(Translated by https://www.hiragana.jp/)
杉浦康平 - Wikipedia コンテンツにスキップ

杉浦すぎうら康平やすひら

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
杉浦すぎうら康平やすひら

杉浦すぎうら 康平やすひら(すぎうら こうへい、1932ねん9月8にち - )は、日本にっぽんグラフィックデザイナーアジア図像ずぞうがく研究けんきゅうしゃ神戸芸術工科大学こうべげいじゅつこうかだいがく名誉めいよ教授きょうじゅどう大学だいがくアジアンデザイン研究所けんきゅうじょ(RIAD)所長しょちょう

意識いしき領域りょういきのイメージ多元的たげんてきなデザイン宇宙うちゅうひらき、レコードジャケットポスターブックデザイン雑誌ざっしデザイン、展覧てんらんかいカタログデザイン、ダイアグラム切手きってなどのだい一線いっせん先端せんたんてきかつ独創どくそうてき活躍かつやく展開てんかい。また、「マンダラ 出現しゅつげん消滅しょうめつてんや「アジアの宇宙うちゅうかんてん、「はな宇宙うちゅう生命せいめいじゅ──アジアのめ・り・かざり」てんなど、アジアの伝統でんとう文化ぶんか展覧てんらんかい企画きかく構成こうせいおよび斬新ざんしんなカタログデザインで紹介しょうかいするとともに、マンダラ、宇宙うちゅうかん中核ちゅうかくとするみずからの図像ずぞう研究けんきゅう成果せいかを『かたち誕生たんじょう』ほかの幾多いくた著作ちょさくをとおして精力せいりょくてき追究ついきゅうしている。

