ちゅう邑真輔

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ちゅう
Shinsuke Nakamura
中邑 真輔 Shinsuke Nakamuraの画像
プロフィール
リングネーム ちゅう
キングちゅう
SHINSUKE NAKAMURA
本名ほんみょう ちゅう
ニックネーム ジ・アーティスト
キング・オブ・ストロングスタイル
えらばれし救世主きゅうせいしゅ
えらばれしかみ
狂気きょうきのインテリジェンス
反逆はんぎゃくのボマイェ
解放かいほうされた求道きゅうどうしゃ
よくふか求道きゅうどうしゃ
ロックスター
身長しんちょう 188cm
体重たいじゅう 104kg
誕生たんじょう (1980-02-24) 1980ねん2がつ24にち(44さい[1]
出身しゅっしん 京都きょうと中郡なかぐん峰山みねやままち
所属しょぞく WWE
スポーツれき 総合そうごう格闘技かくとうぎ
レスリング
空手からて
バスケットボール
トレーナー 山本やまもとしょうてつ
木戸きどおさむ
永田ながた裕志ひろし
デビュー 2002ねん8がつ29にち
テンプレートを表示ひょうじ
獲得かくとくメダル
男子だんし レスリング
全日本ぜんにほん学生がくせいレスリング選手権せんしゅけん大会たいかい
どう 2001 フリー97kgきゅう
全国ぜんこく高校生こうこうせいグレコローマンスタイルレスリング選手権せんしゅけん大会たいかい
ぎん 1997 81kgきゅう
全国ぜんこく高等こうとう学校がっこう総合そうごう体育たいいく大会たいかい
どう 1997 フリー115kgきゅう

ちゅう(なかむら しんすけ、1980ねん2がつ24にち - )は、日本にっぽん男性だんせいプロレスラー京都きょうと峰山みねやままちげんきょう丹後たんご出身しゅっしん京都きょうと府立ふりつ峰山高等学校みねやまこうとうがっこう青山学院大学あおやまがくいんだいがく経営けいえい学部がくぶ卒業そつぎょう[1][2]血液けつえきがたAがたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくフロリダしゅうオーランド在住ざいじゅう

来歴らいれき[編集へんしゅう]

学生がくせい時代じだい[編集へんしゅう]

小学生しょうがくせいころ空手からて教室きょうしつはいったが、それは長続ながつづきせずすぐにめている[2]中学生ちゅうがくせいになるとバスケットボールはじめ、ブロック大会たいかいでチームを優勝ゆうしょうみちび主要しゅようメンバーだったこともある[2]中学ちゅうがく卒業そつぎょうにプロレスりを希望きぼうしたが、母親ははおやに「高校こうこうってからでもおそくはないじゃない」とさとされ、高校こうこう進学しんがく[2]部活ぶかつでレスリングをはじめた。卒業そつぎょうにもふたたびプロレスりを希望きぼうするが、母親ははおやに「大学だいがくってからでもおそくはないじゃない」とさとされ、青山学院大あおやまがくいんだいからのスカウトもあり進学しんがくした[2]

大学だいがくではレスリング美術びじゅつ在籍ざいせきし、レスリングでは主将しゅしょうつとめた。並行へいこうして総合そうごう格闘技かくとうぎ道場どうじょうであるじゅつとしふねかいRJWでも1期生きせいとして練習れんしゅうおこなっていた[3][4]画家がかとしても展覧てんらんかい出展しゅってんしている。

しん日本にっぽんプロレス[編集へんしゅう]

2002ねん[編集へんしゅう]

2002ねんしん日本にっぽんプロレス入門にゅうもん同期どうき山本やまもと尚史ひさし田口たぐちたかしゆう後藤ごとうひろしひさし長尾ながお浩志ひろし)。同年どうねん8がつ29にち日本武道館にほんぶどうかんにおける安田やすだ忠夫ただおせんでデビュー[5]、セコンドには当時とうじ引退いんたいをしてちゅう邑を指導しどうしていた木戸きどおさむいた。レスリングでの実績じっせき[6] とデビューまえ総合そうごう格闘技かくとうぎのトレーニングをおこなっていたことから、当時とうじしん日本にっぽん格闘技かくとうぎ路線ろせんもうとして期待きたいけ、デビュー戦後せんごはシリーズには帯同たいどうせずLA道場どうじょう総合そうごう格闘技かくとうぎのトレーニングをかさねるという新人しんじんとしては異例いれい待遇たいぐうけた。

12月31にちINOKI BOM-BA-YE 2002におけるダニエル・グレイシーせん総合そうごう格闘技かくとうぎはつ参戦さんせん。2R2ふん14びょううでひしぎぎゃく十字じゅうじかた敗北はいぼく[5]

2003ねん - 2005ねん[編集へんしゅう]

2003ねん5月2にち新日本しんにほん「ULTIMATE CRUSH」大会たいかいヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキア総合そうごう格闘技かくとうぎルールで対戦たいせん勝利しょうり[5]。8月にはデビュー1ねんにもたないキャリアでG1 CLIMAXはつ出場しゅつじょう安田やすだ柴田しばた勝頼かつよりから勝利しょうりおさめる[5]

12月9にち天山あまやま広吉ひろきち所持しょじするIWGPヘビーきゅう王座おうざはつ挑戦ちょうせんぎゃく十字じゅうじかた天山あまやまからタップをうばいデビュー最速さいそく最年少さいねんしょうでのどう王座おうざ戴冠たいかんたす[5]

12月31にちK-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!でキックボクサーのアレクセイ・イグナショフ対戦たいせん。3Rでイグナショフのひざりをけダウンし、すぐにがるもレフェリーのたいら直行なおゆき即座そくざにTKOを宣告せんこく敗北はいぼくきっするも、ちゅう邑側からの抗議こうぎによりジャッジを見直みなおされて無効むこう試合しあいとなった[5][7]

2004ねん1がつ4にち自身じしんつIWGPヘビーきゅう王座おうざNWFヘビーきゅう王座おうざ統一とういつせん銘打めいうたれた試合しあい高山たかやまよしひろ対戦たいせんチキンウィングアームロック高山こうざんからギブアップをうばい、IWGP王座おうざ防衛ぼうえいならびにNWFヘビーきゅう王座おうざ戴冠たいかんかんおうとなるも、後日ごじつNWFを封印ふういん。その精密せいみつ検査けんさため欠場けつじょうしIWGP王座おうざ返上へんじょう[5]

5月22にちK-1 ROMANEXでイグナショフと再戦さいせんし、2R1ふん51びょう前腕ぜんわんチョーク(K-1の公式こうしき記録きろくギロチンチョーク)で勝利しょうり[5]以降いこう総合そうごう格闘技かくとうぎのリングにはがらずプロレスぎょう専念せんねんする。

11月、大阪おおさかドーム大会たいかい突然とつぜんのカード変更へんこうにより、中西なかにしまなぶんで藤田ふじた和之かずゆきケンドー・カシンくみ対戦たいせんしたがピンフォール[5]試合しあいにカード変更へんこう打診だしんしたアントニオ猪木いのきから鉄拳てっけん制裁せいさいけた[8]

12月、棚橋たなはしひろしいたりみ、IWGPタッグ王者おうじゃ決定けっていせんにて佐々木ささき健介けんすけ鈴木すずきみのるくみ対戦たいせん棚橋たなはし鈴木すずきからドラゴン・スープレックス・ホールドでピンフォふぉル勝るがちをおさめ、だい47だいIWGPタッグ王座おうざ[5]翌年よくねん10がつ陥落かんらくするまでに4防衛ぼうえいたした。

2005ねん1がつ4にち棚橋たなはしやぶってIWGP U-30差別さべつきゅう王座おうざ奪取だっしゅし、ベルト封印ふういん宣言せんげんした(返上へんじょうあつかい)[5]

3月12にち全日本ぜんにほんプロレス流出りゅうしゅつしたIWGPヘビーきゅう王座おうざ奪還だっかんするため全日本ぜんにほんのリングに単身たんしん小島こじまさとし対戦たいせん直訴じきそ[9]。26にちしん日本にっぽん両国りょうこく国技こくぎかん大会たいかいでタイトルマッチがまれるも60ふん時間切じかんぎけで王座おうざ奪還だっかん失敗しっぱいわる[5]

2006ねん - 2008ねん[編集へんしゅう]

2006ねん1がつ4にち、IWGPヘビーきゅう王者おうじゃブロック・レスナー挑戦ちょうせんしたが惨敗ざんぱい[5]

3月、新日本しんにほんちゅう邑を期限きげん海外かいがい修行しゅぎょうすことを決意けつい。この遠征えんせいはすでに団体だんたい最高峰さいこうほう(IWGPヘビーきゅう王座おうざ)を獲得かくとくしたことがあるなか邑を海外かいがい修行しゅぎょうすというまれれいであった[10]。しかし、遠征えんせいさきでは試合しあい一切いっさいおこなわずにしん日本にっぽんロス道場どうじょうあせながし、9月24にち凱旋がいせん帰国きこくした。

10月、ちょう正洋まさひろとタッグをみ、ベビーフェイスからヒールへの路線ろせん変更へんこうはかる。また、半年はんとしあいだ海外かいがい修行しゅぎょうでビルドアップされた肉体にくたいわせ、コスチュームもロングタイツからショートタイツに変更へんこう長州ちょうしゅうりょく中西なかにしまなぶぐみ相手あいて凱旋がいせん試合しあいおこない、しんわざランドスライド長州ちょうしゅうから3カウントをうばった[5]同月どうげつおこなわれたG1 TAG LEAGUEではちょうとタッグをんでエントリー。決勝けっしょうトーナメントにてジャイアント・バーナードトラヴィス・トムコくみ撃破げきはし、決勝けっしょうせん棚橋たなはしひろしいたり金本かなもと浩二こうじくみ王者おうじゃタッグをやぶ優勝ゆうしょう[5]試合しあいちょう、バーナード、トムコとともちょう政権せいけんきずくと宣言せんげん

