『ペトルーシュカ 』 (露 ろ 語 ご :Петрушка , 仏語 ふつご :Pétrouchka )は、ストラヴィンスキー が、1911年 ねん にバレエ・リュス のために作曲 さっきょく したバレエ 音楽 おんがく 。おがくず の体 からだ を持 も つわら人形 にんぎょう の物語 ものがたり で、主人公 しゅじんこう のパペット は命 いのち を吹 ふ き込 こ まれて恋 こい を知 し る。ペトルーシュカ(ピョートルの愛称 あいしょう )は、いわばロシア 版 はん のピノキオ であり、悲劇 ひげき 的 てき なことに、正真正銘 しょうしんしょうめい の人間 にんげん ではないにもかかわらず真 しん の情熱 じょうねつ を感 かん じており、そのために(決 けっ して実現 じつげん しないにもかかわらず)人間 にんげん に憧 あこが れている。ペトルーシュカは時 とき おり引 ひ き攣 つ ったようにぎこちなく動 うご き、人形 にんぎょう の体 からだ の中 なか に閉 と じ込 こ められた苦 くる しみの感情 かんじょう を伝 つた えている。「ペトルウシュカ」とも表記 ひょうき される。
ディアギレフ のバレエ・リュス(ロシア・バレエ団 だん ) のために、1910年 ねん から1911年 ねん にかけて冬 ふゆ に作曲 さっきょく され、1911年 ねん 6月13日 にち にパリ のシャトレ座 ざ で初演 しょえん された。公演 こうえん はおおむね成功 せいこう したが、少 すく なからぬ聴衆 ちょうしゅう は、ドライで痛烈 つうれつ で、時 とき にグロテスクでさえあるこの音楽 おんがく に面喰 めんく らった。ある評論 ひょうろん 家 か は、本 ほん 稽古 けいこ の後 のち でディアギレフに詰 つ め寄 よ って、「招待 しょうたい されてこんなものを聴 き かされるとはね」と言 い ったところ、ディアギレフはすぐさま「御愁傷様 ごしゅうしょうさま 」とい返 いかえ した。1913年 ねん にディアギレフとロシア・バレエ団 だん がウィーン を訪 おとず れた際 さい 、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽 かんげんがく 団 だん は、当初 とうしょ 『ペトルーシュカ』を上演 じょうえん することを渋 しぶ って、この楽曲 がっきょく を「いかがわしい音楽 おんがく 」(“schmutzige Musik”)と呼 よ んだ。
音楽 おんがく は、ハ長調 ちょうちょう と嬰ヘ長調 ちょうちょう を組 く み合 あ わせた、いわゆる「ペトルーシュカ和音 わおん 」が特徴 とくちょう 的 てき であり、複 ふく 調 ちょう 性 せい によってタイトルロールの登場 とうじょう を予告 よこく する。
作曲 さっきょく 者 しゃ ストラヴィンスキー《1910年 ねん 以前 いぜん に撮影 さつえい 》
ストラヴィンスキーと共 とも に台本 だいほん を執筆 しっぴつ したアレクサンドル・ベノワ《1914年 ねん 撮影 さつえい 》
『ペトルーシュカ』作曲 さっきょく の経緯 けいい は『自伝 じでん 』ほかに書 か かれていてよく知 し られる。それによれば、『火 ひ の鳥 とり 』の次 つぎ の作品 さくひん として、ストラヴィンスキーは後 のち に『春 はる の祭典 さいてん 』として知 し られることになる作品 さくひん を予定 よてい していたが、作曲 さっきょく の難航 なんこう が予測 よそく されたため、その前 まえ にピアノと管弦楽 かんげんがく による一種 いっしゅ のコンツェルトシュテュック のような曲 きょく を書 か きはじめた。最初 さいしょ に思 おも いついたのはピアノの悪魔 あくま 的 てき なアルペッジォと管弦楽 かんげんがく の反撃 はんげき による騒音 そうおん であり、ストラヴィンスキーはこの曲 きょく の題 だい を『ペトルーシュカ』と名 な づけた[ 1] [ 2] 。この初期 しょき の版 はん は1910年 ねん の8月 がつ から作曲 さっきょく された[ 3] 。
