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黒川くろかわ道祐どうゆう

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黒川くろかわ 道祐どうゆう(くろかわ どうゆう、元和がんわ9ねん1623ねん) - 元禄げんろく4ねん11月4にち1691ねん12月23にち)は、江戸えど時代じだい初期しょき医者いしゃであり、歴史れきしである。

出自しゅつじ

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黒川くろかわ先祖せんぞ藤原ふじわらしげるきょうしょうしている。しゅうきょう藤原不比等ふじわらのふひとまご藤原ふじわらきた2代目だいめ藤原ふじわらさかなめいから5代目だいめにあたる。下野げやこく現在げんざい栃木とちぎけん佐野さの居住きょじゅうした豪族ごうぞくで、たわら藤太とうたわれている。平貞盛たいらのさだもり共同きょうどう平将門たいらのまさかど討伐とうばつした。そのこうにより下野げやもりにんぜられた。いつのころ近江おうみこく現在げんざい滋賀しがけん甲賀こうがぐん土田どたまち黒川くろかわ居住きょじゅうし、黒川くろかわしょうしたとおもわれる。

甲賀こうが五三いつみは、ちょうとおる元年がんねん1487ねん)に室町むろまち幕府ばくふ9だい将軍しょうぐん足利あしかが義尚よしなおおこなった六角ろっかく高頼たかより討伐とうばつおやせいちょうとおる延徳えんとくらん)にさいし、勾(まがり)のじん夜襲やしゅうをかけた甲賀こうがさむらいたちをし、とく軍功ぐんこうがあり、六角ろっかくより感状かんじょうおくったいえを「甲賀こうが一家いっか」としょうしている。

甲賀こうが一家いっか柏木かしわぎさんいえ南山なんざんろくいえ庄内しょうないさんいえ北山きたやまきゅういえ分類ぶんるいされ、黒川くろかわ北山きたやまきゅういえひとつ。

生涯しょうがい

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道祐どうゆうであり、げんはぐれごうしずかあんうめあんとおあおのきなどがある。ちち安芸あき広島ひろしまはん儒医黒川くろかわ光信みつのぶ寿ことぶき閑)、ははほりあんずあんおんな

ちちより医術いじゅつまなび、外祖父がいそふあんずあんはやし羅山らざんはやし鵞峰父子ふしより儒学じゅがくまなんだ[1][2][3]ちちのちいで広島ひろしまはん浅野あさの)へいえろく400いしで儒医としてつかえ、京都きょうとんで著述ちょじゅつ活動かつどう熱中ねっちゅう寛文ひろふみ3ねん1663ねん)に日本にっぽんはつ医学いがく史書ししょ本朝ほんちょうこう』をあらわし、かく医家いか出処しゅっしょ業績ぎょうせきあきらかにした[1][4][5][3]。それから9ねん寛文ひろふみ12ねん1672ねん)にはん辞職じしょくしたが、病弱びょうじゃくだったことと同年どうねん主君しゅくん浅野あさのひかりあきら隠居いんきょわせたと推測すいそくされる[3]

辞職じしょく京都きょうとつづ著述ちょじゅつ調査ちょうさ旅行りょこう専念せんねんのべたから3ねん1675ねん)に『とおあおのき』、貞享ていきょう元年がんねん1684ねん)に山城やましろこく地誌ちしである『雍州こころざし』、よく貞享ていきょう2ねん1685ねん)に京都きょうと年中ねんじゅう行事ぎょうじ解説かいせつした歳時記さいじき日次にちじごと』などをあらわしていった[1][3][4][6]。また近畿きんきいちえんたびしておおくの旅行りょこうのこし、それらは『たけりょう随筆ずいひつ』『とおあおのき聞見随筆ずいひつ』『とおあおのき随筆ずいひつ』『とおあおのき雑記ざっき』と名付なづけられた。原本げんぽん散逸さんいつしたが一部いちぶは『とおあおのき随筆ずいひつ』を分類ぶんるいした『とおあおのき』として活字かつじ片仮名かたかなきの『とおあおのき分類ぶんるいしょう』もあり、山口やまぐちさいわいたかしが『とおあおのき随筆ずいひつ』の大半たいはん書写しょしゃした『よしみりょう随筆ずいひつ』をあらわすなど、断片だんぺんてきにだが随筆ずいひつのこされている[4][7]

とおあおのき』『とおあおのき分類ぶんるいしょう』の記事きじ有名ゆうめい画家がかについて福富ふくとみたてという人物じんぶつからいたはなし掲載けいさい大坂おおさかじん前後ぜんご狩野かのさんはじめ狩野かのさんたのし弟子でし)・浮世うきよ又兵衛またべえ後藤ごとうひだり兵衛ひょうえという画家がか活躍かつやくしていたとしるし、さんはじめ武者むしゃ得意とくい又兵衛またべえ荒木あらき村重むらしげ摂津せっつ)のであるとしるす。この記述きじゅつから浮世うきよ又兵衛またべえ岩佐いわさ又兵衛またべえどう一人物いちじんぶつだと特定とくていつづ文章ぶんしょう又兵衛またべえ松平まつだいら忠直ただなお贔屓ひいきにされていたこと、江戸えどんでいたこともしるされ、又兵衛またべえ忠直ただなおかかわりもかびがっている。これらの情報じょうほうおぼえていた福富ふくとみたてについて、黒田くろだ日出男ひでお道祐どうゆう同僚どうりょうおなじく京都きょうとんでいたはんうめ野立のだち間違まちがいではないかと推測すいそくしている[8]

