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日本にっぽん製鉄せいてつ八幡はちまんラグビー

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日本にっぽん製鉄せいてつ八幡はちまんラグビー
原語げんご表記ひょうき 日本にっぽん製鉄せいてつ八幡はちまんラグビー
クラブカラー あおだいだい
創設そうせつねん 1927ねん
代表だいひょう 船越ふなこし弘文ひろふみ
監督かんとく 富永とみながちかしもり
所属しょぞくリーグ トップキュウシュウA
公式こうしきサイト
http://www.yawata-rugby.com/
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日本にっぽん製鉄せいてつ八幡はちまんラグビー(にっぽんせいてつやはた・ラグビーぶ)は、2020ねん現在げんざいトップキュウシュウA所属しょぞくするラグビーチームである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

かつて八幡やはた製鉄せいてつ名称めいしょうで、全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかい歴代れきだい最多さいたとなる12かい優勝ゆうしょう記録きろくした、社会しゃかいじんラグビーの名門めいもんチーム。獲得かくとくした全国ぜんこくタイトルは16NHKはい日本にっぽん選手権せんしゅけん:3かい全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかい:12かい国体こくたい:1かい)をかぞえる。7にんせいラグビー大会たいかいYC&AC JAPAN SEVENSでも歴代れきだい最多さいたとなる12かい優勝ゆうしょう記録きろくしている。

全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかいには1950年度ねんどはつ出場しゅつじょう以降いこう、1988年度ねんどまでのあいだに、近鉄きんてつトヨタ自動車とよたじどうしゃ三洋電機さんようでんき神戸製鋼こうべせいこうリコーいで歴代れきだい6タイとなる30かい出場しゅつじょうした。優勝ゆうしょう12かい歴代れきだい1)、じゅん優勝ゆうしょう2かい歴代れきだい7タイ)、通算つうさん78試合しあい歴代れきだい8)、通算つうさん60しょう歴代れきだい5タイ)というかがやかしい記録きろくのこしている。

1970ねん3がつ31にち八幡やはた製鐵せいてつ富士ふじ製鐵せいてつ合併がっぺいしてしん日本にっぽん製鐵せいてつ誕生たんじょうしたことにともない、しん日本にっぽん製鐵せいてつ八幡やはたラグビー呼称こしょう新日鉄しんにってつ八幡やはた)に改称かいしょうした。そのは、合理ごうりさくとう影響えいきょうにより補強ほきょうもままならない状況じょうきょうつづき、一時いちじ同好どうこうかい格下かくさげされた時代じだいもあったが、現在げんざいはラグビーとして活動かつどうしている。2012ねん新日鐵しんにってつ住金すみきんへの社名しゃめい変更へんこうともない、新日鐵しんにってつ住金すみきん八幡やはたラグビー一般いっぱんてきには新日鉄しんにってつ住金すみきん八幡やはた表記ひょうき使用しよう)に改称かいしょうした。さらに2019ねん4がつ日本にっぽん製鉄せいてつへの社名しゃめい変更へんこうともない、2019年度ねんどから日本にっぽん製鉄せいてつ八幡やはたラグビー改称かいしょうしている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

黎明れいめい[編集へんしゅう]

1927ねんのち八幡やはた製鐵せいてつふく社長しゃちょう日本にっぽんラグビーフットボール協会きょうかい会長かいちょう歴任れきにんする湯川ゆかわ正夫まさお[1]により、製鉄せいてつラガークラブとして創設そうせつされる。しかしそのだい世界せかい大戦たいせんひとし影響えいきょうにより、一時いちじ活動かつどう停止ていし余儀よぎなくされる。

