喜茂別 町
(喜茂別 村 から転送 )
きもべつちょう ![]() | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
| |||||
![]() | |||||
| |||||
| |||||
| |||||
01398-6 | |||||
3000020013986 | |||||
189.41km2 ( | |||||
1,938 ( | |||||
10.2 | |||||
| |||||
エゾヤマザクラ | |||||
インパチェンス | |||||
| |||||
〒044-0292 | |||||
| |||||
ウィキプロジェクト |
地理 [編集 ]
気候 [編集 ]
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
1 |
2 |
3 |
4 |
5月 | 6 |
7 |
8 |
9月 | 10月 | 11月 | 12月 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
7.1 (44.8) |
12.9 (55.2) |
16.8 (62.2) |
23.8 (74.8) |
30.2 (86.4) |
33.3 (91.9) |
34.1 (93.4) |
34.5 (94.1) |
31.0 (87.8) |
25.4 (77.7) |
19.3 (66.7) |
11.3 (52.3) |
34.5 (94.1) | |
−2.7 (27.1) |
−1.7 (28.9) |
2.2 (36) |
8.8 (47.8) |
16.5 (61.7) |
20.7 (69.3) |
24.1 (75.4) |
24.9 (76.8) |
21.0 (69.8) |
14.3 (57.7) |
6.3 (43.3) |
−0.6 (30.9) |
11.2 (52.2) | |
−7.2 (19) |
−6.7 (19.9) |
−2.5 (27.5) |
3.5 (38.3) |
10.2 (50.4) |
15.0 (59) |
19.0 (66.2) |
19.6 (67.3) |
15.0 (59) |
8.2 (46.8) |
1.5 (34.7) |
−4.8 (23.4) |
5.9 (42.6) | |
−14.1 (6.6) |
−14.0 (6.8) |
−9.2 (15.4) |
−2.3 (27.9) |
3.7 (38.7) |
9.4 (48.9) |
14.4 (57.9) |
14.8 (58.6) |
9.2 (48.6) |
2.3 (36.1) |
−3.2 (26.2) |
−10.3 (13.5) |
0.1 (32.2) | |
−31.3 (−24.3) |
−31.9 (−25.4) |
−25.7 (−14.3) |
−18.5 (−1.3) |
−4.0 (24.8) |
−1.6 (29.1) |
2.4 (36.3) |
4.9 (40.8) |
−1.1 (30) |
−7.3 (18.9) |
−20.6 (−5.1) |
−27.3 (−17.1) |
−31.9 (−25.4) | |
86.1 (3.39) |
66.4 (2.614) |
68.2 (2.685) |
64.0 (2.52) |
78.9 (3.106) |
58.1 (2.287) |
106.2 (4.181) |
157.7 (6.209) |
140.3 (5.524) |
112.4 (4.425) |
126.4 (4.976) |
113.2 (4.457) |
1,178 (46.378) | |
238 (93.7) |
193 (76) |
143 (56.3) |
