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ジョージ・スティール

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ジョージ・スティール
ジョージ・スティールの画像
2009ねん
プロフィール
リングネーム ジョージ "ジ・アニマル" スティール
ザ・ステューデント
アニマル・マシーン
本名ほんみょう ウィリアム・ジェームズ・マイヤーズ
ニックネーム 鋼鉄こうてつゴリラ
身長しんちょう 188cm
体重たいじゅう 132kg(ぜん盛時せいじ
誕生たんじょう (1937-04-16) 1937ねん4がつ16にち
死亡しぼう (2017-02-16) 2017ねん2がつ16にち(79さいぼつ[1][2]
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ミシガン州の旗 ミシガンしゅう
ウェインぐんデトロイト
トレーナー バート・ルビー
デビュー 1960ねん
引退いんたい 1989ねん
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ジョージ・スティールGeorge "The Animal" Steele本名ほんみょうWilliam James Myers1937ねん4がつ16にち - 2017ねん2がつ16にち[1][2])は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくプロレスラーミシガンしゅうデトロイト出身しゅっしん

ジ・アニマル異名いみょうどおり、スキンヘッド全身ぜんしん剛毛ごうもうきょうじゅうけいヒールとしていち時代じだいきずいた怪奇かいきレスラーの大御所おおごしょである[3]1980年代ねんだい中盤ちゅうばんからはWWFでコミカルなベビーフェイス転向てんこうして、子供こどもたちの人気にんきあつめた[4]

日本にっぽんでは「ジョージ・スチール」と表記ひょうきされていたが、ほんこうでは原音げんおんちか表記ひょうき使用しようする。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

ミシガン州立しゅうりつ大学だいがく卒業そつぎょうミシガンしゅうマディソンハイツ高等こうとう学校がっこう体育たいいく教師きょうしをしていた[3][5]。その一方いっぽう地元じもとデトロイト地区ちくのプロモーターだったバート・ルビーに師事しじし、1960ねんにプロレスラーとしてデビューする。当時とうじ教員きょういんつづけながら学校がっこう休暇きゅうかにリングにがり、素性すじょうかくすために覆面ふくめんレスラーザ・ステューデントThe Student)として試合しあいおこなっていた[2][5]

その覆面ふくめんいで狂乱きょうらんファイターのジョージ "ジ・アニマル" スティールGeorge "The Animal" Steele)に変身へんしん。ハイスクールでアメリカンフットボールレスリング非常勤ひじょうきんコーチをつとめつつ、本格ほんかくてきにプロレスに注力ちゅうりょくするようになる[5]1967ねんからはWWWF進出しんしゅつよく1968ねん5がつ20日はつかには、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにてブルーノ・サンマルチノWWWF世界せかいヘビーきゅう王座おうざ挑戦ちょうせんした[6]

以降いこう1980年代ねんだい初頭しょとうまでデトロイトのNWAビッグタイム・レスリングとWWWF(WWF)を主戦しゅせんじょうに、りょうテリトリーをまたにかけて活躍かつやくした。本拠地ほんきょちデトロイトではザ・シークボボ・ブラジル遺恨いこん試合しあいひろげ、1980ねん5月3にちにはフランキー・レインんでNWA世界せかいタッグ王座おうざ獲得かくとく[7]。ニューヨークではゴリラ・モンスーンチーフ・ジェイ・ストロンボー抗争こうそうし、ペドロ・モラレス、サンマルチノ、ボブ・バックランド歴代れきだい王者おうじゃにも再三さいさん挑戦ちょうせんした[8]

このあいだ日本にっぽんには1971ねん7がつ日本にっぽんプロレス[9]1974ねん7がつ全日本ぜんにほんプロレス[10]1979ねん6がつしん日本にっぽんプロレス参戦さんせんしている[11]ジャイアント馬場ばばアントニオ猪木いのきともシングルマッチで対戦たいせんしたが、直線ちょくせんてき単調たんちょう試合しあいスタイルが日本にっぽんではれられず、実績じっせきのこすことはできなかった[12]。なお、WWFでは1981ねんキラー・カーンタッグチームんだことがある[13]

1984ねんビンス・マクマホン・ジュニアしん体制たいせい全米ぜんべい侵攻しんこうすすめていたWWFとさい契約けいやくミスター・フジマネージャーむかえ、かつてと同様どうようヒールのポジションでWWF世界せかい王者おうじゃハルク・ホーガン挑戦ちょうせんしたが[14]1985ねん5がつ10日とおか収録しゅうろくサタデー・ナイト・メイン・イベントでの6にんタッグマッチにおいて、悪党あくとう仲間なかまアイアン・シーク&ニコライ・ボルコフ仲間割なかまわ[15]。これをベビーフェイス転向てんこうして、異色いしょく人気にんきしゃとなる[4]1986ねんからはランディ・サベージとのこうそうがスタートし、サベージのマネージャーだったミス・エリザベス英語えいごばんこいをするという美女びじょ野獣やじゅうアングルまれた[2]同年どうねん9がつ10日とおかハウス・ショーではサベージせんえたのち覆面ふくめんこうむってビッグ・マシーン&スーパー・マシーンとトリオをみ、アニマル・マシーンAnimal Machine)と名乗なのってボビー・ヒーナンビッグ・ジョン・スタッドキングコング・バンディとの6にんタッグマッチにも出場しゅつじょうした[16]

