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主観しゅかんかくりつ

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主観しゅかんかくりつ(しゅかんかくりつ、えい: subjective probability)は、客観きゃっかんかくりつ対比たいひされる概念がいねん。この両者りょうしゃかくりつ哲学てつがくてき解釈かいしゃくにおけるふたつの主要しゅよう選択肢せんたくしである。主観しゅかんてきかくりつかんがかたは1920年代ねんだいから1930年代ねんだいごろにフランク・ラムゼイブルーノ・デ・フィネッティらによって導入どうにゅうされた。

主観しゅかんかくりつ客観きゃっかんかくりつ

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客観きゃっかんかくりつとは、世界せかいなか存在そんざいする頻度ひんど傾向けいこうせいなど、我々われわれ主観しゅかんによらず存在そんざいするものとしてのかくりつす。客観きゃっかんかくりつ実験じっけんまたは理論りろんてき考察こうさつ思考しこう実験じっけん)からもとめられ、客観きゃっかんてき観測かんそく結果けっか比較ひかくできるランダム事象じしょうについてのかくりつである。

主観しゅかんかくりつとは、人間にんげんかんがえる主観しゅかんてき信念しんねんあるいは信頼しんらい度合どあい客観きゃっかんてきにはもとめられない)をいう。たとえば「かつて火星かせい生命せいめい存在そんざいしたかくりつ」という言葉ことばは、主観しゅかんかくりつかんがかたからは、「かつて火星かせい生命せいめい存在そんざいしたとしんじる信念しんねん度合どあい」と同値どうちである。

数学すうがくにおける確率かくりつろんはもともと客観きゃっかんかくりつもとにしたものであるが、主観しゅかんかくりつもまた確率かくりつろんにおけるかくりつ公理こうりたすようにすることができ、また、かくりつ公理こうりはずれた信念しんねん度合どあいをつと、「かならけるけ」をてることができてしまう、という、いわゆる「ダッチブック論証ろんしょう」が存在そんざいする。

つまり客観きゃっかんかくりつ主観しゅかんかくりつ数学すうがくてきというより哲学てつがくてき問題もんだいかんがえられる。ただし統計とうけいがくでは主観しゅかんかくりつ容認ようにんするかかでまったことなる理論りろん体系たいけい必要ひつようとなる。

典型てんけいてき客観きゃっかんかくりつは、試行しこう無数むすうかえしたときの事象じしょう頻度ひんど極限きょくげんとして定義ていぎされるものであり、頻度ひんど主義しゅぎといわれる。これとべつに、「無差別むさべつ原理げんり」(どちらがおおいかすくないかといった情報じょうほうのない事象じしょう同士どうしあいだではおなかくりつるという原理げんり)から論理ろんりてきかくりつまるとする論理ろんりせつや、対象たいしょう傾向けいこうせいを「かくりつ」と傾向けいこうせつばれる立場たちば存在そんざいする。

主観しゅかんかくりつをも容認ようにんする立場たちば下記かきのように主観性しゅかんせい程度ていどがあり、どこまでみとめるかについてはいろいろな意見いけんかれるが)を一般いっぱんに「ベイズ主義しゅぎ」という。この語源ごげんとなったトーマス・ベイズ自身じしん主観しゅかんかくりつ積極せっきょくてきみとめたかどうかかならずしもあきらかでないが、主観しゅかんかくりつあつかさい重要じゅうようベイズの定理ていりしめしたとされる。

主観しゅかんかくりつ支持しじする理由りゆう

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主観しゅかんかくりつ支持しじしゃがそれを支持しじする理由りゆうとしてげる論拠ろんきょはいくつか存在そんざいする。

まず、論理ろんりせつについては、なに無差別むさべつなすかによってこたえが一意いちいさだまらなくなるという問題もんだいがある。

つぎに、頻度ひんど主義しゅぎった場合ばあいいちかいかぎりの出来事できごとについてかくりつてることができなくなってしまう。たとえば、「このサイコロで1のかくりつ」は「このサイコロを無限むげんかいふったときに1の頻度ひんど」といいかえることができるが、「つぎにこのサイコロをふったときに1のかくりつ」はそのような頻度ひんど言葉ことばえることができない。

