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ロブ・ヴァン・ダム

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ロブ・ヴァン・ダム
ロブ・ヴァン・ダムの画像
プロフィール
リングネーム ロブ・ヴァン・ダム
ロビーV
本名ほんみょう ロバート・アレクサンダー・ザットコウスキー
ニックネーム RVD
ミスター・マンデーナイト
身長しんちょう 183cm
体重たいじゅう 107kg
誕生たんじょう (1970-12-18) 1970ねん12月18にち(53さい
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ミシガン州の旗 ミシガンしゅう
バトルクリーク
所属しょぞく AEW
スポーツれき 空手からて
トレーナー ザ・シーク
サブゥー
デビュー 1990ねん
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ロブ・ヴァン・ダムRob Van Dam1970ねん[1]12月18にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく男性だんせいプロレスラーミシガンしゅうバトルクリーク出身しゅっしんAEW所属しょぞく本名ほんみょうロバート・ザットコウスキーRobert Alexander Szatkowski)。頭文字かしらもじってRVD愛称あいしょうられる。

また選手せんしゅ紹介しょうかい勝利しょうりしゃ紹介しょうかいなどで自分じぶん名前なまえがコールされる(または自分じぶんでコールする)さいに、両手りょうて親指おやゆび自身じしん指差ゆびさすポーズは非常ひじょうにポピュラーであり[2]、ファンからはそのうごきにわせて"Rob Van Dam(またはRVD)"のチャント(コール、ごえ)のだい合唱がっしょうきる。

来歴らいれき

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キャリア初期しょき

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デトロイトザ・シークのコーチをけ、1990ねんにプロレスラーデビューをたす。

1991ねん、USWA(United States Wrestling Association)やICWA(International Championship Wrestling Alliance)などインディー団体だんたい参戦さんせんし、12月にはジャン=クロード・ヴァン・ダム容姿ようしやアクションがていたことからロン・スリンカーから現在げんざいでも使用しようしているロブ・ヴァン・ダムRob Van Dam)のリングネームあたえられる。

1992ねんWCW契約けいやくわし入団にゅうだんロビーVRobby V)のリングネームで活動かつどうし、1993ねん1がつ11にちパット・ローズとのシングルマッチでデビューし、勝利しょうりした。1993ねんには全日本ぜんにほんプロレス参戦さんせんするためはつ来日らいにち全日本ぜんにほんプロレスに常連じょうれん参戦さんせんしている外国がいこくじんレスラーたちとんで出場しゅつじょうするも結果けっかことができずに帰国きこくした。WCW復帰ふっきはハウスショーでの出場しゅつじょう中心ちゅうしんとなり、1994ねん解雇かいことなった。

WCW解雇かいこ、リングネームをロブ・ヴァン・ダムへともどしてNWC(National Wrestling Conference)、ASW(All-Star Wrestling)に参戦さんせんする一方いっぽうで、全日本ぜんにほんプロレスの常連じょうれんとして定期ていき参戦さんせん1995ねん10月1にちには世界せかいジュニアヘビーきゅう王座おうざ保持ほじするダニー・クロファット挑戦ちょうせんするチャンスをあたえられるが、ベルトを奪取だっしゅするにいたらなかった。11月には世界せかい最強さいきょうタッグ決定けっていリーグせんジョニー・スミスんでエントリーするも2てんという結果けっかわっている。

1996ねん、ロブ・ヴァン・ダムの知名度ちめいど全米ぜんべいちゅうひろめるきっかけとなるハードコア・レスリング信条しんじょうとする団体だんたいであるECW参戦さんせん。1月5にちのイベント、House Partyにてトップレスラーであるアクセル・ロッテン相手あいてにデビューせんおこな金星きんぼした。同月どうげつ27にちサブゥーとのシングルマッチで反則はんそくけとなるが、サブゥーを尊敬そんけいするようになり、ライバルでありながら師弟してい関係かんけいきずことになる。5月11にちA Matter of Respect 1996ビル・アルフォンソをマネージャーにしたがえ、リスペクトマッチとだいしてサブゥーとシングルマッチをおこな師匠ししょうえをたすと同時どうじにヒールターンし、こうそうへと展開てんかい

