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祭神さいじん

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祭神さいじん(さいじん)とは、神社じんじゃにおいて、そこにまつられているかみ言葉ことばである。

歴史れきし

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現在げんざいおおくの神社じんじゃでは、日本にっぽん神話しんわ登場とうじょうするかみ祭神さいじんとしているか、祭神さいじん日本にっぽん神話しんわかみどうかみであるとしている。

元々もともと神道しんとううみやまかわなどを畏敬いけい対象たいしょう神体しんたいとする自然しぜん崇拝すうはいからはじまったものであり、初期しょき神社じんじゃでは、そこにまつられるかみにはとく名前なまえはないか、しょうであった。記紀きき万葉集まんようしゅうなどでも、祭神さいじんしるされているのは伊勢神宮いせじんぐう住吉すみよし神社じんじゃなどごくわずかであり、ほとんどの神社じんじゃ祭神さいじんは、鎮座ちんざ地名ちめい神社じんじゃめいに「かみ」をつけただけの名前なまえばれていた。延喜えんぎしきかみめいちょうでもほとんどの神社じんじゃ社名しゃめいしかしるされていないことから、延喜えんぎしきまれた10世紀せいき初頭しょとうごろまではほとんどの神社じんじゃ祭神さいじんにはとく名前なまえがついていなかったことがうかがわれる。

10世紀せいきごろから、それまでの氏神うじがみ地主じぬししん岐のかみとしての性格せいかくだけでなく、かみみずかみかみなどの具体ぐたいてき神徳しんとく機能きのう附加ふかされるようになった。鎌倉かまくら時代じだい末期まっきになると、仏教ぶっきょうによる本地垂迹ほんじすいじゃくせつたいするかみほんふつ迹説おも武家ぶけ支持しじされて隆盛りゅうせいとなり、祭神さいじんも、その神徳しんとくわせて地名ちめい社名しゃめいから日本にっぽん神話しんわ登場とうじょうするかみ、あるいは「かみ」「いのちみこと」「彦・いにしえ」「ひめひめうり」などをつけた人格じんかくてきかみ移行いこうするようになった。また、稲荷いなり八幡やはたなどの有力ゆうりょくかみ分霊ぶんれい勧請かんじょう)してそれを主神しゅしんとすることもひろおこなわれた。このながれは江戸えど末期まっき国学こくがくしゃたちによる復古ふっこ神道しんとう提唱ていしょうにより神典しんてん頻繁ひんぱん引用いんようされておこなわれ、さらに明治めいじになり神仏しんぶつ分離ぶんりとして結実けつじつすると、村社そんしゃ末社まっしゃかくしゃいたるまで浸透しんとうした。

そのため、神社じんじゃ由緒ゆいしょには確実かくじつせい疑問ぎもんのこることとなり、式内しきないしゃろんしゃにおいても伝承でんしょうにより後裔こうえい可能かのうせいがきわめてたかろんしゃというあつかいとなっている。

主神しゅしんはいしん

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通常つうじょう神社じんじゃでは複数ふくすうかみまつっており、そのなかしゅとしてまつられるかみ主神しゅしん(しゅしん)・主祭しゅさいしん(しゅさいじん)、それ以外いがいかみはいしん(はいしん)・はいまつかみ(はいししん)・あい殿しんがりしん(あいどのしん)などという。

祭神さいじん主神しゅしんはいしんけるのは、明治めいじ時代じだいかん国幣社こくへいしゃおこなわれるようになったのにはじまるものである。「主神しゅしんとそれ以外いがいかみ」という観念かんねんはそれ以前いぜんからあり、「まえ」「あい殿しんがりしん」などとばれていた。はいしん通常つうじょう主神しゅしんにゆかりのあるかみだが、そのほか様々さまざま経緯けいいによりともまつられるようになったはいしんもある。主神しゅしん同時どうじまつられるようになったはいしんもあれば、あとくわえられたはいしんもあり、なかには本来ほんらいはいしんだったのがのち主神しゅしんってわったものもある。明治めいじ時代じだい神社じんじゃ合祀ごうしにより、おおくのはいしんまつることになった神社じんじゃもある。

そう殿どのごう殿どのとも)とは、主神しゅしんふくめて複数ふくすうかみまつられた社殿しゃでんのことをす。「あい殿しんがりしん」とはそう殿どのまつられるかみのことだが、主神しゅしんはいしんとがある場合ばあいはいしんのことをあい殿しんがりしんという。

関連かんれん項目こうもく

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