(Translated by https://www.hiragana.jp/)
渾作戦 - Wikipedia コンテンツにスキップ

作戦さくせん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
作戦さくせん

作戦さくせん
戦争せんそう太平洋戦争たいへいようせんそう
年月日ねんがっぴ:1944ねん6がつ2にち〜13にち
場所ばしょビアクとう周辺しゅうへん海域かいいき
結果けっか日本にっぽんぐん輸送ゆそう作戦さくせん中止ちゅうし
交戦こうせん勢力せいりょく
大日本帝国の旗 大日本帝国だいにっぽんていこく アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
オーストラリアの旗 オーストラリア
指導しどうしゃ指揮しきかん
左近さこんまことなおただし
宇垣うがきまとい
トーマス・C・キンケイド
ビクター・クラッチレー
戦力せんりょく
戦艦せんかん1~2
じゅう巡洋艦じゅんようかん3
けい巡洋艦じゅんようかん1~2
駆逐くちくかん6~8
じゅう巡洋艦じゅんようかん1
けい巡洋艦じゅんようかん3
駆逐くちくかん10前後ぜんご
ニューギニアのたたか

作戦さくせん(こんさくせん)とは、太平洋戦争たいへいようせんそうなか日本にっぽんぐん作戦さくせんビアクとうたたか支援しえんするための作戦さくせんで、3にわたりおこなわれた。

経過けいか

[編集へんしゅう]

ビアクらいおさむ

[編集へんしゅう]

1944ねん2がつにアメリカぐんラバウルから北西ほくせい位置いちするアドミラルティ諸島しょとうマヌスとう攻略こうりゃくし、同年どうねん4がつ22にちにはホーランジアアイタペ上陸じょうりく占領せんりょうした。つづいてアメリカぐんマリアナ諸島しょとう攻略こうりゃく支援しえんのためニューギニア西部せいぶのビアクとう攻略こうりゃくめた。ビアクとうパラオからやく1,000キロ、ダバオからやく1,500キロに位置いちし、日本にっぽんぐん設営せつえいした飛行場ひこうじょうがあった。アメリカぐんはまず、ワクデとう攻略こうりゃくし、そこの飛行場ひこうじょう利用りようしてビアクとう攻略こうりゃくすることとし、1944ねん5月18にちにワクデとう上陸じょうりくした。日本にっぽんぐん守備しゅびたいやく500めいであり、19にちにはしま占領せんりょうされた。

日本にっぽんぐんたけ輸送ゆそうによりビアクとう戦力せんりょく増強ぞうきょうはかったが、4がつまつから5がつはじめにたけいち船団せんだん壊滅かいめつし、失敗しっぱいわった。

5月27にち、アメリカぐんはビアクとう上陸じょうりく開始かいし上陸じょうりく時点じてん日本にっぽんがわ把握はあくした偵察ていさつ情報じょうほう下記かきとおり。
上陸じょうりく兵力へいりょく:1個いっこ師団しだん
てき艦隊かんたい兵力へいりょく戦艦せんかん2、空母くうぼ2、巡洋艦じゅんようかん4、駆逐くちくかん14、輸送ゆそうせん8、小型こがた艦艇かんていすう10
遊弋ゆうよく地点ちてんボスネックわん沖合おきあい
[1]

なお実際じっさいにはビアクとう方面ほうめんにいたのはじゅうじゅんオーストラリア」とけい巡洋艦じゅんようかん3せき駆逐くちくかん14せきからなる艦隊かんたいのみであり、戦艦せんかん空母くうぼはおらず、誤認ごにんであった。連合れんごうこく艦隊かんたい編成へんせい以下いかとおり。

だい74任務にんむ部隊ぶたいは「マッカーサーの海軍かいぐん」とばれたアメリカ海軍かいぐんだい7艦隊かんたい司令しれいかんトーマス・C・キンケイド)の所属しょぞくであったが、だい74任務にんむ部隊ぶたい指揮しきはオーストラリア海軍かいぐん(HMAS)のじゅう巡洋艦じゅんようかん「オーストラリア」に座乗ざじょうしたイギリス海軍かいぐんヴィクター・クラッチレー英語えいごばん少将しょうしょうっていた[2]

