小鴨こかも由水ゆみ

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小鴨こかも 由水ゆみ(こかも ゆみ、1971ねん12月26にち - )は、日本にっぽん女子じょし陸上りくじょう競技きょうぎ長距離ちょうきょりはしマラソン選手せんしゅもと女子じょしマラソン日本にっぽん最高さいこう記録きろく保持ほじしゃ1992ねんバルセロナオリンピック女子じょしマラソン日本にっぽん代表だいひょう

兵庫ひょうごけん明石あかし出身しゅっしん1984ねん4がつ明石あかし市立しりつ大蔵おおくら中学校ちゅうがっこう入学にゅうがく陸上りくじょう競技きょうぎ所属しょぞく。そのとき生涯しょうがい恩師おんしとなる荻野おぎのたく出会であ指導しどうける[1]中学ちゅうがく卒業そつぎょう1987ねん4がつ兵庫ひょうご県立けんりつ明石南あかいしみなみ高等こうとう学校がっこう入学にゅうがくし(同期どうきにキャスターの望月もちづき理恵りえがいる)卒業そつぎょう同年どうねん4がつ大阪おおさか池田いけだダイハツ工業だいはつこうぎょう入社にゅうしゃ女子じょし陸上りくじょう競技きょうぎ所属しょぞく[2]1994ねん龍谷大りゅうこくだいがく短期大学たんきだいがく入学にゅうがく1996ねん短大たんだい卒業そつぎょう現在げんざいははで、福岡ふくおか城南しろみなみ在住ざいじゅう

経歴けいれき[編集へんしゅう]

大阪おおさか国際こくさい女子じょしマラソン、はつマラソン世界せかい最高さいこう記録きろくはつ優勝ゆうしょう[編集へんしゅう]

ダイハツに入社にゅうしゃしてから1ねんはん1991ねん10月全日本ぜんにほん実業じつぎょうだん対抗たいこう陸上りくじょう競技きょうぎ選手権せんしゅけん大会たいかい女子じょし10000mでは、33ふん19びょう94で10となり、チームの先輩せんぱいだった浅利あさり純子じゅんこ(16)よりも先着せんちゃくした[3]同年どうねん11がつ神戸こうべ女子じょし20kmロードレースでは浅利あさりとゴールまでい、7びょう僅差きんさやぶれはしたがともに日本にっぽん最高さいこう記録きろくちかいタイムであった[3][4]小鴨こがも回想かいそうでは、このレースののち監督かんとく鈴木すずき従道つぐみちからは「優勝ゆうしょうした浅利あさりより、今日きょう小鴨こがもすごかった」と称賛しょうさん言葉ことばけ、翌日よくじつ大阪おおさか国際こくさい女子じょしマラソンへの出場しゅつじょう打診だしんされて受諾じゅだくしたという[4]ちからけててはいたものの、その時点じてんでの小鴨こがもマスコミなどから、オリンピック日本にっぽん代表だいひょう候補こうほとして注目ちゅうもくされるランナーではなかった。

小鴨こがもがまだ20さいになったばかりの1992ねん1がつ、バルセロナオリンピック女子じょしマラソンの代表だいひょう選考せんこうかいであった大阪おおさか国際こくさい女子じょしマラソンではつマラソンにいどむ。出場しゅつじょう受諾じゅだくしたとき、小鴨こがもはこれがオリンピックの代表だいひょう選考せんこうであるという意識いしきはほとんどなかったとべている[4]。ところが、どうマラソンの36km地点ちてんぎまで小鴨こがも浅利あさり先頭せんとう併走へいそうつづけ、その浅利あさり脱落だつらくすると小鴨こがも完全かんぜん独走どくそう状態じょうたいとなる。そして浅利あさりおなじくバルセロナ五輪ごりん女子じょしマラソン代表だいひょう選出せんしゅつねらっていた松野まつの明美あけみ彼女かのじょはつマラソン)のレース後半こうはんげも退しりぞけて、いきなりフルマラソンはつ優勝ゆうしょうたした。大阪おおさか国際こくさい女子じょしマラソンでは日本人にっぽんじんとしてはじめての優勝ゆうしょうしゃ、しかもゴールタイムの2あいだ26ふん26びょう当時とうじ日本にっぽん女子じょし最高さいこう記録きろく、さらに女子じょし選手せんしゅとしてはつマラソン世界せかい最高さいこう記録きろくという快挙かいきょで、小鴨こがもは20さい一躍いちやく日本にっぽん女子じょしマラソンかいのトップにった。本人ほんにんは「自分じぶんのペースで気持きもちよくはしっていたら、っちゃった」という印象いんしょうだったという[5]

