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だい国主こくしゅ

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大国たいこく主命しゅうめいから転送てんそう
大国たいこく主神しゅしん
大国たいこく主神しゅしんぞう出雲いずも大社たいしゃ

じゅうななせいしん だいろくだい
先代せんだい てんふゆころもしん
次代じだい とり鳴海なるみしん

神祇じんぎ 国津くにつしん
ぜん 大国たいこく主神しゅしん
別名べつめい 大穴おおあな牟遅しん、於保奈牟大穴おおあなどうだいなんじ、オオアナムチ、国作こくさくだいおのれ貴命きめいはちせんほこしん葦原よしわら醜男ぶおとこ大物おおもの主神しゅしん宇都うとこころざし国玉くだましん大国たいこくたましいしん伊和いわ大神だいじんところづくり天下でんか大神だいじんぬしだいおのれかみ国作こくさくだいおのれかみかそけ世大せだいしん幽冥ゆうめい主宰しゅさい大神おおがみ杵築きつき大神おおがみ ひとし
別称べっしょう だい国主こくしゅ大神だいじん
神階しんかい せいいち
神格しんかく くにづくりのかみ農業のうぎょうしんくすりしん禁厭きんえんかみ
ちち てんふゆころもしん戔鳴みこと(『日本書紀にほんしょき』)
はは とげこくわかうり稲田いなだひめ(『日本書紀にほんしょき』)
配偶はいぐうしゃ 須勢毘売いのちひとし
事代ことしろ主神しゅしんけん御名ぎょめいかたしんひとし
みや 宇迦やまみや天日てんじつすみみや出雲いずも大社たいしゃとう
神社じんじゃ 出雲いずも大社たいしゃひとし
関連かんれん氏族しぞく 三輪みわかも宗像むねかた諏訪すわしまはね国造くにのみやつこ)、守矢もりや国造くにのみやつこおく岐氏岐国づくり)、長国ながくにづくりみやこたすく国造くにのみやつこ波多はた波多はた国造くにのみやつこ
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大国たいこく主神しゅしん(おおくにぬしのかみ)は、日本にっぽん神話しんわ登場とうじょうするかみ国津くにつしん代表だいひょうてきかみで、国津くにつしん主宰しゅさいしんとされる。

神話しんわにおける記述きじゅつ

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須佐すさおとこいのちから大国たいこく主神しゅしんまでの系図けいず(『古事記こじき』による)。あお男神おかみあか女神めがみ

古事記こじき』・『日本書紀にほんしょき』のつてや『新撰しんせん姓氏せいしろく』によると、須佐すさおとこいのち(すさのおのみこと)のろくせいまご、また『日本書紀にほんしょき』のべついちしょにはななせいまごなどとされている。ちちてんふゆころもしん(あめのふゆきぬのかみ)、ははとげこくわかうり(さしくにわかひめ)。また『日本書紀にほんしょき正伝せいでんによるともと戔嗚みこと(すさのおのみこと)の息子むすこ日本にっぽんこくつくったかみとされている。

須佐すさおとこいのちむすめである須勢毘売いのち(すせりびめのみこと)との婚姻こんいんのちスクナビコナ協力きょうりょくして天下てんか経営けいえいし、禁厭きんえん(まじない)、医薬いやくなどのみちおしえ、大物おおもの主神しゅしん(おおものぬしかみ)をまつることによって葦原よしわら中国ちゅうごく(あしはらのなかつくに)のくにづくりを完成かんせいさせる。だが、高天原たかまがはら(たかあまのはら)からの天照大御神あまてらすおおみかみ(あまてらすおおみかみ)の使者ししゃくにゆず要請ようせいされ、対話たいわ武力ぶりょくまじえた交渉こうしょうすえ幽冥ゆうめいかいおもかそけこと主宰しゅさいしゃとなった。くにゆずりのさいにかつて須佐すさおとこいのちからたまわって建立こんりゅうした「とみてんごとき」おおきな宮殿きゅうでん出雲いずも大社たいしゃ)を修復しゅうふくしてほしいと条件じょうけんしたことに天津てんしんしん(あまつかみ)が同意どういしたことにより、このときの杵築きつき大神おおがみ(きづきのおおかみ)ともいう。