狩野かのひさしおさめしたしく、のべたから9ねん1681ねん)に大和やまと旅行りょこうからかえったばかりのえいおさむ自宅じたくたずね、大和やまとでの美術びじゅつ鑑賞かんしょう古刹こさつめぐりをはなったことを記録きろくのこしている。このえんえいおさむの『本朝ほんちょうでん成立せいりつちからし、初版しょはんの『本朝ほんちょうでん』(元禄げんろく4ねん(1691ねん刊行かんこう)に跋文ばつぶんせる、鵞峰に依頼いらいして序文じょぶんせてもらうなどえいおさむ援助えんじょしまなかった。ただし『本朝ほんちょうでん』は鵞峰と道祐どうゆうあと元禄げんろく6ねん1693ねん)に題名だいめいを『本朝ほんちょう』とあらためられて再販さいはん、鵞峰の序文じょぶんのこった一方いっぽう道祐どうゆう跋文ばつぶんはぶかれた[9][10]

元禄げんろく4ねん11月4にち死去しきょ享年きょうねん68[3]はか京都きょうと京都きょうと上京かみぎょうもとたかしてら[1]

本草ほんぞういえ貝原かいばら益軒えきけん交友こうゆうした。主著しゅちょとして『本朝ほんちょうこう』『雍州こころざし』『日次にちじごと』などがある。

家族かぞく

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7代目だいめ当主とうしゅ:黒川くろかわともりょう(ともあき)とつまはなあいだには、長男ちょうなんともきょう一郎いちろう)、次男じなん友信とものぶ

8代目だいめ当主とうしゅ:黒川くろかわともぶん次郎じろう たけ太夫たゆう)の長男ちょうなんは、黒川くろかわともけい三郎さぶろう)、高木たかぎ三郎さぶろうかつ海舟かいしゅう長男ちょうなんかち小鹿こじかともにアメリカ留学りゅうがくのちにサンフランシスコふく領事りょうじ、ニューヨーク領事りょうじ歴任れきにん

9代目だいめ当主とうしゅ:黒川くろかわともきょう一郎いちろう)は、戊辰戦争ぼしんせんそうにて庄内しょうないはんさんばん大隊だいたいとして出陣しゅつじんおとうときょうすけ黒崎くろさき養子ようし)もとも出陣しゅつじんするが、きょうすけ秋田あきたにて戦死せんし。その関係かんけい酒井さかいりょうつね玄蕃げんば)のおとうときょうはちろう黒崎くろさき幸吉こうきちちち)が黒崎くろさき養子ようしはいる。黒川くろかわともきょうつませんぜいは、黒崎くろさきより黒川くろかわとつぐ。

黒川くろかわともけい高木たかぎ三郎さぶろう)のむすめ寿美としみ黒崎くろさきとつぎ、黒崎くろさき幸吉こうきち聖書せいしょ学者がくしゃ)のつまとなる。黒崎くろさきめぐみ幸吉こうきちまごたる。

11代目だいめ当主とうしゅ黒川くろかわどう富士ふじ製紙せいし役員やくいん)/ 黒川くろかわ道徳みちのりみちおとうと日本郵船にっぽんゆうせん名物めいぶつおとことしてられる。

黒川くろかわみちみるつま田村たむらトモは鹿児島かごしま薩摩さつまはんむすめであり、従兄弟いとこ東郷とうごう平八郎へいはちろうがいる。みちつまトモには長男ちょうなん武雄たけお次男じなん次郎じろう長女ちょうじょ辰子たつこ松下まつしたとつぐ)、次女じじょ道江みちえ太田おおたとつぐ)をもうける。

次男じなんろうは、トモのちちである田村たむら甚蔵の養子ようしとなり、田村たむらぐ。のち日本板硝子にほんいたがらす常務じょうむ執行しっこう役員やくいん

次女じじょ道江みちえ手帳てちょうには、「田村たむら鹿児島かごしまにありて鍛冶屋かじやまち屋敷やしきあり。となり東郷とうごう平八郎へいはちろうたくにわかわながれていて、西南せいなん戦争せんそうとき両家りょうけ荷物にもつ半分はんぶんづつけて、東郷とうごうけた。西南せいなんやくとき田村たむら甚蔵(田村たむらトモのちち)は西郷さいごう隆盛たかもりいのちけて、書類しょるいとどけにさいに、官軍かんぐんつかまり国事犯こくじはんとなる。」

13代目だいめ当主とうしゅ黒川くろかわ祐介ゆうすけは、黒川くろかわ武雄たけおつませい次男じなんのちタナシン電機でんき株式会社かぶしきがいしゃ共同きょうどう創立そうりつ取締役とりしまりやくふく社長しゃちょうさら株式会社かぶしきがいしゃタカキタ取締役とりしまりやく歴任れきにん(2017ねん2がつぼつ)。

著書ちょしょ

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  • 本朝ほんちょうこう
  • 雍州こころざし
  • 日次にちじごと
  • げい備国ぐんこころざし
  • とおあおのき随筆ずいひつ[12]
  • 近畿きんきゆうらん稿こう[13]

脚注きゃくちゅう

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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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