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日本にっぽん勲章くんしょうとう一覧いちらん

日本にっぽん勲章くんしょう[編集へんしゅう]

だいくん菊花きっかあきら[編集へんしゅう]

画像がぞう

名称めいしょう (日本語にほんご/英語えいご)

開始かいしおよ改正かいせい

概要がいよう

大勲位菊花大綬章副章
だいくん菊花きっかだい綬章じゅしょうふくあきら


だいくん菊花きっかあきら

Supreme Orders of the Chrysanthemum

1876ねん12月27にち

日本にっぽん明治めいじ時代じだい以降いこう栄典えいてん制度せいどにおける最高さいこう勲章くんしょうだいくん菊花きっかあきら頸飾とだいくん菊花きっかだい綬章じゅしょうの2種類しゅるいがあるが、実際じっさいには頸飾・だい綬章じゅしょうふくしょうとして運用うんようされ単独たんどく授与じゅよされたれいはなく、2003ねん改正かいせいにより正章まさあき(頸飾とだい綬章じゅしょう)とふくあきらというかたちとなっている。

大勲位菊花章頸飾
だいくん菊花きっかあきら頸飾

だいくん菊花きっかあきら頸飾

Collar of the Supreme Order of the Chrysanthemum

1888ねん1がつ4にち

制定せいていから今日きょういたるまで最高さいこう勲章くんしょうで、唯一ゆいいつすべての構成こうせい部品ぶひん純金じゅんきんせい勲章くんしょうで、ふくあきら純銀じゅんぎんせい)とわせると491.5グラムのおもさがある。また純金じゅんきん使用しようのため、製造せいぞう原価げんか非常ひじょうたかい。

大勲位菊花大綬章
だいくん菊花きっかだい綬章じゅしょう

だいくん菊花きっかだい綬章じゅしょう

Grand Cordon of the Supreme Order of the Chrysanthemum

1876ねん12月27にち

最高さいこうであるだいくん菊花きっかあきら頸飾に勲章くんしょう。イギリスのガーター勲章くんしょうやスウェーデンのセラファン勲章くんしょう、またデンマークのしろぞう勲章くんしょうなど、当時とうじ王室おうしつ国家こっかおおくが、普通ふつう勲章くんしょううえ制定せいていしていた最高さいこう勲章くんしょうるいなら制定せいていされたものである。

きりはなあきらきゅう勲一等くんいっとう旭日きょくじつきりはなだい綬章じゅしょう[編集へんしゅう]

画像がぞう

名称めいしょう (日本語にほんご/英語えいご)

開始かいしおよ改正かいせい

概要がいよう

桐花大綬章
きりはなだい綬章じゅしょう

きりはなだい綬章じゅしょうきゅう勲一等くんいっとう旭日きょくじつきりはなだい綬章じゅしょう

Grand Cordon of the Order of the Paulownia Flowewrs

1888ねん1がつ4にち開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

旭日大綬章あさひだいじゅしょうまたはみずたからだい綬章じゅしょう授与じゅよされるべきもののうち、くんまたは功労こうろうとくすぐれたもの授与じゅよされる。
旭日きょくじつしょう性格せいかくから、女性じょせいへの授与じゅよ出来できなかったが、改正かいせいによって旭日きょくじつあきらとは別個べっこの「きりはなあきら」になったため、これまでの旭日きょくじつあきらとの併佩が可能かのうとなったほか、性別せいべつわず授与じゅよできることとなった。

旭日きょくじつあきら[編集へんしゅう]

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名称めいしょう (日本語にほんご/英語えいご)

開始かいしおよ改正かいせい

概要がいよう

旭日きょくじつあきら

Orders of the Rising Sun

1875ねん4がつ10日とおか開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

国家こっかまたは公共こうきょうたいくん績あるもの授与じゅよする。日本にっぽん最初さいしょ勲章くんしょうである。2003とし改正かいせいでは、勲等くんとう表示ひょうじをやめ、きりはなだい綬章じゅしょう旭日きょくじつしょううえきりはなあきらとするなど、大幅おおはば整理せいりされ、旭日きょくじつあきらは6等級とうきゅう運用うんようされることとなった。
また、旭日きょくじつしょう対象たいしょう男性だんせいかぎられてきたが、この改正かいせいさい男女だんじょひとしく授与じゅよされる勲章くんしょうとなった。

旭日大綬章
旭日大綬章あさひだいじゅしょう

[ちゅう 1]

旭日大綬章あさひだいじゅしょう(きゅう勲一等くんいっとう旭日大綬章あさひだいじゅしょう)

Grand Cordon of the Order of the Rising Sun

1875ねん4がつ10日とおか開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

だい綬を右肩みぎかたからひだりわきしだれ、ふくあきら旭日重光章きょくじつじゅうこうしょう正章まさあきおなじ)をひだりむね佩用はいようする。2003ねん平成へいせい15ねん11月3にちかん数字すうじによる勲等くんとう表示ひょうじ廃止はいしされ、同日どうじつ以後いご授与じゅよされるものは旭日大綬章あさひだいじゅしょうあらためられた。


旭日重光章きょくじつじゅうこうしょう(きゅうくんとう旭日重光章きょくじつじゅうこうしょう)

The Order of the Rising Sun, Gold and Silver Star

1875ねん4がつ10日とおか開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

正章まさあき旭日大綬章あさひだいじゅしょうふくしょうであり、ふくしょう旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょうである。


旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょう(きゅうくんさんとう旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょう)

The Order of the Rising Sun, Gold Rays with Neck Ribbon

1875ねん4がつ10日とおか開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

旭日小綬章
旭日きょくじつしょう綬章じゅしょう

旭日きょくじつしょう綬章じゅしょう(きゅうくんよんとう旭日きょくじつしょう綬章じゅしょう)

The Order of the Rising Sun, Gold Rays with Rosette

1875ねん4がつ10日とおか開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

旭日きょくじつそう光章みつあき
旭日きょくじつそう光章みつあき

旭日きょくじつそう光章みつあき(きゅうくん五等双光旭日章)

