(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ポール・オーンドーフ - Wikipedia コンテンツにスキップ

ポール・オーンドーフ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポール・オーンドーフ
ポール・オーンドーフの画像
2009ねん
プロフィール
リングネーム ポール・オーンドーフ
本名ほんみょう ポール・パーレット・オーンドーフ・ジュニア
ニックネーム ミスター・ワンダフル
ザ・ブランドン・ブル
鋼鉄こうてつおとこ
身長しんちょう 185cm
体重たいじゅう 115kg(ぜん盛時せいじ
誕生たんじょう (1949-10-29) 1949ねん10月29にち
死亡しぼう (2021-07-12) 2021ねん7がつ12にち(71さいぼつ
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
フロリダ州の旗 フロリダしゅう
ヒルズボロぐんブランドン
スポーツれき アメリカンフットボール
トレーナー ヒロ・マツダ
ジャック・ブリスコ
エディ・グラハム
デビュー 1976ねん
引退いんたい 1995ねん
テンプレートを表示ひょうじ

ポール・オーンドーフPaul Orndorff本名ほんみょうPaul Parlette Orndorff Jr.1949ねん10月29にち - 2021ねん7がつ12にち[1][2][3])は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくプロレスラーフロリダしゅうブランドン出身しゅっしん

ボディビルダー顔負かおまけのきたかれた肉体にくたい武器ぶきに、NWAWWEWCWなどかく団体だんたいでトップスターとして活躍かつやくした[4]"ミスター・ワンダフル"Mr. Wonderful)のニックネームでもられる[5]日本にっぽんでは、そのはがねのような肉体にくたいから "鋼鉄こうてつおとこ"異名いみょうけられた[5]

来歴らいれき

[編集へんしゅう]

タンパ大学だいがく時代じだいアメリカンフットボール活動かつどうNFLオークランド・レイダース活躍かつやくしたジョン・マツザックのチームメートであり、オールパーパス・ヤードで2000ヤードを獲得かくとく、21タッチダウンをげた。卒業そつぎょう1973ねんNFLドラフト12じゅん全体ぜんたい289ニューオーリンズ・セインツ指名しめいされたが[6]、NFLへの出場しゅつじょう機会きかいることはできず、カンザスシティ・チーフスでも出場しゅつじょう目指めざしたがたせなかった。1975ねんにはNFLの対抗たいこうリーグであったワールド・フットボール・リーグ英語えいごばんジャクソンビル・シャークス英語えいごばんでプレイしている[7]

その地元じもとのフロリダにもどってヒロ・マツダのコーチをけ、1976ねんにプロレスラーとしてデビュー[8]。デビュー南部なんぶエリアを中心ちゅうしん活動かつどう1977ねん5月29にちテネシーしゅうメンフィスジェリー・ローラーからNWA南部なんぶヘビーきゅう王座おうざ[9]1978ねん5月29にちにはトライステート地区ちくアーニー・ラッドからNWA北米ほくべいヘビーきゅう王座おうざ奪取だっしゅしている[10]

そのジム・クロケット・ジュニア管理かんりするNWAミッドアトランティック地区ちく参戦さんせん。1978ねん12月26にちジミー・スヌーカんでバロン・フォン・ラシク&グレッグ・バレンタインやぶり、どう地区ちく認定にんていNWA世界せかいタッグ王座おうざ獲得かくとくした[11]1979ねん10月にはロン・フラー主宰しゅさいしていたアラバマSECWにて、タンパ大学だいがく時代じだい盟友めいゆうディック・スレーターみNWAサウスイースタン・タッグ王者おうじゃにもなっている[12]

ジェイク・ロバーツ攻撃こうげきするオーンドーフ(1981ねん

1980年代ねんだいはいると、トライステート地区ちく後継こうけいプロモーションであるビル・ワットのMSWAを主戦しゅせんじょうに、1981ねん7がつ4にちジェイク・ロバーツからミッドサウス北米ほくべいヘビーきゅう王座おうざ奪取だっしゅ[10]以降いこうどう王座おうざめぐり、テッド・デビアスディック・マードックマイク・ジョージボブ・ループらと抗争こうそうした。1982ねんからはジム・バーネット主宰しゅさいジョージア・チャンピオンシップ・レスリング進出しんしゅつバズ・ソイヤースーパー・デストロイヤーマスクド・スーパースタートミー・リッチらをやぶり、どう地区ちく認定にんていのナショナル・ヘビーきゅう王座おうざを4かいわたって獲得かくとくするなど[4]次期じきNWA世界せかいヘビーきゅう王者おうじゃ有力ゆうりょく候補こうほげられた(どう時期じきリック・フレアーNWA世界せかいヘビーきゅう王座おうざ再三さいさん挑戦ちょうせんしている)[13]

