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佐藤 泰介(さとう たいすけ、1943年9月27日 - )は、日本の政治家。
参議院議員(2期)、衆議院議員(2期)、文部政務次官(村山改造内閣)、参議院内閣委員長・総務委員長を歴任。
愛知県名古屋市出身。愛知県立旭丘高等学校卒業。高校時代は野球部に所属。愛知教育大学教育学部社会科卒業。1967年4月から小中学校教員を務める。1986年4月、愛知県教員組合(愛教組)執行委員長を務める。
1990年2月、第39回衆議院議員総選挙に旧愛知1区から日本社会党公認で立候補し初当選。1993年に再選。同年、山花貞夫委員長を首班とする社会党シャドーキャビネット文相、1995年8月に村山改造内閣の文部政務次官に就任。
1996年9月、旧民主党の結成に参加。同年10月の第41回衆議院議員総選挙に愛知1区から同党公認で立候補するも落選。
連合愛知は1998年7月の第18回参議院議員通常選挙・愛知県選挙区に向けて、佐藤を擁立。しかし組織内で「かつての社会党代議士は応援できない」という声が上がり、同年3月、当時新党友愛の幹事長だった伊藤英成衆議院議員を中心に、全トヨタ労連は元経団連職員の木俣佳丈の擁立も決めた[1][2]。参院選では佐藤も木俣も共に初当選し、自民党が立てた大木浩と浦野烋興は票の食い合いにより落選した。
民主党の県組織は当初、旧民社党系の民主党県連と、旧社会党系の民主党愛知の二つに分かれていた。佐藤は後者の代表に就いた[3]。
2004年7月、第20回参議院議員通常選挙で再選。
2007年8月、党財務委員長に就任。
2009年10月、党財務委員長に再任。同年7月、2010年の第22回参議院議員通常選挙に出馬せず引退することを表明した。後継は斎藤嘉隆。
2014年11月、旭日重光章受章[4]。
所属していた団体・議員連盟
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- ^ 『中日新聞』1998年5月13日付朝刊、県内総合版、15面、「迫る夏の陣 参院選・愛知展望 (2) 二人の民主 確執...程遠い強調 頼みの労組票を奪い合い」。
- ^ 『新三河タイムス』1998年3月5日、1面、「新党友愛が木俣氏擁立 七月参院選愛知選挙区で独自に 伊藤幹事長ら臨戦態勢で動き」。
- ^ 『中日新聞』1998年12月4日付朝刊、35面、「知事って何だ 愛知野候補者選びから (上) オール与党 『巨大事業うまくいく』 有権者不在の "決着"」。
- ^ “坂根正弘氏が旭日大綬章 秋の叙勲”. 原子力産業新聞 (2014年11月6日). 2023年2月5日閲覧。
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第1回 (定数6) |
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†:当選無効、↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。 |