The Order of the Rising Sun, Gold and Silver Rays

1875ねん4がつ10日とおか開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

旭日きょくじつしょう綬章じゅしょうおなじだが、中央ちゅうおうまるい綬(リボン)がい。

旭日きょくじつたん光章みつあき
旭日きょくじつたん光章みつあき

旭日きょくじつたん光章みつあき(きゅうくん六等単光旭日章)

The Order of the Rising Sun, Silver Rays

1875ねん4がつ10日とおか開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

旭日きょくじつそう光章みつあきにほぼおなじだが、略綬りゃくじゅことなり、若干じゃっかんちいさく、そとわく銀色ぎんいろである。


くんななとう青色あおいろきりあきら

The Order of the Rising Sun, Green Paulownia Leaves Medal

1875ねん4がつ10日とおか開始かいし、2003ねん11月3にち廃止はいし

勲八等白色桐葉章
くんはちとう白色はくしょくきりあきら

くんはちとう白色はくしょくきりあきら

The Order of the Rising Sun, White Paulownia Leaves Medal

1875ねん4がつ10日とおか開始かいし、2003ねん11月3にち廃止はいし

くん七等青色桐葉章におなじだが、白色はくしょくで、略綬りゃくじゅことなる。

瑞宝章ずいほうしょう[編集へんしゅう]

画像がぞう

名称めいしょう (日本語にほんご/英語えいご)

開始かいしおよ改正かいせい

概要がいよう

瑞宝章ずいほうしょう

Orders of the Sacred Treasure

1888ねん1がつ4にち開始かいし、1919ねん5がつ22にち改正かいせい、2003ねん11月3にち改正かいせい

国家こっかまたは公共こうきょうたい積年せきねん功労こうろうあるもの授与じゅよする。制定せいてい当時とうじ瑞宝章ずいほうしょう男性だんせいのみが授与じゅよ対象たいしょうとされていたが、大正たいしょう8(1919)ねん女性じょせいにもひとしく授与じゅよされるようになった。平成へいせい15ねん5がつ20日はつか閣議かくぎ決定けってい勲章くんしょう授与じゅよ基準きじゅん)により、勲等くんとう数字すうじでの表示ひょうじされていたものがみずたからだい綬章じゅしょうみずたから重光しげみつあきらみずたからちゅう綬章じゅしょうみずたからしょう綬章じゅしょうみずたからそう光章みつあきみずたからたん光章みつあき名称めいしょう表記ひょうきあらためられるとともに、くん7とうおよび8とう廃止はいしされ、6等級とうきゅうとされた。
綬は、しろいものから改正かいせいによりあおいものになった。

みずたからだい綬章じゅしょう
みずたからだい綬章じゅしょう

みずたからだい綬章じゅしょう(きゅう勲一等くんいっとう瑞宝章ずいほうしょう)

Grand Cordon of the Order of the Sacred Treasure

1888ねん1がつ4にち開始かいし、1919ねん5がつ22にち改正かいせい、2003ねん11月3にち改正かいせい

瑞宝重光章
みずたから重光しげみつあきら

みずたから重光しげみつあきら(きゅうくんとう瑞宝章ずいほうしょう)

The Order of the Sacred Treasure, Gold and Silver Star

1888ねん1がつ4にち開始かいし、1919ねん5がつ22にち改正かいせい、2003ねん11月3にち改正かいせい

正章まさあきみずたからだい綬章じゅしょうふくしょうで、ふくしょうみずたからちゅう綬章じゅしょう正章まさあきである。

みずたからちゅう綬章じゅしょう
みずたからちゅう綬章じゅしょう

みずたからちゅう綬章じゅしょう(きゅうくんさんとう瑞宝章ずいほうしょう)

The Order of the Sacred Treasure, Gold Rays with Neck Ribbon

1888ねん1がつ4にち開始かいし、1919ねん5がつ22にち改正かいせい、2003ねん11月3にち改正かいせい

みずたから重光しげみつあきらふくしょうである。

みずたからしょう綬章じゅしょう
みずたからしょう綬章じゅしょう

みずたからしょう綬章じゅしょう(きゅうくんよんとう瑞宝章ずいほうしょう)

The Order of the Sacred Treasure, Gold Rays with Rosette

1888ねん1がつ4にち開始かいし、1919ねん5がつ22にち改正かいせい、2003ねん11月3にち改正かいせい

みずたからそう光章みつあき
みずたからそう光章みつあき

みずたからそう光章みつあき(きゅうくんとう瑞宝章ずいほうしょう)

The Order of the Sacred Treasure, Gold and Silver Rays

1888ねん1がつ4にち開始かいし、1919ねん5がつ22にち改正かいせい、2003ねん11月3にち改正かいせい

みずたからたん光章みつあき
みずたからたん光章みつあき

みずたからたん光章みつあき(きゅうくんろくとう瑞宝章ずいほうしょう)

The Order of the Sacred Treasure, Silver Rays

1888ねん1がつ4にち開始かいし、1919ねん5がつ22にち改正かいせい、2003ねん11月3にち改正かいせい

くんななとう瑞宝章ずいほうしょう
くんななとう瑞宝章ずいほうしょう

くんななとう瑞宝章ずいほうしょう

The Order of the Sacred Treasure, Green Paulownia Leaves Medal

1888ねん1がつ4にち開始かいし、1919ねん5がつ22にち改正かいせい、2003ねん11月3にち廃止はいし

くんはちとう瑞宝章ずいほうしょう
くんはちとう瑞宝章ずいほうしょう

くんはちとう瑞宝章ずいほうしょう

The Order of the Sacred Treasure, White Paulownia Leaves Medal

1888ねん1がつ4にち開始かいし、1919ねん5がつ22にち改正かいせい、2003ねん11月3にち廃止はいし

文化ぶんか勲章くんしょう[編集へんしゅう]

画像がぞう

名称めいしょう (日本語にほんご/英語えいご)

開始かいしおよ改正かいせい

概要がいよう

文化ぶんか勲章くんしょう
文化ぶんか勲章くんしょう

文化ぶんか勲章くんしょう

Order of Culture

1937ねん2がつ11にち開始かいし

文化ぶんか勲章くんしょうは、科学かがく技術ぎじゅつ芸術げいじゅつなどの文化ぶんか発展はってん向上こうじょうにめざましい功績こうせきのあるもの授与じゅよされる日本にっぽん勲章くんしょう

