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三徳川みとくがわ

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三徳川みとくがわ

あお天神川てんじんかわ水系すいけいあか三徳川みとくがわ
水系すいけい 一級いっきゅう水系すいけい 天神川てんじんかわ
種別しゅべつ 一級いっきゅう河川かせん
延長えんちょう 16km[1]指定してい延長えんちょう15.35km[1]km
流域りゅういき面積めんせき 126.6[1][ちゅう 1] km²
水源すいげん 鳥取とっとりけん三朝みささまち俵原たらわら高原こうげん標高ひょうこう500m)
河口かこう合流ごうりゅうさき 天神川てんじんかわ
流域りゅういき 鳥取とっとりけん三朝みささまち
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三徳川みとくがわ(みとくがわ)は、鳥取とっとりけんながれるかわ天神川てんじんかわ主要しゅよう支流しりゅうひとつ。流域りゅういきには三朝みささ温泉おんせん三徳山みとくさん小鹿こじかけいなどの観光かんこうがある。

冒頭ぼうとう概要がいよう

[編集へんしゅう]

三徳川みとくがわは、天神川てんじんかわ主要しゅよう支流しりゅうひとつである。東伯とうはく地方ちほう南北なんぼくながれる天神川てんじんかわには、西にしからひがしながれてくる国府川こくふがわ小鴨川おがもがわと、ひがしから西にしながれてくる三徳川みとくがわ主要しゅよう支流しりゅうがある。本流ほんりゅうである天神川てんじんかわ自体じたいいちきゅう河川かせんとしては急流きゅうりゅうであるが、なかでも三徳川みとくがわもっときゅう支流しりゅうひとつになっている。標高ひょうこうやく500メートルのみなもと流域りゅういきから、りゅうやく16キロを天神川てんじんかわそそいでいる。

三徳川みとくがわうえ流域りゅういきは、中国ちゅうごく山地さんちにある。この地域ちいきでは、1おくねんまえマグマかたまった花崗岩かこうがんやまがいちどうみしずみ、1000まんねんから2000まんねんをかけてつぶてがんそう堆積たいせきした。500まんねんまえごろから、これらのそう貫通かんつうする噴火ふんかとともに隆起りゅうきして、安山岩あんざんがんによるやま形成けいせいされた。三徳川みとくがわうえ流域りゅういきでは急流きゅうりゅうによってこれらの地層ちそういちじるしい侵食しんしょくけた結果けっか複雑ふくざつけわしい峡谷きょうこく形成けいせいされた。こうしてできたやま典型てんけい三徳山みとくさんであり、渓谷けいこく典型てんけい小鹿こじかけいである。

山陰さんいん地域ちいき同様どうように、うえ流域りゅういきでは、古来こらいから花崗岩かこうがんふくまれる磁鉄鉱じてっこう砂鉄さてつとして採取さいしゅし、てつ生産せいさんおこなわれてきたが、下流かりゅうではしばしばこれを原因げんいんとする水害すいがいなやまされてきた。三徳川みとくがわしも流域りゅういきやく2キロ区間くかんくにによる治水ちすい管理かんりおこなわれているが、それより上流じょうりゅうでは、けん農協のうきょうによる発電はつでんなどの利水りすいおこなわれている。

かつては三徳川みとくがわ流域りゅういきを「三朝みささたに」、支流しりゅう加茂川かもがわ流域りゅういきを「なかたに」とった。下流かりゅうりょうきしには三朝みささ温泉おんせんがあり、近年きんねん年間ねんかんやく35まんにんおとずれ、皆生温泉かいけおんせんいで県内けんないだい2の温泉おんせんとなっている[2]

ながれ支流しりゅう

[編集へんしゅう]
三徳川みとくがわ概略がいりゃく
J000s
滑石かっせきとうげ
Normal
俵原たらわら高原こうげん
jbken
県道けんどう280ごう
jbken
県道けんどう21ごう[ちゅう 2]
Normal
三徳さんとく渓谷けいこく
AffluentL
尼子あまごがわ
j005
さん仏寺ぶつじ
AffluentL
垢離こりかわ
AffluentR
黒川くろかわ黒川くろかわ谷川たにがわ[ちゅう 3]
AffluentR
坪谷川つぼやがわ
AffluentR
なみ関川せきかわ
jbken
県道けんどう33ごう
AffluentL
小鹿おしかがわ
jhel
県営けんえい小鹿おしかだい発電はつでんしょ
jbippan
恋谷こいだにきょう
j005
三朝みささ温泉おんせん
jbken
県道けんどう273ごう三朝みささきょう
jbken
三朝みささバイパス・しん横手よこて大橋おおはし
jbippan
わかとり大橋おおはし
AffluentL
加茂川かもがわ
jbken
県道けんどう235ごう賀茂かもきょう
j009
天神川てんじんかわ
地層ちそうはしさかい三徳川みとくがわ侵食しんしょくして形成けいせいされた洞窟どうくつ投入とうにゅうどう建立こんりゅうされている。
さん仏寺ぶつじてらいきけるとたにがひらけはじめる。(写真しゃしん手前てまえがわ
日本にっぽんおと風景ふうけい100せんとなっている三朝みささ温泉おんせんのせせらぎ。対岸たいがん建物たてもの旅館りょかん大橋おおはしくに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい)。
三朝みささ温泉おんせん三朝みささきょう河川敷かせんしきには公衆こうしゅうよう露天風呂ろてんぶろもうけられている。

三徳川みとくがわ源流げんりゅう三朝みささまち東部とうぶ俵原たらわら高原こうげん滑石かっせきとうげ付近ふきんにある[1]俵原たらわら高原こうげんは、きゅう伯耆ほうきこく河村かわむらぐん)と因幡いなばこくおおぐん[ちゅう 4]境界きょうかいちか標高ひょうこう500メートルほどの高原こうげん地帯ちたいで、伝承でんしょうれば、平将門たいらのまさかどってきた藤原ふじわらしげるきょうたわら藤太とうた)が定住ていじゅうしたことからそのがある[5][6]。ここにはっした三徳川みとくがわは、鳥取とっとりけんどう280ごう沿って南進なんしんし、三朝みささまち俵原たらわら地区ちくたあと、三徳山みとくさんきたふもと西にしてんじてさん仏寺ぶつじ付近ふきんまで標高ひょうこう300メートルほど一気いっきくだ[7]。これらのみなもと流域りゅういきではふるくから和紙わし原料げんりょうであるミツマタ栽培さいばいされており[1]現代げんだいでも三朝みささまち地元じもと特産とくさん農産物のうさんぶつとしている[8]

