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夏皇后(かこうごう)は、南宋の孝宗の皇后。諱は雲姑(うんこ)[4]。成恭皇后(せいきょうこうごう)と諡された。
袁州宜春県の人[5]。夏協の娘。出身は低いが非常な美女であった。
初め、後宮に入り、高宗の皇后呉氏の侍女を務めた。紹興31年(1161年)2月、建王趙伯琮(後の孝宗)に側室[6]として与えられ、斉安郡夫人に封ぜられた。翌年に孝宗が即位すると、賢妃に立てられた。隆興元年(1163年)10月、皇后に冊立された。弟の夏執中や11人の親友たちにも官職が与えられた。
乾道3年6月25日(1167年7月13日)、32歳で崩御。「安恭」と諡され[3]、臨安府の修吉寺に葬られた[7]。紹熙5年(1194年)10月、諡を「成恭」と改めた[3]。
- ^ 『宋史』巻33, 孝宗紀一 隆興元年十月丙子条による。
- ^ 『宋史』巻34, 孝宗紀二 乾道三年六月辛卯条による。
- ^ a b c 『宋会要輯稿』巻12, 后妃一 安恭夏皇后の項より。
- ^ 『宜春牌楼下夏氏宗譜』による。
- ^ 『宋史』巻243, 后妃伝下 成恭夏皇后伝より。
- ^ これより少し前、趙伯琮は郡王から親王に上った。最初の妻の郭氏は、郡王時代に早世した。
- ^ 『宋史』巻34, 孝宗紀二 乾道三年閏七月癸酉条による。
- 『宋史』巻243 后妃伝下 成恭夏皇后伝
- 『宋会要輯稿』巻12 后妃一 安恭夏皇后
- 『宜春牌楼下夏氏宗譜』