おも経歴けいれきしょう

[編集へんしゅう]
  • 1932ねん 東京とうきょうまれる
  • 1955ねん 東京藝術大学とうきょうげいじゅつだいがく建築けんちくそつ髙島宣伝せんでんはいったが、そのとき制作せいさくした「LP JACKET」が1955ねんだい5かい日本にっぽん宣伝せんでん美術びじゅつしょう受賞じゅしょうし、やく半年はんとし独立どくりつ
  • 1960ねん 東京とうきょう開催かいさいされた「世界せかいデザイン会議かいぎ」にパネリストとして参加さんか
  • 1960ねん 東京とうきょうオリンピック(1964ねん)のシンボルマーク指名しめいコンペ6にんなかえらばれる(亀倉かめくらつよしさく入選にゅうせん[1][2][3][4]
  • 1961ねん 東京とうきょう画廊がろうのカタログデザインはじまる
  • 1961ねん音楽おんがくかいポスターを中心ちゅうしんとする一連いちれんのグラフィックデザイン」によってだいかい毎日まいにち産業さんぎょうデザインしょうげん毎日まいにちデザインしょう受賞じゅしょう 
  • 1964ねん ドイツ・ウルム造形ぞうけい大学だいがく客員きゃくいん教授きょうじゅとして招聘しょうへいされる(〜65ねんにかけて3ヶ月かげつ。66〜67ねんにも1年間ねんかん招聘しょうへいされる)
  • 1968ねん ロンドンICAギャラリーで開催かいさいされた日本にっぽん現代げんだい美術びじゅつてん蛍光けいこうきく」(Florescent Chrysanthemum)の会場かいじょう構成こうせい、アートディレクション
  • 1968ねん 東京造形大学とうきょうぞうけいだいがく視覚しかくデザイン教鞭きょうべんをとる
  • 1968ねん だい4かい造本ぞうほん装幀そうていコンクールで最高さいこうしょう文部もんぶ大臣だいじんしょう受賞じゅしょう(『日本にっぽんさん魚類ぎょるいのう図譜ずふ築地つきじしょかん
  • 1969ねん だい5かい造本ぞうほん装幀そうていコンクールで文部もんぶ大臣だいじんしょう連続れんぞく受賞じゅしょう(『くもこころざし築地つきじしょかん
  • 1971ねん だい2かい講談社こうだんしゃ出版しゅっぱん文化ぶんかしょうブックデザインしょう受賞じゅしょう(『やみのなかのくろうま河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ
  • 1973ねん だいかい造本ぞうほん装幀そうていコンクールで3度目どめ文部もんぶ大臣だいじんしょう受賞じゅしょう(『日夏ひなつ耿之介こうのすけ全集ぜんしゅう河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ
  • 1972ねん ユネスコ東京とうきょう出版しゅっぱんセンター(げんユネスコ・アジア文化ぶんかセンター)から依頼いらいけ、アジア活字かつじ開発かいはつ調査ちょうさのため、タイ、インド、インドネシアなどアジア諸国しょこくはじめて訪問ほうもん
  • 1972ねん NHK委嘱いしょくで、イタリアしょう参加さんか映像えいぞう作品さくひん「In Motion」を武満たけみつとおる共同きょうどう制作せいさく主演しゅえんはツトム・ヤマシタ)
  • 1977ねん だい12かい造本ぞうほん装幀そうていコンクールで4度目どめとなる文部もんぶ大臣だいじんしょう受賞じゅしょう(『つて真言しんごんいんりょうさかい曼荼羅まんだら平凡社へいぼんしゃ
  • 1978ねん パリ装飾そうしょく美術館びじゅつかんひらかれた「あいだ=MA」てんにポスター・カタログデザインで参加さんか企画きかく構成こうせい磯崎いそざきしんほか)
  • 1979ねん京劇きょうげき訪日ほうにち公演こうえん企画きかく斬新ざんしんなスタイルをれたカタログをデザイン
  • 1980ねん 高野山大学こうやさんだいがく毎日新聞社まいにちしんぶんしゃラダック仏教ぶっきょう美術びじゅつ調査ちょうさ取材しゅざいたい同行どうこうし、その成果せいかは「マンダラ 出現しゅつげん消滅しょうめつてん企画きかく構成こうせい結実けつじつ西武せいぶ美術館びじゅつかん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃほか主催しゅさい
  • 1981ねんあつきアジアの仮面かめんてん国際こくさい交流こうりゅう基金ききんほか)、インド仮面かめん舞踏ぶとうかみ々の跳梁ちょうりょう」などを展示てんじ構成こうせい・デザイン
  • 1982ねん 「アジアの宇宙うちゅうかん+マンダラ」てん国際こくさい交流こうりゅう基金ききん)を企画きかく構成こうせい
  • 1982ねん ブータン王国おうこく切手きってデザインの依頼いらいけ、同国どうこく取材しゅざい旅行りょこう
  • 1982ねん 文化庁ぶんかちょう芸術げいじゅつ選奨せんしょう新人しんじんしょう受賞じゅしょう
  • 1982ねん ライプツィヒ装幀そうていコンクール特別とくべつ名誉めいよしょう受賞じゅしょう(『つて真言しんごんいんりょうさかい曼荼羅まんだら』)
  • 1985ねん インドIIT, IDC(インド工科こうか大学だいがく産業さんぎょうデザイン研究所けんきゅうじょ)においてデザイン・ワークショップ開催かいさい 
  • 1987ねん 神戸芸術工科大学こうべげいじゅつこうかだいがく視覚しかく情報じょうほうデザイン学科がっか教授きょうじゅ就任しゅうにん(〜2002ねん
  • 1987ねん インド古典こてん音楽おんがく「ラーガ・絃花」コンサートを企画きかく
  • 1992ねんはな宇宙うちゅう生命せいめいじゅてん企画きかく構成こうせいとカタログデザイン(国際こくさい交流こうりゅう基金ききんほか主催しゅさい
  • 1997ねん 毎日まいにち芸術げいじゅつしょう受賞じゅしょう毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ
  • 1997ねん 紫綬褒章しじゅほうしょう受章じゅしょう
  • 2004ねん 雑誌ざっしデザインの集大成しゅうたいせい疾風迅雷しっぷうじんらいてん東京とうきょう、ギンザ・グラフィック・ギャラリーほか)とその作品さくひんしゅうデザイン(DNPグラフィックデザイン・アーカイブ)。「疾風迅雷しっぷうじんらいてんは2005ねん韓国かんこくパジュ、2006ねん中国ちゅうごく北京ぺきんふか、2007ねん以降いこう南京なんきん成都せいとほか中国ちゅうごく各地かくち巡回じゅんかい
  • 2005ねん 織部おりべしょう受賞じゅしょう岐阜ぎふけん主催しゅさい
  • 2006ねん 高野山大学こうやさんだいがく委嘱いしょくで、5めんスクリーンによる映像えいぞう作品さくひん法界ほうかい宇宙うちゅう」を制作せいさく
  • 2007ねん 「マンダラ発光はっこう──杉浦すぎうら康平やすひらのマンダラ造本ぞうほん宇宙うちゅうてん開催かいさい(クリエイティブワールドライブ2007実行じっこう委員いいんかい東京とうきょう国際こくさいフォーラム)とその作品さくひんしゅうデザイン
  • 2009ねん 中島なかじま健蔵けんぞうしょう特別とくべつしょう受賞じゅしょう現代げんだい音楽おんがくへの貢献こうけん
  • 2010ねん 神戸芸術工科大学こうべげいじゅつこうかだいがくアジアンデザイン(RIAD)所長しょちょう就任しゅうにん
  • 2010ねん アジアンデザイン研究所けんきゅうじょだい1かい国際こくさいシンポジウム「うごやま山車だし──あのとこのむすぶもの」を企画きかく開催かいさい
  • 2011ねん ブックデザインの集大成しゅうたいせい杉浦すぎうら康平やすひら脈動みゃくどうするほんてん開催かいさい武蔵野美術大学むさしのびじゅつだいがく美術館びじゅつかん図書館としょかん)とその作品さくひんしゅうデザイン
  • 2019ねん 旭日きょくじつしょう綬章じゅしょう受章じゅしょう[5][6]
  • 2021ねん 杉浦すぎうら康平やすひらデザインアーカイブ(武蔵野美術大学むさしのびじゅつだいがく 美術館びじゅつかん図書館としょかん所蔵しょぞう特設とくせつウェブサイト「デザイン・コスモス」公開こうかい[7]