ビアクとう日本にっぽんぐん守備しゅびたい歩兵ほへい1個いっこ連隊れんたい基幹きかんやく12,000めいであった。

作戦さくせん開始かいしまで

[編集へんしゅう]

5月27にち195ふん豊田とよだふく連合れんごう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかんだいいち航空こうくう艦隊かんたいたいして、ヤップとう配備はいびされただいさん攻撃こうげき集団しゅうだんやく90航空こうくう戦力せんりょくをニューギニアとう西部せいぶソロン方面ほうめん移動いどうするようにめいじた。この時期じき日本にっぽん絶対ぜったい国防こくぼうけん構想こうそうもとに「ごう作戦さくせん」の準備じゅんびすすめており、だいいち航空こうくう艦隊かんたいはそのために準備じゅんびされたものであった。ビアクは絶対ぜったい国防こくぼうけんからもはずれ、だいさん攻撃こうげき集団しゅうだんのビアク投入とうにゅう連合れんごう艦隊かんたい独自どくじ判断はんだんで、作戦さくせん命令めいれい方針ほうしん一致いっちしない命令めいれいであった[3]海軍かいぐんはトラック、ビアク、メレオンを絶対ぜったい防衛ぼうえいせんからはずすことを事前じぜんめ、陸軍りくぐんにもつたえていた[4]

連合れんごう艦隊かんたい航空こうくう参謀さんぼう多田ただあつしは「当時とうじ連合れんごう艦隊かんたい司令しれいではごうきたについてはほとんどかんがえておらず、また「あ」ごう作戦さくせん自体じたい自主じしゅてきにわが希望きぼうする決戦けっせん海面かいめん導入どうにゅうする方策ほうさくけていた。わたしてきがビアクにときだいいち機動きどう艦隊かんたいをもってこれに対応たいおうすべきであると主張しゅちょうし、先任せんにん参謀さんぼう激論げきろんした。その理由りゆうは1.だいいち機動きどう艦隊かんたいはタウイタウイで訓練くんれんもできず海上かいじょう機動きどうせん練度れんど不足ふそくである。2.ビアクに対応たいおうすることによりてき刺激しげきして誘致ゆうち目的もくてきにかなう、すなわち従来じゅうらいてきのやりかたからみて有力ゆうりょく部隊ぶたいをもって対応たいおうしなければふかくわが希望きぼう海面かいめんはいってないということである」とかたっている。連合れんごう艦隊かんたい情報じょうほう参謀さんぼう中島なかじまちかしこうによれば「豊田とよだ艦隊かんたい司令しれいではごう北方ほっぽうめんたいする関心かんしんがほとんどなく、ビアクにたいしても認識にんしき十分じゅうぶんとはいえなかった。ところが現実げんじつにビアクとう上陸じょうりくされ、だれかがきゅうさわして「ビアクには飛行場ひこうじょう適地てきちおおだい基地きちぐんができる」ということで、一部いちぶ航空こうくう兵力へいりょく増強ぞうきょうするにいたったものであろう。わたし印象いんしょうではいちこうかん兵力へいりょく投入とうにゅうも、渾作戦さくせんともにビアク確保かくほしゅ目的もくてきで、これは当時とうじなんかいいており「ビアクをられたら大変たいへんだ」ということである」という[5]一方いっぽうだいいち航空こうくう艦隊かんたい参謀さんぼう淵田ふちた美津雄みつおは、べい海軍かいぐんによりすすめられている中部ちゅうぶ太平洋たいへいようルートじょう位置いちするマリアナへの進攻しんこうは、ビアク作戦さくせん如何いかかかわらず実施じっしされるとして兵力へいりょく引抜ひきぬけ憂慮ゆうりょしていた[6]

5月28にち南方なんぽうぐん南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたい合同ごうどう意見いけんとしてビアクとう増援ぞうえん地上ちじょう部隊ぶたいぎゃく上陸じょうりくさせる構想こうそう連合れんごう艦隊かんたい具申ぐしんされた。 連合れんごう艦隊かんたい先任せんにん参謀さんぼう高田たかだとししゅは、策定さくてい南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたい上申じょうしんよりだい16戦隊せんたい司令しれいかん上申じょうしんつよしんうごかされたという。29にち早朝そうちょう連合れんごう艦隊かんたい大本営だいほんえいたいして「渾作戦さくせん」を提案ていあん軍令ぐんれい現場げんば意向いこうしたがい、陸軍りくぐん協議きょうぎした[7]