はつマラソンとはいえ、文句もんくのない成績せいせきからバルセロナオリンピック・女子じょしマラソン日本にっぽん代表だいひょう選出せんしゅつされた。それでも想定そうていがいともいえる小鴨こがも代表だいひょう選出せんしゅつは、のちに松野まつの明美あけみ有森ありもり裕子ゆうこ代表だいひょうあらそいの騒動そうどうぶきっかけともなった(結果けっか有森ありもりが3番手ばんて選出せんしゅつされ松野まつの落選らくせん[6]小鴨こがも自身じしんも「まさか自分じぶんがオリンピック代表だいひょう選手せんしゅになれるとはゆめにもおもわなかった」と、当時とうじうれしさよりも戸惑とまどいのほうおおきかったと、すではつマラソンで「症候群しょうこうぐん」の状態じょうたいだったとかたっている[7]。また大阪おおさか国際こくさい女子じょしマラソンのゴール直後ちょくごには、監督かんとく鈴木すずきから「きみは(浅利あさりの)ペースメーカーだったんだよ」と、あん彼女かのじょ優勝ゆうしょうのぞんでいなかったようなことをわれたともされるが、本人ほんにん後年こうねんのインタビューでそれを否定ひていしている[4]。さらにバルセロナ五輪ごりん日本にっぽん代表だいひょう決定けっていのちは、周囲しゅういからのおおきな期待きたい彼女かのじょ自身じしんにとって物凄ものすごプレッシャーとなってゆき、後年こうねん小鴨こがもは「オリンピックにるのが段々だんだんこわくなった」とう当時とうじ述懐じゅっかいしていた。

バルセロナ五輪ごりん女子じょしマラソン出場しゅつじょう・29完走かんそう[編集へんしゅう]

1992ねん6がつ地元じもと兵庫ひょうご県立けんりつ明石公園あかしこうえんうち陸上りくじょう競技きょうぎじょう開催かいさいされたオリンピックまえ壮行そうこう記録きろくかいへ、小鴨こがも当時とうじのダイハツ所属しょぞく選手せんしゅらとともに出走しゅっそう。ところが、高地こうちトレーニングで体調たいちょうくずした影響えいきょうからか、先頭せんとうから周回しゅうかいおくれにされて完走かんそうした13にんちゅう12結末けつまつに、ゴール小鴨こがもおもわずくやなみだながしてしまう[8]。そのふたた米国べいこく合宿がっしゅくわたもう練習れんしゅうおこなうも調子ちょうしまったがらず、小鴨こがもみずか鈴木すずき監督かんとくに「五輪ごりんはしりたくありません」と直訴じきそするまで、精神せいしんてきめられてしまったという。

そんななか実父じっぷ中学ちゅうがく時代じだい恩師おんし二人ふたり急遽きゅうきょ日本にっぽんから飛行機ひこうきおとずれ、米国べいこく空港くうこう小鴨こがも再会さいかい。そのさい恩師おんしから「バルセロナ五輪ごりんは、両親りょうしんのために頑張がんばってはしったらどうだ?」とはげまされた言葉ことばに、小鴨こがもは「はし意味いみ」をおもさせてくれたという[9]。その数日すうじつ小鴨こがも鈴木すずき監督かんとくらとともに、日本にっぽん緊急きんきゅう帰国きこく。マスコミからは一時いちじ小鴨こがもかん機能きのう障害しょうがいにより女子じょしマラソン五輪ごりん代表だいひょう辞退じたい濃厚のうこう補欠ほけつ代表だいひょう谷川たにがわ真理まりがるのでは?」という報道ほうどうがされるなかで、ダイハツの鈴木すずき監督かんとく日本にっぽん陸連りくれんは「(小鴨こがもの)体調たいちょうはかなりくなった。オリンピックは大丈夫だいじょうぶ」とそろって完全かんぜん否定ひてい、あえて五輪ごりん出場しゅつじょう正式せいしき表明ひょうめいした。そして同年どうねん7がつまつスペイン・バルセロナりした小鴨こがもは、本番ほんばんぜん選手せんしゅむら記者きしゃ会見かいけんで「わたし自身じしんちからすべるだけです」とコメントしていた[10]