当時 とうじ 、ストラヴィンスキーは夫人 ふじん が妊娠 にんしん 中 ちゅう であったためにブルターニュ のラ・ボールに滞在 たいざい していた。9月にスリマ が生 う まれた後 のち はスイス のヴォー州 しゅう クラランスに移 うつ った[ 4] 。『春 はる の祭典 さいてん 』の進行 しんこう 具合 ぐあい を知 し るために10月 がつ にディアギレフがスイスを訪 おとず れたとき、ストラヴィンスキーは「ペトルーシュカの叫 さけ び」(後 ご の第 だい 2場 じょう )と「ロシアの踊 おど り」の2曲 きょく を弾 ひ いて聞 き かせた。ディアギレフは驚 おどろ いたが、すぐに新 あたら しい曲 きょく を気 き に入 い り、この曲 きょく を翌年 よくねん のバレエ・リュスのためのバレエ曲 きょく とするように説得 せっとく した[ 2] 。ディアギレフはすぐにサンクト・ペテルブルク のアレクサンドル・ベノワ に台本 だいほん を依頼 いらい する手紙 てがみ を書 か いた。当時 とうじ ベノワは『火 ひ の鳥 とり 』と同時 どうじ に公演 こうえん された『シェヘラザード 』に関 かん してディアギレフと喧嘩 けんか になり、二度 にど とディアギレフの元 もと では働 はたら かないと宣言 せんげん していたが、子供 こども の頃 ころ からの人形 にんぎょう 劇 げき のファンであったため、その魅力 みりょく 的 てき な申 もう し出 で を断 ことわ ることはできなかった[ 5] 。
ベノワとストラヴィンスキーは共同 きょうどう で話 はなし を作 つく っていった。ベノワの貢献 こうけん は非常 ひじょう に大 おお きく、『ペトルーシュカ』の楽譜 がくふ にはベノワの名前 なまえ が共著 きょうちょ 者 しゃ として上 あ がっている。タラスキン によれば、謝肉祭 しゃにくさい と人形 にんぎょう 達 たち の劇 げき という二 に 重 じゅう 構造 こうぞう を考 かんが えたのはベノワであり、またペトルーシュカ・バレリーナ・ムーア人 じん という3人組 にんぐみ を考 かんが えたのもベノワであって、これはベノワが子供 こども のころに観 み たコンメディア・デッラルテ のピエロ(ペドロリーノ)・コロンビーナ・アルレッキーノが元 もと になっている。本来 ほんらい ロシアのペトルーシュカはピエロではなくむしろプルチネッラ に由来 ゆらい する部分 ぶぶん が大 おお きかったが、この変更 へんこう によってペトルーシュカは哀 あわ れなピエロに変化 へんか した。また、魔術 まじゅつ 師 し もベノワの考 かんが えによる[ 6] 。ストラヴィンスキー本人 ほんにん の証言 しょうげん ではベノワの役割 やくわり が過小 かしょう 評価 ひょうか されているが、これはずっと後 ご の1929年 ねん に、演奏 えんそう 会 かい 形式 けいしき で『ペトルーシュカ』を演奏 えんそう したときにベノワに著作 ちょさく 料 りょう を払 はら わずに済 す むようにストラヴィンスキーが裁判 さいばん を起 お こしたことと関係 かんけい する(結果 けっか は敗訴 はいそ )[ 7] 。
1911年 ねん 2月 がつ にストラヴィンスキーはニコチン中毒 ちゅうどく で倒 たお れ、大幅 おおはば に作曲 さっきょく の予定 よてい がくるった。「仮装 かそう した人々 ひとびと 」から後 のち の部分 ぶぶん は4月 がつ になってバレエ・リュスが公演 こうえん 中 ちゅう のローマ で作曲 さっきょく された。初演 しょえん の数 すう 週間 しゅうかん 前 まえ になってようやく完成 かんせい した[ 5] [ 8] 。
ペトルーシュカに扮 ふん したヴァーツラフ・ニジンスキー《1910~11年 ねん 撮影 さつえい 》
『ペトルーシュカ』のバレエは1911年 ねん 6月 がつ 26日 にち にパリ のシャトレ座 ざ で初演 しょえん された。この時 とき のスタッフと配役 はいやく は以下 いか の通 とお り[ 9] 。
