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日本にっぽん高等こうとう学校がっこう野球やきゅう連盟れんめい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん日本にっぽん高等こうとう学校がっこう野球やきゅう連盟れんめい
Japan High School Baseball Federation
団体だんたい種類しゅるい 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん
設立せつりつ 2011ねん平成へいせい23ねん)4がつ1にち
所在地しょざいち 大阪おおさか大阪おおさか西にし江戸堀えどぼりいち丁目ちょうめ22ばん25ごう
中澤なかざわ佐伯さえき記念きねん野球やきゅう会館かいかんうち
法人ほうじん番号ばんごう 6120005015208 ウィキデータを編集
起源きげん 全国ぜんこく中等ちゅうとう学校がっこう野球やきゅう連盟れんめい
:1946ねん昭和しょうわ21ねん)2がつ
-1947ねん昭和しょうわ22ねん)3がつ
全国ぜんこく高等こうとう学校がっこう野球やきゅう連盟れんめい
:1947ねん昭和しょうわ22ねん)4がつ
-1963ねん昭和しょうわ38ねん)2がつ
財団ざいだん法人ほうじん日本にっぽん高等こうとう学校がっこう野球やきゅう連盟れんめい
:1963ねん昭和しょうわ38ねん)2がつ
-2012ねん平成へいせい24ねん)3がつ31にち
主要しゅよう人物じんぶつ 会長かいちょう たからかおる
活動かつどう地域ちいき 日本にっぽんおよ日本にっぽん国外こくがい
活動かつどう内容ないよう 高校こうこう野球やきゅう統括とうかつ
基本きほん財産ざいさん 土地とち8,532まん120えん
2016ねん平成へいせい28ねん)2がつ29にち現在げんざい
ウェブサイト www.jhbf.or.jp ウィキデータを編集
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公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん日本にっぽん高等こうとう学校がっこう野球やきゅう連盟れんめい(にほんこうとうがっこうやきゅうれんめい、英語えいご表記ひょうき:Japan High School Baseball Federation)は、日本にっぽん高校こうこう野球やきゅう男子だんし[1])の統轄とうかつ組織そしきで、47都道府県とどうふけん高等こうとう学校がっこう野球やきゅう連盟れんめい加盟かめいしている。また、公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん全日本ぜんにほん大学だいがく野球やきゅう連盟れんめいとともに、上部じょうぶ組織そしきとして公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん日本にっぽん学生がくせい野球やきゅう協会きょうかい構成こうせいしている。高野連こうやれんの2019ねん7がつ3にち発表はっぴょうによれば、5がつまつ時点じてんでの全国ぜんこく加盟かめいこうすう野球やきゅう部員ぶいんすうは、部員ぶいんすうは、14まん3867にん加盟かめいこうすうは、3957こう[1]

略称りゃくしょう日本にっぽん高野連こうやれん(にほんこうやれん)またはたん高野連こうやれん(こうやれん)とも。

概要がいよう[編集へんしゅう]

だい東亜とうあ戦争せんそう太平洋戦争たいへいようせんそうだい世界せかい大戦たいせん以前いぜん全国ぜんこく中等ちゅうとう学校がっこう優勝ゆうしょう野球やきゅう大会たいかい朝日新聞社あさひしんぶんしゃ大阪おおさか朝日新聞あさひしんぶんげん朝日新聞あさひしんぶん大阪おおさか本社ほんしゃ)、選抜せんばつ中等ちゅうとう学校がっこう野球やきゅう大会たいかい大阪おおさか毎日新聞社まいにちしんぶんしゃげん毎日新聞まいにちしんぶん大阪おおさか本社ほんしゃ)がそれぞれ単独たんどく主催しゅさいしていたが、戦後せんご再開さいかいするにあたって、りょう新聞しんぶんしゃとはべつ運営うんえい組織そしき必要ひつようになった。このため朝日新聞社あさひしんぶんしゃもと社長しゃちょう上野うえの精一せいいち毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ取締役とりしまりやく大阪おおさか本社ほんしゃ代表だいひょう本田ほんだ親男ちかおさそって、全国ぜんこく中等ちゅうとう学校がっこう野球やきゅう連盟れんめいげることにし、1946ねん昭和しょうわ21ねん)に発足ほっそくした。

なお、この当時とうじ朝日新聞社あさひしんぶんしゃ代表だいひょう取締役とりしまりやく野村のむら秀雄ひでお毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ社長しゃちょう高田たかだ元三郎もとさぶろうとも東京とうきょう本社ほんしゃきゅう東京とうきょう朝日あさひ東京とうきょう日日ひにち出身しゅっしんで、中学ちゅうがく野球やきゅう運営うんえいかんするノウハウをわせていなかった。朝日新聞あさひしんぶんぜん社長しゃちょう村山むらやまちょうきょと、毎日新聞まいにちしんぶんぜん社長しゃちょう高石たかいししん五郎ごろうおよびもと社長しゃちょう奥村おくむら信太郎しんたろうだい東亜とうあ戦争せんそうちゅう帝國ていこく政府せいふ陸海りくかいぐん発表はっぴょう報道ほうどう大本営だいほんえい発表はっぴょう)しかつたえられなかった責任せきにんっていずれも辞任じにんしていた。