陸軍りくぐんホーランジアせん陸軍りくぐんだいよん航空こうくうぐん隷下れいかだいろく飛行ひこう師団しだん壊滅かいめつしたため、5月2にち御前ごぜん会議かいぎ南方なんぽうぐん命令めいれいにより絶対ぜったい国防こくぼうけんからビアクとうのぞ決定けっていをしていた[8]参謀さんぼう本部ほんぶ作戦さくせん参謀さんぼうだった瀬島せじま龍三りゅうぞうは「兵力へいりょく投入とうにゅうしてもビアク持久じきゅう時間じかん問題もんだいである。「あごう作戦さくせん放棄ほうきすることにならないか」と疑念ぎねんしめしていたが、参謀さんぼう総長そうちょう兼職けんしょくしていた東條とうじょう英機ひでき海軍かいぐん要望ようぼう賛成さんせいした[9]

5月29にちよる大本営だいほんえい陸軍りくぐん同意どういし、即刻そっこく豊田とよだ長官ちょうかんより渾作戦さくせん発令はつれいされた[10]軍令ぐんれいだいいち部長ぶちょう中沢なかざわたすくによれば「渾作戦さくせん目的もくてきはビアクとう確保かくほだいいちであり、てき機動きどう部隊ぶたい誘致ゆうち決戦けっせん生起せいきさせるチャンスもあるとかんがえていたが、その経過けいか次第しだい後者こうしゃほう重視じゅうしする傾向けいこうつよくなってきた」という[11]

6月3にち午後ごご221ふん連合れんごう艦隊かんたいでんれいだい114ごうにより「だい基地きち航空こうくう部隊ぶたい指揮しきかんは、じきりつだい攻撃こうげき集団しゅうだんはるかめ[12]方面ほうめん集中しゅうちゅう配備はいびせよ」との命令めいれいしていた。だい攻撃こうげき集団しゅうだんはマリアナに配備はいびされていた部隊ぶたいであったが、この命令めいれいけて西方せいほう移動いどう開始かいしした[13]

だいいち作戦さくせん

[編集へんしゅう]

南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたい意見いけん具申ぐしんまえの5がつ24にちには南方なんぽうぐんよりミンダナオ島みんだなおとうサンボアンガにいた陸軍りくぐん海上かいじょう機動きどうだい2旅団りょだん海上かいじょう輸送ゆそう協力きょうりょくについて打診だしんされていた。渾作せんたりこれが増援ぞうえん部隊ぶたいとしてえらばれた。どう旅団りょだんは、もともとぎゃく上陸じょうりく作戦さくせん専門せんもん部隊ぶたいとして編成へんせいされた部隊ぶたいで、ニューギニア方面ほうめんかう途中とちゅう輸送ゆそうせん攻撃こうげきけてミンダナオ島みんだなおとう待機たいきちゅうだった。

5月29にち日本にっぽんがわにおいてはニューギニア方面ほうめん部隊ぶたいよりニューギニア中部ちゅうぶ北岸ほくがんのホーランジアフンボルトわんてき艦隊かんたい発見はっけん報告ほうこくがあった[14]

6月2にち増援ぞうえん部隊ぶたいせた艦隊かんたいミンダナオ島みんだなおとうダバオを出発しゅっぱつし、ビアクとうかった。艦隊かんたい以下いか編成へんせい左近さこんまことなおただし少将しょうしょう指揮しきした。

3にち、渾部たいてき哨戒しょうかい発見はっけんされた。当時とうじアメリカ海軍かいぐん空母くうぼ機動きどう部隊ぶたいは6がつ15にちのサイパン侵攻しんこうけマーシャル諸島しょとうのメジェロに集結しゅうけつしており、ビアクとう方面ほうめん海上かいじょう戦力せんりょくはオーストラリア海軍かいぐんじゅう巡洋艦じゅんようかんオーストラリア」を旗艦きかんとしたじゅうじゅんいちせき(「オーストラリア」)、けいじゅんさんせき(「ボイシ」・「フェニックス」・「ナッシュビル」)、駆逐くちくかん10せき程度ていど艦隊かんたいしかなかった。

