港町みなとちょうとしては随一ずいいちとされる反面はんめん世界せかい遺産いさん推薦すいせん時点じてん(2017ねん)で発掘はっくつ調査ちょうさおこなわれたのは5%程度ていどで、なお95%ほどが発掘はっくつ状態じょうたいであるという[28]

ダーネヴィアケ[編集へんしゅう]

ダーネヴィアケの地図ちず変遷へんせん

ダーネヴィアケ[注釈ちゅうしゃく 2]は「デンマークじん堡塁ほうるい」の意味いみ[29]、「デイン防塁ぼうるい[30]、「デンマークるい[31]などと表記ひょうきする文献ぶんけんもある。ドイツめいDanewerkに「デンマークとりで」という訳語やくごてている辞書じしょもある[32]

その最初さいしょ建設けんせつは737ねん前後ぜんこうのことで、ザクセンユラン半島はんとう勢力せいりょくばしつつあったフランク王国おうこく対抗たいこうするものであった[33]。それはスカンディナヴィア南端なんたん国境こっきょうせんであるとともに、「民族みんぞく領域りょういき境界きょうかい」も意味いみした[33]建設けんせつしゃは『フランク王国おうこく年代ねんだい』では9世紀せいき初頭しょとうのデンマークおうゴズフレズとされていたが[34][35]考古学こうこがくてきには737ねん前後ぜんこうさかのぼるものとなされるようになっており[36][37]、ゴズフレズはダーネヴィアケを補強ほきょうしたもの位置いちづけられている[38]。それをまえて、最初さいしょ建造けんぞうしゃを8世紀せいきおうアンガンチュールとむすびつけるせつもある[36]

ハーラルあおおうは、一度いちどドイツにうばわれたヘーゼビューを奪還だっかんしたのちまもりをかためるためにヘーゼビューの要塞ようさいとダーネヴィアケの補強ほきょうおこなった[39]。この10世紀せいき後半こうはん補強ほきょうで、ヘーゼビューの塁壁るいへきとダーネヴィアケとが接続せつぞくかべ連結れんけつるい)でつながれた[39]。また、近隣きんりん海中かいちゅうからは、10世紀せいきから11世紀せいきのものとおもわれる構造こうぞうぶつ遺構いこうつかっている[40]。12世紀せいきには、すでにヘーゼビューは衰退すいたいしていたが、デンマークおうヴァルデマー1せいレンガもちいた防壁ぼうへき補強ほきょうおこなっている[35]。このダーネヴィアケは、ヴァイキング時代じだいのスカンディナヴィアでは最大さいだいきゅう防衛ぼうえい施設しせつとされている[37]

このるいぐんだいシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争せんそう(1864ねん)のデンマークぐんだい世界せかい大戦たいせん末期まっきのドイツぐんも、それぞれ防衛ぼうえい利用りようした[31]保存ほぞん意識いしきされたのはだい世界せかい大戦たいせんのことで、1950ねんにヘーゼビューとともに、自然しぜん保護ほご一部いちぶというかたちではあったが、保護ほご対象たいしょうになった[41]

一覧いちらん[編集へんしゅう]

構成こうせい資産しさん以下いかのとおりである。

構成こうせい資産しさん一覧いちらん
ID[42] 構成こうせい資産しさんめい[42] 日本語にほんごやくかりやく 登録とうろく面積めんせきha[42] 備考びこう
1553-001 Crooked Wall Area 4 湾曲わんきょくかべ地域ちいき4 1.4 そう延長えんちょう7.5 km湾曲わんきょくかべしゅかべ西側にしがわにあり、ダーネヴィアケのさい西端せいたんにあたる[41]
1553-002 Crooked Wall Areas 3 to 4 湾曲わんきょくかべ地域ちいき3から4 16.1
1553-003 Crooked Wall Areas 1 to 2
Main Wall Areas 4 to 5
湾曲わんきょくかべ地域ちいき1から2
しゅかべしゅるい)の地域ちいき4から5
25.2
1553-004 Main Wall Areas 2 to 3 しゅかべ地域ちいき2から3 14.4 湾曲わんきょくかべとダーネヴェルク湖岸こがん[注釈ちゅうしゃく 3]をつなぐ5.5 kmのしゅかべは、時期じきへだててなんふえ改築かいちくされてきた[41]
1553-005 Main Wall Area 1 しゅかべ地域ちいき1 6.3
1553-006 Connection Wall Area 9
North Wall Area 4
Arched Wall
接続せつぞくかべ連結れんけつるい)の地域ちいき9
きたかべ地域ちいき4
アーチかべ
3.6
1553-007 North Wall Areas 1 to 2 きたかべ地域ちいき1から2 3.6 1,5kmのきたかべは、ダーネヴェルク東側ひがしがわにのびる[41]
1553-008 Arched Wall アーチかべ 0.8
1553-009 Connection Wall Area 8 接続せつぞくかべ地域ちいき8 2.5 接続せつぞくかべは、ヘーゼビューの半円はんえんじょうるいと、ダーネヴィアケのしゅかべをつなぐ部分ぶぶんであり、もっとふる部分ぶぶんは960ねんごろに建造けんぞうされた[35]
1553-010 Connection Wall Areas 5 to 7 接続せつぞくかべ地域ちいき5から7 5.8
1553-011 Connection Wall Area 3 接続せつぞくかべ地域ちいき3 0.6
1553-012 Hedeby ヘーゼビュー 95
1553-013 Kovirke Area 1 コーヴィアケの地域ちいき1 0.9 6.5kmのコーヴィアケはしゅかべみなみびる[41]
1553-014 Kovirke Area 2 コーヴィアケの地域ちいき2 0.3
1553-015 Kovirke Area 3 to 5 コーヴィアケの地域ちいき3から5 7.9
1553-016 Kovirke Area 6 コーヴィアケの地域ちいき6 2.1
1553-017 Kovirke Area 7 コーヴィアケの地域ちいき7 0.05
1553-018 Kovirke Area 8 コーヴィアケの地域ちいき8 0.5
1553-019 Offshore Work おき構造こうぞうぶつ 36.2 ヘーゼビューのひがしのシュライ・フィヨルドきずかれた木造もくぞう建築けんちくぶつ遺構いこうである[41]
1553-020 East Wall Area 1A to 1C ひがしかべ地域ちいき1Aから1C 1.9 ひがしかべバルト海ばるとかい沿岸えんがんかたにつながる[41]
1553-021 East Wall Area 2D ひがしかべ地域ちいき2D 0.5
1553-022 East Wall Area 2E to 2F ひがしかべ地域ちいき2Eから2F 1.9

