(Translated by https://www.hiragana.jp/)
白山 (文京区) - Wikipedia コンテンツにスキップ

白山しろやま (文京ぶんきょう)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本にっぽん > 東京とうきょう > 文京ぶんきょう > 白山しろやま (文京ぶんきょう)
白山はくさん
白山駅 A3出入口(2016年6月2日)
白山はくさんえき A3出入口でいりぐち(2016ねん6がつ2にち
白山の位置(東京都区部内)
白山
白山はくさん
白山はくさん位置いち
北緯ほくい3543ふん0.65びょう 東経とうけい13945ふん8.8びょう / 北緯ほくい35.7168472 東経とうけい139.752444 / 35.7168472; 139.752444
くに 日本の旗 日本にっぽん
都道府県とどうふけん 東京とうきょう
特別とくべつ 文京ぶんきょう
地域ちいき 小石川こいしかわ地域ちいき
本郷ほんごう地域ちいき
面積めんせき
 • 合計ごうけい 0.983 km2
人口じんこう
2019ねんれい元年がんねん8がつ1にち現在げんざい[2]
 • 合計ごうけい 18,872にん
 • 密度みつど 19,000にん/km2
ひとしときおび UTC+9 (日本にっぽん標準時ひょうじゅんじ)
郵便ゆうびん番号ばんごう
113-0001(いち丁目ちょうめ[3]
112-0001(丁目ちょうめ[4]
市外しがい局番きょくばん 03[5]
ナンバープレート 練馬ねりま

白山はくさん(はくさん)は、東京とうきょう文京ぶんきょう町名ちょうめい[6]現行げんこう行政ぎょうせい地名ちめい白山はくさん1丁目ちょうめから白山はくさん5丁目ちょうめ西片にしかた向丘むこうがおか本駒込ほんこまごめせんせき小石川こいしかわ大塚おおつかせっする文教ぶんきょう住宅じゅうたく地区ちく学校がっこう寺院じいんおおい。

主要しゅよう商業しょうぎょうは、都営地下鉄とえいちかてつ三田みたせん白山はくさんえき周辺しゅうへん集中しゅうちゅうしており、えき周辺しゅうへんをほぼ南北なんぼくつらぬさか薬師くすしざか)の頂上ちょうじょう地域ちいき白山はくさんじょうさか入口いりくち地域ちいき白山はくさん白山はくさんからしろ山上さんじょうぎゃく方向ほうこうのぼっていったところ白山はくさん御殿ごてんまちぶ。

歴史れきし地理ちり

[編集へんしゅう]

地名ちめい白山はくさん神社じんじゃから。縁起えんぎによれば、948ねんてんれき2ねん)に加賀かが一ノ宮いちのみや白山はくさん神社じんじゃぶんまつしこのまつった。徳川とくがわ綱吉つなよし信仰しんこうけた。

江戸えど時代じだいまで武蔵むさしこく豊島としまぐん小石川こいしかわむら駒込こまごみむらかく一部いちぶだった。1878ねん明治めいじ11ねん)7がつこおり町村ちょうそん編制へんせいほう施行しこうにより小石川こいしかわ本郷ほんごうにそれぞれ編入へんにゅうされ、1889ねん明治めいじ22ねん)5がつ市制しせい施行しこう東京とうきょう編入へんにゅう。1947ねん昭和しょうわ22ねん)に文京ぶんきょう一部いちぶになる。1967ねん昭和しょうわ42ねん)1がつ住居じゅうきょ表示ひょうじ実施じっしともない、従来じゅうらい丸山まるやま新町しんまちげん白山はくさん1丁目ちょうめ)、ゆび谷町たにまちげん白山はくさん1・2・4・5丁目ちょうめ)、戸崎とさきまちげん白山はくさん2丁目ちょうめ)、白山はくさん御殿ごてんまちげん白山はくさん3・4丁目ちょうめ)、白山前はくさんまえまちげん白山はくさん1・5丁目ちょうめ)、原町はらまちげん白山はくさん3・4・5丁目ちょうめ)、などの合併がっぺいにより白山はくさん1 - 5丁目ちょうめ成立せいりつした。