ビアクとうたたかいの指揮しきっていたダグラス・マッカーサー急遽きゅうきょこのべいごう混成こんせい艦隊かんたい日本にっぽん艦隊かんたい迎撃げいげきかわせた。この部隊ぶたいには戦艦せんかんはなく、戦艦せんかん扶桑ふそうじゅうじゅんさんせきからなる渾部たいには戦力せんりょくてきにはおとっていたがマッカーサーは苦悩くのうすえ出撃しゅつげきさせた。

一方いっぽう連合れんごう艦隊かんたい司令しれいは3にち、「アメリカ海軍かいぐん空母くうぼ機動きどう部隊ぶたいがニューギニア方面ほうめん海域かいいき行動こうどうちゅう公算こうさんだい」とほうじ、3にちよるには部隊ぶたい作戦さくせん中止ちゅうししてソロンかうようめいじられた。 4にちひる陸軍りくぐん偵察ていさつから空母くうぼせき戦艦せんかんさんせきからなるアメリカ機動きどう部隊ぶたい発見はっけん報告ほうこくがあったためソロンに到着とうちゃくすると陸軍りくぐん部隊ぶたい揚陸ようりくされ、艦隊かんたいはアンボンへ退避たいひめいじられた。このてき機動きどう部隊ぶたい実際じっさいには上記じょうきじゅうじゅん「オーストラリア」を中心ちゅうしんとする艦隊かんたい誤認ごにんであった。その海軍かいぐん索敵さくてきさい偵察ていさつにより機動きどう部隊ぶたい発見はっけん誤報ごほう判明はんめいしたが、すで陸軍りくぐん部隊ぶたい揚陸ようりくみで駆逐くちくかん燃料ねんりょうく、あとまつりだった。

陸軍りくぐんだい方面ほうめんぐん司令しれいかん阿南あなみ惟幾これちか中将ちゅうじょうはこれについて「まされたかんがする」と日記にっききつけた[15]。「扶桑ふそう士官しかんによれば、「扶桑ふそう」と「青葉あおば」がいちはや退避たいひしたことで司令しれいかん叱責しっせきされたという[16]

だい渾作せん(ビアクとうおき海戦かいせん

[編集へんしゅう]

増援ぞうえん作戦さくせん再開さいかいされたが、高速こうそく駆逐くちくかんだけによる輸送ゆそうえられることとなった。旅団りょだんぜん部隊ぶたいいち輸送ゆそうすることは不可能ふかのうのため、やく600にんだい一陣いちじんとしてはこばれることになった。7にちにはアメリカぐんがモクメルだいいち飛行場ひこうじょう突入とつにゅうした。

8にち3部隊ぶたい駆逐くちくかん敷波しきなみ」、「うら」、「時雨しぐれ」、「白露しらつゆ」、「五月雨さみだれ」、「春雨はるさめ」の6せき再度さいどソロンから出撃しゅつげきした。 6せきすべてがだい発動はつどうていいちせきずつ曳航えいこうしていた。 1230ふんB-25による空襲くうしゅう春雨はるさめ沈没ちんぼつしたが、部隊ぶたいはそのままビアクとうかった。22ごろ、クラッチレー少将しょうしょうひきいるじゅうじゅんオーストラリアHMAS)」、けいじゅんボイシ」、「フェニックス」、駆逐くちくかん14せきからなる連合れんごうぐん艦隊かんたい遭遇そうぐうし、避退行動こうどううつるが追撃ついげきけて連合れんごうぐん艦隊かんたいからのレーダー射撃しゃげき目標もくひょうとなってしまった[17]日本にっぽんぐん駆逐くちくかん大発だいはつはなし、「敷波しきなみ」、「うら」、「時雨しぐれ」と「白露しらつゆ」、「五月雨さみだれ」はそれぞれ別々べつべつ方向ほうこう退避たいひしながらほう雷同らいどうせんおこなった。しかしアメリカ艦隊かんたい被害ひがいはなかった。