12月10にち帰国きこくはつとなるIWGP王座おうざ挑戦ちょうせん棚橋たなはし対戦たいせんするも、ドラゴン・スープレックス・ホールドでピンフォールけをきっした[5]

2007ねん1がつ4にち川田かわた利明としあき対決たいけつするも顔面がんめんへのミドルキックをらい敗戦はいせん[5]。8月にはG1 CLIMAXに出場しゅつじょう決勝けっしょうトーナメントまでコマをすすめるも12にち準決勝じゅんけっしょう永田ながた裕志ひろしやぶれる[5]。この試合しあいちゅう雪崩なだれしきエクスプロイダーをけたさい左肩ひだりかたがわから不自然ふしぜんかたちでマットじょう落下らっか後日ごじつかたくさり関節かんせつ靭帯じんたいだんきれおよび脱臼だっきゅうで3かげつあいだ絶対ぜったい安静あんせい診断しんだんされた[10]。26にちよりC.T.U解散かいさんともなみのるミラノコレクションA.T.ひとし共闘きょうとう選択せんたく後日ごじつしんユニットRISE結成けっせいした。

9月1にち結婚けっこん披露宴ひろうえんおこなった[11]

11月11にち復帰ふっきせんおこない、RISEを正式せいしき始動しどうさせる[10]

2008ねん1がつ4にち棚橋たなはしひろしいたりやぶだい48だいIWGPヘビーきゅう王者おうじゃとなった[5]試合しあいに3代目だいめIWGPヘビーきゅう王座おうざ(IWGP 3rd)を所持しょじするカート・アングルとの対戦たいせん要求ようきゅう。2月17にちにベルト統一とういつせんおこなうでひしぎぎゃく十字じゅうじがためで勝利しょうりし3代目だいめベルトを奪還だっかんした[10] が、どうベルトにたいする世間せけんのイメージがわるくなってしまったため封印ふういんあらたに4代目だいめのIWGPベルトが制作せいさくされることになった[12]。それにともない「りていた」かたちになっていた2代目だいめIWGPベルトを、3月2にち、ZEROONE-MAX後楽園こうらくえん大会たいかい参戦さんせん橋本はしもと大地だいち手渡てわたきょう本家ほんけ返却へんきゃくした[13][14]

3がつ20日はつか、4代目だいめベルトをかかげたはつ防衛ぼうえいせん棚橋たなはしから勝利しょうりおさめるも[5]、4がつ27にち全日本ぜんにほんプロレス武藤むとうたかしやぶれ、IWGPヘビーきゅう王座おうざから陥落かんらくしベルトの団体だんたいへの流出りゅうしゅつゆるしてしまう[5]。10月13にちにリマッチけん行使こうし武藤むとうとのタイトルマッチにのぞむも、フランケンシュタイナーでピンフォールけをきっした。

2009ねん - 2011ねん[編集へんしゅう]

2009ねん1がつ4にち東京とうきょうドーム大会たいかい後藤ごとうひろしひさしみ、プロレスリング・ノア三沢みさわ光晴みつはる杉浦すぎうらたかくみ対戦たいせん杉浦すぎうらからうでひしぎじゅうかためでタップをうば勝利しょうり[5]以降いこう、ホーム・アウェイわずりょう団体だんたいでの対抗たいこうせん継続けいぞくされていった。

2がつ15にち王座おうざ奪回だっかいした棚橋たなはしひろしいたりから指名しめいけるかたちでIWGPに挑戦ちょうせんするも、ハイフライフローでピンフォールけをきっする[5]

3月1にちにNOAHの日本武道館にほんぶどうかん大会たいかいにミラノコレクションA.T.ととも参戦さんせん杉浦すぎうらたか潮崎しおざきごうくみ対戦たいせん。ミラノが潮崎しおざきにピンフォールをうばわれ敗北はいぼく

4がつ5にち真壁まかべがたなよしとのシングルマッチでレフェリー不在ふざいなか矢野やのとおる乱入らんにゅう真壁まかべ椅子いす殴打おうだ。このアシストを真壁まかべ勝利しょうりし、後日ごじつ矢野やのきゅうG・B・HメンバーとともCHAOS結成けっせい[10]。コスチュームもくろのロングタイツに変更へんこうした。CHAOSのほかのメンバーのようなあからさまな反則はんそくやヒール行為こういなどはおこなっていないが、ファイトスタイルがいままで以上いじょう殺伐さつばつとしたものになった。

8がつおこなわれたG1 CLIMAXでは全勝ぜんしょう決勝けっしょうトーナメントで一番乗いちばんのりをげるも決勝けっしょう真壁まかべやぶじゅん優勝ゆうしょう[5]。G1終了しゅうりょうに、棚橋たなはし怪我けがによりIWGP王座おうざ返上へんじょう。それにより9がつ27にち真壁まかべとのIWGPヘビーきゅう王者おうじゃ決定けっていせん急遽きゅうきょ決定けっていする。この試合しあい勝利しょうりし、だい53だいIWGPヘビーきゅう王者おうじゃ戴冠たいかん[5]。また試合しあいマイクち「猪木いのきー!」とさけ物議ぶつぎかもした[10]

2010ねん1がつ4にち高山たかやまよしひろと6ねんりに対戦たいせん。ボマイェでピンフォふぉル勝るがちをおさめ4度目どめ防衛ぼうえい成功せいこうした[5]。そのの5がつ3にち真壁まかべがたなとの防衛ぼうえいせん敗戦はいせん[5]。この試合しあいちゅう真壁まかべ雪崩なだれしきパワースラムをけたさいに、古傷ふるきずである左肩ひだりかた負傷ふしょう。その興業こうぎょうでもテーピングをって出場しゅつじょうするが、ドクターストップがかかり治療ちりょう専念せんねんするため欠場けつじょうはいる。6月19にち復帰ふっき

8がつのG1 CLIMAXに出場しゅつじょう最終さいしゅうせん潮崎しおざき対戦たいせんするも時間切じかんぎけにわり予選よせん[5]。22にちにNOAHに再戦さいせんするも敗戦はいせん[5]

10月、小島こじまさとし真壁まかべからIWGPベルトを奪取だっしゅしたさい次期じき挑戦ちょうせんしゃとしてぎゃく指名しめいされる。のらりくらりと指名しめいこばつづけたが、かたくなに嘆願たんがんする小島こじま結局けっきょく会社かいしゃ同意どういのもとでそれを承諾しょうだく。12月11にちのIWGPせん小島こじまやぶれた[5]

2011ねん1がつ4にちレッスルキングダムVにて、潮崎しおざき対戦たいせん勝利しょうり[5]対戦たいせん成績せいせきふんもどした。3月に開催かいさいされたNEW JAPAN CUPでは決勝けっしょうにまで進出しんしゅつしたが、永田ながた裕志ひろしやぶじゅん優勝ゆうしょう[5]

4がつ永田ながたとの防衛ぼうえいせんえた直後ちょくご棚橋たなはしのマイクにたいして「うっとうしくねえだろ」[15]っかかるかたち返答へんとうし、IWGP王者おうじゃ挑戦ちょうせんをアピール。公約こうやくどおりに5月3にち福岡ふくおか大会たいかい挑戦ちょうせんするも敗北はいぼく[5]。このとしからうでをダラリとげて脱力だつりょくするようなムーブを多用たようはじめたなか邑にたいし、前哨ぜんしょうせん棚橋たなはしは「あのフニャフニャしたうごきはきじゃない」と発言はつげんすると、ちゅう邑も「フニャフニャじゃなくて、クネクネしてるだけだろ」と応戦おうせん試合しあいちゅう邑は、「またちあがればいいんだろ。わるいけど、れないんでね、オレのしんは。こんなクネクネしてるんでね」と発言はつげん。この時期じきさかいに、ちゅう独特どくとくのムーブにたいして「クネる」という表現ひょうげん使つかわれるようになる。

8がつのG1 CLIMAXでは、自身じしん出場しゅつじょうブロック(Bブロック)で、最終さいしゅうせんまでにてんが5にんなら混戦こんせんとなったが、最終さいしゅうせん対戦たいせん相手あいてであり同点どうてんならんでいた鈴木すずきみのるとの事実じじつじょう決勝けっしょう進出しんしゅつ決定けっていせん勝利しょうり決勝けっしょうせんでは内藤ないとう哲也てつややぶはじめて優勝ゆうしょうした[5]

9月の神戸こうべワールド記念きねんホールでおこなわれた「星野ほしの勘太郎かんたろう追悼ついとう大会たいかい」で、IWGPヘビーきゅう王者おうじゃ棚橋たなはしいどむもやぶれる[5]

2012ねん - 2016ねん[編集へんしゅう]

リングアナウンサーの選手せんしゅコールにわせてポーズをめるなか邑。

2012ねん7がつ22にちKIZUNA ROAD最終さいしゅうせんにて、後藤ごとうひろしひさし保持ほじするIWGPインターコンチネンタル王座おうざ以降いこうIC)に挑戦ちょうせん勝利しょうりおさめ、だい4だい王者おうじゃかがやいた[5]。しかし、試合しあいのコメントでどう王座おうざのデザインにたいして酷評こくひょうし、会社かいしゃたいしてつくなおしを要求ようきゅう。ベルトのかわ部分ぶぶんしろくする変更へんこうがなされた[16]。このインターコンチ王座おうざはつ戴冠たいかんにより、ちゅう邑はどう王座おうざかがやかせることになる。8月26にちアメリカカリフォルニアしゅう拠点きょてんSWF参戦さんせんどう団体だんたいあらたに製作せいさくされたIC王座おうざけて、オリバー・ジョン対戦たいせんし、はつ防衛ぼうえい成功せいこうした[5]