作家さっかろん業績ぎょうせき

[編集へんしゅう]

杉浦すぎうら康平やすひら活動かつどうは1950年代ねんだい後半こうはんはじまる。当時とうじは「商業しょうぎょうデザイン」という名称めいしょう定着ていちゃくしていたように、アドヴァタイジングがデザイン表現ひょうげん主流しゅりゅうだった。それにたいして杉浦すぎうらら20だい後半こうはんしん世代せだいは、文化ぶんか活動かつどう主題しゅだいにしたヴィジュアルデザインの鉱脈こうみゃく果敢かかんこしたのである。

その旗手きしゅとしてリーダシップを遺憾いかんなく発揮はっきしたのが杉浦すぎうらであり、わがくに旧弊きゅうへいなデザイン風土ふうど新風しんぷうおくむことになる。膨大ぼうだいかずにのぼるブックデザインと“やわらかい地図ちず”というしん機軸きじくした「時間じかんじく変形へんけい地図ちず」をはじめとするダイアグラム(インフォグラフィックス)がその双璧そうへきだ。後者こうしゃの「地図ちず」は、ダイアグラムをヴィジュアルコミュニケーション・デザインの一翼いちよくにな存在そんざいとしてわがくに定着ていちゃくさせるうえで重要じゅうよう布石ふせきとなった。

杉浦すぎうらさいだったクリエイティビティのバックグラウンドに、東京とうきょう藝術げいじゅつ大学だいがく建築けんちくまなんだことと、少年しょうねんからの音楽おんがくへの格別かくべつ関心かんしんがある。総合そうごう芸術げいじゅつである建築けんちくまなんだことは、〈うちから〉のさん次元じげんてき理知的りちてきなデザイン思考しこうをはぐくむことに。また、あのパウル・クレー彷彿ほうふつさせずにはおかないひいでた音楽おんがくてき感性かんせいは、若手わかて登竜門とうりゅうもんであったせんてん日本にっぽん宣伝せんでん美術びじゅつかい主催しゅさい、1955ねん)でグランプリ「にちせんしょう」を受賞じゅしょうした「LP JACKET」をはじめ、「ストラヴィンスキー特別とくべつ演奏えんそうかい」、「だい1かい東京とうきょう現代げんだい音楽おんがくさい1960」ほかの音楽おんがく関連かんれんポスターおよびレコードジャケットなどにおおくの清新せいしん世界せかい結晶けっしょうさせる。

そして、1960年代ねんだい後半こうはん西にしドイツ・ウルム造形ぞうけい大学だいがくでのにわたる指導しどう体験たいけんて、みずからの血脈けちみゃく宿やどるアジアてき美意識びいしき喚起かんきされた杉浦すぎうらは、“表紙ひょうしかおである”とする独自どくじのコンセプトにもとづいて目次もくじ記事きじ内容ないようひび表紙ひょうしデザインを雑誌ざっしこころみる。『SD』『都市とし住宅じゅうたく』や『季刊きかんぎんはな』が代表だいひょうれいである。

