日本 にっぽん の勲章 くんしょう 等 とう の一覧 いちらん 。
日本 にっぽん の勲章 くんしょう [ 編集 へんしゅう ]
大 だい 勲 くん 位 い 菊花 きっか 章 あきら [ 編集 へんしゅう ]
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名称 めいしょう (日本語 にほんご /英語 えいご )
開始 かいし 及 およ び改正 かいせい
概要 がいよう
大 だい 勲 くん 位 い 菊花 きっか 大 だい 綬章 じゅしょう 副 ふく 章 あきら
大 だい 勲 くん 位 い 菊花 きっか 章 あきら Supreme Orders of the Chrysanthemum
1876年 ねん 12月27日 にち
日本 にっぽん の明治 めいじ 時代 じだい 以降 いこう の栄典 えいてん 制度 せいど における最高 さいこう 位 い の勲章 くんしょう 。大 だい 勲 くん 位 い 菊花 きっか 章 あきら 頸飾と大 だい 勲 くん 位 い 菊花 きっか 大 だい 綬章 じゅしょう の2種類 しゅるい があるが、実際 じっさい には頸飾・大 だい 綬章 じゅしょう の副 ふく 章 しょう として運用 うんよう され単独 たんどく で授与 じゅよ された例 れい はなく、2003年 ねん の改正 かいせい により正章 まさあき (頸飾と大 だい 綬章 じゅしょう )と副 ふく 章 あきら という形 かたち となっている。
大 だい 勲 くん 位 い 菊花 きっか 章 あきら 頸飾
大 だい 勲 くん 位 い 菊花 きっか 章 あきら 頸飾Collar of the Supreme Order of the Chrysanthemum
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち
制定 せいてい 時 じ から今日 きょう に至 いた るまで最高 さいこう 位 い の勲章 くんしょう で、唯一 ゆいいつ 全 すべ ての構成 こうせい 部品 ぶひん が純金 じゅんきん 製 せい の勲章 くんしょう で、副 ふく 章 あきら (純銀 じゅんぎん 製 せい )と合 あ わせると491.5グラムの重 おも さがある。また純金 じゅんきん 使用 しよう のため、製造 せいぞう 原価 げんか が非常 ひじょう に高 たか い。
大 だい 勲 くん 位 い 菊花 きっか 大 だい 綬章 じゅしょう
大 だい 勲 くん 位 い 菊花 きっか 大 だい 綬章 じゅしょう Grand Cordon of the Supreme Order of the Chrysanthemum
1876年 ねん 12月27日 にち
最高 さいこう 位 い である大 だい 勲 くん 位 い 菊花 きっか 章 あきら 頸飾に次 つ ぐ勲章 くんしょう 。イギリスのガーター勲章 くんしょう やスウェーデンのセラファン勲章 くんしょう 、またデンマークの白 しろ 像 ぞう 勲章 くんしょう など、当時 とうじ 王室 おうしつ 国家 こっか の多 おお くが、普通 ふつう 勲章 くんしょう の上 うえ に制定 せいてい していた最高 さいこう 位 い 勲章 くんしょう の類 るい に倣 なら い制定 せいてい されたものである。
桐 きり 花 はな 章 あきら (旧 きゅう 勲一等 くんいっとう 旭日 きょくじつ 桐 きり 花 はな 大 だい 綬章 じゅしょう )[ 編集 へんしゅう ]
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名称 めいしょう (日本語 にほんご /英語 えいご )
開始 かいし 及 およ び改正 かいせい
概要 がいよう
桐 きり 花 はな 大 だい 綬章 じゅしょう
桐 きり 花 はな 大 だい 綬章 じゅしょう (旧 きゅう 勲一等 くんいっとう 旭日 きょくじつ 桐 きり 花 はな 大 だい 綬章 じゅしょう )Grand Cordon of the Order of the Paulownia Flowewrs
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
旭日大綬章 あさひだいじゅしょう または瑞 みず 宝 たから 大 だい 綬章 じゅしょう を授与 じゅよ されるべき者 もの のうち、勲 くん 績 う または功労 こうろう が特 とく に優 すぐ れた者 もの に授与 じゅよ される。旭日 きょくじつ 章 しょう の性格 せいかく から、女性 じょせい への授与 じゅよ は出来 でき なかったが、改正 かいせい によって旭日 きょくじつ 章 あきら とは別個 べっこ の「桐 きり 花 はな 章 あきら 」になったため、これまでの旭日 きょくじつ 章 あきら との併佩が可能 かのう となったほか、性別 せいべつ 問 と わず授与 じゅよ できることとなった。
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名称 めいしょう (日本語 にほんご /英語 えいご )
開始 かいし 及 およ び改正 かいせい
概要 がいよう
旭日 きょくじつ 章 あきら Orders of the Rising Sun
1875年 ねん 4月 がつ 10日 とおか 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
国家 こっか または公共 こうきょう に対 たい し勲 くん 績ある者 もの に授与 じゅよ する。日本 にっぽん で最初 さいしょ の勲章 くんしょう である。2003 年 とし の改正 かいせい では、勲等 くんとう の表示 ひょうじ をやめ、桐 きり 花 はな 大 だい 綬章 じゅしょう を旭日 きょくじつ 章 しょう の上 うえ の桐 きり 花 はな 章 あきら とするなど、大幅 おおはば に整理 せいり され、旭日 きょくじつ 章 あきら は6等級 とうきゅう で運用 うんよう されることとなった。 また、旭日 きょくじつ 章 しょう の対象 たいしょう は男性 だんせい に限 かぎ られてきたが、この改正 かいせい の際 さい に男女 だんじょ 等 ひと しく授与 じゅよ される勲章 くんしょう となった。
旭日大綬章 あさひだいじゅしょう [注 ちゅう 1]
旭日大綬章 あさひだいじゅしょう (旧 きゅう 勲一等 くんいっとう 旭日大綬章 あさひだいじゅしょう )Grand Cordon of the Order of the Rising Sun
1875年 ねん 4月 がつ 10日 とおか 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
大 だい 綬を右肩 みぎかた から左 ひだり 脇 わき に垂 しだ れ、副 ふく 章 あきら (旭日重光章 きょくじつじゅうこうしょう の正章 まさあき と同 おな じ)を左 ひだり 胸 むね に佩用 はいよう する。2003年 ねん (平成 へいせい 15年 ねん )11月3日 にち に漢 かん 数字 すうじ による勲等 くんとう 表示 ひょうじ が廃止 はいし され、同日 どうじつ 以後 いご に授与 じゅよ されるものは旭日大綬章 あさひだいじゅしょう と改 あらた められた。
旭日重光章 きょくじつじゅうこうしょう (旧 きゅう 勲 くん 二 に 等 とう 旭日重光章 きょくじつじゅうこうしょう )The Order of the Rising Sun, Gold and Silver Star
1875年 ねん 4月 がつ 10日 とおか 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
正章 まさあき は旭日大綬章 あさひだいじゅしょう の副 ふく 章 しょう であり、副 ふく 章 しょう は旭日 きょくじつ 中 ちゅう 綬章 じゅしょう である。
旭日 きょくじつ 中 ちゅう 綬章 じゅしょう (旧 きゅう 勲 くん 三 さん 等 とう 旭日 きょくじつ 中 ちゅう 綬章 じゅしょう )The Order of the Rising Sun, Gold Rays with Neck Ribbon