初期しょき中野なかのれんでは、運営うんえい最前線さいぜんせん上野うえのと、京都きょうと帝国ていこく大学だいがく名誉めいよ教授きょうじゅのちに2だい会長かいちょう中澤なかざわ良夫よしおになった。一方いっぽう本田ほんだ甲子園こうしえん球場きゅうじょう接収せっしゅう解除かいじょさせるべく、の3だい会長かいちょう佐伯さえき達夫たつお代議士だいぎし松本まつもと瀧藏たきぞうらとともに、占領せんりょうぐんとの交渉こうしょうたった。その結果けっか1946ねん優勝ゆうしょう大会たいかいこそ西宮にしのみや球場きゅうじょうでの開催かいさいとなったものの、よく1947ねん昭和しょうわ22ねん)のセンバツから甲子園こうしえんでの開催かいさい再開さいかいすることができた。

同年どうねんだい東亜とうあ戦争せんそう終結しゅうけつともな戦後せんご改革かいかく一環いっかんとして、学制がくせい改革かいかく実施じっしされる。旧制きゅうせい中学ちゅうがく高校こうこう国民こくみん学校がっこう高等こうとう新制しんせい中学ちゅうがく改組かいそされると、中等ちゅうとう学校がっこう野球やきゅう連盟れんめい新制しんせい高校こうこう対象たいしょうとすることになり、全国ぜんこく高等こうとう学校がっこう野球やきゅう連盟れんめい改称かいしょうした。

さらに1963ねん昭和しょうわ38ねん)には文部省もんぶしょうげん文部もんぶ科学かがくしょう)から財団ざいだん法人ほうじんとして認可にんかされ、同時どうじ名称めいしょう改称かいしょうした。

本部ほんぶ一貫いっかんして大阪おおさか大阪おおさかかれている。これは、朝日新聞社あさひしんぶんしゃ[ちゅう 1]毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ(初代しょだい)[ちゅう 2]のどちらも大阪おおさか本社ほんしゃいていたことと、2だい全国ぜんこく大会たいかい開催かいさいである阪神はんしん甲子園こうしえん球場きゅうじょうもっとちか大都市だいとしであることが理由りゆうとされている。一方いっぽう日本にっぽん学生がくせい野球やきゅう協会きょうかい全日本ぜんにほん大学だいがく野球やきゅう連盟れんめい東京とうきょう本部ほんぶいている。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

運営うんえい大会たいかい[編集へんしゅう]

組織そしき構成こうせい[編集へんしゅう]

常任じょうにん理事りじかいと9の地区ちく理事りじかい構成こうせいされる全国ぜんこく理事りじかい評議ひょうぎいんかい複数ふくすう委員いいんかいから構成こうせい

  • 総務そうむ委員いいんかい
  • 財務ざいむ委員いいんかい
  • 審議しんぎ委員いいんかい
  • 審判しんぱん規則きそく委員いいんかい
  • 技術ぎじゅつ振興しんこう委員いいんかい
  • 医科いかがく委員いいんかい
  • プロアマ健全けんぜん委員いいんかい
  • 軟式なんしき委員いいんかい
  • 佐伯さえき記念きねん国際こくさい交流こうりゅう委員いいんかい
  • 野球やきゅう留学りゅうがく検討けんとう委員いいんかい
  • 選手権せんしゅけん大会たいかい運営うんえい委員いいんかい
  • 選抜せんばつ大会たいかい運営うんえい委員いいん仕事しごと

歴代れきだい会長かいちょう[編集へんしゅう]

だい 氏名しめい 在任ざいにん時期じき 野球やきゅう殿堂でんどう
初代しょだい 上野うえの精一せいいち 1946ねん昭和しょうわ21ねん) - 1948ねん昭和しょうわ23ねん
だい2だい 中澤なかざわ良夫よしお 1948ねん昭和しょうわ23ねん) - 1966ねん昭和しょうわ41ねん 1991ねん平成へいせい3ねん
だい3だい 佐伯さえき達夫たつお 1967ねん昭和しょうわ42ねん) - 1980ねん昭和しょうわ55ねん 1981ねん昭和しょうわ56ねん
だい4だい 牧野まきの直隆なおたか 1981ねん昭和しょうわ56ねん) - 2002ねん平成へいせい14ねん 1996ねん平成へいせい8ねん
だい5だい 脇村わきむら春夫はるお 2002ねん平成へいせい14ねん) - 2008ねん平成へいせい20ねん 2019ねん平成へいせい31ねん
だい6だい おきとう孝康たかやす 2008ねん平成へいせい20ねん) - 2015ねん平成へいせい27ねん
だい7だい 八田はった英二えいじ 2015ねん平成へいせい27ねん) - 2021ねんれい3ねん)11月
だい8だい たからかおる 2021ねんれい3ねん)12月 - 現職げんしょく

日本にっぽん高野連こうやれんによる変革へんかく社会しゃかい貢献こうけん[編集へんしゅう]

