(Translated by https://www.hiragana.jp/)
坂本直行 - Wikipedia コンテンツにスキップ

坂本さかもと直行なおゆき

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

坂本さかもと 直行なおゆき(さかもと なおゆき、1906ねん明治めいじ39ねん7がつ26にち - 1982ねん昭和しょうわ57ねん5月2にち)は、北海道ほっかいどう出身しゅっしん画家がか北海道ほっかいどう開拓かいたくみん郷士ごうし坂本さかもと8だい当主とうしゅ。「直行ちょっこう」を音読おんよした「ちょっこう」でられる。

来歴らいれき人物じんぶつ

[編集へんしゅう]

1906ねん、のちに郷士ごうしざか本家ほんけ7だい当主とうしゅとなる坂本さかもと弥太郎やたろう(木材もくざい商社しょうしゃであるKing & Schulze商会しょうかい釧路くしろ支店してん本社ほんしゃ 函館はこだて 1910ねん設立せつりつ)が発祥はっしょう坂本さかもと商会しょうかい代表だいひょう)・ちょく夫妻ふさい次男じなんとして現在げんざい釧路くしろ出生しゅっしょう[1]1911ねん郷士ごうしざか本家ほんけ5だい当主とうしゅ坂本さかもとただしひろしははちょくちちで、直行ちょっこう祖父そふ)が死去しきょ1913ねん釧路くしろ大火たいか自宅じたく家財かざい焼失しょうしつちょくひろし経営けいえいしていた農場のうじょう施設しせつ管理かんり処分しょぶんのために、坂本さかもと1914ねん札幌さっぽろ転居てんきょし、札幌さっぽろちゅうげん札幌さっぽろ西高にしこう)にとおった[1]1924ねん直行ちょっこうちちすすめで北海道ほっかいどう帝国ていこく大学だいがくげん北海道大学ほっかいどうだいがく農学のうがく実科じっか進学しんがく[1]在学ざいがくちゅう山岳さんがく在籍ざいせきし、登山とざんしたしんだ[1]1927ねん北大ほくだい卒業そつぎょう温室おんしつ園芸えんげいまなぶために東京とうきょうげん東京とうきょう)の温室おんしつ会社かいしゃ就職しゅうしょく[1]。その札幌さっぽろ温室おんしつ園芸えんげい会社かいしゃ起業きぎょうするが、ちち資金しきん援助えんじょがなかったこともあり頓挫とんざする。

1930ねん北海道ほっかいどう帝国ていこく大学だいがく同窓どうそうとともに農場のうじょう経営けいえいをするため、札幌さっぽろ実家じっかかえらないまま十勝とかち支庁しちょう広尾ひろおぐん広尾ひろお転居てんきょし、同地どうち野崎のさき牧場ぼくじょうはたらきながら牧場ぼくじょう経営けいえいまな[1]1936ねんに25町歩ちょうぶ土地とち取得しゅとくし、みずか牧場ぼくじょう経営けいえいはじめる[1]同年どうねんいし﨑ツルと結婚けっこんし、五男いつお二女じじょの7にんどもをもうける[1]。また、この時期じき北大ほくだい山岳さんがくOBとしてペテガリ岳ぺてがりだけ登頂とうちょう計画けいかく参加さんかしたほか、北海道ほっかいどう自然しぜんをモチーフとした風景ふうけい植物しょくぶつはじめる。1957ねんだいいちかい個展こてん札幌さっぽろひらき、その成功せいこうけ、1959ねんには東京とうきょう個展こてん開催かいさい[1]以降いこう画業がぎょう専念せんねんすることになる。1960ねんより札幌さっぽろにアトリエをかまえ、画題がだいもとめてヒマラヤカナダなどを旅行りょこうはじめる。1974ねん北海道ほっかいどう文化ぶんかしょう受賞じゅしょう[1][2]1982ねん膵臓すいぞうがんのため、札幌さっぽろ死去しきょ[1]

作風さくふう

[編集へんしゅう]

水彩すいさい油絵あぶらえ版画はんがなどを製作せいさくしているが、画題がだい風景ふうけい植物しょくぶつおおい。あざやかな色彩しきさいと、無駄むだのない描線が特色とくしょくである。

帯広おびひろ六花亭製菓ろっかていせいか包装ほうそうのデザインをがけたことで有名ゆうめいである。

顕彰けんしょう施設しせつ

[編集へんしゅう]
はながら包装ほうそうかん

年譜ねんぷ

[編集へんしゅう]