1983ねんすえWWFかれ、ミスター・ワンダフルのニックネームでナルシシストけいヒールとして活躍かつやく1984ねんよりスタートしたWWFの全米ぜんべい侵攻しんこう重要じゅうようメンバーとなり、ロディ・パイパーカウボーイ・ボブ・オートン悪役あくやくトリオを結成けっせいする。1985ねん3月31にちニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンおこなわれたレッスルマニアだい1かい大会たいかいのメインイベントでは、パイパーとのコンビでハルク・ホーガン&ミスター・T対戦たいせんした。その、この試合しあい結果けっか(セコンドのオートンとの同士討どうしうちによる敗北はいぼく)がもとでパイパーと仲間割なかまわれしてベビーフェイス転向てんこうきゅうてきホーガンのタッグパートナーとなる。その抜群ばつぐんのルックスで女性じょせいファンからの絶大ぜつだい支持しじ獲得かくとく[14]、WWFナンバー2のポジションにいた[4]

しかし、ホーガン人気にんきへの嫉妬しっとしんからの裏切うらぎりというストーリーのもとふたたびヒールにもどり、ボビー "ザ・ブレイン" ヒーナンあたらしいマネージャーにホーガンとのこうそう再開さいかいする[4]とくに、1986ねん8がつ28にちカナダオンタリオしゅうトロントエキシビション・スタジアムにて7まん4000にんだい観衆かんしゅうあつめて開催かいさいされたザ・ビッグ・イベントのメインせんや、1987ねん1がつ3にちサタデー・ナイト・メイン・イベントおこなわれたスチール・ケージ・マッチは、WWEのこ試合しあいとしてられている。

1987ねん中盤ちゅうばんより再度さいどベビーフェイスとなり、きゅうマネージャーのヒーナンがマネージメントするリック・ルードらとこうそう[4]同年どうねん11がつ26にちおこなわれただい1かいサバイバー・シリーズでは、きゅうてきのホーガン、バンバン・ビガロドン・ムラコケン・パテラとチームを結成けっせいしたが、過酷かこく全米ぜんべいサーキットをとおしてくびいためたこともあり、徐々じょじょにフェードアウト。WWF離脱りだつ1988ねんのセミリタイアを1990ねんWCW登場とうじょうするも、短期間たんきかん退団たいだん。その散発さんぱつてきジム・コルネットのSMWなどのインディー団体だんたいがった[4]

1993ねんよりWCWに復帰ふっきし、空位くういとなっていたWCW世界せかいTV王座おうざ獲得かくとくしたほか、WWF時代じだい後輩こうはい "プリティ" ポール・ローマとのタッグチームプリティ・ワンダフル」でも活躍かつやく1994ねん7がつ17にちカクタス・ジャック&ケビン・サリバン同年どうねん10がつ23にちザ・パトリオット&マーカス・バグウェルやぶり、WCW世界せかいタッグ王座おうざを2かい奪取だっしゅしている[15]。しかしWCW移籍いせきより筋肉きんにく病気びょうきわずら[16]くび怪我けが悪化あっかもあって1995ねん引退いんたいしてからは若手わかて育成いくせい機関きかんWCWパワープラント教官きょうかんつとめる一方いっぽう、ロード・エージェントとしても活動かつどうし、極東きょくとう担当たんとうまかされていたこともある[4]

日本にっぽんには1980年代ねんだい、WWFりする以前いぜんしん日本にっぽんプロレスに4かい参戦さんせんした。1980ねん10月のはつ来日らいにち長州ちょうしゅうりょく藤波ふじなみ辰巳たつみから勝利しょうりおさめ、アントニオ猪木いのきともシングルマッチで対戦たいせん[8][17]しんあいだ寿ことぶき全日本ぜんにほんプロレス転出てんしゅつしたスタン・ハンセン後釜あとがま候補こうほに、アドリアン・アドニスかれげていた。

