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ヨランド・ダラゴン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヨランド・ダラゴン
Yolande d'Aragon

称号しょうごう アンジューおおやけ
出生しゅっしょう 1384ねん8がつ11にち
アラゴン王国おうこくサラゴサ
死去しきょ (1442-11-14) 1442ねん11月14にち(58さいぼつ
フランス王国おうこくソミュール
埋葬まいそう フランス王国おうこくアンジェ、サン・モーリスだい聖堂せいどう
配偶はいぐうしゃ ルイ2せい・ダンジュー
子女しじょ ルイ3せい
マリー
ルネ
ヨランド
シャルル
家名かめい バルセロナ
父親ちちおや アラゴンおうフアン1せい
母親ははおや ヨランド・ド・バル
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ヨランド・ダラゴン(Yolande d'Aragon, 1384ねん8がつ11にち - 1442ねん11月14にち)は、ひゃくねん戦争せんそうフランス女性じょせいアンジューおおやけプロヴァンスはくけんナポリおうルイ2せい・ダンジューつまアラゴンおうフアン1せい長女ちょうじょはははフランス貴族きぞくバルこうロベール1せいむすめヨランド。ヨランドはフランス語ふらんすごで、スペインヨランダ(またはビオランテ・デ・アラゴン(Yolanda(Violante) de Aragón)、カタルーニャビオラン・ダラゴー(Violant d'Aragó)。

生涯しょうがい

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1400ねん、アンジューこうルイ2せい結婚けっこんした。ルイ2せいナポリ対立たいりつおうであったが、結婚けっこん前年ぜんねんラディズラーオ1せいにナポリを奪還だっかんされていた。

ちちフアン1せい唯一ゆいいつ男子だんしハイメ(ヨランドのあに)は夭逝ようせいしたため、アラゴン王位おういちちおとうとマルティン1せい継承けいしょうしていたが、マルティンも嗣子しし先立さきだたれ、1410ねん後継こうけいしゃさだめないままぼっした。このとき、ヨランドがマルティンのめいでありアラゴン王女おうじょであったことから、ヨランドの長男ちょうなんルイ王位おうい継承けいしょう候補者こうほしゃ1人ひとりがったが、王位おういることはできなかった(カスペの妥協だきょう参照さんしょう)。

一方いっぽう、フランスは内乱ないらん只中ただなかブルゴーニュアルマニャックパリ政治せいじ主導しゅどうけんうばなか1414ねんにヨランドは王妃おうひイザボー・ド・バヴィエールしたたずね、イザボーとフランスおうシャルル6せい三男さんなんポンティユーはくシャルルのフランスおうシャルル7せい)と長女ちょうじょマリー婚約こんやくさせ、おっと所領しょりょうアンジェへシャルルをれて息子むすこたちとも教育きょういくほどこした。よく1415ねんにプロヴァンスにも同行どうこうさせたが、同年どうねんイングランドぐん上陸じょうりくしたため急遽きゅうきょアンジェ、いでパリへもどりアルマニャック合流ごうりゅうアジャンクールのたたかでアルマニャックがイングランドぐん大敗たいはい1417ねんにシャルルは2人ふたりあにおう太子たいしえらばれたが、1418ねんにイングランドとむすんだブルゴーニュによりパリが陥落かんらくおう太子たいしがパリからみなみブールジュのがれてきたさい庇護ひごおう太子たいし宮廷きゅうていはいった。同年どうねんにブルゴーニュ首領しゅりょうブルゴーニュおおやけジャン1せいこわおおやけ)との和睦わぼくはかったが、おう太子たいし反対はんたいされ失敗しっぱいしている[1]

宮廷きゅうていりしてから所領しょりょうのアンジュー・メーヌ家臣かしんまかせ、自身じしんおっと死後しごヴァロワ=アンジューたばね、エクス=アン=プロヴァンス居城きょじょうとしてプロヴァンスの直接ちょくせつ経営けいえい外交がいこうちからそそいだ。1422ねんにマリーとおう太子たいし結婚けっこんさせる一方いっぽう次男じなんルネ1420ねんロレーヌおおやけシャルル2せい長女ちょうじょイザベル結婚けっこんさせ、ロレーヌこう相続そうぞくさせている。ルネはまた、ヨランドの母方ははかた叔父おじルイからバルおおやけりょう相続そうぞくした。

たいイングランドへけてブルゴーニュこうフィリップ3せい善良ぜんりょうこう)とシャルル7せい和解わかい、およびブルターニュとフランスの結託けったく不可欠ふかけつだと認識にんしきしており、1424ねんブルターニュおおやけジャン5せい休戦きゅうせん協定きょうていわし、同時どうじにブルゴーニュの歓心かんしんうためジャン5せいおとうと善良ぜんりょうこう義兄ぎけいでもあるアルテュール・ド・リッシュモンをフランス王国おうこく大元帥だいげんすい任命にんめいさせるようシャルル7せいはたらきかけ、1425ねん実現じつげんさせた。同年どうねんにブルターニュと同盟どうめい締結ていけつさせるまで順調じゅんちょう実績じっせきげたが、よく1426ねんにジャン5せいがイングランドへ寝返ねがえり、ピエール・ド・ジアックらシャルル7せい寵臣ちょうしんがリッシュモンのあし軍事ぐんじ行動こうどう遅延ちえんなどをまねいたため、1427ねんにリッシュモンとんでジアックを暗殺あんさつした。