坂本さかもと龍馬りょうまから坂本さかもと直行なおゆきをめぐるさか本家ほんけ年表ねんぴょう[3]

れき (西暦せいれき) 坂本さかもと関連かんれん事項じこう 坂本さかもと直行なおゆき事項じこう
もと元年がんねん1864ねん かつ海舟かいしゅうの6がつ17にち日記にっきには、「坂本さかもと龍馬りょうま下東しもひがしみぎせんくろりゅうまる)にてる。く、きょう過激かげきやからすうじゅうにんみな蝦夷えぞ開発かいはつ通商つうしょうため国家こっか奮発ふんぱつす。此輩くろりゅうせんにて神戸こうべより乗廻のりまわしすべく、此義御所ごしょなみみずいずみこうもご承知しょうちなり」とあり、坂本さかもと龍馬りょうま蝦夷えぞくことを御所ごしょ幕府ばくふ老中ろうじゅう水野みずの和泉いずみもりちゅうせい了承りょうしょうしていた[4]
慶応けいおう3ねん1867ねん (3がつ龍馬りょうま友人ゆうじんちょう藩士はんし印藤いんどう(のぶる)あてに「小弟しょうていハエゾにわたらんとせしころより、新国にいくにひらこう積年せきねんおもいちせいおもこうあいだなにとぞ一人ひとりでなりともやりづけさるべくとそん居候いそうろう」と北海道ほっかいどう蝦夷えぞ開拓かいたくへのおもいをつづった手紙てがみく。
(11月)龍馬りょうま京都きょうと近江おうみ暗殺あんさつされる。
明治めいじ元年がんねん1868ねん こう松太郎まつたろう龍馬りょうまおい高松たかまつじゅんぞう龍馬りょうま長姉ちょうし千鶴ちづる長男ちょうなん)、蝦夷えぞ経営けいえいかんする建白けんぱくしょ提出ていしゅつはこかん裁判所さいばんしょ判事はんじつとめる。
明治めいじ2ねん1869ねん 高松たかまつじゅんぞう千鶴ちづる次男じなん高松たかまつ習吉(当時とうじ17さい)、龍馬りょうま実兄じっけい坂本さかもとけんたいら郷士ごうしざか本家ほんけよんだい当主とうしゅ)の養子ようしとなる。習吉は坂本さかもと南海なみおとこあらためる。
明治めいじ4ねん1871ねん 南海なんかいおとこ実兄じっけいこう松太郎まつたろう坂本さかもと龍馬りょうま相続そうぞくし(遺跡いせき養子ようし)、坂本さかもとただしあらためる。
明治めいじ16ねん1883ねん 高知こうち新聞しんぶん龍馬りょうま伝記でんき小説しょうせつあせ千里せんりこま』(坂崎さかざき紫瀾しらんちょ)を連載れんさい
明治めいじ17ねん1884ねん (12月)坂本さかもと南海なみおとこ坂本さかもとただしひろしあらためる。
明治めいじ29ねん1896ねん (2がつちょくひろし自由じゆう民権みんけん運動うんどう同志どうし片岡かたおか健吉けんきちに「いさぎよなまくるかみくにつくたびぞんこう」と手紙てがみき、北海道ほっかいどう開拓かいたく決意けついしめす。
(5がつちょくひろし視察しさつのため、北海道ほっかいどうり。
(9がつごろ)ちょくひろし、キリストきょう主義しゅぎもとづく合資ごうし会社かいしゃ北光ほっこうしゃ」の社長しゃちょう選出せんしゅつされる。その高知こうち帰郷ききょう
明治めいじ30ねん1897ねん (3がつちょくひろし北海道ほっかいどうり。その北見きたみ北光ほっこうしゃ農場のうじょうひらく。
(10がつちょくひろし高知こうち帰郷ききょう
明治めいじ31ねん1898ねん (5がつちょくひろし家族かぞく後妻ごさい鹿しか長女ちょうじょちょく次女じじょ直恵なおえ長男ちょうなん直道なおみち次男じなんかつきよし)をれて北海道ほっかいどう浦臼うらうす移住いじゅう龍馬りょうま輩出はいしゅつした土佐とさ坂本さかもと北海道ほっかいどううつる。
(11月)坂本さかもとただし高知こうちにて死去しきょ享年きょうねん57。
明治めいじ37ねん1904ねん (6がつちょくひろし、キリストきょう牧師ぼくしになる。
明治めいじ38ねん1905ねん ちょくひろし長女ちょうじょちょく入婿いりむこ坂本さかもと弥太郎やたろう釧路くしろで「坂本さかもと商会しょうかい設立せつりつ
明治めいじ39ねん1906ねん   坂本さかもと直行なおゆき弥太郎やたろうちょく夫妻ふさい次男じなんとして7がつ26にち釧路くしろまれる。
明治めいじ42ねん1909ねん ちょくひろし自叙伝じじょでん信仰しんこう経歴けいれき発刊はっかん
明治めいじ44ねん1911ねん (9がつちょくひろし胃癌いがんのため札幌さっぽろ北辰ほくしん病院びょういん死去しきょ享年きょうねん59。