雑誌ざっしつづいて、1970年代ねんだいよりたてぐみによる明朝体みんちょうたい活字かつじうつくしさをすブックデザインを本格ほんかくてき展開てんかい。くわえて、書物しょもつさん次元じげんせいまえ、外回そとまわりだけの意匠いしょうではなく、本文ほんぶんぐみ起点きてんとするトータルで理路りろをきわめる造本ぞうほん設計せっけいきわめ、どう時代じだいデザイナーの指標しひょうとなる方法ほうほうろん次々つぎつぎひらくとともに、おりからの日本にっぽん社会しゃかいのブックデザインへの関心かんしんたかまりを牽引けんいんする。『つて真言しんごんいんりょうさかい曼荼羅まんだら』の壮麗そうれい伽藍がらんのような重層じゅうそうてき構造こうぞうはその白眉はくびである。

グラフィックデザインのはなとされるポスター制作せいさく点数てんすうすくなくなるものの、それでも「だい8かい東京とうきょう国際こくさい版画はんがビエンナーレ」や「伝統でんとう現代げんだい技術ぎじゅつ——日本にっぽんのグラフィックデザイナー12にんてん」など、印刷いんさつシステムに精通せいつうした杉浦すぎうらならではといってよい、特異とくい製版せいはん技術ぎじゅつ駆使くしした意欲いよくさく機会きかいあるごとに発表はっぴょうしていることは注目ちゅうもくされる。 

上記じょうきした音楽おんがくてき感性かんせいは、流動りゅうどうし、転調てんちょうかえしながらもたがいに照応しょうおうするかたちへのするど眼差まなざしへとむすびつく。“知覚ちかくのり“を見極みきわめようとする古今ここん東西とうざい各種かくしゅ図像ずぞうへの傾倒けいとう、なかんずく1970年代ねんだいなか以降いこう本格ほんかくする、マンダラをはじめとするアジアの図像ずぞうぐんがはらむイコノロジーへの、破格はかくのスケールをともなう精査せいさ探究たんきゅうがそれだ。もとより、ウルムで体験たいけんした価値かちかん齟齬そご(そご)とアジア諸国しょこく取材しゅざい旅行りょこう認識にんしきふかまりもあずかっており、アジアの宇宙うちゅうかん知覚ちかくろん文字もじろんノイズふく音楽おんがくろん…へとさらなる深化しんかげてきた。そして近年きんねんは「主語しゅごてきなアジア」をキーワードとして、思考しこうあたらしいみちをひらいている。(また、「いちそくそくいち」という東洋とうようてき語法ごほうで、みずからの造形ぞうけい思考しこう要約ようやくしている。)欧米おうべい厳密げんみつ二進法にしんほうてき世界せかいかんとはことなる、かぞえきれないほどの〈かすかなる存在そんざい〉が宇宙うちゅう森羅万象しんらばんしょうたしているという固有こゆう根源こんげんへの洞察どうさつである。

このような一連いちれん探究たんきゅう成果せいかは、松岡まつおかただしつよしとの共著きょうちょ『ヴィジュアルコミュニケーション』や、自著じちょ日本にっぽんのかたち・アジアのカタチ』を嚆矢こうし(こうし)とする〈万物ばんぶつ照応しょうおう劇場げきじょう〉シリーズなどの幾多いくた著作ちょさく共著きょうちょふくむ)の、奔流ほんりゅうのような刊行かんこうへと結実けつじつしている。

また、これら著作ちょさくとともに企画きかく構成こうせいした展覧てんらんかい公演こうえんカタログ、ポスター、関連かんれんしょにはアジア固有こゆう世界せかいかんが、「京劇きょうげき」をはじめとして、独特どくとくかたち色彩しきさいびるるいいないデザイン手法しゅほううつされており、国内外こくないがいおおくのクリエイターに影響えいきょうあたつづけている。

1970ねん~80年代ねんだいには、アジアにけた写真しゃしん加藤かとうたかしかん洋志ひろしほか)の作品さくひんしゅう編集へんしゅう構成こうせい展覧てんらんかいデザインを積極せっきょくてきっている。

1980年代ねんだいから杉浦すぎうら独自どくじ活動かつどう国際こくさいてきにも注目ちゅうもくされ、グローバルなひろがりをせるようになった。そして、講演こうえん展覧てんらんかい企画きかく構成こうせいをとおしてアジア各地かくちのクリエイターとの密接みっせつ交流こうりゅうふかめている。わたしたちの文化ぶんかの〈共通きょうつうする〉へのあついまなざしは、しんあるアジアの精鋭せいえいたちの共感きょうかんび、杉浦すぎうらかれらをむすわす精神せいしんてき支柱しちゅうとなっていることを銘記めいきしたい。(臼田うすだ捷治しょうじ