1948ねん活動かつどう再開さいかい八幡やはた製鐵せいてつラグビー一般いっぱんてきには八幡やはた製鉄せいてつ表記ひょうき使用しよう)と名称めいしょうわった1950ねん大会たいかいで、前年度ぜんねんど優勝ゆうしょうチームの三井化学みついかがく九州きゅうしゅう予選よせんやぶってはつ出場しゅつじょうたした全国ぜんこく社会しゃかいじんラグビーフットボール大会たいかい以下いか全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかい)において、園田そのだみのる高倉たかくら泰三たいぞうらをようし、決勝けっしょうトヨタこうを32-0でやぶって優勝ゆうしょうたすと、その宿敵しゅくてきとなる近鉄きんてつ(1951年度ねんど)、川崎重工業かわさきじゅうこうぎょう(1952年度ねんど)をそれぞれ決勝けっしょうくだし、どう大会たいかい3連覇れんぱ達成たっせいした。

4連覇れんぱがかかった1953ねんどう大会たいかいは、九州電力きゅうしゅうでんりょく九州きゅうしゅう予選よせん敗退はいたいしてほん大会たいかい出場しゅつじょうすらたせなかったが、1954ねん土屋つちや俊明としあき明治大学めいじだいがく)、山崎やまざき靖彦やすひこ佐藤さとう英彦ひでひこ(ともに早稲田大学わせだだいがく)の3にんラグビー日本にっぽん代表だいひょう選手せんしゅそろって入社にゅうしゃしたことで選手せんしゅそうあつみがし、どう年度ねんど全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかいでは大映だいえいを、1955ねん近鉄きんてつをそれぞれやぶって連覇れんぱたした。

充実じゅうじつ[編集へんしゅう]

1956ねん明治大学めいじだいがく出身しゅっしんの「快速かいそくじゅう戦車せんしゃウィング」としょうされた、日本にっぽん代表だいひょうWTBの宮井みやい国夫くにお入社にゅうしゃ宮井みやい加入かにゅうにより、はしちからがあった土屋つちやを、フォワードからバックスへとコンバートさせるさくこころみられた。ところが、フォワードじん高齢こうれい弱体じゃくたい露呈ろていしたため、3連覇れんぱがかかったどう年度ねんど全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかいでは、準決勝じゅんけっしょう近鉄きんてつ不覚ふかくった。一方いっぽうどう大会たいかい終了しゅうりょうしたのちとうチームは香港ほんこん遠征えんせいおこない、2しょう1はい戦績せんせきげた。だが、1957年度ねんど全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかいでも、2回戦かいせん京都きょうと市役所しやくしょ同点どうてん抽選ちゅうせんけしてしまう。

2ねん連続れんぞくして全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかい優勝ゆうしょうできなかったことから、1958ねん、14めいという大量たいりょう新人しんじん補強ほきょうおこなった。その成果せいか見事みごとあらわれ、決勝けっしょうで3連覇れんぱねら近鉄きんてつを9-0でくだし、3ねんぶり6かい優勝ゆうしょう。さらに1959ねん近鉄きんてつくだして連覇れんぱ達成たっせいした。そのカナダ遠征えんせいし、4しょう2はい成績せいせきおさめた。

1960ねんのちに「グレート草津くさつ」のリングめいプロレスさかいへと転身てんしんする草津くさつ正武まさたけ入社にゅうしゃ全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかいにおいてさんたび近鉄きんてつくだし、どう大会たいかい2かいの3連覇れんぱ達成たっせいした。また1960年度ねんどより開始かいしされた、日本にっぽん協会きょうかい招待しょうたいNHKはいにおいても、学生がくせい代表だいひょう日本にっぽん大学だいがくを50-13でやぶり、初代しょだい優勝ゆうしょうチームとなった。しかしどう年度ねんどシーズンかぎりで土屋つちや引退いんたい。その影響えいきょうからか、1961ねん全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかいでは史上しじょうはつの4連覇れんぱがかかったものの、よんたび全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかい決勝けっしょうあいえた近鉄きんてつに5-6でやぶれた。それは、近鉄きんてつどう大会たいかい決勝けっしょうにおいて八幡やはたやぶった最初さいしょ最後さいご事例じれいでもあった。

全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかい4連覇れんぱ達成たっせい[編集へんしゅう]

