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成穆皇后(せいぼくこうごう)は、南宋の孝宗の最初の正室(即位前に没した)。姓は郭氏。
開封府祥符県の人[2]。郭瑊と趙氏(宋の宗室の娘)のあいだの娘。弟は郭師禹・郭師元[2]。紹興14年(1144年)、普安郡王趙伯琮(後の孝宗)にとつぎ、咸寧郡夫人に封ぜられた。4人の男子を産んだ[1][2]。
紹興26年6月2日(1156年6月21日)、31歳で薨去[1]。臨安銭塘県の南屏山に葬られた[1]。紹興30年(1160年)8月、淑国夫人を追贈され、紹興31年(1161年)9月に福国夫人とされた[1]。紹興32年(1162年)6月、皇太子妃に追封され、同年8月に高宗が養子の孝宗に譲位すると、郭氏は皇后を贈られた後「恭懐」と諡され、まもなく「安穆」と改められた[1]。
紹熙5年(1194年)10月、諡を「成穆」と改めた[1]。
- 趙愭(荘文太子)
- 趙愷(魏恵憲王)
- 趙惇(光宗)
- 趙恪(邵悼粛王)
- ^ a b c d e f g 『宋会要輯稿』巻12, 后妃一 安穆郭皇后の項より。
- ^ a b c 『宋史』巻243, 后妃伝下 成穆郭皇后伝より。
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関連した
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- 『宋史』巻243 后妃伝下 成穆郭皇后伝
- 『宋会要輯稿』巻12 后妃一 孝宗安穆郭皇后