  • 日本にっぽん高校こうこう野球やきゅう連盟れんめいは1997ねんはるだい69かい選抜せんばつ高校こうこう野球やきゅう大会たいかいから、球審きゅうしんコールを、ボールをさき、ストライクをこうとする方式ほうしき採用さいようした。それまではだいリーグをはじめこの方式ほうしき世界せかい基準きじゅんだった。国際こくさいやAAA大会たいかい(アジア野球やきゅう連盟れんめいジュニア選手権せんしゅけん)などを見据みすえて移行いこうすることとなった。高野連こうやれんは1997ねん2がつ5にち開催かいさい理事りじかい審議しんぎ決定けっていし、発表はっぴょうした[2]。 なお、プロ野球やきゅう日本にっぽん野球やきゅう機構きこう(NPB)は2010ねんシーズンから変更へんこうした。社会しゃかいじん野球やきゅう大学だいがく野球やきゅうなどもこれに追随ついずいした。かく球場きゅうじょうのカウント表示ひょうじも「SBO」から「BSO」へと変更へんこうされた。
  • 21世紀せいきわく創設そうせつによる、結果けっかだけではない努力どりょく評価ひょうかによる高校こうこう球児きゅうじ全体ぜんたいへの啓蒙けいもう(しかし“努力どりょく”の基準きじゅん不明瞭ふめいりょう、との批判ひはんがある)。
  • 2003ねん平成へいせい15ねん)の選抜せんばつ大会たいかいからはあらたに明治めいじ神宮じんぐう大会たいかいわく希望きぼうわくもうけた。希望きぼうわくは2008ねん平成へいせい20ねん)の選抜せんばつ大会たいかいをもって廃止はいし
  • 2006ねん平成へいせい18ねん)の選手権せんしゅけん大会たいかい始球しきゅうしきでは、人命じんめい救助きゅうじょ社会しゃかい貢献こうけんした久美浜くみはま高校こうこう野球やきゅうの4めい指名しめいした[3]
  • グラウンドでプレーする部員ぶいん試合しあい)を茶化ちゃかす、パロディーなどでわらいにする、など教育きょういく一環いっかんとしておこなわれている高校こうこう野球やきゅう目的もくてきからいちじるしく逸脱いつだつしていると判断はんだんした場合ばあいには連盟れんめい媒体ばいたい直接ちょくせつ抗議こうぎおこない、制作せいさく協力きょうりょくした施設しせつ事業主じぎょうぬしらにたい罰則ばっそくあたえるなど、放送ほうそう出版しゅっぱんにおける健全けんぜんせいたかめる運動うんどうおこなっている[4]
  • 日本にっぽん高校こうこう野球やきゅう連盟れんめいは2022ねんはるだい94かい選抜せんばつ高校こうこう野球やきゅう大会たいかいから、「継続けいぞく試合しあい制度せいど導入どうにゅうめた[5]。これにより「降雨こううコールドゲーム」、「降雨こううノーゲーム、さい試合しあい」という概念がいねんはなくなり、試合しあいちゅうのどの時点じてんでも、天候てんこう不良ふりょうなどの状況じょうきょうになった場合ばあい試合しあい中断ちゅうだんし、翌日よくじつ以後いごおな場面ばめんからつづきをおこない9かい(または延長えんちょう)で勝負しょうぶけっするまでおこなうこととなった[5]。「降雨こううコールドゲーム」、「降雨こううノーゲーム」の場合ばあい試合しあいおこなわれたプレーが記録きろくのこらないことがあったが、そのような合理ごうり解消かいしょうされることとなった[5]選手せんしゅ健康けんこうめん安全あんぜんめんでものぞましい制度せいどであるとされる。

高校こうこう野球やきゅう用具ようぐ使用しよう制限せいげん変遷へんせん[編集へんしゅう]

高野連こうやれん高校こうこうらしさ、公平こうへいせいとう理由りゆうに、用具ようぐ使用しよう制限せいげんおこなっているが、おも安全あんぜんめん健康けんこうめん配慮はいりょとして、都度つど使用しよう解禁かいきんおこなっている。

  • 1974ねん金属きんぞくバット解禁かいきん[6]
  • 1995ねん、ハイカットスパイク使用しよう解禁かいきん足首あしくび防護ぼうご目的もくてき。カラーグラブのうち黒色こくしょく使用しよう解禁かいきん
  • 1998ねん、バッティンググローブを解禁かいきん
  • 2002ねん、エルボーガード、フットガード解禁かいきん守備しゅびよう手袋てぶくろ使用しよう解禁かいきん
  • 2010ねん、マウスピース使用しよう解禁かいきん。(しろまたは透明とうめいのみ)[7]
  • 2020ねん3がつ白色はくしょくスパイク解禁かいきん[8][9]

熱中ねっちゅうしょう対策たいさくとして[8]ミズノなつ最高さいこう気温きおん32℃の炎天下えんてんかしろくろのスパイクの内部ないぶ温度おんど調しらべた結果けっかしろスパイクは調査ちょうさ開始かいしから1あいだも40だい前半ぜんはんと、くろスパイクより10ほどひくかった[10]解禁かいきんおこなわれた2020ねん甲子園こうしえん高校こうこう野球やきゅう交流こうりゅう試合しあいでは、出場しゅつじょう32こうちゅう14こうしろスパイクを使用しようし、使用しようりつ44%[10]、2021ねん8がつだい103かい全国ぜんこく高等こうとう学校がっこう野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかいでは48こうちゅう41こうしろスパイクを使用しようし、使用しようりつ90%となり短期間たんきかん普及ふきゅうした[11]