大国たいこく主神しゅしんあつかったはなしとして、因幡いなば白兎しろうさぎはなしくに訪問ほうもんはなしぬまかわうりへのつまいのはなしが『古事記こじき』に、くにづくり、くにゆずとう神話しんわが『古事記こじき』と『日本書紀にほんしょき』に記載きさいされている(ただし、『日本書紀にほんしょき』では「大国たいこく主神しゅしん」というかみめいではない)。『出雲いずもこく風土記ふどき』においてもおおくの説話せつわ登場とうじょうし、たとえば意宇いうぐん母里もりきょう現在げんざい島根しまねけん安来やすぎ)のじょうには「えつ八口やつくち」を大穴おおあないのち平定へいていし、そのかえりにくにゆずりの宣言せんげんをしたという説話せつわがある。また山陰さんいん四国しこく近畿きんきさんどおしんじ北陸ほくりく関東かんとうなど広範囲こうはんいにおける地方ちほう伝承でんしょうにも度々たびたび登場とうじょうする。

別称べっしょう

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大国たいこくぬしおおくの別名べつめいつ。(※名義めいぎ新潮社しんちょうしゃかみめい釈義しゃくぎ[よう説明せつめい]から) 同名どうめい記載きさいじゅんは『古事記こじき』、『日本書紀にほんしょき』、『風土記ふどき』、その祝詞のりと神社じんじゃとする。

  • 大国たいこく主神しゅしん(おおくにぬし の かみ)・大国たいこくぬし大神だいじん - こくからかえってからの。「偉大いだいくに主人しゅじん」の
  • 大穴おおあな牟遅しん(おおあなむぢ-)・だいおのれ貴命きめい(おおなむち-)・於褒婀娜あだ武智たけち(おほあなむち-)・大穴おおあないのち(おおあなもち-、『出雲いずもこく風土記ふどき』、『伊予いよこく風土記ふどき逸文いつぶんでの表記ひょうき』)・だいなんじいのち(おおなむち-、『播磨はりまこく風土記ふどき』での表記ひょうき)・大名だいみょうしん(おおなもち-)・国作こくさくだいおのれ貴命きめい(くにつくりおおなむち-) - 誕生たんじょう
  • はちせんほこしん(やちほこ-) - ぬまかわうりとのうた物語ものがたりでの。「おおくのほこ」の
  • 葦原よしわらしょくもとおとこ葦原よしわら醜男ぶおとこ葦原よしわらこころざしもと乎/葦原よしわらこころざしきょ乎命(あしはらのしこを) - こくでの侮蔑ぶべつめた呼称こしょう。「地上ちじょう現実げんじつくににいるみにくおとこ」の
  • さんしょかみ(みもろ の かみ)・大物おおもの主神しゅしん(おおものぬし-)・八戸はちのへ挂須しょいのち/大物おおものぬし葦原よしわらこころざしもと(やとかけすみもろ の みこと/おおものぬしあしはらのしこ、『播磨はりまこく風土記ふどき』での表記ひょうき) - 『古事記こじき』においてはべつかみ、『日本書紀にほんしょき』においてはくにゆず別名べつめい。「偉大いだい精霊せいれいあるじ」の
  • 宇都うとこころざし国玉くだましん(うつしくにたま-)・あきら国玉くだましん - こくからかえってからの。「現実げんじつくに神霊しんれい」の
  • 大国たいこくたましいしん(おおくにたま-) - 各地かくち神社じんじゃ同一どういつされる。「偉大いだいくに神霊しんれい」の
  • 伊和いわ大神だいじん(いわ の おおかみ)・くにけん大神おおがみ(くにかためましし おおかみ)・うらないこくかみ(くにしめましし かみ)・大神おおがみ - 伊和いわ神社じんじゃ主神しゅしん - 『播磨はりまこく風土記ふどき』での呼称こしょう
  • ところづくり天下でんか大神おおがみ(あめのしたつくらしし おおかみ) - 『出雲いずもこく風土記ふどき』における尊称そんしょう。「地上ちじょうくにつくったかみ」の
  • ぬしだいおのれかみ(くにつぬしおおなむち の かみ)・国作こくさくだいおのれかみ(くにつくりおおなむちのかみ) - 祝詞のりと大国たいこくしん甲子きのえね祝詞のりと』での呼称こしょう
  • かそけ世大せだいしん(かくりよ の おおかみ) - 祝詞のりと幽冥ゆうめいかみ』での呼称こしょう
  • 幽冥ゆうめい主宰しゅさい大神おおがみ (かくりごとしろしめすおおかみ) - 「幽冥ゆうめいかい主宰しゅさいするかみ」の
  • 杵築きつき大神おおがみ(きづき の おおかみ)