12月10にち、プロレス大賞たいしょう技能ぎのうしょう受賞じゅしょう

2013ねん1がつ4にちレッスルキングダム7のダブルメインイベントに登場とうじょうし、IC王座おうざ選手権せんしゅけん試合しあい桜庭さくらば和志かずしやぶり、4度目どめ防衛ぼうえい成功せいこう[5]。その挑戦ちょうせんしゃたちを退しりぞけ、防衛ぼうえい回数かいすうを8までにばす。5月31にちのCMLL遠征えんせいおこなわれたタイトルマッチでラ・ソンブラやぶれ、いち王座おうざ手放てばなすも[5]、7がつ20日はつかKIZUNA ROAD 2013最終さいしゅうせんふたたびIC王座おうざ奪取だっしゅし、だい6だい王者おうじゃかえいた[5]下半期しもはんきは3防衛ぼうえい達成たっせいする。

2014ねん1がつ4にちレッスルキングダム8棚橋たなはし対戦たいせんして敗北はいぼくし、IC王座おうざから陥落かんらく[5]。2月9にちTHE NEW BEGINNING in HIROSHIMAでリマッチを敢行かんこうしたが、ここでも敗北はいぼく[5]

3月、NEW JAPAN CUP出場しゅつじょうし、決勝けっしょうせんバッドラック・ファレ対戦たいせんし、BULLET CLUB介入かいにゅうくるしめられ、終盤しゅうばんにはがくから流血りゅうけつしながらも、ファレをくだしてはつ優勝ゆうしょう[5]こん大会たいかい優勝ゆうしょうしゃにはIWGPヘビーきゅう王座おうざとIWGPインターコンチ王座おうざのいずれかに挑戦ちょうせんできる権利けんりあたえられ、ちゅう邑はICを選択せんたくする。

4がつ6にちINVASION ATTACK棚橋たなはし再戦さいせん。この試合しあい勝利しょうりおさめ、だい8だい王者おうじゃかえいた[5]

5月25にち横浜よこはまアリーナにて、12ねんまえ総合そうごう格闘技かくとうぎルールでやぶれたグレイシー一族いちぞくダニエル・グレイシーにICはつ防衛ぼうえいせん勝利しょうりおさめた[5]。しかし、6月21にちバッドラック・ファレやぶれIC王座おうざから陥落かんらくした[17]

8がつ10日とおか、G1 CLIMAX 24 優勝ゆうしょう決定けっていせん西武せいぶドーム大会たいかいでのメインイベントにて、同門どうもんCHAOSのオカダ・カズチカ対戦たいせんしたが、敗北はいぼくきっし、じゅん優勝ゆうしょうとなった。

9月21にち、ファレのつIC王座おうざせんのリマッチに勝利しょうりし、だい10代王者おうじゃになった。10月13にち試合しあい柴田しばた勝頼かつより挑戦ちょうせんしゃぎゃく指名しめい対戦たいせん決定けってい。11月8にち柴田しばた勝利しょうりしてはつ防衛ぼうえい成功せいこう試合しあいめしふく乱入らんにゅうしてちゅう邑をジャーマンスープレックスすてて、挑戦ちょうせん表明ひょうめいちゅう邑はこれを受諾じゅだくした。

2015ねん1がつ4にちレッスルキングダム9めしふくさいわいふとしとのICせんで2度目どめ防衛ぼうえい成功せいこうよく5にち後楽園こうらくえんホール大会たいかいにおいて、永田ながたちゅう邑のつICに挑戦ちょうせん表明ひょうめいし、2がつ14にち仙台せんだいサンプラザホールにて防衛ぼうえいせんおこない、3度目どめ防衛ぼうえい成功せいこうした。

3月のNEW JAPAN CUP終了しゅうりょうどう大会たいかいじゅん優勝ゆうしょうわった後藤ごとうひろしひさしに6にんタッグマッチで勝利しょうり試合しあい後藤ごとうを「存在そんざいうすい」「透明とうめい人間にんげん」と挑発ちょうはつ。しかし、4がつ5にち両国りょうこく大会たいかいで、後藤ごとうからピンフォールけをうばわれると、5月3にちのレスリングどんたくで後藤ごとうやぶれIC王座おうざから陥落かんらくすることとなる。7月5にち大阪城おおさかじょうホール大会たいかいで、忍者にんじゃ衣装いしょう入場にゅうじょうし、後藤ごとうとのICのリマッチにいどんだが、敗北はいぼくした。

8がつのG1 CLIMAX25に出場しゅつじょうちゅうひだりひじ負傷ふしょうするも途中とちゅうから戦線せんせん復帰ふっきし、Bブロック首位しゅいのオカダからタップをうばいBブロック首位しゅいとなり、2ねん連続れんぞく優勝ゆうしょう決定けっていせん進出しんしゅつめる。Aブロック首位しゅい棚橋たなはしひろしいたりとの優勝ゆうしょう決定けっていせん激闘げきとうすえ敗北はいぼくし、しくもじゅん優勝ゆうしょうとなる。試合しあい棚橋たなはしひろしいたりとリングじょう握手あくしゅし、勝利しょうりとなえた。

9月27にち、DESTRUCTIONinKOBEにてG1で勝利しょうりおさめた後藤ごとうひろしひさしから指名しめいされるかたちでICせんおこないこれに勝利しょうりしてだい12だい王者おうじゃかえく。試合しあい、BULLETCLUBのカール・アンダーソンドク・ギャローズ乱入らんにゅうし、アンダーソンが挑戦ちょうせん表明ひょうめいする。

11月7にち、POWER STRUGGLEにて、カール・アンダーソンとICせんおこない、セコンドについたBULLET CLUBにくるしめられながらも勝利しょうりし、王座おうざ防衛ぼうえいする。試合しあい、AJスタイルズが海野うみのレフェリーからベルトをげ、挑戦ちょうせん表明ひょうめいしながらちゅう邑にベルトを手渡てわたす。ちゅう邑はこれをれ、WK10にてAJスタイルズとICせんおこなうことがまる。

2016ねん1がつ4にちレッスルキングダム10にてAJスタイルズ対戦たいせん激闘げきとうすえピンフォふぉル勝るがちをおさめ、試合しあいこぶしわせて健闘けんとうとなえあった。

1がつ7にち東京とうきょうスポーツの取材しゅざいによりしん日本にっぽんプロレスを退団たいだんすることがあきらかになる[18] が、日刊にっかんスポーツの報道ほうどうによれば、しん日本にっぽんプロレスがわは「まだなんばなしもしていない」と移籍いせき否定ひていしていた[19]。しかし、12にちしん日本にっぽんプロレスより正式せいしき退団たいだん発表はっぴょうされた[20]。そのWWE移籍いせきしてファーム団体だんたいであるNXTにて4がつ1にちのTakeoverでデビューすることがWWE公式こうしきより発表はっぴょうされた。移籍いせきにより所持しょじしていたIWGPインターコンチネンタル王座おうざ返上へんじょうとなった。

1がつ30にち後楽園こうらくえんホール大会たいかいで「ちゅう邑真輔 壮行そうこう試合しあい」と銘打めいうち、オカダ・カズチカ、石井いしい智宏ともひろんで、棚橋たなはしひろしいたり後藤ごとうひろしひさし柴田しばた勝頼かつよりぐみ対戦たいせん石井いしい柴田しばたから勝利しょうりおさめ、試合しあいCHAOSメンバーからの祝福しゅくふくけ、大会たいかいくくった。同日どうじつを以ってしん日本にっぽんプロレスを退団たいだん。それにともないCHAOS脱退だったい。なお、同年どうねん年頭ねんとうよりちゅう邑だけでなく、AJやめしふくらの主力しゅりょく新日本しんにほん退団たいだんしている。

WWE[編集へんしゅう]

NXT[編集へんしゅう]

2016ねん[編集へんしゅう]

2016ねん2がつ4にち、リングネームを本名ほんみょう名義めいぎでデビューすること発表はっぴょうされた[21]同月どうげつ22にち、ハードロックカフェ東京とうきょうにてWWEと正式せいしき契約けいやくわしたことかんして入団にゅうだん会見かいけんおこなった。モニターを使用しようして渡米とべいしたさいにWWE本社ほんしゃにてビンス・マクマホントリプルHステファニー・マクマホン会話かいわわし、WWEパフォーマンスセンターに訪問ほうもんしたさいにはASUKAヒデオ・イタミといった日本人にっぽんじんレスラーやフィン・ベイラーマシュー・ブルームマニー・アンドラーデといったしん日本にっぽんプロレスで苦楽くらくともにした人物じんぶつたちかおわせた。最後さいごにファンにおくるメッセージとして「ちゅう邑真輔を世界せかいにぶつけていきたいとおもいます。イヤァオ!」とコメントした[22][23][24]。なお、WWEからはじめて接触せっしょくがあったのは2014ねんごろで、当初とうしょことわっていた。移籍いせきはIWGP主義しゅぎしゃだったなか邑がインターコンチ王座おうざ価値かちとしてげることに成功せいこうさせてしまい、個人こじんとしても団体だんたいとしても多様たようせいみとめる価値かちかんわってしまったこと。赤字あかじ返済へんさい報告ほうこくけ、しん日本にっぽんプロレスは大丈夫だいじょうぶだとおもえたタイミングだったことなどを、のちのインタビューで回答かいとうしている[25]