9月13にちUnlucky Lotteryにてサブゥーとの直接ちょくせつ対決たいけつにて敗戦はいせんとなるが、試合しあいにおたがいをみといタッグを結成けっせいECW世界せかいタッグ王座おうざめぐってイリミネーターズジョン・クローナス & ペリー・サターン)、ギャングスターズニュー・ジャック & ムスタファ・サイード)と3Wayマッチやデスマッチなどであらそうがベルトを奪取だっしゅするにいたらなかった。

1997ねん1がつ、サブゥーととも全日本ぜんにほんプロレスに参戦さんせん空中くうちゅうせん存分ぞんぶんって観客かんきゃく魅了みりょう連勝れんしょうする活躍かつやくせて25にちにはアジアタッグ王座おうざ保持ほじする大森おおもり隆男たかお & 秋山あきやまじゅん挑戦ちょうせんするが敗戦はいせんとなった。

5月にはWWFへと契約けいやくながらも参戦さんせんし、ジェリー・ローラーとのタッグで活躍かつやく。6月16にちにはWWF世界せかいタッグ王座おうざトーナメント決勝けっしょうにてザ・ヘッドバンガーズモッシュ & スラッシャー)と対戦たいせんするが敗戦はいせんした。

1998ねん4がつ4にちECW世界せかいTV王座おうざ保持ほじするバンバン・ビガロから勝利しょうりしてECWでのはつ王座おうざ戴冠たいかんたす。このベルトにかんしては故障こしょうする2000ねん3がつまで23かげつあいだ保持ほじする記録きろく樹立じゅりつ。6月27にちにはサブゥーとのタッグでクリス・キャンディード & ランス・ストームからECW世界せかいタッグ王座おうざ奪取だっしゅしてかんおうになる。10月24にちにはダッドリー・ボーイズババ・レイ・ダッドリー & ディーボン・ダッドリー)からECW世界せかいタッグ王座おうざうばわれるが、12月13にち日本にっぽん後楽園こうらくえんホール開催かいさいされたECW & FMW共同きょうどうイベントにてうばかえし、2度目どめ戴冠たいかんとなった。

1999ねん以降いこう、ECW世界せかいTV王座おうざ死守ししゅつづけていたが2000ねん3がつ負傷ふしょう欠場けつじょうして王座おうざ返還へんかん。5月に復帰ふっきしてからは王座おうざ戦線せんせんにはからまかったもののストーリーラインを中心ちゅうしんにECWをささつづけ、2001ねん1がつ13にちGuilty As Charged 2001ジェリー・リンとのシングルマッチを最後さいごにECWは崩壊ほうかいむかえた。

2001ねん、ECW崩壊ほうかいの2がつには全日本ぜんにほんプロレスにスポット参戦さんせんし、7がつよりWWFと契約けいやくわし入団にゅうだん。WCWとECWの連合れんごうぐんアライアンス一員いちいんとしてヒールでの活動かつどうであったが、レスリングスタイルが観客かんきゃくから支持しじされて人気にんきたかかった。ECWでの経験けいけんもあってかWWEハードコア王座おうざだい活躍かつやくし、アライアンスの中心ちゅうしん人物じんぶつ一人ひとりとして11月18にちのPPV、Survivor Series 2001では最終さいしゅう決戦けっせんとなるエリミネーションマッチの5にんのうちの一人ひとりとしてえらばれた。