1875年 ねん 4月 がつ 10日 とおか 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
旭日 きょくじつ 小 しょう 綬章 じゅしょう
旭日 きょくじつ 小 しょう 綬章 じゅしょう (旧 きゅう 勲 くん 四 よん 等 とう 旭日 きょくじつ 小 しょう 綬章 じゅしょう )The Order of the Rising Sun, Gold Rays with Rosette
1875年 ねん 4月 がつ 10日 とおか 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
旭日 きょくじつ 双 そう 光章 みつあき 旭日 きょくじつ 双 そう 光章 みつあき
旭日 きょくじつ 双 そう 光章 みつあき (旧 きゅう 勲 くん 五等双光旭日章)The Order of the Rising Sun, Gold and Silver Rays
1875年 ねん 4月 がつ 10日 とおか 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
旭日 きょくじつ 小 しょう 綬章 じゅしょう に同 おな じだが、中央 ちゅうおう の丸 まる い綬(リボン)が無 な い。
旭日 きょくじつ 単 たん 光章 みつあき 旭日 きょくじつ 単 たん 光章 みつあき
旭日 きょくじつ 単 たん 光章 みつあき (旧 きゅう 勲 くん 六等単光旭日章)The Order of the Rising Sun, Silver Rays
1875年 ねん 4月 がつ 10日 とおか 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
旭日 きょくじつ 双 そう 光章 みつあき にほぼ同 おな じだが、略綬 りゃくじゅ が異 こと なり、若干 じゃっかん 小 ちい さく、外 そと 枠 わく は銀色 ぎんいろ である。
勲 くん 七 なな 等 とう 青色 あおいろ 桐 きり 葉 は 章 あきら The Order of the Rising Sun, Green Paulownia Leaves Medal
1875年 ねん 4月 がつ 10日 とおか 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 廃止 はいし
勲 くん 八 はち 等 とう 白色 はくしょく 桐 きり 葉 は 章 あきら
勲 くん 八 はち 等 とう 白色 はくしょく 桐 きり 葉 は 章 あきら The Order of the Rising Sun, White Paulownia Leaves Medal
1875年 ねん 4月 がつ 10日 とおか 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 廃止 はいし
勲 くん 七等青色桐葉章に同 おな じだが、白色 はくしょく で、略綬 りゃくじゅ が異 こと なる。
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名称 めいしょう (日本語 にほんご /英語 えいご )
開始 かいし 及 およ び改正 かいせい
概要 がいよう
瑞宝章 ずいほうしょう Orders of the Sacred Treasure
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち 開始 かいし 、1919年 ねん 5月 がつ 22日 にち 改正 かいせい 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
国家 こっか または公共 こうきょう に対 たい し積年 せきねん の功労 こうろう ある者 もの に授与 じゅよ する。制定 せいてい 当時 とうじ は瑞宝章 ずいほうしょう も男性 だんせい のみが授与 じゅよ 対象 たいしょう とされていたが、大正 たいしょう 8(1919)年 ねん に女性 じょせい にも等 ひと しく授与 じゅよ されるようになった。平成 へいせい 15年 ねん 5月 がつ 20日 はつか 閣議 かくぎ 決定 けってい (勲章 くんしょう の授与 じゅよ 基準 きじゅん )により、勲等 くんとう が数字 すうじ での表示 ひょうじ されていたものが瑞 みず 宝 たから 大 だい 綬章 じゅしょう 、瑞 みず 宝 たから 重光 しげみつ 章 あきら 、瑞 みず 宝 たから 中 ちゅう 綬章 じゅしょう 、瑞 みず 宝 たから 小 しょう 綬章 じゅしょう 、瑞 みず 宝 たから 双 そう 光章 みつあき 、瑞 みず 宝 たから 単 たん 光章 みつあき と名称 めいしょう 表記 ひょうき に改 あらた められると共 とも に、勲 くん 7等 とう 及 およ び8等 とう が廃止 はいし され、6等級 とうきゅう とされた。 綬は、白 しろ いものから改正 かいせい により青 あお いものになった。
瑞 みず 宝 たから 大 だい 綬章 じゅしょう 瑞 みず 宝 たから 大 だい 綬章 じゅしょう
瑞 みず 宝 たから 大 だい 綬章 じゅしょう (旧 きゅう 勲一等 くんいっとう 瑞宝章 ずいほうしょう )Grand Cordon of the Order of the Sacred Treasure
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち 開始 かいし 、1919年 ねん 5月 がつ 22日 にち 改正 かいせい 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
瑞 みず 宝 たから 重光 しげみつ 章 あきら
瑞 みず 宝 たから 重光 しげみつ 章 あきら (旧 きゅう 勲 くん 二 に 等 とう 瑞宝章 ずいほうしょう )The Order of the Sacred Treasure, Gold and Silver Star
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち 開始 かいし 、1919年 ねん 5月 がつ 22日 にち 改正 かいせい 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
正章 まさあき は瑞 みず 宝 たから 大 だい 綬章 じゅしょう の副 ふく 章 しょう で、副 ふく 章 しょう は瑞 みず 宝 たから 中 ちゅう 綬章 じゅしょう の正章 まさあき である。
瑞 みず 宝 たから 中 ちゅう 綬章 じゅしょう 瑞 みず 宝 たから 中 ちゅう 綬章 じゅしょう
瑞 みず 宝 たから 中 ちゅう 綬章 じゅしょう (旧 きゅう 勲 くん 三 さん 等 とう 瑞宝章 ずいほうしょう )The Order of the Sacred Treasure, Gold Rays with Neck Ribbon
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち 開始 かいし 、1919年 ねん 5月 がつ 22日 にち 改正 かいせい 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
瑞 みず 宝 たから 重光 しげみつ 章 あきら の副 ふく 章 しょう である。
瑞 みず 宝 たから 小 しょう 綬章 じゅしょう 瑞 みず 宝 たから 小 しょう 綬章 じゅしょう
瑞 みず 宝 たから 小 しょう 綬章 じゅしょう (旧 きゅう 勲 くん 四 よん 等 とう 瑞宝章 ずいほうしょう )The Order of the Sacred Treasure, Gold Rays with Rosette
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち 開始 かいし 、1919年 ねん 5月 がつ 22日 にち 改正 かいせい 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
