(Translated by https://www.hiragana.jp/)
仁多郡 - Wikipedia コンテンツにスキップ

仁多にたぐん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
島根しまねけん仁多にたぐん位置いちみどり奥出雲おくいずもまち うすのちぐん編入へんにゅうされた区域くいき

仁多にたぐん(にたぐん)は、島根しまねけん出雲いずもこく)のぐん

人口じんこう10,769にん面積めんせき368.01km²、人口じんこう密度みつど29.3にん/km²。(2024ねん10がつ1にち推計すいけい人口じんこう

以下いかの1まちふくむ。

ぐんいき

[編集へんしゅう]

1879ねん明治めいじ12ねん)に行政ぎょうせい区画くかくとして発足ほっそくした当時とうじぐんいきは、下記かき区域くいきにあたる。

該当がいとう区域くいき面積めんせきは386.63k㎡、15,005にん(2010ねん国勢調査こくせいちょうさ確定かくてい)。

歴史れきし

[編集へんしゅう]

古代こだい

[編集へんしゅう]

律令制りつりょうせい施行しこうにより制定せいていされたとかんがえられる。『出雲いずもこく風土記ふどき』では、「湿しめったちいさな土地とち」という意味いみの「しかこころざしからたち(にたしき)小国おぐに(をぐに)」とばれたところから名付なづけられたとわれている[1]。また、「にた」の「(に)」がこの地方ちほう特有とくゆう赤土あかつち意味いみするとのせつもある[よう出典しゅってん]郡家こおげさんしょきょうにあった。

郷里きょうり

[編集へんしゅう]

天平てんぺい5ねん733ねん2がつ30にち成立せいりつしたとされる『出雲いずもこく風土記ふどき』には4つのさとうちに12のさとがあったとしるされ、以下いかさと記載きさいがある[注釈ちゅうしゃく 2]

式内しきないしゃ

[編集へんしゅう]

延喜えんぎしきかみめいちょうしるされるぐんない式内しきないしゃ

かみめいちょう 比定ひていしゃ 集成しゅうせい
社名しゃめい かく 付記ふき 社名しゃめい 所在地しょざいち 備考びこう
仁多にたぐん 2なみしょう
わが多気たき神社じんじゃ イカタケノ しょう 伊賀いが多気たき神社じんじゃ 島根しまねけん仁多にたぐん奥出雲おくいずもまち横田よこた128
三沢みさわ神社じんじゃ ミサハノ しょう 三沢みさわ神社じんじゃ 島根しまねけん仁多にたぐん奥出雲おくいずもまち三沢みさわ402
凡例はんれい表示ひょうじ

近世きんせい以降いこう沿革えんかく

[編集へんしゅう]
上阿井かみあいむら下阿井しもあいむらしょう白村はくそんひさ月村げっそん高尾たかおむら[注釈ちゅうしゃく 5]小馬木こまきむら大谷おおやむらした三成みなりむら馬馳まばせむら中村なかむら八代やしろむら佐白さじろむら上布施かみふせむらぜん布施ふせむら下布施しもぶせむら矢谷やたにむら広瀬ひろせむら湯野ゆの原村はらむらさと田村たむら神畑かばたけむらうえ三成みなりむらしょくむら石原いしはらむら角木つのぎむらおつ多田おおたむらした三所みところむら大馬木おおまきむら八川はちかわむら下横田しもよこたむら原口はらぐちむら竹崎たけざきむら馬場うまばむら横田よこたむら稲田いなだむら大曲おおまがりむらすみむら大呂おおろむら[注釈ちゅうしゃく 6]樋口ひぐちむら五反田ごたんだむらした鴨倉かもくらむら鞍掛くらかけむら原田はらだむら四日市よっかいちまち[注釈ちゅうしゃく 7]河内かわちむら大吉おおよしむらおつしゃむら堅田かただむら湯村ゆむらつきむら平田ひらたむら尾原おはらむら[注釈ちゅうしゃく 8]北原きたはらむら[注釈ちゅうしゃく 9]石村いしむらうえ鴨倉かもくらむら林原はやしばるむら上三所かみみところむら郡村こおりむらきんまくらむらすだれむら高田たかだむら高柴たかしばむら西にし湯野ゆのむら梅木うめき原村はらむら大内おおうち原村はらむら久比くび須村すむらちゅう湯野ゆのむら塩原しおばらむらぞうむら[注釈ちゅうしゃく 10]亀嵩かめだけまち[注釈ちゅうしゃく 11]三沢みさわまち三成みなりまち
  • 明治めいじ4ねん
  • 明治めいじ8ねん1875ねん9月5にち[2](3まち28むら
    • した三成みなりむら矢谷やたにむら広瀬ひろせむら湯野ゆの原村はらむら神畑かばたけむらうえ三成みなりむら合併がっぺいして三成みなりむらとなる。
    • さと田村たむら石原いしはらむら角木つのぎむらおつ多田おおたむらしたさんしょむら合併がっぺいして三所みところむらとなる。
    • 原口はらぐちむら稲田いなだむら合併がっぺいして稲原いなはらむらとなる。
    • した鴨倉かもくらむらうえ鴨倉かもくらむら合併がっぺいして鴨倉かもくらむらとなる。
    • 鞍掛くらかけむら原田はらだむら堅田かただむら林原はやしばるむら合併がっぺいして三沢みさわむらとなる。
    • 西にし湯野ゆのむら梅木うめき原村はらむら久比くび須村すむらちゅう湯野ゆのむら合併がっぺいして亀嵩かめだけむらとなる。
    • しょう白村はくそんひさ月村げっそん高尾たかおむらに、上布施かみふせむらぜん布施ふせむら佐白さじろむらに、下布施しもぶせむら北原きたはらむらに、しょくむら大曲おおまがりむらすみむら横田よこたむらに、馬場うまばむら樋口ひぐちむら五反田ごたんだむらぞうむら中村なかむらに、四日市よっかいちまち大吉おおよしむらおつしゃむら河内かわちむらに、つきむら湯村ゆむらに、尾原おはらむら石村いしむら平田ひらたむらに、きんまくらむら高田たかだむらに、すだれむら高柴たかしばむら大内おおうち原村はらむら塩原しおばらむら郡村こおりむらにそれぞれ合併がっぺい
  • 明治めいじ12ねん1879ねん1がつ12にち - こおり町村ちょうそん編制へんせいほう島根しまねけんでの施行しこうにより行政ぎょうせい区画くかくとしての仁多にたぐん発足ほっそくぐん役所やくしょ三成みなりむら設置せっち