アライアンス崩壊ほうかいベビーフェイス転向てんこう。RAWとSmackDown!へとブランドを分割ぶんかつしてRAWに所属しょぞくし、IC王座おうざとして長期ちょうき保持ほじした。2004ねん3月21にちにはドラフトでSmackDown!に移籍いせきし、当時とうじのパートナーのブッカーTととも移籍いせきしたがブッカーTはSmackDown!に馴染なじめなかったという理由りゆうからヒールターンし、一時いちじ抗争こうそうをする。2005ねん1がつ27にちにはひざ手術しゅじゅつおこな長期ちょうき欠場けつじょうすることになる。

6月12にちもとECW関係かんけいしゃ参加さんかしておこなわれたWWE主催しゅさいのPPV、WWE ECW's One Night Standマイクパフォーマンス登場とうじょう。ただし、このパフォーマンスはこうそうとなる伏線ふくせんとなっていて、はなしている最中さいちゅうライノから襲撃しゅうげきされ、サブゥーからたすけられた。ライノ vs サブゥーの試合しあいにおいて、ロブ・ヴァン・ダムがサブゥーの勝利しょうりをアシストしている。

2005ねん6がつ27にち、RAWへとさい移籍いせきやく1年間ねんかんのブランクをて、2006ねん1がつ29にちRoyal Rumble 2006にてロイヤルランブルマッチに20番目ばんめとして登場とうじょうした。

4がつ2にちWrestleMania 22ではマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチ出場しゅつじょうして勝利しょうりし、1年間ねんかん王座おうざ挑戦ちょうせんけん獲得かくとくした。6月11にちECW's One Night Stand 2006にてWWE王者おうじゃであるジョン・シナ相手あいて権利けんり行使こうしし、エッジポール・ヘイマン介入かいにゅうたすけられ、最後さいごにはエッジのスピアーからファイブスター・フロッグスプラッシュをめてベルトを奪取だっしゅした。6月13にち復活ふっかつしたECWにて、ポール・ヘイマンからECW世界せかいヘビーきゅう王座おうざ贈呈ぞうていされた。しかし、7がつ2にち違法いほう薬物やくぶつ所持しょじでサブゥーととも逮捕たいほされたことけてよく3にちのRAWでエッジにやぶれてWWE王座おうざうしない、さらにそのよく4にちのECWでもヘイマンの裏切うらぎりによりビッグ・ショーからECW世界せかいヘビーきゅう王座おうざうばわれてしまった。以降いこう、WWEが30日間にちかん謹慎きんしん処分しょぶん発表はっぴょうした。

ECWオリジナルズ

2007ねん、ECWオリジナルメンバーによるユニット、ECWオリジナルズとしてニュー・ブリードとのこうそう開始かいし。4月1にちWrestle Mania 23では、トミー・ドリーマー & サブゥー & サンドマンんでニュー・ブリード(イライジャ・バーク & ケビン・ソーン & マーキス・コー・ヴァン & マット・ストライカー)と8にんせいタッグマッチをおこな勝利しょうりした。そのは、ビンス・マクマホンうばわれたECW王座おうざのベルトを奪還だっかんしようとするうごきはられるが、それほど目立めだった活躍かつやくができなかった。6月30にち契約けいやく満了まんりょうともな更新こうしんおこなわずWWEを退団たいだん退団たいだんきたと宣言せんげん

12月10にち、RAW15周年しゅうねん特別とくべつ番組ばんぐみ登場とうじょうサンティーノ・マレラ対戦たいせんしてファイブスター・フロッグスプラッシュをめて、勝利しょうりした。

インディー団体だんたい

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2008ねんポルトガル団体だんたいであるAPW(Associacao Portuguesa de Wrestling)やもとWWEレスラーが多数たすう参戦さんせんしているイタリア団体だんたいであるNWE(New Wrestling Entertainment)などヨーロッパのインディー団体だんたい参戦さんせん。NWEではオーランド・ジョーダンとシングルマッチやキシ(リキシ)とタッグをんで試合しあいおこなった。

8がつ15にちにはIGF参戦さんせんするため来日らいにち。GENOME6へ出場しゅつじょうし、ネクロ・ブッチャーケンドー・カシンとの3Wayマッチをおこな勝利しょうりした。