郷士ごうしざか本家ほんけちょくひろし長男ちょうなん直道なおみち継承けいしょう郷士ごうしざか本家ほんけろくだい当主とうしゅとなる。
大正たいしょう2ねん1913ねん 直道なおみち隠居いんきょし、郷士ごうしざか本家ほんけ直道なおみち義兄ぎけい弥太郎やたろう相続そうぞく郷士ごうしざか本家ほんけななだい当主とうしゅとなる。
(12月)釧路くしろ大火たいかい、坂本さかもと商会しょうかい被災ひさい龍馬りょうま遺品いひん一部いちぶ焼失しょうしつ
大正たいしょう3ねん1914ねん れ)弥太郎やたろう一家いっか札幌さっぽろうつる。
大正たいしょう8ねん1919ねん   はる直行ちょっこう札幌さっぽろちゅうげん札幌さっぽろ西高にしこう)へ入学にゅうがく
(7がつ羊蹄山ようていざん登山とざんする。このころからやまのスケッチをえがはじめる。
大正たいしょう11ねん1922ねん   (3がつ北大ほくだいスキー先輩せんぱいとスキーで手稲山ていねやまく。
大正たいしょう13ねん1924ねん   はる直行ちょっこう北海道ほっかいどう帝国ていこく大学だいがく農学のうがく実科じっか(3ねんせい)へ入学にゅうがく山岳さんがくメンバーとして活躍かつやくする。
大正たいしょう14ねん1925ねん   (9がつ直行ちょっこう札幌さっぽろ詩学しがく協会きょうかい主催しゅさいだい1かいばん画展がてんに11てん出品しゅっぴん
昭和しょうわ2ねん1927ねん   (3がつ直行ちょっこう北海道ほっかいどう帝国ていこく大学だいがく農学のうがく実科じっか卒業そつぎょう
(4がつ直行ちょっこう東京とうきょう田園調布でんえんちょうふ園芸えんげい会社かいしゃ就職しゅうしょく温室おんしつ栽培さいばい仕事しごとをする。
昭和しょうわ4ねん1929ねん   はる直行ちょっこう温室おんしつ園芸えんげい自営じえいをめざすが、ちち弥太郎やたろうから出資しゅっし困難こんなんとの連絡れんらくけ、札幌さっぽろもどる。
あき直行ちょっこう十勝とかち広尾ひろおむら牧場ぼくじょう経営けいえいする野崎のさき健之助けんのすけからさそいの手紙てがみけ、野崎のさき牧場ぼくじょうはたらはじめる。
昭和しょうわ6ねん1931ねん (1がつ弥太郎やたろう龍馬りょうま遺品いひん恩賜おんし京都きょうと博物館はくぶつかんげん京都きょうと国立こくりつ博物館はくぶつかん)へ寄贈きぞう
(9がつ満州まんしゅう事変じへん勃発ぼっぱつ
昭和しょうわ7ねん1932ねん   (3がつ直行ちょっこう相川あいかわおさむ楽古岳らっこだけ積雪せきせつ期初きしょ登頂とうちょう
昭和しょうわ9ねん1934ねん (10がつ直道なおみち当時とうじみなみ満州まんしゅう鉄道てつどう欧州おうしゅう事務所じむしょちょう)、パリでにちふつ交流こうりゅう雑誌ざっし『フランス・ジャポン』創刊そうかん
昭和しょうわ11ねん1936ねん   (1がつ直行ちょっこう広尾ひろお下野げやづか民有みんゆう未墾みこん25ヘクタールをれて、入植にゅうしょく
(3がつ直行ちょっこう石崎いしざきツルと結婚けっこん
昭和しょうわ12ねん1937ねん (7がつにちちゅう戦争せんそう勃発ぼっぱつ (1がつ直行ちょっこう北大ほくだい山岳さんがくだいいちペカデリだけ遠征えんせいたいのメンバーとして参加さんか
(2がつ直行ちょっこう長男ちょうなんとう誕生たんじょう
(4がつ直行ちょっこう、『やま原野げんや牧場ぼくじょう』(竹村たけむら書房しょぼう出版しゅっぱん
昭和しょうわ13ねん1938ねん   (3がつ直行ちょっこう次男じなんたかし誕生たんじょう
昭和しょうわ14ねん1939ねん   直行ちょっこう三男さんなん昌博まさひろ誕生たんじょう
昭和しょうわ15ねん1940ねん   (1がつ直行ちょっこう北大ほくだい山岳さんがくだいペカデリたい参加さんか雪崩なだれ遭遇そうぐう隊員たいいん8めい死亡しぼう
(9がつ直行ちょっこう四男よつおひろし誕生たんじょう
昭和しょうわ16ねん1941ねん (1がつ直道なおみち松岡まつおか洋右ようすけ外相がいしょう日米にちべい開戦かいせん回避かいひもとめる意見いけんしょ提出ていしゅつ
(4がつ直道なおみち弥太郎やたろうすすめで坂本さかもと龍馬りょうま家督かとく継承けいしょう
(12月)太平洋戦争たいへいようせんそう勃発ぼっぱつ
昭和しょうわ17ねん1942ねん   (1がつ直行ちょっこう五男いつおくん誕生たんじょう
(11月)直行ちょっこう、『開墾かいこん』(長崎ながさき書店しょてん出版しゅっぱん
