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全国指導者ローゼンベルク特捜隊 - Wikipedia コンテンツにスキップ

全国ぜんこく指導しどうしゃローゼンベルク特捜とくそうたい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ERRのスタンプ。「ERRによって確保かくほみ」と記載きさいされている。

全国ぜんこく指導しどうしゃローゼンベルク特捜とくそうたいドイツ: Einsatzstab Reichsleiter Rosenberg, ERR)は、国家こっか社会しゃかい主義しゅぎドイツ労働ろうどうしゃとう(NSDAP, ナチとう)がだい世界せかい大戦たいせんなか設置せっちした、ナチとう外務がいむきょくドイツばん(Außenpolitisches Amt der NSDAP, APA)局長きょくちょうである全国ぜんこく指導しどうしゃアルフレート・ローゼンベルク指導しどうで、美術びじゅつひん略奪りゃくだつとうおこなった組織そしきである。

組織そしき[編集へんしゅう]

ERRが略奪りゃくだつした書籍しょせき(1943ねんリガ

ERRが設立せつりつされた背景はいけいには、ローゼンベルクが提唱ていしょうした「国家こっか社会しゃかい主義しゅぎ研究けんきゅう中心ちゅうしんてき拠点きょてん」となる高等こうとう学院がくいんドイツばん (Hohe Schule) の設置せっちかんする計画けいかくがある[1]。ローゼンベルクはこの研究けんきゅう機関きかん完成かんせいさせるためには国家こっか社会しゃかい主義しゅぎてき、すなわちユダヤじんフリーメイソン共産きょうさん主義しゅぎものなどの文献ぶんけん占領せんりょうにて収集しゅうしゅうする必要ひつようがあると主張しゅちょうしていた。

1940ねん7がつクルト・フォン・ベーアドイツばん隊長たいちょうとしてERRざいふつ司令しれいパリ設置せっちされる。外務がいむきょくだい3(Amt III des APA)の一部いちぶたるERR中央ちゅうおう事務じむきょく (Zentralamt des ERR) はローゼンベルク事務所じむしょドイツばんおよび外務がいむきょく庁舎ちょうしゃ隣接りんせつしたベルリン・マルガレーテどおり18番地ばんち (Margaretenstraße 18) に設置せっちされた[2]。ERRは国家こっか機関きかんではなくNSDAPのとう機関きかんであり、ローゼンベルクの提唱ていしょうした高等こうとう学院がくいんかんする構想こうそうしたがいユダヤじんやフリーメイソンなどドイツの「てき」にかんする文書ぶんしょ収集しゅうしゅう任務にんむとした[3]。しかし押収おうしゅう部隊ぶたいから多数たすう芸術げいじゅつひん文化ぶんか遺産いさん発見はっけんかんする報告ほうこくはじめるとこれの略奪りゃくだつ任務にんむくわわり、やがて芸術げいじゅつひん文化ぶんか遺産いさん略奪りゃくだつがERRのしゅたる任務にんむとなっていった。

1940ねん7がつアドルフ・ヒトラー新設しんせつされたERRにたいしてつぎ総統そうとう命令めいれい (Führerbefehl) をはっした。

  • いわゆる「申請しんせいのユダヤ財産ざいさん」として発見はっけんされたすべての貴重きちょう文化ぶんか遺産いさん接収せっしゅうせよ。
  • 図書館としょかん記録きろく保管ほかんしょ捜索そうさくし、国家こっか社会しゃかい主義しゅぎドイツにたいして価値かちのあるものを接収せっしゅうせよ。
  • 教会きょうかいおよび支部しぶをドイツの監督かんとくいたうえ捜索そうさくおこない、資料しりょう確保かくほせよ。

また1940ねん9がつ17にちヴィルヘルム・カイテル元帥げんすいはヒトラーの代理人だいりにんとして、「あらゆるのない文化ぶんか遺産いさん確保かくほ」 (jeglichen herrenlosen Kulturbesitz sicherzustellen) をめいじている[4]