2009ねん1がつ29にち、WWEのPPV、Royal Rumble 2009にて一夜いちやかぎりの電撃でんげき参戦さんせんたし、ロイヤルランブルマッチに25番目ばんめ登場とうじょうするもクリス・ジェリコとされて敗退はいたいした。

3月よりAWR(American Wrestling Rampage)に参戦さんせんし、ヨーロッパツアーに帯同たいどうレネ・デュプリとAWRノーリミッツ王座おうざめぐってこうそう、サブゥーとのハードコアマッチ展開てんかいした。11月にはふたたびAWRに参戦さんせんし、レネ・デュプリとAWRヘビーきゅう王座おうざあらそった。

2010ねん3月、TNA契約けいやくわして入団にゅうだん同月どうげつ8にちiMPACT!はつ登場とうじょうし、スティング対戦たいせんしてびょうころせ勝利しょうりした。しかし、試合しあい終了しゅうりょうにスティングからバットで殴打おうだされた。3月22にちTNA世界せかいヘビーきゅう王座おうざめぐってジェフ・ハーディー短期たんきてきながら共闘きょうとう。4月5にちジェームズ・ストームから因縁いんねんをつけられて対戦たいせんするが勝利しょうりし、4がつ18にちにはPPVであるLockdown 2010スティールケージマッチ再戦さいせんおこなうもかえちにしてみせた。

4がつ19にち、TNA世界せかいヘビーきゅう王座おうざ挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんにてジェフ・ハーディーと対戦たいせんして勝利しょうりし、挑戦ちょうせんけんた。同日どうじつにTNA世界せかいヘビーきゅう王座おうざ保持ほじするAJスタイルズ挑戦ちょうせんして勝利しょうりし、ベルトを奪取だっしゅしてみせた。王座おうざ戴冠たいかん長期ちょうき政権せいけんきずき、10がつ10日とおかにジェフ・ハーディーにやぶれて王座おうざ陥落かんらくするまでまもつづけ、また、7がつよりECWオリジナルメンバーで結集けっしゅうされたユニットであるEV 2.0(Extreme, Version 2.0)の中心ちゅうしんとして活躍かつやくした。

2011ねん1がつ4にち当時とうじTNAと提携ていけいしていたしん日本にっぽんプロレスはつ参戦さんせんすることになり、年間ねんかん最大さいだいのイベントであるレッスルキングダムV in 東京とうきょうドーム出場しゅつじょう矢野やのとおるハードコアマッチおこない、最後さいごにはファイブスター・フロッグスプラッシュをめて勝利しょうりした[3]

1がつ9にち、PPVであるGenesis 2011にて移籍いせきしてきたマット・ハーディー対戦たいせんして敗戦はいせんし、こうそうへと展開てんかいするかとおもわれたが、マット・ハーディーのコンディショニング不足ふそくにより試合しあい巧者こうしゃのロブ・ヴァン・ダムでさえも試合しあい成立せいりつできないことからわずかいちヶ月かげつ終了しゅうりょうとなった。以降いこう、スティングとミスター・アンダーソンとTNA世界せかいヘビーきゅう王座おうざめぐってこうそうするもベルトを奪取だっしゅするにいたらなかった。

6月18にちメキシコのメジャー団体だんたいであるAAA年間ねんかん最大さいだいイベントであるTripleMania XIXにTNAからの刺客しかくとしてはつ参戦さんせんし、AAAラテンアメリカン王座おうざ保持ほじするドクトル・ワグナー・ジュニア挑戦ちょうせんするも敗戦はいせんした。

10月16にち年間ねんかん最大さいだいのPPVであるBound for Glory 2011にてECW時代じだい盟友めいゆうであるジェリー・リンと対戦たいせんして勝利しょうりし、試合しあいにはおたがいをみとった。