3月16にち、NXTにてリングじょうサミ・ゼインがマイクアピールをしているところへGMであるウィリアム・リーガル登場とうじょうNXT Takeover Dallasでサミに見合みあ相手あいてとして世界せかいでトップにはいおとこであると紹介しょうかいされるとタイタントロンにうつされ、" See you in Dallas, when Shinsuke Nakamura takes over! "とコメントした[26]。4月1にち、NXT Takeover Dallasにてサミ・ゼインと対戦たいせん脱力だつりょくロープブレイク、バイブレーションしきけなどしん日本にっぽんプロレス時代じだい定番ていばんとなっていたムーブを披露ひろうし、終盤しゅうばんにセカンドロープから後頭部こうとうぶダイビングしきキンシャサ、そして正調せいちょうしきキンシャサをめてNXTはつ勝利しょうりかざった[27]同月どうげつ7にち、NXT Liveにてフィン・ベイラーとんでバロン・コービン & タイ・デリンジャー対戦たいせん最後さいごにベイラーがデリンジャーに1916めて勝利しょうりした[28]

5月25にち、NXTにてリングじょうで6がつ8にちにNXT Takeover The EndでNXT王座おうざせん勝者しょうしゃ挑戦ちょうせんすること宣言せんげんしたオースチン・エリーズたいしてバックステージより登場とうじょう。「挑戦ちょうせんするのはグレイテストであるエリーズではなく、キング・オブ・ストロングスタイルで自身じしんである」と発言はつげんするとGMであるウィリアム・リーガル登場とうじょう。NXT Takeover The Endでの対戦たいせん決定けっていした[29]。6月8にち、NXT Takeover The Endにてオースチン・エリーズと対戦たいせん序盤じょばんよりわざ試合しあいてるがエリーズよりひざ集中しゅうちゅうしてめられると劣勢れっせいとなり苦戦くせんするがいためているにもかかわらずひざでの攻撃こうげき強行きょうこう最後さいごにはジャンピング・キンシャサからキンシャサへとつなげて勝利しょうりした[30]

7がつ1にち - 2にち東京とうきょう両国りょうこく国技こくぎかんおこなわれたWWE Live Japanで凱旋がいせん帰国きこく。1にちはクリス・ジェリコに、2にちはケビン・オーエンズに勝利しょうりした[31][32]

8がつ20日はつかNXT TakeOver: Brooklyn IIにてNXT王座おうざ保持ほじするサモア・ジョー挑戦ちょうせん勝利しょうりしてベルトを奪取だっしゅした[33]

12月2にち大阪おおさか府立ふりつ体育たいいく会館かいかんおこなわれたWWE Live Japanで凱旋がいせん帰国きこく。NXT王座おうざ保持ほじするサモア・ジョーに挑戦ちょうせん王座おうざ奪還だっかんした[34]

WWE[編集へんしゅう]

2017ねん[編集へんしゅう]

2017ねん4がつ4にち、WWEに昇格しょうかくSmackDownにてザ・ミズマリースがリングじょうにてジョン・シナニッキー・ベラコスプレをしてマイクパフォーマンスをしているところにバックステージからヴァイオリニストのリー・イングランド・ジュニアととも登場とうじょうたした[35][36]。5月21にちBacklash 2017にてドルフ・ジグラー相手あいてにWWEデビューせんおこな勝利しょうりした[37]。8がつ20日はつかSummerSlam 2017にてWWE王座おうざ保持ほじするジンダー・マハル挑戦ちょうせん日本人にっぽんじんはつ王座おうざ戴冠たいかん目指めざすがシン・ブラザーズ(サミル・シン & スニル・シン)が乱入らんにゅうして、かれらをらしたすきかれて敗戦はいせんした[38][39]。8月22にち、ニューヨークしゅうブルックリンのバークレイズ・センターでシン・ブラザーズと1vs2ハンディキャップマッチをおこなった。シン・ブラザーズは2人ふたりいちへんにけいれんしきストンピング、コーナーにせられてひざりをらわせ、最初さいしょちゅう邑を劣勢れっせいむも、サミルを三角さんかくめでタップをうばって勝利しょうり。2ふん48びょうでの決着けっちゃくであった。かつて乱入らんにゅうにより自身じしん試合しあい妨害ぼうがいした相手あいてったなか邑は試合しあい「オレはマハラジャにちたいわけじゃない。マハルにってWWE王者おうじゃになりたいんだ」と宣言せんげん[40]。10月8にち、スマックダウンPPV大会たいかいでジンダー・マハルと対戦たいせん。3度目どめのWWEヘビーきゅう王座おうざタイトルマッチとなったが、シン・ブラザーズの妨害ぼうがいもあり背後はいごから捕獲ほかくされカラスをめられ、3カウントをうばわれた[41]

2018ねん[編集へんしゅう]

1がつ28にちロイヤルランブルロイヤルランブルマッチで14番目ばんめ出場しゅつじょう試合しあい終盤しゅうばんちゅう邑、ジョン・シナロマン・レインズの3にんのこりまずシナを撃破げきは、そのレインズからスーパーマンパンチスピアーをくらうがなんとかえて最後さいごはキックをしてふらついているレインズをとし、優勝ゆうしょうかざ[42]

4がつ8にちWrestleMania 34におけるWWE王座おうざ決定けっていせんで、王者おうじゃAJスタイルズ挑戦ちょうせんキンシャサをカウンターでスタイルズ・クラッシュかえされフォールけ。タイトル獲得かくとくのがす。試合しあいいちはスタイルズと抱擁ほうよう、そのひざまずきチャンピオンベルトをわたすも、ベルトをかかげたスタイルズをローブロー悶絶もんぜつたおれたスタイルズに日本語にほんご罵声ばせいびせながら場外じょうがいし、最後さいごはキンシャサをヒールターンたす[43]

7がつ15にちエクストリーム・ルールズWWE US王座おうざ選手権せんしゅけん試合しあい試合しあいまえ王者おうじゃジェフ・ハーディーたいしてレフェリーの死角しかくいて急所きゅうしょ攻撃こうげき敢行かんこう。レフェリーが試合しあい安否あんぴ確認かくにんして開始かいしした直後ちょくごにキンシャサを見舞みまいUS王座おうざ奪取だっしゅした[44]

12月25にち[45]、SmackDown LiveでルセフとWWE US王座おうざせんおこな敗戦はいせん王座おうざから陥落かんらく[46]

2019ねん[編集へんしゅう]

2019ねん1がつ27にちRoyal Rumble 2019 KickoffでWWE US王者おうじゃのルセフに挑戦ちょうせん。ルセフがたおれているあいだにリングのターンバックルをろうとする仕草しぐさせてルセフのマネージャーのラナに体当たいあたりを誤爆ごばくさせると後頭部こうとうぶへのキンシャサをめて勝利しょうり。リベンジをたすと同時どうじ王座おうざ戴冠たいかんした[47]

1がつ29にち、SmackDown LiveでR・トゥルースとWWE US王座おうざせんおこな敗戦はいせん。わずか2にち王座おうざから陥落かんらく

7がつ14にち、Extreme Rules 2019 KickoffでWWE IC王者おうじゃのフィン・ベイラーに挑戦ちょうせん終盤しゅうばんにベイラーのクー・デ・グラけると背後はいごからのキンシャサ、そして正調せいちょうしきキンシャサとめて勝利しょうり王座おうざ戴冠たいかんした[48]

2020ねん[編集へんしゅう]

1がつ26にち、ロイヤルランブルマッチで11番目ばんめ出場しゅつじょう。キンシャサをめようとしたところをブロック・レスナーらえられ、そのままされて脱落だつらくした。

1がつ31にち、SmackDown Liveでブラウン・ストローマンとWWE IC王座おうざせんおこな敗戦はいせん王座おうざから陥落かんらく[49]

そのサミ・ゼインセザーロとヒールユニットをみ、3月8にちエリミネーション・チェンバーでIC王者おうじゃのストローマンと3たい1のハンデせんでIC王座おうざせんおこなう。かずてき有利ゆうりかし終始しゅうし優勢ゆうせいまわり、ゼインの戴冠たいかんをアシストした。

7がつ19にちエクストリーム・ルールズにて、セザーロとんでニュー・デイ保持ほじするスマックダウンタッグ王座おうざテーブルマッチ挑戦ちょうせん。セザーロが場外じょうがいてられた2だんのテーブルのうえコフィ・キングストンたたきつけるパワーボムをめて勝利しょうり。WWE入団にゅうだん以降いこうはつとなるタッグ王座おうざ戴冠たいかんした。

9月28にち、ルチャ・ハウス・パーティー(カリスト&リンセ・ドラド&グラン・メタリック)と対戦たいせん王座おうざ防衛ぼうえい成功せいこう

10月9にち、ニュー・デイとのタイトルマッチでやぶれ、王座おうざから陥落かんらくした。

2021ねん[編集へんしゅう]

1がつ8にちケビン・オーエンズ負傷ふしょうによっておこなわれた、ガントレット形式けいしきでのWWEユニバーサル王座おうざ次期じき挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせん出場しゅつじょうするも、ローマン・レインズ妨害ぼうがいにあい敗北はいぼく。また、この試合しあい徐々じょじょにフェイスターンをたす。

8がつ13にちスマックダウンアポロ・クルーズたおし、2度目どめWWEインターコンチネンタル王座おうざ獲得かくとくした。

2022ねん[編集へんしゅう]