ERR隊員たいいんらは占領せんりょうのフランス国内こくない展開てんかいして書籍しょせき記録きろく文書ぶんしょ捜索そうさくおよび回収かいしゅうおこなったほかベネルクスさんこくでは膨大ぼうだいかず美術びじゅつひんユダヤじんから略奪りゃくだつした。ドイツ大使館たいしかん親衛隊しんえいたい特別とくべつ行動こうどうたいおよび秘密ひみつ野戦やせん警察けいさつ (GFP) では、パリの占領せんりょう直後ちょくごから事前じぜんにリストアップされていた美術館びじゅつかん個人こじん収集しゅうしゅうなどを対象たいしょうとした略奪りゃくだつ開始かいししている。ローゼンベルクやERRもこうした活動かつどうふか関与かんよしていたとされる。その、ERRは占領せんりょうにおける唯一ゆいいつ公的こうてき略奪りゃくだつ部隊ぶたいとして活動かつどうすることみとめられ、ローゼンベルクはアドルフ・ヒトラー総統そうとうから略奪りゃくだつかんする全権ぜんけん委任いにんされた。1941ねん4がつから1944ねん7がつにかけて、ERRによるパリからベルリンけた29かい略奪りゃくだつひん輸送ゆそうおこなわれた。これらの保管ほかんノイシュヴァンシュタインじょう駐在ちゅうざいするERRが担当たんとうした。

1940ねんから1945ねんにかけて、ERRはフランスベネルクスさんこくポーランドバルトさんこくギリシャイタリア帝国ていこく全権ぜんけん委員いいんオストラントドイツばん帝国ていこく全権ぜんけん委員いいんウクライナドイツばんなどで活動かつどうした。ERRでは地域ちいきごとに主要しゅよう行動こうどうたい(Haupteinsatzgruppen)が、分野ぶんやべつ特務とくむ幕僚ばくりょう(Sonderstäbe)が編成へんせいされていた。おおくの場合ばあい、ERRによる略奪りゃくだつけたもの強制きょうせい収容しゅうようしょへとおくられた。

ゲーリングの関与かんよ[編集へんしゅう]

外務がいむ局長きょくちょうという地位ちいにこそあったものの、権力けんりょく闘争とうそうやぶれたローゼンベルクの政治せいじ権力けんりょく人望じんぼうきわめてかぎられていた。たとえばフランスにおける最初さいしょ略奪りゃくだつおり、ローゼンベルクはパリの占領せんりょうぐん司令しれいかん略奪りゃくだつひん本国ほんごく移送いそうめいじているが、司令しれいかんはこれを拒否きょひしたばかりか、ぎゃくにローゼンベルクらによる略奪りゃくだつ中止ちゅうしめいじてきたのである。ここでERRにしたのが空軍くうぐんそう司令しれいヘルマン・ゲーリングであった。当時とうじNSDAPのナンバー2として権力けんりょくるい、またローゼンベルクとは比較ひかくにならない人望じんぼうちあわせていたゲーリングは、占領せんりょうにおける略奪りゃくだつへの協力きょうりょく決定けっていし、パリのざいふつ空軍くうぐん司令しれい鉄道てつどう、およびとう組織そしきである外貨がいか保護ほご部隊ぶたいドイツばんなどに全面ぜんめんてきなERRの支援しえんおこなわせた。ERRと美術びじゅつひん所有しょゆうけんについて衝突しょうとつするようになると、ゲーリングはERRに部下ぶかもぐませ、特定とくてい美術びじゅつひん優先ゆうせんして自分じぶんもとおくらせた。たとえばざいふつERR隊長たいちょう(Leiter des ERR in Frankreich)およびざいふつ造形ぞうけい芸術げいじゅつ担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstab Bildende Kunst in Frankreich) をつとめていたクルト・フォン・ベーアドイツばんはローゼンベルクよりもゲーリングの要望ようぼう優先ゆうせんして活動かつどうたっていた。ざいベルリンERR隊長たいちょうだった特務とくむ幕僚ばくりょうゲルハルト・ウティカールドイツばんもローゼンベルクを軽視けいししてゲーリングの命令めいれいしたがっていた。ゲーリングはまた写真しゃしん美術びじゅつ史家しか空軍くうぐんおよび陸軍りくぐん一部いちぶからいてパリの特務とくむ幕僚ばくりょう派遣はけんしていた。美術びじゅつ史家しかギュンター・シートラウスキードイツばん写真しゃしんカール・クレス (Karl Kress) は東部とうぶ戦線せんせん派遣はけん免除めんじょえに特務とくむ幕僚ばくりょううつったということもあり、ゲーリングにたいして非常ひじょう忠実ちゅうじつであったという。パリの特務とくむ幕僚ばくりょう指導しどうしゃだったブルーノ・ローゼドイツばんは、ベルリン出身しゅっしん美術びじゅつ史家しかけん美術びじゅつしょうで、ERR配属はいぞくまでは陸軍りくぐん戦車せんしゃりょう兵科へいか伍長ごちょう勤務きんむ二等兵にとうへいとして東部とうぶ戦線せんせん従軍じゅうぐんしていた。その経歴けいれき評価ひょうかされ、ローゼは1ヶ月かげつあいだ期限きげんきでパリのERRに出向しゅっこうする。そして略奪りゃくだつひん展示てんじかいおりにローゼと出会であったゲーリングは、かれわせる17世紀せいきオランダ画家がかかんする専門せんもん知識ちしき感銘かんめいけ、出向しゅっこうではなく正式せいしき特務とくむ幕僚ばくりょうとしてパリにむかえたのである。まもなく視覚しかく芸術げいじゅつ担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう副長ふくちょうとなったローゼは空軍くうぐん軍人ぐんじんとしての身分みぶんてパリ司令しれいない勤務きんむした。ゲーリングのパリ訪問ほうもんにあわせてもよおされる略奪りゃくだつひん展示てんじかい責任せきにんしゃもローゼであり、1941ねんから1942ねんあいだに20かいほどの展示てんじかい開催かいさいされた。また、美術びじゅつひん市場いちばにてゲーリングの代理人だいりにんとして品物しなものさがすのもローゼの任務にんむであった。おおくのERR隊員たいいんがローゼンベルクではなくゲーリングのためはたらいていたが、このなかでもローゼは完全かんぜんにERRの権限けんげん任務にんむ逸脱いつだつし、ゲーリングの要望ようぼうによってのみはたらいていた[5]