1962ねん王者おうじゃ奪回だっかいたすべく、山崎やまざき靖彦やすひこをコーチにえ、主将しゅしょうまつしん要三ようぞう明治大学めいじだいがく出身しゅっしん)との「二人三脚ににんさんきゃく体制たいせい」がスタートしたとうチームは、決勝けっしょう谷藤たにふじ機械きかいげんフリージア・マクロス)をやぶり9かい全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかい優勝ゆうしょうたした。さらにどう年度ねんどは、だい3かい日本にっぽん協会きょうかい招待しょうたいNHKはいにおいて明治大学めいじだいがくを25-6でやぶり、2かいどう大会たいかい優勝ゆうしょうたした。

1963ねん宿敵しゅくてき近鉄きんてつやぶって10かい全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかい優勝ゆうしょうたしたとうチームは、4チームできそわれた、だい1かい日本にっぽんラグビーフットボール選手権せんしゅけん大会たいかい以下いか日本にっぽん選手権せんしゅけん)に出場しゅつじょう。しかし、1回戦かいせん同志社大学どうししゃだいがくやぶれた。だが1964ねんトヨタこうくだして3かい全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかい3連覇れんぱ達成たっせいしたとうチームは、1965ねん1がつ15にちおこなわれただい2かい日本にっぽん選手権せんしゅけんにおいて、法政大学ほうせいだいがくを15-6でくだし、はつのラグビー日本一にっぽんいちいた。

しかし1964年度ねんどのシーズン終了しゅうりょう宮井みやい引退いんたい。さらに草津くさつ突然とつぜん引退いんたいし、プロレスへの転向てんこう表明ひょうめいをしたあたりからとうチームの衰退すいたいきざしがはじめてきた。くわえて以前いぜんより、新人しんじん補強ほきょうがままならなくなっていたことや、山崎やまざきコーチとまつしん主将しゅしょう確執かくしつ表面ひょうめんし、のち山崎やまざきがチームを事態じたいになったこともあって、以前いぜんよりチームりょく低下ていか顕在けんざいしていた。

それでも、宮井みやい草津くさつけたにもかかわらず、1965ねん入社にゅうしゃした高卒こうそつルーキーの寺井てらい敏雄としお草津くさつあなめる活躍かつやくをしたこともあり、どう年度ねんど全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかいでは、近鉄きんてつを8-3でくだし、ついに史上しじょうはつどう大会たいかい4連覇れんぱ達成たっせい。さらにどう大会たいかい優勝ゆうしょう記録きろくを12にばした。しかし、それがとうチーム最後さいご栄光えいこうとなってしまうのである。

栄光えいこうから一転いってん衰退すいたい[編集へんしゅう]

その日本にっぽん選手権せんしゅけん早稲田大学わせだだいがく対戦たいせん一進一退いっしんいったい攻防こうぼうつづき、ノーサイド寸前すんぜんまで9-9の同点どうてんだったが、早稲田わせだのフルバック(FB)・山本やまもといわおにペナルティゴールをめられ、土壇場どたんば日本一にっぽんいちいっした。その宿敵しゅくてき近鉄きんてつが、坂田さかた好弘よしひろ石塚いしづか広治ひろじらをようし、2ねん連続れんぞく全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかい日本にっぽん選手権せんしゅけん制覇せいは一方いっぽうとうチームは全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかいでは、決勝けっしょうにすらこますすめられないでいた。

1968年度ねんど全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかい準決勝じゅんけっしょうで、とうチームは3連覇れんぱがかかる近鉄きんてつ対戦たいせん。しかしこれまでとはちがって、下馬評げばひょう断然だんぜん近鉄きんてつ優勢ゆうせいであった。ところが、執拗しつようにタテ攻撃こうげき展開てんかいした効果こうかて、18-9でこれを撃破げきは翌日よくじつのスポーツはこぞって、『古豪こごう八幡やはた、どんぞこからの再起さいき』という見出みだしをつけたという。しかしとうチームのりもここまで。決勝けっしょうではトヨタこうに14-19でやぶれた。またここで事実じじつじょう八幡やはた製鐵せいてつラグビー栄光えいこうへのみちのりはまくじた。

試合しあい会場かいじょう練習れんしゅうじょう[編集へんしゅう]