  • 2022ねん2がつ、「あごガードきヘルメット」解禁かいきん[12]

あごガードきヘルメット(フェイスガード)は、NPBでは2019ねんごろから普及ふきゅうしていたが、大手おおてスポーツ用品ようひんメーカーが「現時点げんじてんでSGマークきのフェースガードの商品しょうひんかんがえていない」という姿勢しせいであったため、「SGマークがなければ事故じこきたさい補償ほしょうもできず、現状げんじょうのままではフェースガードをみとめることはできない」と使用しよう禁止きんしした[13]全日本ぜんにほん野球やきゅう協会きょうかいアマチュア野球やきゅう規則きそく委員いいんかいも2019ねん3がつ高野連こうやれんなどにヘルメットの改造かいぞう禁止きんしするよう通達つうたつ徹底てっていもとめていた[13]一方いっぽうで、安全あんぜんのために導入どうにゅうもとめるこえがっていた[13]。2022ねんあごガードきヘルメットがSGマークの対象たいしょうとなったことから「打者だしゃ走者そうしゃあごガードつきヘルメットを使用しようすることができる。使用しようする場合ばあいは、ヘルメット本体ほんたいあごガードは同色どうしょくとする。 (規則きそく 3.08)」と規則きそく改正かいせいされ、使用しよう解禁かいきんされた[14]解禁かいきん最初さいしょ全国ぜんこく大会たいかいである、2022ねん3がつ19にちから開催かいさいされただい94かい選抜せんばつ高等こうとう学校がっこう野球やきゅう大会たいかいでは、32こうちゅう15こうあごガードきヘルメットを採用さいようした[14]

日本にっぽん高野連こうやれんかんするエピソードや問題もんだい[編集へんしゅう]

言葉ことば[編集へんしゅう]

  • 無心むしんたま無我むが境地きょうちつづけることこそ高校こうこう野球やきゅう生命せいめいである。」(佐伯さえき達夫たつお

  だい94かい選抜せんばつ高等こうとう学校がっこう野球やきゅう大会たいかい(2022ねん3がつ)の開会かいかいしき閉会へいかいしきにおいて、たからかおる高野連こうやれん会長かいちょう挨拶あいさつ引用いんようした。これは、みじかくしたバージョンで、もと佐伯さえき達夫たつおぶんは、「わざ巧拙こうせつにあらず、勝敗しょうはいにあらず。若人わこうどおのれねつちからすべてを傾注けいちゅうくして、よごれなき無心むしん白球はっきゅうを、清純せいじゅん無我むが境地きょうちで、一心不乱いっしんふらんつづけることこそ高校こうこう野球やきゅう生命せいめいである。」である。

応援おうえんへの干渉かんしょう[編集へんしゅう]

  • 1994ねん平成へいせい6ねん)の選手権せんしゅけん大会たいかいでは、エイサー衣装いしょうけん代表だいひょうこう応援おうえんけたものたちが、「奇異きい」や「華美かび」だとして連盟れんめいから自粛じしゅくもとめられた。沖縄おきなわにとっての民族みんぞく衣装いしょうであろうと大会たいかいにそぐわなければ警告けいこく対象たいしょうになるということであり、沖縄おきなわけんみん反発はんぱつこえがった。
  • 2001ねん平成へいせい13ねん)の選手権せんしゅけん大会たいかいには田中たなか康夫やすお長野ながのけん知事ちじ地元じもと塚原つかはら青雲せいうん高校こうこう応援おうえんけんのマスコットのぐるみをれてきたが、それを中止ちゅうしさせた。ただし、これはすでにぜん出場しゅつじょうチームに禁止きんし通達つうたつされていたものであり、その通達つうたつやぶった知事ちじがわ問題もんだいがあるとの指摘してきもある[だれによって?]
  • 2011ねん平成へいせい23ねん)の選手権せんしゅけん大会たいかいではつぎのような出来事できごとがあった。大会たいかい直前ちょくぜん習志野ならしの高校こうこう千葉ちば)の吹奏楽すいそうがく顧問こもん教師きょうし石津いしづたにおさむほうつぎのように発言はつげんした。「相手あいてこう応援おうえんだんやベンチからもしょっちゅう『うるさい』とわれるが、最高さいこう言葉ことばおもっている。相手あいてベンチにけガンガンプレッシャーをかけていく。」ナインの背中せなかすため、攻撃こうげきちゅう管楽器かんがっきのベル(おと部分ぶぶん)をバッターボックスにける。相手あいてこうが「タイム」をかけてマウンドにあつまれば、マウンドにきをえる。石津いしづたにによるとこれは「相手あいてベンチからの指示しじこえなくしたり、マウンドじょうでの会話かいわをしにくくしたりする。よわいピッチャーなら、この爆音ばくおんにやられてくずれる」とのこと。[15][16]これにたいし、高野連こうやれんはこれを問題もんだい習志野ならしの高校こうこう学校がっこう関係かんけいしゃ習志野ならしの高校こうこう野球やきゅう小林こばやしとおる監督かんとく厳重げんじゅう注意ちゅういした。石津いしづたに甲子園こうしえん姿すがたせることはなかった。[17]この習志野ならしの高校こうこう吹奏楽すいそうがく試合しあい妨害ぼうがい問題もんだいについては、高野連こうやれんたいして「スタンドの生徒せいと吹奏楽すいそうがく応援おうえんだん一体いったいとなってこその高校こうこう野球やきゅう」「おと邪魔じゃました証拠しょうこはない」と“干渉かんしょうしすぎ”との意見いけんがある。この指摘してきた2017ねん現在げんざいはタイムがかかったさいやマウンドでの伝令でんれいさい演奏えんそうめている。