瑞 みず 宝 たから 双 そう 光章 みつあき 瑞 みず 宝 たから 双 そう 光章 みつあき
瑞 みず 宝 たから 双 そう 光章 みつあき (旧 きゅう 勲 くん 五 ご 等 とう 瑞宝章 ずいほうしょう )The Order of the Sacred Treasure, Gold and Silver Rays
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち 開始 かいし 、1919年 ねん 5月 がつ 22日 にち 改正 かいせい 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
瑞 みず 宝 たから 単 たん 光章 みつあき 瑞 みず 宝 たから 単 たん 光章 みつあき
瑞 みず 宝 たから 単 たん 光章 みつあき (旧 きゅう 勲 くん 六 ろく 等 とう 瑞宝章 ずいほうしょう )The Order of the Sacred Treasure, Silver Rays
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち 開始 かいし 、1919年 ねん 5月 がつ 22日 にち 改正 かいせい 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
勲 くん 七 なな 等 とう 瑞宝章 ずいほうしょう 勲 くん 七 なな 等 とう 瑞宝章 ずいほうしょう
勲 くん 七 なな 等 とう 瑞宝章 ずいほうしょう The Order of the Sacred Treasure, Green Paulownia Leaves Medal
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち 開始 かいし 、1919年 ねん 5月 がつ 22日 にち 改正 かいせい 、2003年 ねん 11月3日 にち 廃止 はいし
勲 くん 八 はち 等 とう 瑞宝章 ずいほうしょう 勲 くん 八 はち 等 とう 瑞宝章 ずいほうしょう
勲 くん 八 はち 等 とう 瑞宝章 ずいほうしょう The Order of the Sacred Treasure, White Paulownia Leaves Medal
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち 開始 かいし 、1919年 ねん 5月 がつ 22日 にち 改正 かいせい 、2003年 ねん 11月3日 にち 廃止 はいし
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名称 めいしょう (日本語 にほんご /英語 えいご )
開始 かいし 及 およ び改正 かいせい
概要 がいよう
宝冠章 ほうかんしょう Orders of the Precious Crown
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち 開始 かいし 、1896年 ねん 4月 がつ 13日 にち 改正 かいせい 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
授与 じゅよ 対象 たいしょう は女性 じょせい のみ。女性 じょせい 皇族 こうぞく や外国 がいこく 人 じん に対 たい する儀礼 ぎれい 叙勲 じょくん 等 とう 、特別 とくべつ な場合 ばあい に限 かぎ り運用 うんよう される。1888年 ねん に勲一等 くんいっとう から勲 くん 五 ご 等 とう までを制定 せいてい 、後 ご の1896年 ねん に勲 くん 六 ろく 等 とう から勲 くん 八 はち 等 とう までが追加 ついか 制定 せいてい された。以後 いご 長 なが らく八 はち 等級 とうきゅう での運用 うんよう が行 おこな われていたが、2003年 ねん の栄典 えいてん 制度 せいど 改正 かいせい により勲 くん 七 なな 等 とう と勲 くん 八 はち 等 とう が廃止 はいし 、漢 かん 数字 すうじ による勲等 くんとう の表示 ひょうじ がなくなり、現在 げんざい では六 むっ つの級 きゅう での運用 うんよう である。
宝冠 ほうかん 大 だい 綬章 じゅしょう
宝冠 ほうかん 大 だい 綬章 じゅしょう (旧 きゅう 勲一等 くんいっとう 宝冠章 ほうかんしょう )Grand Cordon of the Order of the Precious Crown
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
宝冠 ほうかん 牡丹 ぼたん 章 あきら
宝冠 ほうかん 牡丹 ぼたん 章 あきら (旧 きゅう 勲 くん 二 に 等 とう 宝冠章 ほうかんしょう )The Order of the Precious Crown, Peony
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
宝冠 ほうかん 白 しろ 蝶 ちょう 章 あきら
宝冠 ほうかん 白 しろ 蝶 ちょう 章 あきら (旧 きゅう 勲 くん 三 さん 等 とう 宝冠章 ほうかんしょう )The Order of the Precious Crown, Butterfly
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
宝冠 ほうかん 藤花 ふじはな 章 あきら
宝冠 ほうかん 藤花 ふじはな 章 あきら (旧 きゅう 勲 くん 四 よん 等 とう 宝冠章 ほうかんしょう )The Order of the Precious Crown, Wistaria
1888年 ねん 1月 がつ 4日 にち 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
宝冠 ほうかん 杏 あんず 葉 は 章 あきら
宝冠 ほうかん 杏 あんず 葉 は 章 あきら (旧 きゅう 勲 くん 五 ご 等 とう 宝冠章 ほうかんしょう )The Order of the Precious Crown, Apricot
1896年 ねん 4月 がつ 13日 にち 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
宝冠 ほうかん 波 は 光章 みつあき 宝冠 ほうかん 波 は 光章 みつあき
宝冠 ほうかん 波 は 光章 みつあき (旧 きゅう 勲 くん 六 ろく 等 とう 宝冠章 ほうかんしょう )The Order of the Precious Crown, Ripple
1896年 ねん 4月 がつ 13日 にち 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
勲 くん 七 なな 等 とう 宝冠章 ほうかんしょう 勲 くん 七 なな 等 とう 宝冠章 ほうかんしょう
勲 くん 七 なな 等 とう 宝冠章 ほうかんしょう The Order of the Precious Crown, Medal
1896年 ねん 4月 がつ 13日 にち 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 廃止 はいし
勲 くん 八 はち 等 とう 宝冠章 ほうかんしょう 勲 くん 八 はち 等 とう 宝冠章 ほうかんしょう
勲 くん 八 はち 等 とう 宝冠章 ほうかんしょう The Order of the Precious Crown, Medal
1896年 ねん 4月 がつ 13日 にち 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 廃止 はいし
勲章 くんしょう の序列 じょれつ と授与 じゅよ ・伝達 でんたつ [ 編集 へんしゅう ]
