楊白
楊
略歴
[『
それによると、
また『
三国志 演義
[脚注
[注釈
[- ^ この
箇所 に該当 する原文 は「又 魯將楊白等 欲 害 其能」。『康 熙字典 』の「害 」の項目 には「害 猶 言 患之也。又 《屈 原 列傳 》上官 大夫 與 之 同列 爭 寵 ,而心害 其能」とある[2]。例文 として引 かれた箇所 に該当 する和訳 は、「上官 大夫 (中略 )は屈 原 と地位 をひとしくし、君寵 を争 うて、心 ひそかにその才能 を憎 んだ」[3]。張 寅 瀟は、原文 の「欲 害 其能」は意味 が通 じず、かといって『資 治 通 鑑 』の改 案 「數 害 其能」もまた不自然 であるため、「心 害 其能」として解 すべきだとする[4]。 - ^ この
台詞 の元 となったのは、『三国志 』馬 超 伝 の注 に引 く『典 略 』の「親 を愛 せない人 が、他人 を愛 することなどできましょうか」という記述 であるが、当 の発言 者 は不明 。ここでいう「親 を愛 せない」とは、曹操 が張 魯を攻 める挙動 を見 せたことで、馬 超 をはじめとする関 中 諸 将 たちが疑 いを抱 き反乱 を起 こしたため、潼関の戦 いより前 に入朝 していた父 の馬 騰 とその一族 が連座 して処刑 されたことを指 している。
出典
[- ^
陳 寿 著 、裴松之 注 『正史 三国志 5』井波 律子 訳 、ちくま学芸 文庫 、1993年 、p. 181。 - ^ “
害 ”,康 熙字典 網 上 版 , オリジナルの2024年 1月 23時点 におけるアーカイブ。 2024年 1月 23日 閲覧 。 - ^
司馬 遷『史記 6列伝 二 』小竹 文夫 、小竹 武夫 訳 、ちくま学芸 文庫 、1995年 、p. 62。 - ^
張 寅 瀟「《三国志 集 解 ·関 張 馬 黄 趙 伝 》校 補 」『内 江 師範 学院 学 報 』第 1期 、2021年 、59-63、p. 63。 - ^ (
中国 語 ) 『資 治 通 鑑 』巻 67建 安 十 九 年 , ウィキソースより閲覧 , "馬 超 知 張 魯不足 與 計 事 ,又 魯將楊昂等 數 害 其能,超 內懷於邑。" - ^ 『
続 後 漢書 』巻 16馬 超 伝 .中国 哲学 書 電子 化 計画 . 2024年 5月 6日 閲覧 , "楊昻,陳 志 作 楊白, 查霍峻 傳作 楊帛。" 「昻」は昂 の異体 字 。
参考 文献
[- 『
三国志 』巻 36馬 超 伝 注 引『典 略 』