ユニフォームへの干渉かんしょう[編集へんしゅう]

  • 1999ねん平成へいせい11ねん)の選抜せんばつ大会たいかい優勝ゆうしょうした沖縄尚学おきなわしょうがく高校こうこうのユニフォームに「文武両道ぶんぶりょうどう」の文字もじはいっていたため、高野連こうやれんは「このましくない」として説明せつめいもとめ、同校どうこうはユニフォームから「文武両道ぶんぶりょうどう」の文字もじはずした[18]

報道ほうどう自由じゆうへの干渉かんしょう[編集へんしゅう]

  • 青森あおもりけんでは地元じもと新聞しんぶんひかりぼし学院がくいん高校こうこう生徒せいとがレポートを掲載けいさいしていたが、それを中止ちゅうしさせた[よう出典しゅってん]
  • 読売新聞よみうりしんぶんが2007ねん平成へいせい19ねん)8がつ1にちから8がつ3にちにかけ、3かいシリーズで連載れんさいした高野連こうやれんかた問題もんだいてんげた特集とくしゅう記事きじ高野連こうやれんってなに?」[19]内容ないようについて、高野連こうやれん読売新聞よみうりしんぶんたいし、記事きじ訂正ていせい謝罪しゃざいもとめていると発表はっぴょうした。これにたいして読売新聞よみうりしんぶんでは、訂正ていせい必要ひつようはないとしている[20]

収益しゅうえき[編集へんしゅう]

  • 選抜せんばつ高等こうとう学校がっこう野球やきゅう大会たいかい全国ぜんこく高等こうとう学校がっこう野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかい収益しゅうえき大会たいかい出場しゅつじょうこうへの旅費りょひ滞在たいざい雑費ざっぴ還元かんげんされる。1こう20にん選手せんしゅ18にん責任せきにん教師きょうし1にん監督かんとく1にん)を限度げんどとし、参加さんかしゃにはその代表だいひょうこう所在地しょざいちから大阪おおさかまでの往復おうふく普通ふつう乗車じょうしゃ運賃うんちん新幹線しんかんせん特急とっきゅう急行きゅうこう料金りょうきんふくむ)、汽船きせん普通ふつうとう乗船じょうせん運賃うんちん支給しきゅう沖縄おきなわ南北なんぼく北海道ほっかいどう代表だいひょうこう航空こうくう運賃うんちん支給しきゅうされる。
  • 滞在たいざい抽選ちゅうせんから、その学校がっこう試合しあい終了しゅうりょうしたまでの日数にっすうたいし、1にち1にん4,000えん支払しはらわれる。前年度ぜんねんど優勝ゆうしょうこう全国ぜんこく大会たいかい出場しゅつじょうできなかった場合ばあい優勝旗ゆうしょうき返還へんかんする主将しゅしょう同伴どうはん責任せきにん教師きょうしに、規定きていによる旅費りょひ滞在たいざい滞在たいざい雑費ざっぴ1人ひとり1にち2,000えん)が支給しきゅうされる。

公式こうしきせんへの女性じょせい選手せんしゅ出場しゅつじょう[編集へんしゅう]

2012ねん平成へいせい24ねん時点じてんでは、規定きていみとめていない。しかし2008ねん平成へいせい20ねん)、当時とうじ渡海とかいきの三朗さぶろう文部もんぶ科学かがく大臣だいじんアメリカでは女子じょし選手せんしゅ一緒いっしょにプレーしているという事例じれいげたうえ女子じょし公式こうしきせん出場しゅつじょうについて検討けんとうまたは女子じょし練習れんしゅう参加さんかみとめるべきとの認識にんしきしめした[21]

なお、1995ねん平成へいせい7ねん)には全国ぜんこく高等こうとう学校がっこう女子じょし硬式こうしき野球やきゅう連盟れんめいという組織そしきべつつくられ、2012ねん平成へいせい24ねん時点じてん全国ぜんこくで6こう加盟かめい全国ぜんこく大会たいかいおこなわれている[22][23]

その[編集へんしゅう]

