イタリアの国旗こっき

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イタリアの国旗こっき
用途ようとおよ属性ぞくせい 市民・政府・軍隊陸上、政府海上?
縦横じゅうおう 2:3
制定せいてい 1946ねん6月19にち
使用しようしょく
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イタリア国旗こっきは、みどりしろあかたてさんしょくはたである。イタリアさんしょくはた(Tricolore italiano)とも、たんさんしょくトリコローレ:Tricolore)ともばれる。このはた意匠いしょうフランスの国旗こっき(トリコロール)を起源きげんとし、19世紀せいきイタリア統一とういつ運動うんどうのシンボルとなった。一般いっぱんてき解釈かいしゃくでは、みどりは「国土こくど」、しろは「ゆき正義まさよし平和へいわ」、あかは「愛国あいこくしゃ熱血ねっけつ」をあらわす。またフランス国旗こっき由来ゆらいであるため、みどりは「自由じゆう」(フランス国旗こっきあおえたもの)、しろは「平等びょうどう」、あかは「友愛ゆうあい博愛はくあい)」をあらわすともいう。

現行げんこう国旗こっき[編集へんしゅう]

現在使われていない歴史的な旗?1946ねん-2003ねんまでの国旗こっきあかみどり色調しきちょう微妙びみょうことなる。

現在げんざいイタリア共和きょうわこく国旗こっきは、サヴォイアによる王政おうせい終了しゅうりょうによって1946ねん6がつ19にちから使用しようされ、イタリア共和きょうわこく憲法けんぽう制定せいていともなって1948ねん1がつ1にちから正式せいしき国旗こっきとなった。1947ねん12月22にち立憲りっけん議会ぎかい可決かけつされた共和きょうわこく憲法けんぽうだい12じょうには、以下いかのようにさだめられている。

共和きょうわこく国旗こっきはイタリアさんしょくはた、すなわち、みどりしろおよびあかおなはば垂直すいちょくみっつのおびはたである。

2002ねん9がつ18にちづけおよび2003ねん1がつ17にちづけ首相しゅしょう次官じかん通達つうたつで、国旗こっき使用しようされるみどりしろあか色調しきちょうについてパントンいろ番号ばんごうによる規格きかくがはじめておこなわれた[1]。すなわち、みどり(パントーン18-5642TC)、しろ(パントーン11-4201TC)、あか(パントーン18-1660TC)というものである。2004ねん6がつ2にちづけ首相しゅしょう次官じかん通達つうたつおよび2006ねん4がつ14にちづけ首相しゅしょうれいによって、みどりしろあか色調しきちょう現行げんこうのパントンしょく番号ばんごう改定かいていされた[1]

一般いっぱんてき採択さいたくされる縦横じゅうおう比率ひりつは2:3であるが、軍隊ぐんたいようはた正方形せいほうけい(1:1)である。

軍艦ぐんかん商船しょうせんはた[編集へんしゅう]

イタリア海軍かいぐん軍艦ぐんかんはたは、国旗こっき海軍かいぐん徽章きしょうはいしたものである。徽章きしょうたてよん分割ぶんかつされており、制海権せいかいけんにぎって繁栄はんえいした4つの海洋かいよう共和きょうわこくヴェネツィアうえひだり獅子しし)、ジェノヴァうえみぎ)、アマルフィしもひだり)、ピサしもみぎ)をそれぞれ象徴しょうちょうしている。城壁じょうへきかんむりen:Mural crown)は、イタリア海軍かいぐん起源きげんマ帝国まていこくむすびつけるために、カヴァニャーリ提督ていとくによって1939ねんくわえられた。

イタリア共和きょうわこく商船しょうせん市民しみんよう海上かいじょう軍艦ぐんかん類似るいじした意匠いしょうである。軍艦ぐんかんとの相違そういは、城壁じょうへきかんむりてん、ヴェネツィアの紋章もんしょう獅子ししけんわりに PAX TIBI MARCE EVANGELISTA MEVS (福音ふくいん記者きしゃマルコよ、なんじ平和へいわを)と銘打めいうたれた書物しょもつっているてんである。

変遷へんせん[編集へんしゅう]