このうち、大穴おおあな牟遅しんについて、記紀きき神話しんわしょうめい毘古しん連携れんけいして国土こくど経営けいえいおこなっていちじるしい功績こうせきのこし、2かみおおくの伝承でんしょうれんしょうしてあらわれる[1]白鳥庫吉しらとりくらきちは「オオナ」は「スクナ」(しょうあに宿禰すくね)にたいする「大兄たいけい」と解釈かいしゃくしている[1]。また「ムチ」は「とうとかみ」をあらわ尊称そんしょうで、かみめいに「ムチ」がかみだいおのれたかのほかには大日だいにち孁貴(オオヒルメムチ、天照大御神あまてらすおおみかみ別名べつめい)、みちおもとうと(ミチヌシノムチ、宗像むなかたさん女神めがみ別名べつめい)、ぬののうははおそひさしやつ須奴しん八島やじま牟遅のうしんなど、わずかしかられない[1]

つま子孫しそん

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大国たいこくぬし系図けいず(『古事記こじき』による)。あお男神おかみあか女神めがみ性別せいべつしょう

大国たいこくぬし様々さまざま女神めがみとのあいだおおくの子供こどもをもうけており、記紀きき・『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』・『出雲いずもこく風土記ふどき』に記載きさいされているほか各地かくち神社じんじゃしゃでんにもがある。子供こどもかずは『古事記こじき』には180はしら、『日本書紀にほんしょき』には181はしらかれている。

出雲いずもこく風土記ふどき』のみ登場とうじょう妻子さいし

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播磨はりまこく風土記ふどき』のみ登場とうじょう妻子さいし

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神社じんじゃしゃでんにのみ登場とうじょう妻子さいし

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後裔こうえい

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信仰しんこう

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古事記こじきじょうまきおよび『日本書紀にほんしょき神代かみしろおさむした)にれば、スクナビコナらとともに「大国たいこく主神しゅしんおこなったくにづくりとは、人々ひとびと農業のうぎょう医術いじゅつおしえ、生活せいかつ社会しゃかいつくること」であったとされる[8]こうぶるはちじゅうかみ平定へいていして日本にっぽん国土こくど経営けいえいいしずえきずいた。また出雲いずも大神だいじんにはたたしんとしての側面そくめんがあり、てんじて「やまいふうじるかみ医療いりょうしん)」になったという[8][9]古事記こじきには、出雲いずも大神だいじんたたくちがきけなかったほん牟智和気わきいのちたれじん天皇てんのうだいいち皇子おうじ)が、出雲いずも大神だいじん参拝さんぱいすることでくちけるようになったとの逸話いつわがある[10]

医療いりょうしんとしての信仰しんこう事例じれい近世きんせいげると、1883ねん明治めいじ16ねん)10がつ明治天皇めいじてんのう皇后こうごう昭憲皇太后しょうけんこうたいごう[11]もしくは大正天皇たいしょうてんのう生母せいぼ柳原やなぎはら愛子あいこ病弱びょうじゃくだったあきらみや(のち大正天皇たいしょうてんのう)の健康けんこういの[12]出雲いずも大社たいしゃより大国たいこくぬし分霊ぶんれいをとりよせ、あきらみや生活せいかつしていた中山なかやま忠能ただやすやしき神殿しんでんまつっている[13][14]

大正天皇たいしょうてんのう皇太子こうたいし時代じだいの1907ねん明治めいじ40ねん5月27にち[15]軍令ぐんれい部長ぶちょう東郷とうごう平八郎へいはちろう大将たいしょうとも[16][17]出雲いずも大社たいしゃ参拝さんぱいした[18][19]先述せんじゅつの「記紀ききにて人々ひとびと医術いじゅつおしえたことによる医療いりょうしん信仰しんこう」にくわえて、大正天皇たいしょうてんのうおのれとしまれ(平易へいいえば干支えとねんまれ)であるので、(大国たいこくぬし兄弟きょうだいかみたち・八十神やそがみうそ治療ちりょうほうおしえられて浜辺はまべいていたうさぎただしい治療ちりょうほうがま花粉かふんやしたという因幡いなば白兎しろうさぎの)[8]逸話いつわとうからしるしかついだものとされる。