昭和しょうわ18ねん1943ねん   (11月)直行ちょっこうたくもと農林のうりん大臣だいじん貴族きぞくいん議員ぎいん石黒いしぐろ正篤まさあつ訪問ほうもん
昭和しょうわ19ねん1944ねん   (6がつ直行ちょっこう長女ちょうじょ直美なおみ誕生たんじょう
昭和しょうわ20ねん1945ねん (8がつ日本にっぽん太平洋戦争たいへいようせんそうにて敗戦はいせん (12月)直行ちょっこう次女じじょ美幸みゆき誕生たんじょう
昭和しょうわ21ねん1946ねん   (1がつ直行ちょっこう広尾ひろおむら農村のうそん建設けんせつ連盟れんめい発足ほっそく初代しょだい委員いいんちょうになる。
昭和しょうわ22ねん1947ねん   (10がつ直行ちょっこう、『酪農らくのうはなし』(柏葉はくよう書院しょいん出版しゅっぱん
昭和しょうわ25ねん1950ねん (1がつ弥太郎やたろう広尾ひろお直行ちょっこうたく死去しきょ享年きょうねん76(まん74さいぼつ)。
昭和しょうわ31ねん1956ねん   (6がつ直行ちょっこうたく彫刻ちょうこくみねこう訪問ほうもん
昭和しょうわ32ねん1957ねん (12月)直行ちょっこう敬愛けいあいしたアイヌ民族みんぞく古老ころう広尾ひろお又吉またきち死去しきょ法名ほうみょうしゅうだけみずまつ信士しんじ」)。 (3がつ直行ちょっこうみねこうすすめで、だいいちかい個展こてん札幌さっぽろ大丸だいまるギャラリーで開催かいさい
(8がつ直行ちょっこう、『原野げんやからやま』(ともぶんどう出版しゅっぱん
昭和しょうわ33ねん1958ねん   (5がつ直行ちょっこうたくしゅうだけたけし創業そうぎょうしゃ金井かない五郎ごろう訪問ほうもん
昭和しょうわ33ねん1958ねん   (11月)直行ちょっこうたく帯広おびひろ千秋せんしゅうあんげん六花ろっかてい)の社長しゃちょう小田おだ豊四郎とよしろう訪問ほうもん児童じどう雑誌ざっし表紙ひょうし依頼いらい無償むしょうける。
昭和しょうわ36ねん1961ねん   あき直行ちょっこうがデザインしたはながら包装ほうそう帯広おびひろ千秋せんしゅうあんにて使用しよう開始かいし
昭和しょうわ40ねん1965ねん   あき直行ちょっこう手稲山ていねやまふもとげん札幌さっぽろ西にしみやさわ)にあるアトリエけん住宅じゅうたくうつる。
昭和しょうわ42ねん1967ねん   (9がつ直行ちょっこう、ネパールへスケッチ旅行りょこう出発しゅっぱつ
昭和しょうわ47ねん1972ねん (7がつ直道なおみち東京とうきょうにて死去しきょ享年きょうねん81(まん80さいぼつ)。   
昭和しょうわ48ねん1973ねん   なつ直行ちょっこう、ツル夫人ふじん北大ほくだい山岳さんがく創立そうりつじゅう周年しゅうねん記念きねん行事ぎょうじカナダ・ロッキーのやまたび参加さんか
昭和しょうわ49ねん1974ねん   直行ちょっこう北海道ほっかいどう文化ぶんかしょう受賞じゅしょう
昭和しょうわ57ねん1982ねん   (5がつ2にち直行ちょっこう膵臓すいぞうがんのため札幌さっぽろどう交会病院びょういん死去しきょ享年きょうねん77(まん75さいぼつ)。
平成へいせい4ねん1992ねん (4がつ六花ろっかてい製菓せいか中札内なかさつないむら坂本さかもと直行なおゆき記念きねんかん開設かいせつ
平成へいせい11ねん1999ねん (6がつ弥太郎やたろう京都きょうと国立こくりつ博物館はくぶつかん寄贈きぞうした坂本さかもと龍馬りょうま関係かんけい資料しりょうなどが重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい
平成へいせい18ねん2006ねん (11月)高知こうち県立けんりつ坂本さかもと龍馬りょうま記念きねんかんで「『おかえり!直行なおゆきさん』反骨はんこつ農民のうみん画家がか 坂本さかもと直行なおゆきてん開始かいし
どう記念きねんかん、『反骨はんこつ農民のうみん画家がか 坂本さかもと直行なおゆき作品さくひんしゅう きた大地だいちきて』を発行はっこう
平成へいせい19ねん2007ねん (9がつ)「直行ちょっこう記念きねんかん」が中札内なかさつないむらの「六花ろっかもり」へ移転いてん
平成へいせい21ねん2009ねん (11月)函館はこだてに「北海道ほっかいどう坂本さかもと龍馬りょうま記念きねんかん開館かいかん