32 (12.6) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
3 (1.2) |
95 (37.4) |
244 (96.1) |
954 (375.6) | |
20.3 | 17.6 | 16.2 | 11.3 | 10.9 | 9.1 | 10.3 | 11.0 | 12.6 | 14.3 | 17.7 | 21.8 | 173.2 | |
46.2 | 57.2 | 99.7 | 153.2 | 183.0 | 170.0 | 141.9 | 144.5 | 150.7 | 125.6 | 68.2 | 34.6 | 1,376.3 | |
隣接 している自治体 ・行政 区 [編集 ]
※
町名 の由来 [編集 ]
アイヌ
沿革 [編集 ]
- 659
年 (斉 明天 皇 5年 ):日本書紀 によると、阿部 比羅夫 が後方 羊蹄 (シリベシ)に至 り当地 に政所 を置 き郡 領 を任命 して帰 ったとある。なお、後方 羊蹄 の地 は喜茂別 町 の他 、余市 町 や東北 地方 など諸説 ある。喜茂別 町 の比羅岡 地区 には比羅夫 神社 がある。
- 1855
年 (安政 2年 ):松浦 武四郎 が蝦夷 地 御用 雇 に採用 される。 - 1856
年 (安政 3年 ):武四郎 は、羊蹄山 は北海道 の中央 にあり、将来 は山麓 を開拓 してそこに政府 を置 くことが望 ましいと考 えた。そのため、国道 230号 や国道 276号 の元 となるルートを開削 することを提案 した。 - 1857
年 (安政 4年 ):武四郎 は調査 のためフレナイ(現在 の虻田 市街 )を出発 して、尻別川 上流 へ向 かった。羊蹄山 と尻別岳 の間 を通 り、尻別川 左岸 の喜茂別 町内 のフルボク(坂 の下 の意味 )に到着 。その後 、徒歩 で尻別川 本流 を遡 り、オロウェン尻別川 との分岐 であるヘタヌ(現在 の喜茂別 町 鈴川 )まで来 た。武四郎 はこの時 の日誌 (報 志 利 辺 津 日誌 )に羊蹄山 と尻別岳 について以下 のように記 している
「この
「この
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8f/%E7%BE%8A%E8%B9%84%E5%B1%B1%EF%BC%88%E5%8F%B3%EF%BC%89%E3%81%A8%E5%B0%BB%E5%88%A5%E5%B2%B3.jpg/220px-%E7%BE%8A%E8%B9%84%E5%B1%B1%EF%BC%88%E5%8F%B3%EF%BC%89%E3%81%A8%E5%B0%BB%E5%88%A5%E5%B2%B3.jpg)
「
- 1858
年 (安政 5年 ):再度 武四郎 は調査 のため喜茂別 を訪 れた。この時 も虻田 を出発 し、羊蹄山 の水源 の少 し上手 にあたるノボリチシに至 り、そこを後方 羊蹄 社 (神社 )建立 の予定 地 と定 めた。その後 、ルウサン(現在 の喜茂別 町 留 産 )の上 に出 、そこから山麓 を通 って再度 昨年 訪 れたフルボクに到着 した。それから喜茂別川 を上 り、中山峠 付近 を越 え、豊平川 の上流 を下 り、定山渓 で宿泊 したのち、発寒 や銭 函 を経由 して石狩 に到着 した。この2度 の武四郎 の調査 ルートは、ほぼアイヌの人々 が、鮭 漁 、山 猟 や石狩 地方 への出稼 ぎの際 に利用 していた道 を利用 した。現在 の国道 230号線 、276号線 の近 くを通 っている。当時 の喜茂別 町 域 にはアイヌ民族 の定住 者 はなく、虻田 や有珠 のアイヌの鮭 の漁場 があって、出稼 ぎに来 る場所 であった。
- 1869
年 (明治 2年 ):蝦夷 が北海道 と改称 され、11国 86郡 を設定 された。その結果 、現在 の喜茂別 町 は胆振 国 虻田 郡 に属 することになった。また、東本願寺 より明治 政府 に本願寺 道路 開削 の願書 が提出 される。 - 1870