宝冠章ほうかんしょう[編集へんしゅう]

画像がぞう

名称めいしょう (日本語にほんご/英語えいご)

開始かいしおよ改正かいせい

概要がいよう

宝冠章ほうかんしょう

Orders of the Precious Crown

1888ねん1がつ4にち開始かいし、1896ねん4がつ13にち改正かいせい、2003ねん11月3にち改正かいせい

授与じゅよ対象たいしょう女性じょせいのみ。女性じょせい皇族こうぞく外国がいこくじんたいする儀礼ぎれい叙勲じょくんとう特別とくべつ場合ばあいかぎ運用うんようされる。1888ねん勲一等くんいっとうからくんとうまでを制定せいてい1896ねんくんろくとうからくんはちとうまでが追加ついか制定せいていされた。以後いごながらくはち等級とうきゅうでの運用うんようおこなわれていたが、2003ねん栄典えいてん制度せいど改正かいせいによりくんななとうくんはちとう廃止はいしかん数字すうじによる勲等くんとう表示ひょうじがなくなり、現在げんざいではむっつのきゅうでの運用うんようである。

宝冠大綬章
宝冠ほうかんだい綬章じゅしょう

宝冠ほうかんだい綬章じゅしょう(きゅう勲一等くんいっとう宝冠章ほうかんしょう)

Grand Cordon of the Order of the Precious Crown

1888ねん1がつ4にち開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

宝冠牡丹章
宝冠ほうかん牡丹ぼたんあきら

宝冠ほうかん牡丹ぼたんあきら(きゅうくんとう宝冠章ほうかんしょう)

The Order of the Precious Crown, Peony

1888ねん1がつ4にち開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

宝冠白蝶章
宝冠ほうかんしろちょうあきら

宝冠ほうかんしろちょうあきら(きゅうくんさんとう宝冠章ほうかんしょう)

The Order of the Precious Crown, Butterfly

1888ねん1がつ4にち開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

宝冠藤花章
宝冠ほうかん藤花ふじはなあきら

宝冠ほうかん藤花ふじはなあきら(きゅうくんよんとう宝冠章ほうかんしょう)

The Order of the Precious Crown, Wistaria

1888ねん1がつ4にち開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

宝冠杏葉章
宝冠ほうかんあんずあきら

宝冠ほうかんあんずあきら(きゅうくんとう宝冠章ほうかんしょう)

The Order of the Precious Crown, Apricot

1896ねん4がつ13にち開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

宝冠ほうかん光章みつあき
宝冠ほうかん光章みつあき

宝冠ほうかん光章みつあき(きゅうくんろくとう宝冠章ほうかんしょう)

The Order of the Precious Crown, Ripple

1896ねん4がつ13にち開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

くんななとう宝冠章ほうかんしょう
くんななとう宝冠章ほうかんしょう

くんななとう宝冠章ほうかんしょう

The Order of the Precious Crown, Medal

1896ねん4がつ13にち開始かいし、2003ねん11月3にち廃止はいし

くんはちとう宝冠章ほうかんしょう
くんはちとう宝冠章ほうかんしょう

くんはちとう宝冠章ほうかんしょう

The Order of the Precious Crown, Medal

1896ねん4がつ13にち開始かいし、2003ねん11月3にち廃止はいし

勲章くんしょう序列じょれつ授与じゅよ伝達でんたつ[編集へんしゅう]

かく勲章くんしょう序列じょれつ、および勲章くんしょう授与じゅよ伝達でんたつしきれいは、以下いかとお[1][2]

序列じょれつ 勲章くんしょう 授与じゅよ伝達でんたつ 参照さんしょう
きゅう制度せいど勲等くんとう
1 だいくん菊花きっかあきら頸飾 宮中きゅうちゅうにおいて、その授与じゅよしきおこない、天皇てんのう親授しんじゅする。 だいくん
2 だいくん菊花きっかだい綬章じゅしょう
3 きりはなだい綬章じゅしょう  勲一等くんいっとう
4  旭日大綬章あさひだいじゅしょう   みずたからだい綬章じゅしょう   宝冠ほうかんだい綬章じゅしょう   文化ぶんか勲章くんしょう[3]
5  旭日重光章きょくじつじゅうこうしょう   みずたから重光しげみつあきら   宝冠ほうかん牡丹ぼたんあきら  宮中きゅうちゅうにおいて、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん受章じゅしょうしゃ伝達でんたつする。 くんとう
6  旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょう   みずたからちゅう綬章じゅしょう   宝冠ほうかんしろちょうあきら  内閣ないかく総理そうり大臣だいじんいのちけ、内閣ないかくしょうくん局長きょくちょう所管しょかん大臣だいじん伝達でんたつし、所管しょかん大臣だいじん適宜てきぎ受章じゅしょうしゃ伝達でんたつする。 くんさんとう
7  旭日きょくじつしょう綬章じゅしょう   みずたからしょう綬章じゅしょう   宝冠ほうかん藤花ふじはなあきら  くんよんとう
8  旭日きょくじつそう光章みつあき   みずたからそう光章みつあき   宝冠ほうかんあんずあきら  くんとう
9  旭日きょくじつたん光章みつあき   みずたからたん光章みつあき   宝冠ほうかん光章みつあき  くんろくとう
10 くんななとう
11 くんはちとう

日本にっぽん褒章ほうしょう[編集へんしゅう]

画像がぞう

名称めいしょう (日本語にほんご/英語えいご)

開始かいしおよ改正かいせい

概要がいよう

褒章
褒章ほうしょう

褒章ほうしょう

Medals of Honour

1882ねん1がつ1にち開始かいし、2003ねん改正かいせい

褒章ほうしょうとは、社会しゃかい公共こうきょう福祉ふくし文化ぶんかなどに貢献こうけんしたもの顕彰けんしょうする日本にっぽん栄典えいてんひとつ。対象たいしょうとなる事績じせきにより、紅綬こうじゅ褒章ほうしょうみどり綬褒あきら黄綬おうじゅ褒章ほうしょう紫綬褒章しじゅほうしょう藍綬らんじゅ褒章ほうしょう紺綬こんじゅ褒章ほうしょうの6種類しゅるいがある。