その

[編集へんしゅう]

著作ちょさく新版しんぱん

[編集へんしゅう]
  • 『はるかなるヒマラヤ 自伝じでん紀行きこう高澤たかさわ光雄みつおへん北海道ほっかいどう出版しゅっぱん企画きかくセンター、2011ねん
  • 原野げんやからやまやま溪谷社けいこくしゃ〈ヤマケイ文庫ぶんこ〉、2021ねん
  • やま原野げんや牧場ぼくじょう ある牧場ぼくじょう生活せいかつ』ヤマケイ文庫ぶんこ、2021ねん
  • 雪原せつげんあしあと』ヤマケイ文庫ぶんこ、2023ねん

ドキュメンタリー

[編集へんしゅう]
  • 日曜にちよう美術館びじゅつかんやま原野げんやとスケッチと〜農民のうみん画家がか 坂本さかもと直行なおゆき〜」(2023ねん1がつ22にちNHK Eテレ[5]
  • やま原野げんやとスケッチと 〜日高ひだか山脈さんみゃくきた画家がか坂本さかもと直行なおゆき〜」(2023ねん1がつ27にちNHK BSプレミアム[6]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d e f g h i j k 坂本さかもと直行なおゆきについて”. 坂本さかもと龍馬りょうま記念きねんかん. 2020ねん12月27にち閲覧えつらん
  2. ^ 北海道ほっかいどう文化ぶんかしょう 奨励しょうれいしょう 受賞じゅしょうじょうきょう” (pdf). 北海道ほっかいどう. p. 8. 2020ねん12月27にち閲覧えつらん
  3. ^ 『はるかなるヒマラヤ 自伝じでん紀行きこう』(坂本さかもと直行なおゆき北海道ほっかいどう出版しゅっぱん企画きかくセンター)
  4. ^ 北海道神宮ほっかいどうじんぐう だい2かい 歴史れきしからえるもの(2)―龍馬りょうま着想ちゃくそう武揚ぶよう真情しんじょう
  5. ^ "さん原野げんやとスケッチと〜農民のうみん画家がか 坂本さかもと直行なおゆき〜". NHK. 2023ねん1がつ22にち. 2023ねん1がつ25にち時点じてんのオリジナルよりアーカイブ。2023ねん1がつ26にち閲覧えつらん
  6. ^ "さん原野げんやとスケッチと〜坂本さかもと直行なおゆきさんをめぐるたび〜". NHK. 2023ねん1がつ25にち. 2023ねん1がつ26にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん2がつ1にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]