(Translated by https://www.hiragana.jp/)
児玉剛 - Wikipedia コンテンツにスキップ

児玉こだまつよし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
児玉こだま つよし
名前なまえ
愛称あいしょう ダマ
カタカナ コダマ ツヨシ
ラテン文字もじ KODAMA Tsuyoshi
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
生年月日せいねんがっぴ (1987-12-28) 1987ねん12月28にち(36さい
出身しゅっしん 大阪おおさか吹田すいた
身長しんちょう 183cm
体重たいじゅう 83kg
選手せんしゅ情報じょうほう
在籍ざいせきチーム 日本の旗 FC東京とうきょう
ポジション GK
背番号せばんごう 1
あし 右足みぎあし
ユース
2003-2005 京都きょうとパープルサンガユース
2006-2009 関西大学かんさいだいがく
クラブ1
とし クラブ 出場しゅつじょう (得点とくてん)
2010-2013 京都きょうとサンガF.C. 0 (0)
2014-2016 愛媛えひめFC 123 (0)
2017-2018 モンテディオ山形やまがた 56 (0)
2019- FC東京とうきょう 8 (0)
1. 国内こくないリーグせんかぎる。2024ねん3がつ5にち現在げんざい
■テンプレート■ノート 解説かいせつ■サッカー選手せんしゅpj
児玉こだまつよしVLOG
YouTube
チャンネル
活動かつどう期間きかん 2020ねん9月6にち -
ジャンル サッカー
登録とうろくしゃすう 1.3 まんにん
そう再生さいせい回数かいすう 1,469,833 かい
チャンネル登録とうろくしゃすうそう再生さいせい回数かいすう
2021ねん11月21にち時点じてん
テンプレートを表示ひょうじ

児玉こだまつよし(こだま つよし、1987ねん12月28にち - )は、大阪おおさか吹田すいた出身しゅっしんプロサッカー選手せんしゅJリーグFC東京とうきょう所属しょぞくポジションゴールキーパー

来歴らいれき

[編集へんしゅう]

プロまえ

[編集へんしゅう]

小学生しょうがくせい時代じだい地元じもと吹田すいたにあるガンバ大阪がんばおおさか下部かぶ組織そしき本格ほんかくてきにサッカーをはじめ、以後いご吹田すいたクラブ、京都きょうとパープルサンガユースでプレーする。京都きょうとユース時代じだいには2しゅ登録とうろくでトップチームに登録とうろくされている。関西大学かんさいだいがく進学しんがくも1ねんには特別とくべつ指定してい選手せんしゅとして京都きょうと練習れんしゅう参加さんかしていた。大学だいがくでは反応はんのう速度そくどとキックりょく武器ぶき活躍かつやく2007ねんから2009ねんの3年間ねんかん関西大学かんさいだいがく選抜せんばつえらばれ、2009ねんデンソーカップではキャプテンとして出場しゅつじょう優勝ゆうしょうたした。

京都きょうとサンガ

[編集へんしゅう]

2010ねん京都きょうと流通経済大学りゅうつうけいざいだいがくはやし彰洋あきひろとの契約けいやくのぞみオファーをしていたが、はやし海外かいがい挑戦ちょうせんしたために契約けいやくはならず、そのためユース時代じだい京都きょうと所属しょぞくしていた児玉こだま白羽しらは契約けいやくいたった。プロ初年度しょねんどとなった同年どうねん2010 FIFAワールドカップによる中断ちゅうだん期間きかんすう試合しあいはベンチりする機会きかいがあったものの、守田もりた達弥たつや台頭たいとうにより当初とうしょせいゴールキーパーであった水谷みずたに雄一ゆういちがベンチにひかえるようになったためベンチりメンバーからはずれるようになった。その水谷みずたにがレギュラーとなり守田もりたもレンタル移籍いせきカターレ富山とやまへとったが、クラブは徳島とくしまヴォルティスからうけたまわくん補強ほきょうしたため、児玉こだまつづひかえにまわ出場しゅつじょう機会きかいはなかった。

愛媛えひめFC

[編集へんしゅう]

2014ねんから愛媛えひめFC完全かんぜん移籍いせき湘南しょうなんベルマーレった秋元あきもとようふとし後釜あとがまとして、監督かんとく木山きやま隆之たかゆきに3年間ねんかんただしGKとして起用きようされる。

モンテディオ山形やまがた

[編集へんしゅう]