紅綬こうじゅ褒章ほうしょう(こうじゅほうしょう)

Medal with Red Ribbon

1882ねん1がつ1にち開始かいし

自己じこ危難きなんかえりみず人命じんめい救助きゅうじょ尽力じんりょくしたるもの」に授与じゅよされる[4]

みどり綬褒あきら(りょくじゅほうしょう)

Medal with Green Ribbon

1882ねん1がつ1にち開始かいし

みずかすすんで社会しゃかい奉仕ほうしする活動かつどう従事じゅうじ徳行とっこう顕著けんちょなるもの」に授与じゅよされる。
当初とうしょは「孝子たかこじゅんまご節婦せっぷ義僕ぎぼく徳行とっこう卓絶たくぜつなるものまた実業じつぎょう精励せいれいしゅみん模範もはんたるべきしゃ」に授与じゅよすることとされていた。
1955ねん栄典えいてん制度せいど改正かいせいで「実業じつぎょう精励せいれい…」の部分ぶぶん黄綬おうじゅ褒章ほうしょうとして独立どくりつ対象たいしょうせばまり、その2003ねん改正かいせい社会しゃかい福祉ふくし分野ぶんややボランティア活動かつどうなどで顕著けんちょ実績じっせきのある個人こじんとう授与じゅよすることとなった。

藍綬らんじゅ褒章ほうしょう(らんじゅほうしょう)

Medal with Blue Ribbon

1882ねん1がつ1にち開始かいし

教育きょういく衛生えいせい慈善じぜん防疫ぼうえき事業じぎょう学校がっこう病院びょういん建設けんせつ道路どうろかわみぞ堤防ていぼう橋梁きょうりょう修築しゅうちく田野でんやの墾闢(こんぺき、開墾かいこん)、森林しんりん栽培さいばい水産すいさん繁殖はんしょくのうしょう工業こうぎょう発達はったつかん公衆こうしゅう利益りえきおこ成績せいせきちょあかりなるものまたおおやけどう事務じむ勤勉きんべんろうこう顕著けんちょなるもの」に授与じゅよされる。授与じゅよ対象たいしょう紫綬褒章しじゅほうしょう一部いちぶかさなっているが、本章ほんしょうおも対象たいしょう技術ぎじゅつしゃである。

黄綬おうじゅ褒章ほうしょう(おうじゅほうしょう)

Medal with Yellow Ribbon

1987ねん開始かいし、1947ねん廃止はいし、1955ねん新規しんき開始かいし

業務ぎょうむ精励せいれいしゅみん模範もはんたるべきしゃ」に授与じゅよされる。「私財しざい献納けんのうぼううみ事業じぎょう賛成さんせいスルモノニ授与じゅよスル」(沿岸えんがん防衛ぼうえい事業じぎょうへの私財しざい提供ていきょうしゃ)とさだめられた。
1947ねん一旦いったん廃止はいしされ、1955ねん再度さいど制定せいてい。2003ねん改正かいせいでは、「だい一線いっせん業務ぎょうむ精励せいれいしているもので、模範もはんとなるような技術ぎじゅつ事績じせきゆうするもの対象たいしょうとし、受章じゅしょうしゃすう増加ぞうかはかる」こととされた。

紺綬こんじゅ褒章ほうしょう(こんじゅほうしょう)

Medal with Dark Blue Ribbon

1918ねん9がつ19にち開始かいし

公益こうえきのため私財しざい寄附きふ功績こうせき顕著けんちょなるもの」に授与じゅよされる。現在げんざい公的こうてき機関きかん公益こうえき法人ほうじんなどへの500まんえん以上いじょう寄付きふをした個人こじん、1000まんえん以上いじょう寄付きふをした団体だんたいおも対象たいしょうとなる(けた団体だんたいから所管しょかん官庁かんちょうてに上申じょうしんがされる)。寄付きふ多額たがくのぼ場合ばあいには、あわせて賞杯しょうはいきり紋付もんつきのさかずき)が授与じゅよされる。

紫綬褒章しじゅほうしょう(しじゅほうしょう)

Medal with Purple Ribbon

1955ねん1がつ22にち開始かいし

学術がくじゅつ芸術げいじゅつじょう発明はつめい改良かいりょう創作そうさくかん事績じせきちょあかりなるもの」に授与じゅよされる。長年ながねん研究けんきゅう従事じゅうじした学者がくしゃ技術ぎじゅつ開発かいはつ発明はつめいくした技術ぎじゅつしゃのほか、長年ながねんにわたって活躍かつやくする芸能人げいのうじん芸術げいじゅつ、オリンピックでメダルを受賞じゅしょうしたスポーツ選手せんしゅらに授与じゅよされる。

日本にっぽん記念きねんあきら[編集へんしゅう]

画像がぞう

名称めいしょう (日本語にほんご/英語えいご)

開始かいしおよ改正かいせい

概要がいよう

記念きねんあきら

Commemorative Medal

1875ねん

これまでにしょうくんきょく所管しょかん法令ほうれいによって発行はっこうされた記念きねんしょうは12種類しゅるいで、うちひとつ(ささえ事変じへん記念きねんあきら)が廃止はいしされたため、現在げんざい有効ゆうこうなものは11種類しゅるいである[5]戦後せんご発行はっこうされておらず、わりに記念きねん貨幣かへい発行はっこうされるようになった。しかし、小泉こいずみ内閣ないかくける「栄典えいてん制度せいどかたかんする懇談こんだんかい」の提言ていげん[6]けた平成へいせい14ねん8がつ7にち閣議かくぎ決定けってい栄典えいてん制度せいど改革かいかくについて)には、「国際こくさいてき災害さいがい救助きゅうじょ活動かつどうなどに参加さんかしたものたいして、その事績じせき表彰ひょうしょうするため、記章きしょうとう活用かつようすることについて検討けんとうする。」という文言もんごんまれている。

大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう発布はっぷ記念きねんあきら
大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう発布はっぷ記念きねんあきら