きゅう八幡やはた製鐵せいてつ時代じだいから、同社どうしゃのちしん日本にっぽん製鐵せいてつ)が所有しょゆうし、のち北九州きたきゅうしゅう市営しえいとなった北九州きたきゅうしゅう市立しりつさやたに陸上りくじょう競技きょうぎじょう使用しようしている。

エピソード[編集へんしゅう]

八幡やはた製鐵せいてつラグビー時代じだいかぎってうと、近鉄きんてつとは20ねんちかくにわたって全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかいにおいて鎬をけずった宿命しゅくめいのライバルであったが、どう大会たいかいにおける通算つうさん戦績せんせきは10しょう2はいであり、決勝けっしょうせんかぎっていえば7しょう1はい断然だんぜん八幡やはたほうぶんかった。しかし、1950年度ねんどから1967年度ねんどまで、八幡やはたりこぼした年度ねんどにはかなら近鉄きんてつどう大会たいかい優勝ゆうしょうしていることをまえると、やはり近鉄きんてつ存在そんざいあなどりがたかったことがうかがえる。

タイトル[編集へんしゅう]

全国ぜんこく大会たいかい

さい上位じょういリーグ

7にんせい大会たいかい

  • YC&AC JAPAN SEVENS 優勝ゆうしょう:12かい(1959, 1961, 1962, 1964, 1965, 1966, 1967, 1968, 1969, 1970, 1972, 1973)※歴代れきだい最多さいた

成績せいせき[編集へんしゅう]

全国ぜんこく社会しゃかいじん大会たいかい戦績せんせき[編集へんしゅう]

かい 年度ねんど 地区ちく 成績せいせき ためし かち ぶん はい とく しつ 備考びこう
3 1950 九州きゅうしゅう 優勝ゆうしょう 2 2 0 0 38 3 35 八幡やはた製鉄せいてつのチームめい出場しゅつじょう
4 1951 九州きゅうしゅう 優勝ゆうしょう 3 3 0 0 70 6 64
5 1952 九州きゅうしゅう 優勝ゆうしょう 3 3 0 0 52 18 34
7 1954 九州きゅうしゅう 優勝ゆうしょう 3 3 0 0 135 8 127
8 1955 九州きゅうしゅう 優勝ゆうしょう 3 3 0 0 79 11 68
9 1956 九州きゅうしゅう ベスト4 3 2 0 1 103 9 94
10 1957 九州きゅうしゅう ベスト8 2 1 1 0 24 9 15 準々じゅんじゅん決勝けっしょう引分ひきわけ抽選ちゅうせん敗退はいたい
11 1958 九州きゅうしゅう 優勝ゆうしょう 4 4 0 0 52 6 46
12 1959 九州きゅうしゅう 優勝ゆうしょう 4 4 0 0 123 14 109
13 1960 九州きゅうしゅう 優勝ゆうしょう 4 4 0 0 118 6 112 NHKはい出場しゅつじょう
14 1961 九州きゅうしゅう じゅん優勝ゆうしょう 4 3 0 1 86 18 68
15 1962 九州きゅうしゅう 優勝ゆうしょう 4 4 0 0 122 3 119 NHKはい出場しゅつじょう
16 1963 九州きゅうしゅう 優勝ゆうしょう 4 4 0 0 100 9 91 日本にっぽん選手権せんしゅけん出場しゅつじょう
17 1964 九州きゅうしゅう 優勝ゆうしょう 4 4 0 0 108 16 92 日本にっぽん選手権せんしゅけん出場しゅつじょう
18 1965 九州きゅうしゅう 優勝ゆうしょう 4 4 0 0 78 9 69 日本にっぽん選手権せんしゅけん出場しゅつじょう
19 1966 九州きゅうしゅう ベスト4 3 2 0 1 44 17 27
20 1967 九州きゅうしゅう ベスト8 2 1 0 1 42 23 19
21 1968 九州きゅうしゅう じゅん優勝ゆうしょう 4 3 0 1 93 39 54
22 1969 九州きゅうしゅう ベスト8 2 1 0 1 25 38 -13
23 1970 九州きゅうしゅう ベスト8 2 1 0 1 20 22 -2 新日鉄しんにってつ八幡やはたにチームめい変更へんこう
25 1972 九州きゅうしゅう 1回戦かいせん敗退はいたい 1 0 1 0 16 16 0 1回戦かいせん引分ひきわけ抽選ちゅうせん敗退はいたい
26 1973 九州きゅうしゅう 1回戦かいせん敗退はいたい 1 0 0 1 14 17 -3
27 1974 九州きゅうしゅう ベスト8 2 1 0 1 60 23 37
28 1975 九州きゅうしゅう ベスト8 2 1 0 1 55 50 5
29 1976 九州きゅうしゅう ベスト8 2 1 0 1 52 66 -14
30 1977 九州きゅうしゅう 1回戦かいせん敗退はいたい 1 0 0 1 4 12 -8
31 1978 九州きゅうしゅう 1回戦かいせん敗退はいたい 1 0 0 1 8 13 -5
32 1979 九州きゅうしゅう 1回戦かいせん敗退はいたい 1 0 0 1 3 15 -12
37 1984 九州きゅうしゅう ベスト8 2 1 0 1 55 40 15
41 1988 西日本にしにほん 1回戦かいせん敗退はいたい 1 0 0 1 7 17 -10