2016ねん12月24にち木山きやま監督かんとく就任しゅうにんしたモンテディオ山形やまがたへの完全かんぜん移籍いせき発表はっぴょうされた[1]加入かにゅう当初とうしょからレギュラーとしてプレーしたが、2018ねんはシーズン後半こうはんせんよりしん加入かにゅう櫛引くしびき政敏まさとしにポジションをゆずった。

FC東京とうきょう

[編集へんしゅう]

2019ねん1がつ4にちFC東京とうきょう完全かんぜん移籍いせきすると発表はっぴょうされた[2]。しかし、加入かにゅう当初とうしょからU-23チームであるJ3での出場しゅつじょうがメインで、J1でははやし彰洋あきひろひかえの立場たちばだった。さらに2020シーズンになると波多野はたのつよし台頭たいとうもあって、だい3GKに転落てんらくした。しかし、せいGKりん負傷ふしょう波多野はたの不調ふちょうもあって、だい32せつベガルタ仙台せんだいせんにてJ1デビューをたす。こうセーブを連発れんぱつするも、結果けっかは2-2のけにわり、自身じしんのJ1デビューを白星しろぼしかざることは出来できなかった。

はやし怪我けがつづいていることもあって2021シーズンは開幕かいまくせんからだい2GKとしてベンチり。4にちルヴァンカップだい1せつ徳島とくしまヴォルティスせんでは先発せんぱつ抜擢ばってきされ、失点しってん勝利しょうりかざった。その波多野はたのとポジションをあらそいながら出場しゅつじょうし、最終さいしゅうてきには7試合しあい出場しゅつじょうした。 2022ねんヤクブ・スウォビィク加入かにゅうし、シーズンとおして出場しゅつじょうはルヴァンはい1試合しあい出場しゅつじょうとどまった。 はやし波多野はたのそろって退団たいだんした2023ねんはやし波多野はたの退団たいだんし2番手ばんて浮上ふじょうかとおもわれたが野澤のざわ大志ひろしブランドン岩手いわてから復帰ふっきしたこともあってだい3GKにとどまった。

所属しょぞくクラブ

[編集へんしゅう]

個人こじん成績せいせき

[編集へんしゅう]
国内こくない大会たいかい個人こじん成績せいせき
年度ねんどクラブ背番号せばんごうリーグ リーグせん リーグはいオープンはい 期間きかん通算つうさん
出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん
日本にっぽん リーグせん リーグはい天皇杯てんのうはい 期間きかん通算つうさん
2009 関西大かんさいだい 1 - - - 2 0 2 0
2010 京都きょうと 30 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2011 J2 0 0 - 0 0 0 0
2012 0 0 - 0 0 0 0
2013 1 0 0 - 1 0 1 0
2014 愛媛えひめ 39 0 - 1 0 40 0
2015 42 0 - 1 0 43 0
2016 42 0 - 2 0 44 0
2017 山形やまがた 38 0 - 1 0 39 0
2018 18 0 - 5 0 23 0
2019 FC東京とうきょう J1 0 0 0 0 1 0 1 0
2020 1 0 0 0 - 1 0
2021 7 0 3 0 1 0 11 0
2022 0 0 1 0 0 0 1 0
2023 0 0 0 0 1 0 1 0
2024
通算つうさん 日本にっぽん J1 8 0 4 0 3 0 15 0
日本にっぽん J2 179 0 - 11 0 190 0
日本にっぽん - - 2 0 2 0
そう通算つうさん 187 0 4 0 16 0 207 0
  • 2しゅ登録とうろく選手せんしゅ特別とくべつ指定してい選手せんしゅとしての試合しあい出場しゅつじょう

その公式こうしきせん

国内こくない大会たいかい個人こじん成績せいせき
年度ねんどクラブ背番号せばんごうリーグ リーグせん 期間きかん通算つうさん
出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん
日本にっぽん リーグせん 期間きかん通算つうさん
2019 Fひがし23 1 J3 6 0 6 0
通算つうさん 日本にっぽん J3 6 0 6 0
そう通算つうさん 6 0 6 0
国際こくさい大会たいかい個人こじん成績せいせき
年度ねんど クラブ 背番号せばんごう 出場しゅつじょう 得点とくてん
AFCACL
2020 FC東京とうきょう 1 0 0
通算つうさん AFC 0 0

タイトル

[編集へんしゅう]
関西大学かんさいだいがく
FC東京とうきょう

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]