[ちゅう 1]

大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう発布はっぷ記念きねんあきら

Imperial Constitution Promulgation Medal

明治めいじ22ねん8がつ3にち

頒賜対象たいしょう大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう発布はっぷしきかかわった親王しんのう以下いか判任官はんにんかんより上位じょういものどう2じょう)。かねぎん種類しゅるいがあった(どう1じょう)。たねしるし製作せいさく江上えがみみなもと二郎じろうひょう)と江上えがみ一太郎いちたろううら[7]材料ざいりょうかねぎんどう製造せいぞうすうかね18ぎん2,251個いっこ[8]

だいこんじゅうねん祝典しゅくてんあきら
だいこんじゅうねん祝典しゅくてんあきら

だいこんじゅうねん祝典しゅくてんあきら

25th Wedding Anniversary Medal

明治めいじ27ねん3がつ6にち

明治天皇めいじてんのう昭憲皇太后しょうけんこうたいごうだいこんじゅうねん祝典しゅくてんまねかれて参内さんだいしたものへ頒賜(どう2じょう)。かねぎん種類しゅるいがあった(どう1じょう)。材料ざいりょうかねぎんたねしるし製作せいさく池田いけだ隆雄たかお[7]製造せいぞうすうかね33ぎん1,301個いっこ[8]

皇太子こうたいしわたしかん記念きねんあきら
皇太子こうたいしわたしかん記念きねんあきら

皇太子こうたいしわたしかん記念きねんあきら

Crown Prince's Voyage to Korea Commemorative Medal

明治めいじ42ねん3がつ29にち

頒賜対象たいしょう皇太子こうたいしよしみじん親王しんのうわたりかんかかわったにちかん両国りょうこく皇族こうぞくおよそう任官にんかん以上いじょうものどう2じょう)。かねぎん種類しゅるいがあった(どう1じょう)。材料ざいりょうかねぎん[7]

韓国かんこく併合へいごう記念きねんあきら
韓国かんこく併合へいごう記念きねんあきら

韓国かんこく併合へいごう記念きねんあきら

Korea Annexation Commemorative Medal

明治めいじ45ねん3がつ29にち

韓国かんこく併合へいごう記念きねん表彰ひょうしょうとして制定せいていどうだい1じょう)。韓国かんこく併合へいごう

事業じぎょう直接ちょくせつおよともな要務ようむ関与かんよしたものどうだい3じょう1ごう)、併合へいごうさい朝鮮ちょうせん在勤ざいきんしていた官吏かんりおよ官吏かんり待遇たいぐうしゃならびに韓国かんこく政府せいふ官吏かんりおよ官吏かんり待遇たいぐうしゃどう2ごう)、従前じゅうぜんにちかん関係かんけい功績こうせきのあったものどう3ごう)へ授与じゅよされた。黄銅こうどうせい原型げんけい製作せいさく佐藤さとういわお[7]

大礼記念章(大正)
大礼たいれい記念きねんあきら大正たいしょう

大礼たいれい記念きねんあきら大正たいしょう

Taisho Enthronement Medal

大正たいしょう4ねん8がつ13にち

大正天皇たいしょうてんのう即位そくい大礼たいれい記念きねん表彰ひょうしょうとして制定せいていどうだい1じょう)。授与じゅよ対象たいしょう践祚せんそしきどうだい3じょう1ごうならびに即位そくい大礼たいれいおよ大嘗祭だいじょうさいどう2ごう)にまねかれたもの在所ざいしょ各地かくちいて餐餌をたまわったものどう3ごう)、大礼たいれい事務じむおよともな要務ようむ関与かんよしたものどう4ごう)。銀製ぎんせい表面ひょうめんたねしるし製作せいさく池田いけだ隆雄たかお裏面りめん原型げんけい製作せいさく佐藤さとういわお[7]

戦捷記章
戦捷せんしょう記章きしょう

戦捷せんしょう記章きしょう

Allied First World War Victory Medal

大正たいしょう9ねん9がつ17にち

大正たいしょう3乃至ないし大正たいしょう9ねん戦役せんえきだいいち世界せかい大戦たいせん)の同盟どうめいおよ連合れんごうこく勝利しょうり記念きねん国際こくさいひょうしょうとして特別とくべつもうけられたあきらである(どうだい1じょう)。大正たいしょう3ねん8がつ23にちより大正たいしょう9ねん1がつ9にちまであいだいて戦役せんえきかんする軍務ぐんむ従事じゅうじし、功績こうせき顕著けんちょ戦闘せんとういん授与じゅよされた(どうだい3じょう)。青銅せいどうせい原型げんけい製作せいさくはた正吉まさきち[ちゅう 2][7]連合れんごうこく各国かっこくおなじ綬(リボン)を使用しようしている。

第一回国勢調査記念章
だいいちかい国勢調査こくせいちょうさ記念きねんあきら

ファイル:First National Census Medal Ribbon.jpg.jpg
[ちゅう 3]

だいいちかい国勢調査こくせいちょうさ記念きねんあきら

First National Census Medal

明治めいじ22ねん8がつ3にち

制定せいてい法令ほうれい大正たいしょう10ねん6がつ17にちみことのりれいだい272ごうだいいちかい国勢調査こくせいちょうさ記念きねんしょう制定せいていけん」。だいいちかい国勢調査こくせいちょうさ実施じっし記念きねん表彰ひょうしょうとして制定せいていどうだい1じょう)。だいいちかい国勢調査こくせいちょうさ関与かんよしたもの授与じゅよ対象たいしょうとした(どうだい3じょう)。青銅せいどうせい[7]

大礼記念章(昭和)
大礼たいれい記念きねんあきら昭和しょうわ

大礼たいれい記念きねんあきら昭和しょうわ

Showa Enthronement Medal

昭和しょうわ3ねん8がつ1にち

昭和しょうわ天皇てんのう即位そくい大礼たいれい記念きねん表彰ひょうしょうとして制定せいていどうだい1じょう)。授与じゅよ対象たいしょう践祚せんそしきどうだい3じょう1ごうならびに即位そくい大礼たいれいおよ大嘗祭だいじょうさいどう2ごう)にまねかれたもの在所ざいしょ各地かくちいて餐餌をたまわったものどう3ごう)、大礼たいれい事務じむおよともな要務ようむ関与かんよしたものどう4ごう)。かねぎんどうせい原型げんけい製作せいさくはた正吉まさきちひょう)と山田やまだ甲子きのえねゆううら[7]