主要しゅよう作品さくひん

[編集へんしゅう]

レコード/CDジャケット

[編集へんしゅう]

ポスター

[編集へんしゅう]
  • 1959ねんストラヴィンスキー特別とくべつ演奏えんそうかい
  • 1960ねんだい1かい東京とうきょう現代げんだい音楽おんがくさい1960」
  • 1972ねんだい8かい東京とうきょう国際こくさい版画はんがビエンナーレてん
  • 1979ねん中国ちゅうごく京劇院きょうげきいん訪日ほうにち公演こうえん
  • 1983ねん国立こくりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかん開館かいかん記念きねん
  • 1984ねん伝統でんとう現代げんだい技術ぎじゅつ──日本にっぽんのグラフィックデザイナー12にんてん
  • 1991ねん富山とやまけん立山たてやま博物館はくぶつかん開館かいかん記念きねん
  • 1992ねんはな宇宙うちゅう生命せいめいじゅてん
  • 1992ねん江差えさし追分おいわけ」(北海道ほっかいどう江差えさしまち

雑誌ざっしデザイン

[編集へんしゅう]

ブックデザイン

[編集へんしゅう]

シンボルマーク

[編集へんしゅう]

ダイアグラム

[編集へんしゅう]
  • 1969ねん時間じかんじく変形へんけい地図ちず」(『週刊しゅうかん朝日あさひ』)
  • 1973ねんいぬ地図ちず」(『ゆうだい6ごう掲載けいさい工作こうさくしゃ
  • 1973ねん平凡社へいぼんしゃ百科ひゃっか年鑑ねんかん』ダイアグラム(~78ねん平凡社へいぼんしゃ
  • 1983ねん味覚みかく地図ちず」(『週刊しゅうかん朝日あさひ百科ひゃっか 世界せかいもの』の「世界せかいしょく文化ぶんか」)

切手きって

[編集へんしゅう]
  • 1972ねん 西にしドイツ政府せいふ発行はっこう札幌さっぽろ冬季とうきオリンピック」
  • 1983ねん 「ブータン王国おうこく記念きねん切手きって

映像えいぞう作品さくひん

[編集へんしゅう]
  • 1972ねん 「IN MOTION」武満たけみつとおる作曲さっきょく)と共同きょうどう制作せいさく(NHKイタリアしょう参加さんか作品さくひん
  • 2006ねん法界ほうかい宇宙うちゅう高野山大学こうやさんだいがく松下まつした講堂こうどうの5めんスクリーン上映じょうえいのための作品さくひん
  • 2004ねん~「ブックデザイン小宇宙しょううちゅう杉浦すぎうらのブックデザイン紹介しょうかいのための映像えいぞう作品さくひんぐん協力きょうりょく新保しんぼいんさかえ元正がんしょうはく

TVプログラム

[編集へんしゅう]
  • 1979ねん「わたしのデザイン探検たんけんぜん4かい(NHK女性じょせい手帖てちょう
  • 1996ねん「かたち誕生たんじょうぜん12かい(NHK人間にんげん大学だいがく