2012ねんふたたびTNA世界せかいヘビーきゅう王座おうざ戦線せんせんみ、ジェフ・ハーディーとミスター・アンダーソンと挑戦ちょうせんしゃあらそいにってTNA世界せかいヘビーきゅう王者おうじゃであるボビー・ルード挑戦ちょうせんするもベルトを奪取だっしゅするにいたらなかった。

10月14にち、PPVであるBound for Glory 2012にてTNA Xディヴィジョン王座おうざ保持ほじするジーマ・アイオン挑戦ちょうせんして勝利しょうりし、ベルトを奪取だっしゅした。以降いこう、Xディヴィジョン王座おうざ長期ちょうき保持ほじするもコンディショニング不足ふそくおちいり、2013ねん2がつ28にちケニー・キングうばわれた。3月にTNAとの契約けいやく満了まんりょうし、契約けいやく延長えんちょうする意思いしはないとして退団たいだんとなった。

WWE復帰ふっき

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2013ねん、TNA退団たいだん、FWE(Family Wrestling Entertainment )やBTW(Big Time Wrestling)、2CW(Squared Circle Wrestling)にスポット参戦さんせん。そして6がつ16にち、WWEのPPVであるPayback 2013にて復帰ふっきすること発表はっぴょうされた[4]。7月14にち、PPVであるMoney in the Bank 2013にてメインイベントであるマネー・イン・ザ・バンク・ラダーマッチに出場しゅつじょうし、コンディショニングも万全ばんぜんであること観客かんきゃくにアピールするがアタッシュケースをれることができなかった。

よく15にちのRAWではクリス・ジェリコとベテラン同士どうしのシングルマッチをおこな勝利しょうりした。8月5にち、RAWにてアルベルト・デル・リオ裏切うらぎられたリカルド・ロドリゲス専属せんぞくリングアナウンサーとしてやとい、アルベルト・デル・リオと対戦たいせんして勝利しょうりした。12にちのRAWではUS王座おうざ挑戦ちょうせんけん争奪そうだつ20にんバトルロイヤルに出場しゅつじょうして優勝ゆうしょうし、挑戦ちょうせんけん獲得かくとくするも王者おうじゃであるディーン・アンブローズすう挑戦ちょうせんするも仲間なかまであるザ・シールドセス・ロリンズ & ロマン・レインズ)の介入かいにゅう邪魔じゃまされベルトを奪取だっしゅするにいたらなかった。

9月15にち、PPVであるNight of Champions 2013ではふたたびアルベルト・デル・リオと対峙たいじ世界せかいヘビーきゅう王座おうざけて対戦たいせんすることになり、ふたたびリカルド・ロドリゲスをリングアナウンサーとしてせるもぎゃく効果こうかとなり、敗戦はいせんした。

10月6にち、PPVであるBattleground 2013にてアルベルト・デル・リオにリベンジマッチとして得意とくいとするバトルグラウンド・ハードコア・ルールをもちいて対戦たいせんするがベルトを奪取だっしゅするにいたらなかった。Battleground 2013契約けいやくとしてもうけられている90日間にちかん休養きゅうよう行使こうし。ギミックじょうではデル・リオとの対戦たいせんにて精神せいしんてきなダメージをけたため休養きゅうよう発表はっぴょうされた。

2014ねん4がつ7にち、RAWにて復帰ふっきダミアン・サンドウ対戦たいせんして勝利しょうりした。14にちより開始かいしされたIC王座おうざ挑戦ちょうせんしゃ争奪そうだつトーナメントにエントリーし、決勝けっしょうまで進出しんしゅつ。28にちのRAWにてバッド・ニュース・バレット対戦たいせんするも敗戦はいせんし、挑戦ちょうせんけんのがした。5月よりポール・ヘイマン & セザーロ長期ちょうき抗争こうそうへと展開てんかいした。