追跡ついせき途中とちゅうでクラッチレー少将しょうしょう日本にっぽんぐん空襲くうしゅうになりはじめ、じゅう巡洋艦じゅんようかん部隊ぶたい後衛こうえい駆逐くちくかんひきいて帰還きかんしたが駆逐くちくかん「フレッチャー」を中心ちゅうしんとする前衛ぜんえい駆逐くちくかん部隊ぶたい追跡ついせき続行ぞっこうした[18]。 22からの追跡ついせきは9にち午前ごぜん2まで4間近まぢかつづいたが、日本にっぽん艦隊かんたいはかろうじて離脱りだつ成功せいこうした。「敷波しきなみ乗組のりくみいんによると普段ふだん33ノットの速力そくりょくしかしたことのかったかんがこのは35ノット以上いじょうたたしたという[19]。しかし、日本にっぽん艦隊かんたいは「時雨しぐれ」、「五月雨さみだれとう至近しきんだんなどで損傷そんしょうし、輸送ゆそう中止ちゅうしされた。敵艦てきかんたいから離脱りだつ、パラオ近海きんかいにて「敷波しきなみ」は燃料ねんりょうれで一時いちじ海上かいじょう漂流ひょうりゅうした。10日とおかハルマヘラとうにてかくかん合流ごうりゅうした。

だいさん作戦さくせん

[編集へんしゅう]

2失敗しっぱいから、連合れんごう艦隊かんたい司令しれいではビアク方面ほうめん水上すいじょう部隊ぶたい排除はいじょしないかぎりビアク突入とつにゅう不可能ふかのう判断はんだんし、10日とおか未明みめい決定けっていにより兵力へいりょく強化きょうかされ、以下いか艦艇かんていで3度目どめ作戦さくせんおこなわれることとなった[20]。なお、淵田ふちた奥宮おくのみや大和やまとがた戦艦せんかん2せき投入とうにゅうしたのは「あくまでてき機動きどう部隊ぶたいさそため窮余きゅうよ一策いっさく」だとべている[21]

  • 攻撃こうげき部隊ぶたい戦艦せんかん大和やまと」、「武蔵むさし」、じゅうじゅんみょうだか」、「羽黒はぐろ」、けいじゅん能代のしろ」、駆逐くちくかんおきなみ」、「しまふう」、「あさくも」、「風雲ふううん
  • 輸送ゆそう部隊ぶたいじゅうじゅん青葉あおば」、けいじゅん鬼怒きぬ」、駆逐くちくかん満潮まんちょう」、「野分のわけ」、「やまくも」、敷設ふせつかん津軽つがる」、「厳島いつくしま」、だい36ごう駆潜艇くせんていだい127ごう輸送ゆそうかん
  • 補給ほきゅう部隊ぶたい:タンカーだい2えいひろしまるだい37ごう駆潜艇くせんていだい30ごう掃海そうかいてい

だい戦隊せんたいみょうだか羽黒はぐろ)とだい10駆逐くちくたい風雲ふううんあさくも)はバチャン泊地はくち(ハルマヘラ、オビットとう北方ほっぽう)へ移動いどうちゅうの6がつ7にちべい潜水せんすいかん攻撃こうげきされ、風雲ふううん沈没ちんぼつしている。

部隊ぶたい6月12にち指定していされたバチャン泊地はくち集結しゅうけつした。しかし、11にちにはアメリカ機動きどう部隊ぶたいがマリアナ諸島しょとう来襲らいしゅうしたため、豊田とよだ長官ちょうかんは13にち1727ふん「あ」ごう作戦さくせん決戦けっせん用意ようい発令はつれいし、渾作戦さくせん中止ちゅうしされた。連合れんごう艦隊かんたいでんれいだい114ごうにより移動いどうしていただい攻撃こうげき集団しゅうだんは11にちだいさん攻撃こうげき集団しゅうだんは14にち西にしカロリン方面ほうめん配備はいびするようめいじられたが、ビアク方面ほうめんでの作戦さくせん消耗しょうもうおよマラリアなどより実働じつどう兵力へいりょくおおきく低下ていかしていた。陸軍りくぐん部隊ぶたいはそのままソロンへ残置ざんちされた。