1丁目ちょうめえんじょうてらには八百屋やおやしちみょうさかえ禅定ぜんじょうあま)のはかがあり、てら門前もんぜん表通おもてどおりにめんしておなな延命えんめい地蔵じぞうみことがある。2丁目ちょうめ白山はくさんどお沿いは明治めいじ銘酒めいしゅがい白山はくさんどおりの西側にしがわ低湿ていしつ現在げんざい白山はくさん1丁目ちょうめ一部いちぶ)は大正たいしょうから昭和しょうわ初期しょきにかけては白山はくさん花街はなまち三業さんぎょう)として繁栄はんえいした[7][8]明治めいじよりさかだったゆびだに料理りょうり店主てんしゅ秋本あきもと鉄五郎てつごろう鳩山はとやま和夫かずお鳩山はとやま一郎いちろうちち鳩山はとやま由紀夫ゆきお曾祖父そうそふ)や地元じもと選出せんしゅつ政治せいじ支援しえんにより警視庁けいしちょう三業さんぎょう指定してい申請しんせいおこない、明治めいじ45ねん(1912ねん)に「白山はくさん三業さんぎょう」が出来でき関東大震災かんとうだいしんさい被害ひがいすくなかったことから、大正たいしょう中期ちゅうき以降いこう周辺しゅうへん一帯いったい人口じんこう急増きゅうぞう背景はいけい隆盛りゅうせいした[9][10]樋口ひぐち一葉かずはの『にごりえ』は私娼窟ししょうくつだった白山はくさん銘酒めいしゅをモデルにかれ、徳田とくた秋声しゅうせいの『縮図しゅくず』の主人公しゅじんこう白山はくさん花街はなまち芸者げいしゃである[8][10]関東大震災かんとうだいしんさい以後いご小石川こいしかわ印刷いんさつ工場こうじょうおお移転いてんしてきたことから労働ろうどうしゃあつまり、昭和しょうわ初期しょき白山はくさん御殿ごてんまちには東京とうきょう最大さいだい不良ふりょう住宅じゅうたく地区ちく長屋ながやなら細民さいみん居住きょじゅう)が形成けいせいされ、労働ろうどう争議そうぎえがいた徳永とくながただしの『太陽たいようのないまち』は白山はくさんのそれら地域ちいき舞台ぶたいとなっている[9]

5丁目ちょうめ白山はくさん神社じんじゃは、加賀かが石川いしかわけん白山はくさんにある白山はくさん咩神しゃそう本社ほんしゃ)の分霊ぶんれい勧請かんじょうした古社ふるやしろ。もと3丁目ちょうめにあったが、1655ねんあかりれき元年がんねん白山はくさん御殿ごてん造営ぞうえいさいして現在地げんざいち移転いてん。また本念寺ほんねんじには、江戸えど後期こうき文人ぶんじん大田おおた南畝なんぽしょく山人さんじん)のはかがある。

小石川こいしかわ植物しょくぶつえん東京大学とうきょうだいがく大学院だいがくいん理学りがくけい研究けんきゅう付属ふぞくする公開こうかい植物しょくぶつえん。5だい将軍しょうぐん徳川とくがわ綱吉つなよし上野うえの群馬ぐんまけん館林たてばやし藩主はんしゅだったころ下屋敷しもやしき白山はくさん御殿ごてん)のあったところで、1719ねんとおる4ねん雑司ヶ谷ぞうしがや薬園やくえんがここにうつされた。青木あおき昆陽こんよう飢饉ききん対策たいさくとして甘藷さつまいもサツマイモ)の試作しさくをしたり、庶民しょみんのための養生ようじょうしょ施療せりょういん)が経営けいえいされたことは有名ゆうめい園内えんない甘藷さつまいも先生せんせい記念きねんち、また療生しょ井戸いど残存ざんそんしている。1877ねん明治めいじ10ねん)、養生ようじょうしょ東京とうきょう学校がっこう東大とうだい医学部いがくぶ前身ぜんしんで、現存げんそん校舎こうしゃくに重文じゅうぶん)となり、のちに東大とうだい付属ふぞく植物しょくぶつえんとなった。

地価ちか

[編集へんしゅう]

住宅じゅうたく地価ちか2017ねん平成へいせい29ねん1がつ1にち公示こうじ地価ちかによれば白山はくさん4-28-18の地点ちてんで76まん7000えん/m2となっている。

世帯せたいすう人口じんこう

[編集へんしゅう]

2019ねんれい元年がんねん8がつ1にち現在げんざい世帯せたいすう人口じんこう以下いかとおりである[2]

ひのと 世帯せたいすう 人口じんこう
白山はくさんいち丁目ちょうめ 2,841世帯せたい 5,125にん
白山はくさん丁目ちょうめ 2,385世帯せたい 4,364にん
白山はくさんさん丁目ちょうめ 531世帯せたい 1,012にん
白山はくさんよん丁目ちょうめ 2,458世帯せたい 4,537にん
白山はくさん丁目ちょうめ 2,188世帯せたい 3,834にん
けい 10,403世帯せたい 18,872にん

小・中学校しょうちゅうがっこう学区がっく

[編集へんしゅう]

区立くりつ小・中学校しょうちゅうがっこうかよ場合ばあい学区がっく以下いかとおりとなる[11][12]