各 かく 勲章 くんしょう の序列 じょれつ 、および勲章 くんしょう の授与 じゅよ ・伝達 でんたつ 式 しき 例 れい は、以下 いか の通 とお り[1] [2] 。
序列 じょれつ
勲章 くんしょう
授与 じゅよ ・伝達 でんたつ
参照 さんしょう (旧 きゅう 制度 せいど の勲等 くんとう )
1
大 だい 勲 くん 位 い 菊花 きっか 章 あきら 頸飾
宮中 きゅうちゅう において、その授与 じゅよ 式 しき を行 おこな い、天皇 てんのう が親授 しんじゅ する。
大 だい 勲 くん 位 い
2
大 だい 勲 くん 位 い 菊花 きっか 大 だい 綬章 じゅしょう
3
桐 きり 花 はな 大 だい 綬章 じゅしょう
勲一等 くんいっとう
4
旭日大綬章 あさひだいじゅしょう
瑞 みず 宝 たから 大 だい 綬章 じゅしょう
宝冠 ほうかん 大 だい 綬章 じゅしょう
文化 ぶんか 勲章 くんしょう [3]
5
旭日重光章 きょくじつじゅうこうしょう
瑞 みず 宝 たから 重光 しげみつ 章 あきら
宝冠 ほうかん 牡丹 ぼたん 章 あきら
-
宮中 きゅうちゅう において、内閣 ないかく 総理 そうり 大臣 だいじん が受章 じゅしょう 者 しゃ に伝達 でんたつ する。
勲 くん 二 に 等 とう
6
旭日 きょくじつ 中 ちゅう 綬章 じゅしょう
瑞 みず 宝 たから 中 ちゅう 綬章 じゅしょう
宝冠 ほうかん 白 しろ 蝶 ちょう 章 あきら
-
内閣 ないかく 総理 そうり 大臣 だいじん の命 いのち を受 う け、内閣 ないかく 府 ふ 賞 しょう 勲 くん 局長 きょくちょう が所管 しょかん 大臣 だいじん に伝達 でんたつ し、所管 しょかん 大臣 だいじん が適宜 てきぎ 受章 じゅしょう 者 しゃ に伝達 でんたつ する。
勲 くん 三 さん 等 とう
7
旭日 きょくじつ 小 しょう 綬章 じゅしょう
瑞 みず 宝 たから 小 しょう 綬章 じゅしょう
宝冠 ほうかん 藤花 ふじはな 章 あきら
-
勲 くん 四 よん 等 とう
8
旭日 きょくじつ 双 そう 光章 みつあき
瑞 みず 宝 たから 双 そう 光章 みつあき
宝冠 ほうかん 杏 あんず 葉 は 章 あきら
-
勲 くん 五 ご 等 とう
9
旭日 きょくじつ 単 たん 光章 みつあき
瑞 みず 宝 たから 単 たん 光章 みつあき
宝冠 ほうかん 波 は 光章 みつあき
-
勲 くん 六 ろく 等 とう
10
-
-
勲 くん 七 なな 等 とう
11
-
-
勲 くん 八 はち 等 とう
日本 にっぽん の褒章 ほうしょう [ 編集 へんしゅう ]
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名称 めいしょう (日本語 にほんご /英語 えいご )
開始 かいし 及 およ び改正 かいせい
概要 がいよう
褒章 ほうしょう
褒章 ほうしょう Medals of Honour
1882年 ねん 1月 がつ 1日 にち 開始 かいし 、2003年 ねん 改正 かいせい
褒章 ほうしょう とは、社会 しゃかい や公共 こうきょう の福祉 ふくし 、文化 ぶんか などに貢献 こうけん した者 もの を顕彰 けんしょう する日本 にっぽん の栄典 えいてん の一 ひと つ。対象 たいしょう となる事績 じせき により、紅綬 こうじゅ 褒章 ほうしょう 、緑 みどり 綬褒章 あきら 、黄綬 おうじゅ 褒章 ほうしょう 、紫綬褒章 しじゅほうしょう 、藍綬 らんじゅ 褒章 ほうしょう 、紺綬 こんじゅ 褒章 ほうしょう の6種類 しゅるい がある。
紅綬 こうじゅ 褒章 ほうしょう (こうじゅほうしょう)Medal with Red Ribbon
1882年 ねん 1月 がつ 1日 にち 開始 かいし
「自己 じこ の危難 きなん を顧 かえり みず人命 じんめい の救助 きゅうじょ に尽力 じんりょく したる者 もの 」に授与 じゅよ される[4] 。
緑 みどり 綬褒章 あきら (りょくじゅほうしょう)Medal with Green Ribbon
1882年 ねん 1月 がつ 1日 にち 開始 かいし
「自 みずか ら進 すす んで社会 しゃかい に奉仕 ほうし する活動 かつどう に従事 じゅうじ し徳行 とっこう 顕著 けんちょ なる者 もの 」に授与 じゅよ される。当初 とうしょ は「孝子 たかこ ・順 じゅん 孫 まご ・節婦 せっぷ ・義僕 ぎぼく の徳行 とっこう 卓絶 たくぜつ なる者 もの 又 また は実業 じつぎょう に精励 せいれい し衆 しゅ 民 みん の模範 もはん たるべき者 しゃ 」に授与 じゅよ することとされていた。 1955年 ねん の栄典 えいてん 制度 せいど 改正 かいせい で「実業 じつぎょう に精励 せいれい …」の部分 ぶぶん が黄綬 おうじゅ 褒章 ほうしょう として独立 どくりつ し対象 たいしょう が狭 せば まり、その後 ご 2003年 ねん の改正 かいせい で社会 しゃかい 福祉 ふくし 分野 ぶんや やボランティア活動 かつどう などで顕著 けんちょ な実績 じっせき のある個人 こじん 等 とう に授与 じゅよ することとなった。
藍綬 らんじゅ 褒章 ほうしょう (らんじゅほうしょう)Medal with Blue Ribbon
1882年 ねん 1月 がつ 1日 にち 開始 かいし
「教育 きょういく 衛生 えいせい 慈善 じぜん 防疫 ぼうえき の事業 じぎょう 、学校 がっこう 病院 びょういん の建設 けんせつ 、道路 どうろ 河 かわ 渠 みぞ 堤防 ていぼう 橋梁 きょうりょう の修築 しゅうちく 、田野 でんや の墾闢(こんぺき、開墾 かいこん )、森林 しんりん の栽培 さいばい 、水産 すいさん の繁殖 はんしょく 、農 のう 商 しょう 工業 こうぎょう の発達 はったつ に関 かん し公衆 こうしゅう の利益 りえき を興 おこ し成績 せいせき 著 ちょ 明 あかり なる者 もの 又 また は公 おおやけ 同 どう の事務 じむ に勤勉 きんべん し労 ろう 効 こう 顕著 けんちょ なる者 もの 」に授与 じゅよ される。授与 じゅよ 対象 たいしょう が紫綬褒章 しじゅほうしょう と一部 いちぶ 重 かさ なっているが、本章 ほんしょう の主 おも な対象 たいしょう は技術 ぎじゅつ 者 しゃ である。
黄綬 おうじゅ 褒章 ほうしょう (おうじゅほうしょう)Medal with Yellow Ribbon
1987年 ねん 開始 かいし 、1947年 ねん 廃止 はいし 、1955年 ねん 新規 しんき 開始 かいし
「業務 ぎょうむ に精励 せいれい し衆 しゅ 民 みん の模範 もはん たるべき者 しゃ 」に授与 じゅよ される。「私財 しざい ヲ献納 けんのう シ防 ぼう 海 うみ ノ事業 じぎょう ヲ賛成 さんせい スルモノニ授与 じゅよ スル」(沿岸 えんがん 防衛 ぼうえい 事業 じぎょう への私財 しざい 提供 ていきょう 者 しゃ )と定 さだ められた。 1947年 ねん に一旦 いったん 廃止 はいし され、1955年 ねん に再度 さいど 制定 せいてい 。2003年 ねん の改正 かいせい では、「第 だい 一線 いっせん で業務 ぎょうむ に精励 せいれい している者 もの で、他 た の模範 もはん となるような技術 ぎじゅつ や事績 じせき を有 ゆう する者 もの を対象 たいしょう とし、受章 じゅしょう 者 しゃ 数 すう の増加 ぞうか を図 はか る」こととされた。
紺綬 こんじゅ 褒章 ほうしょう (こんじゅほうしょう)Medal with Dark Blue Ribbon
1918年 ねん 9月 がつ 19日 にち 開始 かいし