三徳山みとくさん[ちゅう 5]隆起りゅうきじゅん平原へいげんであった吉備高原きびこうげんめん花崗岩かこうがんうえに、しんだい三紀みきしこりはいかくつぶてがんそうし、さらに鮮新火山かざんせい安山岩あんざんがん溶岩ようがんがこれらをやぶって噴出ふんしゅつしておおいかぶさり形成けいせいされたやまで、これを山陰さんいん特有とくゆう多雨たうゆきによる流水りゅうすいはげしく侵食しんしょくし、複雑ふくざつ急峻きゅうしゅん地形ちけい形成けいせいしている[1][9]とく安山岩あんざんがんそうしこりはいかくつぶてがんそう境界きょうかい付近ふきんでは差別さべつ侵食しんしょくによって洞窟どうくつじょうくぼんだ地形ちけいおお形成けいせいされており、さん仏寺ぶつじ投入とうにゅうどうなどはそこに建立こんりゅうされたものである[1]

このように三徳山みとくさん天神川てんじんかわ流域りゅういきもっと急峻きゅうしゅん峭をしており、古来こらいから霊峰れいほうとしてきびしく保護ほごされてきた[1][ちゅう 6]。その結果けっか原生げんせいうえせい手付てつかずでのこっているほか、高低こうていはげしい地形ちけいから、南方なんぽうけい植物しょくぶつ北限ほくげん北方ほっぽうけい植物しょくぶつ南限なんげん混在こんざいしており、植物しょくぶつがくじょう貴重きちょう地域ちいきとされている[1]

さん仏寺ぶつじやまいきには三徳川みとくがわしょう支流しりゅうがあり、明治めいじ時代じだいの『名勝めいしょう史跡しせきさん徳山とくやまさん佛寺ぶつじ全景ぜんけい』には、「阿弥陀あみだたき」、「念仏ねんぶつたき」、「あわたき」などをもつ尼子あまごがわが「馬洗もうらいふち」で合流ごうりゅうする様子ようすえがかれている[10]。また、参道さんどうちか垢離こりかわ(こりとり-)は上流じょうりゅうに「不動滝ふどうたき」、さらに山中さんちゅうに「りゅういさおいんたき」、「へびたき」をもつ。垢離こりかわ近年きんねん鳥取とっとりけんによって「歴史れきしみず」に選出せんしゅつされている[11][12]

一帯いったい三徳さんとく渓谷けいこくばれることもある[13][1]。1889ねん明治めいじ22ねん)にむらせいかれたころさん仏寺ぶつじ門前もんぜんを「三徳みとくむら」とごうした[14]

さん仏寺ぶつじてらいきるとながれ北西ほくせいてんじ、三朝みささまち坂本さかもと地区ちく支流しりゅう黒川くろかわ坪谷川つぼやがわ(つぼたに[6]-)をわせて西にしきをえる。このあたりから天神川てんじんかわ合流ごうりゅうするまでの区間くかんは、構造こうぞうだに[ちゅう 7]かんがえられている[15]。さらにきたからなみ関川せきかわ(なみぜき[6]-、なんぜき[16]-)、みなみからは三徳川みとくがわ最大さいだい支流しりゅうである小鹿おしかがわ(おしか[6]-)が合流ごうりゅう[1]沖積ちゅうせき形成けいせいされている[17]明治めいじ初期しょきころは、この地域ちいき現在げんざい片柴かたしば地区ちく)は三徳川みとくがわ流域りゅういきもっと人口じんこうおおく、明治めいじ中期ちゅうきに「かなえむら」となった[17][14]

三徳みとくむらかなえむらは1917ねん大正たいしょう6ねん)に合併がっぺいして三徳みとくむらとなった。さらに1953ねん昭和しょうわ28ねん)に支流しりゅうしょう鹿川かのかわ流域りゅういき小鹿おしかむら加茂川かもがわ竹田川たけだがわ天神川てんじんかわ旧名きゅうめいじょう流域りゅういきあさひむら竹田たけだむら合併がっぺいして三朝みささまちとなった[14]

小鹿おしかがわ合流ごうりゅうから天神川てんじんかわ竹田川たけだがわ)へそそぐまでの区間くかん三朝みささがわ(みささ-、みあさ[18]-)としょうすることもある[19]。また、流域りゅういきはかつて「三朝みささたに」とばれていた[19]

かわはその三朝みささ温泉おんせん中心地ちゅうしんちながれる。三朝みささ温泉おんせんは、もともと三徳川みとくがわ左岸さがん源泉げんせん湧出ゆうしゅつしており[13]もっとふるいとされる「かぶ」をはじめ、左岸さがん温泉おんせん施設しせつがい形成けいせいされている[20]のち右岸うがんでも温泉おんせん開発かいはつされ、右岸うがんには大型おおがた宿泊しゅくはく施設しせつなら[13]温泉おんせん周辺しゅうへんには、映画えいが舞台ぶたいになった「恋谷こいだにきょう[21]三朝みささ温泉おんせんのシンボルとされる「三朝みささきょう」などがかる[22]

温泉おんせんがいから加茂川かもがわとの合流ごうりゅうてんいたあいだ河川敷かせんしきは、三徳川みとくがわ緑地りょくち横手よこて親水しんすい公園こうえん水辺みずべらくこうとして解放かいほうされ、遊歩道ゆうほどうなどが整備せいびされている[23][24][25]。この付近ふきんでは初夏しょかのホタルやカジカガエル風物詩ふうぶつしとしており、『三徳川みとくがわのせせらぎとカジカガエル』が環境省かんきょうしょうによって「日本にっぽんおと風景ふうけい100せん」に選定せんていされているほか[26][27]、『やすらぎの水辺みずべ三徳川みとくがわ三朝みささ温泉おんせんのみち』として「うつくしい日本にっぽんあるきたくなるみち500せん」にえらばれている[27]

