原田 宗 典
1959 | |
| |
| |
| |
1984 | |
あり | |
| |
|
経歴 [編集 ]
1984
2013
2014
人物 ・エピソード[編集 ]
この |
職業 は小説 家 だが、小説 家 や作家 を自称 するのは「なんか偉 そう」だと、長 らく「物書 き」を自称 していた。また、自 らを「悪筆 だ」と認 めており、「小説 が苦手 」という内容 を扱 ったエッセイも書 いている。- グラフィックデザイナーの
原研 哉、イラストレーターの長岡 毅 、政治 学者 の山口 二郎 は高校 時代 からの友人 である。原研 哉と長岡 毅 はコンビで原田 の著作 の装丁 を数多 く手 がけている。元 参議院 議員 の姫井 由美子 も高校 の同級生 である。 前述 の長岡 毅 と「西早稲田 キャッチボール連盟 」なる組織 を結成 している。原田 は理事 を務 めている。活動 は不定期 に原 っぱなどでキャッチボールをおこなうこと。連盟 としての他 にもファンとキャッチボールするイベントをしばしば行 っている。電車 内 で2人 の酔 っ払 いに同時 に絡 まれる、映画 館 でゲイにナンパされる、新婚 旅行 先 のバスの中 で添乗 員 にドリアンを食 べさせられる等 、数々 のハプニングやアクシデントをエッセイで語 っている。周囲 からは「不運 」と言 われているが、それでは夢 も希望 もないということで、本人 は「ヘンさ値 」が高 く、「ヘン運 に恵 まれている」と主張 している。自他 共 に認 める「命名 癖 」の持 ち主 で、幼少 の頃 から身 の回 りの物 には車 から消 しゴムに至 るまで名前 をつけ、遠足 などのイベントには「作戦 名 」をつけて対策 を練 るが、対策 が功 を奏 したことは一 度 もない。- すばる
文学 賞 に佳作 入選 した後 、園遊会 に招待 されるも、コットンパンツにアロハシャツ、サングラスという出 で立 ちで出席 してしまい(「平服 」の意味 を勘違 いしていたため)、終始 芸能人 と勘違 いされたままであった。 趣味 はキャッチボールと焚 き火 [5][6]、バッティングセンターに通 うこと。父親 譲 りの引越 し魔 で、職場 も自宅 も2年 と経 たず引越 しを繰 り返 しており(2ヶ月 足 らずで引 っ越 したこともある)、友人 からあきれられるほど(エッセイ中 では、調布 、三鷹 、西早稲田 、新宿 、円山 町 等 が確認 される)。少年 時代 、岡山 に引 っ越 す前 も、小平 、国分寺 、立川 等 を転々 としていたようである。- 「
小説 は祈 り、舞台 はお祭 り、エッセイはお喋 り」と主張 しており、その取 り組 み方 の違 いのためか、それぞれの作風 やイメージがかなり違 って見 える。そのため、エッセイで原田 を知 った人物 が、小説 に違和感 を覚 えることも少 なくない。これは前述 の長岡 も、作品 解説 で「エッセーと違 って、小説 は昔 からどこか病的 である」と語 っている。 前述 の交通 事故 で「人生 観 が変 わった」と語 っている。高校 時代 は志賀 直哉 を愛読 しており、友人 からは「白 バカ派 」(白樺 のもじり)と揶揄 されていた。それだけに志賀 が終戦 直後 に唱 えていた日本語 廃止 論 とその内容 はショックだったらしく、エッセイの中 で「志賀 直哉 先生 に控 えめに逆 らう」と題 して、驚 きを表明 しつつ批判 した。子供 の時 にコカ・コーラを「国家 コーラ」と勘違 いしていた。- かなりの
偏食 で、自身 のエッセイによると「小学校 時代 は肉 ・魚 ・野菜 はほとんど食 べず、ホームランアイスと丸美屋 のすきやきふりかけで生 きていた」。好物 はクリープ、犬 メシ(冷 ご飯 にインスタントラーメンをかけたもの)等 。逆 に苦手 な物 は魚 の煮物 等 。ピーマンとタマネギも苦手 だったが、ガールフレンドがデートの際 に作 ってきたサンドイッチを無理 して食 べているうちに克服 したという。 - ジャレコの『
燃 えろ!!プロ野球 』を、一 つの野球 ゲームとして著書 で絶賛 している。 大学 時代 、30人 しかいない演劇 科 で、中谷 彰宏 、原田 宗 典 、宮本 哲也 の3人 の名前 が連続 していた。躁 うつ病 であることを公言 しており、関連 書 も出 している。山梨 県 北 杜 市 に別荘 があり、庭 の焚 き火 炉 は柳生 博 ・柳生 真 吾 親子 の作 庭 である[5]。何 かと苦手 なものが多 い。特 に苦手 なものはナンパである。私設 機関 「鼻 の下 研究所 」所長 (所員 は原田 1名 )。その他 、「全日本 焚火 連盟 」会員 (会員 は原田 含 め3名 )、「芸術 を語 る会 」会員 (会員 は原田 含 め3名 、芸術 は全 く語 らない)、「王様 鑑賞 友 の会 」会員 (会員 は原田 含 め3名 )[6]。