1がつ30にちロイヤルランブルマッチで2番目ばんめ登場とうじょう。1番目ばんめ登場とうじょうしたAJスタイルズにより脱落だつらくさせられた。

2がつ18にち、スマックダウンにてセミ・ゼインとタイトルマッチをおこな敗北はいぼくWWEインターコンチネンタル王座おうざうしなった。

4がつ2にちレッスルマニア38にてリック・ブーグスとタッグをみ、ウーソズ保持ほじするスマックダウンタッグチーム王座おうざ挑戦ちょうせん試合しあいちゅうにブーグスがあし負傷ふしょうするというアクシデントがき、孤軍こぐん奮闘ふんとうするもやぶれる。

6月3にち、スマックダウンにてマット・リドルとチームをウーソズ統一とういつタッグチーム王座おうざ挑戦ちょうせんしたが、今度こんどちゅう邑があし負傷ふしょうしてしまいタイトル獲得かくとくとはならなかった。

8がつ12にち、スマックダウンにてグンターWWEインターコンチネンタル王座おうざ挑戦ちょうせんするが敗北はいぼく

10月14にち同月どうげつ1にちくなったアントニオ猪木いのき通夜つや告別こくべつしき出席しゅっせきのためいち帰国きこく[50]

10月18にち、5ねんぶりにNXTに登場とうじょう。チャニング“スタックス”ロレンゾ相手あいてフォふぉル勝るがちした[51]

2023ねん[編集へんしゅう]

1がつ1にち日本武道館にほんぶどうかんにておこなわれる、プロレスリング・ノアABEMA presents NOAH “THE NEW YEAR” 2023』にてグレート・ムタ対戦たいせんした。日本にっぽんでの試合しあいは2019ねんのWWE日本にっぽん公演こうえん以来いらい国内こくない団体だんたいでの試合しあいは2016ねん1がつ30にちしん日本にっぽんプロレス壮行そうこう試合しあい以来いらいであり、WWE所属しょぞくになってからははつとなる[52]

4がつ14にちスマックダウンにて復帰ふっきマッドキャップ・モス相手あいて勝利しょうりする。

4がつ28にちスマックダウンにて自身じしんはつとなるロウにドラフトされる。

7がつ1にちイギリスロンドンおこなわれたマネーインザバンク男子だんしラダーマッチ出場しゅつじょうしたがしくもやぶれた。

得意とくいわざ[編集へんしゅう]

キャリア初期しょき関節かんせつわざ主体しゅたいとした総合そうごう格闘技かくとうぎしょくつよかった。その肉体にくたい改造かいぞうおこなって身体しんたいおおきくしパワーファイトもおこなうようになる。CHAOS結成けっせいからはキックやひざりなどの打撃だげきわざおおきな主体しゅたいとし、くわえて近年きんねんでは入場にゅうじょう試合しあいちゅう随所ずいしょでクネクネとからだ脱力だつりょくさせる独自どくじのムーブや唯一ゆいいつ無二むに言動げんどうそうじて「キング・オブ・ストロングスタイル」としょうされる[53]。2017ねん専門せんもんによると「"キング・オブ・ストロング"が観客かんきゃく絶大ぜつだい支持しじ獲得かくとく」とひょうされている。

カール・アンダーソンボマイェはななか邑。
フロントネックロック
シャイニング・トライアングル

フィニッシュ・ホールド[編集へんしゅう]

キンシャサKinshasa
相手あいてから距離きょりをとり自身じしんは、全身ぜんしんをエビらせるような独特どくとくのフォームでたぎ助走じょそうをつけてからはなつ、相手あいて顔面がんめんへのランニングしきひざり。近年きんねんではレッグ・ラリアートのようなかたち相手あいて顔面がんめん形式けいしきへと変化へんかしている。
下記かきにあるようにナックルパートのち移行いこうしたり、後頭部こうとうぶはなつこともある。当初とうしょ右足みぎあしはなっていたが半月はんつきばんだんきれして以降いこう左足ひだりあしこと主要しゅようとなった。2014ねん4がつ棚橋たなはしせんにて久々ひさびさみぎのボマイェを使用しよう
CHAOS結成けっせいからしん日本にっぽん退団たいだんまで、ボマイェスワヒリ: Boma Ye)のわざめい使用しようしていた現在げんざいのフィニッシュ・ホールド。
「ボマイェ」はリンガラで「kill you」ので、アントニオ猪木いのき入場にゅうじょうテーマきょくほのおのファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜」ちゅう台詞せりふ「ボンバイエ」と同義どうぎ本人ほんにんいわく、このわざ高山たかやまよしひろ必殺ひっさつわざであるニー・リフト意識いしきして使つかはじめたという。
WWENXTではボマイェつながりからキンシャサの奇跡きせきけてキンシャサKinshasa)へとわざめい変更へんこう。WWE日本語にほんご公式こうしきサイトではキンシャサ・ニー・ストライクKinshasa knee strike)と表記ひょうきされている。
このわざ発展形はってんけい
ダイビングしき
コーナーだんからがってはなつ。
スワンダイブしき
トップロープにりその反動はんどうかしてからはなつ。
串刺くしざしき
コーナーヘうつせにけた相手あいて助走じょそうをつけて見舞みまう。
スライディングしき
ハーフダウン状態じょうたい相手あいてたいし、はしんでから相手あいて後頭部こうとうぶまたは、くびもとすべむように低空ていくうしきひだりひざたたむランニング・ニーアタック
サイドポジションからはな
つんいの相手あいてがわ頭部とうぶてる。
断崖だんがいしき
相手あいてをエプロンサイドへ腹這はらばいにかせて後頭部こうとうぶひざてる。
場外じょうがい
場外じょうがいにいる相手あいてかい、エプロンから助走じょそうした場外じょうがいはなつ。

打撃だげきわざ[編集へんしゅう]

エルボー
ナックル・パンチ
おも打撃だげき合戦かっせんちゅうさい不意ふい相手あいて喉元のどもとませ、上記じょうきのボマイェに移行いこうすることもある。トップロープとうからんで相手あいて迎撃げいげきするさい使用しようすることもある。
ゼロせんキック
助走じょそうをつけてジャンプし、ずね外側そとがわ部分ぶぶん相手あいて顔面がんめんわざ。レッグ・ラリアットともいえる。おもにカウンターで使用しようする。
各種かくしゅキック
ローキックミドルキックハイキックそれぞれを使つかう。CHAOS結成けっせいからこのわざ使つかって試合しあいてている。
ライダーキック(カンフーキック)
顔面がんめんへのり。キングオブプロレスリングでは「ジャンピング・カラテキック」と表記ひょうきされている。
とら(ヒールキック・スピンキック)
ハイキックからのフェイントでよく使用しようするカンフー由来ゆらいわざ[54]望月もちづきしげるあきらのイリュージョンと同型どうけい
ひざ
ダウンした相手あいて連続れんぞくはたきこんだり、フロント・ネックロック状態じょうたいから相手あいて腹部ふくぶ目掛めがけてはたきこんだり、相手あいてわざ迎撃げいげきしたりひとし、バリエーションが非常ひじょうおおい。
バック・クラッカー
背後はいごから相手あいてあごつかみ、そこから自分じぶんりょうひざ相手あいて背中せなかにあてがうようにしてきながら相手あいてたお変形へんけいバックブリーカー
カリート得意とくいわざちゅう邑の場合ばあいひざ使つかった攻撃こうげきのバリエーションの一部いちぶとして使用しようしている。
コード・ブレイカー
自分じぶんりょうひざ使つかってのフェイスバスターくびつかんでから仕掛しかけたりするほか相手あいて片足かたあしつかまれたときにも使用しようする。
上記じょうきのバッククラッカー同様どうようひざ攻撃こうげき一種いっしゅとして使用しようしている。
痙攣けいれんしきストンピング
コーナーにんだ相手あいてストンピング見舞みまい、相手あいてしりもちをいたところ相手あいて喉元のどもとあしみつけながら全身ぜんしんをブルブルふるわせる。

わざ[編集へんしゅう]