町村ちょうそんせい以降いこう沿革えんかく

[編集へんしゅう]
1.布勢ふせむら 2.亀嵩かめだけむら 3.横田よこたむら 4.馬木うまきむら 5.三沢みさわむら 6.三成みなりむら 7.とり上村うえむら 8.八川はちかわむら 9.阿井あいむら 10.温泉おんせんむらあか雲南うんなん むらさき奥出雲おくいずもまち

変遷へんせんひょう

[編集へんしゅう]
自治体じちたい変遷へんせん
明治めいじ以前いぜん 明治めいじ8ねん9がつ5にち 明治めいじ22ねん
4がつ1にち
町村ちょうそんせい施行しこう
明治めいじ22ねん - 昭和しょうわ20ねん 昭和しょうわ21ねん - 昭和しょうわ30ねん 昭和しょうわ31ねん - 昭和しょうわ64ねん 平成へいせい元年がんねん - 現在げんざい 現在げんざい
湯村ゆむら 湯村ゆむら 温泉おんせんむら 温泉おんせんむら 昭和しょうわ30ねん3がつ3にち
大原おおはらぐん
雲南うんなん木次きすきまち一部いちぶ
昭和しょうわ32ねん5がつ3にち
改称かいしょう 木次きすきまち
平成へいせい16ねん11月1にち
雲南うんなん一部いちぶ
雲南うんなん
つきむら
平田ひらたむら 平田ひらたむら
尾原おはらむら
石村いしむら
北原きたはらむら 北原きたはらむら
下布施しもぶせむら
三成みなりまち 三成みなりまち 三成みなりむら 昭和しょうわ16ねん7がつ1にち
町制ちょうせい 三成みなりまち
昭和しょうわ30ねん4がつ15にち
仁多にたまち
仁多にたまち 平成へいせい17ねん3がつ31にち
奥出雲おくいずもまち
奥出雲おくいずもまち
した三成みなりむら 三成みなりむら
矢谷やたにむら
広瀬ひろせむら
湯野ゆの原村はらむら
神畑かばたけむら
うえ三成みなりむら
さと田村たむら 三所みところむら
石原いしはらむら
角木つのぎむら
おつ多田おおたむら
した三所みところむら
高尾たかおむら 高尾たかおむら
しょう白村はくそん
ひさし月村げっそん
佐白さじろむら 佐白さじろむら 布勢ふせむら 布勢ふせむら
上布施かみふせむら
ぜん布施ふせむら
八代やしろむら 八代やしろむら
馬馳まばせむら 馬馳まばせむら
上三所かみみところむら 上三所かみみところむら
亀嵩かめだけまち 亀嵩かめだけまち 亀嵩かめだけむら 亀嵩かめだけむら
西にし湯野ゆのむら 亀嵩かめだけむら
梅木うめき原村はらむら
久比くび須村すむら
ちゅう湯野ゆのむら
郡村こおりむら 郡村こおりむら
すだれむら
高柴たかしばむら
大内おおうち原村はらむら
塩原しおばらむら
高田たかだむら 高田たかだむら
きんまくらむら
上阿井かみあいまち 上阿井かみあいまち 阿井あいむら 阿井あいむら
上阿井かみあいむら 上阿井かみあいむら
下阿井しもあいむら 下阿井しもあいむら
三沢みさわまち 三沢みさわまち 三沢みさわむら 三沢みさわむら
鞍掛くらかけむら 三沢みさわむら
原田はらだむら
堅田かただむら
林原はやしばるむら
河内かわちむら 河内かわちむら
四日市よっかいちまち
大吉おおよしむら
おつしゃむら
した鴨倉かもくらむら 鴨倉かもくらむら
うえ鴨倉かもくらむら
横田よこたまち 横田よこたまち 横田よこたむら 昭和しょうわ16ねん7がつ1にち
町制ちょうせい 横田よこたまち
横田よこたまち 昭和しょうわ32ねん9がつ20日はつか
斐上まち
昭和しょうわ33ねん11月1にち
改称かいしょう 横田よこたまち
横田よこたむら 横田よこたむら
しょくむら
大曲おおまがりむら
すみむら
中村なかむら 中村なかむら
馬場うまばむら
樋口ひぐちむら
五反田ごたんだむら
ぞうむら
原口はらぐちむら 稲原いなはらむら
稲田いなだむら
大呂おおろむら 大呂おおろむら とり上村うえむら とり上村うえむら とり上村うえむら
竹崎たけざきむら 竹崎たけざきむら
大馬木おおまきむら 大馬木おおまきむら 馬木うまきむら 馬木うまきむら 馬木うまきむら
小馬木こまきむら 小馬木こまきむら
下横田しもよこたむら 下横田しもよこたむら 八川はちかわむら 八川はちかわむら 八川はちかわむら
大谷おおやむら 大谷おおやむら
八川はちかわむら 八川はちかわむら
広島ひろしまけんやつぐん
油木あぶらぎむら一部いちぶ
[注釈ちゅうしゃく 13]
広島ひろしまけんやつぐん
油木あぶらぎむら一部いちぶ
はちほこむら
一部いちぶ
明治めいじ31ねん4がつ1にち
広島ひろしまけん比婆ひばぐん
はちほこむら一部いちぶ
昭和しょうわ28ねん12月1にち
八川はちかわむら編入へんにゅう