1992ねん8がつ1にち開催かいさいされた、バルセロナ五輪ごりん女子じょしマラソン本番ほんばんレースでは、号砲ごうほう直後ちょくご小鴨こがもだけ一人ひとり積極せっきょくてきしょせていた[11]。15km付近ふきん集団しゅうだん吸収きゅうしゅうされたのちはほどなくして先頭せんとう集団しゅうだんからもおくし、メダル・入賞にゅうしょうあらそいからは完全かんぜん脱落だつらく結局けっきょく万全ばんぜん体調たいちょうではない状態じょうたいでの出走しゅっそうとなり、なにとか完走かんそうはしたものの2あいだ58ふんだいと29惨敗ざんぱいわり、ゴール猛暑もうしょによる脱水だっすい症状しょうじょう影響えいきょう医務いむしつはこばれた(当初とうしょ小鴨こがもは30だったが、ドーピング違反いはんしゃたため29げ。有森ありもりが2入賞にゅうしょうたしぎんメダル獲得かくとく山下やました佐知子さちこは4入賞にゅうしょう)。それでも小鴨こがも自身じしんはのちに「オリンピックのだい舞台ぶたいだからこそ絶対ぜったいにゴールしたかった。アトランタオリンピック有森ありもりさんではないが、こんな状態じょうたいでも完走かんそう出来できた『自分じぶん自分じぶんめたい』心境しんきょうだった」とかたっている[12]

バルセロナ五輪ごりん終了しゅうりょうから「はしこと以外いがいにも挑戦ちょうせんしてみたい」ともかんがつづけていた小鴨こがもは、よく1993ねん3がつに「オリンピックがわって緊張きんちょうれました。仕事しごとはしるのがいやになったというのが本心ほんしんです」と神妙しんみょう表情ひょうじょうをしながら記者きしゃ会見かいけんべ、当時とうじ21さいわかさでダイハツ陸上りくじょうからの退すさ退社たいしゃ表明ひょうめいした[13]

市民しみんランナーとして[編集へんしゅう]

ダイハツ退社たいしゃ明石あかし実家じっかもどり、一時いちじ陸上りくじょう競技きょうぎからは完全かんぜんとおざかっていたが、1994ねん龍谷大りゅうこくだいがく短期大学たんきだいがく社会しゃかい福祉ふくし入学にゅうがく短大たんだい卒業そつぎょうの1996ねん福岡ふくおか岩田屋いわたや陸上りくじょう入部にゅうぶじゅう松森まつもりつよし監督かんとく指導しどうけながら、全日本ぜんにほん実業じつぎょうだん対抗たいこう女子じょし駅伝えきでんにアンカーとしても出場しゅつじょうした。しかし、1999ねん岩田屋いわたや陸上りくじょう廃部はいぶともな退社たいしゃ

2000ねん1がつ大阪おおさか国際こくさい女子じょしマラソンでは、一般いっぱん参加さんか選手せんしゅとして8ねんぶりにフルマラソンに復帰ふっき、3あいだ24ふんだい記録きろくながら完走かんそうたす。なおかつてどうダイハツ所属しょぞくのチームメート・浅利あさり純子じゅんこ大阪おおさか国際こくさいにエントリー、シドニーオリンピック目指めざ国内こくない招待しょうたい出場しゅつじょうしたが15kmぎで途中とちゅう棄権きけん鈴木すずき監督かんとくがリタイアの浅利あさりいだきかかえる光景こうけい目撃もくげきした小鴨こがも吃驚びっくりしたという。結果けっかてきどうマラソンが、浅利あさり現役げんえきラストランとなった[14]

1998ねん、2さいじょうのパン職人しょくにん結婚けっこんし、一時いちじ松永まつながせい」となった。2002ねんだいいち出産しゅっさん翌年よくねんの11月、自身じしんはじめて「ママさんランナー」として東京とうきょう国際こくさい女子じょしマラソン出走しゅっそう2006ねんだい出産しゅっさん

2007ねん1がつから岩田屋いわたや時代じだい監督かんとくだった重松しげまつ森雄もりおのもと、競技きょうぎ再開さいかい設立せつりつされたクラブチーム、ファーストドリームACに参加さんかし、2009ねん1がつ大阪おおさか国際こくさい女子じょしマラソンへ9ねんぶりに出場しゅつじょう。バルセロナ五輪ごりん自身じしんのタイムを上回うわまわることを目指めざしていたが、あと34びょうとどかずゴールに「くやしい」と苦笑にがわらいをかべていた。しかし、同年どうねん8がつ北海道ほっかいどうマラソンでは、最高さいこう気温きおんが25下回したまわ好条件こうじょうけんり、2あいだ52ふんだいでゴールをたす。よく2010ねん1がつ大阪おおさか国際こくさい女子じょしマラソンにも2ねん連続れんぞく出場しゅつじょう雨天うてんなか昨年さくねんどう大会たいかいよりも8ふん以上いじょうタイムを更新こうしん自身じしん2番目ばんめのマラソン記録きろくとなった。

