(Translated by https://www.hiragana.jp/)
建武年中行事 - Wikipedia コンテンツにスキップ

たてたけし年中ねんじゅう行事ぎょうじ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

たてたけし年中ねんじゅう行事ぎょうじ』(けんむねんちゅうぎょうじ)は、後醍醐天皇ごだいごてんのうあらわした有職故実ゆうそくこじつしょぜん3かんたてたけし元年がんねん1334ねん成立せいりつとされるが、天皇てんのう吉野よしののがれたのべもと2ねん1337ねん成立せいりつせつ木藤きとう才蔵さいぞうせつ)もある。『仮名かめい年中ねんじゅう行事ぎょうじ』・『和字わじ年中ねんじゅう行事ぎょうじ』・『禁裏きんりせいよう』などおおくの異名いみょうがある。

概要がいよう[編集へんしゅう]

後醍醐天皇ごだいごてんのうが、立太子りったいし以来いらい20ねんあまりの宮中きゅうちゅう生活せいかつなか経験けいけんしたおおくの宮中きゅうちゅうにおけるあさ公事こうじ内容ないよう作法さほうについてしるしたもので、たてたけし新政しんせい開始かいしともない、あさ再興さいこう意図いとしてかれたとかんがえられている。

正月しょうがつ四方拝しほうはいから年末ねんまつついふしおりまでの宮中きゅうちゅう行事ぎょうじが、つきごとに和文わぶん記述きじゅつされている。天皇てんのう独自どくじ行事ぎょうじなどにかんする記述きじゅつもあり、南朝なんちょう敵対てきたいした北朝ほくちょうにおいても尊重そんちょうされる(『えんたいれきかんおう2ねん12月じょう)など、後世こうせいおおきな影響えいきょうあたえた。こう花園天皇はなぞのてんのう在位ざいい1428ねん - 1464ねん)はこれを書写しょしゃして註釈ちゅうしゃくをつけ、すたれていた行事ぎょうじをこのしょならって復興ふっこうするよう、息子むすここう土御門天皇つちみかどてんのう在位ざいい1464ねん - 1500ねん)にすすめた[1]。のち自身じしんも『こう水尾みずおいん年中ねんじゅう行事ぎょうじ』をあらわした後水尾天皇ごみずのおてんのう在位ざいい1611ねん - 1629ねん)も、同書どうしょ順徳天皇じゅんとくてんのうの『きんしょう』となら宝典ほうてんとし、後世こうせいまでのこかんだと称賛しょうさんした[2]

刊行かんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]