温泉おんせん地域ちいきぎると、三朝みささまち中心ちゅうしんがい大瀬おおせ本泉もといずみ地区ちくにはいる[25]人形にんぎょうとうげきたふもとからながれてきた加茂川かもがわ合流ごうりゅうすると、もなく天神川てんじんかわそそぐ。この合流ごうりゅうてんから三徳川みとくがわ源流げんりゅう付近ふきんまでのほぼ全長ぜんちょうにわたり、県道けんどう21ごうなみそうしており、かつての倉吉くらよし往来おうらい鹿野かのみち)に相当そうとうする[19]

おも支流しりゅう

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本節ほんぶしでは上流じょうりゅうがわから記載きさいする。

  • 垢離こりかわ(こりとり-) - 垢離こりかわ三徳山みとくさんさん仏寺ぶつじ参道さんどうちか支流しりゅうで、鳥取とっとりけんによって「とっとりの名水めいすい歴史れきしみず)」のひとつに選出せんしゅつされている[ちゅう 8]。かつて修験しゅげんしゃ参拝さんぱいしゃ入山にゅうざんまえきよめた落差らくさ11メートルの「不動ふどうたき」があり、県道けんどう21ごうから遊歩道ゆうほどう整備せいびされている[ちゅう 9]。さらにおくいきには「りゅういさおいんたき」、「へびたき」がある。[12]
  • 坪谷川つぼやがわ - 坪谷川つぼやがわ三徳川みとくがわ支流しりゅう飯盛山いいもりさん標高ひょうこう646m)と小富士山おふじやま標高ひょうこう769.7m)にはっし、三朝みささまち坂本さかもと三徳川みとくがわそそ[6]ながさは1.3km(うち指定してい延長えんちょう1.1km)、流域りゅういき面積めんせきは4.2km2で、急流きゅうりゅう侵食しんしょくはげしく、砂防さぼう指定していおこなわれている[28]流域りゅういきには小鹿こじかしこりはいかくつぶてがん分布ぶんぷし、植物しょくぶつ化石かせきられる[28]
  • なみ関川せきかわ - なみ関川せきかわ(なみぜき-、なんぜき-)は三徳川みとくがわ支流しりゅう標高ひょうこう250メートルの波関峠なんせきとうげみなみはっし、奈良木ならき谷川たにがわをあわせ、三朝みささまち片柴かたしば三徳川みとくがわそそ[6][16]ながさは1.6km、流域りゅういき面積めんせき5.4km2で、急流きゅうりゅう砂防さぼう指定していけている[29]なみはしする県道けんどう29ごう波関峠なんせきとうげえてなし浜町はまちょう東郷とうごう東郷とうごう温泉おんせん地区ちくつうじる。

小鹿おしかがわ

[編集へんしゅう]
小鹿おしかがわ概略がいりゃく
J000s
三国山さんごくやま
jbken
県道けんどう33ごう
j015
LakeMiddle
中津貯水池なかつちょすいち
j013
中津なかつダム
AffluentL
竹田たけだ谷川たにがわ
j005
小鹿こじかけい
AffluentL
かん谷川たにがわ
jhel
県営けんえい小鹿おしかだいいち発電はつでんしょ
AffluentL
丹戸たんど谷川たにがわ
jbken
県道けんどう273ごう
AffluentR
東小鹿ひがしおしかがわ
jbken
県道けんどう273ごう
AffluentR
だんがわ
AffluentR
天谷あまだにがわ
AffluentR
さわ谷川たにがわ
AffluentR
みず谷川たにがわ
AffluentL
わり谷川たにがわ
j009
三徳川みとくがわ
小鹿こじかけい神縄かみなわたきゆうふち

小鹿おしかがわ(おしかがわ)は三徳川みとくがわ支流しりゅうで、りゅうちょうは16.2キロメートル(指定してい区間くかんは12.7キロメートル)、流域りゅういき面積めんせきは42.5km2で、流域りゅういき集落しゅうらくはかつて小鹿おしかむら形成けいせいしていた。[6][30]上流じょうりゅう小鹿こじかけいくに名勝めいしょう指定していされている[30]小鹿おしかがわ加茂川かもがわくらべて、自然しぜんのままのながれがそのままになっており、上流じょうりゅうにはおおきないわがあり、ながれが複雑ふくざつである[31]

源流げんりゅう三国山さんごくやまきたふもとはっし、ブナミズナラ原生げんせいりん三朝みささまち中津なかつ地区ちく[30]中津なかつ地区ちく下流かりゅうけんだにはばまれて隔絶かくぜつされた集落しゅうらくで、平将門たいらのまさかど末裔まつえい平清盛たいらのきよもり庶子しょし安徳天皇あんとくてんのう子孫しそん土着どちゃくしたという平家へいけ落人おちうど伝承でんしょうがある[32][19]。そのほか後述こうじゅつするように、うえ流域りゅういき隠遁いんとんした武士ぶしだん木地きじ鉱山こうざんなどの職業しょくぎょう集団しゅうだんによる限定げんていてき開墾かいこんおこなわれたが、かんたにすじのようにそのいくつかはすで無人むじん集落しゅうらくとなってすたれている[33][32]

