大田 南畝
生涯
[19
この
公職
[- 1794
年 (寛政 6年 )、幕府 の人材 登用 試験 である学問 吟味 で御目見得 以下 の首席 で合格 する[11]。 支配 勘定 を命 ぜられる。寛政 8年 (1796年 )、支配 勘定 に就 く。- 1799
年 (寛政 11年 )、孝行 奇特 者 取調 御用 を命 ぜられる。 - 1800
年 (寛政 12年 )、御 勘定 所 諸 帳面 取調 御用 を命 ぜられる。江戸城 内 の竹橋 の倉庫 に保管 されていた勘定 所 の書類 を整理 する役 で、整理 しても次 から次 に出 てくる書類 の山 に対 して、南畝 は「五月雨 の日 もたけ橋 の反故 しらべ今日 もふる帳 あすもふる帳 」と詠 んでいる。 - 1801
年 (享 和 元年 )、大坂 銅座 に約 一 年間 赴任 [注 14]。 - 1804
年 (文化 元年 )、長崎 奉行 所 へ赴任 する。 - 1808
年 (文化 5年 )、堤防 の状態 などを調査 する玉川 巡視 の役目 に就 く。
著作
[半日 閑話 (随筆 )市井 の見聞 雑事 を記 したものであり、全 25巻 の内 、12巻 から16巻 までの300余 条 の記事 は「街談 録 」の名 で流布 していた[13]。当時 の世相 を窺 い知 ることのできる史料 として史料 価値 が高 い。例 を挙 げると京都 の方広寺 大仏 (京 の大仏 )の焼失 についての記述 がある。方広寺 大仏 は当時 大仏 として日本一 の高 さを誇 っていたが、寛政 10年 (1798年 )に落雷 のため焼失 してしまった。その時 何 があり、どのような経過 を辿 って焼失 したかについて、風聞 に基 づくものと思 われるが詳細 な記述 がある[14]。「(大仏 は)御 鼻 より火 燃 出 、誠 に入滅 の心地 にて京 中 の貴賎 、老若 、其外火消 のもの駆 け付 け、此時に至 りいたし方 なく感涙 を催 し、ただ合掌 十念 唱 えしばかり也[15]」という一文 が著名 である。なお「半日 閑話 」の作者 について、すべて南畝 の手 によって書 かれたものではなく、南畝 作 のものをベースに他 の者 が次々 と記事 を加筆 していき、現在 残 るような形 (大著 )になったとする説 もある。寝惚 先生 文集 - 19
歳 で著 した狂詩 集 で、平賀 源内 が序文 を寄 せている。江戸 の狂歌 流行 のきっかけを作 ったとも言 われる。 万 載 狂 歌集 (狂 歌集 )四方赤良 (南畝 )と朱楽 菅江 の共編 。題名 から知 られるように『千載 和歌集 』のパロディであり、200人 以上 の詠 んだ狂歌 を集 めたもの。甲 駅 新 話 (洒落本 )馬糞 中 咲 菖蒲 の作 (南畝 の変名 とされる)。「甲 駅 」とは甲州 街道 の宿場 で内藤 新宿 のこと。浮世絵 類 考 写本 で伝 わったもので、浮世絵 研究 の基礎 資料 。瓊浦 (又 綴 随筆 )(1804年 )- コーヒーを
飲 んだ体験 が書 かれており[16]、日本 でもっとも初期 の頃 のコーヒー飲用 記 である[注 15]。 調布 日記 文字通 り、調布 あたりの散策 記 。「野暮天 」の語源 となった狂歌 が収録 されている(参考 「谷保天満宮 」)。四方 のあか近世 における個人 の狂文 集 め最初 のもの。戯作 精神 にあふれている。夢 の憂 橋 - 1807
年 (文化 4年 )の永代 橋 崩落 事故 に関 する様々 な記事 や風聞 を集 めたもの。 一 話 一言 (随筆 )全 56巻 。蘆 の若葉 - 1801
年 作 。大坂 銅座 御用 として大坂 赴任 中 の日記 。『摂津 名所 図会 』を参考 に市中 を歩 きまわり、当時 の大阪 の風物 を描写 した。 放歌 集 - 1812
年 (文化 9年 )出版 の狂歌 集 。
参考 文献
[- 『すみだゆかりの
人々 』墨田 区 教育 委員 会 、1985年 、3-5頁 。
伝記
[渥美 國 泰 『大田 南畝 ・蜀 山人 のすべて江戸 の利巧 者 昼 と夜 、六 つの顔 を持 った男 』里 文 出版 、2004年 4月 。ISBN 4-89806-207-5。 -江戸 民間 書画 美術館 設立 、多 くの評伝 を著 す。沓掛 良彦 『大田 南畝 詩 は詩 佛書 は米 庵 に狂歌 おれ』ミネル ヴァ書房 〈ミネルヴァ日本 評伝 選 〉、2007年 3月 。ISBN 978-4-623-04865-6。浜田 義 一郎 『大田 南畝 』(人物 叢書 新装 版 )吉川弘文館 、1986年 9月 。ISBN 4-642-05052-3。
脚注
[注釈
[- ^ これは
師匠 であった松崎 観 海 の漢詩 集 『観 海 先生 集 』を捩 っている。さらに作者 名 を陳 奮翰子 角 (ちんぷんかんしかく)、編集 者 を安本 丹 親玉 (あんぽんたんおやだま)などとする徹底 した漢字 遊 びが随所 に見 られる。これが漢詩 を学 ぶ武士 には大 いに評判 となった。平賀 源内 は「戯 家 (たわけ)の同士 」と巻頭 序文 を寄 せている。 - ^ “