年 (明治 3年 ):有珠 郡 に旧 仙台 藩 亘理 支 藩 の伊達 家 が集団 移住 。現 如(大谷 光瑩 )が事業 の責任 者 となり、本願寺 道路 工事 始 まる。喜茂別 町 を通 るルートを選択 したのは松浦 武四郎 の助言 による。現在 中山峠 には現 如の銅像 がある。 - 1871
年 (明治 4年 ):虻田 郡 が旧 仙台 藩 亘理 支 藩 の伊達 家 の領地 となる。当時 開拓 長官 だった東 久世 通 禧や参議 だった副島 種臣 らが工事 中 の本願寺 道路 を視察 。この際 、副島 種臣 が「右 に余市岳 を望 、左 に札幌 岳 を望 故 」中山峠 と命名 。また、この時 、東 久世 長官 が亘理 伊達 家 当主 だった伊達 邦 成 に対 し、家臣 の中 に本願寺 道路 の小 休 所 の経営 を兼 ねて開墾 土着 を希望 する者 があれば申 し出 るべきことを命 じ、小屋 は開拓 使 が手配 することを明 らかにしている。なお、この視察 の際 、副島 種臣 は「シンノシケコタン(中央 の集落 の意味 。現在 の喜茂別 町 留 産 )は札幌 より便利 よろしかるべき也。成 程 千 年 昔 の都 府 」と感服 していた。視察 の後 、亘理 支 藩 の阿部 嘉 左衛門 、牛 坂 喜四郎 、志賀 久 米 之 進 の3名 が喜茂別 のシンノシケコタンに移植 し、駅伝 を開設 。喜茂別 にとって記念 すべき最初 の和人 の開拓 者 となる。その後 本願寺 道路 も開通 した。 - 1872
年 (明治 5年 ):阿部 嘉 左衛門 夫婦 の留守 中 に子供 が行灯 に点火 しようとして誤 って失火 し、家屋 が焼失 。駅伝 も廃止 となる。 - 1873
年 (明治 6年 ):本格 的 な馬車 道 である札幌 本道 (現在 の国道 36号線 に相当 )が開通 。本願寺 道路 は廃 れていく。阿部 嘉 左衛門 も伊達 に戻 る。 - 1875
年 (明治 8年 ):阿部 嘉 左衛門 再度 喜茂別 に移住 。今度 はフルボッケ(現在 の喜茂別 町 相川 )で駅伝 再開 。 - 1890
年 (明治 23年 ):現在 の喜茂別 町 尻別 に駅逓 が開設 される。 - 1891
年 (明治 24年 ):現在 の喜茂別 町 喜茂別 に駅逓 が開設 される。 - 1893
年 (明治 26年 ):現在 の喜茂別 町 尻別 に阿部 嘉 左衛門 が実 に三 度目 の駅逓 を開設 。 - 1895
年 (明治 28年 ):阿部 嘉 左衛門 が本籍 を伊達 東 紋 別 から喜茂別 に移 す - 1897
年 (明治 30年 ):虻田 村 から真狩 村 が分村 (役場 は現在 の留寿都 村 に設置 した) - 1902
年 (明治 35年 ):南部 団体 10余 戸 移住 - 1903
年 (明治 36年 ):伏見 神社 を喜茂別 町 中心 部 から現在 の伏見 地区 に奉還 。稲村 道三 郎 が現在 の比羅岡 に入植 。 - 1904
年 (明治 37年 ):地元民 により上 喜茂別 鉱山 が発見 される。 - 1905
年 (明治 38年 ):公立 喜茂別 簡易 教育 所 指定 。 - 1905
年 (明治 38年 ):喜茂別 簡易 教育 所 は喜茂別 尋常 小学校 と改称 、壮 渓 珠 オマベツ教育 所 付設 - 1907
年 (明治 40年 ):上 喜茂別 鉱山 の試掘 願 設定 される。山梨 県 甲府 市 笛吹川 で大 水害 発生 - 1908
年 (明治 41年 ):尻別岳 で雨 ごいが行 われる。 - 1909
年 (明治 42年 ):壮 渓 珠 オマベツ駅逓 開設 。上目名 (現 比羅岡 )に喜茂別 尋常 小学校 付属 特設 教授 所 開設 - 1910