その2010ねん9がつにファーストドリームACを退すさおも個人こじん練習れんしゅうつづけている(現在げんざい所属しょぞく大濠おおほりランナーズ)。よく2011ねん1がつ、コースが一部いちぶ変更へんこうされた大阪おおさか国際こくさい女子じょしマラソンへ、「小鴨こかも由水ゆみ」での登録とうろく出走しゅっそう。しかしひくぎる気温きおんつめたい強風きょうふう悪天候あくてんこう影響えいきょうしてか、3あいだりのゴールタイムは達成たっせい出来できなかった。同年どうねん11がつには地元じもと兵庫ひょうごけん開催かいさいだい1かい神戸こうべマラソン出場しゅつじょう女子じょし選手せんしゅでは全体ぜんたい8好成績こうせいせきでフィニッシュした。

しかしおっととは、2011ねん生活せいかつのすれちがとう理由りゆう離婚りこん[15]小鴨こがもせいもどシングルマザーとして生活せいかつしていた。福岡ふくおか社会しゃかい福祉ふくし事業じぎょうだん勤務きんむし、福岡ふくおかさわがいしゃスポーツセンター、老人ろうじん福祉ふくしセンター、こころ身障しんしょうがい福祉ふくしセンターの指導しどういんつとめていた。だが2014ねん1がつに、もとおっと大動脈だいどうみゃく解離かいり突然とつぜんくしてしまう[16]。それをに、同年どうねん11がつよりフコク生命せいめい営業えいぎょうしょく兼業けんぎょうしていた[16](3ねん5かげつ2018ねん3月かぎりで退職たいしょくし、独立どくりつして代理だいりてん契約けいやく締結ていけつ[17])。また、有森ありもり裕子ゆうこ設立せつりつした「ライツスポーツネットワーク」のメンバーとして、スポーツイベントの講師こうしやランニング指導しどうしゃとうとしても活動かつどうちゅうである[18]

2018ねん4がつから6がつまで、在住ざいじゅうする福岡ふくおかけん地元じもとである西日本にしにほん新聞しんぶんに「小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」」が70かいにわたり掲載けいさいされた[19]

福岡ふくおか市議会しぎかい選挙せんきょ立候補りっこうほ落選らくせん[編集へんしゅう]

2018ねん7がつ30にちよく2019ねんはる統一とういつ地方ちほうせん実施じっし予定よてい福岡ふくおか市議会しぎかい選挙せんきょに、無所属むしょぞく立候補りっこうほする意向いこうかためたこと報道ほうどうされ、西日本にしにほん新聞しんぶん取材しゅざい小鴨こがもは「アスリートや母親ははおや立場たちば議会ぎかいあたらしいかぜかせ、障害しょうがいしゃ福祉ふくしみたい」とべていた[20]。しかし2019ねん4がつ7にち投開票とうかいひょうの、福岡ふくおか中央ちゅうおう市議しぎせんにおいて当選とうせんラインにはあといちとどかず、小鴨こがもは「この落選らくせん人生じんせいひとつかな」とうるませていた[21]
以後いご西日本短期大学にしにほんたんきだいがく非常勤ひじょうきん講師こうしおきデータコンピュータ教育きょういく学院がくいん硬式こうしき野球やきゅうふく部長ぶちょうつとめる。

自己じこ記録きろく[編集へんしゅう]

  • 1500m 4ふん31びょう5
  • 3000m 9ふん53びょう00
  • 5000m 16ふん15びょう00
  • 10000m 33ふん10びょう00
  • 20km 1あいだ7ふん10びょう
  • ハーフマラソン 1あいだ12ふん34びょう
  • マラソン 2あいだ26ふん26びょう

マラソンぜん記録きろく[編集へんしゅう]

テレビ出演しゅつえん[編集へんしゅう]

関連かんれん書籍しょせき[編集へんしゅう]