2022ねん

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6月12にちCyberFight Festival 2022参戦さんせん小川おがわ良成よしなりHAYATAとのタッグできよし宮海みやうみ原田はらだ大輔だいすけYO-HEY対戦たいせん勝利しょうりした。7月16にちプロレスリング・ノア日本武道館にほんぶどうかん大会たいかいでは、田中たなかすすむとのタッグでNOSAWA論外ろんがいスペル・クレイジーとハードコアマッチをたたかった。

得意とくいわざ

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ファイブスター・フロッグ・スプラッシュ
ハリウッドスタープレス
ローリングサンダー

フィニッシュ・ホールド

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ファイブスター・フロッグ・スプラッシュ
屈伸くっしんしてのフライング・ボディ・プレス。「5つほし」のかんするにふさわしいたかさと距離きょりせる。RVDの場合ばあいはリングないから一気いっきにトップロープにおもいっきり屈伸くっしんして相手あいてちるので強烈きょうれつちたのち強大きょうだい威力いりょくからくる反動はんどう自分じぶんにきたことをアピールして、かなら腹部ふくぶやめがるが最近さいきんはわざとそういう動作どうさをしていたらしい。一時期いちじきおなじフロッグスプラッシュを必殺ひっさつわざにしているエディ・ゲレロこうそうをしたことがあるがSD!移籍いせきにフロッグスプラッシュの共演きょうえんたした。
ヴァン・ダミネーター
コーナーにダウ状態じょうたいすわっている、相手あいて顔面がんめんにイスまたは、ゴミ箱ごみばこ固定こていしてからはなつスワンダイブしき串刺くしざしきドロップキックまたは、相手あいてにイスをたせてローリング・ソバットをみイスごと相手あいて顔面がんめんばす。2種類しゅるい使用しよう
ローリング・サンダー
ロープで反動はんどうをつけて前方ぜんぽう回転かいてんしてからのサンセット・フリップ。
相手あいてがダウンしてる状態じょうたいみずからロープで反動はんどうをつけて前方ぜんぽう回転かいてんしてからのサンセット・フリップのかたち相手あいてはら目掛めがけてめるわざまたは、相手あいてはらにイスやラダーをせたまま決行けっこうするバージョンも使用しようする。

わざ

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ハリウッドスター・プレス
ひらきあししてのムーンサルトプレス。WWF時代じだいではフィニッシャーとしても使つかわれていたが、上層じょうそうより、のインパクトがすくないとのことでわざをフィニッシュわざにしろとわれてからは、フィニッシュには使用しようしていない。
コースト・トゥ・コースト
コーナー・トゥ・コーナーしきヴァン・ダミネーター。
コーナーに相手あいて長座ちょうざ状態じょうたいでダウンさせておき(かお椅子いすゴミ箱ごみばこく)、そしてもう片方かたがたのコーナーからミサイルキックはなつ。のちシェイン・マクマホンがカバー。

合体がったいわざ

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ステレオしきダイビング・レッグ・ドロップ(with サブゥー
バックドロップ体勢たいせいでサブゥーをかかげ、2人ふたり同時どうじに4ほんあし相手あいてとす合体がったいわざのちレイ・ミステリオとタッグ王座おうざ取得しゅとくしたときなども披露ひろうしている。

打撃だげきわざ

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エルボー
各種かくしゅキック
ローキックミドルキックハイキックローリング・ソバットかかととし
空手からて習得しゅうとく柔軟じゅうなん身体しんたい駆使くしし、わざ自在じざいあやつる。

タイトルれき

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WWE王座おうざ&ECW王座おうざかん王座おうざ
インターコンチネンタル王座おうざ
TNA世界せかいヘビーきゅう王座おうざ
TNA Xディヴィジョン王座おうざ
TNA
WWF / WWE
ECW
その
  • SAPWタッグ王座おうざ : 1かい(w / チャズ・ロッコ)
  • NWCタッグ王座おうざ : 1かい(w / ボブ・ブラッドリー)
  • ASW北米ほくべいヘビーきゅう王座おうざ : 1かい
  • PSWコーディールシティヘビーきゅう王座おうざ : 2かい
  • IWF TV王座おうざ : 1かい
  • AWRヘビーきゅう王座おうざ : 1かい
  • AWRノーリミッツ王座おうざ : 1かい
  • WSR世界せかい王座おうざ : 1かい

