ギャングレルやリキシなどといった往年の名レスラーたちが運営するノックス・プロレスリングアカデミー(Knokx Pro Wrestling Academy)にてプロレスのトレーニングを開始し、2008年11月22日、NWPW(New Wave Pro Wrestling)にてミロスラフ・マカロフ(Miroslav Makarov)のリングネームでデビュー。エアリアル・スターを相手にデビュー戦を勝利で飾った。
2010年にはリングネームをバッシング・ブルガリアン(The Bashing Bulgarian)に変更し、1月24日にVPW(Vendetta Pro Wrestling)にて師匠であるギャングレルとシングルマッチを行うが敗れた[2]。
2013年1月3日、ハウスショーにてキャサディとタッグを組んで久々に試合に出場。8月21日にはNXTテレビショーに登場。ドルフ・ジグラーを相手に対戦し、敗戦するも迫力のある試合展開を繰り広げた。同月28日にはスコット・ドーソン vs エンツォ・アモーレの試合においてアモーレのセコンドであったコリン・キャサディを襲撃し、勝利に一役買った。これをきっかけにドーソンとシルベスター・ルフォーと関わるようになり、9月4日にはテストマッチと題し、メイソン・ライアンと勝負をするが、ルフォーとドーソンの介入の後キャメルクラッチを決めて勝利し、正式にドーソンとタッグチーム、ファイティング・リージョナーズ(The Fighting Legionnaires)を結成。アモーレ & キャサディとの抗争では個人の実力的には圧倒していたがタッグ戦だったこともあり良い戦績は上げられなかった。10月よりディーヴァのラナ(英語版)が試合中に現れるようになり、同月30日にルフォーとタッグを組んでアモーレ & キャサディと対戦した際にルフォーを襲撃して反旗を翻した。これを機にファイティング・リージョナーズから脱退し、ラナについてゆくようになる。11月6日には金で仲を取り戻そうとしたルフォーを瞬殺し、ラナをマネージャーに従えてシングルに転向。
2014年1月26日、Royal Rumble 2014のロイヤルランブルマッチにて6番目に登場。怪物的な力を見せるもキングストン、CMパンク、コーディ・ローデス、セス・ロリンズの4人から脱落されてしまった。以降、ルセフとラナによるプロモーションやマイクアピールを繰り返し、4月7日のRAWにて、ザック・ライダーと対戦して圧勝し、正式にWWE昇格を果たした。同月14日、NXTで抗争していたウッズと対戦して圧勝するも、さらに攻撃をつづけたことでウッズの相棒であるRトゥルースにより因縁をつけられて抗争を開始。5月4日、PPVであるExtreme Rules 2014にてウッズ & トゥルースを相手にハンディキャップマッチを行うが試合直前に2人を襲い、ウッズを行動不能にしたうえトゥルースにもダメージを与えた状態で試合を始め、勝利した。5月より、リングネームをルセフ(Rusev)へとマイナーチェンジし、ロシアの愛国者で国籍もロシアへと移してアメリカを批判するギミックへと変更。アメリカ出身のレスラー達を相手に連勝した。しかし、ビッグ・Eとの抗争へと入ると苦戦を強いられたものの、6月29日、Money in the Bank 2014での直接対決にてスーパーキックからのアコレードで勝利した。ビッグ・Eとの抗争後、ロシア国家から勲章を与えられるスキットが行われ、勢いを拡大。7月14日、RAWにてリング上にてマイクアピールしていたところをリアルアメリカンを自称するジャック・スワガーとゼブ・コルターから標的とされるようになり、アメリカ対ロシアの抗争へと発展。7月20日、PPVであるBattleground 2014にてスワガーと対戦し、関節技に苦しめられながらもスワガーを鉄階段に激突させ、カウントアウトで勝利。続くサマースラムでのフラッグマッチ(勝者は自国の旗をリング上に掲げて勝利を喜ぶ権利がある試合)にて、アコレードで締め落として勝利を得た。スワガー以降もアメリカの威信をかけて戦うマーク・ヘンリーやビッグ・ショーと続けて抗争し勝利を重ねた。11月3日、RAW終了後にWWEネットワーク内で行われたWWE Network SpecialにてUS王座を保持するシェイマスに挑戦して勝利し、プロレスラーとしてのキャリアにおいて初となるベルトを獲得した。