年 (明治 43年 ):山梨 県 甲府 市 笛吹川 で大 水害 発生 - 1911
年 (明治 44年 ):阿部 嘉 左衛門 が喜茂別 神社 内 に馬頭観音 建立 。山梨 県 人 253戸 (下山 嘉吉 含 む)、福島 県 人 80戸 団体 移住 - 1912
年 (明治 45年 ):阿部 嘉 左衛門 死去 。下山 嘉吉 が白 花 豆 栽培 をはじめる。 - 1914
年 (大正 2年 ):比羅夫 神社 創建 。上 壮 渓 珠 オマベツ特別 教授 所 開設 - 1916
年 (大正 5年 ):喜茂別 尋常 小学校 に高等 科 併置 、喜茂別 尋常 高等 小学校 と改称 。上 喜茂別 鉱山 に有望 な鉱床 が発見 され大刀 川 鉱山 と称 したが、大 きな開発 は行 われなかった。 - 1917
年 (大正 6年 ):真狩 村 (現 留寿都 村 )から分離 独立 し、2級 町村 制 を施行 し、村 名 を喜茂別 村 とする。人口 は7,892人 だった。初代 村長 伊藤 清之 進 就任 。壮 渓 珠 、上 喜茂別 、上 壮 渓 珠 、上尻別 の4教授 所 が独立 し尋常 小学校 - 1919
年 (大正 8年 ):黒 橋 に居住 していた佐藤 宇吉が現在 の竜神 沼 のほとりで大蛇 を見 た。当時 の沼 には魚 が一 匹 も住 んでいなかったため、気味 が悪 いので、水 に関係 のある竜神 をまつることになった。 - 1920
年 (大正 9年 ):徳 舜 瞥村(現 伊達 市 )の一部 を編入 - 1924
年 (大正 13年 ):下山 嘉吉 が白 花 豆 の純化 に成功 - 1925
年 (大正 14年 ):村長 が「アスパラガスこそ本村 に適 した作物 」と100本 の苗 を試作 。下山 嘉吉 が東京 へ転居 。 - 1928
年 (昭和 3年 ):胆振 線 鉄道 開通 (喜茂別 ~京極 間 ) - 1929
年 (昭和 4年 ):アスパラガス耕作 組合 が組織 され、アスパラガス耕作 始 まる。 - 1932
年 (昭和 7年 ):農家 の組合 「喜茂別 村 産業 組合 」が朝日 アスパラガス缶詰 株式会社 創業 。ホワイトアスパラガス缶詰 の生産 開始 。 - 1933
年 (昭和 8年 ):中山 鉱山 が発見 される - 1934
年 (昭和 9年 ):小樽 市 の極東 罐詰 株式会社 が進出 し、耕作 組合 を組織 、契約 栽培 を実施 。壮 渓 珠 オマベツ駅逓 廃止 。 - 1936
年 (昭和 11年 ):日本 アスパラガス耕作 組合 、朝日 アスパラガス耕作 組合 、極東 罐詰 アスパラガス耕作 組合 が協議 の上 、喜茂別 村 三 アスパラガス耕作 組合 連合 会 結成 。 - 1937
年 (昭和 12年 ):アスパラ農家 が道 アスパラガス生産 者 大会 を開 き、朝日 アスパラガス株式会社 に対 する原料 の供給 を拒絶 する決議 し、翌年 からアスパラガスの全 生産 量 を農民 らの産業 組合 へ出荷 することを申 し合 わせ。上 喜茂別 鉱山 を日本 製鉄 株式会社 が買収 。 - 1938
年 (昭和 13年 ):喜茂別 村 産業 組合 缶詰 工場 設立 。日本 製鉄 株式会社 が上 喜茂別 鉱山 の本格 的 な採掘 を行 う。 - 1939
年 (昭和 14年 ):農民 自 ら喜茂別 産業 組合 のもと缶詰 工場 を建設 しクレードルブランドアスパラガス缶詰 の製造 を開始 。村立 喜茂別 診療 所 開設 。日鉄鉱業 株式会社 設立 、上 喜茂別 鉱山 採掘 権 を買 う。 - 1940
年 (昭和 15年 ):喜茂別 ~日 鉄 喜茂別 鉱山 間 鉄道 開通 - 1941
年 (昭和 16年 ):胆振 縦貫 鉄道 全線 開通 (伊達 ~倶知安 間 ) - 1942
年 (昭和 17年 ):上 喜茂別 鉱山 が砒素 の含有 が多 いため休山 。 - 1944
