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木版もくはん

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浮世絵うきよえ木版もくはん

木版もくはん(もくはん)とは、版木はんぎ/板木はんぎ(はんぎ)ともばれ、印刷いんさつのために文字もじ絵画かいがなどを反対はんたいきにこくしたいた木版もくはん印刷いんさつ木版もくはん制作せいさくもちいられる。

概要がいよう

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用材ようざい

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文字もじなどを彫刻ちょうこくした木版もくはんてきした用材ようざいさくらなし林檎りんご菩提樹ぼだいじゅなどで,日本にっぽんでは木版もくはんとしては、あずさ山桜やまざくらなどの柾目まさめもちい,必要ひつようおうじてこまかいりの部分ぶぶん黄楊つげ木口きぐち象眼ぞうがんし,これに書画しょが裏返うらがえしにってる。いた形木かたぎともいい、中国ちゅうごくではふるあずさ (あずさ) をもちいたのであずさともぶ。

活字かつじによる印刷いんさつ

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活版かっぱん印刷いんさつは8世紀せいき後半こうはんずいとう中国ちゅうごくにルーツがあるとされ、朝鮮ちょうせん日本にっぽんなどの周辺しゅうへん諸国しょこくひろまった。仏教ぶっきょう国教こっきょうとしたこううららにおいては10 - 13世紀せいき木版もくはん印刷いんさつによる経典きょうてん印刷いんさつさかんにおこなわれた。高麗こうらいばん大蔵経だいぞうきょうは11世紀せいき国家こっか事業じぎょうとして刊行かんこうされたが、モンゴル侵攻しんこうによって焼失しょうしつし、その13世紀せいき再刊さいかん現在げんざいうみしるしてら大蔵経だいぞうきょう板殿いたんど所蔵しょぞうされている。高麗こうらい木版もくはん印刷いんさつは、日本にっぽんにももたらされ、日本にっぽん仏教ぶっきょうやその文化ぶんかにもおおきな影響えいきょうをもたらした。西洋せいようにも同様どうよう技術ぎじゅつ存在そんざいしたが、東洋とうようにおいてとくさかんにおこなわれた。そうもと以後いご中国ちゅうごくにおける学術がくじゅつ文芸ぶんげい振興しんこう江戸えど時代じだい日本にっぽんにおける浮世絵うきよえ盛行せいこうも、木版もくはんなくしてはかたることは出来できない。

板木はんぎさい利用りよう木版もくはん転売てんばい流通りゅうつう

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木版もくはん両面りょうめんきざまれるが、板木はんぎ表面ひょうめんけずってあらたにけずりなおすことでさい利用りよう可能かのうである。また、保存ほぞんじょうきょうければ、100ねん単位たんい印刷いんさつもちいることが可能かのうとなるはずであるが、実際じっさいには、すみいている部分ぶぶんのこして虫食むしくいなどによって空洞くうどうができ再版さいはん利用りようできない場合ばあいおお[1][2]。また、当該とうがい印刷物いんさつぶつ普及ふきゅうしたのちにその木版もくはん自体じたい商品しょうひんとして当該とうがい印刷物いんさつぶつ必要ひつようとするほか地方ちほう転売てんばいして利益りえき方法ほうほう存在そんざいした。そして、なによりもどういち内容ないよう印刷物いんさつぶつ短時間たんじかん大量たいりょうして広範こうはんひろめることが可能かのうであった。ただし、前述ぜんじゅつのように誤字ごじ脱字だつじ発生はっせいなど木版もくはんそのものの製造せいぞうにコストがかかるため、複数ふくすうじん資金しきんして木版もくはんつくって印刷いんさつおこない、利益りえき配分はいぶんすることおこなわれた。さら木版もくはんには費用ひよう利益りえき両面りょうめんよりそれ自体じたい資産しさんてき価値かちゆうしたため、ぜん近代きんだい東洋とうようでは著作ちょさくぶつ考案こうあん執筆しっぴつした著作ちょさくしゃよりも、そこから実際じっさい印刷物いんさつぶつ木版もくはん出資しゅっししゃ所有しょゆうしゃ(いわゆる「版元はんもと」)のほう著作ちょさくぶつによる権利けんり利益りえきける権利けんりがあるとかんがえられ[3]著作ちょさくけん概念がいねん発達はったつ阻害そがいされた側面そくめんゆうした[ちゅう 1]。それでも、木版もくはん人類じんるい学問がくもん文学ぶんがく芸術げいじゅつ発展はってん重要じゅうよう役割やくわりたした。