ざいふつERR(1940ねん - )[編集へんしゅう]

ざいふつ空軍くうぐん全面ぜんめん協力きょうりょくていたざいふつERRは、ゲーリングとローゼンベルクの要望ようぼうしたがってジュ・ド・ポーム国立こくりつ美術館びじゅつかん襲撃しゅうげきし、多数たすう展示てんじひん略奪りゃくだつした。その美術館びじゅつかん博物館はくぶつかん図書館としょかん襲撃しゅうげきけ、ERRの活動かつどう記録きろくによれば203の施設しせつから21,903てん物品ぶっぴん略奪りゃくだつされたという。占領せんりょうのフランス各地かくち各所かくしょ略奪りゃくだつ押収おうしゅうされた芸術げいじゅつ作品さくひん工芸こうげい家具かぐひんは、ジュ・ド・ポーム国立こくりつ美術館びじゅつかん一時いちじ収集しゅうしゅうされ、ここで整理せいり記録きろくされて、さらにそれが「退廃たいはい芸術げいじゅつひん」であるか、ないかが判定はんていされる。「退廃たいはい芸術げいじゅつひん」と判定はんていされると、ジュ・ド・ポーム国立こくりつ美術館びじゅつかんにそのまま保管ほかんされ、場合ばあいによっては一部いちぶ処分しょぶんされたが、「退廃たいはい芸術げいじゅつひん」と判定はんていされなかったものは、ナチスの大物おおもの、とりわけゲーリングに特別とくべつ展示てんじがなされた。こうして、占領せんりょうのフランスから体系たいけいてき芸術げいじゅつひん工芸こうげいひん略奪りゃくだつされ、ドイツ帝国ていこく本国ほんごくおくられていった。

ざい東欧とうおうERR(1941ねん - )[編集へんしゅう]