管弦楽 かんげんがく の日本 にっぽん 初演 しょえん は1937年 ねん 4月 がつ 21日 にち に、東京 とうきょう の日比谷公会堂 ひびやこうかいどう にて、ヨーゼフ・ローゼンシュトック と新 しん 交響 こうきょう 楽団 がくだん (現 げん NHK交響 こうきょう 楽団 がくだん )によって行 おこな われた。またバレエの日本 にっぽん 初演 しょえん は1950年 ねん 11月17日 にち から27日 にち まで東京 とうきょう の有 ゆう 楽座 らくざ にて、小牧 こまき バレエ団 だん により行 おこな われた。演出 えんしゅつ ・振付 ふりつけ ・主演 しゅえん :小牧 こまき 正英 まさひで 、バレリーナ:広瀬 ひろせ 佐紀子 さきこ ・笹本 ささもと 公江 きみえ 、ムーア人 じん :関 せき 直人 なおと 、美術 びじゅつ :三 さん 林 はやし 亮太 りょうた 郎 ろう 、衣裳 いしょう :吉村 よしむら 倭 やまと 一 いち 、照明 しょうめい :小川 おがわ 昇 のぼる 、舞台 ぶたい 監督 かんとく :池田 いけだ 義一 ぎいち 、演奏 えんそう :東宝 とうほう 交響 こうきょう 楽団 がくだん 、指揮 しき :マンフレート・グルリット と高田 たかだ 信一 しんいち [ 10] [ 11] 。
4管 かん 編成 へんせい と大 おお きい編成 へんせい だが、ティンパニ が単純 たんじゅん に書 か かれ、トランペット も少 すこ し活躍 かつやく が少 すく なく、地味 じみ な印象 いんしょう がある。
フルート 4(ピッコロ 2持 も ち替 か え)、オーボエ 4(コーラングレ 1持 も ち替 か え)、クラリネット 4(バス・クラリネット 1持 も ち替 か え)、ファゴット 4(コントラファゴット 1持 も ち替 か え)、ホルン 4、トランペット2、コルネット 2、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ、ハープ 2、ピアノ 、チェレスタ 、大 だい 太鼓 たいこ 、シンバル 、グロッケンシュピール 、小太鼓 こだいこ 、タンブリン 、トライアングル 、木琴 もっきん 、タムタム 、弦 つる 五 ご 部 ぶ 、および舞台 ぶたい 袖 そで の小太鼓 こだいこ とタンブリン
オーケストラを3管 かん 編成 へんせい に縮小 しゅくしょう した改訂 かいてい 版 ばん 。新 しん 古典 こてん 主義 しゅぎ に転 てん じてからの編曲 へんきょく であるため、1911年版 ねんばん に比 くら べてドライな印象 いんしょう を与 あた えるがカラフルに聞 き こえる。
フルート3(ピッコロ1持 も ち替 か え)、オーボエ2、コーラングレ1、クラリネット3(バスクラリネット1持 も ち替 か え)、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、ハープ1、ピアノ、チェレスタ、バスドラム、シンバル、スネアドラム、タンブリン、トライアングル、木琴 もっきん 、タムタム、弦 つる 五 ご 部 ぶ
当初 とうしょ はピアノ協奏曲 きょうそうきょく として着想 ちゃくそう されたため、とりわけ前半 ぜんはん 部分 ぶぶん でピアノの活躍 かつやく が目立 めだ っており、「ロシアの踊 おど り」は特 とく に有名 ゆうめい である。
演奏 えんそう 会 かい やバレエの伴奏 ばんそう は予算 よさん の関係 かんけい や華 はな やかさもあって3管 かん 編成 へんせい 版 ばん が良 よ く取 と り上 あ げられる。初演 しょえん の時 とき と同 おな じように今日 きょう でも劇的 げきてき なインパクトは新鮮 しんせん さを失 うしな わず、聴衆 ちょうしゅう にとっては非常 ひじょう に刺激 しげき 的 てき でわくわくさせられる作品 さくひん である。
ドイツ初版 しょはん の全 ぜん 156ページを採用 さいよう したバレエ版 ばん の演奏 えんそう 時間 じかん は約 やく 35分 ふん であるが、150aページを採用 さいよう した管弦楽 かんげんがく 版 ばん は30分 ふん ぐらいである。