しかし、2かい来日らいにちとなる1983ねん4がつ21にち蔵前くらまえ国技こくぎかんにて前田まえだ日明ひあがりのヨーロッパ凱旋がいせん帰国きこく初戦しょせん相手あいてつと[8]、フライング・ニールキック、リバース・アームサルトの連続れんぞくわざ敗退はいたい[18]試合しあいくびさえながらレフェリーに「なぜ、あんな危険きけんわざ使つかわせるのか?」と抗議こうぎする一幕ひとまくられた。同年どうねん7がつ来日らいにち再戦さいせんでも前田まえだジャンピング・ニー・アタックらってのエプロン・カウントアウトけをきっするなど[19]前田まえだアングル一役ひとやくったものの、アメリカマットでのスケジュールが多忙たぼうだったことや、敗戦はいせんによるイメージの悪化あっかからチャンスをあたえられる機会きかいがなくなったこともあり、しん日本にっぽんプロレスには定着ていちゃくしなかった[20]。1984ねん前田まえだがWWFをサーキットしたさいには、親身しんみになって面倒めんどうていたという[21]

1993ねん4がつ10日とおかUWFインターナショナル大阪おおさか府立ふりつ体育たいいく会館かいかん大会たいかい参戦さんせん予定よていもあったが、直前ちょくぜんでキャンセル。プロレスライターのながれ智美ともみは、相手あいてゲーリー・オブライトまったことからふたたやく使つかわれることを懸念けねんしたものと推測すいそくしている[16]

2010ねん

1995ねんにWCWでIWGPヘビーきゅう王座おうざをかけてグレート・ムタ対戦たいせんしたことがあるが、しん日本にっぽんプロレス公認こうにんであったため公式こうしきにはタイトルマッチとしてあつかわれていない(ベルトを保持ほじしていたのはムタではなく武藤むとうたかしであったため)。また、エージェント時代じだい2000ねんにはムタのWCWサーキットをプロデュースした。

2005ねんには1980年代ねんだいのWWFにおける功績こうせきから、WWE殿堂でんどうむかえられている。インダクターは、かつてのマネージャーであるヒーナンがつとめた[22]

2014ねん8がつ11にちWWERAWおこなわれたホーガンの誕生たんじょう祝賀しゅくがかいに、フレアー、パイパー、ジーン・オーカーランドジミー・ハートケビン・ナッシュスコット・ホールらとともに、ホーガンとゆかりのあるレジェンドの一人ひとりとしてゲスト出演しゅつえん観客かんきゃく声援せいえんあおったり、ディーヴァにキスをもとめたりなど、往時おうじわらぬパフォーマンスをせた。

2021ねん7がつ12にち死去しきょ。71さいぼつ[1][2][3]

得意とくいわざ

[編集へんしゅう]

獲得かくとくタイトル

[編集へんしゅう]
NWAミッドアメリカ
NWAトライステート / ミッドサウス・レスリング・アソシエーション
  • NWA北米ほくべいヘビーきゅう王座おうざトライステートはん):2かい[10]
  • ミッドサウス北米ほくべいヘビーきゅう王座おうざ:1かい[10]
  • ミッドサウス・タッグ王座おうざ:1かい(w / テッド・デビアス[23]
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAナショナル・ヘビーきゅう王座おうざ:3かい[4]
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・レスリング・エンターテインメント
ナショナル・レスリング・アライアンス
インディー
  • AWFヘビーきゅう王座おうざ:1かい
  • UWFサザン・ステーツ王座おうざ:1かい
  • NWLタッグ王座おうざ:1かい(w / ブライアン・ブレアー