夜 もすがら”からの捩 り。後 に南畝 の高名 さが「高 き名 のひびきは四方 にわき出 て赤 ら赤 らと子供 まで知 る」という狂歌 で詠 まれている。 - ^
当代 の文化 人 たちも自 ら狂 名 を定 めて楽 しんだ。 - ^
藤原 俊成 の「夕 されば野辺 の秋風 身 にしみて鶉 鳴 くなり深草 の里 」の歌 を引 いた、「ひとつとりふたつとりては焼 いて食 う鶉 なくなる深草 の里 」なども知 られる。 - ^ 「
月 をめづる夜 のつもりてや茶屋 のかかも ついに高田 のばばとなるらん」の狂歌 が残 る。 - ^ 「をやまんとすれども
雨 の足 しげく又 もふみこむ恋 のぬかるみ」など。 - ^
元 歌 は「ぶんぶといふて身 をせめるなり」とする説 もある。 - ^
同 時代 の平戸 藩 主 松浦 静 山 の随筆 「甲子 夜話 」には同 歌 の下 の句 を「ぶんぶというて夜 も寝 られず」とした上 で、「大田 直次郎 という御 徒士 の落首 」と記 している。 - ^
毛虫 を題 として「毛 をふいて きずやもとめんさしつけて きみがあたりにはひかかりなば」などが知 られる。 - ^ 「
或 る人 の話 、南畝 老人 は狂歌 にて一 徳 一 損 あり。いかなる田舎 までも赤 良 という名 を知 らざる人 なきは狂歌 の徳 なり。役儀 につきて勤 功 ありしゆえ、御 旗本 に召 し出 さるべき御沙汰 ありしかども、狂歌 師 の四方 の赤 良 といはれたる者 を召 し出 されん事 、同席 の恥辱 なりといふ論 ありてその事 やみたり。これ一 損 なり。」足代 弘訓 『伊勢 の家苞 』など。 - ^ このときに「
永代 と言 われし橋 が落 ちにけり今日 の祭礼 明日 の葬礼 」と詠 んだ。 - ^ この
時 の心境 を「うみの子 の いやつぎくにめぐみある主計 (かずへ)のかずに入 ぞ嬉 しき」と詠 んでいる。 - ^ 「
生 きすぎて七 十 五 年 食 ひつぶし かぎり知 られぬ天地 の恩 」とも伝 わる。 - ^
旅 日記 『改元 紀行 』を著 している。 - ^ 「
本業 は幕府 の実直 な役人 …大阪 の銅座 や長崎 奉行 所 にも転勤 した。長崎 には…外国 船 が近海 に現 れ始 めたころで、ロシアの特使 レザノフ と会見 している。オランダ船 でコーヒーを飲 み、日本 初 の体験 記 を残 した。ただ、感想 は「焦 げくして味 ふるに堪 ず」と素 っ気 なかった」という[17]。
出典
[- ^ a b 『
大田 南畝 』 - コトバンク - ^
大田 南畝 「金 曾木 」吉川弘文館 (日本 随筆 大成 巻 3)、1927年 ,728頁 。 - ^ a b
大田 南畝 「金 曾木 」吉川弘文館 (日本 随筆 大成 巻 3)、1927年 ,5頁 の大田 南畝 の凡例 より。 - ^ “
謎 解 き!江戸 のススメ #114 2014年 6月 9日 放送 ”. BS-TBS (2014年 6月 9日 ). 2018年 10月 31日 閲覧 。 - ^ “
蜀 山人 ・大田 南畝 ~ワークライフバランスの達人 ”. WEB歴史 街道 (2018年 5月 9日 ). 2018年 10月 31日 閲覧 。 - ^ a b c すみだゆかりの
人々 1985, p. 4. - ^ 『
明 詩 擢材』五 巻 -国立 国会図書館 サーチ - ^ 『
望月 帖 』。 - ^ q:
大田 南畝 - ^
加来 耕三 『日本 史 人物 「その後 のはなし」』下巻 、講談社 〈講談社 +α 文庫 〉、1995年 2月 。ISBN 4-06-256082-8。 - ^ すみだゆかりの
人々 1985, p. 5. - ^ ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー『ケンペルと
徳川 綱吉 ドイツ人 医師 と将軍 との交流 』中央公論社 1994年 p.95 - ^
大田 南畝 「半日 閑話 」吉川弘文館 (日本 随筆 大成 巻 4)、1927年 ,3頁 の半日 閑話 の凡例 より。 - ^
村山 修一 『京都 大仏 御殿 盛衰 記 』法藏館 、2003年 p.158 - ^ 『
大田 南畝 全集 』第 十 八 巻 岩波書店 1988年 p.173 - ^
井崎 英典 『世界 のビジネスエリートは知 っている教養 としてのコーヒー』SBクリエイティブ、2023年 3月 7日 、53頁 。ISBN 9784815617349。 - ^ 「
春秋 」『日本経済新聞 』(朝刊 、2014年 9月8日 付 )
関連 項目
[外部 リンク
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実務 家 たち | あの人 の直筆 -国立 国会図書館 南畝 文庫 -国文学研究資料館 蔵書 印 データベース 2021年 5月 3日 閲覧 。三 十 六 歌 撰 絵巻 -東京大学 総合 図書館 所蔵 、大田 南畝 が染筆 した絵巻