入場にゅうじょうきょく

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  • One Of A Kind(Breaking Point
    • 現在げんざい使用しようちゅう
  • The Whole F'N Show!
    • TNA移籍いせき使用しようしているきょく。2010ねん12がつまつまでは歌詞かしに"Fucking"が使つかわれていたものだったが、2011ねんはいってすぐに"Fucking"の部分ぶぶん意味合いみあいがている"Effing"にえられたものにしている。また、このきょくでは歌詞かし随所ずいしょに"Rob Van Dam"が使つかわれており、観客かんきゃくきょくわせてかれのアピールモーションをおこなうのが定番ていばんである。
  • The Whole Dam Show
    • WWF(のWWE)移籍いせききょく
  • Walk(Pantera
    • ECW時代じだい使用しよう
  • This is Extreme
  • Wail
  • Poundcake
  • Scoop It Up

出演しゅつえん

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映画えいが

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公開こうかいねん 邦題ほうだい
原題げんだい
役名やくめい 備考びこう
2001 ブラックマスク2
BLACK MASK 2: CITY OF MASKS
クロー
2010 奪還だっかん
WRONG SIDE OF TOWN
ボビー
2015 トリプルヘッド・ジョーズ
3 HEADED SHARK ATTACK
スタンリー オリジナルビデオ

その

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  • デビュー当初とうしょ裸足はだし試合しあいおこなっていたが、全日本ぜんにほんプロレス参戦さんせんジャイアント馬場ばばからシューズをいたほうがいとアドバイスされ、それ以降いこうシューズをいて試合しあいをしている。
  • 映画えいがやテレビ番組ばんぐみ多数たすう出演しゅつえんしており、ドラマ『Xファイル』では覆面ふくめんレスラーやく出演しゅつえんしている。
  • WWE時代じだい入場にゅうじょうテーマ、One Of A Kind(ブレーキング・ポイント)のPVにも出演しゅつえんしている。
  • カリフォルニアしゅうオレンジカントリーに、自身じしん経営けいえいする漫画まんがショップRVD's 5 Star Comics存在そんざいした(2006ねん店舗てんぽ閉鎖へいさ現在げんざいネット通販つうはんのみあつかっているようである)。
  • 2005ねん3月25にちに、WWE、ECW時代じだい中心ちゅうしん自身じしんのプロレスでのキャリアがDVDされた。
  • 「ロブのつま性格せいかく不良ふりょう」といううわさながれていた時期じきがあり、ディセンバー・トゥ・ディスメンバーでのチェンバーせんではロブがけたさい中指なかゆびてたり、TNAチャントをはじめた、とのゴシップ流出りゅうしゅつした。
  • 柔軟じゅうなんせい非常ひじょうたかく、プロモ映像えいぞう試合しあいちゅうひらきあしリープ・フロッグでもそれがうかがえる。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 1966ねんまれせつもあり。
  2. ^ サイバーフェス・世界せかいのRVD8ねんぶり来日らいにちぼし!51さい躍動やくどうまえよりよくなっている」”. デイリースポーツ online (2022ねん6がつ12にち). 2022ねん6がつ12にち閲覧えつらん
  3. ^ 矢野やのはこの対戦たいせんまえのインタビューにてRVDを真似まねて「ヤノ・トー・ルー!」というパフォーマンスをおこなって以降いこう自分じぶん台詞せりふとして使用しようしている。
  4. ^ ロブ・ヴァン・ダムがマネー・イン・ザ・バンクで復帰ふっき WWE JAPAN、2013ねん6がつ16にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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