ナポレオン時代じだい[編集へんしゅう]

レッジョ・エミリアにあるコムナーレ宮殿きゅうでんの「トリコローレのあいだ」。さんしょくのイタリア国旗こっきはじめて採用さいようされた場所ばしょである。

みどりしろあかさんしょく(トリコローレ)が最初さいしょ公的こうてき使用しようされたのは、ナポレオン影響えいきょう北部ほくぶイタリアに建国けんこくされた姉妹しまい共和きょうわこくひとつ・チスパダーナ共和きょうわこくであった。1797ねん1がつ7にちレッジョ・エミリア開催かいさいされたチスパダーナ共和きょうわこく議会ぎかいにおいて、ジュゼッペ・コンパニョーニ(Giuseppe Compagnoni)がみどりしろあかさんしょくはたもちいることを提案ていあんし、これが採択さいたくされた。これらのいろはおそらくあかしろミラノはたいろに、みどり民兵みんぺい制服せいふくいろ由来ゆらいしている。はた正方形せいほうけいよこさんしょくはたで、しろよこたい中心ちゅうしんに、月桂樹げっけいじゅかざられた武器ぶきなどからなる紋章もんしょう配置はいちされた。紋章もんしょうえがかれた4ほんは、共和きょうわこくつくった4つの地方ちほうあらわした。

チスパダーナ共和きょうわこく翌年よくねん、ミラノのトランスパダーナ共和きょうわこくかれらもあかしろみどりたてさんしょくはたもちいた)と連合れんごうし、チサルピナ共和きょうわこく建国けんこくされた。チサルピナ共和きょうわこく国旗こっきとして1798ねん記章きしょうのない正方形せいほうけいのトリコローレが制定せいていされ、1802ねんまでもちいられた。また、1799ねん独立どくりつしたルッカ共和きょうわこくit:Repubblica di Lucca)ではフランスさんしょくはたならみどり一番いちばんじょうはいしたよこさんしょくはた制定せいていし、1801ねんまでもちいた。

1802ねん、ナポレオンを大統領だいとうりょう推戴すいたいしてイタリア共和きょうわこく建国けんこくされると、トリコローレを構成こうせいするみどりしろあかもちいたあたらしいはた採択さいたくされた。この国旗こっきは、赤地あかじしろ菱形ひしがたき、その中央ちゅうおうみどり正方形せいほうけいはいしたものであった。ナポレオンがフランス皇帝こうてい即位そくいすると、イタリア共和きょうわこくイタリア王国おうこくとなり、共和きょうわこく時代じだいはた中央ちゅうおうかねわしはいされた。このはたは、1814ねんのナポレオン退位たいいまでもちいられた。

イタリア統一とういつ運動うんどう[編集へんしゅう]

1848ねん革命かくめいから、イタリア王国おうこく建国けんこくされる1861ねんにかけてのイタリア統一とういつ運動うんどう(リソルジメント)のなかで、トリコローレは自由じゆう独立どくりつもとめる運動うんどうのシンボルとなった。サヴォイア紋章もんしょうけたさんしょくはたは、サルデーニャ・ピエモンテ王国おうこくぐんはたとして1848ねん登場とうじょうした。サルデーニャ国王こくおうカルロ・アルベルトは、ロンバルド・ヴェネツィアの人々ひとびとに、つぎのように布告ふこくしている。「イタリア統一とういつ意思いし外部がいぶたいしてよりあきらかにするために、われわれはわれわれの部隊ぶたいもとめる。……イタリアさんしょくはた中央ちゅうおうにサヴォイア紋章もんしょうかかげた部隊ぶたいを」[2]

トスカーナ大公たいこうこくは、1848ねん立憲りっけん革命かくめいによりハプスブルク=ロートリンゲンだい紋章もんしょうのついたオーストリアのはたはいし、同家どうけ単純たんじゅんした紋章もんしょうをとりつけたトリコローレをかかげることになった。しかしながら、イタリア統一とういつ敵対てきたいするオーストリアのあかしろあかはた意匠いしょう同家どうけ紋章もんしょうにはふくまれているのは注目ちゅうもくあたいする。1859ねん大公たいこうこく公的こうてき存続そんぞく否決ひけつされて、モデナ・パルマのりょう公国こうこくとともに、紋章もんしょういトリコローレをかかげる中央ちゅうおう統合とうごうしょしゅうProvince Unite del Centro Italia)に吸収きゅうしゅうされ、1861ねんのイタリア王国おうこく建国けんこくとともにその一部いちぶとなる。