分布ぶんぷ[編集へんしゅう]

ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群の位置(シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州内)
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群
構成こうせい資産しさん分布ぶんぷ[42]みどり湾曲わんきょくかべ(1553-001から003)、しゅかべ(1553-004・005)、ももきたかべ(1553-006・007)、きむはアーチかべ(1553-008)、あお接続せつぞくかべ(1553-009から011)、あかはヘーゼビュー(1553-012)、むらさきはコーヴィアケ(1553-013から018)、ちゃおき構造こうぞうぶつ(1553-019)、くろひがしかべ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ヘーゼビューとダーネヴィアケの推薦すいせん時点じてんでは、暫定ざんていリスト記載きさい物件ぶっけん
  2. ^ デンマークみとしては「ダネヴィアゲ」のほうがちかいらしい(新谷しんたに俊裕としひろ; だいあたり理恵りえ; 間瀬ませ英夫ひでお へんデンマーク固有名詞こゆうめいしカナ表記ひょうきしょう辞典じてん大阪大学おおさかだいがく世界せかい言語げんご研究けんきゅうセンターデンマーク・スウェーデン研究けんきゅうしつ、2009ねんhttp://www.sfs.osaka-u.ac.jp/user/danish/dictionary/det%20hele.pdf )。
  3. ^ 現在げんざい干上ひあがっている(ICOMOS 2018, p. 213)。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Tentative Lists submitted by States Parties as of 21 April 2011, in conformity with the Operational Guidelines (WHC-11/35.COM/8A)”. UNESCO World Heritage Centre. 2019ねん10がつ21にち閲覧えつらん(p.7)
  2. ^ 東京とうきょう文化財ぶんかざい研究所けんきゅうじょだい39かい世界せかい遺産いさん委員いいんかい審議しんぎ調査ちょうさ研究けんきゅう事業じぎょうについて』2015ねんhttps://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/sekai_isan/pdf/39_sekaiisan_shingi.pdf 
  3. ^ a b c ICOMOS 2018, p. 212
  4. ^ ICOMOS 2018, pp. 213–214
  5. ^ ICOMOS 2018, pp. 219–221
  6. ^ a b プレック研究所けんきゅうじょ 2019, pp. 282–283
  7. ^ World Heritage Centre 2018, p. 225
  8. ^ 世界せかい遺産いさん検定けんてい事務じむきょく『くわしくまな世界せかい遺産いさん300』(3はん)マイナビ出版しゅっぱん、2019ねんISBN 978-4-8399-6879-3 世界せかい遺産いさんアカデミー監修かんしゅう)(p.9)
  9. ^ 2018ねん7がつ9にち1954ぶんのツイート”. ドイツ観光かんこうきょく公式こうしきツイッターアカウント (2018ねん7がつ9にち). 2019ねん11月4にち閲覧えつらん
  10. ^ Two sites added to UNESCO’s World Heritage List”. UNESCO World Heritage Centre (2018ねん6がつ30にち). 2019ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  11. ^ 下田しもだ一太かずただい42かい世界せかい遺産いさん委員いいんかい概要がいよう」(『月刊げっかん文化財ぶんかざい』2018ねん11がつごう通巻つうかん662ごう、p.49)
  12. ^ 古田ふるたようひさ世界せかい遺産いさん事典じてん - 2020改訂かいていばん』シンクタンクせとうち総合そうごう研究けんきゅう機構きこう、2019ねんISBN 978-4-86200-229-7 (p.146)
  13. ^ 『なるほどちょう世界せかい2019 ニュースとわせてみたい世界せかい地図ちず昭文社しょうぶんしゃ、2018ねん、p.112
  14. ^ いまがわかる時代じだいがわかる世界せかい地図ちず19年版ねんばん成美せいびどう出版しゅっぱん、2019ねん、p.18
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  21. ^ ジャクリーヌ・シンプソン 1981, pp. 125–126
  22. ^ a b c 熊野くまの 1998, p. 281
  23. ^ A・グーレウィチ 1971, p. 78
  24. ^ A・グーレウィチ 1971, p. 81
  25. ^ ヒースマン 2000, p. 68
  26. ^ ジャクリーヌ・シンプソン 1981, p. 126
  27. ^ A・グーレウィチ 1971, p. 77
  28. ^ ICOMOS 2018, pp. 216, 220
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  30. ^ ジャクリーヌ・シンプソン 1982, p. 300
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  32. ^ どく和大かずひろ辞典じてんだい2はん小学館しょうがくかん
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  42. ^ a b c d Multiple Locations:Archaeological Border complex of Hedeby and the Danevirke”. UNESCO World Heritage Centre. 2019ねん10がつ21にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]