年 (昭和 19年 ):胆振 縦貫 鉄道 を国鉄 が買収 し「胆振 線 」と称 す。戦時 需要 が増 したため、上 喜茂別 鉱山 再 操業 。 - 1946
年 (昭和 21年 ):1級 村 に昇格 する。喜茂別 有線 放 声 所 誕生 。上 喜茂別 鉱山 再度 休山 。 - 1947
年 (昭和 22年 ):第 1回 民選 村長 選挙 菊地 久治 当選 。喜茂別 、鈴川 、双葉 、上 喜茂別 の4中学校 創設 。 - 1948
年 (昭和 23年 ):喜茂別 市街 大火 317戸 焼失 。北海道 倶知安 農業 高等 学校 喜茂別 分校 開校 。北海道 農村 工業 協同 株式会社 設立 。 - 1949
年 (昭和 24年 ):クレ ードル興農 株式会社 喜茂別 工場 事務所 建設 。 - 1951
年 (昭和 26年 ):高校 が倶知安 高等 学校 喜茂別 分校 と校 名 変更 (農業 課程 を普通 課程 に改 める)。喜茂別 町 社会 福祉 協議 会 設立 。上 喜茂別 鉱山 操業 。 - 1952
年 (昭和 27年 ):町制 施行 し、喜茂別 町 となる。高校 は「北海道 喜茂別 高等 学校 」と改称 し独立 - 1953
年 (昭和 28年 ):上 喜茂別 鉱山 休山 - 1955
年 (昭和 30年 ):香川 県 石田 高校生 第 1回 農業 研修 のため来 町 - 1957
年 (昭和 32年 ):喜茂別 町 土地 改良 区 設立 。2級 国道 230号 (札幌 ~虻田 間 )舗装 工事 始 まる。 - 1959
年 (昭和 34年 ):喜茂別 町 保育 所 落成 開所 - 1960
年 (昭和 35年 ):喜茂別 町 防犯 協会 、喜茂別 町 体育 団体 連絡 協議 会 、喜茂別 町 婦人 団体 連絡 協議 会 設立 - 1961
年 (昭和 36年 ):喜茂別 高等 学校 に全日 制 課程 設置 認可 。喜茂別 町 商工会 発足 - 1963
年 (昭和 38年 ):喜茂別 高等 学校 が道 立 移管 - 1965
年 (昭和 40年 ):中山峠 に「アスパラガス発祥 の地 」の碑 を建立 。中山 峠 健 民 センター国民 宿舎 「中 山荘 」、物産 館 、体育館 落成 、キャンプ村 開設 。 - 1966
年 (昭和 41年 ):開 町 50周年 式典 を挙行 する。栄 中学校 を喜茂別 中学校 に統合 。道 立中 山 峠 ユースホステル完成 - 1967
年 (昭和 42年 ):クレ ードル興農 の缶詰 生産 最盛 期 。現 如上 人 之 像 建立 。 - 1968
年 (昭和 43年 ):クレ ードル興農 倒産 。中山峠 であげいもが販売 される。 - 1970
年 (昭和 45年 ):過疎 地域 指定 。喜茂別 町 文化 団体 協議 会 発足 。喜茂別 町 総合 10か年 計画 策定 。香川 県 寒川 町 (現 さぬき市 )との姉妹 都市 提携 に関 する決議 - 1972
年 (昭和 47年 ):統合 喜茂別 中学校 落成 - 1973
年 (昭和 48年 ):羊蹄 山 ろく消防 組合 発足 喜茂別 支署 を設置 。喜茂別 町 保育 所 新築 落成 。 - 1974
年 (昭和 49年 ):鈴川 小学校 改築 落成 - 1976
年 (昭和 51年 ):鈴川 基幹 集落 センター落成 - 1977
年 (昭和 52年 ):双葉 克 雪 管理 センター落成 - 1978
年 (昭和 53年 ):喜茂別 高等 学校 創立 30周年 記念 式典 挙行 。栄 小学校 改築 落成 。喜茂別 町 特産 物 直売 センター開設 。社会 福祉 法人 大蔵 福祉 会 精神 薄弱 者 更生 施設 「喜茂別 双葉 学園 」開設 - 1979