著書 [編集 ]
小説 [編集 ]
- 『
優 しくって少 しばか』(集英社 、1986年 のち文庫 ) - 『
時々 、風 と話 す Street life』(ミリオン出版 、1987年 のち角川 文庫 ) - 『スメル
男 』(講談社 、1989年 のち文庫 ) - 『
十 九 、二 十 (はたち)』(朝日新聞社 、1989年 のち新潮 文庫 、朝日 文芸 文庫 ) - 『0をつなぐ』(トレヴィル、1990
年 のち新潮 文庫 ) - 『しょうがない
人 』(集英社 、1990 のち文庫 ) - 『あるべき
場所 』(新潮社 、1991年 のち文庫 、「あるべき場所 ・飢 えたナイフ」新潮 ピコ文庫 ) - 『
黄色 いドゥカと彼女 の手 』(角川 文庫 、1991年 ) - 『
何者 でもない』(講談社 、1992年 のち文庫 ) - 『
透明 な地図 』(Tokyo FM出版 1992年 「海 の短 編集 」角川 文庫 ) - 『
平成 トム・ソーヤー』(集英社 、1992年 のち文庫 ) - 『どこにもない
短 編集 』(徳間書店 、1993年 のち文庫 、角川 文庫 ) - 『
人 の短 編集 』(角川書店 、1997年 のち文庫 ) - 『
百 人 の王様 ・わがまま王 』(岩波書店 、1998年 ) - 『
屑 籠 一 杯 の剃刀 自選 恐怖 小説 集 』(角川 ホラー文庫 、1999年 ) - 『
旅 の短 編集 春 夏 』(角川 文庫 、2000年 TOKYO FM系 ジェットストリームのミッドナイトオデッセイ(1993年 まで)の脚本 にもなっている。 - 『
旅 の短 編集 秋冬 』(角川 文庫 、2001年 ) - 『
彼 の人生 の場合 と彼女 の人生 の場合 』(角川書店 2001年 「私 、という名 の人生 」文庫 ) - 『
劇場 の神様 』(新潮社 、2002年 のち文庫 ) - 『
醜 い花 』(岩波書店 、2003年 11月) - 『
何 の印象 もない女 』(角川 文庫 、2004年 ) - 『メメント・モリ』(
新潮社 、2015年 )、岩波 現代 文庫 、2020年 - 『〆
太 よ』(新潮社 、2018年 )
エッセイ[編集 ]
- 『スバラ
式 世界 』(主婦 の友社 、1990年 のち集英社 文庫 ) - 『
東京 見聞 録 』(講談社 、1991年 のち文庫 ) - 『
東京 困惑 日記 』(角川書店 、1991年 のち文庫 ) - 『
東京 トホホ本舗 』(学生 援護 会 、1991年 のち新潮 文庫 ) - 『むむむの
日々 』(大和 書房 、1991年 のち集英社 文庫 ) - 『できそこないの
出来事 』(大和 書房 、1992年 のち集英社 文庫 - 『
元祖 スバラ式 世界 』(主婦 の友社 、1992年 のち集英社 文庫 ) - 『
平凡 なんてありえない』(PHP研究所 、1992年 のち文庫 、角川 文庫 ) - 『
吾輩 ハ苦手 デアル』(新潮社 、1992年 のち文庫 ) - 『
十 七 歳 だった!』(マガジンハウス、1993年 のち集英社 文庫 ) - 『こんなものを
買 った』(毎日新聞社 、1993年 のち新潮 文庫 ) - 『
大 サービス』(集英社 、1993年 のち文庫 ) - 『
見学 のススメ』(講談社 、1994年 のち文庫 ) - 『
鉄 本 27号 』(角川書店 、1994年 『27(にじゅうなな)』文庫 ) - 『かんがえる
人 』(光文社 、1994年 のち文庫 ) - 『
本家 スバラ式 世界 』(主婦 の友社 、1994年 のち集英社 文庫 ) - 『はたらく
青年 』(中央公論社 (中央公論 新 社 )、1994年 のち文庫 、角川 文庫 ) - 『
日常 ええかい話 』(集英社 文庫 、1994年 ) - 『
家族 それはヘンテコなもの』(角川書店 、1995年 のち文庫 ) - 『わがモノたち』(
新潮社 、1995年 のち文庫 ) - 『ハハな
人 たち』(婦人生活社 1995年 5月 のち角川 文庫 ) - 『
買 った買 った買 った』(毎日新聞社 、1995年 のち新潮 文庫 ) - 『すんごくスバラ
式 世界 』(主婦 の友社 、1996年 のち集英社 文庫 ) - 『
