アーリントン国立 こくりつ 墓地 ぼち にある無名 むめい 戦士 せんし の墓 はか (英語 えいご 版 ばん )
戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び (せんぼつしょうへいついとうきねんび、英語 えいご : Memorial Day 、メモリアルデー)とは、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の連邦 れんぽう 政府 せいふ の定 さだ めた祝日 しゅくじつ で、5月 の最終 さいしゅう 月曜日 げつようび である。戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 記念 きねん 日 び (せんぼつしょうへいきねんび)、戦没 せんぼつ 者 しゃ 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び (せんぼつしゃついとうきねんび)、などとも呼 よ ばれる。かつては、「デコレーション・デー(Decoration Day )」として知 し られていた。
この祝日 しゅくじつ は、兵役 へいえき 中 なか に死去 しきょ したアメリカ軍 ぐん (陸軍 りくぐん 、海軍 かいぐん 、空軍 くうぐん 、海兵 かいへい 隊 たい 、宇宙 うちゅう 軍 ぐん 、沿岸 えんがん 警備 けいび 隊 たい )兵士 へいし を追悼 ついとう する日 ひ である。
最初 さいしょ は、内戦 ないせん であった南北戦争 なんぼくせんそう で戦死 せんし した兵士 へいし を顕彰 けんしょう するために始 はじ められた。やがて、第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 以降 いこう 、あらゆる戦争 せんそう 、軍事 ぐんじ 行動 こうどう で死去 しきょ したアメリカ軍 ぐん 兵士 へいし を含 ふく むように拡大 かくだい された。
多 おお くのアメリカ人 じん はこの祝日 しゅくじつ に墓地 ぼち や記念 きねん 碑 ひ を訪 おとず れる。国 くに をあげて追悼 ついとう 時刻 じこく はワシントン時間 じかん (東部 とうぶ 標準時 ひょうじゅんじ )で「午後 ごご 3時 じ 」である。もう一 ひと つの伝統 でんとう は、地方 ちほう 時間 じかん の夜明 よあ けから正午 しょうご まで星条旗 せいじょうき (アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の国旗 こっき )の半旗 はんき を掲揚 けいよう することである。ボランティアが、国立 こくりつ 墓地 ぼち にあるそれぞれの墓 はか の上 うえ に星条旗 せいじょうき を供 そな える。
2006年 ねん フォート・ローガン国立 こくりつ 墓地 ぼち
追悼 ついとう に加 くわ え、戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び はまたピクニック 、家族 かぞく の集 つど い、スポーツ イベントの機会 きかい でもある。スポーツにおいて最 もっと も長 なが く続 つづ く伝統 でんとう の一 ひと つはインディ500 であり、1911年 ねん 以来 いらい 、記念 きねん 日 び 前日 ぜんじつ の日曜日 にちようび に決勝 けっしょう レースがおこなわれている。
一部 いちぶ の米国 べいこく 人 じん は、戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び を非公式 ひこうしき な夏 なつ の始 はじ まり、レイバー・デー を非公式 ひこうしき な夏 なつ の終 お わりとみなしている。自動車 じどうしゃ 事故 じこ やその他 た の安全 あんぜん に関 かん する事故 じこ が起 お こりやすいシーズンが始 はじ まることを考慮 こうりょ して、国 くに のシートベルト着用 ちゃくよう (Click it or ticket) キャンペーンが戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び の週末 しゅうまつ から始 はじ まる。アメリカ空軍 くうぐん の「夏 なつ の重要 じゅうよう な101日 にち (101 Critical days of summer)」もこの日 ひ に始 はじ まる。一部 いちぶ の米国 べいこく 人 じん は、戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び の週末 しゅうまつ を兵士 へいし のみならず死去 しきょ した家族 かぞく を悼 いた むこともしたりする。戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び に先立 さきだ つ日曜日 にちようび のキリスト教 きりすときょう の教会 きょうかい (アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の現代 げんだい キリスト教 きりすときょう )の礼拝 れいはい 式 しき では、過去 かこ 1年間 ねんかん に死去 しきょ した信者 しんじゃ の名前 なまえ の朗読 ろうどく が行 おこな われることもある。
戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び は、かつては「5月30日 にち 」であった。日付 ひづけ に重要 じゅうよう 性 せい はないが、退役 たいえき 軍人 ぐんじん 会 かい (Veterans of Foreign Wars、VFW)や南北戦争 なんぼくせんそう 北 きた 軍 ぐん 退役 たいえき 軍人 ぐんじん 会 かい (Sons of Union Veterans of the Civil War、SUVCW)のような一部 いちぶ の団体 だんたい は、固定 こてい された日 ひ に戻 もど すことを主張 しゅちょう している。退役 たいえき 軍人 ぐんじん 会 かい は、2002年 ねん の戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び の演説 えんぜつ で「単 たん に3連休 れんきゅう にするために日付 ひづけ を変 か えることは、戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び の意義 いぎ を弱 よわ める。疑 うたが いもなく、このことが大衆 たいしゅう の戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び に対 たい する無 む 関心 かんしん の大 おお きな原因 げんいん となっている。」と述 の べた。 ハワイ州 しゅう の日系 にっけい アメリカ人 じん 上院 じょういん 議員 ぎいん ダニエル・イノウエ は、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん に兵士 へいし として従軍 じゅうぐん 経験 けいけん があるが、1998年 ねん 以来 いらい 、戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び を伝統 でんとう 的 てき な日 ひ に戻 もど す方法 ほうほう を繰 く り返 かえ し発表 はっぴょう している。
南北戦争 なんぼくせんそう の終結 しゅうけつ 後 ご 、多 おお くの地域 ちいき 社会 しゃかい で戦争 せんそう 終結 しゅうけつ の記念 きねん 日 び 又 また は戦没 せんぼつ 者 しゃ を追悼 ついとう する日 ひ と定 さだ められた。戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び を早期 そうき に創設 そうせつ した街 まち には、サウスカロライナ州 しゅう チャールストン 、ペンシルベニア州 しゅう ボールズバーグ (Boalsburg)、バージニア州 しゅう リッチモンド 、イリノイ州 しゅう カーボンデール 、ミシシッピ州 しゅう コロンバス 、その他 た 24の都市 とし や町 まち がある。これらの行事 ぎょうじ は、結局 けっきょく 、北 きた 軍 ぐん の死者 ししゃ を称 たた えるデコレーション・デーと複数 ふくすう の南 みなみ 軍 ぐん の戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び 前後 ぜんこう に行 おこな われるようになった。