帝都復興記念章
帝都ていと復興ふっこう記念きねんあきら

帝都ていと復興ふっこう記念きねんあきら

Capital Rehabilitation Commemorative Medal

明治めいじ22ねん8がつ3にち

制定せいてい法令ほうれい昭和しょうわ5ねん8がつ13にちみことのりれいだい148ごう帝都ていと復興ふっこう記念きねんしょうれい」。関東大震災かんとうだいしんさいからの復興ふっこう記念きねんしてに制定せいていされ(どうだい1じょう)、帝都ていと復興ふっこう事業じぎょう直接ちょくせつまたともな要務ようむ関与かんよしたものどうだい3じょう1ごう2ごう)に授与じゅよされた(どうだい3じょう)。銀製ぎんせい原型げんけい製作せいさくはた正吉まさきち[7]

朝鮮ちょうせん昭和しょうわねん国勢調査こくせいちょうさ記念きねんあきら
朝鮮ちょうせん昭和しょうわねん国勢調査こくせいちょうさ記念きねんあきら

[ちゅう 3]

朝鮮ちょうせん昭和しょうわねん国勢調査こくせいちょうさ記念きねんあきら

Korean Census Commemorative Medal

昭和しょうわ7ねん7ねん7がつ18にち

朝鮮ちょうせんける昭和しょうわ5ねん国勢調査こくせいちょうさ実施じっし記念きねん表彰ひょうしょうとして制定せいていされ(どうだい1じょう)、調査ちょうさ関与かんよしたもの授与じゅよされた(どうだい3じょう)。青銅せいどうせい裏面りめん原型げんけい製作せいさく宮島みやじま久七きゅうしち[7]

紀元二千六百年祝典記念章
紀元きげんせんろくひゃくねん祝典しゅくてん記念きねんあきら

紀元きげんせんろくひゃくねん祝典しゅくてん記念きねんあきら

2600th National Anniversary Commemorative Medal

昭和しょうわ15ねん7がつ27にち

紀元きげんせんろくひゃくねん記念きねんして制定せいていどうだい1じょう)。授与じゅよ対象たいしょうしゃどうだい3じょう)は昭和しょうわ15ねん紀元節きげんせつまた紀元きげんせんろくひゃくねん式典しきてんまねかれたものどう1ごう2ごう)、およ式典しきてん事務じむならびに要務ようむ関与かんよしたものどう3ごう)。アルミニュウム青銅せいどうせい原型げんけい製作せいさくはた正吉まさきち[7]造幣局ぞうへいきょく納入のうにゅうすうやく20まん[10]

ささえ事変じへん記念きねんあきら
ささえ事変じへん記念きねんあきら

[ちゅう 4]

ささえ事変じへん記念きねんあきら

Imperial Constitution Promulgation Medal

昭和しょうわ17ねん9がつ26にち制定せいてい昭和しょうわ21ねん3がつ29にち廃止はいし

ささえ事変じへん従軍じゅうぐん記章きしょう対象たいしょうしゃではないが、ささえ事変じへん遂行すいこうかんして特別とくべつ貢献こうけんがあったもの対象たいしょうとされた(どうだい3こう)。青銅せいどうせい原型げんけい製作せいさく加藤かとう正巳まさみ[7]

廃止はいしされた日本にっぽん勲章くんしょうとう[編集へんしゅう]

金鵄勲章きんしくんしょう[編集へんしゅう]

画像がぞう

名称めいしょう (日本語にほんご/英語えいご)

開始かいしおよ改正かいせい

概要がいよう

金鵄勲章きんしくんしょう

Order of the Golden Kite

1890ねん2がつ11にち開始かいし、1892ねん9がつ29にち改正かいせい、1947ねん5がつ3にち廃止はいし

授与じゅよ対象たいしょう大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん軍人ぐんじん軍属ぐんぞく金鵄きんしあきらとも。こうきゅう金鵄勲章きんしくんしょう以下いかふくしょう存在そんざいしない。また1892ねんよりこうきゅうわせて年金ねんきん下賜かしされた。「金鵄きんし」という名前なまえ由来ゆらいは、神武じんむ天皇てんのう東征とうせいさいに、神武じんむゆみの弭にとまった黄金おうごんしょくトビとび)がひかかがやき、ちょうずいぐんくらませたという日本にっぽん神話しんわ伝説でんせつもとづく。

功一級金鵄勲章
こういちきゅう金鵄勲章きんしくんしょう

こういちきゅう金鵄勲章きんしくんしょう

Order of the Golden Kite, 1st Class

1890ねん2がつ11にち開始かいし、1892ねん9がつ29にち改正かいせい、1947ねん5がつ3にち廃止はいし

天皇てんのうちょく隷部たい将官しょうかんおや補職ほしょく)たる司令しれいかんたいして特別とくべつ詮議せんぎうえ授与じゅよだい綬を左肩ひだりかたからみぎわきしだれ、ふくしょうひだりあばら佩用はいようする。年金ねんきんがく900えん

功二級金鵄勲章
こうきゅう金鵄勲章きんしくんしょう

こうきゅう金鵄勲章きんしくんしょう

Order of the Golden Kite, 2nd Class

1890ねん2がつ11にち開始かいし、1892ねん9がつ29にち改正かいせい、1947ねん5がつ3にち廃止はいし

功労こうろうある将官しょうかん佐官さかん最高さいこうこうきゅう正章まさあきこういちきゅう金鵄勲章きんしくんしょうふくしょうおなじ)をみぎあばら佩用はいようする。年金ねんきんがく650えん