年 (昭和 54年 ):森林 組合 事件 、町 費 流用 事件 。喜茂別 小学校 開校 80周年 記念 式典 挙行 。栄 小学校 、羊蹄 小学校 、御園 小学校 開校 70周年 記念 式典 挙行 。栄 ・羊蹄 地区 に基礎 集落 圏 管理 棟 落成 。国道 230号 ・道道 喜茂別 停車場 線 に道内 初 の流 雪 溝 設置 。 - 1980
年 (昭和 55年 ):町営 プール上屋 落成 。御園 小学校 増 改築 落成 。第 23回 体力 づくり運動 推進 全国 大会 内 閣 総理 大臣 賞 受賞 。 - 1983
年 (昭和 58年 ):喜茂別 町 交通 安全 協会 設立 。双葉 小学校 創立 80周年 記念 式典 挙行 。喜茂別 町 観光 協会 設立 。喜茂別 小学校 体育館 完成 。中山 峠 健 民 センター物産 館 オープン。中山峠 高原 ホテルオープン。 - 1984
年 (昭和 59年 ):栄 小学校 閉校 。クレードル会社 更生 手続 き完了 。 - 1985
年 (昭和 60年 ):喜茂別 町 社会 福祉 協議 会 が法人 認可 され「社会 福祉 法人 喜茂別 町 社会 福祉 協議 会 」となる。喜茂別 町 スポーツ少年 団 育成 連絡 協議 会 設立 。 - 1986
年 (昭和 61年 ):国鉄 胆振 線 廃止 代替 バス運行 開始 - 1987
年 (昭和 62年 ):開 町 70周年 記念 式典 挙行 (農村 環境 改善 センター、町 武道館 落成 記念 ) - 1988
年 (昭和 63年 ):鈴川 小学校 開校 80周年 記念 式典 挙行 。御園 小学校 閉校 。 - 1989
年 (平成 元年 ):ふるさと創 生 事業 双葉 地区 フラワーストリート設置 。羊蹄 小学校 開校 80周年 記念 式典 挙行 。中山峠 に「アスパラの塔 」設置 。 - 1991
年 (平成 3年 ):喜茂別 町 交通 安全 母 の会 設立 - 1992
年 (平成 4年 ):喜茂別 町 新 総合 計画 策定 。喜茂別 小学校 新 校舎 落成 記念 式典 挙行 。喜茂別 中学校 統合 開校 20周年 記念 式典 挙行 。 - 1993
年 (平成 5年 ):オフトーク「ふれあい通信 」放送 開始 。双葉 地区 開基 93年 、双葉 小学校 開校 90周年 記念 式典 挙行 。中山 峠 健 民 センター物産 館 が「道 の駅 」に指定 。 - 1994
年 (平成 6年 ):中山峠 観光 トイレ「森 のしずく」開設 - 1995
年 (平成 7年 ):国土庁 「水 の郷 100選 」に認定 。農林水産省 「グリーンツーリズムモデル育成 地域 」に指定 。中山峠 観光 トイレが日本 トイレ協会 グッドトイレ10に選 ばれる。 - 1996
年 (平成 8年 ):温泉 湧出 源泉 名 「ふるっぷ温泉 」。喜茂別 町 行政 改革 大綱 策定 。ふるっぷ温泉 仮設 浴場 開設 。 - 1997
年 (平成 9年 ):開 町 80周年 記念 式典 挙行 (ふれあい福祉 センター落成 記念 )。 - 1998
年 (平成 10年 ):羊蹄 小学校 閉校 。喜茂別 高等 学校 新 校舎 落成 。一般 廃棄 物 分別 収集 開始 。 - 1999
年 (平成 11年 ):中山峠 公営 企業 会計 廃止 民間 企業 へ移譲 。社会 福祉 法人 愛 和 福祉 会 「愛 和 の里 きもべつ」開設 。 - 2000
年 (平成 12年 ):中山峠 森 の美術館 開設 。動物 写真 家 の嶋田 忠 の写真 を中心 に扱 う「嶋田 忠 ネイチャーアートフォーラム」とエミール・ガレのガラス工芸 やルイ・マジョレルの家具 等 を展示 する「アール・ヌーボーコレクション」の2分野 を常設 展示 。 - 2001
年 (平成 13年 ):きもべつ浄化 センター完成 市街 地区 特定 環境 保全 公共 下水道 事業 供用 開始 。 - 2002