ウクライナキエフにて活動かつどうするERRの隊員たいいん

ポーランドにおける略奪りゃくだつは、1939ねんから1940ねんポーランド攻略こうりゃく完了かんりょうした直後ちょくごからポーランド総督そうとく幹部かんぶ将校しょうこうカイェタン・ミュルマンドイツばん主導しゅどうによりおこなわれた。1941ねん6がつにはバルバロッサ作戦さくせん発動はつどうともどくせんはじまり、その東部とうぶ占領せんりょう地域ちいき大臣だいじん就任しゅうにんしたローゼンベルクの命令めいれいによりERRが東欧とうおう派遣はけんされた。東部とうぶ戦線せんせん進出しんしゅつしたERRはすぐ支所ししょ (Außenstelle) を設置せっちし、さらにオストラント (Ostland)、中央ちゅうおう (Mitte)、ウクライナ (Ukraine)という3つの主要しゅよう行動こうどうたい (Hauptarbeitsgruppen, HAG) を組織そしきした。オストラントHAGはバルトさんこくを、中央ちゅうおうHAGはベラルーシおよびロシア西部せいぶを、ウクライナHAGはウクライナを担当たんとう地域ちいきとした。東部とうぶ戦線せんせんにおけるERRの活動かつどうはしばしばゾンダーコマンド・キュンスベルクドイツばんアーネンエルベといった親衛隊しんえいたい長官ちょうかんハインリヒ・ヒムラー指揮しきする組織そしき衝突しょうとつすることになる。これらの3組織そしきはいずれも親衛隊しんえいたいおよび国防こくぼうぐんによる協力きょうりょくもと美術びじゅつひん文献ぶんけんとう略奪りゃくだつないし破壊はかいをその任務にんむとしていた。

ERRの構造こうぞう[編集へんしゅう]

ベルリン中央ちゅうおう事務所じむしょ(Zentralamt Berlin)[編集へんしゅう]

ベルリン中央ちゅうおう事務所じむしょ外務がいむきょく部局ぶきょくとして設置せっちされていた。以下いか部局ぶきょく (Hauptabteilung) で構成こうせいされた。

  • だいIIIきょく (Hauptabteilung III) - 特務とくむたい局長きょくちょう:ヘルマン・フォン・イングラム (Herrmann von Ingram)
  • だいIIIaきょく (Hauptabteilung IIIa) - ユダヤ財産ざいさん凍結とうけつおよび整理せいり監理かんり局長きょくちょう:ヘルマン・フォン・イングラム
  • だいIIIbきょく (Hauptabteilung IIIb) - 美術びじゅつひん監理かんり担当たんとう部隊ぶたい局長きょくちょう:ヴァルター・レーボック (Walter Rehbock)
  • 特務とくむ幕僚ばくりょうちょう (Chef der Sonderstäbe)

1940ねん7がつパリ設置せっちされたERR西部せいぶきょく (Amt Westen des ERR) は、フランス、ベルギー、ルクセンブルク、オランダ担当たんとう地域ちいきとした。設置せっち臨時りんじDRK現場げんば指導しどうしゃ (Feldführer) でもあったクルト・フォン・ベーアがちょうつとめ、同年どうねんあきからゲオルク・エーバーツがつとめた。エーバーツの本来ほんらい担当たんとう分野ぶんや視覚しかく芸術げいじゅつであったが、西部せいぶきょく担当たんとう地域ちいきにおけるすべての特務とくむ幕僚ばくりょうちょうねていた。1941ねん初頭しょとう、エーバーツはERRのちょうたるしょくをゲルハルト・ウティカールにぐ。これとともすべての地域ちいきにおけるERRの活動かつどう統括とうかつする本部ほんぶ組織そしきとして中央ちゅうおう事務所じむしょ設置せっちされ、このさいにDRK上級じょうきゅう現場げんば指導しどうしゃ昇進しょうしんしていたフォン・ベーアは西部せいぶきょくちょうたるざいふつERR隊長たいちょう就任しゅうにんしている。また、このころまでに西部せいぶきょく担当たんとう地域ちいきにはベネルクス諸国しょこくくわわっていた。ベーアは視覚しかく芸術げいじゅつ担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょうちょうつとめていた。またエーバーツは大使館たいしかんづけのローゼンベルクの代理人だいりにんとしてパリにのこった。1942ねん3がつ25にち、ベーアはM行動こうどうドイツばん (M-Aktion) としてられる略奪りゃくだつ作戦さくせん指揮しきした。これは収容しゅうようしゃ追放ついほうしゃらの家屋かおくからドイツじんため家財かざいひん略奪りゃくだつすること目的もくてきとしていた。