以下 いか の4場 じょう に分 わ けられる。
第 だい 1部 ぶ :謝肉祭 しゃにくさい の市 し Fête populaire de semaine grasse
導入 どうにゅう - 群集 ぐんしゅう Début - Les foules
人形 にんぎょう 使 づか いの見世物 みせもの 小屋 こや La baraque du charlatan
ロシアの踊 おど り Danse russe
第 だい 2部 ぶ :ペトルーシュカの部屋 へや
ペトルーシュカの部屋 へや Chez Pétrouchka
第 だい 3部 ぶ :ムーア人 じん の部屋 へや Chez le Maure
ムーア人 じん の部屋 へや Chez le Maure
バレリーナの踊 おど り Danse de la Ballerine
ワルツ(バレリーナとムーア人 じん の踊 おど り) Valse: La Ballerine et le Maure
第 だい 4部 ぶ :謝肉祭 しゃにくさい の市 し (夕景 ゆうけい ) Fête populaire de semaine grasse (vers le soir)
乳母 うば の踊 おど り Danse de nournous
熊 くま を連 つ れた農夫 のうふ の踊 おど り Danse du paysan et de l'ours
行商 ぎょうしょう 人 じん と二人 ふたり のジプシー娘 むすめ Un marchand fêtard avec deux tziganes
馭者 ぎょしゃ と馬丁 ばてい たちの踊 おど り Danse des cochers et des palefreniers
仮装 かそう した人々 ひとびと Les déguisés
格闘 かくとう (ペトルーシュカとムーア人 じん の喧嘩 けんか ) La rixe: Le Maure et Pétrouchka
終 おわり 景 けい :ペトルーシュカの死 し ― Fin : La mort de Pétrouchka -
警官 けいかん と人形 にんぎょう 使 づか い ― La police et le chartatan
ペトルーシュカの亡霊 ぼうれい Apparition du double de Pétrouchka
補足 ほそく
この作品 さくひん は不気味 ぶきみ な静寂 しじま で終結 しゅうけつ することから、「仮装 かそう した人々 ひとびと 」から「格闘 かくとう 」に入 はい るところで終了 しゅうりょう する演奏 えんそう 会 かい 用 よう エンディングも用意 ようい されているが、演奏 えんそう 会 かい 形式 けいしき でも「ペトルーシュカの亡霊 ぼうれい 」まで演奏 えんそう されることも多 おお い。
各 かく 場面 ばめん は場面 ばめん 転換 てんかん の雑音 ざつおん を打 う ち消 け すためにけたたましい太鼓 たいこ 連打 れんだ で転換 てんかん する。これに関 かん しても、演奏 えんそう 会 かい では第 だい 2部 ぶ の冒頭 ぼうとう の太鼓 たいこ 連打 れんだ がカットされるなどの変更 へんこう がある。
海軍 かいぐん 広場 ひろば に
於 お ける
謝肉祭 しゃにくさい の
様子 ようす のデザイン
画 が 。
左 さ は
V.F.ティム 画 が (1858
年 ねん )、
右 みぎ はA.ベノワ
画 が (1911
年 ねん )
1830年代 ねんだい のサンクト・ペテルブルク 海軍 かいぐん 広場 ひろば 。謝肉祭 しゃにくさい 後半 こうはん (Широкая масленица )の市場 いちば によって舞台 ぶたい が始 はじ まる[ 12] 。
