ポルトガルの国旗こっき

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ポルトガルの国旗こっき
ポルトガルの旗
用途ようとおよ属性ぞくせい 市民・政府陸上、市民・政府・軍隊海上?
縦横じゅうおう 2:3
制定せいてい 1911ねん6月30にち
使用しようしょく
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ポルトガル国旗こっき(ポルトガルのこっき)は旗竿はたざおがわ5ぶんの2にみどりはたがわ5ぶんの3にあかたてしょくたてなどくにあきら主要しゅよう部分ぶぶんはいしたはた

一説いっせつに、みどり希望きぼう誠実せいじつを、あか共和きょうわこく成立せいりつ革命かくめいあらわすとされる。また、みどり希望きぼう誠実せいじつさをあらわすとともに勇敢ゆうかんなるアヴィス騎士きしだん(ポルトガルアヴィスあさ建国けんこくかかわる)のシンボルカラーであり、あかだい航海こうかい時代じだいあたらしい発見はっけん未知みちなる大地だいち目指めざし、大洋たいようたたかったかがやけるポルトガルじん先人せんじんたちの犠牲ぎせいあらわしている、とするせつもある。

金色きんいろ黄色おうしょく)の球状きゅうじょう物体ぶったいは、だい航海こうかい時代じだい航海こうかい用具ようぐ天球儀てんきゅうぎである。ポルトガルの先人せんじんによる測量そくりょうじゅつ発展はってんと、それによる新規しんき航路こうろ発見はっけんあらわし、つまりはポルトガル海上かいじょう帝国ていこくかがやかしい歴史れきしあらわしている。「ポルトガル」という国名こくめい自体じたいが、初期しょきかれたまちポルトラテン語らてんご旧名きゅうめい「ポルトゥス・カレ(カレこう意味いみ:ローマ時代じだいさかのぼ都市とし)」から由来ゆらいする。ポルトガルとうみ航海こうかいは、はなせない関係かんけいといえる。

たてなかななつの黄色きいろしろはルコンキシュタ(レコンキスタ国土こくど回復かいふく運動うんどう)のわりにアフォンソ3せいベルベルじんムーアじん)からうばかえした城砦じょうさいを、いつつのあおたてオーリッケのたたか1139ねん)をめぐる初代しょだいポルトガルおうアフォンソ1せい伝説でんせつにあるてきにんおうを、あおたてなかにあるいつつのしろえんはキリストのいつつのせいあとあらわすとされている。

いつつのたてにまつわる伝説でんせつとは、オーリッケのたたかいの直前ちょくぜんにポルトゥカーレはくアフォンソ(初代しょだいポルトガルおうアフォンソ1せい)のまえ隠者いんじゃがあらわれ、ムーアじんたいする勝利しょうり約束やくそくしたという「奇跡きせき」である。このたたかいでアフォンソはムーアじんおうにんころして大勝たいしょうし、このたたかいを記念きねんしていつつのたておうしるしとしたとされる。

しかし、かつての国旗こっきではしろかずななつよりおおえがかれていたなど、いつつのたてななつのしろのいわれについては確実かくじつなものはない。おそらく15世紀せいきはじめまでに、ポルトガルの国民こくみん意識いしき高揚こうようにともない、ポルトガル国家こっかはじまりをかみによる神聖しんせいなる介入かいにゅうにおき、国家こっか使命しめい神聖しんせいなものとすべくつくられた伝説でんせつかんがえられている。

現行げんこう国旗こっきは、1910ねん王政おうせいはいされ、共和きょうわせい成立せいりつしたさい制定せいていされた。それまでの君主くんしゅせい時代じだい決別けつべつするため、しろあお基調きちょうにした歴代れきだいのポルトガルの国旗こっきとはまったことなる配色はいしょくとなった。

ポルトガル国旗こっき変遷へんせん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]