  • 2005ねん平成へいせい17ねん)の選手権せんしゅけん大会たいかいにおいて広島ひろしまけん代表だいひょうこうこう陽東ようとう高校こうこう主将しゅしょう広島ひろしまへの原子げんしばくだん投下とうかの8がつ6にち午前ごぜん815ふん開会かいかいしきそなえて室内しつない練習れんしゅうじょう集合しゅうごうしたぜんチームととも黙祷もくとうをささげようと計画けいかく。8月4にち同行どうこうしていた朝日新聞あさひしんぶん記者きしゃたいして他校たこうびかけて黙祷もくとうおこな意向いこうつたえ、同社どうしゃ担当たんとう部署ぶしょ高野連こうやれんとの相談そうだん結果けっかこう黙祷もくとうすることはかまわない」と学校がっこうがわ返答へんとうした。記者きしゃがこれを「他校たこうけることも可能かのう」と判断はんだん主将しゅしょうつたえたが、記者きしゃ判断はんだん高野連こうやれんがわにはつたわっていなかった[24][25]。「大会たいかい本部ほんぶ了承りょうしょうた」と理解りかいした主将しゅしょう開会かいかいしき当日とうじつ、ほかの代表だいひょうこうびかけようとしたところ「ぜん代表だいひょうこうびかけるとのはなしいていない」として田名部たなべ和裕かずひろ参事さんじもくとうを制止せいし[26]同校どうこう選手せんしゅ待機たいきちゅうれつはずされ、広島ひろしま方角ほうがくかって自分じぶんたちだけで黙祷もくとうおこなった(このさい田名部たなべが「原爆げんばく広島ひろしまだけのこと。このでみんなをむのはくない」と発言はつげんしたとされたが、のちにこの発言はつげん誤報ごほう判明はんめい[27])。選手せんしゅ他校たこうからはなしたことについて田名部たなべは「かないだろうとかんがえ、練習れんしゅうじょうすみ案内あんないした」と説明せつめい朝日新聞社あさひしんぶんしゃ社内しゃない連絡れんらくミスで黙祷もくとう実現じつげんができなかったことを謝罪しゃざいした[28]田名部たなべは「広島ひろしまのことも長崎ながさきのこともふくめて、大会たいかい行事ぎょうじとして(終戦しゅうせん記念きねんの)8がつ15にち正午しょうご黙祷もくとうしており、原爆げんばく黙祷もくとう全体ぜんたい行事ぎょうじとするわけにはいかない。」とのことでありたしかに形式けいしきじょう問題もんだいかった。しかし、原爆げんばくこと知識ちしきとしてしからず実感じっかんのわかない世代せだいえるにつれて、こういった黙祷もくとう原爆げんばくことつたえていくうえではおこなってもいいのではないかとの反論はんろんがり、その結果けっか高野連こうやれんは2006ねん平成へいせい18ねん)の選手権せんしゅけん大会たいかいでは原爆げんばく投下とうかされた815ぶん前後ぜんこうに「静粛せいしゅく時間じかん」をもうけ、そのあいだ黙祷もくとうささげることは任意にんいとすることを決定けっていした。どう大会たいかいでは広島ひろしま代表だいひょう如水にょすいかん高校こうこう開会かいかいしきまえ黙祷もくとうおこなった[29]
  • 2006ねん平成へいせい18ねん)におこなわれた全国ぜんこく高等こうとう学校がっこう野球やきゅう選手権せんしゅけん秋田あきた大会たいかい準決勝じゅんけっしょうせん本荘ほんじょう高校こうこうたい秋田あきた高校こうこうせんで、秋田あきた雨天うてんノーゲームねらいでの遅延ちえん行為こういおこない、本荘ほんじょう敬遠けいえんたま空振からぶ三振さんしんする、試合しあい終了しゅうりょうさせるため3るい走者そうしゃがホームスチールを仕掛しかけタッチアウトになるなどのプレーをおこなった。本荘ほんじょう審判しんぱんから緩慢かんまんプレーとして注意ちゅういけ、秋田あきたけん高野連こうやれん本荘ほんじょうへは始末しまつしょ提出ていしゅつもとめたが秋田あきた処罰しょばつ対象たいしょうとならなかった。
  • 高野連こうやれん全国ぜんこく大会たいかいにおいて過去かこ審判しんぱん誤審ごしんみとめたれいは1984ねん昭和しょうわ59ねん)の選抜せんばつ大会たいかい佐賀さが商業しょうぎょう高校こうこうたい高島たかしま高校こうこうせんでの判定はんていと、2022ねん (れい4ねん)におこなわれただい94かい選抜せんばつ高等こうとう学校がっこう野球やきゅう大会たいかい広陵こうりょう高校こうこうたい敦賀気比つるがけひ高校こうこうでの判定はんていの2れいのみである。なお、地方ちほう大会たいかいではおおくのれいがある。

プロアマ選手せんしゅ交流こうりゅうゆめこうに」[編集へんしゅう]

日本にっぽん野球やきゅう機構きこう(NPB)・日本にっぽんプロ野球やきゅう選手せんしゅかい日本にっぽん高野連こうやれんの3組織そしきによって2003ねんから開催かいさいされているプロアマの選手せんしゅ交流こうりゅう当初とうしょプロ選手せんしゅ高校こうこう球児きゅうじにメッセージ冊子さっしおくることからはじまり、毎年まいとし12がつ複数ふくすうけん現役げんえき選手せんしゅやOBが直接ちょくせつ技術ぎじゅつ指導しどうをしたり講演こうえんなどをおこなっている[30][31]

日本にっぽん高野連こうやれん加盟かめいチーム[編集へんしゅう]