ひのと 番地ばんち 小学校しょうがっこう 中学校ちゅうがっこう
白山はくさんいち丁目ちょうめ 3〜4ばん
9〜10ばん
15ばん
23ばん1ごう、14〜16ごう
23ばん19ごう
24〜28ばん
29ばん2〜5ごう、10〜11ごう
32ばん10ごう一部いちぶ
32ばん11〜13ごう
文京ぶんきょう区立くりつ誠之せいし小学校しょうがっこう 文京ぶんきょう区立くりつだいろく中学校ちゅうがっこう
33~37ばん 文京ぶんきょう区立くりつゆびたに小学校しょうがっこう
1〜2ばん
5〜6ばん
文京ぶんきょう区立くりつだいさん中学校ちゅうがっこう
その 文京ぶんきょう区立くりつ茗台中学校ちゅうがっこう
白山はくさん丁目ちょうめ 1〜8ばん
21〜39ばん
その 文京ぶんきょう区立くりつやなぎまち小学校しょうがっこう
白山はくさんさん丁目ちょうめ 1~6ばん 文京ぶんきょう区立くりつくぼまち小学校しょうがっこう 文京ぶんきょう区立くりつだいいち中学校ちゅうがっこう
その 文京ぶんきょう区立くりつはやしまち小学校しょうがっこう 文京ぶんきょう区立くりつだいじゅう中学校ちゅうがっこう
白山はくさんよん丁目ちょうめ 5〜24ばん
34ばん7〜11ごう
35〜37ばん
文京ぶんきょう区立くりつあかり小学校しょうがっこう
その 文京ぶんきょう区立くりつゆびたに小学校しょうがっこう
白山はくさん丁目ちょうめ 1〜4ばん
31〜36ばん
17ばん11~17ごう 文京ぶんきょう区立くりつ籠町かごまち小学校しょうがっこう
その 文京ぶんきょう区立くりつあかり小学校しょうがっこう

施設しせつ

[編集へんしゅう]

小石川こいしかわかんされた施設しせつられるのはきゅう小石川こいしかわ由来ゆらいとするものである。

寺社じしゃ

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 文京ぶんきょう統計とうけい - だい51かい文京ぶんきょう統計とうけい平成へいせい30ねん”. 文京ぶんきょう (2019ねん1がつ1にち). 2019ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 文京ぶんきょう人口じんこう統計とうけい資料しりょう - まちひのとべつ世帯せたい人口じんこう住民じゅうみん基本きほん台帳だいちょう)(毎月まいつき1にち現在げんざい”. 文京ぶんきょう (2019ねん8がつ1にち). 2019ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  3. ^ 郵便ゆうびん番号ばんごう”. 日本にっぽん郵便ゆうびん. 2019ねん8がつ30にち閲覧えつらん
  4. ^ 郵便ゆうびん番号ばんごう”. 日本にっぽん郵便ゆうびん. 2019ねん8がつ30にち閲覧えつらん
  5. ^ 市外しがい局番きょくばん一覧いちらん”. 総務そうむしょう. 2018ねん1がつ5にち閲覧えつらん
  6. ^ 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 13 東京とうきょう』、角川書店かどかわしょてん、1991ねん再版さいはん、p.991
  7. ^ 近代きんだい東京とうきょうにおける花街はなまち成立せいりつ西村にしむらあきら彦・内藤ないとうひろ中井なかいゆう東京とうきょう大学院だいがくいん論文ろんぶん, 景観けいかん・デザイン研究けんきゅう講演こうえんしゅう, 2008/12
  8. ^ a b 東京とうきょう白山はくさんは、やばいまち三浦みうらてん、ビジネスジャーナル、2018.04.26
  9. ^ a b 東京大学とうきょうだいがく文京ぶんきょうになかったら: 「文化ぶんかのまち」はいかにまれたか』伊藤いとうあつし樺山かばやま紘一こういち初田はったかおりなり橋元はしもとたかもりともひさ松山まつやまめぐみ赤松あかまつ寿江ひさえ勝田かつた俊輔しゅんすけ、NTT出版しゅっぱん, 2018, pp.100-101
  10. ^ a b 文京ぶんきょうまち今昔こんじゃく』8 白山はくさんきゅう花街はなまちえたお不動ふどうさん井上いのうえ重臣じゅうしん公益社こうえきしゃだん法人ほうじん東京とうきょう宅地たくち建物たてもの取引とりひきぎょう協会きょうかい文京ぶんきょう支部しぶほう555ごう平成へいせい18ねん7がつ
  11. ^ 小学校しょうがっこう 通学つうがく区域くいき”. 文京ぶんきょう (2014ねん11月5にち). 2019ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  12. ^ 中学校ちゅうがっこう 通学つうがく区域くいき”. 文京ぶんきょう (2013ねん11月18にち). 2019ねん9がつ1にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]