「公益 こうえき のため私財 しざい を寄附 きふ し功績 こうせき 顕著 けんちょ なる者 もの 」に授与 じゅよ される。現在 げんざい は公的 こうてき 機関 きかん や公益 こうえき 法人 ほうじん などへの500万 まん 円 えん 以上 いじょう の寄付 きふ をした個人 こじん 、1000万 まん 円 えん 以上 いじょう の寄付 きふ をした団体 だんたい が主 おも な対象 たいしょう となる(受 う けた団体 だんたい から所管 しょかん 官庁 かんちょう 宛 あ てに上申 じょうしん がされる)。寄付 きふ が多額 たがく に上 のぼ る場合 ばあい には、併 あわ せて賞杯 しょうはい (桐 きり 紋付 もんつ きの盃 さかずき )が授与 じゅよ される。
紫綬褒章 しじゅほうしょう (しじゅほうしょう)Medal with Purple Ribbon
1955年 ねん 1月 がつ 22日 にち 開始 かいし
「学術 がくじゅつ 芸術 げいじゅつ 上 じょう の発明 はつめい 改良 かいりょう 創作 そうさく に関 かん し事績 じせき 著 ちょ 明 あかり なる者 もの 」に授与 じゅよ される。長年 ながねん 研究 けんきゅう に従事 じゅうじ した学者 がくしゃ や技術 ぎじゅつ 開発 かいはつ ・発明 はつめい に尽 つ くした技術 ぎじゅつ 者 しゃ のほか、長年 ながねん にわたって活躍 かつやく する芸能人 げいのうじん や芸術 げいじゅつ 家 か 、オリンピックでメダルを受賞 じゅしょう したスポーツ選手 せんしゅ らに授与 じゅよ される。
日本 にっぽん の記念 きねん 章 あきら [ 編集 へんしゅう ]
画像 がぞう
名称 めいしょう (日本語 にほんご /英語 えいご )
開始 かいし 及 およ び改正 かいせい
概要 がいよう
記念 きねん 章 あきら Commemorative Medal
1875年 ねん
これまでに賞 しょう 勲 くん 局 きょく 所管 しょかん の法令 ほうれい によって発行 はっこう された記念 きねん 章 しょう は12種類 しゅるい で、うち一 ひと つ(支 ささえ 那 な 事変 じへん 記念 きねん 章 あきら )が廃止 はいし されたため、現在 げんざい 有効 ゆうこう なものは11種類 しゅるい である[5] 。戦後 せんご は発行 はっこう されておらず、代 か わりに記念 きねん 貨幣 かへい が発行 はっこう されるようになった。しかし、小泉 こいずみ 内閣 ないかく に於 お ける「栄典 えいてん 制度 せいど の在 あ り方 かた に関 かん する懇談 こんだん 会 かい 」の提言 ていげん [6] を受 う けた平成 へいせい 14年 ねん 8月 がつ 7日 にち 閣議 かくぎ 決定 けってい (栄典 えいてん 制度 せいど の改革 かいかく について)には、「国際 こくさい 的 てき な災害 さいがい 救助 きゅうじょ 活動 かつどう などに参加 さんか した者 もの に対 たい して、その事績 じせき を表彰 ひょうしょう するため、記章 きしょう 等 とう を活用 かつよう することについて検討 けんとう する。」という文言 もんごん が盛 も り込 こ まれている。
大日本帝国 だいにっぽんていこく 憲法 けんぽう 発布 はっぷ 記念 きねん 章 あきら 大日本帝国 だいにっぽんていこく 憲法 けんぽう 発布 はっぷ 記念 きねん 章 あきら [注 ちゅう 1]
大日本帝国 だいにっぽんていこく 憲法 けんぽう 発布 はっぷ 記念 きねん 章 あきら Imperial Constitution Promulgation Medal
明治 めいじ 22年 ねん 8月 がつ 3日 にち
頒賜対象 たいしょう は大日本帝国 だいにっぽんていこく 憲法 けんぽう 発布 はっぷ 式 しき に関 かか わった親王 しんのう 以下 いか 判任官 はんにんかん より上位 じょうい の者 もの (同 どう 2条 じょう )。金 かね と銀 ぎん の二 に 種類 しゅるい があった(同 どう 1条 じょう )。種 たね 印 しるし 製作 せいさく は江上 えがみ 源 みなもと 二郎 じろう (表 ひょう )と江上 えがみ 一太郎 いちたろう (裏 うら )[7] 。材料 ざいりょう は金 かね ・銀 ぎん ・銅 どう 。製造 せいぞう 数 すう は金 かね 18個 こ 、銀 ぎん 2,251個 いっこ [8] 。
大 だい 婚 こん 二 に 十 じゅう 五 ご 年 ねん 祝典 しゅくてん 之 の 章 あきら 大 だい 婚 こん 二 に 十 じゅう 五 ご 年 ねん 祝典 しゅくてん 之 の 章 あきら
大 だい 婚 こん 二 に 十 じゅう 五 ご 年 ねん 祝典 しゅくてん 之 の 章 あきら 25th Wedding Anniversary Medal
明治 めいじ 27年 ねん 3月 がつ 6日 にち
明治天皇 めいじてんのう と昭憲皇太后 しょうけんこうたいごう の大 だい 婚 こん 二 に 十 じゅう 五 ご 年 ねん 祝典 しゅくてん に招 まね かれて参内 さんだい した者 もの へ頒賜(同 どう 2条 じょう )。金 かね と銀 ぎん の二 に 種類 しゅるい があった(同 どう 1条 じょう )。材料 ざいりょう は金 かね ・銀 ぎん 。種 たね 印 しるし 製作 せいさく は池田 いけだ 隆雄 たかお [7] 。製造 せいぞう 数 すう は金 かね 33個 こ 、銀 ぎん 1,301個 いっこ [8] 。
皇太子 こうたいし 渡 わたし 韓 かん 記念 きねん 章 あきら 皇太子 こうたいし 渡 わたし 韓 かん 記念 きねん 章 あきら
皇太子 こうたいし 渡 わたし 韓 かん 記念 きねん 章 あきら Crown Prince's Voyage to Korea Commemorative Medal
明治 めいじ 42年 ねん 3月 がつ 29日 にち
頒賜対象 たいしょう は皇太子 こうたいし 嘉 よしみ 仁 じん 親王 しんのう 渡 わたり 韓 かん に関 かか わった日 にち 韓 かん 両国 りょうこく の皇族 こうぞく 及 およ び奏 そう 任官 にんかん 以上 いじょう の者 もの (同 どう 2条 じょう )。金 かね と銀 ぎん の二 に 種類 しゅるい があった(同 どう 1条 じょう )。材料 ざいりょう は金 かね ・銀 ぎん [7] 。
韓国 かんこく 併合 へいごう 記念 きねん 章 あきら 韓国 かんこく 併合 へいごう 記念 きねん 章 あきら
韓国 かんこく 併合 へいごう 記念 きねん 章 あきら Korea Annexation Commemorative Medal
明治 めいじ 45年 ねん 3月 がつ 29日 にち
韓国 かんこく 併合 へいごう 記念 きねん の表彰 ひょうしょう として制定 せいてい (同 どう 第 だい 1条 じょう )。韓国 かんこく 併合 へいごう の
事業 じぎょう に直接 ちょくせつ 及 およ び伴 ともな う要務 ようむ に関与 かんよ した者 もの (同 どう 第 だい 3条 じょう 1号 ごう )、併合 へいごう の際 さい 朝鮮 ちょうせん に在勤 ざいきん していた官吏 かんり 及 およ び官吏 かんり 待遇 たいぐう 者 しゃ 並 なら びに韓国 かんこく 政府 せいふ の官吏 かんり 及 およ び官吏 かんり 待遇 たいぐう 者 しゃ (同 どう 2号 ごう )、従前 じゅうぜん 日 にち 韓 かん 関係 かんけい に功績 こうせき のあった者 もの (同 どう 3号 ごう )へ授与 じゅよ された。黄銅 こうどう 製 せい 。原型 げんけい 製作 せいさく は佐藤 さとう 磐 いわお [7] 。
大礼 たいれい 記念 きねん 章 あきら (大正 たいしょう )
大礼 たいれい 記念 きねん 章 あきら (大正 たいしょう )Taisho Enthronement Medal
大正 たいしょう 4年 ねん 8月 がつ 13日 にち
大正天皇 たいしょうてんのう 即位 そくい の大礼 たいれい 記念 きねん の表彰 ひょうしょう として制定 せいてい (同 どう 第 だい 1条 じょう )。授与 じゅよ 対象 たいしょう は践祚 せんそ の式 しき (同 どう 第 だい 3条 じょう 1号 ごう )並 なら びに即位 そくい の大礼 たいれい 及 およ び大嘗祭 だいじょうさい (同 どう 2号 ごう )に招 まね かれた者 もの 、在所 ざいしょ 各地 かくち に於 お いて餐餌を賜 たまわ った者 もの (同 どう 3号 ごう )、大礼 たいれい の事務 じむ 及 およ び伴 ともな う要務 ようむ に関与 かんよ した者 もの (同 どう 4号 ごう )。銀製 ぎんせい 。表面 ひょうめん の種 たね 印 しるし 製作 せいさく は池田 いけだ 隆雄 たかお で裏面 りめん の原型 げんけい 製作 せいさく は佐藤 さとう 磐 いわお [7] 。
