マグナムTA

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マグナムTA
マグナムTAの画像
1984ねん
プロフィール
リングネーム マグナムTA
テリー・アレン
本名ほんみょう テリー・ウェイン・アレン
ニックネーム 炸裂さくれつだん[1]
アメリカン・ハート・スロブ[2]
身長しんちょう 186cm[1]
体重たいじゅう 109kg[2] - 114kg[1]
誕生たんじょう (1959-06-11) 1959ねん6月11にち(64さい[3]
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
バージニア州の旗 バージニアしゅう
チェサピーク[4]
スポーツれき レスリング[5]
デビュー 1980ねん[1][2]
引退いんたい 1986ねん[2]
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マグナムTAMagnum T.A.)のリングネームられるテリー・アレンTerry Wayne Allen1959ねん6月11にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくもとプロレスラー[3]バージニアしゅうチェサピーク出身しゅっしん[4]

1980年代ねんだい中盤ちゅうばんNWAミッドアトランティック地区ちくにおいて、"American Heart Throb" のニックネームをベビーフェイスとして活躍かつやく[3]次期じきNWA世界せかいヘビーきゅう王者おうじゃ有力ゆうりょく候補こうほといわれ[1]当時とうじWWFとの興行こうぎょう戦争せんそうひろげていたNWAふだとされていたが、1986ねん10月に交通こうつう事故じこ見舞みまわれ、キャリア途中とちゅうでの引退いんたい余儀よぎなくされた[5]

来歴らいれき[編集へんしゅう]

バージニアしゅうノーフォークのオールド・ドミニオン大学だいがくにてレスリング選手せんしゅとして活動かつどう[5]1980ねんにデビュー(プロ転向てんこうにあたっては、ルー・テーズからスカウトがあったともされる)[1]本名ほんみょうテリー・アレン名義めいぎ太平洋たいへいようがん北西ほくせいのパシフィック・ノースウエスト・レスリングやテキサスしゅうサンアントニオのサウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリングなどをジョブ・ボーイとして転戦てんせんし、ジン・キニスキースタン・スタージャックなどのもと世界せかい王者おうじゃとも対戦たいせんしてキャリアをんだ[6]

1982ねんより、エディ・グラハム主宰しゅさいしていたフロリダCWF参戦さんせん前座ぜんざ試合しあいやTVテーピング番組ばんぐみジョバーて、スコット・マギータッグチームみ、1983ねん1がつ18にちドン・ケント&ジョニー・ヘファーナンファビュラス・カンガルーズからNWAグローバル・タッグ王座おうざ奪取だっしゅする[7]以降いこうもミッドナイト・ライダーことダスティ・ローデスブラッド・アームストロングをパートナーに、カンガルーズやボビー・ダンカン&アンジェロ・モスカなどのチームとどうタッグ王座おうざあらそった[7]。なお、フロリダでは海外かいがい修行しゅぎょう時代じだいだい仁田にったあつしふち正信まさのぶ谷津たにつ嘉章よしあきとも対戦たいせんしている[8][9]

そのビル・ワット主宰しゅさいしていたミッドサウス地区ちくMSWA進出しんしゅつして、当時とうじCBS放送ほうそうされていたテレビドラマ『マグナムPI』(Magnum, P.I.主演しゅえんトム・セレック風貌ふうぼうていたことから、テリー・アレンのイニシャルをかんしたマグナムTAリングネーム変更へんこう。このネーミングは、アンドレ・ザ・ジャイアントによるものだという[3]以降いこう、1983ねん7がつ13にちジム・ドゥガンんでテッド・デビアス&ミスター・オリンピアからミッドサウス・タッグ王座おうざ奪取だっしゅ[10]。シングルでは同年どうねん10がつ12にちブッチ・リードよく1984ねん5月13にちミスター・レスリング2ごうをそれぞれやぶり、MSWAのフラッグシップ・タイトルだった北米ほくべいヘビーきゅう王座おうざを2かい獲得かくとく[11]。テキサスしゅうダラスWCCWのリングにもがり、ミッシング・リンクアーニー・ラッドキラー・カーンらと対戦たいせんした[12]

1984ねんまつジム・クロケット・プロモーションズ契約けいやくして、ジム・クロケット・ジュニア主宰しゅさいのNWAミッドアトランティック地区ちく(MACW)に参戦さんせん。フロリダ時代じだいからかれ才能さいのうをかけていたダスティ・ローデスのプッシュをけ、カリーム・モハメッドスーパー・デストロイヤーロン・バスブラック・バートなどのヒールいきおい相手あいて勝利しょうりかさね、ハーリー・レイスからも反則はんそくちをおさめた[13]1985ねん3月23にちには、当時とうじヒールのポジションにいたワフー・マクダニエルスチール・ケージ・マッチやぶり、USヘビーきゅう王座おうざ獲得かくとく[14]。その、7がつ21にちタリー・ブランチャードやぶれて王座おうざうしなうも、11月28にち開催かいさいの『スターケード』でのブランチャードとのアイ・クイット・マッチせいし、タイトル奪還だっかん成功せいこうした[15]