とく中津なかつ地区ちくからすうキロ下流かりゅう神倉かみくらまでのあいだは、三徳川みとくがわ上流じょうりゅう同様どうように、三徳山みとくさん花崗岩かこうがんそうまでふか侵食しんしょくして複雑ふくざつきゅうがけ渓谷けいこく形成けいせいし、地層ちそう褶曲しゅうきょくもあいまって[9]おおくのたきふちをも奇勝きしょうしており、昭和しょうわ初期しょき小鹿こじかけいとして有名ゆうめいになった[19][34]高低こうていおおきい小鹿こじかけいでは、たにそこがけじょう気温きおん逆転ぎゃくてん現象げんしょうきており、水面すいめん付近ふきん気温きおんひく高地こうちせい植物しょくぶつ群生ぐんせいし、標高ひょうこうたかいほうが気温きおんたか南方なんぽうけい植物しょくぶつえている。小鹿こじかけいは1937ねん昭和しょうわ12ねん)にくに名勝めいしょう指定していされたが、1953ねん昭和しょうわ28ねん)に鳥取とっとりけん中津なかつダム建設けんせつし、水量すいりょういちじるしくっておおきく景勝けいしょう様変さまがわりした[19]

中津なかつダムは渓谷けいこく高低こうてい利用りようする発電はつでんようで、中津貯水池なかつちょすいちでためたみず送水そうすいかん下流かりゅう小鹿こじかだいいち発電はつでんしょおくり、発電はつでんしている。さらにそのみず小鹿こじかだい発電はつでんしょさい利用りようされる[35][36]。このほか、三朝みささ温泉おんせんみなみ山中さんちゅう三朝みささ高原こうげんしょうする標高ひょうこう300~400メートルの台地だいちには発電はつでんよう三朝みささダムがあり、三朝みささ調整ちょうせいそなえている[35][37][38][39]

東小鹿ひがしおしか西小鹿にしおしか集落しゅうらく河岸かわぎし段丘だんきゅうじょう形成けいせいされている

神倉かみくら付近ふきんから下流かりゅうがわでは、天神川てんじんかわ水系すいけいとしてはめずらしく河岸かわぎし段丘だんきゅう形成けいせいされている[40][19]だか60から70メートルの段丘だんきゅうじょうに、右岸うがんがわには東小鹿ひがしおしか左岸さがんがわには西小鹿にしおしかむら形成けいせいされているが、もとは段丘だんきゅうにあった7けんいえかわ氾濫はんらんけて3けんひがし、4けん西側にしがわ段丘だんきゅうじょうにあがったのが発祥はっしょうつたえられている[19][30]。そのりょうきしからしょう支流しりゅうあつめ、三朝みささまち片柴かたしば三徳川みとくがわそそぐ。

源流げんりゅう付近ふきんから三徳川みとくがわへの合流ごうりゅう地点ちてんまで県道けんどう33ごうなみそうしている。

加茂川かもがわ

[編集へんしゅう]
加茂川かもがわ概略がいりゃく
J000s
三朝みささまち鉛山なまりやま
jbippan
jbken
県道けんどう205ごう
AffluentL
福吉ふくよしがわ
jhel
高勢たかせがわ小河内おかうち発電はつでんしょ
AffluentL
笏賀つががわ
AffluentL
小和おわ谷川たにがわ
AffluentR
した谷川たにがわ
AffluentR
いたやっとこ谷川たにがわ
AffluentL
本泉もといずみがわ
j009
三徳川みとくがわ
加茂川かもがわ上流じょうりゅう鉛山なまりやまきょう。「天神川てんじんかわ」の表記ひょうきがある。

加茂川かもがわ(かもがわ)は三徳川みとくがわ支流しりゅうで、りゅうちょう15.6キロメートル(うち指定してい区間くかん11.5キロメートル)、流域りゅういき面積めんせき40.7km2[41]水量すいりょうおおくなくおだやかなかわである[41]加茂川かもがわ流域りゅういきむら江戸えど時代じだいには「なかたに」や「加茂かもたに」、かもきょうい、明治めいじ時代じだい加茂かもむらとなった[6][19]。しばしば「賀茂川かもがわ」ともき、流域りゅういきそう産土神うぶすながみしゃであった賀茂かも大明神だいみょうじん賀茂かも神社じんじゃ)は、祭神さいじんふねかわ遡上そじょうしてきたとつたえられ、因幡いなばこく美作みさくこくからも参詣さんけいしゃあつめていた[41][19]加茂川かもがわは、小鹿おしかがわくらべるとかわどう整備せいびおこなわれている[31]

源流げんりゅう人形にんぎょうとうげきたふもとがわにあり、付近ふきん鉛山なまりやま地区ちくふるくからぎんまたはどうれたが、銀山ぎんざん銅山どうざん幕府ばくふ直轄ちょっかつとされてしまうので、鉛山なまりやまいつわっていたという[41][19]昭和しょうわにはウラン採掘さいくつこころみられたこともある[41]。ここからいくつかのしょう支流しりゅうあつめながら西進せいしんし、福吉ふくよしがわ合流ごうりゅうする。福吉ふくよしがわ上流じょうりゅうには、「いちたき落差らくさ8メートル)」、「たき落差らくさ3メートル)」、「さんたき落差らくさ13メートル)」からなる「馬場ばばたき不動滝ふどうたき)」がある[42][19]。このたきはもともと不動尊ふどうそんかれ不動滝ふどうたきばれていたが、江戸えど時代じだい上流じょうりゅう製鉄せいてつがさかんになると砂鉄さてつ木炭もくたん銑鉄せんてつ輸送ゆそううまもちいられるようになり、「馬場ばばたき」とわった[43]

福吉ふくよしがわとの合流ごうりゅう加茂川かもがわきたてんじて小河内おがうち(おごち)地区ちくはい[43]小河内おかうち地区ちく上流じょうりゅうがわくちにある支流しりゅう高勢たかせがわには農協のうきょう小河内おかうち発電はつでんしょもうけられている[41][44]小河内おがうちは、かつての「なかたに」の中心ちゅうしん地域ちいきで、とく製鉄せいてつさかえ、鉄山てつざん使役しえきされたうまおおいことから「馬場ばばたいら(なる)」ともしょうされた[43][45]