そのもWWFのミッドカード戦線せんせん活躍かつやくし、マインMine)なるハンドパペットを「友人ゆうじん」として帯同たいどうするなど[3]マンカインドとミスター・ソッコのギミック先駆せんくてき存在そんざいともなったが、1988ねんクローンびょうわずら引退いんたい[5][17]。リタイアは、その特異とくいなキャラクターをかし俳優はいゆうごうにも進出しんしゅつ1994ねん公開こうかい映画えいがエド・ウッド』(ティム・バートン監督かんとくジョニー・デップ主演しゅえん)では、おなじくもとプロレスラーの俳優はいゆうトー・ジョンソンTor Johnson)のやくえんじた[18]風貌ふうぼうていることから、スティールはレスラー時代じだいにジョンソンと間違まちがえられることが度々たびたびあったという。

1995ねんWWE殿堂でんどうむかえられ[19]1997ねん12月29にちにはTAKAみちのくのパートナーとして『Raw is War』に出場しゅつじょうジェリー・ローラー&ブライアン・クリストファー対戦たいせん[20]よく1998ねんすえからはジ・オディティーズクルガンゴルガジャイアント・シルバ)のマネージャーやくとなってアティテュードのWWFに復帰ふっきした[21]

2000ねん1がつ10日とおかにはWCWの『マンデー・ナイトロ』でジェフ・ジャレット対戦たいせん特別とくべつレフェリーのクリス・ベノワおよびオールド・エイジ・アウトローズ(アーン・アンダーソンラリー・ズビスコポール・オーンドーフテリー・ファンク)のフォローをけて勝利しょうりかざっている[22]以降いこうもインディー団体だんたいへのスポット出場しゅつじょうつづけ、2008ねん6月8にちにはジェイク・ロバーツカマラココ・B・ウェアともTNAPPV "Slammiversary" に登場とうじょうジェイ・リーサルとソウ・カル・バルのウェディング・セレモニー(かつてWWFでおこなわれたランディ・サベージとエリザベスの結婚式けっこんしきのパロディ)に出席しゅっせきした[2]

2010ねん11月15にち、"Old School edition" と銘打めいうっておこなわれたスペシャルばんWWERaw』に出演しゅつえん[2]コフィ・キングストンたいデビッド・オタンガせん乱入らんにゅうし、往年おうねん"Big Bite"(ターンバックルのやぶり)をせた。

2017ねん2がつ16にち[2]、79さい死去しきょ[4]

エピソード[編集へんしゅう]

  • ヒールのインタビューシーンでは、よだれをらしながら緑色みどりいろられたしたしていた。マネージャーのフレッド・ブラッシーによると、くちなかにクロレッツをふくんでいろけていたとのこと[23]
  • 少女しょうじょ時代じだいステファニー・マクマホンは、スティールを本当ほんとう狂人きょうじんおもんで真剣しんけんこわがり、会場かいじょうかれくわすとビンスうしろにかくれておびえていたという[24]

得意とくいわざ[編集へんしゅう]

獲得かくとくタイトル[編集へんしゅう]

NWAデトロイト
スーパースターズ・オブ・レスリング
グランデ・レスリング・アライアンス
  • GWAヘビーきゅう王座おうざ:1かい
ワールド・レスリング・フェデレーション

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 怪奇かいきレスラーのジョージ・スティールさん死去しきょ WWE殿堂でんどうり、馬場ばば猪木いのきとも対戦たいせん”. デイリースポーツ (2017ねん2がつ18にち). 2017ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g George Steele”. Online World of Wrestling. 2017ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d Death Match: George "The Animal" Steele vs. the Maebeth Womblies”. Hell's Acres. 2017ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c George "The Animal" Steele passes away”. WWE.com (2017ねん2がつ17にち). 2017ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  5. ^ a b c d George 'The Animal' Steele dies”. Slam Wrestling (2017ねん2がつ17にち). 2017ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  6. ^ WWE Yearly Results 1968”. The History of WWE. 2009ねん8がつ10日とおか閲覧えつらん
  7. ^ a b NWA World Tag Team Title [Detroit]”. Wrestling-Titles.com. 2010ねん4がつ19にち閲覧えつらん
  8. ^ WWE Specific Arena Results: MSG 1970-1979”. The History of WWE. 2009ねん8がつ10日とおか閲覧えつらん
  9. ^ JWA 1971 Summer Big Series”. Puroresu.com. 2015ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  10. ^ AJPW 1974 Summer Action Series”. Puroresu.com. 2015ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  11. ^ NJPW 1979 Summer Fight Series”. Puroresu.com. 2015ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  12. ^ 『プロレスアルバム16 THE HEEL』P4、P49(1981ねん恒文社こうぶんしゃ
  13. ^ WWE Yearly Results 1981”. The History of WWE. 2009ねん8がつ10日とおか閲覧えつらん
  14. ^ WWE Yearly Results 1984”. The History of WWE. 2014ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  15. ^ WWE Yearly Results 1985”. The History of WWE. 2014ねん10がつ19にち閲覧えつらん
  16. ^ WWE Yearly Results 1986”. The History of WWE. 2017ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  17. ^ Hulk Hogan leads tributes to George "The Animal" Steele”. It's The Vibe. 2017ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  18. ^ George "The Animal" Steele, WWE Wrestler and "Ed Wood" Costar, Dies at 79”. Yahoo! Movies. 2017ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  19. ^ a b WWE Hall of Fame”. Online World of Wrestling. 2017ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  20. ^ WWF RAW is WAR #240”. Cagematch.net. 2015ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  21. ^ WWE Yearly Results 1999”. The History of WWE. 2015ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  22. ^ WCW Monday NITRO #225”. Cagematch.net. 2015ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  23. ^ 『フレッド・ブラッシー自伝じでん』P346(2003ねんエンターブレインISBN 4-7577-1692-3
  24. ^ Stephanie McMahon Describes Meeting George The Animal Steele As A 3 Year Old”. The Sportster. 2019ねん10がつ23にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]