影響えいきょう

[編集へんしゅう]

作戦さくせんはあごう作戦さくせんマリアナおき海戦かいせん)を準備じゅんびしているなかで、ビアクらいおさむ現地げんち部隊ぶたい反応はんのうしたことで突発とっぱつてきおこなわれたが、作戦さくせんちゅうにマリアナ空襲くうしゅうけ、渾作戦さくせん中止ちゅうししてあごう作戦さくせん発動はつどうすることになった。渾作戦さくせん実施じっししたさい、あごう作戦さくせんのために準備じゅんびしていた戦力せんりょく投入とうにゅうしたため、ガソリン、重油じゅうゆなど貴重きちょう資源しげん浪費ろうひしてしまう。さらにあごう作戦さくせん使つかわれるはずだっただいいち航空こうくう艦隊かんたい攻撃こうげき集団しゅうだん集中しゅうちゅうおくれ、作戦さくせんちゅう逐次ちくじ消耗しょうもうしていったため、あごう作戦さくせん策応さくおうできなくなってしまった[22]

日本にっぽん陸軍りくぐんホーランジアせんビアクとうせん過程かていでニューギニアに元々もともと配置はいちされていた航空こうくう陸上りくじょう戦力せんりょくだい損害そんがいけていた。だいろく飛行ひこう師団しだん壊滅かいめつだいなな飛行ひこう師団しだんかめ地区ちく防空ぼうくう担当たんとうしていたが、ビアクとうべいぐん上陸じょうりくした時点じてんだいろく飛行ひこう師団しだん残存ざんそんわせても70あまりの作戦さくせんしかなかった[23]

とくに渾作戦さくせんのために西方せいほう移動いどうさせられた部隊ぶたい戦機せんきしっし、かつ戦力せんりょく低下ていかしたことは、「あごう作戦さくせん重大じゅうだい影響えいきょうあたえる要因よういんとなる[24]。マリアナにたいしてべい海軍かいぐん攻撃こうげき開始かいししたのは11にちであったのにたいして、だいいち機動きどう艦隊かんたい補給ほきゅう完了かんりょうしマリアナに態勢たいせいととのった進撃しんげき開始かいししたのは17にち以降いこうであったことをとらえ、「おそどう部隊ぶたい」と酷評こくひょうもある[25]タウイタウイにあったはやぶさたか内務ないむちょう桜庭さくらば久右衛門きゅうえもん少佐しょうさは、6がつ10日とおかかんして「渾作戦さくせんまった失敗しっぱい。やることなすこと手遅ておくれ。(中略ちゅうりゃくさく日大にちだいおおとりより緊急きんきゅうしんあり。大和やまと武蔵むさしなど渾部たい編入へんにゅうさる。やることなすこと手遅ておくれ。あくはかりごと無能むのうこれ日本にっぽん陸海りくかいぐん状況じょうきょうか。今頃いまごろおこなってもビアク飛行場ひこうじょう敵手てきしゅはいった以上いじょうなにになるか」とべている[26]

作戦さくせん中止ちゅうししておこなわれたマリアナおき海戦かいせん敗北はいぼくし、ニューギニアは制空権せいくうけん制海権せいかいけんともに連合れんごうぐんにぎったため、日本にっぽんぐん増援ぞうえんばかりか撤退てったいむずかしくなった。また、それまで安全あんぜんであった原油げんゆ産地さんちらんしるし方面ほうめん連合れんごうぐん空襲くうしゅうけるようになった。陸軍りくぐん報道ほうどうはんいん手記しゅきによれば、増援ぞうえんないことがらされたビアクの将兵しょうへいには失望しつぼうひろがり、士気しき低下ていかしたと[27]