だが、協力きょうりょくしゃジョルジュ・ド・ラ・トレモイユがジアックの後釜あとがますわ1428ねんにリッシュモンを排除はいじょ腐敗ふはい政治せいじとリッシュモン攻撃こうげきにかまけてイングランド戦略せんりゃく後退こうたいした。ラ・トレモイユはみずからの支持しじ基盤きばん強化きょうかのためジャン・ド・クランまごジル・ド・レ登用とうようしたが、ヨランドにとっても2人ふたり宮廷きゅうていりはメリットがあり、リッシュモンをうしなったヨランドはブルターニュ交渉こうしょう尽力じんりょくしたジャンにアンジューぐんけんゆだね、リッシュモンのわりに軍事ぐんじりょくおぎなおうとした[2]

1429ねんジャンヌ・ダルクがシャルル7せい宮廷きゅうていおとずれ、イングランドぐん包囲ほういされているオルレアン救援きゅうえんねがた。ジャンヌはルネが婿むこりしたロレーヌ近辺きんぺん場所ばしょんでいたため、ルネと側近そっきんロベール・ド・ボードリクールとおしてジャンヌをったヨランドは退廃たいはいした宮廷きゅうていいちせきとうじるけとしてかんがえ、ジャンヌのたび支度じたくやオルレアンへけての軍備ぐんびととのえたのではないかとされている[3]オルレアン包囲ほういせんパテーのたたかでフランスぐん勝利しょうりすると主戦しゅせんいきおいづいたが、権力けんりょくくずされることをおそれたラ・トレモイユの妨害ぼうがい戦線せんせん膠着こうちゃくよく1430ねんにヨランドはラ・トレモイユの命令めいれいけたジルに誘拐ゆうかいされ、身代金みのしろきんはら解放かいほうされている。1431ねんふたたびジャン5せい交渉こうしょうおこないフランスがわもどし、よく1432ねんにリッシュモンを宮廷きゅうてい復帰ふっきさせラ・トレモイユの権力けんりょくるがせた。

ラ・トレモイユがリッシュモン復帰ふっきりずに妨害ぼうがいつづたいイングランド戦略せんりゃく支障ししょうしょうじたため、1433ねんにヨランドとリッシュモンは貴族きぞくたち結託けったくしてラ・トレモイユを誘拐ゆうかい宮廷きゅうていから追放ついほうさせ主導しゅどうけん確立かくりつした。三男さんなんシャルルがラ・トレモイユにわりシャルル7せい側近そっきんてられ、以後いご宮廷きゅうてい指導しどうしゃとなったリッシュモンがブルゴーニュと同盟どうめいむすび、イングランドへの反撃はんげき開始かいしして領土りょうど奪還だっかんすすめていくのを見届みとどけ、1442ねんに58さいくなった[4]

なお、幼少ようしょう孫娘まごむすめマルグリット・ダンジュー(マーガレット・オブ・アンジュー、ルネ・イザベル夫妻ふさい次女じじょ)を養育よういくしたことがあり、ヨランド死後しご1445ねん、イングランドとフランスの休戦きゅうせん条件じょうけんとしてマルグリットはわたりすぐる、マーガレットとあらためイングランドおうヘンリー6せい結婚けっこんした。やがてマーガレットは王妃おうひとして政治せいじ手腕しゅわん発揮はっき薔薇ばら戦争せんそう主導しゅどうてき役割やくわりたすことになる[5]

子女しじょ

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はは従弟じゅうていにあたり、アンジューこう、プロヴァンスはく、ナポリおうであったルイ2せい1400ねん結婚けっこんした。2人ふたりあいだ成人せいじんした子供こどもつぎとおりである。

  • ルイ3せい(1403ねん - 1434ねん) - アンジューこう、プロヴァンスはく
  • マリー(1404ねん - 1463ねん) - フランスおうシャルル7せい結婚けっこん
  • ルネ(1409ねん - 1480ねん) - アンジューこう、プロヴァンスはく、ロレーヌこう、ナポリおう
  • ヨランド(1412ねん - 1440ねん) - ブルターニュこうフランソワ1せい結婚けっこん
  • シャルル(1414ねん - 1472ねん) - メーヌはく

ヨランド・ダラゴンが登場とうじょうする作品さくひん

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漫画まんが

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映画えいが

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ エチュヴェリー、P87、P102、樋口ひぐち、P46 - P51、P54 - P61、P77 - P79。
  2. ^ エチュヴェリー、P132 - P133、P136 - P139、清水しみず、P69 - P72、P75 - P80、樋口ひぐち、P96 - P104、P129 - P130。
  3. ^ エチュヴェリー、P177、ペルヌー、P73、P85、清水しみず、P80 - P84。
  4. ^ エチュヴェリー、P202 - P207、ペルヌー、P266 - P267、清水しみず、P136 - P137、P144 - P147、P153 - P155、樋口ひぐち、P130 - P132。
  5. ^ もり、P216 - P217、P224。

参考さんこう文献ぶんけん

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