リーグせん戦績せんせき[編集へんしゅう]

トップリーグ創設そうせつ以前いぜん[編集へんしゅう]

年度ねんど 所属しょぞくリーグ Div. 順位じゅんい 試合しあい 勝利しょうり 引分ひきわけ 敗戦はいせん 得点とくてん 失点しってん 得失とくしつ 備考びこう
1968 九州きゅうしゅうリーグ 不明ふめい 5 4 0 1 159 47 112 チームに結果けっか不明ふめい試合しあいがあり順位じゅんい不明ふめい(2以上いじょう
1969 九州きゅうしゅうリーグ 優勝ゆうしょう 4 3 0 1 165 59 106 さんすくみで同率どうりつ優勝ゆうしょう
1970 九州きゅうしゅうリーグ 2 4 2 1 1 90 68 22 同率どうりつ
1971 九州きゅうしゅうリーグ 2 4 3 0 1 122 59 63
1972 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ 1 優勝ゆうしょう 5 4 0 1 208 81 127 さんすくみで同率どうりつ優勝ゆうしょう
1973 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ 1 優勝ゆうしょう 5 5 0 0 295 35 260
1974 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ 1 2 5 4 0 1 258 69 189
1975 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ 1 優勝ゆうしょう 5 5 0 0 301 29 272
1976 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ 1 2 7 6 0 1 261 102 159
1977 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ 1 優勝ゆうしょう 7 7 0 0 329 38 291
1978 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ 1 優勝ゆうしょう 7 7 0 0 280 56 224
1979 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ 1 3 7 5 0 2 274 51 223
1980 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ 1 優勝ゆうしょう 7 7 0 0 260 44 216
1981 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ 1 4 8 5 0 3 248 95 153 同率どうりつ
1982 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ 1 4 8 5 0 3 163 104 59 同率どうりつ
1983 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ 1 3 8 6 0 2 222 110 112 同率どうりつ
1984 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Aリーグ 1 3 4 1 0 3 52 77 -25 さんすくみ
1985 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Aリーグ 1 3 4 2 0 2 48 66 -18
1986 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Aリーグ 1 4 5 2 0 3 73 100 -27
1987 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Aリーグ 1 5 5 1 0 4 48 89 -41 同率どうりつ
1988 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Aリーグ 1 3 5 3 0 2 62 96 -34
1989 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Aリーグ 1 4 6 3 0 3 90 93 -3
1990 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Aリーグ 1 6 6 1 1 4 109 145 -36
1991 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Aリーグ 1 4 6 3 0 3 105 159 -54
1992 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Aリーグ 1 5 7 3 0 4 201 239 -38
1993 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Aリーグ 1 5 6 2 1 3 95 235 -140 同率どうりつ4順位じゅんいぜん試合しあいでの得失点とくしってんによる
1994 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Aリーグ 1 4 7 3 0 4 149 255 -106
1995 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Aリーグ 1 7 7 1 0 6 140 297 -157
1996 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Aリーグ 1 7 7 1 0 6 171 403 -232
1997 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Aリーグ 1 8 7 0 0 7 72 650 -578
1998 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Bリーグ 2 4 詳細しょうさい不明ふめい
1999 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Bリーグ 2 優勝ゆうしょう 詳細しょうさい不明ふめい
2000 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Bリーグ 2 3 詳細しょうさい不明ふめい
2001 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Bリーグ 2 2 詳細しょうさい不明ふめい
2002 西日本にしにほん社会しゃかいじんリーグ Bリーグ 2 3 7 5 2 0 234 136 98