戦捷 せんしょう 記章 きしょう
戦捷 せんしょう 記章 きしょう Allied First World War Victory Medal
大正 たいしょう 9年 ねん 9月 がつ 17日 にち
大正 たいしょう 3乃至 ないし 大正 たいしょう 9年 ねん 戦役 せんえき (第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん )の同盟 どうめい 及 およ び連合 れんごう 国 こく の勝利 しょうり 記念 きねん の国際 こくさい 表 ひょう 章 しょう として特別 とくべつ に設 もう けられた章 あきら である(同 どう 第 だい 1条 じょう )。大正 たいしょう 3年 ねん 8月 がつ 23日 にち より大正 たいしょう 9年 ねん 1月 がつ 9日 にち 迄 まで の間 あいだ に於 お いて戦役 せんえき に関 かん する軍務 ぐんむ に従事 じゅうじ し、功績 こうせき 顕著 けんちょ な戦闘 せんとう 員 いん に授与 じゅよ された(同 どう 第 だい 3条 じょう )。青銅 せいどう 製 せい 。原型 げんけい 製作 せいさく は畑 はた 正吉 まさきち [注 ちゅう 2] [7] 。連合 れんごう 国 こく 各国 かっこく で同 おな じ綬(リボン)を使用 しよう している。
第 だい 一 いち 回 かい 国勢調査 こくせいちょうさ 記念 きねん 章 あきら ファイル:First National Census Medal Ribbon.jpg.jpg [注 ちゅう 3]
第 だい 一 いち 回 かい 国勢調査 こくせいちょうさ 記念 きねん 章 あきら First National Census Medal
明治 めいじ 22年 ねん 8月 がつ 3日 にち
制定 せいてい 法令 ほうれい は大正 たいしょう 10年 ねん 6月 がつ 17日 にち 勅 みことのり 令 れい 第 だい 272号 ごう 「第 だい 一 いち 回 かい 国勢調査 こくせいちょうさ 記念 きねん 章 しょう 制定 せいてい ノ件 けん 」。第 だい 一 いち 回 かい 国勢調査 こくせいちょうさ 実施 じっし 記念 きねん の表彰 ひょうしょう として制定 せいてい (同 どう 第 だい 1条 じょう )。第 だい 一 いち 回 かい 国勢調査 こくせいちょうさ に関与 かんよ した者 もの を授与 じゅよ 対象 たいしょう とした(同 どう 第 だい 3条 じょう )。青銅 せいどう 製 せい [7] 。
大礼 たいれい 記念 きねん 章 あきら (昭和 しょうわ )
大礼 たいれい 記念 きねん 章 あきら (昭和 しょうわ )Showa Enthronement Medal
昭和 しょうわ 3年 ねん 8月 がつ 1日 にち
昭和 しょうわ 天皇 てんのう 即位 そくい の大礼 たいれい 記念 きねん の表彰 ひょうしょう として制定 せいてい (同 どう 第 だい 1条 じょう )。授与 じゅよ 対象 たいしょう は践祚 せんそ の式 しき (同 どう 第 だい 3条 じょう 1号 ごう )並 なら びに即位 そくい の大礼 たいれい 及 およ び大嘗祭 だいじょうさい (同 どう 2号 ごう )に招 まね かれた者 もの 、在所 ざいしょ 各地 かくち に於 お いて餐餌を賜 たまわ った者 もの (同 どう 3号 ごう )、大礼 たいれい の事務 じむ 及 およ び伴 ともな う要務 ようむ に関与 かんよ した者 もの (同 どう 4号 ごう )。金 かね ・銀 ぎん ・銅 どう 製 せい 。原型 げんけい 製作 せいさく は畑 はた 正吉 まさきち (表 ひょう )と山田 やまだ 甲子 きのえね 雄 ゆう (裏 うら )[7] 。
帝都 ていと 復興 ふっこう 記念 きねん 章 あきら
帝都 ていと 復興 ふっこう 記念 きねん 章 あきら Capital Rehabilitation Commemorative Medal
明治 めいじ 22年 ねん 8月 がつ 3日 にち
制定 せいてい 法令 ほうれい は昭和 しょうわ 5年 ねん 8月 がつ 13日 にち 勅 みことのり 令 れい 第 だい 148号 ごう 「帝都 ていと 復興 ふっこう 記念 きねん 章 しょう 令 れい 」。関東大震災 かんとうだいしんさい からの復興 ふっこう を記念 きねん してに制定 せいてい され(同 どう 第 だい 1条 じょう )、帝都 ていと 復興 ふっこう 事業 じぎょう に直接 ちょくせつ 、又 また は伴 ともな う要務 ようむ に関与 かんよ した者 もの (同 どう 第 だい 3条 じょう 1号 ごう 2号 ごう )に授与 じゅよ された(同 どう 第 だい 3条 じょう )。銀製 ぎんせい 。原型 げんけい 製作 せいさく は畑 はた 正吉 まさきち [7] 。
朝鮮 ちょうせん 昭和 しょうわ 五 ご 年 ねん 国勢調査 こくせいちょうさ 記念 きねん 章 あきら 朝鮮 ちょうせん 昭和 しょうわ 五 ご 年 ねん 国勢調査 こくせいちょうさ 記念 きねん 章 あきら [注 ちゅう 3]
朝鮮 ちょうせん 昭和 しょうわ 五 ご 年 ねん 国勢調査 こくせいちょうさ 記念 きねん 章 あきら Korean Census Commemorative Medal
昭和 しょうわ 7年 ねん 7年 ねん 7月 がつ 18日 にち
朝鮮 ちょうせん に於 お ける昭和 しょうわ 5年 ねん 国勢調査 こくせいちょうさ 実施 じっし 記念 きねん の表彰 ひょうしょう として制定 せいてい され(同 どう 第 だい 1条 じょう )、調査 ちょうさ に関与 かんよ した者 もの へ授与 じゅよ された(同 どう 第 だい 3条 じょう )。青銅 せいどう 製 せい 。裏面 りめん の原型 げんけい 製作 せいさく は宮島 みやじま 久七 きゅうしち [7] 。
紀元 きげん 二 に 千 せん 六 ろく 百 ひゃく 年 ねん 祝典 しゅくてん 記念 きねん 章 あきら
紀元 きげん 二 に 千 せん 六 ろく 百 ひゃく 年 ねん 祝典 しゅくてん 記念 きねん 章 あきら 2600th National Anniversary Commemorative Medal
昭和 しょうわ 15年 ねん 7月 がつ 27日 にち
紀元 きげん 二 に 千 せん 六 ろく 百 ひゃく 年 ねん を記念 きねん して制定 せいてい (同 どう 第 だい 1条 じょう )。授与 じゅよ 対象 たいしょう 者 しゃ (同 どう 第 だい 3条 じょう )は昭和 しょうわ 15年 ねん の紀元節 きげんせつ 又 また は紀元 きげん 二 に 千 せん 六 ろく 百 ひゃく 年 ねん 式典 しきてん に招 まね かれた者 もの (同 どう 1号 ごう 2号 ごう )、及 およ び式典 しきてん の事務 じむ 並 なら びに要務 ようむ に関与 かんよ した者 もの (同 どう 3号 ごう )。アルミニュウム青銅 せいどう 製 せい 。原型 げんけい 製作 せいさく は畑 はた 正吉 まさきち [7] 。造幣局 ぞうへいきょく の納入 のうにゅう 数 すう は約 やく 20万 まん 個 こ [10] 。
支 ささえ 那 な 事変 じへん 記念 きねん 章 あきら 支 ささえ 那 な 事変 じへん 記念 きねん 章 あきら [注 ちゅう 4]
支 ささえ 那 な 事変 じへん 記念 きねん 章 あきら Imperial Constitution Promulgation Medal
昭和 しょうわ 17年 ねん 9月 がつ 26日 にち 制定 せいてい 、昭和 しょうわ 21年 ねん 3月 がつ 29日 にち 廃止 はいし 。