パリにはつぎの7つの特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstäbe) が設置せっちされ、西欧せいおうにおけるERRの活動かつどう指揮しきした[6]

  • 音楽おんがく担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstab Musik) [7]
  • 造形ぞうけい芸術げいじゅつ担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstab Bildende Kunst) - ブル美術館ぶるびじゅつかん担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstab Louvre) をねる。
    • 隊長たいちょう:クルト・フォン・ベーア、のちにロベルト・ショルツドイツばん
    • ふく隊長たいちょう:ブルーノ・ローゼ。1943ねん以降いこうはヴァルター・ボルヒャース (Walter Borchers) が実権じっけんにぎる。
  • 高等こうとう学院がくいん図書館としょかん建設けんせつ担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstab Bibliotheksaufbau Hohe Schule)
    • 隊長たいちょう:ヴァルター・グローテ (Walter Grothe)、のちにゲルト・ヴンダー
  • 先史せんし担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstab Vorgeschichte)
  • 教会きょうかい担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstab Kirchen)
    • 隊長たいちょう:アントン・ダインドル (Anton Deindl)
  • 東部とうぶ担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstab Osten)
  • 人種じんしゅ政策せいさく問題もんだい担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstab für rassenpolitische Fragen) - 組織そしきじょうはERRにぞくした。

また、のちにつぎ特務とくむ幕僚ばくりょうくわわった[8]

  • 学術がくじゅつ担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstab Wissenschaft)
  • 記録きろく文献ぶんけん担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう(Sonderstab Archive)
  • 種族しゅぞくがく担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstab Sippenkunde)
  • 民俗みんぞくがく担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstab Volkskunde)
  • 報道ほうどう担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstab Presse) - 1944ねん設置せっち
    • 隊長たいちょう:カールハインツ・リューディガー (Karlheinz Rüdiger)
  • グスタフ・アップ博士はかせ特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstab Dr. Gustav Abb) - 司書ししょグスタフ・アップドイツばんちょうとして図書としょ選別せんべつ担当たんとうした。
  • 世界せかいかん情報じょうほう担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょう (Sonderstab weltanschauliche Information) - ざいベルリン。

1943ねん1がつ段階だんかいで、ERRには350にん職員しょくいんがいた。

支所ししょ (Außenstelle) および集積しゅうせきしょ (Depot)[編集へんしゅう]

1943ねんはる、ベルリン中央ちゅうおう事務所じむしょばくげきさらされた。同年どうねん9がつとく東部とうぶから回収かいしゅうされた図書としょるい安全あんぜん保管ほかんするため施設しせつとしてラーティボーア支所ししょ (Außenstelle) が設置せっちされた。支所ししょちょうはゲルト・ヴンダーがつとめた。支所ししょではプレスドイツばんしろ (Schloss Pless) などの集積しゅうせきしょ (Depot) に図書としょるい保管ほかんし、必要ひつようおうじてこれを各地かくち輸送ゆそうした。科学かがく担当たんとう特務とくむ幕僚ばくりょうもラーティボーアを活動かつどう拠点きょてんとしていた。1945ねん1がつ、ラーティボーアの施設しせつ放棄ほうきされる。このさい輸送ゆそうりょく不足ふそくからすべての略奪りゃくだつひんはこことはできなかった[9]

そのアムステルダムブリュッセルベオグラードリガレヴァルドルパットミンスク、ゴールキ、スモレンスクキエフ、チャルコフ、ドニエプロペトロフスクシンフェロポリホーエンシュヴァンガウなどにも同様どうよう支所ししょ設置せっちされていた。

つぎのような場所ばしょ集積しゅうせきしょとして使用しようされた。

対抗たいこう組織そしき[編集へんしゅう]

戦時せんじちゅうから戦後せんごしばらくにかけて、連合れんごうこくではERRおよびそののドイツがわ組織そしきによっておこなわれた美術びじゅつ品等ひんとう略奪りゃくだつ調査ちょうさし、また略奪りゃくだつひん返還へんかんなどをおこな組織そしきとしてつぎのようなものを設置せっちしていた。

