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初井はついげんさかえ

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はつい ことえ
初井はつい げんさかえ
本名ほんみょう 山野やまの 典子のりこ
生年月日せいねんがっぴ (1929-01-08) 1929ねん1がつ8にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (1990-09-21) 1990ねん9月21にち(61さいぼつ
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん 神奈川かながわけん横浜よこはま
死没しぼつ 日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう新宿しんじゅく河田こうだまち
職業しょくぎょう 女優じょゆう声優せいゆう
ジャンル 演劇えんげきテレビドラマ映画えいが
活動かつどう期間きかん 1950年代ねんだい - 1990ねん
配偶はいぐうしゃ 山野やまの史人ふみと(1970ねん ‐ 1990ねん
おも作品さくひん
テレビドラマ
サンキュー先生せんせい
ヤヌスのかがみ
花嫁はなよめ衣裳いしょうだれ
アニメ映画えいが
天空てんくうしろラピュタ
 
受賞じゅしょう
文化庁ぶんかちょう芸術げいじゅつさいしょう
演劇えんげき部門ぶもん優秀ゆうしゅうしょう1978ねん
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初井はつい げんさかえ (はつい ことえ、1929ねん昭和しょうわ4ねん1がつ8にち - 1990ねん平成へいせい2ねん9月21にち)は日本にっぽん女優じょゆう声優せいゆう神奈川かながわけん横浜よこはま出身しゅっしん青葉あおば実践じっせん高等こうとう女学校じょがっこう舞台ぶたい芸術げいじゅつアカデミー卒業そつぎょうもと青年せいねん所属しょぞく本名ほんみょう山野やまの典子のりこおっと山野やまの史人ふみと(1970ねんから1990ねんまで)。

来歴らいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

劇団げきだんいんとして[編集へんしゅう]

東宝とうほう児童じどう劇団げきだんひがしわらわ」をて、1948ねん劇団げきだん俳優座はいゆうざ研究けんきゅうせいとして加入かにゅうのち山岡やまおか久乃ひさのらと脱退だったいし、1954ねん劇団げきだん青年せいねん設立せつりつ参加さんか青年せいねん公演こうえんとかけもちで1957ねんから1970ねんまで日活にっかつ専属せんぞく女優じょゆうとして活動かつどうし、日活にっかつアクション映画えいが悪役あくやくとう中心ちゅうしん多数たすう出演しゅつえんした。

青年せいねんでは演出えんしゅつ(『ばうめんなみはたけ』) や後進こうしん指導しどうにあたり(松岡まつおかミユキ矢野やのいづみなど[1])、またボランティアで郷里きょうりである横浜よこはま市民しみん演劇えんげき演技えんぎ指導しどうおこなっていた。青年せいねん公演こうえんでは、森塚もりづかさとし西田にしだ敏行としゆきらの助演じょえんしゃとしてオールドミスやく中年ちゅうねんやくなどをおおえんじた。

えんじたやくじつ年齢ねんれい以上いじょう[2]がほとんどだったため、「しん劇界げきかいさんだいばあさん(やく女優じょゆう」の一人ひとりばれた(劇団げきだん民藝みんげい北林きたばやしたにさかえ劇団げきだん文化ぶんか鈴木すずき光枝みつえ)。「さんだいばあさん女優じょゆう」のなかでは若手わかてで(北林きたばやし:1911ねんまれ 鈴木すずき:1918ねんまれ)、映画えいが・テレビ映像えいぞう舞台ぶたい演技えんぎ静的せいてき老境ろうきょう得意とくいとした二人ふたりとは対照たいしょうてき演技えんぎ幅広はばひろく、舞台ぶたいでは同様どうよう老女ろうじょから達者たっしゃ活発かっぱつなおばばやく平行へいこう活動かつどう出演しゅつえんした日活にっかつ劇団げきだん民藝みんげい俳優はいゆう演技えんぎ指導しどう協力きょうりょくおこなった)時代じだいからで元気げんきなか壮年そうねんやく中年ちゅうねん病身びょうしんやく水商売みずしょうばい、インテリ女性じょせいといった様々さまざま大人おとな女性じょせいぞうえんじた。

映画えいが・ドラマの俳優はいゆうとして[編集へんしゅう]