1865年 ねん 、エール大学 だいがく 歴史 れきし 学部 がくぶ のデイヴィッド・ブライト (David Blight)教授 きょうじゅ の提案 ていあん にしたがって、初 はじ めての戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び がチャールストンの歴史 れきし 的 てき な競技 きょうぎ 場 じょう で、解放 かいほう された奴隷 どれい によって祝 いわ われた。その場所 ばしょ は、収容 しゅうよう 中 ちゅう に亡 な くなった北 きた 軍 ぐん 兵士 へいし の共同 きょうどう 墓地 ぼち であっただけでなく、以前 いぜん の南部 なんぶ 連合 れんごう 政府 せいふ の捕虜 ほりょ 収容 しゅうよう 所 しょ であった。多 おお くの解放 かいほう された黒人 こくじん と北 きた 軍 ぐん 兵士 へいし のパレードの後 のち には、愛国心 あいこくしん にあふれた歌声 うたごえ とピクニックが続 つづ いた。戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び の公式 こうしき な誕生 たんじょう 地 ち はニューヨーク州 しゅう ウォータールー である。その村 むら が誕生 たんじょう 地 ち とされるのは、その村 むら が1866年 ねん 5月5日 にち に、そしてその後 ご 毎年 まいとし その日 ひ を祝 いわ ったからであり、そしておそらくは著名 ちょめい なウォータールーの住民 じゅうみん であるジョン・マレー(John Murray)将軍 しょうぐん と、その日 ひ を毎年 まいとし 祝 いわ うように求 もと め、イベントを全国 ぜんこく に広 ひろ げるように一役 ひとやく 買 か ったジョン・A・ローガン 将軍 しょうぐん の友情 ゆうじょう がその成長 せいちょう の鍵 かぎ となる要因 よういん だったからであろう。
ローガン将軍 しょうぐん は、南 みなみ 軍 ぐん が特別 とくべつ な日 ひ に自軍 じぐん の死者 ししゃ を称 たた える方法 ほうほう に感銘 かんめい を受 う け、北 きた 軍 ぐん にも同 おな じような日 ひ が必要 ひつよう であると確信 かくしん した。伝 つた えられるところによると、ローガンは次 つぎ のようにするのが最 もっと もふさわしいと語 かた ったといわれる。古人 こじん は、特 とく にギリシア人 じん は、死者 ししゃ を、特 とく に英雄 えいゆう を月桂樹 げっけいじゅ と花 はな の飾 かざ りで称 とな えた。この地 ち のすべての兵士 へいし の墓 はか を飾 かざ るための日 ひ とするよう命令 めいれい を出 だ すつもりである。もしできるなら、その日 ひ を祝日 しゅくじつ としたい。(http://www.dixiescv.org/csa-memorial-day.html 及 およ び http://hnn.us/articles/754.html )
ローガンは、1866年 ねん 4月 がつ 29日 にち 、イリノイ州 しゅう カーボンデールの墓地 ぼち で行 おこな われた市 し を挙 あ げての記念 きねん 祝典 しゅくてん の主 しゅ 講演 こうえん 者 しゃ であった。おそらくその日 ひ を国民 こくみん の祝日 しゅくじつ にするというアイデアが彼 かれ の頭 あたま に浮 う かんだのはこのイベントである。1868年 ねん 5月5日 にち 退役 たいえき 軍人 ぐんじん の団体 だんたい 、グランド・アーミー・オブ・ザ・リパブリック (Grand Army of the Republic)の長 なが という立場 たちば で、ローガンは「デコレーション・デー」を全国 ぜんこく 的 てき に祝 いわ うべきであるという声明 せいめい を発表 はっぴょう した。そして同 おな じ年 ねん の5月30日 にち に初 はじ めて祝 いわ われることとなった。その日 ひ が選 えら ばれたのは、それが戦闘 せんとう の記念 きねん 日 び ではなかったからである。北 きた 軍 ぐん 兵士 へいし の墓 はか はこの日 ひ を祝 いわ って飾 かざ られた。
多 おお くのアメリカ連合 れんごう 国 こく の州 しゅう は、北 きた 軍 ぐん に対 たい して残 のこ っていた敵意 てきい のため、また、南部 なんぶ に暮 く らす北 きた 軍 ぐん の復員 ふくいん 軍人 ぐんじん がきわめて少 すく なかったためデコレーション・デーを祝 いわ うことを拒 こば んだ。多 おお くの南部 なんぶ 諸 もろ 州 しゅう は戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び をずっと認 みと めなかったが、第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の多 おお くの復員 ふくいん 軍人 ぐんじん は南部 なんぶ 出身 しゅっしん であったため第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 以降 いこう 認 みと めるようになった。ただし、南部 なんぶ 諸 もろ 州 しゅう は、州 しゅう によって日付 ひづけ は異 こと なるが、引 ひ き続 つづ き連合 れんごう 国 こく の戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び が別 べつ にあった。注目 ちゅうもく すべき例外 れいがい はコロンバス (ミシシッピ州 しゅう )で、1866年 ねん のデコレーション・デーに墓 はか に埋 う められた北 きた 軍 ぐん 及 およ び南 みなみ 軍 ぐん の犠牲 ぎせい 者 しゃ を共 とも に追悼 ついとう した。
「戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び 」という呼称 こしょう は1882年 ねん に初 はじ めて用 もち いられた。しかし、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 のち になるまでずっと一般 いっぱん 的 てき にはならず、1967年 ねん まで連邦 れんぽう 法 ほう では公式 こうしき な呼称 こしょう としては用 もち いられなかった。
1968年 ねん 6月28日 にち 、月曜 げつよう 休日 きゅうじつ 統一 とういつ 法 ほう (Uniform Holidays Bill)がアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 議会 ぎかい を通過 つうか し、週末 しゅうまつ を三 さん 連休 れんきゅう にするために4つの祝日 しゅくじつ が従来 じゅうらい の日 ひ から指定 してい された月曜日 げつようび に移 うつ された。この祝日 しゅくじつ とは、初代 しょだい 大統領 だいとうりょう ジョージ・ワシントン の誕生 たんじょう 日 び (発展 はってん して大統領 だいとうりょう の日 ひ (Presidents' Day)となった)、コロンブス・デー 、復員 ふくいん 軍人 ぐんじん の日 ひ (Veterans Day)、戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び である。これにより戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び はこれまでの5月30日 にち から5月 がつ の最終 さいしゅう 月曜日 げつようび に変 か わった。法律 ほうりつ は、連邦 れんぽう レベルで1971年 ねん に施行 しこう された。若干 じゃっかん の導入 どうにゅう 時 じ の混乱 こんらん と州 しゅう レベルでの反発 はんぱつ の後 のち 、全 ぜん 50州 しゅう が数 すう 年 ねん 内 ない に施策 しさく を承認 しょうにん した。もっとも、復員 ふくいん 軍人 ぐんじん の日 ひ は結局 けっきょく 元来 がんらい の日 ひ に戻 もど ったが。皮肉 ひにく なことではあるが、ほとんどの企業 きぎょう はもはやコロンバス・デーや復員 ふくいん 軍人 ぐんじん の日 ひ を休日 きゅうじつ とすることを廃止 はいし しており、大統領 だいとうりょう の日 ひ を営業 えいぎょう 日 び とする企業 きぎょう も増 ふ えつつある。
戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び は、南北戦争 なんぼくせんそう に起源 きげん を持 も つため、米国 べいこく 外 がい では祝日 しゅくじつ ではない。ヨーロッパにおいてはフランス 、ベルギー だけでなくイギリス連邦 れんぽう 諸国 しょこく も、戦死 せんし した軍人 ぐんじん に「リメンバランス・デー 」(Remembrance Day)(11月11日 にち )又 また はその前後 ぜんご に、敬意 けいい を払 はら う日 ひ を定 さだ めている。リメンバランス・デーは第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん に起源 きげん を持 も つ。米国 べいこく ではその日 ひ を「復員 ふくいん 軍人 ぐんじん の日 ひ 」(旧 きゅう :休戦 きゅうせん 記念 きねん 日 び (Armistice Day))とし、全 すべ ての復員 ふくいん 軍人 ぐんじん に、生死 せいし を問 と わず敬意 けいい を払 はら う。アイルランド では、ナショナル・デー・オブ・コメモレーション (National Day of Commemoration)(7月 がつ 11日 にち に最 もっと も近 ちか い日曜日 にちようび )に、過去 かこ の戦争 せんそう であるいは国際 こくさい 連合 れんごう の従軍 じゅうぐん 中 ちゅう に殉死 じゅんし したすべてのアイルランドの人々 ひとびと を追悼 ついとう する。