ランドスライド
肉体にくたい改造かいぞうのフィニッシュ・ホールド。
ファイヤーマンズキャリー体勢たいせい相手あいてかつげ、そこからシットダウンと同時どうじ相手あいて前方ぜんぽう回転かいてんさせながら相手あいて後頭部こうとうぶから背中せなかにかけてマットにたたきつける変型へんけいドライバー。ハリケーン・ドライバーと同型どうけいわざだい一番いちばんでは雪崩なだれしき披露ひろうすることもあったが、ボマイェを取得しゅとくしてからはほとんど使用しようしていない。
2013ねん1がつ4にちレッスルキングダム7舞台ぶたい対戦たいせんした桜庭さくらば和志かずしとの試合しあい久々ひさびさ解禁かいきんした。それ以降いこう、1.4東京とうきょうドームやG1 CLIMAX決勝けっしょうせん、レッスルマニアなどだい舞台ぶたいことおおい。
変形へんけいランドスライド
ファイヤーマンズキャリーかつげるところまでは上記じょうきのランドスライドとおなじ。相手あいて前方ぜんぽうへホイップするところからが相違そういてんで、こちらのわざ場合ばあいは、自分じぶんひだりひざてそのひざ相手あいて頭部とうぶたたきつけるようにホイップする。最終さいしゅうてきには後藤ごとうひろしひさしの「牛殺うしころし」と同型どうけいになる。2011ねんのG1決勝けっしょうせんたい内藤ないとう哲也てつやせん)ではつ披露ひろう正式せいしき名称めいしょうについて本人ほんにんからの言及げんきゅう不明ふめい。ただし、公式こうしきサイトの記事きじで『変形へんけいランドスライド』と記載きさいされていた。
ダブルアーム・パイルドライバー
ダブルアームでかかげ、そのまま自身じしんしりから着地ちゃくち相手あいてあたまをマットに落下らっかさせる危険きけんわざ。2008ねん1がつ4にち棚橋たなはしせんはつ公開こうかい。フィニッシュ・ホールドとして使つかっていたこともある。現在げんざい使用しようをしていない。
リバース・パワースラム
ちゅう邑のオリジナルわざ
相手あいて背後はいごからかかげ、パワースラムじょうおとわざ綺麗きれいまれば相手あいてパワースラム表裏ひょうりぎゃくちることとなり、顔面がんめん胸部きょうぶとうをマットへけるのだが、タイミングや角度かくどによっては相手あいて頭部とうぶかたからさきちている場合ばあいもあり、危険きけんわざともえる。雪崩なだれしき存在そんざいするが前述ぜんじゅつのように通常つうじょうでも危険きけんわざ匹敵ひってきするため、あまり使用しようしない。NXTではリバースエクスプロイダー紹介しょうかいされている。
おからボム
相手あいてあし片腕かたうででキャッチし、もう片方かたがたうで相手あいてまたもぐませ、そのままかかげてライガーボムでとす。りのディフェンスよう効果こうか発揮はっきするわざ日高ひだかいくじんのイグチボムとほぼ同形どうけいわざ
STO               
タイガー・スープレックス
しんさんじゅうばれはじめたころたい棚橋たなはしせんで、棚橋たなはしのドラゴン・スープレックスに対抗たいこうするように使用しようはじめた。基本きほんてきだい一番いちばんでしか使用しようしない。クラッチは三沢みさわ光晴みつはるしき
ジャーマン・スープレックス
デビュー当時とうじから現在げんざい使つかつづけている。高山たかやまよしこう吉江よしえゆたかなどの巨漢きょかんレスラーもげたことがあるが、使用しよう頻度ひんどすくない。
ゴード・バスター
ブレーンバスター体勢たいせいから前方ぜんぽうたおみ、相手あいて前面ぜんめんからマットへたたける。
ブレーンバスター
雪崩なだれしきブレーンバスター
スライディング・ジャーマン・スープレックス
セカンドロープに場外じょうがいいてすわらせた相手あいてたいし、相手あいて背後はいごりをれて自身じしんは、後方こうほう回転かいてんをしてからあが反対はんたいがわのロープからはしんでこし部分ぶぶんつかみ、場外じょうがいへスライディングしながらそのいきおいを利用りようしてマットにたたきつける変型へんけいジャーマン・スープレックス。

関節かんせつわざわざ[編集へんしゅう]

シャイニング・トライアングル
肉体にくたい改造かいぞうまえのフィニッシュ・ホールド。相手あいてかたひざててかがんでいる状態じょうたいで、相手あいてかたひざって相手あいて上体じょうたいびつき素早すばや三角さんかくきわめる。現在げんざいはほとんど使用しようしていない。
アームバー
デビューから愛用あいようしている必殺ひっさつわざとく相手あいてのラリアットとうかえしてのびつきうでひしぎじゅうかた非常ひじょう素早すばやくフィニッシュとして絶大ぜつだい効果こうか発揮はっきしている。
トライアングルアームバー
シャイニング・トライアングルをめ、そこからくびきつけたあしはずしてうでひしぎじゅうかために移行いこうする。このわざで、天山あまやま広吉ひろきちやぶり、デビューから史上しじょう最速さいそく最年少さいねんしょうでIWGPヘビーきゅう王座おうざ獲得かくとくした。
おもて三角さんかくかた
うでひしぎじゅうかたきわめている最中さいちゅう相手あいてがったとき三角さんかく移行いこうしそのまま相手あいて腹這はらばいにしてきわめるうでじゅう最近さいきんはこちらに移行いこうしてきわめるパターンがおおく2015ねんG1 CLIMAXでは最終さいしゅうせんでオカダ・カズチカからタップをうばった。
チキンウィング・アームロック
ストレートアームバー
トライアングル・チョーク
スリーパー・ホールド
スタンディングしきのこのわざから前述ぜんじゅつのリバースパワースラムへ移行いこうするパターンがおおい。スタンディングしきからそのままつづ胴締どうじしきとう移行いこうする場合ばあいもある。
フロント・ネックロック
フロントチョークと同様どうよう体勢たいせいからくびめるのではなく、相手あいてくびげることにより、頸椎へのダメージをねらくび関節かんせつわざ。2003ねん1がつの、東京とうきょうドーム大会たいかいで、安田やすだ忠夫ただおからギブアップをうばったわざで、デビュー直後ちょくごからシャイニング・トライアングルをすまでのあいだは、うでひしぎぎゃく十字じゅうじかためとなら必殺ひっさつわざであった。CHAOS結成けっせいごろから使用しよう頻度ひんどふたたえ、このわざでギブアップをうばうことはほとんどないが、相手あいてのスタミナをわざとしても使つかわれる。

わざ[編集へんしゅう]

ムーンサルト・プレス
2008ねんのIWGP王座おうざ獲得かくとく以降いこう一時いちじてき使用しようしたわざ基本きほんてきに2かい連続れんぞくはなっていた。また、実況じっきょうがよくムーンサルトとエルニーニョを間違まちがってしまうことがあった。
エルニーニョ
片足かたあしをセカンドロープにせた状態じょうたいからひざてるムーンサルトプレスわざめい由来ゆらいは2004ねんのG1 CLIMAXにけ、「エルニーニョ現象げんしょうこす」とマスコミにけてはっしたコメント。このわざいまとなってはられなくなった。
骭下(らかんか)
コーナーからはな相手あいて顔面がんめんけてのニー・ドロップ。2004ねんのG1 CLIMAXにおける永田ながたせんはつ公開こうかい。なお、わざめい漢方薬かんぽうやく原料げんりょうであるラカンカ羅漢らかんはて)をもじったものとされる(「骭」は「ずね(のほね)」の)。相手あいて頭部とうぶをうつ状態じょうたいでリングのエプロンにるようにき、みずからはエプロンから場外じょうがいにダイブするかたちめる「断崖だんがいしき」も存在そんざい

連携れんけいわざ[編集へんしゅう]

てんちゅうころせ (w/天山あまやま広吉ひろきち
天山あまやま広吉ひろきちがマウンテンボムの体勢たいせいげた相手あいてちゅう邑がびつきしきDDTをめる

その[編集へんしゅう]

脱力だつりょくブレイク
ロープぎわ攻防こうぼう相手あいてんだのちブレイクまえのめりになり相手あいて挑発ちょうはつする。
がわてん
うでをとったのちひねりをくわえるときや、ぎゃくうでをとられた状態じょうたいからのかえしに序盤じょばん使用しようする。初代しょだいタイガーマスクたたかったスティーブ・ライトうごきを参考さんこうにしたもの。
ロー・ブロー
急所きゅうしょ攻撃こうげき
2018ねんレッスルマニア34にてヒールターンをして以降いこう要所ようしょすようになった。2019ねん以降いこう封印ふういんしている。

台詞ぜりふ[編集へんしゅう]

出典しゅってん[55]

  • 「たぎる」
ちゅう邑の興奮こうふん度合どあいをあらわ台詞せりふ(「たぎってきたぜ」、「たぎらせてくれよ」、「たぎらねぇ」などのいいまわしで使用しようされる)。
  • 「イヤァオ」
ちゅう邑の興奮こうふん最高潮さいこうちょうたっしたときはっせられる雄叫おたけびで、観客かんきゃくむこともある。
対戦たいせん相手あいてから挑戦ちょうせんけたさいは「どうしよっかな〜」→「こたえはこうだ」→「イヤァオ」のながれで使用しようする。
WWE移籍いせきつづ使用しようされている。
  • 一番いちばんスゲェのはプロレスなんだよ」
大会たいかいめで使用しようされることがおおい。
  • 「Come on!」(日本語にほんご発音はつおんはカモーン!)
WWE移籍いせきから使用しようはじめる。おも試合しあいちゅうなどに相手あいて挑発ちょうはつするさいはっしている。独特どくとくあいだいてからうことがおおいため、場合ばあいによっては相手あいて妨害ぼうがいされることもある。

タイトルれき[編集へんしゅう]

WWE US王座おうざ
WWEインターコンチネンタル王座おうざ
IWGPインターコンチネンタル王座おうざこしなか邑。
WWE
w /セザーロ
  • ロイヤルランブル 優勝ゆうしょう(2018ねん
  • 2016ねん NXT年間ねんかん最優秀さいゆうしゅう男子だんし選手せんしゅしょう
  • 2016ねん NXT年間ねんかん最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅしょう
しん日本にっぽんプロレス
23さい9ヶ月かげつというわかさで戴冠たいかん最年少さいねんしょう戴冠たいかん記録きろく保持ほじしゃいまだにこの記録きろくやぶられていない。
戴冠たいかん封印ふういん
戴冠たいかん封印ふういん
w /棚橋たなはしひろしいたり
w /ちょう正洋まさひろ
プロレス大賞たいしょう

入場にゅうじょうテーマきょく[編集へんしゅう]