  • はしることで人生じんせいわった:ランナー27にんかた』(さだいけ龍彦たつひこ瀬川せかわ恭子きょうこ (ちょ)、書肆しょしただしただしぼう出版しゅっぱん、2014ねん4がつ3にち発売はつばいISBN 978-4863851436
  • しあわせをとどけに:五輪ごりんランナー・小鴨こかも由水ゆみ もうひとつのゴール』(光本みつもとよろし (ちょ)、海鳥うみどりしゃ出版しゅっぱん、2019ねん3がつ15にち発売はつばいISBN 978-4866560458

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」<5>パンチパーマの恩師おんし. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん4がつ6にち). https://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/article/406537/ 2019ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん 
  2. ^ 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」<8>幸運こううんのダイハツり”. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん4がつ11にち). https://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/article/407743/ 2019ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん 
  3. ^ a b 陸上りくじょう競技きょうぎマガジン』1992ねん3がつごうスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ
  4. ^ a b c d 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」<12>復調ふくちょう はつのマラソンへと「人生じんせいはしかい」”. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん4がつ16にち). http://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/article/408976/ 2019ねん1がつ14にち閲覧えつらん 
  5. ^ 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」<1>はつ挑戦ちょうせん っちゃった”. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん4がつ2にち). https://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/article/405511/ 2019ねん1がつ14にち閲覧えつらん 
  6. ^ 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」<19>おどろきの「わたしえらんで」”. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん4がつ24にち). https://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/article/411079/ 2019ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん 
  7. ^ 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」<18>きシンデレラ”. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん4がつ13にち). https://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/article/410779/ 2019ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん 
  8. ^ 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」<20>惨敗ざんぱいした壮行そうこう記録きろくかい. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん4がつ25にち). https://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/article/411358/ 2019ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん 
  9. ^ 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」<21>恩師おんし説得せっとく五輪ごりんへ”. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん4がつ26にち). https://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/article/411687/ 2019ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん 
  10. ^ 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」<22>五輪ごりん辞退じたい報道ほうどう 騒動そうどうに”. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん4がつ27にち). https://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/article/412031/ 2019ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん 
  11. ^ 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」<24>10キロ地点ちてん トップ通過つうか. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん4がつ30にち). http://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/article/412695/ 2019ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん 
  12. ^ 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」<26>五輪ごりんだからこそ完走かんそう. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん5がつ2にち). https://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/article/413220/ 2019ねん1がつ24にち閲覧えつらん 
  13. ^ 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」<28>ダイハツ退社たいしゃ決断けつだん. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん5がつ4にち). https://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/article/413656/ 2019ねん1がつ24にち閲覧えつらん 
  14. ^ 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」<46>大阪おおさか「けじめ」の完走かんそう. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん5がつ16にち). https://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/article/419615/ 2019ねん1がつ14にち閲覧えつらん 
  15. ^ 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」<66>ちがいから離婚りこんへ”. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん6がつ20日はつか). https://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/article/426094/ 2019ねん1がつ4にち閲覧えつらん 
  16. ^ a b 女子じょしマラソンで日本にっぽん記録きろく 小鴨こかも由水ゆみさんは指導しどう生保せいほレディー日刊にっかんゲンダイ・2015ねん8がつ17にち記事きじ
  17. ^ マラソン「小鴨こかも由水ゆみはし時間じかんしくて生保せいほレディやめたSmart FLASH・2018ねん5がつ30にち記事きじ
  18. ^ 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」<65>有森ありもりさんからおくもの. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん6がつ19にち). https://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/article/425835/ 2019ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん 
  19. ^ 小鴨こかも由水ゆみさんのきき「人生じんせいはしかい」”. 西日本にしにほん新聞しんぶん. https://www.nishinippon.co.jp/feature/life_running/ 2019ねん1がつ14にち閲覧えつらん 
  20. ^ “マラソンもと五輪ごりん代表だいひょう小鴨こかも出馬しゅつば来春らいしゅん福岡ふくおか市議しぎせん、「あたらしいかぜを」”. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2018ねん7がつ31にち). https://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/article/437325/ 
  21. ^ もと五輪ごりん代表だいひょう小鴨こかもさん「波瀾万丈はらんばんじょう、この落選らくせん人生じんせい」”. 朝日新聞あさひしんぶん. (2019ねん4がつ8にち). https://www.asahi.com/articles/ASM456K83M45TIPE03Z.html 
  22. ^ 石橋いしばし貴明たかあきのスポーツ伝説でんせつひかりかげ(TBS)

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]