オーケストレーション と頻繁 ひんぱん なリズム の変更 へんこう は、祭日 さいじつ の喧騒 けんそう とざわめきを描写 びょうしゃ している。手回 てまわ しオルガン奏者 そうしゃ と踊 おど り子 こ が群衆 ぐんしゅう を楽 たの しませている。ドラム は老 ろう 魔術 まじゅつ 師 し のお出 で ましを告 つ げ、魔術 まじゅつ 師 し が観衆 かんしゅう に魔法 まほう をかける。突然 とつぜん に幕 まく が開 ひら いて小 しょう 劇場 げきじょう が現 あら われ、魔術 まじゅつ 師 し が動 うご かない、命 いのち のない3つのパペット ――ペトルーシュカ、バレリーナ、荒 あら くれ者 もの のムーア人 じん ――を取 と り出 だ す。魔術 まじゅつ 師 し は横笛 よこぶえ を吹 ふ いて魔法 まほう をかける。命 いのち を与 あた えられたパペットたちは、小 ちい さな舞台 ぶたい から飛 と び出 だ して、ぎょっとしている市場 いちば の通行人 つうこうにん の中 なか で踊 おど り出 だ す。今 いま や生 い きた人形 にんぎょう たちは、激 はげ しいロシア舞曲 ぶきょく を踊 おど る。
ペトルーシュカの部屋 へや 《1911年 ねん 、アレクサンドル・ベノワ画 が 》
ペトルーシュカの部屋 へや になる。一 いち 面 めん 暗 くら い色 いろ をした壁 かべ は、黒 くろ い星 ほし 印 しるし や半月 はんつき 、老 ろう 魔術 まじゅつ 師 し の肖像 しょうぞう が飾 かざ られている。ペトルーシュカは、自分 じぶん の小 しょう 部屋 へや に音 おと を立 た ててぶつかり、魔術 まじゅつ 師 し に蹴飛 けと ばされて暗 くら い部屋 へや の中 なか に入 はい る。
ペトルーシュカは見世物 みせもの 小屋 こや の幕 まく の陰 かげ で気 き の滅入 めい るような生活 せいかつ を送 おく りながら、バレリーナ人形 にんぎょう に思 おも いを寄 よ せている。むっつりとした表情 ひょうじょう の魔術 まじゅつ 師 し の肖像 しょうぞう 画 が が、ぼんやりと浮 う き上 あ がって見 み える。まるで、ペトルーシュカはただの人形 にんぎょう で、人間 にんげん と同 おな じでないのだから、従順 じゅうじゅん で謙抑 けんよく であるべきだとでも言 い いたげに。だがペトルーシュカは腹 はら を立 た て、魔術 まじゅつ 師 し のにらみ顔 がお に拳 こぶし を食 く らわす。
ペトルーシュカは人形 にんぎょう だが、人間 にんげん 的 てき な感情 かんじょう があり、老 ろう 魔術 まじゅつ 師 し に対 たい しては囚人 しゅうじん のような気持 きも ちを、美人 びじん のバレリーナには恋心 こいごころ を抱 だ いている。ペトルーシュカは自分 じぶん の小 しょう 部屋 へや から逃 に げ出 だ そうとするが果 は たせない。
バレリーナが入 はい って来 く る。ペトルーシュカは思 おも いを告 つ げようとするが、バレリーナはペトルーシュカの哀 あわ れっぽい口説 くど き文句 もんく をはねつける。ペトルーシュカは魔術 まじゅつ 師 し につれなく扱 あつか われると、バレリーナはムーア人 じん といちゃつき始 はじ め、哀 あわ れなペトルーシュカの感 かん じやすい心 しん を打 う ちのめす。
ムーア人 じん の部屋 へや 《1911年 ねん 、アレクサンドル・ベノワ画 が 》
派手 はで に飾 かざ り立 た てられたムーア人 じん の部屋 へや 。一瞥 いちべつ するだにムーア人 じん が快適 かいてき な暮 く らしを送 おく っていると容易 ようい に察 さっ せられる。ムーア人 じん は寝 ね そべるためのソファを持 も ち、そこでココナッツを玩 もてあそ んでいる。ムーア人 じん の部屋 へや ははるかに広々 ひろびろ としており、明 あか るい色調 しきちょう は愉快 ゆかい で豪奢 ごうしゃ な気分 きぶん を盛 も り立 た てる。主 おも な色 いろ 使 づか いは赤 あか 、緑 みどり 、青 あお で、ウサギ やヤシ 林 はやし 、異国 いこく の花 はな 々が壁 かべ を飾 かざ り、床 ゆか は赤 あか い。ムーア人 じん は、ペトルーシュカと違 ちが って、贅沢 ぜいたく 三昧 ざんまい の部屋 へや で楽 たの しくヴァカンスを過 す ごしている。