年 (平成 14年 ):第 4次 喜茂別 町 総合 計画 策定 。一般 廃棄 物 最終 処分 場 供用 開始 。 - 2003
年 (平成 15年 ):双葉 小学校 閉校 。中山峠 森 の美術館 閉館 。 - 2004
年 (平成 16年 ):町長 選挙 執行 菅原 章 嗣初当選 - 2005
年 (平成 17年 ):放課後 児童 クラブ(学童 保育 )始 まる。喜茂別 町 観光 協会 解散 。「中山峠 森 の美術館 」が「中山峠 写真 の森 美術館 」としてリニューアルオープン。 - 2006
年 (平成 18年 ):喜茂別 町 自治 連絡 協議 会 設立 鈴川 地区 で防災 訓練 実施 - 2007
年 (平成 19年 ):後志 管内 16町村 で構成 される後志 広域 連合 設立 本町 も加盟 。喜茂別厚生病院 が病床 を廃止 し喜茂別 厚生 クリニックに呼称 変更 。 - 2008
年 (平成 20年 ):鈴川 小学校 開校 100周年 記念 式典 挙行 - 2009
年 (平成 21年 ):テレビ中継 局 を地上 デジタル化 整備 一部 視聴 開始 。ふるっぷ温泉 閉鎖 。 - 2010
年 (平成 22年 ):喜茂別 高等 学校 閉校 。きもべつ笑 み~な新築 落成 。郷 の駅 ホッときもべつオープン。旧 喜茂別 高等 学校 校舎 に喜茂別 中学校 が移転 。地域 おこし協力 隊 (第 1期 )10名 ( - 2012.3.31) - 2011
年 (平成 23年 ):町内 全域 に光 ブロードバンド整備 。おしゃべり回覧 板 放送 開始 。喜茂別 町 企業 誘致 条例 に基 づく第 1号 として横浜 冷凍 株式会社 喜茂別 工場 誘致 。「中山峠 写真 の森 美術館 」が「中山峠 森 の美術館 」としてリニューアルオープン。 - 2012
年 (平成 24年 ):第 5次 喜茂別 町 総合 計画 策定 。地域 振興 センター「みらい」新築 落成 。一般 社団 法 人 きもべつ観光 協会 設立 。 - 2013
年 (平成 25年 ):地域 おこし協力 隊 (第 2期 )3名 ( - 2015.3.31)。喜茂別 厚生 クリニックを町立 診療 所 化 「喜茂別 町立 クリニック」として開設 。社会 福祉 法人 渓仁会 介護 老人 福祉 施設 「きもべつ喜 らめきの郷 」開設 。洞爺湖 町 、豊浦 町 、留寿都 村 、喜茂別 町 による国道 230号 道路 整備 促進 期成 会 設立 。マスコットキャラクター「ウサパラくん」誕生 。 - 2014
年 (平成 26年 )):旧 公民館 の備品 から山梨 県 旧 休息 村 (現 甲州 市 )にかかる古文書 発見 。道 南 バス喜茂別 御園 間 廃止 。 - 2015
年 (平成 27年 ):喜茂別 町営 バス「ウサパラ号 」運行 開始 。生 ゴミ堆肥 化 施設 落成 。喜茂別 町 人口 ビジョン・総合 戦略 策定 。羊蹄 山 ろく消防 組合 喜茂別 支署 庁舎 落成 。喜茂別 町立 クリニックを喜茂別 町 健康 増進 センターに呼称 変更 し、町 健康 推進 課 と元気 応援 課 が移設 。 - 2016
年 (平成 28年 ):北海道 日本 ハムファイターズ応援 大使 事業 。ふるさと応援 基金 事業 (ふるさと納税 )開始 。農村 環境 改善 センターがサブオフサイトセンターに指定 。喜茂別 町 開 町 100周年 記念 式典 挙行 祝賀会 開催 。喜茂別 町 開 町 100周年 記念 事業 (富士 作品 展 、記念 公園 造成 、記念 植樹 等 )。新町 章 制定 。公衆 無線 LAN環境 整備 事業 により町内 11箇所 にWi-Fiを整備 。 - 2017
年 (平成 29年 ):地域 おこし協力 隊 (第 3期 )1名 ( - 2019.3.31)。中山峠 森 の美術館 閉館 。 - 2019