日本 にっぽん では、8月 がつ 15日 にち が終戦 しゅうせん の日 ひ (1945年 ねん /昭和 しょうわ 20年 ねん :日本 にっぽん の降伏 ごうぶく 、玉音 ぎょくおん 放送 ほうそう )とされ(国民 こくみん の祝日 しゅくじつ ではないが)、天皇 てんのう 皇后 こうごう や首相 しゅしょう など政府 せいふ 閣僚 かくりょう 、戦没 せんぼつ 者 しゃ の遺族 いぞく らが集 つど い、東京 とうきょう 都 と 千代田 ちよだ 区 く の日本武道館 にほんぶどうかん で政府 せいふ 主催 しゅさい の全国 ぜんこく 戦没 せんぼつ 者 しゃ 追悼 ついとう 式 しき が行 おこな われる。
米国 べいこく 南東 なんとう 部 ぶ の諸 しょ 州 しゅう では、デコレーション・デーをすべての家族 かぞく の墓 はか を飾 かざ る日 ひ として祝 いわ い、軍人 ぐんじん のためだけのものとはしていない。
その地域 ちいき では、デコレーション・デーを戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び の前 まえ の日曜日 にちようび に祝 いわ う。
ジェイソン・イスベル (Jason Isbell)のフォークロック・バンド、ドライブ・バイ・トラッカーズ (Drive-By Truckers)は、そうしたイベントを『デコレーション・デー』というバラードで表現 ひょうげん した。『デコレーション・デー』は、個別 こべつ のアルバムのタイトルにもなっている。
チャールズ・アイヴズ (Charles Ives)の交響 こうきょう 詩 し 『デコレーション・デー』(Decoration Day)は、彼 かれ が子供 こども の頃 ころ 経験 けいけん した祝日 しゅくじつ を、父 ちち の仲間 なかま 達 たち と町 まち の墓地 ぼち に向 む かう途中 とちゅう をトランペット による葬送 そうそう ラッパ の演奏 えんそう で、町 まち へ戻 もど る途中 とちゅう をより活 い き活 い きした行進曲 こうしんきょく の旋律 せんりつ で描 えが いた。しばしば、『ニューイングランドの祝祭日 しゅくさいじつ 交響 こうきょう 曲 きょく 第 だい 2楽章 がくしょう 』として祝日 しゅくじつ に基 もと づいたアイヴズの他 ほか の3作品 さくひん と共 とも に演奏 えんそう される。
ホワイトハウス リメンバランス委員 いいん 会 かい (White House Commission on Remembrance)には、閲覧 えつらん 者 しゃ が無料 むりょう で視聴 しちょう できる歌曲 かきょく をホームページNational Moment of Remembrance Home Page. 上 うえ で公開 こうかい している。『葬送 そうそう ラッパ 』だけでなく、チャールズ・ストラウス (Charles Strouse)の『オン・ディス・デー』(On This Day)の様々 さまざま な演奏 えんそう をダウンロードできる。他 た の多 おお くの人々 ひとびと も戦没 せんぼつ 将兵 しょうへい 追悼 ついとう 記念 きねん 日 び のために作品 さくひん を提供 ていきょう しており、その中 なか には有名 ゆうめい な歌 うた や詩 し も含 ふく まれる。
1915年 ねん の第 だい 二 に 次 じ イーペルの戦 たたか い の後 のち 、カナダ海外 かいがい 派遣 はけん 軍 ぐん (Canadian Expeditionary Force)の医師 いし ジョン・マクレイ 中佐 ちゅうさ は、「フランダースの野 の に (英語 えいご 版 ばん ) 」という詩 し を書 か いた。冒頭 ぼうとう の行 くだり で描 えが いているのは、フランダースの兵士 へいし の墓 はか で育 そだ つポピー畑 はたけ を指 さ している[1] 。
1918年 ねん 、この詩 し にインスパイアされたYWCA (英語 えいご 版 ばん ) で働 はたら いていたモイナ・マイケル (英語 えいご 版 ばん ) は、シルクのポピーを留 と めたコートを着 き てYWCA Overseas War Secretariesのカンファレンスに参加 さんか し、20個 こ 以上 いじょう のポピーを他 た の参加 さんか 者 しゃ に配布 はいふ した。1920年 ねん 、National American Legionは、このポピーを記念 きねん 日 び の公式 こうしき のシンボルとして採用 さいよう した[2] 。