すると、ムーア人 じん のスマートな見 み た目 め に惹 ひ かれたバレリーナが登場 とうじょう し、魔術 まじゅつ 師 し によってムーア人 じん の部屋 へや の中 なか に入 い れられる。バレリーナが小粋 こいき なふしを奏 かな でると、ムーア人 じん が踊 おど り出 だ す。
ペトルーシュカは、とうとう小 しょう 部屋 へや を破 やぶ り抜 ぬ け、ムーア人 じん の部屋 へや に向 む かって行 い く。魔術 まじゅつ 師 し はペトルーシュカに、バレリーナの誘惑 ゆうわく を邪魔 じゃま させる。ペトルーシュカはムーア人 じん に体当 たいあ たりするが、自分 じぶん が小柄 こがら で弱 よわ いことを思 おも い知 し らされるだけだった。ムーア人 じん はペトルーシュカを打 う ち負 ま かしただけでは満足 まんぞく せずに、ペトルーシュカを追 お い廻 まわ し、ペトルーシュカは命 いのち からがらその部屋 へや から逃 に げ出 だ して行 い く。
再 ふたた び市場 いちば の場面 ばめん 、行 い き交 か う人々 ひとびと 。オーケストラは巨大 きょだい なアコーディオンと化 か し、色 いろ とりどりの舞曲 ぶきょく を導 みちび き出 だ す。中 なか でも最 もっと も有名 ゆうめい なのは、ロシア民謡 みんよう 「ピーテル街道 かいどう に沿 そ って (Вдоль по Питерской )」に基 もと づく最初 さいしょ の舞曲 ぶきょく 、《乳母 うば たちの舞曲 ぶきょく 》である。そして熊 くま と熊 くま 使 づか い 、遊 あそ び人 にん の商人 しょうにん とジプシー娘 むすめ たち、馭者 ぎょしゃ と馬丁 ばてい たち、そして仮装 かそう した人々 ひとびと が交互 こうご に現 あら われる。
お祭 まつ り騒 さわ ぎが頂点 ちょうてん に達 たっ し(かなり時間 じかん が経 た ってから)、人形 にんぎょう 劇場 げきじょう から叫 さけ び声 ごえ が上 あ がる。突然 とつぜん ペトルーシュカが、刃物 はもの を手 て にしたムーア人 じん に追 お い立 た てられて、舞台 ぶたい を走 はし りぬける。ムーア人 じん がペトルーシュカに追 お いついて斬殺 ざんさつ すると、人 ひと だかりが凍 こお りつく(ここでムーア人 じん は、人 ひと の心 しん の苦 くる しみに無常 むじょう で冷淡 れいたん な世間 せけん の暗喩 あんゆ となる)。
市場 いちば の警官 けいかん は老 ろう 魔術 まじゅつ 師 し を尋問 じんもん し、ペトルーシュカの遺体 いたい のおがくずを振 ふ って取 と り出 だ し、ペトルーシュカがただのパペットであるとみんなを納得 なっとく させ、平静 へいせい を取 と り戻 もど してはどうかともちかける。
夜 よる の帳 とばり が降 お りて群集 ぐんしゅう も掻 か き消 き え、魔術 まじゅつ 師 し はぐにゃぐにゃしたペトルーシュカのむくろを担 かつ ぎながら去 さ ろうとすると、ペトルーシュカの死霊 しりょう が人形 にんぎょう 劇場 げきじょう の屋根 やね の上 うえ に現 あら われ、ペトルーシュカの雄叫 おたけ びは、いまや怒 いか りに満 み ちた抗議 こうぎ となる。ただ独 ひと り取 と り残 のこ された老 ろう 魔術 まじゅつ 師 し は、ペトルーシュカの亡霊 ぼうれい を目 ま の当 あ たりにして、恐 おそ れをなす。魔術 まじゅつ 師 し は慌 あわ てて逃 に げ出 だ し、わが身 み の不安 ふあん を感 かん じて怯 おび えた表情 ひょうじょう を浮 う かべる。場内 じょうない は静 しず まり返 かえ り、聴衆 ちょうしゅう に謎 なぞ を残 のこ したまま閉幕 へいまく となる。