日活にっかつとの契約けいやく解除かいじょは、映画えいがやテレビドラマの俳優はいゆうとして活躍かつやくして「たりやく」をていく。

1970年代ねんだい後半こうはんから1980年代ねんだいにかけ、市毛いちげ良枝よしえとのめいコンビでしたしまれ、「ライオン奥様おくさま劇場げきじょう」の『よめしゅうと』シリーズをはじめとし、クセのあるしゅうと祖母そぼやく出演しゅつえんして「しゅうとやく女優じょゆう」としてひろ世代せだい知名度ちめいどたかめた[3]

冷徹れいてつ手厳てきびしい祖母そぼやくがハマりやくだったが実際じっさい性格せいかくぎゃくで、プライベートでは温厚おんこうかつ大変たいへん気遣きづか上手じょうずやさしい人柄ひとがらであったという。『ヤヌスのかがみ』で共演きょうえんした杉浦すぎうらみゆきからも「役柄やくがらちがい、とてもやさしかった」とひょうされたほどであり、冷酷れいこくなシーンの撮影さつえいわったのち杉浦すぎうら本人ほんにんろうわったり、杉浦すぎうらしかられたときかばったり、杉浦すぎうらへの演技えんぎのアドバイスも丁寧ていねいにしてくれていたとう。また、その性格せいかくゆえか実際じっさいきびしくしかりながら折檻せっかんする場面ばめんではその性格せいかくゆえに本気ほんきになることがどうしてもできずにNGを連発れんぱつし、それをかねた監督かんとく代行だいこうしたほどだった。彼女かのじょのリンクさき参照さんしょう

声優せいゆうとして[編集へんしゅう]

声優せいゆうではラジオドラマのほか、映画えいがティファニーで朝食ちょうしょく』のパトリシア・ニール映画えいがあい喝采かっさい日々ひび』でのアン・バンクロフトアガサ・クリスティ小説しょうせつおよ戯曲ぎきょく検察けんさつがわ証人しょうにん』を原作げんさくとする法廷ほうていミステリー映画えいが情婦じょうふ』でのマレーネ・ディートリヒなどの日本語にほんごばんえんじた。

アニメーション作品さくひんでは、スタジオジブリ制作せいさく映画えいが天空てんくうしろラピュタ』で海賊かいぞくドーラをえんじた。

晩年ばんねん死去しきょ[編集へんしゅう]

1988ねん胃癌いがんのためぜん摘出てきしゅつ手術しゅじゅつけ、その入退院にゅうたいいんかえしていた。

1990ねん9がつ20日はつか胃癌いがん再発さいはつのため東京女子医科大学とうきょうじょしいかだいがく病院びょういん入院にゅういんするも、よく9月21にち午後ごご254ふんどう病院びょういん死去しきょ。61さいぼつ[4]たりやく老境ろうきょう演技えんぎ体現たいげんしないままの早世そうせいしまれた。

しん劇界げきかい著名ちょめいじん一人ひとりであり、結団けつだんから永年えいねん青年せいねんささえた功績こうせき慰労いろうから葬儀そうぎ劇団げきだんそう青年せいねん劇場げきじょうおこなわれ、座長ざちょう森塚もりづかさとし葬儀そうぎ委員いいんちょうつとめた。

出演しゅつえん作品さくひん俳優はいゆう[編集へんしゅう]

舞台ぶたい代表だいひょうてきなもの)[編集へんしゅう]

  • だいさん証言しょうげん (1954ねん12月17 - 23にち 俳優座はいゆうざ劇場げきじょう) さく 椎名しいな麟三りんぞう青年せいねん旗揚はたあ公演こうえん
  • さそりおんな (1959ねん12月11 - 17にち 一ツ橋ひとつばし講堂こうどうさく 椎名しいな麟三りんぞう青年せいねんだい17かい公演こうえん、1960ねん 大阪おおさか神戸こうべ地方ちほう公演こうえん
  • 謀殺ぼうさつ二上山にじょうざん鎮魂ちんこん〜(1978ねん11月03 - 12にち 紀伊國屋きのくにやホール)さく 西島にししまだい青年せいねんだい69かい公演こうえん

映画えいが[編集へんしゅう]

テレビドラマ[編集へんしゅう]

出演しゅつえん作品さくひんこえ出演しゅつえん[編集へんしゅう]

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俳優はいゆう[編集へんしゅう]

パトリシア・ニール

洋画ようが海外かいがいドラマ[編集へんしゅう]

ラジオドラマ[編集へんしゅう]