  • Shadows of a Setting Sun
「The Rising Sun」をロック調ちょうにアレンジしたもので日本語にほんごラップが挿入そうにゅうされている。WWEにてヒールターンして以降いこう使つかっていた。
  • The Rising Sun
NXT/WWEにて、2016ねん4がつ - 2018ねん4がつまで使用しよう。ヴァイオリンのイントロからきょく旋律せんりつわせ、感極かんきわまった表情ひょうじょう全身ぜんしんをくねらせて独特どくとくのポーズをりながら入場にゅうじょう客席きゃくせき旋律せんりつ合唱がっしょうするのが恒例こうれいになっている。サビの部分ぶぶんでロープぎわはしり、からだをのけぞらせてリングに仰向あおむけにくずちたのちがり、おおきな身振みぶりでリング中央ちゅうおうにタッチダウンするルーティンで入場にゅうじょうを〆る。試合しあいによってはバイオリニスト(リー・イングランドJr.)や弦楽げんがくたいともなって入場にゅうじょうする。ヒールターン以降いこう使つかわれていなかったが、2021ねん1がつ15にち現地げんち時間じかん)のSmackDownよりふたたびThe Rising Sunを使つかはじめた。
2023ねん6がつ30にちには、べい人気にんきラッパーのリル・ウージー・ヴァートがこの楽曲がっきょくをサンプリングした「Nakamura」をリリースし[56]同年どうねん7がつ15にちづけべいビルボード Hot100で71にエントリーした[57]
  • Subconscious entry version
2004ねん5がつ - 2009ねん4がつ、2009ねん8がつ - 2016ねん1がつまで使用しよう
2009ねん5がつ - 7がつまで使用しよう現在げんざいは「CHAOSのテーマきょく」として使用しようされている。
  • Moving City
デビュー当時とうじのテーマきょく。2002ねん - 2004ねん4がつまで使用しよう以降いこう使用しようされることはなかったが、2009ねん9がつ27にちのIWGPせんふたた使用しようした。

総合そうごう格闘技かくとうぎ[編集へんしゅう]

総合そうごう格闘技かくとうぎ 戦績せんせき
5 試合しあい (T)KO 一本いっぽん 判定はんてい その 無効むこう試合しあい
3 かち 0 3 0 0 0 1
1 はい 0 1 0 0
勝敗しょうはい 対戦たいせん相手あいて 試合しあい結果けっか 大会たいかいめい 開催かいさい年月日ねんがっぴ
アレクセイ・イグナショフ 2R 1:51 ギロチンチョーク ROMANEX 格闘技かくとうぎ世界一せかいいち決定けっていせん 2004ねん5がつ22にち
アレクセイ・イグナショフ 3R 1:19 無効むこう試合しあい K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!! 2003ねん12月31にち
シェーン・アイトナー 1R 4:29 V1アームロック Jungle Fight 1 2003ねん9がつ13にち
ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ 2R 3:12 ギロチンチョーク しん日本にっぽんプロレス ULTIMATE CRUSH 2003ねん5がつ2にち
× ダニエル・グレイシー 2R 2:14 うでひしぎじゅうかた INOKI BOM-BA-YE 2002 2002ねん12月31にち

芸術げいじゅつ[編集へんしゅう]

ちゅう邑はペインティングを得意とくいとしている。学生がくせい時代じだいからレスリング美術びじゅつち、双方そうほう活躍かつやくしてきた。岡本おかもと太郎たろうにインスパイアされWEBじょうかれえがく「プロレスラー」という作品さくひん公開こうかいされている。そしてみずかえがいた100てんえる絵画かいがをもって、絵画かいがてん主催しゅさいしたことがある。またNHKEテレデザインあ」の『デッサンあ』のコーナーにも出演しゅつえんしたこともある。ジャーナルスタンダードやRVCAなどのアパレルにデザインを提供ていきょうしている。

展覧てんらんかい[編集へんしゅう]

『TOKYO WRESTLING ARTS』ちゅう邑真輔 vs ロジャー・ミカサ 現代げんだい美術びじゅつてん
2008ねん平成へいせい20ねん)12月12にち - 18にち
東京とうきょう青山あおやまSPACE INTART GALLERY

イラスト[編集へんしゅう]

  • 『イタいじんにならない自分じぶん発信はっしんりょく原村はらむら和子かずこビジネスしゃ、2010ねん6がつ16にち) - 担当たんとう
  • 「いざたたかいのクリスマス MORE's Xmas」(横浜よこはまモアーズ、2015ねん、11月)- キャンペーンイラスト

その[編集へんしゅう]

  • しん日本にっぽんプロレス在籍ざいせき初期しょき総合そうごう格闘技かくとうぎしょくつよいスタイルであったが、学生がくせい時代じだいはインディーから女子じょしプロレスまでいかける生粋きっすいのプロレスマニアであった。LLPW旗揚はたあ当時とうじのメンバーを暗唱あんしょうできるなど、知識ちしき豊富ほうふである。2008ねん2がつ放送ほうそうされたFIGHTING TV サムライの『P-1選手権せんしゅけん だい1かいプロレスクイズおう決定けっていせん』ではしん日本にっぽんチームの一員いちいんとして出場しゅつじょうし(メンバーは海野うみの宏之ひろゆき週刊しゅうかんプロレス記者きしゃ1めい)、その豊富ほうふ知識ちしきりょう一端いったん披露ひろうしてチームの優勝ゆうしょう貢献こうけんした。
  • ほかにも、テレビにも度々たびたび出演しゅつえんしており、『こいするハニカミ!』(相手あいては「当時とうじ年下としした」の夏川なつかわじゅん)や『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』などのバラエティ番組ばんぐみマクドナルド資生堂しせいどうunoのCMに出演しゅつえんした。
  • 2014ねん5がつファレル・ウィリアムス「ハッピー」のミュージックビデオに出演しゅつえん[58]。2015ねん1がつにはテンプラキッズ「ミイラキラー」のミュージックビデオに出演しゅつえん[59]
  • 2014ねん9がつから2015ねん8がつまでムックほん日本にっぽんプロレス事件じけん』(ベースボールマガジンしゃ)においてコラム「ちゅう邑真輔が歴史れきしてきいちせん徹底てってい分析ぶんせき!」を連載れんさいしていた(ぜん12かい[60]
  • 2016ねん4がつ、NXTで使用しようする入場にゅうじょうテーマきょく「Rising Sun」がiTunesのサウンドトラックチャートでだいいちかがや[61]
  • 2020ねん9がつ日常にちじょうをファンと共有きょうゆうするオンライン・ファンクラブ「SHINSUKE NAKAMURA SECRET」を開設かいせつ新型しんがたコロナによる制約せいやく人々ひとびととつながるじゅつかんがえ、スーパースターであるために必須ひっすなトレーニング、武術ぶじゅつ稽古けいこ、サーフィン、衣食住いしょくじゅういぬ散歩さんぽまでをファンに発信はっしん交流こうりゅうしている。

CM出演しゅつえん[編集へんしゅう]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • ちゅう邑真輔の一見いっけんさんおことわり』(kamipro books)2010ねん3がつ17にちちゅう邑真輔著、エンターブレイン)
  • しん日本にっぽんプロレスブックス『ちゅう邑真輔自でん KING OF STRONG STYLE 1980-2004』2014ねん5がつ24にちちゅう邑真輔著、イースト・プレス)
  • しん日本にっぽんプロレスブックス『ちゅう邑真輔自でん KING OF STRONG STYLE 2005-2014』2014ねん11月16にちちゅう邑真輔著、イースト・プレス)
  • THE RISING SUN のぼ場所ばしょへ(2017ねん9がつ6にち双葉社ふたばしゃ
  • SHINSUKE NAKAMURA USA DAYS (2017ねん9がつ7にち、イーストプレス)