年 (令 和 元年 ):地域 おこし協力 隊 (第 4期 )2名 ( - 2020.3.31)。町議会 議員 選挙 が実施 され、定数 9のうち30代 2名 、40代 2名 などとなり平均 年齢 55.4歳 の異例 の若 い地方 議会 が誕生 (全国 町村 議会 議員 の平均 年齢 は63.9歳 )。 - 2020
年 (令 和 2年 ):郷 の駅 商業 施設 を町 が株式会社 グリーンロードより購入 。町長 選挙 執行 内村 俊二 初 当選 。 - 2021
年 (令 和 3年 ):喜茂別 町 ゼロカーボンシティ宣言 。喜茂別 町立 クリニックの委託 先 が医療 法人 渓仁会 から医療 法人 社団 スカイに変更 。北海道 初 の女子 野球 タウンの認定 を受 ける。地域 おこし協力 隊 (第 5期 )3名 。 - 2022
年 (令 和 4年 ):道 南 バスの喜茂別 大滝 本町東 団地 間 廃止 。 - 2023
年 (令 和 5年 ):町議会 議員 選挙 が実施 されるも、戦後 初 の定数 割 れ。平均 年齢 は56.5歳 。
経済 [編集 ]
産業 [編集 ]
主 に農業
立地 企業 [編集 ]
クレ ードル興農 株式会社 喜茂別 工場
農協 [編集 ]
- ようてい
農業 協同 組合 (JAようてい)喜茂別 支所
金融 機関 [編集 ]
北海道 信用金庫 喜茂別 支店
郵便 局 [編集 ]
喜茂別 郵便 局 (集配 局 )鈴川 郵便 局
宅配 便 [編集 ]
公共 機関 [編集 ]
警察 [編集 ]
倶知安 警察 署 喜茂別 駐在 所 鈴川 駐在 所
姉妹 都市 ・提携 都市 [編集 ]
国内 [編集 ]
地域 [編集 ]
人口 [編集 ]
![]() | |||
■
■ |
■
■ | ||
| |||
消滅 集落 [編集 ]
2015
喜茂別 町 -字 富士見台 ,字 壮 園 ,字 福島
教育 [編集 ]
中学校 喜茂別
小学校 喜茂別 、鈴川 ※2024年度 末 (2025年 3月 31日 )で閉校 、喜茂別 小 に統合
交通 [編集 ]
鉄道 [編集 ]
伊達 紋別 駅 と倶知安 駅 を結 ぶ国鉄 胆振 線 が通 っていたが、1986年 (昭和 61年 )11月1日 に廃止 されている。町内 には御園 駅 、北 鈴川 駅 、喜茂別 駅 、留産 駅 が設置 されていた。現在 は、町内 を鉄道 路線 は通 っていない。最寄 りは、JR北海道 函館本線 倶知安 駅 。
バス[編集 ]
道路 [編集 ]
名所 ・旧跡 ・観光 スポット・祭事 ・催事 [編集 ]
郷 の駅 ホッときもべつ後方 羊蹄山 の高山 植物 帯 (国 の天然記念物 )支 笏 洞爺 国立 公園 中山峠 スキー場 道 の駅 望 羊 中山 旧 双葉 小学校 史料 館 雪月花 廊 喜茂別 町民 公園
名物 ・名産 品 [編集 ]
- あげいも -
中山峠 の売店 で販売
出身 著名 人 [編集 ]
脚注 [編集 ]
- ^ “
喜茂別 過去 の気象 データ検索 ”.気象庁 . 2024年 3月 28日 閲覧 。 - ^ アイヌ
語 ラテン翻 字 : kim-un-pet - ^ アイヌ
語 ラテン翻 字 : kim-o-pet - ^ “アイヌ
語 地名 リスト キト~コム P41-50P”. アイヌ語 地名 リスト.北海道 環境 生活 部 アイヌ政策 推進 室 (2007年 ). 2017年 10月 19日 閲覧 。 - ^
総務 省 統計 局 統計 調査 部 国勢 統計 課 『平成 27年 国勢調査 小 地域 集計 01北海道 《年齢 (5歳 階級 ),男女 別 人口 ,総 年齢 及 び平均 年齢 (外国 人 -特 掲)-町 丁 ・字 等 》』(CSV)(レポート)総務 省 、2017年 1月 27日 。2017年 5月 20日 閲覧 。※条 町 区分 地 の一部 に0人 の地域 がある場合 でも他 の同 一 区 分地 で人口 がある場合 は除 いた。