トップリーグ創設そうせつ以降いこう[編集へんしゅう]

  • 2003-2004 トップキュウシュウB 3
  • 2004-2005 トップキュウシュウB 優勝ゆうしょう、トップキュウシュウB残留ざんりゅう
  • 2005-2006 トップキュウシュウB 3
  • 2006-2007 トップキュウシュウB 2、トップキュウシュウB残留ざんりゅう
  • 2007-2008 トップキュウシュウB 4
  • 2008-2009 トップキュウシュウB 6
  • 2009-2010 トップキュウシュウB 2
  • 2010-2011 トップキュウシュウB 3
  • 2011-2012 トップキュウシュウB 2、トップキュウシュウAに昇格しょうかく
  • 2012-2013 トップキュウシュウA 5予選よせんリーグ 1しょう5はい・6決勝けっしょうリーグ4-7グループ 2しょう1はい
  • 2013-2014 トップキュウシュウA 7予選よせんリーグ 1しょう5はい・6決勝けっしょうリーグ4-7グループ 3はい)、にゅうがえせん敗戦はいせん、トップキュウシュウBに降格こうかく
  • 2014-2015 トップキュウシュウB 優勝ゆうしょう(5しょう)、にゅうがえせん勝利しょうり、トップキュウシュウAに昇格しょうかく
  • 2015-2016 トップキュウシュウA 8予選よせんリーグ 1しょう6はい・7決勝けっしょうリーグ5-8グループ 3はい)、にゅうがえせん勝利しょうり、トップキュウシュウA残留ざんりゅう
  • 2016-2017 トップキュウシュウA 7予選よせんリーグ 6はい・7決勝けっしょうリーグ4-7グループ 3はい
  • 2017-2018 トップキュウシュウA 4予選よせんリーグ 1しょう3はい・4決勝けっしょうリーグ4・5決定けっていせん 勝利しょうり)、にゅうがえせん勝利しょうり、トップキュウシュウA残留ざんりゅう
  • 2018-2019 トップキュウシュウA 5予選よせんリーグ 0しょう4はい・5決勝けっしょうリーグ4・5決定けっていせん 敗戦はいせん)、にゅうがえせん勝利しょうり、トップキュウシュウA残留ざんりゅう
  • 2019-2020 トップキュウシュウA 5にゅうがえせん勝利しょうり、トップキュウシュウA残留ざんりゅう
  • 2020-2021,2021-2022 リーグ中止ちゅうし
  • 2022-2023 トップキュウシュウA 2

2019年度ねんどスコッド[編集へんしゅう]

2019年度ねんどスコッドつぎとお[2]太字ふとじ今年度こんねんどからのしん加入かにゅう選手せんしゅ

過去かこ所属しょぞく選手せんしゅ[編集へんしゅう]

キャップ獲得かくとく日本にっぽん代表だいひょう選手せんしゅ
括弧かっこないはキャップすう
その

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 1960年度ねんど-1962年度ねんどは、日本にっぽんラグビーフットボール選手権せんしゅけん大会たいかい日本にっぽん選手権せんしゅけん)の前身ぜんしんとなる日本にっぽん協会きょうかい招待しょうたいNHKはい争奪そうだつラグビー大会たいかい(NHKはい)が開催かいさいされた。
  2. ^ 西方にしかた自衛隊じえいたい東洋工業とうようこうぎょうと3チーム優勝ゆうしょう

出典しゅってん[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]