エピソード

[編集へんしゅう]
  • 現役げんえき時代じだいのライバル、ハルク・ホーガンとは非常ひじょうなかわるかったことでられた。ともにフロリダ出身しゅっしんヒロ・マツダ師事しじしており、学生がくせい時代じだいからかおっていたともいう。2005ねんのWWE殿堂でんどう式典しきてんさいおなじく殿堂でんどうりしたホーガンのにゅう退場たいじょうさい壇上だんじょう一人ひとりすわったまま拍手はくしゅもしなかった。さすがにホーガンからされたさいには苦笑にがわらいしながら握手あくしゅにはおうじている[14]。ホーガンはオーンドーフの死去しきょSNSうえ哀悼あいとうあらわした[1]
  • うでぷしつよさでもられ、WCWでロード・エージェントをしていた当時とうじ、テレビ収録しゅうろくへの不参加ふさんかなど自分勝手じぶんがっていをしていたビッグバン・ベイダー控室ひかえしつ喧嘩けんかになり、ベイダーをノックアウトしたことがある[26]
  • テリー・ファンクもオーンドーフについて「相手あいて自分じぶんよりもレスリングを熟知じゅくちしていたとしても、そんなことは関係かんけいない。一旦いったんあたまにきてしまえば徹底的てっていてき相手あいてはたきのめす。だが、本当ほんとうにいいヤツで、とにかくおこらせてしまうと面倒めんどうおとこ」などと自著じちょかたっている[27]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c しん日本にっぽんプロレスでも活躍かつやくしたポール・オーンドーフが死去しきょ ライバルのハルク・ホーガンが追悼ついとう. 東京とうきょうスポーツ (東京とうきょうスポーツ新聞しんぶんしゃ). (2021ねん7がつ13にち). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/72189 2021ねん7がつ13にち閲覧えつらん 
  2. ^ a b “ハルク・ホーガンの好敵手こうてきしゅポール・オーンドーフさん死去しきょ 猪木いのき前田まえだらとも対戦たいせん. デイリースポーツ (デイリースポーツ). (2021ねん7がつ13にち). https://www.daily.co.jp/ring/2021/07/13/0014496492.shtml 2021ねん7がつ13にち閲覧えつらん 
  3. ^ a b “Mr. Wonderful” Paul Orndorff passes away”. WWE.com. WWE (2021ねん7がつ12にち). 2021ねん7がつ13にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e f g h Paul "Mr. Wonderful" Orndorff”. Online World of Wrestling. 2016ねん7がつ4にち閲覧えつらん
  5. ^ a b 『THE WRESTLER BEST 1000』P185(1996ねん日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ
  6. ^ 1973 NFL Draft”. pro-football-reference.com. 2013ねん9がつ29にち閲覧えつらん
  7. ^ Paul Orndorff”. GOOGLE BOOKS. 2013ねん9がつ29にち閲覧えつらん
  8. ^ a b c しん日本にっぽんプロレス 来日らいにち外国がいこくじん選手せんしゅ PERFECTカタログ』P40(2002ねん日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ
  9. ^ a b NWA Southern Heavyweight Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2010ねん4がつ2にち閲覧えつらん
  10. ^ a b c d NWA North American Heavyweight Title [Tri-State/Mid-South]”. Wrestling-Titles.com. 2010ねん4がつ2にち閲覧えつらん
  11. ^ a b NWA World Tag Team Title [Mid-Atlantic/WCW]”. Wrestling-Titles.com. 2010ねん4がつ2にち閲覧えつらん
  12. ^ a b NWA Southeastern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010ねん4がつ2にち閲覧えつらん
  13. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1982”. Wrestling-Titles.com. 2013ねん11月2にち閲覧えつらん
  14. ^ a b DVD『WWE レッスルマニア21』DISC-3(2005ねんジェネオン・エンタテインメント
  15. ^ a b WCW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010ねん4がつ2にち閲覧えつらん
  16. ^ a b “【プロレス蔵出くらだ写真しゃしんかん日本にっぽんではヘタレあつかいだったオーンドーフ 米国べいこくだい出世しゅっせしホーガンの好敵手こうてきしゅに”. 東京とうきょうスポーツ (東京とうきょうスポーツ新聞しんぶんしゃ). (2021ねん7がつ18にち). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/73055 2021ねん7がつ18にち閲覧えつらん 
  17. ^ NJPW 1980 Toukon Series”. Puroresu.com. 2016ねん7がつ4にち閲覧えつらん
  18. ^ NJPW 1983 Big Fight Series II”. Puroresu.com. 2016ねん7がつ4にち閲覧えつらん
  19. ^ NJPW 1983 Summer Fight Series”. Puroresu.com. 2016ねん7がつ4にち閲覧えつらん
  20. ^ 日本にっぽんプロレス目撃もくげきしゃかた真相しんそう! しんあいだ寿ことぶきいま戦場せんじょうり!<獅子ししまき>』P84(2016ねん、ダイアプレス、ISBN 480230188X
  21. ^ 『Gスピリッツ Vol.32』P38(2014ねん辰巳たつみ出版しゅっぱんISBN 4777813304
  22. ^ a b WWE Hall of Fame”. Online World of Wrestling. 2016ねん12月3にち閲覧えつらん
  23. ^ Mid-South Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2013ねん8がつ24にち閲覧えつらん
  24. ^ NWA-WCW World Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2010ねん4がつ2にち閲覧えつらん
  25. ^ NWA Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2022ねん5がつ4にち閲覧えつらん
  26. ^ タイガー服部はっとりしん日本にっぽんプロレスのめいレフェリーがかす 古今ここん東西とうざいプロレスラー伝説でんせつ』P175(2020ねんスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃISBN 4583112696
  27. ^ テリー・ファンク『テリー・ファンク自伝じでん 人生じんせいちょうハードコア!』P288(2006ねんエンターブレインISBN 4757727240

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]