りょうシチリア王国おうこくはたは、王国おうこく紋章もんしょう白地しろじはいしたものだが、1848ねん革命かくめいなみなか立憲りっけん君主くんしゅせいみとめた国王こくおうフェルディナンド2せいは、これにみどりあか縁取へりとりをくわえたはたさだめ、1848ねん4がつ3にちから1849ねん5がつ19にちまで使つかわれた。1848ねん1がつ12にちから1849ねん5がつ15にちまで存続そんぞくしたシチリア暫定ざんてい政府せいふは、トリコローレにシチリアの象徴しょうちょうである三脚さんきゃくともえトリナクリア)をはいしたはたもちいた。

1848ねんロンバルド=ヴェネト王国おうこくではオーストリアにたいする叛乱はんらん発生はっせいし、ミラノの5日間にちかんののちロンバルディア臨時りんじ政府せいふヴェネト共和きょうわこく(サンマルコ共和きょうわこく)が成立せいりつした。かれらが採択さいたくしたはたもイタリアの独立どくりつ統一とういつ関連付かんれんづけられたものであり、ロンバルディア臨時りんじ政府せいふ紋章もんしょうのトリコローレ、ヴェネト共和きょうわこくはトリコローレのカントンにサンマルコのゆうつばさ獅子じしヴェネツィア共和きょうわこくはた由来ゆらい)をけたものであった。

1849ねんローマ共和きょうわこくは、ヴェネツィアからおくられてきたトリコローレを採用さいようし、赤字あかじで DIO E POPOLO (かみ民衆みんしゅう)の文字もじくわえた。このくには、教皇きょうこう国家こっか機能きのう停止ていししていた4ヶ月かげつあいだ存続そんぞくした。

1860ねん6がつ21にちりょうシチリア王国おうこくはたはトリコローレの中央ちゅうおうにブルボン紋章もんしょうはいしたものにあらためられた。このはたは、りょうシチリア王国おうこくガリバルディせんにんたい敗北はいぼくし、イタリア王国おうこくまれる1861ねん3がつ17にちまで使用しようされた。

イタリア王国おうこく(1861-1946ねん[編集へんしゅう]

1861ねん4がつ15にち、サルデーニャ王国おうこく国旗こっきは、あらたに建国けんこくされたイタリア王国おうこく国旗こっきとなった。トリコローレの中央ちゅうおうにサヴォイア紋章もんしょうけたこのはたは、1946ねん6がつ王政おうせいはいされるまでの85年間ねんかん、イタリアの国旗こっきであった。

イタリア社会しゃかい共和きょうわこく(1943-1945ねん[編集へんしゅう]

1943ねんから45ねんにかけてきたイタリアに所在しょざいした、ベニート・ムッソリーニイタリア社会しゃかい共和きょうわこく(サロ共和きょうわこくナチス・ドイツ傀儡かいらい政権せいけん)の国旗こっきは、紋章もんしょうのトリコローレ(現在げんざいのイタリア共和きょうわこくはたおなじ)であった。ただし、この国旗こっき実際じっさいにはほとんど使つかわれず、ファスケス(ファッシ、たば桿。ファシストとうのシンボル)をつかぎんわしをあしらった軍隊ぐんたいようはたがプロパガンダのなか一般いっぱんてきもちいられた。

1945ねん4がつ25にち、イタリア社会しゃかい共和きょうわこく崩壊ほうかいし、1ねんはんみじか国家こっか生命せいめいえた。

そのはたあきら[編集へんしゅう]

民族みんぞくはた[編集へんしゅう]

共和きょうわこく大統領だいとうりょうはた[編集へんしゅう]

イタリア共和きょうわこく大統領だいとうりょうには、公式こうしきはたがある。現行げんこう大統領だいとうりょうは、青地あおじうえナポレオンのイタリア共和きょうわこくはたうえ掲)をき、金色きんいろくにあきらはいした正方形せいほうけいはたである。

