(Translated by https://www.hiragana.jp/)
根津 - Wikipedia コンテンツにスキップ

根津ねづ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
根津ねづ
つつじまつりの開催される根津神社
つつじまつりの開催かいさいされる根津ねづ神社じんじゃ
根津の位置(東京都区部内)
根津
根津ねづ
根津ねづ位置いち
北緯ほくい3543ふん5.2びょう 東経とうけい13945ふん54.65びょう / 北緯ほくい35.718111 東経とうけい139.7651806 / 35.718111; 139.7651806
くに 日本の旗 日本にっぽん
都道府県とどうふけん 東京とうきょう
特別とくべつ 文京ぶんきょう
地域ちいき 本郷ほんごう地域ちいき
面積めんせき
 • 合計ごうけい 0.205 km2
人口じんこう
2019ねんれい元年がんねん8がつ1にち現在げんざい[2]
 • 合計ごうけい 6,519にん
 • 密度みつど 32,000にん/km2
ひとしときおび UTC+9 (日本にっぽん標準時ひょうじゅんじ)
郵便ゆうびん番号ばんごう
113-0031[3]
市外しがい局番きょくばん 03[4]
ナンバープレート 練馬ねりま

根津ねづ(ねづ)は、東京とうきょう文京ぶんきょう町名ちょうめい[5]現行げんこう行政ぎょうせい地名ちめい根津ねづいち丁目ちょうめおよび根津ねづ丁目ちょうめ郵便ゆうびん番号ばんごうは113-0031[3]

地理ちり[編集へんしゅう]

根津ねづ神社じんじゃ東京とうきょうメトロ千代田ちよだせん根津ねづえき所在しょざいする。中央ちゅうおうにんどおり(都道とどう437ごうはしり、その西側にしがわが1丁目ちょうめ東側ひがしがわが2丁目ちょうめとなっている。本郷ほんごう上野うえのにもちかく、交通こうつう便びんい。

歴史れきし[編集へんしゅう]

まちいきもと根津ねづ神社じんじゃ旧名きゅうめい根津ねづ権現ごんげん)と門前もんぜん徳川とくがわ綱重つなしげ屋敷やしきで、綱重つなしげ屋敷やしきのち旗本はたもと居宅きょたくがいとなった。門前もんぜんにできた岡場所おかばしょ根津ねづ遊廓ゆうかくばれえたが、明治めいじ時代じだいになり帝国ていこく大学だいがくちかくにあることが問題もんだいされ、1888ねん遊廓ゆうかくぐん洲崎すざき強制きょうせい移転いてんさせられ、色街いろまちとしては消滅しょうめつしている[6]1965ねん昭和しょうわ40ねん4がつ1にち住居じゅうきょ表示ひょうじ実施じっし根津ねづ須賀すかまち根津ねづ清水しみずまち根津ねづ藍染あいぞめまち根津ねづ片町かたまち根津ねづ八重やえかきまち根津ねづ宮永みやながまち根津ねづ西須賀にしずかまち全部ぜんぶ向ヶ丘むこうがおか弥生やよいまち一部いちぶあわせたまちいき根津ねづいち丁目ちょうめ根津ねづ丁目ちょうめけて現行げんこうの「根津ねづ」となった。

地名ちめい由来ゆらい[編集へんしゅう]

地形ちけい由来ゆらい神社じんじゃ由来ゆらいかれる。

神社じんじゃ由来ゆらいせつは、もともと駒込こまごめ千駄木せんだぎ団子だんござかじょう位置いちしていた根津ねづ神社じんじゃ徳川とくがわ家宣いえのぶ産土神うぶすながみとされたことから、宝永ほうえい3ねん(1706ねん)に現在地げんざいちであるもと甲州こうしゅうはん下屋敷しもやしき遷座せんざされ、以降いこうこの一帯いったいが「根津ねづ」と呼称こしょうされることになった、とするもの。なお、「根津ねづ」の由来ゆらい諸説しょせつあり、「(ねず)権現ごんげん」(ずにかみ々のばんをするかみ)、「ねずみ(ねず)」(祭神さいじんひとつであるだい国主こくしゅかみ使)からているとも、ヤマトタケル根津ねづ神社じんじゃ創建そうけんしたさいに「ここはくにくにたり」とかたったからだともされる。

一方いっぽう地形ちけい由来ゆらいせつによれば、そのふるく、にんおかこうおかうみとの位置いちにあり、船着場ふなつきばであったことからみなと意味いみつ「」をあわせ地名ちめいになったといわれる。『本郷ほんごう区史くし』でも諸説しょせつ紹介しょうかいしたうえで、神社じんじゃ由来ゆらいせつではなく、ほんせつをもっとも妥当だとうせつとしている。

かたであるが、あたまにアクセントをおいた「づ」と周辺しゅうへんでは発音はつおんされており、根津ねづえき車内しゃない放送ほうそうもこれにのっとっている。

世帯せたいすう人口じんこう[編集へんしゅう]

2019ねんれい元年がんねん8がつ1にち現在げんざい世帯せたいすう人口じんこう以下いかとおりである[2]

ひのと 世帯せたいすう 人口じんこう
根津ねづいち丁目ちょうめ 1,446世帯せたい 2,600にん
根津ねづ丁目ちょうめ 2,271世帯せたい 3,919にん
けい 3,717世帯せたい 6,519にん

小・中学校しょうちゅうがっこう学区がっく[編集へんしゅう]

区立くりつ小・中学校しょうちゅうがっこうかよ場合ばあい学区がっく以下いかとおりとなる[7][8]

ひのと 番地ばんち 小学校しょうがっこう 中学校ちゅうがっこう
根津ねづいち丁目ちょうめ 全域ぜんいき 文京ぶんきょう区立くりつ根津ねづ小学校しょうがっこう 文京ぶんきょう区立くりつだいはち中学校ちゅうがっこう
根津ねづ丁目ちょうめ 全域ぜんいき

交通こうつう[編集へんしゅう]

鉄道てつどう[編集へんしゅう]

バス[編集へんしゅう]

都営とえいバス

道路どうろ[編集へんしゅう]

施設しせつ[編集へんしゅう]

神社じんじゃ[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 文京ぶんきょう統計とうけい - だい51かい文京ぶんきょう統計とうけい平成へいせい30ねん”. 文京ぶんきょう (2019ねん1がつ1にち). 2019ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 文京ぶんきょう人口じんこう統計とうけい資料しりょう - まちひのとべつ世帯せたい人口じんこう住民じゅうみん基本きほん台帳だいちょう)(毎月まいつき1にち現在げんざい”. 文京ぶんきょう (2019ねん8がつ1にち). 2019ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 郵便ゆうびん番号ばんごう”. 日本にっぽん郵便ゆうびん. 2019ねん8がつ30にち閲覧えつらん
  4. ^ 市外しがい局番きょくばん一覧いちらん”. 総務そうむしょう. 2018ねん1がつ5にち閲覧えつらん
  5. ^ 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 13 東京とうきょう』、角川書店かどかわしょてん、1991ねん再版さいはん、p.991
  6. ^ 石川いしかわ雄一郎ゆういちろう『さまよえる埋立うめたてのうやま漁村ぎょそん文化ぶんか協会きょうかい、1991ねん、52ぺーじISBN 4-540-91071-X 
  7. ^ 小学校しょうがっこう 通学つうがく区域くいき”. 文京ぶんきょう (2014ねん11月5にち). 2019ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  8. ^ 中学校ちゅうがっこう 通学つうがく区域くいき”. 文京ぶんきょう (2013ねん11月18にち). 2019ねん9がつ1にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]