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樺太東線(からふととうせん)とは、樺太大泊郡大泊町の大泊港駅から敷香郡敷香町の古屯駅までを結んでいた、鉄道省樺太鉄道局の鉄道路線。1946年2月1日に日本の国有鉄道としては廃止され、現在はロシア鉄道の一部となっている。
この他、豊栄郡落合町の落合駅から豊栄郡栄浜村の栄浜駅までを結ぶ支線と、豊栄郡栄浜村の栄浜駅から栄浜海岸駅に至る貨物支線が存在した。
- 路線距離:413.0km(1945年当時) 654.0km(現在)
- 軌間:1067mm(現1520mm)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 1906年(明治39年)
- 9月24日:軍需輸送を目的に600mm軌間の軍用軽便鉄道がコルサコフスク - ウラジミロフカ間鉄道の建設着手。
- 12月1日:軍用鉄道開通。コルサコフ(大泊)、トレーチャ=パーチ(三ノ沢)、ソロウイヨフカ(貝塚)、ミツリヨフカ(中里)、ホムトフカ(清川[1])、ウラジミロフカ(豊原)の各駅開業。
- 1907年(明治40年)
- 1908年(明治41年)
- 6月1日:栄町駅(初代) - 楠渓町駅間(1.3km)延伸開業[2]。
- 1909年:大泊 - トレーチャ=パーチ間を新線に付け替え。ペルワヤ=パーチ(一ノ沢)駅設置。
- 1910年(明治43年)
- 1911年(明治44年)
- 1913年(大正2年)
- 1914年(大正3年)
- 1927年(昭和2年)
- 1928年(昭和3年)
- 1930年(昭和5年)
- 11月3日:樺太鉄道知取駅 - 新問駅間(32.5km)延伸開業[3]。
- 1931年(昭和6年)
- 4月1日:栄町駅(2代目)新設。
- 1936年(昭和11年)
- 1941年(昭和16年)
- 4月1日:樺太鉄道落合駅 - 敷香駅間を樺太庁が買収。樺太庁鉄道東海岸線となる。北辺計礼駅、帆寄駅、樫保温泉駅廃止。
- 11月15日:敷香駅 - 上敷香駅間(21.7km) 延伸開業。
- 1943年(昭和18年)
- 4月1日:樺太庁鉄道が国有鉄道に編入され、全線が鉄道省に移管される[4]。二ノ沢駅、南貝塚駅、清川駅、新問駅(初代)廃止。
- 11月16日:上敷香駅 - 気屯駅間(51.7km) 延伸開業。
- 1944年(昭和19年)
- 8月15日:気屯駅 - 古屯駅間(10.6km) 延伸開業。
- 9月30日:栄町駅廃止。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)
- 2月1日:日本の国有鉄道の路線としては、書類上廃止(運輸省による告示は同年3月22日に日付を遡及する形で実施)[5]。
- 4月1日:ソ連国鉄に編入。
※ 括弧書きは、1945年までに廃止されていた駅。