『ペトルーシュカ』は民謡 みんよう その他 た からの引用 いんよう が非常 ひじょう に多 おお いことで知 し られる。タラスキンは15曲 きょく をあげている[ 13] 。その多 おお くはロシア民謡 みんよう だが、ほかにヨーゼフ・ランナー のワルツが2曲 きょく と、サラ・ベルナール の足 あし について歌 うた ったエミール・スペンサー (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) (1859年 ねん -1921年 ねん )の「彼女 かのじょ の足 あし は木製 もくせい 」(La jambe en bois)が含 ふく まれる。最後 さいご の曲 きょく は著作 ちょさく 権 けん が切 き れておらず(1971年 ねん まで有効 ゆうこう )、『ペトルーシュカ』の演奏 えんそう のたびに著作 ちょさく 料 りょう をスペンサー(及 およ び遺族 いぞく )に払 はら うはめになった[ 14] 。
ストラヴィンスキーによる4手 て ピアノ用 よう のピアノ・リダクション が存在 そんざい する。
1921年 ねん にアルトゥール・ルービンシュタイン の依頼 いらい により、ストラヴィンスキーは「ロシアの踊 おど り」を含 ふく むピアノ曲 きょく 《ペトルーシュカからの3楽章 がくしょう 》に編曲 へんきょく した。このピアノ編曲 へんきょく は極 きわ めて演奏 えんそう 困難 こんなん なことで知 し られ、非常 ひじょう に癖 くせ のあるテクニックを多用 たよう することで有名 ゆうめい 。コンクールでもしばしばとりあげられる。
1932年 ねん に「ロシアの踊 おど り」がヴァイオリンとピアノ用 よう に編曲 へんきょく された(サミュエル・ドゥシュキン と共同 きょうどう で編曲 へんきょく )。
^ 『自伝 じでん 』p.46
^ a b White (1979) p.194
^ White (1979) p.193
^ Taruskin (1996) pp.663,669
^ a b White (1979) p.195
^ Taruskin (1996) pp.672-679
^ Taruskin (1996) p.671
^ Taruskin (1996) pp.686-687
^ White (1979) p.201
^ 小牧 こまき 正英 まさひで 『バレエと私 わたし の戦後 せんご 史 し 』(1977年 ねん 、毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ )pp121-122
^ 西宮 にしのみや 安一郎 やすいちろう 編 へん 『モダンダンス江口 えぐち 隆哉 たかや と芸術 げいじゅつ 年代 ねんだい 史 し : 自 じ 1900年 ねん (明治 めいじ 33年 ねん )至 いたり 1978年 ねん (昭和 しょうわ 53年 ねん )』 (東京 とうきょう 新聞 しんぶん 出版 しゅっぱん 局 きょく , 1989.11) p420
^ White (1979) p.196
^ Taruskin (1996) pp.696-697
^ White (1979) p.200 注 ちゅう 6
Richard Taruskin (1996). Stravinsky and the Russian Traditions: A Biography of the works through Mavra . 1 . University of California Press. ISBN 0520070992
Eric Walter White (1979) [1966]. Stravinsky: The Composer and his Works (2nd ed.). University of California Press. ISBN 0520039858
イーゴル・ストラヴィンスキー 著 ちょ 、塚谷 つかたに 晃弘 あきひろ 訳 やく 『ストラヴィンスキー自伝 じでん 』全音楽譜出版社 ぜんおんがくふしゅっぱんしゃ 、1981年 ねん 。 NCID BN05266077 。
Petruška (イタリア語 ご ) - 『Magazzini Sonori』より《2009年 ねん 12月にボローニャ に於 お いて収録 しゅうろく された演奏 えんそう 音源 おんげん を掲載 けいさい 》