学校がっこう法人ほうじん芦屋あしや学園がくえんは2014年度ねんど平成へいせい26年度ねんど)から中学ちゅうがく高校こうこう大学だいがく一貫いっかん硬式こうしき野球やきゅうチーム「芦屋あしや学園がくえんベースボールクラブ」を創設そうせつして関西かんさい独立どくりつリーグ兵庫ひょうごブルーサンダーズ傘下さんか育成いくせいチームとして活動かつどうすることになった[32][33][34]日本にっぽん高校こうこう野球やきゅう連盟れんめい加盟かめいしないため甲子園こうしえん大会たいかいなどの公式こうしきせんへの参加さんか高野連こうやれん加盟かめいこう野球やきゅうとの試合しあいはできないが、社会しゃかいじんクラブチームや専門せんもん学校がっこうチームと「チャレンジリーグ」を創設そうせつする予定よていで、また、プロアマ規定きてい適用てきようはなく実力じつりょくがあれば学年がくねんわず関西かんさい独立どくりつリーグの試合しあいにも出場しゅつじょうできるという[35][36][37]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ現在げんざい登記とうき簿じょう本店ほんてん大阪おおさか本社ほんしゃとしているが、実務じつむじょう本部ほんぶ機能きのう東京とうきょううつったのちも、高校こうこう野球やきゅうかんしては大阪おおさか本社ほんしゃ担当たんとうしており、東京とうきょう本社ほんしゃ基本きほんてき関与かんよしていない。
  2. ^ 1977ねん新旧しんきゅう分離ぶんり以降いこう登記とうき簿じょう本店ほんてん東京とうきょううつったが、毎日新聞社まいにちしんぶんしゃはセンバツを一貫いっかんして大阪おおさか本社ほんしゃ所管しょかん事業じぎょうとしており、東京とうきょう本社ほんしゃ関与かんよしていない。そのわりに、社会しゃかいじん都市とし対抗たいこう野球やきゅう東京とうきょう本社ほんしゃきゅう東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん所管しょかん事業じぎょうとされ、大阪おおさか本社ほんしゃ一切いっさい関与かんよしていない。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^  日本にっぽん高校こうこう野球やきゅう連盟れんめい大会たいかい参加さんか選手せんしゅ資格しかくについて、「男子だんし生徒せいと」と規定きていしている。男子だんし頑張がんば女子じょし活躍かつやくは 高野連こうやれん意見いけん交換こうかんへ  - 高校こうこう野球やきゅう朝日新聞あさひしんぶんデジタル
  2. ^ 高校こうこう野球やきゅう世界せかいにらむ 球審きゅうしんコール 米国べいこくしきに「ボール」をさきに(朝日新聞あさひしんぶん1997ねん2がつ6にち
  3. ^ 始球しきゅうしき人命じんめい救助きゅうじょ野球やきゅう部員ぶいんにん 甲子園こうしえん開会かいかいしき - だい88かい全国ぜんこく高校こうこう野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかい” (2006ねん8がつ2にち). 2012ねん8がつ23にち閲覧えつらん - asahi.com
  4. ^ 岡村おかむら高野連こうやれんに“ぎゃく遺憾いかん
  5. ^ a b c 継続けいぞく試合しあい】「導入どうにゅういいとおもいます」井端いばた弘和ひろかず93ねんなつぼくらは試合しあいにはけてない。あめけた」 - 高校こうこう野球やきゅう : 日刊にっかんスポーツ”. nikkansports.com. 日刊スポにっかんすぽツ新聞社つしんぶんしゃ (2022ねん3がつ18にち). 2022ねん4がつ6にち閲覧えつらん
  6. ^ 高校こうこう野球やきゅうしん世紀せいきだい わる常識じょうしき/2 用具ようぐ 多様たよう、けがふせ”. 毎日新聞まいにちしんぶん. 毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ (2018ねん2がつ24にち). 2022ねん4がつ10日とおか閲覧えつらん
  7. ^ 野球やきゅうも「いのち高野連こうやれんが「マウスガード」の普及ふきゅう事業じぎょう対象たいしょうこう花巻はなまきひがし麟太郎りんたろう突破口とっぱこうひらく - スポニチ Sponichi Annex 野球やきゅう”. スポニチ Sponichi Annex. スポすぽツニッポン新聞社つにっぽんしんぶんしゃ (2022ねん3がつ8にち). 2022ねん8がつ16にち閲覧えつらん
  8. ^ a b 甲子園こうしえん球児きゅうじのスパイク 「しろ」が9わりあつ対策たいさくなどで昨年さくねん解禁かいきん”. 毎日新聞まいにちしんぶん. 毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ (2022ねん8がつ24にち). 2022ねん3がつ25にち閲覧えつらん
  9. ^ Full-Count(フルカウント) ― 野球やきゅうニュース・速報そくほう・コラム ―”. Full-Count(フルカウント) ― 野球やきゅうニュース・速報そくほう・コラム ―. 株式会社かぶしきがいしゃCreative2 (2021ねん9がつ22にち). 2022ねん3がつ25にち閲覧えつらん
  10. ^ a b 高野連こうやれん熱中ねっちゅうしょう対策たいさく解禁かいきん しろスパイク クール:北陸ほくりく中日新聞ちゅうにちしんぶんWeb”. 中日新聞ちゅうにちしんぶんWeb. 中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ (2020ねん9がつ7にち). 2022ねん4がつ5にち閲覧えつらん