支 ささえ 那 な 事変 じへん 従軍 じゅうぐん 記章 きしょう の対象 たいしょう 者 しゃ ではないが、支 ささえ 那 な 事変 じへん の遂行 すいこう に関 かん して特別 とくべつ の貢献 こうけん があった者 もの が対象 たいしょう とされた(同 どう 第 だい 3項 こう )。青銅 せいどう 製 せい 。原型 げんけい 製作 せいさく は加藤 かとう 正巳 まさみ [7] 。
廃止 はいし された日本 にっぽん の勲章 くんしょう 等 とう [ 編集 へんしゅう ]
画像 がぞう
名称 めいしょう (日本語 にほんご /英語 えいご )
開始 かいし 及 およ び改正 かいせい
概要 がいよう
金鵄勲章 きんしくんしょう Order of the Golden Kite
1890年 ねん 2月 がつ 11日 にち 開始 かいし 、1892年 ねん 9月 がつ 29日 にち 改正 かいせい 、1947年 ねん 5月 がつ 3日 にち 廃止 はいし
授与 じゅよ 対象 たいしょう は大日本帝国 だいにっぽんていこく 陸軍 りくぐん と大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん の軍人 ぐんじん 軍属 ぐんぞく 。金鵄 きんし 章 あきら とも。功 こう 二 に 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう 以下 いか は副 ふく 章 しょう が存在 そんざい しない。また1892年 ねん より功 こう 級 きゅう に合 あ わせて年金 ねんきん が下賜 かし された。「金鵄 きんし 」という名前 なまえ の由来 ゆらい は、神武 じんむ 天皇 てんのう の東征 とうせい の際 さい に、神武 じんむ の弓 ゆみ の弭にとまった黄金 おうごん 色 しょく のトビ (鵄 とび )が光 ひか り輝 かがや き、長 ちょう 髄 ずい 彦 の軍 ぐん を眩 くら ませたという日本 にっぽん 神話 しんわ の伝説 でんせつ に基 もと づく。
功 こう 一 いち 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう
功 こう 一 いち 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう Order of the Golden Kite, 1st Class
1890年 ねん 2月 がつ 11日 にち 開始 かいし 、1892年 ねん 9月 がつ 29日 にち 改正 かいせい 、1947年 ねん 5月 がつ 3日 にち 廃止 はいし
天皇 てんのう 直 ちょく 隷部隊 たい の将官 しょうかん (親 おや 補職 ほしょく )たる司令 しれい 官 かん に対 たい して特別 とくべつ 詮議 せんぎ の上 うえ 授与 じゅよ 。大 だい 綬を左肩 ひだりかた から右 みぎ 脇 わき に垂 しだ れ、副 ふく 章 しょう を左 ひだり 肋 あばら に佩用 はいよう する。年金 ねんきん 額 がく 900円 えん
功 こう 二 に 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう
功 こう 二 に 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう Order of the Golden Kite, 2nd Class
1890年 ねん 2月 がつ 11日 にち 開始 かいし 、1892年 ねん 9月 がつ 29日 にち 改正 かいせい 、1947年 ねん 5月 がつ 3日 にち 廃止 はいし
功労 こうろう ある将官 しょうかん 、佐官 さかん 最高 さいこう 位 い の功 こう 級 きゅう 。正章 まさあき (功 こう 一 いち 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう の副 ふく 章 しょう と同 おな じ)を右 みぎ 肋 あばら に佩用 はいよう する。年金 ねんきん 額 がく 650円 えん
功 こう 三 さん 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう 功 こう 三 さん 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう
功 こう 三 さん 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう Order of the Golden Kite, 3rd Class
1890年 ねん 2月 がつ 11日 にち 開始 かいし 、1892年 ねん 9月 がつ 29日 にち 改正 かいせい 、1947年 ねん 5月 がつ 3日 にち 廃止 はいし
将官 しょうかん の初 はつ 叙 じょ 。功労 こうろう ある佐官 さかん 、尉官 いかん の最高 さいこう 位 い の功 こう 級 きゅう 。中 ちゅう 綬を首 くび に佩用 はいよう する。
功 こう 四 よん 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう 功 こう 四 よん 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう
功 こう 四 よん 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう Order of the Golden Kite, 4th Class
1890年 ねん 2月 がつ 11日 にち 開始 かいし 、1892年 ねん 9月 がつ 29日 にち 改正 かいせい 、1947年 ねん 5月 がつ 3日 にち 廃止 はいし
佐官 さかん の初 はつ 叙 じょ せられる功 こう 級 きゅう 。功労 こうろう ある尉官 いかん 、准 じゅん 士官 しかん 、下士官 かしかん の最高 さいこう 位 い の功 こう 級 きゅう 。小 しょう 綬を左 ひだり 胸 むね に佩用 はいよう する。年金 ねんきん 額 がく 210円 えん
功 こう 五 ご 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう
功 こう 五 ご 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう Order of the Golden Kite, 5th Class
1896年 ねん 4月 がつ 13日 にち 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
尉官 いかん の初 はつ 叙 じょ せられる功 こう 級 きゅう 。准 じゅん 士官 しかん 、下士官 かしかん の中 なか で功労 こうろう を重 かさ ねた者 もの の功 こう 級 きゅう 。また兵 へい の最高 さいこう 位 い の功 こう 級 きゅう 。小 しょう 綬を左 ひだり 胸 むね に佩用 はいよう する。年金 ねんきん 額 がく 140円 えん
功 こう 六 ろく 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう 功 こう 六 ろく 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう
功 こう 六 ろく 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう Order of the Golden Kite, 6th Class
1896年 ねん 4月 がつ 13日 にち 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 改正 かいせい
准 じゅん 士官 しかん 、下士官 かしかん の初 はつ 叙 じょ せられる功 こう 級 きゅう 。また功労 こうろう ある兵 へい の功 こう 級 きゅう 。小 しょう 綬を左 ひだり 胸 むね に佩用 はいよう する。年金 ねんきん 額 がく 90円 えん