こうさんきゅう金鵄勲章きんしくんしょう
こうさんきゅう金鵄勲章きんしくんしょう

こうさんきゅう金鵄勲章きんしくんしょう

Order of the Golden Kite, 3rd Class

1890ねん2がつ11にち開始かいし、1892ねん9がつ29にち改正かいせい、1947ねん5がつ3にち廃止はいし

将官しょうかんはつじょ功労こうろうある佐官さかん尉官いかん最高さいこうこうきゅうちゅう綬をくび佩用はいようする。

こうよんきゅう金鵄勲章きんしくんしょう
こうよんきゅう金鵄勲章きんしくんしょう

こうよんきゅう金鵄勲章きんしくんしょう

Order of the Golden Kite, 4th Class

1890ねん2がつ11にち開始かいし、1892ねん9がつ29にち改正かいせい、1947ねん5がつ3にち廃止はいし

佐官さかんはつじょせられるこうきゅう功労こうろうある尉官いかんじゅん士官しかん下士官かしかん最高さいこうこうきゅうしょう綬をひだりむね佩用はいようする。年金ねんきんがく210えん

功五級金鵄勲章
こうきゅう金鵄勲章きんしくんしょう

こうきゅう金鵄勲章きんしくんしょう

Order of the Golden Kite, 5th Class

1896ねん4がつ13にち開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

尉官いかんはつじょせられるこうきゅうじゅん士官しかん下士官かしかんなか功労こうろうかさねたものこうきゅう。またへい最高さいこうこうきゅうしょう綬をひだりむね佩用はいようする。年金ねんきんがく140えん

こうろくきゅう金鵄勲章きんしくんしょう
こうろくきゅう金鵄勲章きんしくんしょう

こうろくきゅう金鵄勲章きんしくんしょう

Order of the Golden Kite, 6th Class

1896ねん4がつ13にち開始かいし、2003ねん11月3にち改正かいせい

じゅん士官しかん下士官かしかんはつじょせられるこうきゅう。また功労こうろうあるへいこうきゅうしょう綬をひだりむね佩用はいようする。年金ねんきんがく90えん

功七級金鵄勲章
こうななきゅう金鵄勲章きんしくんしょう

こうななきゅう金鵄勲章きんしくんしょう

Order of the Golden Kite, 7th Class

1896ねん4がつ13にち開始かいし、2003ねん11月3にち廃止はいし

へいはつじょせられるこうきゅうしょう綬をひだりむね佩用はいようする。年金ねんきんがく65えん

武功ぶこうあきら[編集へんしゅう]

画像がぞう

名称めいしょう (日本語にほんご/英語えいご)

開始かいしおよ改正かいせい

概要がいよう

武功ぶこうあきら
武功ぶこうあきら

武功ぶこうあきら

Badge for Military Merit

1944ねん開始かいし太平洋戦争たいへいようせんそう終戦しゅうせんにより廃止はいし

武功ぶこうあきら太平洋戦争たいへいようせんそうなか大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん制定せいていされたさかえあきら金鵄勲章きんしくんしょうなら栄誉えいよとされた。ヨーロッパ諸国しょこく軍事ぐんじ勲章くんしょうえい: Military Order)が戦争せんそう継続けいぞくちゅうでも随時ずいじ叙勲じょくんおこなわれるのにたいし、日本にっぽん金鵄勲章きんしくんしょう戦死せんししゃ以外いがいたいする叙勲じょくんは、原則げんそくとして戦争せんそう終了しゅうりょう論功行賞ろんこうこうしょうおこなわれ、その結果けっかによりおこなわれていた。また、戦場せんじょういて顕著けんちょはたらきのあった将兵しょうへいたいしてその都度つど授与じゅよされる各種かくしゅ戦功せんこうあきら(えい: Military decoration[11])がほとんどのくに軍隊ぐんたいでは制定せいていされているが、日本にっぽんでは制定せいていされていなかった。しかし、だい東亜とうあ戦争せんそう長期ちょうきしたため、前線ぜんせんたたかつづける将兵しょうへい功績こうせき顕彰けんしょうする制度せいどいことに不都合ふつごうしょうじるようになった。そこで陸軍りくぐん昭和しょうわ19ねん1944ねん)、武功ぶこうしょう制定せいていした。武功ぶこうあきら当時とうじ同盟どうめいこくであったドイツてつじゅうあきら影響えいきょうけており、くろ古代こだいだて縦横じゅうおう交差こうささせた構図こうずどうしょう類似るいじし、佩用はいようしきおよ着用ちゃくよう規定きてい一級いっきゅうてつじゅうあきらちかい。そのため勲章くんしょうちがい、飛行ひこうふくにも着用ちゃくようされた。一方いっぽう将校しょうこうよう下士官かしかんへいようけられているてんてつじゅうあきら根本こんぽんてきことなる[12]

従軍じゅうぐん記章きしょう[編集へんしゅう]

画像がぞう

名称めいしょう (日本語にほんご/英語えいご)

開始かいしおよ改正かいせい

概要がいよう

従軍じゅうぐん記章きしょう

Military Medal of Honor

1875ねん開始かいし

従軍じゅうぐん記章きしょう日本にっぽん参戦さんせんした戦役せんえき事変じへんかかわった人物じんぶつへ、これを顕彰けんしょうするために日本にっぽんこくからおくられる、欧米おうべいの”Campaign medal”に相当そうとうする記章きしょうである。軍功ぐんこう如何いか階級かいきゅう関係かんけいなく、また軍人ぐんじんおよ軍属ぐんぞくかぎらず要件ようけんたせば文民ぶんみん民間みんかんじんにもひろ授与じゅよされる。その佩用はいよう本人ほんにんかぎり、子孫しそんおよばない。自衛隊じえいたいでは防衛ぼうえい記念きねんあきら一部いちぶがこれに相当そうとうする。

