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法医学(ほういがく、英: forensic medicine、フォレンジック・メディスン)は、犯罪捜査や裁判などの法の適用過程で必要とされる医学的事項を研究または応用する社会医学のことをいう。法科学の一分野である。
人間以外の動物の死因を調べる法獣医学(英語版)、海洋法医学(英語版)もある。
法科学(Forensic sciences)の諸分野において頭に付けられる「フォレンジック(“Forensic”)」(形容詞)は、ラテン語の“forēnsis”つまり「フォーラム(広場)」に由来している[1]。ローマ帝国時代、「起訴」とは、ローマ市街の中心にあるフォロ・ロマーノで聴衆を前に訴状を公開することであった。被告と原告はともに自らの主張を行い、よりよい主張をしてより広く受け入れられたものが裁判において判決を下すことができた。この起源は、現代における“forensic”という語の2つの用法のもとになっている。一つ目は「法的に有効な」という意味、そして2つ目が「公開発表の」という意味の形容詞である。
日本は明治維新期にドイツから近代的な法医学を採り入れた。当初はドイツ語のGerichtliche Medicinを直訳した「断訴医学」あるいは「裁判医学」が主に使われ、「法医学」は森鴎外や三宅秀の文章に散見されるにすぎなかった。「法医学」という名称の定着は、1890年に片山国嘉が立法にまで遡って研究する学問として「法医学」が適切であると主張し、医科大学教授会の賛同と文部省の許可を得て以降のことである[2]。
日本法医学会は1982年に、法医学とは医学的解明助言を必要とする法律上の案件、事項について、科学的で公正な医学的判断を下すことによって、個人の基本的人権の擁護、社会の安全、福祉の維持に寄与することを目的とする医学である、と定義した[3]。基本的人権の擁護も社会の安全も刑事司法と密接に関連する概念であるところ、この定義は、主に司法解剖を念頭に置いていると解される。
法医学はさらに応用法医学と基礎法医学に分けられる。一般には応用法医学のうち、刑事に関連するもの、特に司法解剖に関連する分野が法医学と認知されていることが多いが、法医学の領域はこれに限られない。法医学の実務としてはDNA型鑑定、司法解剖、行政解剖、個人情報、親子鑑定、精神鑑定などがある。
現代の医学の進歩はめざましく、それに伴い様々な倫理的・法律的な問題が浮上してきていることから、法学部の科目として法医学を開講する大学も増えている。その一方で、2007年の時津風部屋力士暴行死事件で、当初司法解剖が行われず事故死として処理されたように、医学面から犯罪性を調べる法医学者などの育成体制については減少傾向にあり[4]、専門医が不在の県もあるために、警察庁が日本法医学会に体制の充実を求める要望書を提出する事態となっている[5]。
- 紀元前475年-221年
- 法律に、「程度の異なる損傷に応じて異なる処罰に処する」と明記
- 「洗冤集録(1247)」宋慈(1186 - 1249)
- 「無冤録(1308)」王与(1260 - 1346)
紀元前300年頃
医師アンティスチウス(Antistius) が、暗殺されたガイウス・ユリウス・カエサル(BC44年没)の死亡原因を胸部の創傷だという診断を下している。これが確認されている史上初の法医学の実践例である[6]。
- 12世紀にイタリアの医師が検死を行っている[6]。
- 16世紀の法医学の先駆者Fortunato Fedele(イタリア語版)
- 17世紀、ロタ法廷の法律顧問・ローマ教皇の侍医パオロ・ザッキア(英語版)が著した『Qvaestiones medico- legales』(訳:法医学的諸問題)にて法医学の書を記している[7]。
- カロリナ刑法典(フランス語版) - フランス法典。裁判を行う際に心証ではなく証拠に重きを置いた近代的法典。裁判の際には、医師の剖検を含めた助言が必要とされた[6]。
- 関連する法律
- 施設