作業さぎょう

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作業場さぎょうば版木はんぎ
作業場さぎょうば風景ふうけい
版木はんぎ

原木げんぼくして一定いっていあつさを両面りょうめん平坦へいたん木版もくはんつくり、ゆがみや亀裂きれつふせぐために塩水えんすいひたしたり樹脂じゅしいたのちに、陰干かげぼしをする。その版木はんぎりょうはし把手とって(はしばみ)をけてゆがみをふせぐとともに側面そくめん書名しょめい巻数かんすう、ページすうなどをきざんで必要ひつようではない木版もくはんあやまって印刷いんさつをすることのないようにする。まためん中央ちゅうおう部分ぶぶんで2つおり出来でき構造こうぞうになっている構造こうぞうのものもあり、これをはんこころ(はんしん)とぶ、中国ちゅうごく朝鮮ちょうせんでははんしん実際じっさいこくした人物じんぶつこくしゅ)の氏名しめい住所じゅうしょそう字数じすうなどをしるして後日ごじつちんなどの証明しょうめいわりとした。今日きょうでは、そこからられたはんしゅ情報じょうほうもと木版もくはんつくられた時代じだい場所ばしょ特定とくていする研究けんきゅうほう存在そんざいする。

こうした作業さぎょう並行へいこうして、りあがり想定そうていしてかみ内容ないようき(版下はんした)、それを木版もくはん裏返うらがえしにけ、文字もじなど以外いがい部分ぶぶんのぞくように陽刻ようこく反対はんたい文字もじ部分ぶぶんのぞくように陰刻いんこく印刷物いんさつぶつ版下はんしたもちいて精密せいみつこくする覆刻ふっこくなどによって木版もくはん凹凸おうとつけていく。そのさいには徹底てっていした校正こうせいおこなわれ、誤字ごじ脱字だつじ一言ひとこといちじることのないように精密せいみつきざ必要ひつようがある(いち間違まちがえた場合ばあいには修正しゅうせい困難こんなんである)。その木版もくはんすみり、湿しめらせたかみうえせてばれんなどで紙背しはいこすってうつることで、片方かたがただけがられた片面かためんすり印刷物いんさつぶつ完成かんせいする。その印刷物いんさつぶつそのもの、あるいはそれを半分はんぶんって1ちょう(2ページぶん)としてまとめたのち糊付のりづけいとつづりをしてほん体裁ていさいにしたものを、せいばん(せいはん)とぶ。また、まきけいるための木版もくはんであるちょうばん技術ぎじゅつ応用おうようして、2ちょう・3ちょうぶんを1ることもおこなわれた。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 日本にっぽんでは江戸えど時代じだいさんなどの都市としにおいて、書物しょもつ問屋とんや地本じもと問屋とんやなどの版元はんもとによるかぶ仲間なかま結成けっせいされており、著作ちょさくぶつかんする権利けんりおおくは著作ちょさくしゃではなくこうした版元はんもとゆうしていた。これらの版元はんもと明治めいじ著作ちょさくけん概念がいねん導入どうにゅうによって資産しさんであった木版もくはん出版しゅっぱんぶつかんする権利けんりおおくをうしなって没落ぼつらくすることになる[4][5]

出典しゅってん

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  1. ^ 川瀬かわせ一馬かずま米澤よねざわ蔵書ぞうしょ」と清見寺きよみでらきゅう蔵本ぞうほん五山ごさんばん活字かつじばん』〈なり簣堂文庫ぶんこ随想ずいそう〉、156 、158 - 159ぺーじhttps://dl.ndl.go.jp/pid/12237364/1/82 
  2. ^ 川瀬かわせ一馬かずま (1978-05). 文化庁ぶんかちょう. ed. 版木はんぎ残存ざんそん. 文化庁ぶんかちょう月報げっぽう (ぎょうせい) 5 (116): 10 - 11. https://dl.ndl.go.jp/pid/2802973/1/6. 
  3. ^ 井上いのうえ和雄かずおかぶばん実例じつれい』〈日本にっぽん書誌しょしがく大系たいけい4〉、27 - 34ぺーじhttps://dl.ndl.go.jp/pid/12235169/1/26 
  4. ^ 国史こくしだい辞典じてんだい9かん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1988ねん)「著作ちょさくけん」(執筆しっぴつ:美作みさく太郎たろう
  5. ^ 歴史れきしがく事典じてん 15 コミュニケーション』(弘文こうぶんどう、2008ねん)「書籍しょせき出版しゅっぱん (日本にっぽん)」(執筆しっぴつ:ふじみのる久美子くみこ

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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