このあたりで笏賀つががわ下谷しもたにがわなどの支流しりゅうあつまる。笏賀つががわ流域りゅういきには樹齢じゅれい200ねんかぞえる天然てんねんせい古木ふるきや、それに着生ちゃくせいするシダ・コケるい豊富ほうふで、鳥取とっとりけん天然記念物てんねんきねんぶつ指定していされているが、付近ふきんには11箇所かしょのたたらの遺構いこうがある[45]下谷しもたにがわ上流じょうりゅう粘土ねんどそう通過つうかすることからわずかに白濁はくだくしている[45]小河内おがうちけるとたにせばまり、加茂川かもがわはそこを蛇行だこうかえしながらもり地区ちくとおり、天神川てんじんかわ三徳川みとくがわ合流ごうりゅうするけた地域ちいきて、三徳川みとくがわそそぐ。

源流げんりゅう付近ふきんから三徳川みとくがわへの合流ごうりゅう地点ちてんちかくまで県道けんどう205ごうなみそうしている。

中部ちゅうぶダム計画けいかく
[編集へんしゅう]

かつて、加茂川かもがわ中流ちゅうりゅうにダムをつく計画けいかくがあった[46]。この「中部ちゅうぶダム」は、加茂川かもがわ下谷しもたにがわ合流ごうりゅう地点ちてん付近ふきん建設けんせつされ、これによって小河内おかうち地区ちくより下流かりゅう福田ふくだ下谷しもたに地区ちく水没すいぼつすることになっていた[46]計画けいかく昭和しょうわ40年代ねんだいからはじまったが、バブル経済けいざい崩壊ほうかい県知事けんちじ交替こうたいなどをて、27ねん平成へいせい12ねん(2000ねん)に中止ちゅうしまり、水没すいぼつ予定よていからすで移転いてんしてしまった世帯せたいなどへ補償ほしょうおこなわれた[46]

この計画けいかく昭和しょうわ40年代ねんだい後半こうはん立案りつあんされ、天神川てんじんかわ下流かりゅう倉吉くらよし羽合はわいまち(のちのなし浜町はまちょう)の利水りすい治水ちすいのためのダムとされていた[46][47]平成へいせい4ねん(1992ねん)に策定さくていされた計画けいかくでは、そう工費こうひ200おくえん貯水ちょすいりょう790まんm3となっており、いちにちあたり15,000m3水道すいどう用水ようすいまかなうとしていた[46]。その計画けいかく見直みなおしがおこなわれ、平成へいせい8ねん(1996ねん)の修正しゅうせいあんでは貯水ちょすいりょう590まんm3水道すいどう用水ようすい供給きょうきゅうりょういちにち8,000m3げられ、これにともなって工費こうひは140おくえん節約せつやくできると見積みつもられた[46]当時とうじ説明せつめいでは、これは河川かせん改修かいしゅうようする費用ひよう147おくえん下回したまわっており、河川かせん改修かいしゅうよりも合理ごうりてきであるとされた[46]

しかし、この事業じぎょうはそのさい評価ひょうか対象たいしょうとなった[46][48]平成へいせい11ねん(1999ねん)にそれまで4わた鳥取とっとり県知事けんちじつとめた西尾にしお邑次引退いんたいし、新人しんじん片山かたやま善博よしひろにかわると、あらためて工費こうひさい検討けんとうおこなわれた[46]。この結果けっか平成へいせい8ねん計画けいかくとほぼ同等どうとうのダム建設けんせつでも230おくえんようすることがしめされた[46]。これにたいし、河川かせん改修かいしゅうは78おくえんむうえ、人口じんこうはせいぜいよこばいまでであり、水道すいどう用水ようすい需要じゅよう増加ぞうか見込みこめないため、2000ねんにダム計画けいかく正式せいしき中止ちゅうしまった[46]

すでにダム建設けんせつなどを見越みこしてしてしまった世帯せたいがあったり、計画けいかく足踏あしぶみしていたやく30ねんのあいだインフラ整備せいび見送みおくられていたことなどによって、建設けんせつ予定よてい地域ちいき荒廃こうはいしており、県知事けんちじ地元じもと謝罪しゃざいするとともに、地域ちいきさい整備せいびなどのためくにけんまちがあわせて168おくえん拠出きょしゅつすることになった[46]。この「きゅう中部ちゅうぶダム予定よてい」は、大型おおがたダムの建設けんせつ中止ちゅうしとその地域ちいき振興しんこうのありかたについてのモデルケースとして、はちじょうダム群馬ぐんまけん)や矢田やたダム(高知こうちけん)など、計画けいかく賛否さんぴがわかれた事業じぎょうでも参考さんこうにされている[48][49]

しょもと

[編集へんしゅう]
三徳川みとくがわ主要しゅよう支流しりゅう
川名かわな なが 流域りゅういき面積めんせき
三徳川みとくがわ 16.0km 126.6km2
坪谷川つぼやがわ 1.3km 4.2km2
なみ関川せきかわ 1.6km 5.4km2
小鹿おしかがわ 16.2km 42.5km2
加茂川かもがわ 15.6km 40.7km2

流域りゅういき面積めんせきには支流しりゅうふく


三徳川みとくがわ発電はつでんしょ
名称めいしょう 河川かせん 方式ほうしき 最大さいだい出力しゅつりょく 着工ちゃっこう 運転うんてん開始かいし 事業じぎょうしゃ
小鹿こじかだいいち発電はつでんしょ 小鹿おしかがわ ダム水路すいろしき 3600kw 1953ねん 1957ねん 鳥取とっとりけん
小鹿こじかだい発電はつでんしょ 小鹿おしかがわ ダム水路すいろしき 5200kw 1956ねん 1958ねん 鳥取とっとりけん
小河内おかうち発電はつでんしょ 高勢たかせがわ ダム水路すいろしき 130kw 1956ねん 鳥取とっとり中央ちゅうおう農協のうきょう


三徳川みとくがわのダム
名称めいしょう 河川かせんめい 目的もくてき 形式けいしき つつみだか つつみいただきちょう たたえ水面すいめんせき そう貯水ちょすい容量ようりょう 事業じぎょうしゃ ダムみずうみ
中津なかつダム 小鹿おしかがわ 発電はつでん小鹿こじかだいいち発電はつでんしょ 重力じゅうりょくしきコンクリート 35m 96m 15ha 1,375,000m3 鳥取とっとりけん 中津貯水池なかつちょすいち
三朝みささダム 美谷みたにがわ 発電はつでん小鹿こじかだい発電はつでんしょ アース 15m 75.2m 1ha 33,000m3 鳥取とっとりけん 三朝みささ調整ちょうせい