それでも奮戦ふんせんにより6がつ22にちまでアメリカぐん飛行場ひこうじょう使用しようゆるさず、ビアクとう飛行場ひこうじょうからマリアナ諸島しょとう攻略こうりゃく支援しえんおこなうというアメリカがわ計画けいかく失敗しっぱいわった。ビアクとうたたかいは8がつ20日はつか終結しゅうけつし、日本にっぽんぐん終戦しゅうせんまでに250にん捕虜ほりょにされた。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 淵田ふちた美津雄みつお奥宮おくのみや正武まさたけだい だい7しょう 戦機せんきうごく」『機動きどう部隊ぶたい』P311 学研がっけんM文庫ぶんこばん 2008ねん10がつ初出しょしゅつ1951ねん9がつ文献ぶんけんでは26にちとなっているが上陸じょうりく実施じっししたのは27にちである。
  2. ^ 木俣きまたしげるろう日本にっぽん水雷すいらい戦史せんし』 p441
  3. ^ 戦史せんし叢書そうしょ12マリアナおき海戦かいせん479ぺーじ
  4. ^ 戦史せんし叢書そうしょ12マリアナおき海戦かいせん327-328ぺーじ
  5. ^ 戦史せんし叢書そうしょ12マリアナおき海戦かいせん480ぺーじ
  6. ^ 淵田ふちた美津雄みつお奥宮おくのみや正武まさたけだい だい7しょう 戦機せんきうごく」『機動きどう部隊ぶたい』P313-314 学研がっけんM文庫ぶんこばん
  7. ^ 戦史せんし叢書そうしょ12マリアナおき海戦かいせん481-484ぺーじ
  8. ^ 5月2にち絶対ぜったい国防こくぼうけんげについては
    田村たむら洋三ようぞうだいはちしょうごう作戦さくせんと渾作戦さくせん」『玉砕ぎょくさい ビアクとうまなばざる軍隊ぐんたい帝国ていこく陸軍りくぐん戦争せんそう』P143 ひかりじんしゃNF文庫ぶんこ 2004ねん単行本たんこうぼん2000ねん
  9. ^ 瀬島せじま東条とうじょう姿勢しせいについては「だい八章はっしょう マリアナおき海戦かいせん半藤はんどう一利かずとし はたいく横山よこやま恵一けいいち日本にっぽん海軍かいぐん 戦場せんじょう教訓きょうくん』P317-318 PHP文庫ぶんこ
  10. ^ ビアク方面ほうめんへの増援ぞうえん方針ほうしん全般ぜんぱん経緯けいいについては下記かき
    外山とやま三郎さぶろうだいきゅうしょう マリアナおき海戦かいせん」『図説ずせつ 太平洋たいへいよう海戦かいせん3』P106 ひかりじんしゃ 1995ねん
    田村たむら洋三ようぞうだいきゅうしょう べいぐん来襲らいしゅう」『玉砕ぎょくさい ビアクとうまなばざる軍隊ぐんたい帝国ていこく陸軍りくぐん戦争せんそう』P197 ひかりじんしゃNF文庫ぶんこ 2004ねん単行本たんこうぼん2000ねん
  11. ^ 戦史せんし叢書そうしょ12マリアナおき海戦かいせん484ぺーじ
  12. ^ 日本にっぽんぐんはニューギニアとう西にしけておよかめ見立みたてて、かめ地区ちくとはニューギニア西北せいほくはるかめとはかめあたま北西ほくせい位置いちするハルマヘラとう周辺しゅうへんした。
    田村たむら洋三ようぞうだいよんしょう ビアク支隊したい」『玉砕ぎょくさい ビアクとうまなばざる軍隊ぐんたい帝国ていこく陸軍りくぐん戦争せんそう』P86 ひかりじんしゃNF文庫ぶんこ
  13. ^ だい攻撃こうげき集団しゅうだん移動いどう命令めいれいについては
    外山とやま三郎さぶろうだいきゅうしょう マリアナおき海戦かいせん」『図説ずせつ 太平洋たいへいよう海戦かいせん3』P106-107
  14. ^ ざいはく艦艇かんてい巡洋艦じゅんようかん4、駆逐くちくかん8、輸送ゆそうせん中型ちゅうがた9、小型こがた10
    港外こうがい駆逐くちくかん9、輸送ゆそうせん9から船団せんだん航行こうこうちゅう
    淵田ふちた美津雄みつお奥宮おくのみや正武まさたけだい だい7しょう 戦機せんきうごく」『機動きどう部隊ぶたい』P316 学研がっけんM文庫ぶんこばん