明治めいじななねん従軍じゅうぐん記章きしょう
明治めいじななねん従軍じゅうぐん記章きしょう

明治めいじななねん従軍じゅうぐん記章きしょう

1874 Formosa Expedition War Medal

1875ねん

台湾たいわん出兵しゅっぺい

明治めいじじゅうななはちねん従軍じゅうぐん記章きしょう
明治めいじじゅうななはちねん従軍じゅうぐん記章きしょう

明治めいじじゅうななはちねん従軍じゅうぐん記章きしょう

1894-95 Sino-Japanese War Medal

1894ねん

にちしん戦争せんそう

明治めいじさんじゅうさんねん従軍じゅうぐん記章きしょう
明治めいじさんじゅうさんねん従軍じゅうぐん記章きしょう

明治めいじさんじゅうさんねん従軍じゅうぐん記章きしょう

1900 Boxer War Medal

1900ねん

きたきよし事変じへん

明治三十七八年従軍記章
明治めいじさんじゅうななはちねん従軍じゅうぐん記章きしょう

明治めいじさんじゅうななはちねん従軍じゅうぐん記章きしょう

1904-05 Russo-Japanese War Medal

1875ねん

にち戦争せんそう

大正たいしょうさんよんねん従軍じゅうぐん記章きしょう
大正たいしょうさんよんねん従軍じゅうぐん記章きしょう

大正たいしょうさんよんねん従軍じゅうぐん記章きしょう大正たいしょうさんねん乃至ないしきゅうねん戦役せんえき従軍じゅうぐん記章きしょう

1914-20 First World War Medal

1914ねん

だいいち世界せかい大戦たいせんシベリア出兵しゅっぺい

昭和しょうわろくねん乃至ないしきゅうねん従軍じゅうぐん記章きしょう
昭和しょうわろくねん乃至ないしきゅうねん従軍じゅうぐん記章きしょう

昭和しょうわろくねん乃至ないしきゅうねん従軍じゅうぐん記章きしょう

1931-34 China Incident War Medal

1931ねん

まんしゅう事変じへんだいいち上海しゃんはい事変じへん

国境事変従軍記章
国境こっきょう事変じへん従軍じゅうぐん記章きしょう
略綬りゃくじゅ不明ふめい

国境こっきょう事変じへん従軍じゅうぐん記章きしょう

1939 The Border War Medal

1939ねん

ノモンハン事件じけん正式せいしきには満州まんしゅうこく制定せいてい発行はっこう従軍じゅうぐん記章きしょうであるが、大半たいはん授与じゅよしゃ日本にっぽん軍人ぐんじん

支那事変従軍記章
ささえ事変じへん従軍じゅうぐん記章きしょう

[ちゅう 4]

ささえ事変じへん従軍じゅうぐん記章きしょう

1942 China Incident War Medal

1937ねん開始かいし、1954ねん廃止はいし失効しっこう

ささえ事変じへん

だい東亜とうあ戦争せんそう従軍じゅうぐん記章きしょう
だい東亜とうあ戦争せんそう従軍じゅうぐん記章きしょう

だい東亜とうあ戦争せんそう従軍じゅうぐん記章きしょう

1941-45 Great East Asia War Medal

1944ねん

だい東亜とうあ戦争せんそう従軍じゅうぐん記章きしょうとして計画けいかく準備じゅんびされていたが、だい世界せかい大戦たいせん敗戦はいせんによる陸海りくかいぐん解体かいたいともな授与じゅよされず生産せいさんぶん大半たいはん破棄はきされた。

参照さんしょう[編集へんしゅう]

  1. ^ 内閣ないかく (1963ねん昭和しょうわ38ねん)7がつ12にち). “勲章くんしょう記章きしょう褒章ほうしょうとう授与じゅよおよ伝達でんたつしきれい”. 2011ねん7がつ18にち閲覧えつらん
  2. ^ 内閣ないかく (2006ねん平成へいせい18ねん)10がつ27にち). “勲章くんしょう記章きしょう褒章ほうしょうとう授与じゅよおよ伝達でんたつしきれい”. 2011ねん7がつ18にち閲覧えつらん
  3. ^ 文化ぶんか勲章くんしょう単一たんいつきゅうであるため、その位置いちづけはかりにくい。ながらく「勲一等くんいっとうくんとうあいだ」とられてきた。しかし、現在げんざいでは勲章くんしょうの「だい綬章じゅしょうみ(かつての「勲一等くんいっとうみ)とるむきもある。なぜならば、「だい綬章じゅしょう以上いじょう天皇てんのうからわたされる「親授しんじゅ」であるところ、文化ぶんか勲章くんしょう創設そうせつ60ねんの1997ねん平成へいせい9ねん以降いこう親授しんじゅされているからである。(参照さんしょう:栗原くりはら俊雄としおちょ勲章くんしょう られざる素顔すがお』、岩波いわなみ新書しんしょ、2011ねん。)
  4. ^ なお、救助きゅうじょ活動かつどうおこなっても、ちからおよばずよう救助きゅうじょしゃ落命らくめいした場合ばあいには授与じゅよされない。
  5. ^ 岩倉いわくらふじかし p100
  6. ^ 栄典えいてん制度せいどかたかんする懇談こんだんかい報告ほうこくしょ』(平成へいせい13ねん10がつ29にちだい2しょうだい6せつ
  7. ^ a b c d e f g h i j k l 造幣局ぞうへいきょくひゃくねん資料しりょうへん p 384
  8. ^ a b 造幣局ぞうへいきょくひゃくねん資料しりょうへん p 379
  9. ^ 造幣局ぞうへいきょくひゃくねん p 220
  10. ^ 造幣局ぞうへいきょくひゃくねん p 281
  11. ^ Military decorationには従軍じゅうぐん記章きしょう(Campaign medal)とうふくまれるが、その戦功せんこうたいして授与じゅよされる各種かくしゅしょうほとんどのくに制定せいていされている。その制度せいどくにによってことなる。
  12. ^ てつじゅうあきらは、戦役せんえき参加さんかした将兵しょうへいたいし、階級かいきゅう関係かんけいなく平等びょうどう戦功せんこうたたえるというのが制定せいていされた本来ほんらい趣旨しゅしである。
  1. ^ a b 大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう発布はっぷ記念きねんしょう略綬りゃくじゅ旭日きょくじつきりはなしょうのものとおなじ。
  2. ^ 東京とうきょう高等こうとう工芸こうげい学校がっこう教授きょうじゅ彫刻ちょうこく研究所けんきゅうじょ初代しょだい所長しょちょう[9]
  3. ^ a b パターンはおなじだが、寸法すんぽう単位たんいことなる。
  4. ^ a b 綬はおなじ。