さがせしん後記こうき

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さがせしん後記こうき』(そうじんこうき)は、中国ちゅうごく六朝りくちょう時代じだいとうせんとうふかしあきらせんとされるこころざしかい小説しょうせつしゅうである。『ぞくさがせかみ』ともばれる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

10かんたからせんの『さがせかみ』のあとをぐものとしてかれたと推測すいそくされている、かいはなし面白おもしろはなしなどの説話せつわ 113へん収録しゅうろくしている[1]こころざしかい小説しょうせつしゅう同様どうよう原本げんぽん残存ざんそんしていない。

撰述せんじゅつしゃかんしては、『ずいしょ経籍けいせきこころざしとうせんせんしるされており[2]、それはまき1に『ももはなげん』が収録しゅうろくされていることをもっ根拠こんきょとしているが,とう潜没せんぼつ年号ねんごうしるはなし収録しゅうろくされている、また魯迅ろじんなどは、とうせん鬼神きじんはなしごときにしんかれる人物じんぶつではないから偽作ぎさくであろうとべている[3]塩谷しおやあつしも「すすむとうふかしあかりせんなりとしょうすれどももとよりそのげんせんず」と断定だんていし、後人こうじん仮託かたくであるとしている[4]

とうそうだいにはどの書目しょもくにも言及げんきゅうがないが、あきらたかしただし年間ねんかん蔵書ぞうしょもうすすむによって編纂へんさん刊行かんこうされた『逮秘しょだい155さつ[5]おさめられた。

日本語にほんごやく書籍しょせき[編集へんしゅう]

ちゅう出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 欽定きんていよん全書ぜんしょ じゅう さがせしん後記こうき 小説しょうせつるい 異聞いぶんぞく』 1868ねんウィキソースのロゴ 中国語ちゅうごくごばんウィキソースほん記事きじ関連かんれんした原文げんぶんがあります:さがせしん後記こうき補遺ほい17のりふくめ134のり収録しゅうろくしているが底本ていほん不明ふめい
  2. ^ ずいしょ まきさんじゅうさん こころざしだいじゅうはち 經籍けいせきざつでんじょうに「さがせしん後記こうき じゅうかん とうせんせん」とあるのが最古さいこ言及げんきゅうとされる。ウィキソースのロゴ 中国語ちゅうごくごばんウィキソースほん記事きじ関連かんれんした原文げんぶんがあります:ずいしょ/まき33
  3. ^ ウィキソースのロゴ 中国語ちゅうごくごばんウィキソースほん記事きじ関連かんれんした原文げんぶんがあります:中國ちゅうごく小說しょうせつりゃく/だいへん 六朝りくちょう鬼神きじんかいしょうえ)に「其書こんそんまた靈異れいい變化へんかこと前記ぜんきとうせん曠達,未必みひつ拳拳けんけん於鬼しんぶたにせたく也。」
  4. ^ くにやく漢文かんぶん大成たいせい だいじゅうかん, p. 14 影印えいいん 17コマ.
  5. ^ もうすすむ書斎しょさいめいをとって汲古かくほんといわれる。あかりまんれき31ねん刊行かんこうされた『さつ彙函(ひさついかん)』にふくまれていたが、天啓てんけい元年がんねん(1621ねん)の火災かさいによりほとんどの版木はんぎうしなわれた。焼失しょうしつまぬかもうすすむゆずられた17しゅ版木はんぎなかに『さがせしん後記こうきじゅうかん すすむとうせんせんとうがあった。(逮祕しょ, 影印えいいん)。しかし2017ねん、(りゅう斯倫 2017)はおな版木はんぎではないという報告ほうこくをしている。
  6. ^ センボウユキコ、安田女子大学やすだじょしだいがく非常勤ひじょうきん講師こうし当時とうじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 国民こくみん文庫ぶんこ刊行かんこうかい へんくにやく漢文かんぶん大成たいせい だいじゅうかん」、国民こくみん文庫ぶんこ刊行かんこうかい、1920ねんdoi:10.11501/1913008NDLJP:1913008 
  • あきらもうすすむ輯「逮祕しょ だい155-157さつ」、doi:10.11501/2551942NDLJP:2551942 
  • りゅう斯倫「『逮秘しょ所収しょしゅうの『さつ彙函』ばんについて」『慶應義塾けいおうぎじゅく中国ちゅうごく文学ぶんがく会報かいほうだい1かん慶應義塾けいおうぎじゅく中国ちゅうごく文学ぶんがくかい、86-119ぺーじ、2017ねんISSN 2432-8936CRID 1050282813933941632 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]