  15. ^ 田村たむら洋三ようぞうだいじゅうしょう作戦さくせん作戦さくせん」『玉砕ぎょくさい ビアクとうまなばざる軍隊ぐんたい帝国ていこく陸軍りくぐん戦争せんそう』P216 ひかりじんしゃNF文庫ぶんこ
  16. ^ #リバイバル戦記せんきコレクション6186ぺーじ
  17. ^ #昭和しょうわ19ねん6がつだい27日誌にっし(1)p.6『2325てきわが猛烈もうれつナルでんさがせ集中しゅうちゅう射撃しゃげき開始かいしス』
  18. ^ 木俣きまたしげるろう日本にっぽん水雷すいらい戦史せんし』 p445
  19. ^ 田村たむら洋三ようぞうだいじゅうしょう作戦さくせん作戦さくせん」『玉砕ぎょくさい ビアクとうまなばざる軍隊ぐんたい帝国ていこく陸軍りくぐん戦争せんそう』P219 ひかりじんしゃNF文庫ぶんこ
  20. ^ 田村たむら洋三ようぞうだいじゅうしょう作戦さくせん作戦さくせん」『玉砕ぎょくさい ビアクとうまなばざる軍隊ぐんたい帝国ていこく陸軍りくぐん戦争せんそう』P220 ひかりじんしゃNF文庫ぶんこ
  21. ^ 淵田ふちた美津雄みつお奥宮おくのみや正武まさたけだい だい8しょう てき機動きどう部隊ぶたいマリアナおき来襲らいしゅう」『機動きどう部隊ぶたい』P330 学研がっけんM文庫ぶんこばん
  22. ^ 戦史せんし叢書そうしょ12マリアナおき海戦かいせん636-638ぺーじ
  23. ^ 田村たむら洋三ようぞうだいきゅうしょう べいぐんかさね」『玉砕ぎょくさい ビアクとうまなばざる軍隊ぐんたい帝国ていこく陸軍りくぐん戦争せんそう』P167 ひかりじんしゃNF文庫ぶんこ
  24. ^ 外山とやま三郎さぶろうだいきゅうしょう マリアナおき海戦かいせん」『図説ずせつ 太平洋たいへいよう海戦かいせん3』P109
  25. ^ 吉田よしだ昭彦あきひこもと1とううみ)「まぼろし攻撃こうげき目標もくひょう『15リ』」『なみ濤』1993ねん7がつ
  26. ^ なみ濤』 1997ねん3がつごう桜庭さくらば日誌にっし抄録しょうろく帝国ていこく海軍かいぐんアキレス腱あきれすけん防御ぼうぎょ」に挑戦ちょうせんしたはやぶさたか内務ないむちょう桜庭さくらば少佐しょうさ記録きろく
  27. ^ 田村たむら洋三ようぞうだいじゅうしょう作戦さくせん作戦さくせん」『玉砕ぎょくさい ビアクとうまなばざる軍隊ぐんたい帝国ていこく陸軍りくぐん戦争せんそう』P221-222 ひかりじんしゃNF文庫ぶんこ

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 木俣きまたしげるろう日本にっぽん水雷すいらい戦史せんし図書としょ出版しゅっぱんしゃ、1986ねん
  • 田村たむら洋三ようぞう玉砕ぎょくさい ビアクとうまなばざる軍隊ぐんたい帝国ていこく陸軍りくぐん戦争せんそう光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ 2004ねん単行本たんこうぼん2000ねん
  • 外山とやま三郎さぶろうだいきゅうしょう マリアナおき海戦かいせん」『図説ずせつ 太平洋たいへいよう海戦かいせん3』 光人みつひとしゃ 1995ねん
  • 淵田ふちた美津雄みつお奥宮おくのみや正武まさたけだい だい7しょう 戦機せんきうごく」『機動きどう部隊ぶたい』P311 学研がっけんM文庫ぶんこ 2008ねん10がつ初出しょしゅつ1951ねん9がつ
  • 藤田ふじた千代吉ちよきちほか『証言しょうげん 昭和しょうわ戦争せんそう*リバイバル戦記せんきコレクション6 ミッドウェーのうみ鋼鉄こうてつ浮城うきしろえている』光人みつひとしゃ、1990ねん7がつISBN 4-7698-0504-7 

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]