行政ぎょうせい

[編集へんしゅう]
歴代れきだいぐんちょう
だい 氏名しめい 就任しゅうにん年月日ねんがっぴ 退任たいにん年月日ねんがっぴ 備考びこう
1 明治めいじ12ねん(1879ねん)1がつ12にち
大正たいしょう15ねん(1926ねん)6がつ30にち ぐん役所やくしょ廃止はいしにより、はいかん

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 昭和しょうわ28ねん1953ねん)に広島ひろしまけん比婆ひばぐんから編入へんにゅう
  2. ^ 比定ひてい地名ちめいは2009ねん現在げんざいのもの。さといき比定ひていせき(2006)を参考さんこうにした。
  3. ^ きゅうこう旧領きゅうりょう取調とりしらべちょう」は出雲いずも国分こくぶけているため、木村きむらいしずえにより「天保てんぽうさとちょう」をもとに作成さくせいされ、「日本にっぽん史料しりょう選書せんしょ16 きゅうこう旧領きゅうりょう取調とりしらべちょう 中国ちゅうごく四国しこくへん」(近藤こんどう出版しゅっぱんしゃ1978ねん)に掲載けいさいされたデータが国立こくりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかんによりデータベースされている。
  4. ^ 下記かきのほか両川りょうかわむら中町なかまちむらだい山奥やまおくむら記載きさいされているが詳細しょうさい不明ふめい
  5. ^ 上高尾かみたかおむらこう高尾たかおむらかれて記載きさい
  6. ^ 記載きさい福頼ふくよりむら
  7. ^ 記載きさい四日市よっかいちむら
  8. ^ 記載きさい小原おはらむら
  9. ^ 北原きたはらむら尾崎おざきむらかれて記載きさい
  10. ^ きゅうこう旧領きゅうりょう取調とりしらべちょうデータベース」には記載きさいなし。
  11. ^ 以下いか3まちこうのため「きゅうこう旧領きゅうりょう取調とりしらべちょうデータベース」には記載きさいなし。
  12. ^ a b 同名どうめいむらのうち町分まちぶんほんこうではまちすうかぞえない。
  13. ^ 三井みつい一部いちぶ

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ にたし』 - コトバンク
  2. ^ 島根しまねけん地名ちめいかん” (pdf). 島根しまねけん. 2023ねん5がつ21にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • おきもり卓也たくや佐藤さとうしん矢嶋やじまいずみ 編著へんちょ出雲いずもこく風土記ふどき』 2005ねん 山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ ISBN 978-4-634-59390-9
  • せき和彦かずひこ『『出雲いずもこく風土記ふどき』註論』 2006ねん 明石書店あかししょてん ISBN 4-7503-2376-4
  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん編纂へんさん委員いいんかい へん角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん』 32 島根しまねけん角川書店かどかわしょてん、1979ねん7がつ1にちISBN 4040013204 
  • きゅうこう旧領きゅうりょう取調とりしらべちょうデータベース
  • 島根しまね県内けんない市町村しちょうそんその情報じょうほう