  • 記念きねん造形ぞうけい芸術げいじゅつおよび記録きろく文献ぶんけん英語えいごばん(Monuments, Fine Arts & Archives-Section, MFA&A) - 1942ねん設置せっち連合れんごうぐんにおける略奪りゃくだつ調査ちょうさ専門せんもん部隊ぶたい
  • ミュンヘン中央ちゅうおう美術びじゅつひん収集しゅうしゅうしょ英語えいごばん(Munich Central Collecting Point, CCP) - 1945ねん6がつ17にち設置せっちされたアメリカぐん部局ぶきょく。ドイツおよびオーストリア各地かくちに600以上いじょう支所ししょ設置せっちしていた。1949ねん9がつよりドイツ当局とうきょく管理かんり権限けんげんわたしている。1945ねんから1951ねんまでにおよそ700,000略奪りゃくだつひん返還へんかんされた。1962ねん文化財ぶんかざい信託しんたくきょく (Treuhandverwaltung für Kulturgut, TVK) として再編さいへんされた。
  • 芸術げいじゅつ回復かいふく委員いいんかい (Commission de Récupération Artistique, CRA) - 1944ねん9がつ設置せっち。フランスにおける美術びじゅつひん奪還だっかん担当たんとう部局ぶきょく
  • 欧州おうしゅうユダヤ文化ぶんか復興ふっこう委員いいんかい (Commission on European Jewish Cultural Reconstruction, CEJRC) - 1944ねんサロー・バロンハンナ・アーレントなどの設立せつりつされた。略奪りゃくだつされたユダヤ文化ぶんかかんする文献ぶんけん奪還だっかん任務にんむとしていたが、当時とうじ欧州おうしゅうにおけるユダヤじんさい定住ていじゅう絶望ぜつぼうてきかんがえられていたため回収かいしゅうされた文献ぶんけんおおくはイスラエルわたされたという[10]
  • ユダヤ文化ぶんか復興ふっこうしゃ (Jewish Cultural Reconstruction, Inc, JCR) - 1947ねん設置せっち。ユダヤ文化ぶんか奪還だっかん担当たんとうした。1949ねんよりべい政府せいふから信託しんたく会社かいしゃとしての認可にんかける。
  • ユダヤじん返還へんかん後継こうけい機関きかん (Jewish Restitution Successor Organisation, JRSO) - 1948ねん設置せっち美術びじゅつひん文化財ぶんかざいさん以外いがい略奪りゃくだつひん捜索そうさくおよび奪還だっかん任務にんむとした。
  • オッフェンバッハ資料しりょう保管ほかん (Offenbach Archival Depot, OAD) - アメリカが運営うんえいしていたユダヤ文化ぶんかかんする略奪りゃくだつ文献ぶんけん主要しゅよう保管ほかん[11]