イタリア王国おうこく時代じだいには国王こくおう存在そんざいしたが、共和きょうわこく建国けんこくによって大統領だいとうりょう国家こっか元首げんしゅとなり、国家こっか元首げんしゅはたとしてはイタリア国旗こっきがそのままもちいられていた。1965ねん国防省こくぼうしょう主導しゅどうにより、国家こっか元首げんしゅようことなるはた制定せいていする企画きかくすすめられた。トリコローレにくにしょうはいするという提案ていあんもあったが、メキシコ大統領だいとうりょう(メキシコ国旗こっきおなじデザイン)とまぎらわしいという理由りゆう却下きゃっかされている。大統領だいとうりょうは、カラビニエリ国家こっか憲兵けんぺいたい)にぞくするコラッツィエリ大統領だいとうりょう儀仗ぎじょう部隊ぶたい司令しれいかん管理かんりしている。

イタリア共和きょうわこく憲法けんぽうふく大統領だいとうりょうかんする規定きていはないが、憲法けんぽう86じょう規定きていによって大統領だいとうりょう職務しょくむ代行だいこうする上院じょういん議長ぎちょう臨時りんじ元首げんしゅ)のはたが1986ねん制定せいていされている。このはたは、青地あおじしろ四角形しかっけいき、銀色ぎんいろくにしょうはいした正方形せいほうけいはたである。

2001ねんにはぜん大統領だいとうりょうはた制定せいていされている。大統領だいとうりょうじゅんじた意匠いしょうで、大統領だいとうりょう経験けいけんしゃたいする儀礼ぎれいしめ装飾そうしょくほどこされている。

空軍くうぐん国籍こくせきマーク[編集へんしゅう]

イタリア空軍くうぐん国籍こくせきマークとして、1914ねん以来いらいトリコローレのいろ同心円どうしんえんじょうはいしたラウンデルもちいている。ただし、1923ねんから43ねんにかけてはたばえんかこんだものになった。トリコローレにちなむフレッチェ・トリコローリは、世界せかい有数ゆうすう曲芸きょくげい飛行ひこうチームとしてられる。

類似るいじ意匠いしょう[編集へんしゅう]

イタリアとメキシコの国旗こっきちが

イタリアの国旗こっき類似るいじした意匠いしょう国旗こっきとして、メキシコの国旗こっきがある。一見いっけんくにしょう有無うむことなるだけとなされがちであるが、実際じっさいには、イタリアの国旗こっき使つかわれるみどりあかはメキシコの国旗こっきよりもあわ色彩しきさい指定していされており、また縦横じゅうおうことなっている。イタリアの国旗こっき縦横じゅうおうが2:3であるのにたいし、メキシコの国旗こっきは4:7であり、メキシコのほうがより細長ほそながい。

イタリアの国旗こっきはフランスのさんしょくはた起源きげんにしているため、おなじくフランスをしたとかんがえられるいくつかのくに国旗こっき類似るいじしている。アイルランドの国旗こっきみどりしろだいだい)も類似るいじ国旗こっきであるが、縦横じゅうおうことなっている(1:2)。なお、コートジボワールの国旗こっきだいだいしろみどり)はアイルランドの国旗こっき逆順ぎゃくじゅんたてさんしょくはたであるが、イタリアの国旗こっき縦横じゅうおう(2:3)がおなじである。また、みどりしろあかおな構成こうせいしょくさんしょくはたにはハンガリーの国旗こっきがある。あか一番いちばんじょうよこさんしょくはたであり、これも縦横じゅうおうことなる(1:2)。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b Dopo 206 anni codificati i toni del nostro simbolo nazionale”. 2016ねん6がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ "Per viemmeglio dimostrare con segni esteriori il sentimento dell'unione italiana vogliamo che le Nostre truppe ... portino lo scudo di Savoia sovrapposto alla bandiera tricolore italiana." See D. H. Lawrence|Lawrence, D.H.(ed. Philip Crumpton) Movements in European History (p. 230) Cambridge University Press, 1989 for an overview

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]