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 「ゴング 新装しんそうかん」1ごう発行はっこう:アイビーレコード、発売はつばい徳間書店とくましょてん、2014ねん10がつISBN 978-4-19-710388-1 
  2. ^ a b c d e スポーツアルバム 2014, pp. 32–33, 「母親ははおやかた息子むすこちゅう邑真輔の実像じつぞう -」
  3. ^ RJW WK NETWORK
  4. ^ ちゅう邑真輔と岡見おかみ勇信ゆうしん対談たいだん実現じつげん岡見おかみしん日本にっぽん参戦さんせんゆめかたる!! kamipro.com 2009ねん11月16にち
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be スポーツアルバムNo.49『ちゅう邑真輔 しん日本にっぽんプロレス[CHAOS]』pp67 - 81「完全かんぜん保存ほぞんばん ちゅう邑真輔 国内こくないぜん試合しあい記録きろく ~2002ねん8がつ>>>2014ねん5がつ~」
  6. ^ ちゅう邑真輔 日本にっぽんレスリング協会きょうかい 選手せんしゅ&大会たいかいデーターベース
  7. ^ プロレススポーツアルバムNo.49 pp23
  8. ^ スポーツアルバムNo.49 pp24
  9. ^ スポーツアルバムNo.49 pp53
  10. ^ a b c d e f スポーツアルバムNo.49 pp26
  11. ^ しゅくちゅう邑真輔選手せんしゅ結婚けっこん しん日本にっぽんプロレス公式こうしきサイト 2007ねん9がつ1にち
  12. ^ 3代目だいめIWGPベルトは、ブロック・レスナーによって流出りゅうしゅつ、カート・アングルへの無断むだん譲渡じょうとされるとうまけのイメージ」がつよがったため
  13. ^ スポーツアルバムNo.49 pp25
  14. ^ 3代目だいめIWGPベルトが流出りゅうしゅつちゅうしん日本にっぽんプロレスは、2代目だいめIWGPベルトをかりのベルトとして使用しようしていた。2代目だいめベルトは、橋本はしもとしん也が急逝きゅうせいした2005ねんしん日本にっぽんから橋本はしもと寄贈きぞうされたかたちになっていた
  15. ^ かつてちゅう邑がIWGPヘビーきゅう王座おうざについたさい棚橋たなはしがしつこく挑戦ちょうせんをアピールしたとき棚橋たなはしが「うっとうしいだろ」と、マイクアピールしたパターンをさかしゅかたちになる
  16. ^ スポーツアルバムNo.49 pp29
  17. ^ ファレしん王者おうじゃ ちゅう撃破げきはだい金星きんぼし!”. 東京とうきょうスポーツ (2014ねん6がつ22にち). 2014ねん6がつ22にち閲覧えつらん
  18. ^ インターコンチ王者おうじゃちゅう邑がしんにちプロ退団たいだん!WWE - (2016ねん1がつ7にち) 東京とうきょうスポーツweb 2016ねん1がつ7にち閲覧えつらん
  19. ^ ちゅう邑真輔WWE移籍いせき浮上ふじょう新日本しんにほんは「はなしていない」 - (2016ねん1がつ8にち)
  20. ^ ちゅう邑真輔選手せんしゅ退団たいだんのおらせ”. しん日本にっぽんプロレスリング (2015ねん1がつ12にち). 2016ねん1がつ12にち閲覧えつらん
  21. ^ ちゅう邑真輔、リングネームは「シンスケ・ナカムラ」か”. nikkansports.com. 2016ねん2がつ6にち閲覧えつらん
  22. ^ Shinsuke Nakamura signs with WWE NXT”. WWE.com. 2016ねん2がつ21にち閲覧えつらん
  23. ^ ちゅう邑真輔がWWEと正式せいしき契約けいやく。「世界せかいにぶつけたい。イヤァオ!」”. スポーツナビ. 2016ねん2がつ22にち閲覧えつらん
  24. ^ ちゅう邑真輔、WWE傘下さんかNXT部門ぶもん一員いちいんとして契約けいやく”. nikkansports.com. 2016ねん2がつ22にち閲覧えつらん
  25. ^ 柳澤やなぎさわけん『2011ねん棚橋たなはしひろしいたりちゅう邑真輔』(2017ねん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう)386‐389ぺーじ
  26. ^ WWE NXT results - March 16, 2016: American Alpha and Vaudevillains square off for title opportunity, Sami Zayn and Shinsuke Nakamura set for Dallas dream match”. WWE.com. 2016ねん3がつ16にち閲覧えつらん
  27. ^ NXT TakeOver Dallas Results - 4/1/16 (Balor vs. Joe)”. Wrestleview.com. 2016ねん4がつ1にち閲覧えつらん
  28. ^ WWE NXT Live Event Results From Concord (4/7): Shinsuke Nakamura And Finn Balor Team, Asuka, More”. WrestlingInc.com. 2016ねん4がつ7にち閲覧えつらん
  29. ^ WWE NXT Results – 5/25/16 (Triple Threat NXT Women’s Title #1 Contenders Match main events, TM-61 debuts)”. Wrestleview.com. 2016ねん5がつ26にち閲覧えつらん
  30. ^ NXT TakeOver: The End Results – 6/8/16 (Samoa Joe retains the NXT Title, Austin Aries vs. Shinsuke Nakamura, lots of debuts)”. Wrestleview.com. 2016ねん6がつ8にち閲覧えつらん
  31. ^ WWE”. WWE.co.jp. 2016ねん7がつ3にち閲覧えつらん
  32. ^ ちゅう邑真輔、日本にっぽん凱旋がいせんでジェリコを撃破げきはアンブローズが3Wayせんせい防衛ぼうえい - スポーツナビ”. sports.yahoo.co.jp. 2016ねん7がつ3にち閲覧えつらん
  33. ^ Video – Shinsuke Nakamura Wins The NXT Championship”. SeScoops.com. 2016ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  34. ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161203-00000030-tospoweb-fight
  35. ^ WWE Smackdown Results – 4/4/17 (Fallout from WrestleMania 33)”. Wrestleview.com. 2017ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  36. ^ NXT stars debut on Smackdown Live, Nikki Bella taking time off from WWE”. Wrestleview.com. 2017ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  37. ^ WWE Backlash Results – 5/21/17 (Orton vs. Mahal, Nakamura debut)”. Wrestleview.com. 2017ねん5がつ21にち閲覧えつらん
  38. ^ WWE SummerSlam Results WWE SummerSlam Results – 8/20/17 (Fatal 4-Way headlines in Brooklyn)”. Wrestleview.com. 2017ねん8がつ20日はつか閲覧えつらん
  39. ^ 【WWE】ちゅう邑 日本人にっぽんじんはつ王座おうざ奪取だっしゅならず!インドの怪人かいじんにまさかのフォール”. ひがしスポweb. 2017ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  40. ^ 週刊しゅうかんプロレス2017ねん9がつ13にちごうpp.37-39.
  41. ^ ちゅう邑真輔フォールけ、ヘビーきゅう王座おうざ挑戦ちょうせんまたも失敗しっぱい 日刊にっかんスポーツ 2017ねん10がつ9にち172ふん(2017ねん10がつ11にち閲覧えつらん
  42. ^ Royal Rumble 2018 results: Shinsuke Nakamura wins men’s Royal Rumble after epic battle”. sbnation.com. 2018ねん1がつ28にち閲覧えつらん
  43. ^ 【レッスルマニア34速報そくほう偉業いぎょう失敗しっぱいなか邑真輔、まさかのぎゃくギレで王者おうじゃAJを暴行ぼうこう”. Sporting News. Perform Group (2018ねん4がつ9にち). 2018ねん4がつ9にち閲覧えつらん
  44. ^ WWE Extreme Rules 2018 results: Lashley upends Reigns, Kevin Owens takes scary fall”. Sporting News. 2018ねん7がつ16にち閲覧えつらん
  45. ^ 12月18にち収録しゅうろく[1]
  46. ^ PWMania.com (2018ねん12月25にち). “WWE SmackDown Results – December 25, 2018”. PWMania.com Staff. 2018ねん12月26にち閲覧えつらん
  47. ^ WWE Royal Rumble 2019 LIVE results: Latest updates and matches as they happened”. Mirror. 2018ねん1がつ28にち閲覧えつらん
  48. ^ WWE Extreme Rules 2019 Results: Winners, Grades, Highlights And Analysis”. Forbes. 2019ねん7がつ14にち閲覧えつらん
  49. ^ Braun Strowman def. Shinsuke Nakamura to win the Intercontinental Title”. WWE.com. 2020ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  50. ^ ちゅう邑真輔 緊急きんきゅう帰国きこく猪木いのきさん葬儀そうぎ参列さんれつ…WWEのはからいに感謝かんしゃれることができて本当ほんとうによかった」”. ひがしスポWEB (2022ねん10がつ14にち). 2022ねん10がつ31にち閲覧えつらん
  51. ^ 【WWE】ちゅう邑真輔5ねんぶりNXTで試合しあい 猪木いのきさん葬儀そうぎ出席しゅっせきはつ試合しあい観客かんきゃくだい熱狂ねっきょう - プロレス : 日刊にっかんスポーツ”. nikkansports.com. 2022ねん11月1にち閲覧えつらん
  52. ^ 【1.1 日本武道館にほんぶどうかん大会たいかい】グレート・ムタ見参けんざん対戦たいせん相手あいてはWWEスーパースター SHINSUKE NAKAMURA!!”. プロレスリング・ノア公式こうしきサイト | PRO-WRESTLING NOAH OFFICIAL SITE. 2022ねん10がつ30にち閲覧えつらん
  53. ^ 【WWE】ちゅう邑真輔5ねんぶりNXTで試合しあい 猪木いのきさん葬儀そうぎ出席しゅっせきはつ試合しあい観客かんきゃくだい熱狂ねっきょう”. 日刊にっかんスポーツ (2022ねん10がつ20日はつか). 2022ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  54. ^ ちゅう邑アチョ~! カンフーで武藤むとうえ!?”. 多重たじゅうロマンチック (2008ねん4がつ7にち). 2014ねん4がつ6にち閲覧えつらん
  55. ^ スポーツアルバムNo.49 pp54 - 55 「NakamuraWords」
  56. ^ 【WWE】ちゅう邑真輔MITB制覇せいはならずも…べいちょう人気にんきラッパーがコラボきょく「Nakamura」発表はっぴょう”. 東京とうきょうスポーツ (2023ねん7がつ2にち). 2023ねん7がつ3にち閲覧えつらん
  57. ^ THE HOT 100 Week of July 15, 2023”. ビルボード. 2023ねん7がつ11にち閲覧えつらん
  58. ^ ファレル・ウィリアムス「ハッピー」MVにBiS、ふなっしー、オカダカズチカ&ちゅう邑真輔が出演しゅつえん”. OTOTOY (2014ねん5がつ1にち). 2015ねん3がつ13にち閲覧えつらん
  59. ^ IWGPインターコンチネンタル選手権せんしゅけんちゅう邑vsめしふくあおりVTRのスピンオフ企画きかくちゅう邑真輔×テンプラキッズverのMV『ミイラキラー』」がYouTubeで公開こうかいちゅう!!”. しん日本にっぽんプロレスリング (2015ねん1がつ28にち). 2015ねん3がつ13にち閲覧えつらん
  60. ^ しん日本にっぽんプロレスリング:ちゅう邑がジャイアント馬場ばばかたる! 新日本しんにほんvsきゅうUWFの内幕うちまく! 『日本にっぽんプロレス事件じけん』Vol.3は、11月17にちつき発売はつばい!”. しん日本にっぽんプロレスリング (2014ねん11月15にち). 2014ねん11月17にち閲覧えつらん
  61. ^ Nakamura’s entrance theme is the No .1 iTunes soundtrack song”. WWE. 2016ねん4がつ16にち閲覧えつらん
  62. ^ 棚橋たなはしちゅう邑両選手せんしゅがTVCMに出演しゅつえん”. しん日本にっぽんプロレスリング. 2017ねん11月30にち閲覧えつらん
  63. ^ にちしんのどん兵衛ひょうえ禁断きんだん出会であへん”. 日清食品にっしんしょくひんグループ. 2019ねん5がつ15にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 「スポーツアルバム No.49 ちゅう邑真輔 しん日本にっぽんプロレス[CHAOS]」、スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、2014ねん6がつISBN 978-4-583-62127-2 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]