おも橋梁きょうりょう

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恋谷こいだにきょう」- こい成就じょうじゅねが絵馬えま三朝みささ温泉おんせんのシンボルであるカジカガエルがかれている。ひだりおく建物たてものブランナールみささ
三朝みささきょう」 - くに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい

恋谷こいだにきょう

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三徳川みとくがわ三朝みささ温泉おんせん地域ちいきかるはしで、1961ねん昭和しょうわ36ねん)に現在げんざいのコンクリートきょう完成かんせいした[50]ラジウム温泉おんせんとされるさんあさ温泉おんせんでは、ラジウム発見はっけんしゃであるキュリー夫妻ふさいちなんで「キュリーさい」を毎年まいとし開催かいさいし、例年れいねん在日ざいにちフランス大使館たいしかん関係かんけいしゃ招待しょうたいしており[51]恋谷こいだにきょう建設けんせつ当時とうじのフランス大使たいしによって命名めいめいされた[52]右岸うがんには「キュリー広場ひろば」とキュリー夫人ふじん胸像きょうぞうがある。2011ねんには三朝みささ温泉おんせん舞台ぶたいにした『恋谷こいだにきょう』という映画えいが公開こうかいされた[21]

三朝みささきょう

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三朝みささきょうは1934ねん昭和しょうわ9ねん)に京都きょうと帝国ていこく大学だいがく武田たけだいち設計せっけいによって完成かんせいした。旧来きゅうらい木造もくぞうきょうえにあたり、ふる温泉おんせんがい風情ふぜいうデザインを目指めざしたもので、コンクリートきょうながら旧来きゅうらいじゅん日本にっぽんふう木造もくぞうきょうのデザインを上部じょうぶ下部かぶ構造こうぞう採用さいようし、手摺てすりにはおな鳥取とっとり県内けんない若桜わかさまち産出さんしゅつした御影石みかげいし意匠いしょうほどこしてある[22]三朝みささ温泉おんせんのシンボルとされ、左岸さがん上流じょうりゅうがわ河原かわらには公衆こうしゅうよう露天風呂ろてんぶろもうけられている[50]。2005ねん平成へいせい17ねん)にくに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい登録とうろくされた[53]県道けんどう273ごう一部いちぶをなしている。

しん横手よこて大橋おおはし

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2004ねんにできた三朝みささバイパスもうけられたはし主要しゅよう地方ちほうどう県道けんどう21ごう鳥取とっとり倉吉くらよしむす交通こうつうりょうおお幹線かんせん道路どうろだったが、三朝みささ温泉おんせん付近ふきんではせま道幅みちはば温泉おんせんがい中心ちゅうしん通過つうかしていた[54]。これを解消かいしょうするために1987ねん昭和しょうわ62ねん)から県道けんどうのバイパス工事こうじおこなわれ、2004ねん完成かんせいした[54]

そのおもはし

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  • わかとり大橋おおはし
  • 賀茂かもきょう - 三朝みささまち中心ちゅうしんかる県道けんどう235ごうはし[55]三徳川みとくがわかるはしとしてはもっとも下流かりゅう位置いちする。きゅうはしは1932ねん昭和しょうわ7ねん)に設置せっちされていたが、幅員ふくいんせまいため車両しゃりょうのすれちがいができず、増水ぞうすいかわ流水りゅうすいさまたげになって洪水こうずい原因げんいんになっていた[55]。2005ねん平成へいせい17ねん)から新橋しんばし工事こうじおこなわれ、2008ねん平成へいせい19ねん)6がつ完成かんせいした[55][56]

環境かんきょう

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小鹿おしかがわ渓流けいりゅう

三徳川みとくがわ天神川てんじんかわ水系すいけいのなかでも急流きゅうりゅうで、ヤマメタカハヤなどの渓流けいりゅうぎょのほか、おおくの魚類ぎょるい生息せいそくいきとなっている[57]とく河川敷かせんしきにはツルヨシ群落ぐんらく形成けいせいしており、前述ぜんじゅつカジカガエルのほか、モノアラガイミナミヌマエビなどがむ。上流じょうりゅう川床かわどこにはカジカがみられる[57]

2005ねん魚類ぎょるい調査ちょうさ

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2005ねん支流しりゅう小鹿おしかがわ加茂川かもがわおこなわれた魚類ぎょるい生息せいそく調査ちょうさで、りょうささえかわでさまざまな魚類ぎょるい確認かくにんされた[31]。どちらも中流ちゅうりゅうから上流じょうりゅう渓流けいりゅうさかな観察かんさつされたが、その分布ぶんぷにはちがいがあった[31]

小鹿おしかがわでは、カワムツカマツカドンコシマドジョウといった中流ちゅうりゅうせい魚類ぎょるい上流じょうりゅうまでさかのぼって進出しんしゅつしているとともに、ぎゃく渓流けいりゅうせいイワナアマゴ中津なかつダムをえてうえ流域りゅういきまでくだってきており、うえ流域りゅういき小鹿こじかけいではこれらのさかな混在こんざいしている[31]タカハヤカジカなどの上流じょうりゅうせいさかなはほぼ全域ぜんいきでみられた [ちゅう 10]ウグイ全域ぜんいき観察かんさつされたが、これは中津なかつダムの影響えいきょうがあるとかんがえられている[31]

加茂川かもがわでもこれらの魚類ぎょるい確認かくにんされたものの、中流ちゅうりゅうせい魚類ぎょるい渓流けいりゅうせい魚類ぎょるい分布ぶんぷはわかれており、小鹿おしかがわのように両者りょうしゃ混在こんざいすることはなかった[31]。これは加茂川かもがわ人工じんこうてき護岸ごがんすすんでいることと関係かんけいがあるとされている[31]一方いっぽう小鹿おしかがわではダムよりも上流じょうりゅうがわ確認かくにんできなかったタカハヤやカジカといった上流じょうりゅうせいさかなが、ダムがない加茂川かもがわでは全域ぜんいき分布ぶんぷしていた[31]