ドイツ連邦れんぽう共和きょうわこく成立せいりつすると、以後いご略奪りゃくだつひん捜索そうさくおよび返還へんかん連邦れんぽう共和きょうわこく政府せいふ管轄かんかつした。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Ernst Piper: Alfred Rosenberg – der Prophet des Seelenkrieges. Der gläubige Nazi in der Führungselite des nationalsozialistischen Staates. In: Michael Ley / Julius H. Schoeps (Hrsg.): Der Nationalsozialismus als politische Religion. Bodenheim bei Mainz 1997, S. 122, ISBN 3-8257-0032-1.
  2. ^ Ernst Piper: Alfred Rosenberg. Hitlers Chefideologe. München 2005, S. 489.
  3. ^ Siehe hierzu Führerbefehl vom 5. Juli 1940.
  4. ^ Jonathan Petropoulos: Kunstraub und Sammelwahn. Kunst und Politik im Dritten Reich. Berlin 1999, S. 168.
  5. ^ Ein Angehöriger der US-amerikanischen Art-Looting-Unit, die für den Nürnberger Prozess den Kunstraub aufklärte, beschrieb den Einsatzstab 1946 mit dem Satz A Goering Show under the Rosenberg Flag.Der Untersuchungsführer der amerikanischen Art Looting Unit -Kunstraubermittlung in Atlantic Monthly 1946 s. unter Weblinks James Plaut: Loot for the Master Race in Atlantic Monthly September 1946 Eingesehen 14. November 2009
  6. ^ Willem de Vries: Kunstraub im Westen 1940–1945. Alfred Rosenberg und der Sonderstab Musik. Frankfurt a.M. 2000, S. 35-39, ISBN 3-596-14768-9.
  7. ^ s. James Plaut, Loot for the Masterrace, Atlantic Monthly Sept. 1946 einsehbar unter den Weblinks, sowie auch dort der Consolidated Interrogation Report 1 , ERR in France. Es gibt auch viele neuere Hinweise, die das stützen. Einer stammt von Anne Rotfeld, die als Dissertation eine Untersuchung über die administrative Geschichte des Kunstraubes geschrieben hat, in ihrem Vortrag auf dem Jahrestreffen der Amerikanischen Historikervereinigung mit dem Titel Building Hermann Göring’s Art Collection in der Reihe “Recovering Hidden Primary Resources: Harnessing the power of new technologies for a new generation of History scholarship,” American Historical Association 2002 Meeting, San Francisco, January 3-6, 2002
  8. ^ Vgl. Weblinks Bundesarchiv, Einleitung
  9. ^ Vgl. Patricia Kennedy Grimsted: Roads to Ratibor. Library an Archival Plunder by the Einsatzstab Reichsleiter Rosenberg, in: Holocaust and Genocide Studies 19/3 (2005), S. 390-458 online pdf-Fassung
  10. ^ Regine Dehnel: Jüdischer Buchbesitz als Raubgut. 2. Hannoversches Symposium. Klostermann, Frankfurt 2006, S. 82. Online lesbar;- Arendt in ihrem Bericht aus Deutschland., verlegt als Besuch in D. Rotbuch, Berlin 1992. ISBN 3880227977 (94 S., auch in mehreren Sammelwerken)
  11. ^ Wo liegt jetzt ihre Asche? in: FAZ vom 2. April 2012, Seite 36

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

Quellen / Dokumente

  • Günther Haase: Kunstraub und Kunstschutz. Eine Dokumentation. Hildesheim 1991, ISBN 3-487-09539-4. 2008 bei Books on Demand erschienen: Band I und Band II.
  • Günther Haase: Die Kunstsammlung des Reichsmarschalls Hermann Göring. Eine Dokumentation mit Faksimiles sowie einem Dokumentenanhang. Berlin 2000, ISBN 3-86124-520-5.
  • Günther Haase: Die Kunstsammlung Adolf Hitler. Eine Dokumentation mit Faksimiles sowie einem Dokumentenanhang. Berlin 2002, ISBN 3-86124-552-3.
  • "The Spoils of War – World War II and Its Aftermath: The Loss, Reappearance, and Recovery of Cultural Property", ed. Elizabeth Simpson. New York 1997
  • Nancy H. Yeide, Beyond the Dreams of Avarice: the Hermann Göring Collection. Dallas 2009, ISBN 978-0-9774349-1-6

Allgemeine Darstellungen

  • Jacob Kurz: Kunstraub in Europa 1938-1945. Hamburg, 1989, ISBN 3-926827-25-4.
  • Lynn H. Nicholas: Der Raub der Europa. Das Schicksal europäischer Kunstwerke im Dritten Reich. Aus dem Amerikan. München 1997, ISBN 3-426-77260-4.
  • Peter M. Manasse: Verschleppte Archive und Bibliotheken. Die Tätigkeit des Einsatzstabes Rosenberg während des Zweiten Weltkrieges. St. Ingbert 1997, ISBN 3-86110-131-9.
  • Melissa Müller, Monika Tatzkow: Verlorene Bilder, verlorene Leben – Jüdische Sammler und was aus ihren Kunstwerken wurde. Elisabeth-Sandmann-Verlag, München 2008, ISBN 978-3-938045-30-5. (15 Fallbeispiele, z. B. Alfred Hess, Adele und Ferdinand Bloch-Bauer, Paul Westheim, Sophie Lissitzky-Küppers, Max Steinthal und Alma Mahler-Werfel.)
  • Hector Feliciano: Das verlorene Museum. Vom Kunstraub der Nazis. Aus dem Engl. von Chris Hirte. Berlin 1998, ISBN 3-351-02475-4.
  • Jonathan Petropoulos: Kunstraub und Sammelwahn. Kunst und Politik im Dritten Reich. Berlin 1999, ISBN 3-549-05594-3.
  • Jonathan Petropoulos: The Faustian Bargain. The Art World in Nazi Germany, London 2000, ISBN 0-7139-9438-X.
  • Wilhelm Treue: Der „Bargatzky Bericht“ (PDF-Datei; 5,99 MB) im Vierteljahrsheft für Zeitgeschichte, 1965, S. 285
  • Inka Bertz, Michael Dorrmann (Hrsg.): Raub und Restitution. Kulturgut aus jüdischem Besitz von 1933 bis heute. Hrsg. im Auftrag des Jüdischen Museums Berlin und des Jüdischen Museums Frankfurt am Main. Göttingen 2008, ISBN 978-3-8353-0361-4. (Gleichzeitig Ausstellungskatalog zur gleichnamigen Ausstellung 2008/2009.)