1986ねん

よく1986ねんもMACWのスター選手せんしゅとして活躍かつやくし、リック・フレアー保持ほじしていたNWA世界せかいヘビーきゅう王座おうざにも再三さいさん挑戦ちょうせん[16]。4月19にち開催かいさいされたタッグチーム・トーナメント "Crockett Cup" にはロニー・ガービンんで出場しゅつじょうバズ・ソイヤー&リック・スタイナー、アメリカ遠征えんせいちゅうだったジャイアント馬場ばば&タイガーマスクなどのチームをやぶってすすみ、決勝けっしょうロード・ウォリアーズ敗退はいたいするもじゅん優勝ゆうしょう戦績せんせきのこした[17]同年どうねんはMACWのトップ・ヒールだったニキタ・コロフこうそうひろげ、US王座おうざめぐ両者りょうしゃの7ばん勝負しょうぶはMACWのドルばこカードとなったが、1986ねん10がつ14にちジム・ガービンとの試合しあいえての会場かいじょうからの帰路きろ雨天うてんでのポルシェ運転うんてんちゅうにスリップ事故じここし、椎骨ついこつ損傷そんしょう重傷じゅうしょういレスラー生命せいめいたれた[5]

一時いちじさい歩行ほこう不可能ふかのうとされたが、1987ねんにMACWのコメンテーターやインタビュアーとして松葉杖まつばづえをつきながら現場げんば復帰ふっきたし、ベビーフェイスに転向てんこうしたきゅうてきニキタ・コロフとダスティ・ローデスのタッグチーム、スーパーパワーズのマネージャー担当たんとうした[3][5]1988ねん11月のテッド・ターナーのMACW買収ばいしゅうも、1990年代ねんだい初頭しょとうまでブッカーとしてWCW在籍ざいせきしていた[5]

1995ねん5がつ20日はつかにはジム・コルネット主宰しゅさいしていたスモーキー・マウンテン・レスリングのイベント "Carolina Memories" に、ミスター・レスリングエイブ・ジェイコブズネルソン・ロイヤルジョニー・ウィーバースウェード・ハンセンらとともに、ミッドアトランティックのレジェンドとして登場とうじょうした[18]。そのはプロレス業界ぎょうかいからはなれていたが、2005ねんにミッドアトランティック・エリアのインディー団体だんたい姿すがたせ、11月19にちおこなわれたリユニオン・イベント "Tribute to Starrcade" では、ダスティ・ローデスたいタリー・ブランチャードのレジェンド・マッチにおいてローデスのセコンドやくつとめた[3]2007ねん6月24にち開催かいさいされたWWEPPVWWEヴェンジェンス "ナイト・オブ・チャンピオンズ"』では、MVPたいリック・フレアーのUS王座おうざせん試合しあいまえもとチャンピオンとして観客かんきゃく紹介しょうかいされた[19][20]

得意とくいわざ[編集へんしゅう]

獲得かくとくタイトル[編集へんしゅう]

チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
ミッドサウス・レスリング・アソシエーション
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f 『THE WRESTLER BEST 1000』P248(1996ねん日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ
  2. ^ a b c d Magnum TA”. Cagematch.net. 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f Magnum TA”. Online World of Wrestling. 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  4. ^ a b Magnum TA”. Wrestlingdata.com. 2019ねん9がつ12にち閲覧えつらん
  5. ^ a b c d e f The sad ending of Magnum T.A.'s career”. Slam Wrestling (2001ねん10がつ12にち). 2020ねん10がつ30にち閲覧えつらん
  6. ^ The CW USA matches fought by Magnum TA in 1981”. Wrestlingdata.com. 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  7. ^ a b c NWA Global Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  8. ^ The CWF matches fought by Magnum TA in 1982”. Wrestlingdata.com. 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  9. ^ The CWF matches fought by Magnum TA in 1983”. Wrestlingdata.com. 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  10. ^ a b Mid-South Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  11. ^ a b Mid-South North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  12. ^ The WCCW matches fought by Magnum TA in 1984”. Wrestlingdata.com. 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  13. ^ The WCW matches fought by Magnum TA in 1985”. Wrestlingdata.com. 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  14. ^ a b NWA United States Heavyweight Title [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  15. ^ NWA Starrcade 1985”. Cagematch.net. 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  16. ^ The WCW matches fought by Magnum TA in 1986”. Wrestlingdata.com. 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  17. ^ NWA Jim Crockett Sr. Memorial Cup 1986”. Cagematch.net. 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  18. ^ Regional Territories: SMW”. Kayfabe Memories. 2023ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん
  19. ^ WWE PPV Wrestling Results”. Online World of Wrestling. 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  20. ^ Legends smile with a vengeance as they pass the torch”. WWE.com (2007ねん6がつ25にち). 2015ねん10がつ19にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]