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NWF世界ヘビー級王座は、NWFおよび新日本プロレスの管理下で運営されていた王座。
1970年、ニューヨーク州バッファローおよびオハイオ州クリーブランドを拠点としていたNWFのフラッグシップタイトルとして創設された。王座戦は主にアップステート・ニューヨークやカナダを含む五大湖エリアで展開されていたが、王者のジョニー・パワーズが新日本プロレスに招聘され日本のサーキットに参加。パワーズは最終的に1973年のアントニオ猪木戦でタイトルを失い、王座は新日本の管理下となる。
猪木はタイガー・ジェット・シン、アーニー・ラッド、ルー・テーズ、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ペドロ・モラレス、ジャック・ブリスコ、ダスティ・ローデスなどと防衛戦を展開して王座に注目を集め、全日本プロレスのPWFヘビー級王座、国際プロレスのIWA世界ヘビー級王座に対抗する新日本の看板王座とすると共に、1981年のタイトル封印まで終始タイトル戦線の中心に位置するレスラーとなった。1973年から1981年の間に猪木は4度NWFヘビー級王者として戴冠して、約6ヶ月王座を失っていた時機を除いて王者に居続けた。猪木の4度目の戴冠は、1981年4月17日のハンセンとの防衛戦が無効試合での終了後、王座を保持するという決定によるものであった。その後、猪木は再戦でハンセンを破り、4月23日に王座を取り戻したが、1981年に提唱されたIWGP構想により、試合直後に封印[1]。
その後、新日本のストーリー展開の一環として、2002年8月にNWFヘビー級王座が復活。総合格闘技もこなす藤田和之が、IWGPヘビー級王座に対抗する新しい王座としてNWFヘビー級王座決定トーナメントを開催。トーナメント参加者は藤田、高山善廣、高阪剛、安田忠夫など、総合格闘技のバックグラウンドを持つレスラーであることが発表された。高山は2003年1月4日にトーナメント決勝で高阪を膝蹴りで破り、20年以上ぶりにチャンピオンに君臨。その後、王者となった高山から1年後に中邑真輔がNWF王座を奪い、NWF王座とIWGP王座のタイトルを統一。中邑は2004年1月5日にNWFヘビー級王座を返上することを正式に決定して、その歴史の中で2度目の封印が発表された[2]。
歴代
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選手
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戴冠回数
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防衛回数
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獲得日付
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獲得場所 (対戦相手・その他)
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初代
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ジョニー・パワーズ
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1
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不明
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1970年
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カリフォルニア州ロサンゼルス 王座決定戦でフレッド・ブラッシーを破ったと発表されて戴冠[2]
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創設当初の王座名はNWF世界ヘビー級王座
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第2代
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ワルドー・フォン・エリック
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1
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不明
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1971年11月20日
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オハイオ州クリーブランド
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第3代
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ドミニク・デヌーチ
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1
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不明
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1971年12月8日
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ニューヨーク州バッファロー
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第4代
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ワルドー・フォン・エリック
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2
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不明
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1972年1月5日
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ニューヨーク州バッファロー
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第5代
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アーニー・ラッド
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1
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不明
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1972年6月9日
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オハイオ州クリーブランド
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第6代
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アブドーラ・ザ・ブッチャー
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1
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不明
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1972年6月24日
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オハイオ州アクロン
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第7代
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ビクター・リベラ
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1
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不明
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1972年9月
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不明
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第8代
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アブドーラ・ザ・ブッチャー
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2
|
不明
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1972年10月
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不明
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第9代
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ジョニー・バレンタイン
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1
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不明
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1972年10月19日
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オハイオ州クリーブランド 1973年1月剥奪
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第10代
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ジャック・ルージョー
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1
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不明
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1973年1月24日
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ニューヨーク州バッファロー ワルドー・フォン・エリック
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第11代
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ジョニー・バレンタイン
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2
|
不明
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1973年8月
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不明
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第12代
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ジョニー・パワーズ
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2
|
不明
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1973年10月
|
不明
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第13代
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アントニオ猪木
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1
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9
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1973年12月10日
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東京体育館 1975年2月12日にタイガー・ジェット・シンとの防衛戦を拒否したため返上
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第14代
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タイガー・ジェット・シン
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1
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2
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1975年3月13日
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広島県立体育館 アントニオ猪木
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第15代
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アントニオ猪木
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2
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27
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1975年6月26日
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蔵前国技館
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1976年8月7日にNWA総会で王座名から「世界」が外されてNWFヘビー級王座になる。
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第16代
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スタン・ハンセン
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1
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0
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1980年2月8日
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東京体育館
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第17代
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アントニオ猪木
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3
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8
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1980年4月3日
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蔵前国技館 1981年4月17日にスタン・ハンセンとの防衛戦がノーコンテストのため王座預かり
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第18代
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アントニオ猪木
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4
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0
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1981年4月23日
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蔵前国技館 スタン・ハンセン 1981年4月23日にIWGP構想のため封印
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- ^ Royal Duncan & Gary Will (2006). Wrestling Title Histories (4th ed.). Archeus Communications. ISBN 0-9698161-5-4
- ^ a b Tanabe. “N.W.F. Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2007年6月26日閲覧。
- ^ “NWFヘビー級王座変遷”. 2005年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月29日閲覧。
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選手 |
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ユニット |
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スタッフ |
レフェリー | |
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リングアナウンサー | |
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IWGP実行委員 | |
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他 | |
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役員 | |
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タイトル |
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大会・興行 |
リーグ戦・トーナメント | |
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ビッグイベント | |
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別ブランド | |
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その他 | |
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故人 | |
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交流団体 | |
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関連項目 | |
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