Frankreich, Belgien und Niederlande

  • Matila Simon: The Battle of the Louvre. The Struggle to Save French Art in World War 2. New York 1971
  • Willem de Vries: Kunstraub im Westen 1940–1945. Alfred Rosenberg und der Sonderstab Musik. Frankfurt 2000, ISBN 3-596-14768-9
  • Anja Heuss: Kunst- und Kulturgutraub. Studie zur Besatzungspolitik der Nationalsozialisten in Frankreich und der Sowjetunion. Heidelberg 2000, ISBN 3-8253-0994-0
  • Frits J. Hoogewoud & Sabine Arndt: "Auf Transport!". Deutsche Stationen „sichergestellter“ jüdischer und freimaurerischer Bibliotheken aus Frankreich und den Niederlanden (1940 – 1949). Hg. Gottfried Wilhelm Leibniz Bibliothek. CW Niemeyer, Hameln 2005, ISBN 3-8271-8818-0 ISSN 1610-4439 Ausstellungskatalog, ausführl. Literaturangaben

Ostland, Ukraine und Generalgouvernement

  • Anja Heuss: Kunst- und Kulturgutraub. Studie zur Besatzungspolitik der Nationalsozialisten in Frankreich und der Sowjetunion, Heidelberg 2000, ISBN 3-8253-0994-0.
  • Stefan Lehr: Ein fast vergessener „Osteinsatz“. Deutsche Archivare im Generalgouvernement und im Reichskommissariat Ukraine. Düsseldorf 2007, ISBN 3-7700-1624-6.

Spezielle Forschungen

  • Esther Tisa Francini u.a.: Fluchtgut – Raubgut. Der Transfer von Kulturgütern in und über die Schweiz 1933–1945 und die Frage der Restitution. Zürich 2001, ISBN 3-0340-0601-2.
  • Rainer Strzolka: Vernichtung jüdischer Identität durch den nationalsozialistischen Raub von Wort und Schrift. In: AKMB news 9.3003.1, S. 3–7.
  • Rainer Strzolka: Jüdischer Buchbesitz als Beutegut. Zum Symposium im Niedersächsischen Landtag am 14. November 2002. In: AKMB news 9.2003.1, S. 7–13.
  • Rainer Strzolka: Die Ausstellung „Seligmanns Bücher”. In: AKMB news 9.2003.1, S. 14–15.
  • Rainer Strzolka: Beiträge zur Provenienzforschung. Wiener Symposium zu Raub und Restitution in Bibliotheken. In: Buch und Bibliothek 55.2003.10/11, S. 650–651.
  • Rainer Strzolka: Jüdischer Buchbesitz als Raubgut. Neue Forschungsbeiträge zur Restituierung jüdischer Bibliotheken. Ein Bericht zum 2. Hannoverschen Symposium. In: Buch und Bibliothek 57.2005.7/8, 530–532. – Nachdruck in: L.Aktiv. Gottfried Wilhelm Leibniz Bibliothek N.F. 4.2005.28, S. 2–4.
  • Michael J. Kurtz: America and the Return of Nazi Contraband. The Recovery of Europe´s Cultural Treasures, New York 2006.

Offenbach Archival Depot

  • Geschichtswerkstatt Offenbach: Fast vergessen. Das amerikanische Bücherdepot in Offenbach am Main von 1945 bis 1949. OE - Offenbacher Editionen, Offenbach am Main 2011, ISBN 978-3-939537-14-4.

Wirkungsgeschichte

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]