主要しゅよう著作ちょさく作品さくひんしゅう

[編集へんしゅう]
  • 『ヴィジュアルコミュニケーション』(+松岡まつおかただしつよし講談社こうだんしゃ、1976ねん
  • 万物ばんぶつ照応しょうおう劇場げきじょう〉シリーズに『日本にっぽんのかたち・アジアのカタチ』(三省堂さんせいどう、1994ねん)、『かたち誕生たんじょう』(日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい、1997ねん)、『宇宙うちゅうむ』(講談社こうだんしゃ、1999ねん)、『生命せいめいはな宇宙うちゅう』(日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい、2000ねん)、『宇宙うちゅうたたく』(工作こうさくしゃ、2004ねん
  • 文字もじ宇宙うちゅう』(+松岡まつおかただしつよしうつしけん、1985ねん)、『文字もじ祝祭しゅくさい』(どう、1995ねん
  • えんしょう芸術げいじゅつ工学こうがく』『ふと…の芸術げいじゅつ工学こうがく』『めくるめきの芸術げいじゅつ工学こうがく』ほか(編著へんちょ)、〈神戸芸術工科大学こうべげいじゅつこうかだいがくレクチャーシリーズ〉(工作こうさくしゃ、1995ねん~2001ねん
  • 『アジアのほん文字もじ・デザイン−杉浦すぎうら康平やすひらとアジアの仲間なかまたちがかたる』(トランスアート、2005ねん/DNPアートコミュニケーションズ、2010ねん
  • 文字もじよし文字もじちから』(まことぶんどう新光しんこうしゃ、2008ねん
  • 杉浦すぎうら康平やすひらデザインの言葉ことば〉シリーズ(ともに工作こうさくしゃ)に『主語しゅごてきなアジア』(2010ねん)、『アジアのおとひかり夢幻むげん』(2011ねん)、『文字もじ霊力れいりょく』(2014ねん)、『ほんきだす』(2022ねん)
  • 疾風迅雷しっぷうじんらい──雑誌ざっしデザインのはん世紀せいき』(トランスアート、2004ねん
  • 『マンダラ発光はっこう──杉浦すぎうら康平やすひらのマンダラ造本ぞうほん宇宙うちゅう』(クリエイティブワールドライブ2007実行じっこう委員いいんかい、2007ねん。2011ねんにDNPアートコミュニケーションズから再刊さいかん
  • うごやま・アジアの山車だし神戸芸術工科大学こうべげいじゅつこうかだいがくアジアンデザイン研究所けんきゅうじょシンポジウムシリーズ(左右さゆうしゃ、2012ねん)。企画きかく編集へんしゅう
  • 杉浦すぎうら康平やすひら脈動みゃくどうするほん──デザインの手法しゅほう哲学てつがく』(武蔵野美術大学むさしのびじゅつだいがく 美術館びじゅつかん図書館としょかん、2011ねん
  • 靈獣れいじゅうはこぶ──アジアの山車だし』(齊木さいきたかしじん監修かんしゅう杉浦すぎうら康平やすひら企画きかく構成こうせい工作こうさくしゃ、2016ねん
  • 表裏ひょうり軆 杉浦すぎうら康平やすひら両面りょうめん印刷いんさつポスターとインフォグラフィックス』(新宿しんじゅく書房しょぼう、2017ねん)。神戸芸術工科大学こうべげいじゅつこうかだいがく ビジュアルデザインがく赤崎あかさきせいいちへん
  • 杉浦すぎうら康平やすひらのアジアンデザイン』神戸芸術工科大学こうべげいじゅつこうかだいがくアジアンデザイン研究けんきゅう組織そしきほかへん新宿しんじゅく書房しょぼうみなとひと、2023ねん

作品さくひん・デザイン資料しりょう所蔵しょぞうさき

[編集へんしゅう]
  • 杉浦すぎうらのほとんどの作品さくひん、デザイン資料しりょうは、武蔵野美術大学むさしのびじゅつだいがく 美術館びじゅつかん図書館としょかん所蔵しょぞうされている。
  • 2021ねん6がつ杉浦すぎうら康平やすひらデザインアーカイブの特設とくせつウェブサイト「デザイン・コスモス」を公開こうかいした。[7]

主要しゅようデザイン協力きょうりょくスタッフ

[編集へんしゅう]

中垣なかがき信夫しのぶつじ修平しゅうへい海保かいほとおる鈴木すずきいち赤崎あかさき正一しょういち谷村たにむら彰彦あきひこ佐藤さとう篤司あつしほか

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 東京とうきょうオリンピック1964 デザインプロジェクト - インターネットミュージアム
  2. ^ 背景はいけいからえてくるもの - 三木みきけんデザイン事務所じむしょ
  3. ^ 亀倉かめくらつよしさく東京とうきょう五輪ごりんしめした、デザインのちから 2013ねん11がつごう 宣伝せんでん会議かいぎ
  4. ^ オリンピック・パラリンピックとビジュアルデザイン 東京とうきょうデザイン2020フォーラム
  5. ^ 官報かんぽう』14ごうれい元年がんねん5がつ21にち
  6. ^ れい元年がんねんはる叙勲じょくん 旭日きょくじつしょう綬章じゅしょうとう受章じゅしょうしゃ 東京とうきょう” (PDF). 内閣ないかく. p. 1 (2019ねん5がつ21にち). 2023ねん5がつ27にち閲覧えつらん
  7. ^ a b 杉浦すぎうら康平やすひらデザインアーカイブ『デザイン・コスモス』 - 武蔵野美術大学むさしのびじゅつだいがく 美術館びじゅつかん図書館としょかん所蔵しょぞう
  8. ^ Senka21

関連かんれん

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]