歴史れきし

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三徳川みとくがわ流域りゅういきでは、縄文じょうもん時代じだい中期ちゅうきあなたに遺跡いせき発見はっけんされている[19]。また三徳川みとくがわ加茂川かもがわあいだ丘陵きゅうりょうには弥生やよい時代じだい丸山まるやま遺跡いせきがあり、住居じゅうきょあと古墳こふん遺構いこう出土しゅつどしている[19]

三朝みさささとふくめて天神川てんじんかわ流域りゅういき中世ちゅうせい京都きょうと松尾まつお大社たいしゃ荘園しょうえんまれ、のちに下流かりゅう東郷とうごうそうでは松尾まつお大社たいしゃ所領しょりょう地頭じとうが押領したが、三朝みささきょう松尾まつお大社たいしゃ所領しょりょうとして安堵あんどされた[19]

江戸えど時代じだいには、三徳山みとくさん三徳川みとくがわは「美徳びとく」とかれていた[19]。また、三徳川みとくがわ小鹿おしかがわ合流ごうりゅうより下流かりゅうは「三朝みささがわ」とばれており、現在げんざいでも三朝みささ温泉おんせん観光かんこう案内あんない文書ぶんしょとうには三朝みささがわ表記ひょうきられる[19]。また、三徳川みとくがわ本流ほんりゅう小鹿おしかがわ流域りゅういきを「三朝みささたに」としょうしていた[19]

舟運しゅううん

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江戸えど時代じだいには三徳川みとくがわ利用りようした舟運しゅううんおこなわれていた。三朝みささ温泉おんせん左岸さがんにある横手よこて地区ちくには河戸こうど大明神だいみょうじんまつられている[19]

治水ちすい

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天神川てんじんかわのほかの支流しりゅう同様どうように、三徳川みとくがわ流域りゅういき洪水こうずいおおかった。もともと急流きゅうりゅうであるうえ古来こらいからてつあなながといって砂鉄さてつ採取さいしゅともなはいすな上流じょうりゅうがわながすため、下流かりゅうではすな堆積たいせきによって水利すいり調整ちょうせい機能きのうそこなわれ、洪水こうずい原因げんいんとなった。三徳川みとくがわ下流かりゅう河川敷かせんしきのある大瀬おおぜ地区ちくにあるからはぜのき土手どて地蔵じぞう土手どて)には、堤防ていぼうつくさい人柱ひとばしらまつったとする地蔵じぞうのこされている[58]

1762ねんたかられき5ねん)の大雨おおあめでは伯耆ほうき因幡いなばおおきな被害ひがいたが、三徳川みとくがわなみ関川せきかわ小鹿おしかがわ合流ごうりゅうする片柴かたしば地区ちくにはこのときの土砂崩どしゃくずれで死者ししゃさいはか史跡しせきとしてのこされている[59]。このほか三徳川みとくがわ天神川てんじんかわ流域りゅういきではだい規模きぼ洪水こうずい発展はってんし、当時とうじ鳥取とっとりはん上流じょうりゅうでの砂鉄さてつ生産せいさん抑制よくせいさく余儀よぎなくされた[60]

近代きんだい以降いこうでは、1934ねん昭和しょうわ9ねん)の室戸むろと台風たいふう天神川てんじんかわ下流かりゅう倉吉くらよし市街しがいをはじめ、おおきな被害ひがいしたのを契機けいきに、天神川てんじんかわやその支流しりゅう治水ちすい対策たいさく本格ほんかくした[61]天神川てんじんかわ水系すいけいいちきゅう水系すいけいとなった1967ねん昭和しょうわ42ねん)6がつ時点じてんでは三徳川みとくがわくに管理かんりふくまれなかったが、4ねんの1971ねん昭和しょうわ46ねん)4がつ三徳川みとくがわ下流かりゅう部分ぶぶんくに管理かんり指定していされた。

流出りゅうしゅつ土砂どしゃ抑制よくせいするための砂防さぼうとしては、1936ねん昭和しょうわ11ねん)に三徳川みとくがわくに直轄ちょっかつ砂防さぼう区域くいきとなって対策たいさくすすめられてきたが、1998ねん平成へいせい10ねん)からは三朝みささまち全域ぜんいきがその対象たいしょうとなった[61]

かわ治水ちすい計画けいかく策定さくていするじょう基本きほんてき流水りゅうすいりょうのことを計画けいかくだか水量すいりょうというが[62]本流ほんりゅうである天神川てんじんかわではこれが毎秒まいびょう3500立方りっぽうメートルとなっていて、三徳川みとくがわはそのうち毎秒まいびょう750立方りっぽうメートルをになっている[63]。1959ねん昭和しょうわ34ねん)の伊勢湾いせわん台風たいふうでは、天神川てんじんかわ合流ごうりゅうする直前ちょくぜん三徳川みとくがわ水量すいりょう毎秒まいびょう600立方りっぽうメートルと推計すいけいされているが、現在げんざい三徳川みとくがわ伊勢湾いせわん台風たいふうみの水量すいりょうでも安全あんぜんみずながすことが可能かのう水準すいじゅん整備せいびみである[64]。(これにたいし、天神川てんじんかわ上流じょうりゅうや、主要しゅよう支流しりゅうである小鴨川おがもがわ国府川こくふがわでは、伊勢湾いせわん台風たいふう相当そうとう水量すいりょうなが能力のうりょくはほぼ全域ぜんいき不足ふそくしている[65]。)

鉄山てつざん開発かいはつ

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天神てんじん川上かわかみ流域りゅういき同様どうように、三徳川みとくがわ上流じょうりゅうでも砂鉄さてつ採取さいしゅたたら製鉄せいてつおこなわれてきた[66][19]