功 こう 七 なな 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう
功 こう 七 なな 級 きゅう 金鵄勲章 きんしくんしょう Order of the Golden Kite, 7th Class
1896年 ねん 4月 がつ 13日 にち 開始 かいし 、2003年 ねん 11月3日 にち 廃止 はいし
兵 へい の初 はつ 叙 じょ せられる功 こう 級 きゅう 。小 しょう 綬を左 ひだり 胸 むね に佩用 はいよう する。年金 ねんきん 額 がく 65円 えん
画像 がぞう
名称 めいしょう (日本語 にほんご /英語 えいご )
開始 かいし 及 およ び改正 かいせい
概要 がいよう
武功 ぶこう 章 あきら 武功 ぶこう 章 あきら
武功 ぶこう 章 あきら Badge for Military Merit
1944年 ねん 開始 かいし 、太平洋戦争 たいへいようせんそう 終戦 しゅうせん により廃止 はいし
武功 ぶこう 章 あきら は太平洋戦争 たいへいようせんそう 中 なか に大日本帝国 だいにっぽんていこく 陸軍 りくぐん で制定 せいてい された栄 さかえ 章 あきら 。金鵄勲章 きんしくんしょう と並 なら ぶ栄誉 えいよ とされた。ヨーロッパ 諸国 しょこく の軍事 ぐんじ 勲章 くんしょう (英 えい : Military Order)が戦争 せんそう 継続 けいぞく 中 ちゅう でも随時 ずいじ 叙勲 じょくん が行 おこな われるのに対 たい し、日本 にっぽん の金鵄勲章 きんしくんしょう の戦死 せんし 者 しゃ 以外 いがい に対 たい する叙勲 じょくん は、原則 げんそく として戦争 せんそう 終了 しゅうりょう 後 ご に論功行賞 ろんこうこうしょう が行 おこな われ、その結果 けっか により行 おこな われていた。また、戦場 せんじょう に於 お いて顕著 けんちょ な働 はたら きのあった将兵 しょうへい に対 たい してその都度 つど 授与 じゅよ される各種 かくしゅ の戦功 せんこう 章 あきら (英 えい : Military decoration[11] )が殆 ほとん どの国 くに の軍隊 ぐんたい では制定 せいてい されているが、日本 にっぽん では制定 せいてい されていなかった。しかし、大 だい 東亜 とうあ 戦争 せんそう が長期 ちょうき 化 か したため、前線 ぜんせん で戦 たたか い続 つづ ける将兵 しょうへい の功績 こうせき を顕彰 けんしょう する制度 せいど が無 な いことに不都合 ふつごう が生 しょう じるようになった。そこで陸軍 りくぐん は昭和 しょうわ 19年 ねん (1944年 ねん )、武功 ぶこう 章 しょう を制定 せいてい した。武功 ぶこう 章 あきら は当時 とうじ 同盟 どうめい 国 こく であったドイツ の鉄 てつ 十 じゅう 字 じ 章 あきら の影響 えいきょう を受 う けており、黒 くろ い古代 こだい の楯 だて を縦横 じゅうおう に交差 こうさ させた構図 こうず は同 どう 章 しょう と類似 るいじ し、佩用 はいよう 式 しき 及 およ び着用 ちゃくよう 規定 きてい は一級 いっきゅう 鉄 てつ 十 じゅう 字 じ 章 あきら に近 ちか い。そのため勲章 くんしょう と違 ちが い、飛行 ひこう 服 ふく にも着用 ちゃくよう された。一方 いっぽう 、将校 しょうこう 用 よう と下士官 かしかん 兵 へい 用 よう に分 わ けられている点 てん が鉄 てつ 十 じゅう 字 じ 章 あきら と根本 こんぽん 的 てき に異 こと なる[12] 。
従軍 じゅうぐん 記章 きしょう [ 編集 へんしゅう ]
^ 内閣 ないかく (1963年 ねん (昭和 しょうわ 38年 ねん )7月 がつ 12日 にち ). “勲章 くんしょう 、記章 きしょう 、褒章 ほうしょう 等 とう の授与 じゅよ 及 およ び伝達 でんたつ 式 しき 例 れい ”. 2011年 ねん 7月 がつ 18日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 内閣 ないかく (2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )10月 がつ 27日 にち ). “勲章 くんしょう 、記章 きしょう 、褒章 ほうしょう 等 とう の授与 じゅよ 及 およ び伝達 でんたつ 式 しき 例 れい ”. 2011年 ねん 7月 がつ 18日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 文化 ぶんか 勲章 くんしょう は単一 たんいつ 級 きゅう であるため、その位置 いち づけは分 わ かりにくい。長 なが らく「勲一等 くんいっとう と勲 くん 二 に 等 とう の間 あいだ 」と見 み られてきた。しかし、現在 げんざい では他 た の勲章 くんしょう の「大 だい 綬章 じゅしょう 」並 な み(かつての「勲一等 くんいっとう 」並 な み)と見 み るむきもある。なぜならば、「大 だい 綬章 じゅしょう 」以上 いじょう は天皇 てんのう から渡 わた される「親授 しんじゅ 」であるところ、文化 ぶんか 勲章 くんしょう は創設 そうせつ 60年 ねん 目 め の1997年 ねん (平成 へいせい 9年 ねん )以降 いこう 、親授 しんじゅ されているからである。(参照 さんしょう :栗原 くりはら 俊雄 としお 著 ちょ 『勲章 くんしょう 知 し られざる素顔 すがお 』、岩波 いわなみ 新書 しんしょ 、2011年 ねん 。)
^ なお、救助 きゅうじょ 活動 かつどう を行 おこな っても、力 ちから 及 およ ばず要 よう 救助 きゅうじょ 者 しゃ が落命 らくめい した場合 ばあい には授与 じゅよ されない。
^ 岩倉 いわくら ・藤 ふじ 樫 かし p100
^ 『栄典 えいてん 制度 せいど の在 あ り方 かた に関 かん する懇談 こんだん 会 かい 報告 ほうこく 書 しょ 』(平成 へいせい 13年 ねん 10月 がつ 29日 にち )第 だい 2章 しょう 第 だい 6節 せつ
^ a b c d e f g h i j k l 造幣局 ぞうへいきょく 百 ひゃく 年 ねん 史 し (資料 しりょう 編 へん ) p 384
^ a b 造幣局 ぞうへいきょく 百 ひゃく 年 ねん 史 し (資料 しりょう 編 へん ) p 379
^ 造幣局 ぞうへいきょく 百 ひゃく 年 ねん 史 し p 220
^ 造幣局 ぞうへいきょく 百 ひゃく 年 ねん 史 し p 281
^ Military decoration には従軍 じゅうぐん 記章 きしょう (Campaign medal)等 とう も含 ふく まれるが、その他 た に戦功 せんこう に対 たい して授与 じゅよ される各種 かくしゅ の章 しょう も殆 ほとん どの国 くに で制定 せいてい されている。その制度 せいど は国 くに によって異 こと なる。
^ 鉄 てつ 十 じゅう 字 じ 章 あきら は、戦役 せんえき に参加 さんか した将兵 しょうへい に対 たい し、階級 かいきゅう に関係 かんけい なく平等 びょうどう に戦功 せんこう を讃 たた えるというのが制定 せいてい された本来 ほんらい の趣旨 しゅし である。
^ a b 大日本帝国 だいにっぽんていこく 憲法 けんぽう 発布 はっぷ 記念 きねん 章 しょう の略綬 りゃくじゅ は旭日 きょくじつ 桐 きり 花 はな 章 しょう のものと同 おな じ。
^ 東京 とうきょう 高等 こうとう 工芸 こうげい 学校 がっこう 教授 きょうじゅ 、彫刻 ちょうこく 研究所 けんきゅうじょ 初代 しょだい 所長 しょちょう [9] 。
^ a b パターンは同 おな じだが、寸法 すんぽう の単位 たんい が異 こと なる。
^ a b 綬は同 おな じ。