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ポール牧(ポールまき、1941年〈昭和16年〉8月2日[1] - 2005年〈平成17年〉4月22日)は、日本のコメディアン、タレント、俳優、元僧侶。北海道天塩郡天塩町出身[1]。実家は曹洞宗寺院。北海道天塩高等学校卒業。血液型はAB型[1]。
本名は榛澤一道(はんざわ かずみち)。僧名は熈林一道(きりん いちどう)。
関武志とともにコント・ラッキー7を結成し、人気を博した。リズム良く指を鳴らす「指パッチン」で知られた。
- 父親は米沢藩上杉家の菩提寺を継ぐ99代目の住職だったが、60歳を過ぎて布教のため北海道に渡り、曹洞宗「道開寺」を創建。北海道に渡る船で母親と出会い結婚した。年が40歳も離れていて、ポールは父が66歳の時に生まれた子供であるという[2]。
- 秋田の禅寺で修行したが先輩僧にひどくいじめられた。門前で駄菓子屋を営む老人にいじめられていることを打ち明けていたが、ある日老人に「君をここから逃がしてあげる」と言われ、老人の手を借りて寺から脱走した。
- 高校の同級生にラッシャー木村がいた。
- 「牧」は牧伸二と同様に漫談家・牧野周一一門である事を表す。ただし、2年ほど師事した後に牧野に最初にもらった芸名「牧沢一彦」(まきざわ かずひこ)が気に入らず、自分で勝手に「ポール牧沢」と名付けて牧野に報告しに行った時にその場で破門をい渡されている[3]。その後、別の師匠に弟子入りすると今度は要領よくやり叱られることはなかったが、逆に師匠から「お前は要領が良すぎて、俺が怒る隙を与えない!」と指摘された。
- 榎本健一に弟子入りした時期、「コメディアンは自分の体をいじめて客を笑わせるんだ」という言葉に感激し、トーク番組などでよく語っていた。
- 好角家で知られ、角界にも友人が多い。テレビ朝日の「慈善大相撲」にコント・ラッキー7として相撲コントを披露したり、TBSラジオの「まったなし!大相撲」のゲストとして出演しており司会者から「ポール牧親方」と呼ばれていた。
- 春日野部屋に居候していた経験があり、部屋に潜り込み、力士達を得意の話芸で楽しませていたところ、夜中まで笑い声がすることを不審に思った春日野親方(元横綱・栃錦)に目撃されたが、彼を中心に楽しく笑う力士達の姿を見て、「部屋が明るくなるなら」と居候を黙認。ちゃんこ鍋の作り方を教わって手伝ったり、大露羅の名付け親になるなど良好な関係だった[3]。
- 1991年にレジー・ベネットが出演するピップフジモト(現:ピップ)の栄養ドリンク「ダダン」のCMの振付を担当した[4]。
- 1995年3月、明和電機に初めて対面した際、モノを使っての芸を厳しく批判した。しかしこの日、明和電機の作品である「パチモク」を背負って指パッチン演奏をし、パチモクに直筆のサインと判を残した。
- 1996年12月、テレビの取材で沖縄県島尻郡粟国村を訪れたのをきっかけに、1997年2月26日に同村初の「観光大使」に任命された。また、同村の地域振興券のデザインとしても採用された。
- 2000年に女性へのセクハラで告発された。「僕にはパワーがあるから、彼女に与えようとした」などと釈明したため、講演活動を中心とした仕事が激減し、加えて、司友山一道寺の運営も行き詰まっていったといわれる。
- 「ホラ吹きポール」の異名を持つほど、ホラ話に事欠かない。「ビートたけしと一緒に銀座をハシゴした」と言ったが、実は飲み屋で一杯ほどごちそうされただけだったり、自身の浅草での舞台に長蛇の列ができても、「ホームレスがたくさん酔っぱらって死んでいた」と言うほどであった[3]。
- 根は真面目であり、大川豊ら当時の若手からも尊敬されていた。また、週刊誌のコラムを執筆し、当時の不祥事相次ぐ警察に苦言を呈するなど、文化人としての面もあり、各地で講演活動を行なっていた。
- 佐川急便の社員研修において使用する教育用ビデオで、初めは荷物を出してくれないが最後には取引をさせてくれる会社の社長役を演じている。
- K-1ファイターであるルスラン・カラエフなどの格闘家をマルプロジムへ連れてきていた。
- 「ドーランの 下に涙の 喜劇人」は、彼が色紙にサインとともによく綴っていた句である。
- 指パッチンをし過ぎて骨折した事がある。
- 『笑わせ者たちの伝説』現代書林、1987年2月20日。
- 生きるための言葉(河出書房新社)
- 指パッチン人生論(世界文化社)
- 今日ただ今の命―さて、どう生きる!(佼成出版社)
- 指パッチン流 色即是空(ぴいぷる社)
- 詩集・逆鱗
ほか多数
- 裏切りの明日(東映ビデオ、1990年)
- けっこう仮面(ジャパンホームビデオ、1991年)
- 電影少女 -VIDEO GIRL AI- (東宝、1991年)
- Mr.ゴーストによろしく(マイルストーン、1991年)
- リバーシブル・恐怖篇(バップ、1991年)
- リバーシブル・爆発編 うぴょーツ!やっぱり男に戻りたい(バップ、1992年)
- ダ・ダーン(徳間ジャパン、1992年)
- 復讐(タキコーポレーション、1992年)
- 宇宙から来た美少女アミ&レイミ SOLDIER COP(アント・パスタ、1992年)
- 極楽競馬 のるかそるかの大逆転!(パック・イン・ビデオ、1992年)
- 中指姫 俺たちゃどうなる?(ポニーキャニオン、1993年)
- ダンガン教師(東映ビデオ、1995年)
- Zero WOMAN 警視庁0課の女(ワニブックス、1995年)
- ガスコップ(シネマパラダイス、1995年)
- 82分署(ワニブックス、1995年)
- 花暦 市川恋太郎一座 大分佐伯 翔べないカモメ編(花暦制作実行委員会=カムテック、1997年)
- 青春へのメッセージ(1991年11月21日)
- お気楽で行こう(1994年7月6日、ポール牧with松本コンチータ)
- 幸せパッチン・指パッチン(1995年6月21日)
- 陣内孝則 - 『ゴールデンボーイズ 1960笑売人ブルース』(1993年8月24日、日本テレビ系)
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