神仏しんぶつ習合しゅうごう

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大国たいこく」はダイコクともめることからおなおんである大黒天だいこくてん大黒様だいこくさま)と習合しゅうごうしていった[20]

まつ神社じんじゃ

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大国たいこく主神しゅしんまつ神社じんじゃ非常ひじょうおおく、全国ぜんこく一宮いちのみや中心ちゅうしん無数むすう存在そんざいするため、ここではおも神社じんじゃ列挙れっきょする。

ほか、全国ぜんこく出雲神いずものかみしゃまつられている。また北海道神宮ほっかいどうじんぐう北海道ほっかいどう札幌さっぽろ)をはじめ北海道ほっかいどうないのいくつかの神社じんじゃでは、「開拓かいたくさんかみ」として大国たいこくたましいしんしょう彦名ひこなしんともまつられている。

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ a b c じゅん新版しんぱん祝詞のりとしんこう』p.506、えびすひかりさち出版しゅっぱん、2008ねん
  2. ^ 古事記こじき』、『日本書紀にほんしょき』、『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ
  3. ^ 日本書紀にほんしょき
  4. ^ a b 古事記こじき』、『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ
  5. ^ しろ神社じんじゃ鹿島かしまぐんちゅう能登のとまち良川よしかわト1)”. 石川いしかわけん神社じんじゃちょう. 2019ねん12月27にち閲覧えつらん
  6. ^ 奈鹿彦神しゃ鹿島かしまぐんちゅう能登のとまち曽祢そねヌ75)”. 石川いしかわけん神社じんじゃちょう. 2019ねん12月27にち閲覧えつらん
  7. ^ 奈鹿ひめ神社じんじゃ羽咋はくい下曽祢しもそねまちヲ88かぶと”. 石川いしかわけん神社じんじゃちょう. 2019ねん12月27にち閲覧えつらん
  8. ^ a b c 出雲いずも大社たいしゃ暗号あんごう38-41ぺーじ医学いがく始祖しそとなった出雲神いずものかみ
  9. ^ 出雲いずも大社たいしゃ暗号あんごう28-30ぺーじ出雲神いずものかみたたる、おそろしいかみ
  10. ^ 出雲いずも大社たいしゃ暗号あんごう41-44ぺーじ出雲神いずものかみ天皇てんのう敬意けいいはらった』
  11. ^ #大社たいしゃ叢書そうしょよんコマ4-5(原本げんぽん3-4ぺーじ)『さん皇后こうごう陛下へいか(昭憲皇太后しょうけんこうたいごう)出雲いずも大社たいしゃ祈願きがん
  12. ^ #harvコマ17-19(原本げんぽん9-12ぺーじ)
  13. ^ #大正天皇たいしょうてんのう(げん2000)31-32ぺーじ『アマテラスではなくオオクニヌシ』
  14. ^ #大社たいしゃ叢書そうしょよんコマ6-7(原本げんぽん6-8ぺーじ)『よん中山なかやまていない出雲いずも大社たいしゃ分靈ぶんれい奉遷ほうせん
  15. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくだい 2017, p. 317出雲いずも大社たいしゃはい
  16. ^ #大社たいしゃ叢書そうしょよんコマ8-12(原本げんぽん11-19ぺーじ)『なな出雲いずも大社たいしゃ参拝さんぱい
  17. ^ #皇太子こうたいし殿下でんか島根しまねけん行啓ぎょうけい日誌にっしコマ60-62(原本げんぽん115-119ぺーじ)『出雲いずも大社たいしゃ参拝さんぱい
  18. ^ 明治めいじ40ねん5がつ29にち官報かんぽうだい7172ごう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション コマ3『○東宮とうぐう行啓ぎょうけい 皇太子こうたいし殿下でんかいちさくじゅう七日午前九時今市町御旅館御出門島根縣女子師範學校ヘ行啓ぎょうけいぞく杵築きづきまちはし出雲いずも大社たいしゃ参拝さんぱい午後ごごどう縣立けんりつきねむらさき中學校ちゅうがっこう行啓ぎょうけいどうよんさんじゅうふん御旅館ごりょかん還御かんぎょアラセラレタリ』
  19. ^ #大正天皇たいしょうてんのう(げん2000)112-114ぺーじ公式こうしき山陰やまかげじゅんけい
  20. ^ 大国たいこく主命しゅうめい」 - ちょうにち日本にっぽん歴史れきし人物じんぶつ事典じてん朝日新聞あさひしんぶん出版しゅっぱん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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