また、頻度ひんどについてかたるのがむずかしい対象たいしょう、たとえば殺人さつじん事件じけん捜査そうさで「A犯人はんにんである」というかくりつかんがえる場合ばあい、A犯人はんにんであるかないかのいずれかであり、そこには頻度ひんど存在そんざいしない。しかし、こういう場合ばあいかくりつという言葉ことばがしばしば使つかわれるのもたしかである。

この難点なんてんをふまえて登場とうじょうしたのが傾向けいこうせつである。傾向けいこうせつでは、「つぎにこのサイコロをったときに1のかくりつ」は、「つぎにこのサイコロをったときに、このサイコロやそれを環境かんきょうつ、1の傾向けいこう度合どあい」といいかえることになる。「A犯人はんにんであるかくりつ」もA傾向けいこう度合どあいとして解釈かいしゃくなおすことができる。しかし、かくりつ物理ぶつりてき基礎きそからはなれればはなれるほど「傾向けいこう」をすのがむずかしくなる。よくもちいられるのが「フリスビー工場こうじょうれい」である。フリスビー工場こうじょうAでは欠陥けっかんひんが100まいに1まい、フリスビー工場こうじょうBでは欠陥けっかんひんが200まいに1まい発生はっせいする。両者りょうしゃ生産せいさん枚数まいすうおなじだとして、手元てもと欠陥けっかんのあるフリスビーがとどき、AかBでつくられたということはかっていてもどちらかはからない、という場合ばあい、このフリスビーがAの工場こうじょうつくられたかくりつは2/3だと判断はんだんしたくなる。しかし、「このフリスビーが工場こうじょうAでつくられる傾向けいこう度合どあいは2/3である」といいかえると非常ひじょう奇妙きみょうである。

主観しゅかんかくりつにも主観性しゅかんせい程度ていどにいろいろちがいがある。つぎれいかんがえよう。

さいころをランダムに2かいったら、かずが6だったときに、さいころのとして1がていたかくりつもとめよ」

これは古典こてんてきかくりつとしては簡単かんたん計算けいさんできる(こたえ2/5)。ところが、このようにのちになってからまえ事実じじつ推測すいそくするかくりつ結果けっか条件じょうけんとするまえ事実じじつについての条件じょうけんかくりつ、つまり事後じごかくりつ)も、頻度ひんど主義しゅぎかられば一種いっしゅ主観しゅかんかくりつである。ランダムなさいころの原因げんいんとして結果けっかの6があらわれたのであって、結果けっかの6をもとにしてかくりつへん数値すうちあらわれるわけではない、というわけである。

このことを端的たんてきしめすのがモンティ・ホール問題もんだいである。これは3つのなかに1つだけ存在そんざいするたりをてるゲームだが、最初さいしょは3だった問題もんだい途中とちゅうで2わる(1つえらんだあとでハズレの1個いっこしめされ、のこり2つからえらぶようになる)。2段階だんかいでアタリのかくりつもとめるのに、たんなる2として計算けいさんすると 1/2直感ちょっかんてきにこうかんがえるひとおおい)だが、実際じっさいはそうではなく、最初さいしょえらんだほう1/3えらばなかったほう2/3 とするのがただしい。

一方いっぽう頻度ひんど主義しゅぎかんがかたでは、過去かこ原因げんいん仮定かていしたうえ現在げんざい結果けっかあらわれる条件じょうけんかくりつかんがえ、これをゆう、あるいはいろいろな原因げんいん変数へんすうとする関数かんすうとみてゆう関数かんすうという(これは原因げんいんかんするかくりつではない)。そしてゆうもっとたか原因げんいん事実じじつ推定すいていするわけである。

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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