  11. ^ 甲子園こうしえん球児きゅうじのスパイク 「しろ」が9わりあつ対策たいさくなどで昨年さくねん解禁かいきん”. 毎日新聞まいにちしんぶん. 毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ (2021ねん8がつ24にち). 2022ねん4がつ5にち閲覧えつらん
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  15. ^ 甲子園こうしえん2011(週刊しゅうかん朝日あさひ2011.8.15増刊ぞうかんごう
  16. ^ TBSラジオ 安住あずみしん一郎いちろう日曜にちよう天国てんごくよわいピッチャーをビビらせる
  17. ^ 週刊しゅうかんポスト2012ねん8がつ10にちごう
  18. ^ 実際じっさいには校訓こうくんなどをユニホームにけることをきんじる規定きていはなく(高野連こうやれんおきなお指導しどう/「文武両道ぶんぶりょうどう」のしゅうで 琉球新報りゅうきゅうしんぽう1999ねん4がつ10日とおか)、鹿児島実かごしまじつ高校こうこうはユニフォームひだりそでのエンブレムないに「不屈ふくつ不撓ふとう」の文字もじれているがとく問題もんだいはされていない。
  19. ^ うえ憲章けんしょうタテに巨大きょだい影響えいきょうなか税制ぜいせい優遇ゆうぐう収益しゅうえき還元かんげんした独自どくじ組織そしきろん わるか - すべて読売新聞よみうりしんぶん記事きじより
  20. ^ 高野連こうやれん読売新聞社よみうりしんぶんしゃ記事きじ訂正ていせいもとめる 読売新聞よみうりしんぶんサイト、2007ねん8がつ14にち
  21. ^ 2008ねん3がつ28にち読売新聞よみうりしんぶん
  22. ^ https://www.girls-baseball.jp
  23. ^ 全国ぜんこく高等こうとう学校がっこう女子じょし硬式こうしき野球やきゅう連盟れんめい日本にっぽん学生がくせい野球やきゅう協会きょうかい日本にっぽん高等こうとう学校がっこう野球やきゅう連盟れんめいとは直接ちょくせつにはまった関係かんけい組織そしき
  24. ^ こう陽東ようとう原爆げんばく黙祷もくとうめぐ混乱こんらん 社内しゃない連絡れんらく不備ふび本社ほんしゃ陳謝ちんしゃ asahi.com 2005ねん8がつ6にち
  25. ^ こう陽東ようとうもくとうめぐりトラブル=大会たいかい主催しゅさいしゃ関係かんけいしゃ謝罪しゃざい 時事通信じじつうしん 2005ねん8がつ6にち
  26. ^ 甲子園こうしえん原爆げんばくもくとうでちがい、朝日新聞社あさひしんぶんしゃ謝罪しゃざい 読売新聞よみうりしんぶん 2005ねん8がつ7にち
  27. ^ 原爆げんばくもくとう記事きじあやまり 高野連こうやれん謝罪しゃざい毎日新聞まいにちしんぶん 47NEWS(共同通信社きょうどうつうしんしゃ) 2005ねん8がつ8にち
  28. ^ もくとう:甲子園こうしえんでの提案ていあん制止せいし田名部たなべ高野連こうやれん参事さんじ会見かいけん 毎日新聞まいにちしんぶん 2005ねん8がつ7にち
  29. ^ 開会かいかいしき原爆げんばく投下とうかかさなる 如水にょすいかん選手せんしゅ黙祷もくとう asahi.com 2006ねん8がつ7にち
  30. ^ ゆめこうにプロジェクト”. 日本にっぽんプロ野球やきゅう選手せんしゅかい. 2024ねん2がつ27にち閲覧えつらん
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  32. ^ 芦屋あしや学園がくえんちゅう高大こうだい野球やきゅうチーム独立どくりつL・兵庫ひょうご傘下さんかに”. 朝日新聞あさひしんぶん. (2013ねん10がつ3にち). http://www.asahi.com/edu/articles/OSK201310030033.html 2013ねん10がつ30にち閲覧えつらん 
  33. ^ 芦屋あしや学園がくえん独立どくりつリーグと連携れんけい高野連こうやれん加盟かめいせず-野球やきゅう. 時事通信じじつうしん. (2013ねん10がつ3にち). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201310/2013100200865 2013ねん10がつ30にち閲覧えつらん 
  34. ^ 兵庫ひょうごBS芦屋あしや学園がくえん育成いくせいチームを開設かいせつへ”. デイリースポーツ. (2013ねん10がつ3にち). https://www.daily.co.jp/hsbaseball/2013/10/03/0006389800.shtml 2013ねん10がつ30にち閲覧えつらん 
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  37. ^ 兵庫ひょうごBS芦屋あしや学園がくえん育成いくせいチームを開設かいせつへ”. デイリースポーツ. (2013ねん10がつ3にち). https://www.daily.co.jp/hsbaseball/2013/10/03/0006389800.shtml 2013ねん10がつ30にち閲覧えつらん 

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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]