楽天 のススメ』(小学館 、1996年 のち文庫 ) - 『いろはに
困惑 倶楽部 』(文藝春秋 、1996年 のち角川 文庫 ) - 『Now and then
原田 宗 典 原田 宗 典 自身 による全 作品 解説 +56の質問 』(角川書店 1997年 7月 ) - 『
色 について語 ってはいけない』(藤井 保 写真 幻冬舎 1997年 10月 ) - 『
笑 われるかも知 れないが』(幻冬舎 文庫 1997年 4月 ) - 『
相談 しようそうしよう』(メディアファクトリー 1998年 3月 のち幻冬舎 文庫 ) - 『
幸福 らしきもの』(集英社 、1997年 のち文庫 ) - 『
少年 のオキテ』(主婦 の友社 、1998年 のち集英社 文庫 ) - 『あはははは 「
笑 」エッセイ傑作 選 』(幻冬舎 文庫 、1999年 ) - 『
大変 結構 、結構 大変 。 ハラダ九州 温泉 三昧 の旅 』(集英社 、1999年 のち文庫 ) - 『
貴方 には買 えないもの名鑑 』(集英社 文庫 1999年 1月 ) - 『
笑 ってる場合 』(集英社 、1999年 のち文庫 ) - 『
道草 食 う記 』(PHP研究所 、2000年 のち角川 文庫 ) - 『おまえは
世界 の王様 か!』(メディアファクトリー 2000年 7月 のち幻冬舎 文庫 ) - 『はらだしき
村 』(集英社 文庫 、2003年 ) - 『ハラダ
発 ライ麦 畑 経由 ニューヨーク行 』(朝日出版社 、2000年 のち新潮 文庫 ) - 『
見 たことも聞 いたこともない』(光文社 2003年 8月 のち文庫 ) - 『
私 は好奇心 の強 いゴッドファーザー』(講談社 2004年 4月 のち文庫 ) - 『
新人 だった!』(角川書店 、2004年 のち文庫 ) - 『
私 を変 えた一言 』(アクセス・パブリッシング、2005年 のち集英社 文庫 ) - 『
吾輩 ハ作者 デアル』(集英社 文庫 、2006年 ) - 『し』(
幻冬舎 2006年 3月 のち文庫 ) - 『たまげた
録 』(講談社 2008年 7月 )のち文庫 - 『じぶん
素描 集 』(講談社 2009年 4月 ) - 『やや
黄色 い熱 をおびた旅人 』(岩波書店 2018年 )
戯曲 [編集 ]
- 『
愛 は頭 にくる』(1986年 ) - 『
幸 せの黄色 くもない石 』(1987年 ) - 『
箱 の中身 ・分 からない国 』(集英社 、1992年 ) - 『
火 男 の火 』(1993年 ) - 『チャフラフスカの
犬 』(集英社 、1994年 ) - 『もう
大丈夫 』 (1994年 、企画 のみ) - 『
違 うチャフラフスカの犬 』 (1995年 ) - 『
処女 』(幻冬舎 1997年 4月 のち文庫 ) - 『
小林 秀雄 先生 来 る』(新潮社 2008年 )
絵本 [編集 ]
詩集 [編集 ]
- 『ゆめうつつ
草紙 』(幻冬舎 1999年 12月 のち文庫 ) - 『
青空 について』(挿絵 :かとうゆめこ)光文社 、1999年 のち文庫 ) - 『
考 えない世界 』(講談社 、2001年 のち文庫 )
共編 著 [編集 ]
- 『
肉体 の門 』(清水 ちなみ共編 扶桑社 1995年 1月 のち幻冬舎 文庫 ) - 『
日本 の名 随筆 別巻 60買物 』 (作品社 1996年 2月 ) - 『
貴方 には買 えないもの名鑑 』(長岡 毅 共著 扶桑社 1996年 9月 ) - 『ぼくの
心 をなおしてください』(町 沢 静夫 幻冬舎 、2002年 のち文庫 )
翻訳 [編集 ]
- アルフレッド・テニスン『イノック・アーデン』
岩波書店 2006年 10月 )
キャッチコピー[編集 ]
脚注 [編集 ]
- ^
原田 宗 典 『新人 だった!』角川書店 、2004年 、[要 ページ番号 ]頁 。ISBN 4-04-883890-3。 - ^
小説 家 の原田 宗 典 容疑 者 逮捕 =覚 せい剤 と大麻 所持 容疑 -警視庁 [リンク切 れ]時事通信 - ^
各紙 報道 [1][リンク切 れ] - ^ 『
新潮 』(@Monthly_Shincho)による2015年 6月 26日 のツイート、2021年 6月 13日 閲覧 。 - ^ a b 「
鉄 本 27号 」角川書店 、1994年 - ^ a b 「
買 った買 った買 った」毎日新聞社 、1995年
外部 リンク[編集 ]
原田 宗 典 (@haradamunenori) - X(旧 Twitter)家族 会議 巻頭 リレーコラム- megajob インタビュー