  • チャオ・チャオ日本にっぽん(1964ねん4がつ、NHK)原作げんさく 丹下たんげキヨ子きよこ共演きょうえん 山岡やまおか久乃ひさの
  • 喜界島きかいじま御霊みたま伝説でんせつ(1965ねん4がつ、TBS)脚本きゃくほん 野口のぐち達二たつじ共演きょうえん 天地あまち総子ふさこ早野はやの寿郎としお
  • はかなくもまたかなしくも(1970ねん7がつ、NHK)脚本きゃくほん 秋浜あきはま悟史さとし共演きょうえん はやし隆三りゅうぞう芳川よしかわ和子かずこたに育子いくこ青柳あおやぎひで文化庁ぶんかちょう芸術げいじゅつさい参加さんか作品さくひん
  • よるこえ(1971ねん2がつ、NHK)脚本きゃくほん 瀬戸内せとうち晴美はるみ演出えんしゅつ 平野ひらの敦子あつこ共演きょうえん 奈良岡ならおか朋子ともこ
  • はまり(1971ねん4がつ、NHK)脚本きゃくほん 三浦みうら哲郎てつろう演出えんしゅつ 竹内たけうち日出男ひでお共演きょうえん 江角えすみ英明ひであきひだり時枝ときえ秋月あきづき喜久江きくえ 昭和しょうわ46年度ねんどだい26かい文化庁ぶんかちょう芸術げいじゅつさいラジオ・ドラマ部門ぶもん優秀ゆうしゅうしょう
  • よごれた土地とち(1971ねん10がつ、NHK)原作げんさく コールドウェル、脚色きゃくしょく 河野こうの典生のりお共演きょうえん もり雅之まさゆき井上いのうえ昭文あきふみしまかおり、油谷あぶらや佐知子さちこ
  • ばうめんなみはたけ(1972ねん6がつ、NHK)脚本きゃくほん 高橋たかはし辰雄たつお共演きょうえん 小池こいけ朝雄あさお蟹江かにえ敬三けいぞう横山よこやまリエ
  • ラストシーン(1974ねん6がつ、NHK)脚本きゃくほん 瀬戸内せとうち晴美はるみ演出えんしゅつ 平野ひらの敦子あつこ共演きょうえん 垂水たるみさとるろうあずま恵美子えみこ西村にしむら淳二じゅんじ
  • しおばな(1975ねん4がつ、NHK)脚本きゃくほん 佐久間さくまたかし共演きょうえん はやし勝也かつやほし千秋ちあき角野かくの卓造たくぞう冷泉れいせんこうひろしほか
  • みちはるか(1983ねん11月、NHK)脚本きゃくほん きし宏子ひろこ脚本きゃくほん 高沢たかさわ裕之ひろゆき共演きょうえん 磯部いそべつとむ

アニメ[編集へんしゅう]

ナレーション[編集へんしゅう]

著作ちょさく[編集へんしゅう]

  • 『おばちゃんとおかあちゃんとおかあさんとかあさん』ゲイン 、1990ねん11月、 ISBN 978-4-906354-04-7
    • 近親きんしんにまつわるエッセイ。 まえがき、あとがきで、未了みりょう刊行かんこうしたこと、執筆しっぴつ様子ようすなどをおっと山野やまの史人ふみと記述きじゅつしている。

受賞じゅしょう[編集へんしゅう]

  • だい33かい文化庁ぶんかちょう芸術げいじゅつさいしょう演劇えんげき部門ぶもん優秀ゆうしゅうしょう個人こじん
    • 受賞じゅしょう出演しゅつえんさく青年せいねんだい69かい公演こうえん謀殺ぼうさつ二上山にじょうざん鎮魂ちんこん〜』

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ チョーびとつとめた一人ひとり
  2. ^ なかでも『花嫁はなよめ衣裳いしょうだれる』でえんじた酒田さかたスエやくは、実際じっさいには2さい年長ねんちょう俳優はいゆう織本おりもと順吉じゅんきちえんじた酒田さかた兵衛ひょうえ母親ははおややくであった。
  3. ^ シリーズ開始かいし当初とうしょ初井はついは40だいで、じつ年齢ねんれいより10さい以上いじょう年上としうえやくえんじていた。
  4. ^ 「「よめいびり」のしゅうとやく好演こうえん初井はついげんさかえさん死去しきょ読売新聞よみうりしんぶん1990ねん9がつ22にち朝刊ちょうかん31めん
  5. ^ 天空てんくうしろラピュタ - メディア芸術げいじゅつデータベース

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]