中国ちゅうごく山地さんちのなかでもこの地域ちいきとく鉄分てつぶん磁鉄鉱じてっこう)をおおふく花崗岩かこうがんでできており、風化ふうかした花崗岩かこうがん山陰さんいんがわ多雨たうゆきによる急流きゅうりゅう侵食しんしょくすることで砂鉄さてつ形成けいせいされる[66][67]

三徳川みとくがわ上流じょうりゅうでは、さん仏山ほとけやま門前もんぜまちである合谷ごうだに地区ちく旧称きゅうしょう門前もんぜむら)や、黒川くろかわ坪谷川つぼやがわ合流ごうりゅうする坂本さかもと地区ちく旧称きゅうしょう坂本さかもとむら)には、「たたら(たたら)」の名残なごり地名ちめい鉱山こうざんあとのこ[19]同様どうように、小鹿おしかがわではさい上流じょうりゅう中津なかつ地区ちくきゅう中津なかつむら)、神倉かみくら地区ちくきゅう神倉かみくらむら)、加茂川かもがわでは福田ふくだ地区ちくきゅう小和おわむら)、小河内おかうち地区ちくきゅう小河内おかうちむら)、笏賀つが地区ちくきゅう笏賀つがむら)にも鉄山てつざんたたら名残なごりの地名ちめいのこ[19]。これらはおおむ江戸えど時代じだいちゅう後期こうき(18から19世紀せいき)のもので、鉄山てつざんかんする古文書こもんじょのこされている。とくきゅう笏賀つがむら笏賀つが鉄山てつざんあとは50ねん以上いじょう操業そうぎょうされていた記録きろくのこ[19]

このほか、加茂川かもがわみなもと流域りゅういきにあたる鉛山なまりやま地区ちくは、本当ほんとうぎん(またはどう)が産出さんしゅつしたが、銀山ぎんざん銅山どうざん幕府ばくふ直轄ちょっかつとなってしまうために、はん鉛山なまりやま偽称ぎしょうしていたとつたわる[19]

これら上流じょうりゅうでの鉄山てつざんでは、てつあなながって砂鉄さてつふく土砂どしゃ大量たいりょうながし、下流かりゅうでの洪水こうずい原因げんいんになった。そのため下流かりゅうがわ上流じょうりゅうがわあらそいがえず、はん介入かいにゅうおこなわれた[19]

近代きんだいになると、これらの地域ちいきこう濃度のうどウラン含有がんゆうするウランこう発見はっけんされ、一部いちぶではウラン鉱山こうざん開発かいはつおこなわれた。これらの調査ちょうさ過程かてい人形にんぎょうとうげ付近ふきんでウランの露頭ろとう発見はっけんされ、人形にんぎょうとうげのウラン鉱山こうざんひらかれた[19]

文学ぶんがく

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三朝みささ温泉おんせん中心ちゅうしんに、三徳川みとくがわ三朝みささがわ)は様々さまざま文人ぶんじんまれている[19]

さんささかわ きよきながれを われとめて おくのいでゆに 一夜いちやねにけり[68]
このぬる あさけにれば 三朝みささがわ 今朝けさもけさとて たぎちゐるかも[68]
三朝みささがわ川瀬かわせをきよみ このゆふべ 旅人たびびとわれはあしをぞひた[19]
川波かわなみあめすそをば しろくする さんあさはしを こえてこしかな[68]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 天神川てんじんかわ水系すいけい河川かせん整備せいび計画けいかく」では123.0平方へいほうkm2
  2. ^ ちゅう県道けんどう21ごう三徳川みとくがわなみそうしており、とくに上流じょうりゅうではなん三徳川みとくがわわたるが、では省略しょうりゃくした。
  3. ^ このかわ平成へいせい18ねん国土こくど交通省こうつうしょう国土こくど数値すうち情報じょうほう(河川かせんデータ)[3]鳥取とっとり県庁けんちょう河川かせん資料しりょう[4]では「黒川くろかわ谷川たにがわ」と記載きさいされている。一方いっぽう国土こくど地理ちりいん地図ちず(1:25000地形ちけい三朝みささ」)をはじめ各種かくしゅ地図ちずでは「黒川くろかわ」となっている。
  4. ^ 2014ねん現在げんざい東伯とうはくぐん三朝みささまちきゅう鹿野かのまちげん鳥取とっとり
  5. ^ 三徳山みとくさん」という名称めいしょうは、自然しぜん地形ちけいやまたいする名称めいしょうであると同時どうじに、そのきたふもとにあるさん仏寺ぶつじ後述こうじゅつ)の山号さんごうでもある。ほんこうはこれらを区別くべつし、山名やまなとしては「三徳山みとくさん」、寺院じいんめいとしては「さん仏寺ぶつじ」で統一とういつする。
  6. ^ さん仏寺ぶつじつてでは、706ねんけいくも3ねん)の開山かいさんである。
  7. ^ 構造こうぞうだにとは断層だんそう褶曲しゅうきょくによって形成けいせいされた谷地やちがたで、かわ侵食しんしょくによる侵食しんしょくだに区別くべつされる。
  8. ^ この「名水めいすい」は歴史れきしてき価値かち文化ぶんかてき観点かんてんからもえらばれており、飲用いんようてきしたみずというわけではない[12]
  9. ^ この遊歩道ゆうほどうは2013ねん経路けいろ崩落ほうらくし、通行止つうこうどめとなっている[12]
  10. ^ この調査ちょうさ増水ぞうすいのためダム上流じょうりゅうがわかわみずにごっていて、直接ちょくせつ確認かくにんできなかったものもあり、参考さんこうデータあつかいになっている。[31]

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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電子でんし国土こくどWebでも閲覧えつらん可能かのう
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    • OpenStreetMap[1]などで閲覧えつらん可能かのう
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  • 図説ずせつ日本にっぽん文化ぶんか地理ちり大系たいけい4 中国ちゅうごく1』,浅香あさか幸雄ゆきおへん,小学館しょうがくかん,1962
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関連かんれん項目こうもく

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  1. ^ OpenStreetMap